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風早委員 わかりました。大体
委員長の今のお答えに從いまして、私の
意見を述べたいと思います。
私は日本共産党を代表して、この法案の原案に反対の意思を表明するものであります。その理由とするところは、第一にこの法案の基礎に
なつております
見返り資金の内容がきわめて不明瞭、不確定であるということであります。
第二には、この
見返り資金はこれを追究してみますれば、結局本質的には
輸入價格差
補給金というものが、相当その内容に
なつておりまして、結局はこの
見返り資金の額の増大そのまま
補給金の増大になり、また税金の負担の増大にもなるということになる。こういう意味におきまして、やはりこれも反対の
一つの理由になるのであります。結局これは後ほど
貿易特別会計の檢討によりまして、やがて明らかになることであると
考えるのでありますけれ
ども、私の檢討いたしましたところでは、この
貿易会計から本法案の基礎に
なつておりまする
会計に金が参ります場合において、それがはなはだ不明瞭なものである。と申しますのは、千七百五十億円というものが、決して正確な意味での
援助物資から生ずるところの事実上の黒字ではないのでありまして、これはいずれ
貿易特別会計の檢討によ
つて明らかになると思いますけれ
ども、結論を申し上げますれば、千七百五十億円と言
つておりながら、そのうち実際にこの援助
資金によりまして、黒字になる
部分というものはきわめてわずかです。これは実数から申しまして、実は四百十六億円にすぎないのであります。八百三十三億円以外にまだまだわけのわからない
一つの
赤字があるのでありまして、差引きいたしましてきわめてわずかなものである。こういう一点を見ましても、これは実のない非常に不明瞭なる
資金をもとにした
一つの
会計であるという意味におきまして、こういう基礎の上に立
つてこれから
予算の運営がなされるということを
考えてみた場合におきまして、はなはだこれは了解しがたいものとして私は反対するものであります。
さらに第三には、この
見返り資金の運営につきまして、まつたく自主性がないということであります。この
資金をいかなる用途に、いかにして
運用し、もしくは
使用するかということは、事実上日本國民の自主的な判断、
意見によ
つてこれを決定することはできない性質のものである。これはさらに言いかえますならば、場合によりましては、必ずしも日本再建に対してわれわれが
考えておりますプラスの方向になるかどうかは、疑問であるという点があるのであります。
そこで第四番目に、私は特に実質上の理由といたしまして、この法案を実際に行
つて参ります結果、
日本経済再建に対してどういう影響があるか。立法
趣旨にいうまでもなく、経済再建に対するてことして、これが
運用されあるいは
使用されるというにあるのでありまして、その
趣旨はもとより抽象的には異議のあろうはずはないのであります。しかしながら実際上の客観的な役割というものを檢討してみますと、その
趣旨とするところとはまつたく相反するということを発見するのであります。たとえばこの法案が実際に施行せられ、そうしてその
資金が運営せられるという場合に、まず第一に、
建設公債であります。
建設公債引受けの場合におきましても、これは日本の
産業のまつたく動脈をなすところの鉄道
事業、及び神経系路をなすところの通信
事業、こういう二つの重大なるわが國の
産業の根幹になるべき
事業が、この外資をてことした運営によりまして、どういう性格のものに
なつて行くかということを
考えた場合に、これは必ずしも善隣の諸國から全然疑いの目をも
つて見られないような性質のものになるであろうということは、保証しがたいのでありまして、この点を私は憂うるがゆえに、この
建設公債引受けをこの外資をも
つてやるということには反対なのであります。
さらにまた、一体この外資というものが贈與であるか、あるいは貸付であるか。この点
政府においてもきわめて不明瞭であ
つて、いまだにその解決
はついておらない。大体贈與になるであろうというような非常に甘い
考え方で対処しておられる。それを予想しておられる。しかしながら実際の
見通しといたしましては、これはか
つてここでも引用したことがありますが、一昨年の二月二十二日のマッカーサー元帥のコングレスあての書簡にもありますように、あのガリオア
資金という、これはもう多くの人があるいは贈與じやないか、贈與であろうというように
考えておられたその
資金すら、決して贈與ではない。これは慈善をや
つておるのではない。これについてアメリカの納税者はびた一文の損もしない。場合によ
つては、アメリカは日本に対して先取特権を
設定して、これを行使するであらうということも明記されておるのでありまして、それらを思い合せるならば、將來そういう最惡の場合におきまして、わが國鉄、あるいはまた通信
事業というものが、この先取特権の対象にならないということも、これまた保証しがたいのでありまして、これらを
考え合せるならば、はなはだ危險なる方向を歩んでおるのじやないかと
考える次第であります。
第五に、この用途といたしまして、特に
産業の設備
資金の問題であります。これははなはだけつこうです。
産業資金へ今日どれくらい金が行くかということは、だれしも非常に関心の高いところでありまして、これは最も大事なことであります。しかしながら実際に今日いかなる
産業部門に、またいかなる
企業経営に金がつぎ込まれるかということを、具体的に
考えてみました場合におきましては、
安本なりその他
政府当局において、今日根本方式といたしておりますところの
集中生産方式、こういうものの裏づけとしてこれがなされるということを、われわれは忘れてはならないと思います。そうした場合におきまして、もう現に始ま
つておるのでありますが、特に少数の部門、鉄鋼部門あるいは電力部門、また石炭部門、これらにつきまして、しかもきわめて限られた少数の
企業経営
——これも具体的にもう大体出ておるのでありますが、明らかにきわめて限られた巨大な独占財閥系の
企業経営にのみ、不当に偏頗にこの
資金が投ぜられるということは、ほとん
どもう断定してさしつかえない
程度であると
考えるのであります。そういう意味におきまして、これは今日
産業資本家といたしましても決して喜ぶべきしろものじやなかろう。反対に、相当大きな
産業資本家までもこの
集中生産方式によ
つて今没落しつつあるのでありまして、それに拍車を加える性質を持
つておる。こういう意味におきまして、私はこの
産業設備
資金への投資というこのことも、必ずしも喜ぶべきことではない。もちろん
産業設備
資金に十分なる投資がなされなければならないということは、もとよりいうまでもないのでありまして、われわれはその財源というものについては苦慮しておる次第であります。しかしながら、これは別途に國内の自力によ
つて編み出し得る十分なる方法があるのでありまして、今それを一々ここで申し上げる必要はないのでありますけれ
ども、そういう他の自力的な方法を拔きにいたしまして、ただ單に漫然と外資、しかも非常に頼りのないこの外資に頼ろうという、この性格がもたらす破綻の促進ということを
考えた場合におきましては、これは決して喜ぶべきことじやないと
考える次第であります。
第六に
國債償還でありますが、これまた結局金融
機関の救済に役立つにすぎない。非常に端折りますから、はなはだ意を盡さないのでありますけれ
ども、結論を申し上げるならば、事実上きわめて少数の大銀行のみが救済せられる。
復金債の
償還につきましても、やはりこれは税金からと
つて、結局日銀に返済するというだけのことでありまして、返済したならばそれだけやはり金融
機関に余裕が生ずるから、それを
産業投資に向けるであろうということは、当然予想せられるのでありますが、しかしながらそうでない。その場合において、またしても
集中生産方式によりまして、この向けられる相手先は、きわめて限られた一部少数の財閥系、
企業系にとどまる。その他のものはむしろその不均衡によりまして、ますます競爭能力を失
つて、没落の運命に落ちる、それに拍車をかけるものである。こういう意味におきましても、これははなはだ危險なるしろものであると
考えるのであります。
第七に、そのほかに直接政治的に
運用、
使用ということが十分に予想せられるのであります。これは他の各國の実際の援助
資金の活用の例を見ましても、やはりあるいはチヤペルをつくるとか、あるいは場合によりましては、労働爭議に関與するためのいろいろな費用であるとか、さまざまな政治的な
運用、
使用というものも十分にそれを
考える余地があるのでありまして、一番最初に申しましたごとくに、この
見返り資金の
運用、
使用ということに自主性はないということから、そういうことがますます予想されるということを私
どもはこの際指摘せざるを得ないのであります。
さらに最後にインフレに対する
関係でありますが、これもまたこの
見返り資金というものが、もともと内容があるものであるならば
——そのままこれがわが國内に外から入
つて來る
一つのプラスであるならば、これはまた別問題でありますが、しかしながらその内容がほとんどないものでありまして、いわゆる見せ金であるということから、結局千七百五十億というものを使うことになりますれば、そこに新しいインフレの
要素というものが当然入
つておるのでありまして、そこから新しい通貨の増発ということも、また当然に起ることが予想されるのであります。これらを
考えるならば、わが國民経済に対する建設的なる影響は、はなはだ
考えられない。むしろその逆が
考えられる。こういう意味におきまして、実質上のこの法案の役割に対して、反対せざるを得ないのであります。
この意味におきまして、私はこの原案には絶対に反対であります。しかしながら今、
宮幡委員からお出しになりました修正案でありますが、原案には絶対に反対でありますが、この修正の
趣旨そのもの、それ自身につきましては、日本共産党は大いに賛成であります。なぜなればこの修正ということは、この法案の第四條、第六項並びに七項にありますところの、外國の権力の
承認を得るというような規定が入
つておる。こういうふうな規定が入
つておるということは、今までのわが國内法の歴史を見ましても、未だか
つてなかつたことであります。私は多少
法律もやつたわけでありますが、明治の初年におきまして、治外法権がまだ撤廃されておらない、まだ不平等條約が残
つておる。そうして全國民があげてこの不平等條約の撤廃、治外法権の撤廃のために鬪つたそのまつただ中におきましても、わが國内法におきまして、かくのごとき規定が存在しておつた
法律は、ただの
一つもなかつたのであります。それがこの際に頭を出すということは、何としても國民としては了承できないことであると
考える。ましてやこのことは國際法と國内法とをまつたく混同しておる。國際法的なものをそのまま國内法に取込もうとする誤りから來ておると
考えられるのでありまして、その意味におきまして、この法案の條文の中からこの二項目を取除くというその限りにおいては、きわめてけつこうなことでありまして、共産党は大賛成であります。しかしながら最初に申しましたように、これは混同のないようにお願いしたいのでありますけれ
ども、この原案に対しましても、また修正せられたといたしましても、結局はこの法案というものがこれから演じて参りますその役割、それを
考えた場合におきまして、われわれはこの法案には結局反対せざるを得ないことを、まことに遺憾とする次第であります。以上であります。