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佐竹委員 選挙は自由であ
つてほしいというのはもちろん理想であります。しかし自由だけでは私
どもの望みは達せられません。必ず公正でなければなりません。自由公正なることを要します。一人の人が自由氣ままにやつたが、金がたくさんあ
つて自由氣ままにやれる人はやれるでしよう。しかし勤労階級を代表する人々の中に金のない人があ
つて、やろうにもやれぬ。こういつたときにこういうところの人にやはりその
程度の機会均等を與えることは公正です。公正に
選挙をやる
意味合いにおいて、ある
程度の制約を受けることはけだしやむを得ないことであります。從いまして私
どもは自由はけつこうだが、無
制限の自由というものはあり得ない。あらゆる法治國におけるお互いの生活について見ても、これは
選挙に限りません。いかなる面においてもそんな野放しの自由などというものはございません。そんな無
制限の自由を許すことになれば、それは金のある者はどんどん買收したらいいでしよう。けれ
どもこれは何人も——例えば今実施困難なる
規定に関する調べとして全
國選挙管理委員会事務局から出しておりますが、これの中にも買收の條項は上げておりません。しかし買收した者のうち、千人のうちで、上げられる者は一人か二人でしよう。だから実際その面から言えば、これはむしろ実施困難の部類に入るでしよう。こんなぐあいに全
國選挙管理委員会の
事務局が戸別訪問もあり、あるいは
事前運動なるものも上げ、
選挙期日後における
当選及び落選に関するあいさつ行爲の
禁止、こういつたことを上げておられるけれ
ども、これは困難だとおつしやる。しかしこの
規定がありまするために
事前運動もある
程度ちやんと遠慮しておる。戸別訪問もおおまかにはやりません。
選挙期日後における
当選落選に関するあいさつのごときは、完全に行われております。むしろ
選挙に際して買收などは蔭に隠れてもつとよけいに行われておる。十人のうち檢挙される者は一人か二人でしよう、これでは実施困難と管理
委員会としても書かれない。なぜなら買收などを自由に許すということに
なつたら、
選挙法の基礎がくずれます。
選挙法はないにしかず、やりつ放しにどうでも自由か
つてにやつたらいいです。そんなことでございましたならば、これに
選挙法を廃止するにしかずということになります。
立候補の
制度もいらなければ供託
制度もいりません。私
どもはある
程度選挙はお互いに機会均等を得て、そうしてお互いに自由に、お互いに公正に、特定の人に野放し的な自由を認める
理由を私
どもは持ちません。そこで実際
選挙運動をやるに際しましても、自動車の上から何々
候補者に入れてくれと言
つておるのはみつともない。三十人や四十人近くの者がトラツクに乘
つて、氣違いのように叫びまわるのはみつともないです。それからまた
休憩所の問題な
ども、もの乞いするようなみつともない話です。こんな
選挙の体面を汚すようなことはどんどん取締る必要があります。自由にやらせるなどということは
考えられません。やはり
一つの制約を設けて、
選挙は
選挙なりに、
國会議員の
選挙なら
國会議員の
選挙なりに、
選挙をするにふさわしいところの体面を保つように規制することが必要である。そうして一部の人の自由だけを許さず、全面的に公正な、みんなが自由にやれるようにしなければなりません。
事前運動も
國会が開かれておるときに、どうも解散の空氣が盛んである。そこで解散だというので、みんなが職場を放棄して
選挙区へ帰
つて、演説をやつたり戸別訪問したりなどいたしましたことが、事実の上に現われております。
議会において議席を持
つておるものは、それはけしからぬ。
議会の開かれておる最中に
選挙運動などに行くべきじやない、こう言うけれ
ども、これをとめてしまえばどうなりましよう。議席を持
つておらぬ人は自由か
つてにやります。議席を持
つておる人は、自然に
禁止される。持
つていない人は自由にやれる。これが何で公正でありましよう。一部の人が自由か
つてにやり、一部の人が押し込められておる。そんなことになるから、議席を持
つておる者も、持
つていない人が自由にや
つているのだから、こそこそと拔け出してやるようになる。從
つてやはりスポーツをやりましても、一定の時刻に、一定の場所から出発して、同じように爭うわけです。同じようなチヤンスにおいて、チヤンスをイコールにして、互いに爭わせる。そうして勝つた者に勝ちを與える。これは当然のことであります。從
つて用のないやみ成金であ
つて、金は幾らでもあるといつたような人は、年中いろいろ
選挙運動をや
つておる。それが堂々許されるということに
なつたならば、次の
選挙のときに
立候補しなければならぬからと言
つて、堂々と演説をや
つてまわるでしよう。そうするとわれわれといたしましても、これにできるだけ対抗しなければなりません。そんなばかげたことはありません。從いまして一定の期日を定め、
立候補の
制度を認め、供託
制度を認め、いよいよこれから一緒に出発をいたしましようぞと言
つて、そこで一定の日限を切
つて互いに爭わせる。そうして國民の信頼を得た者に勝利を得せしめる。これはまことに私は勝負を決する上において当然の制約であると思う。從いまして
事前運動のごときを野放し的に許すがごときは断じて許すべきではない。しかし
選挙管理委員会のごときは
事前運動に関する
規定なんかは施行困難だとおつしや
つておるけれ
ども、これは買收よりももつと嚴格に行われております。実際供託をして
立候補の届をしない前に看板をかけることにできません。
立候補をいたしましたというあいさつ状を出すことはできません。
立候補いたしましたと言
つて選挙運動に加わることはできません。立会演説に立つことは行われておりません。少くともあの
規定によ
つて保護せられておるところの利益を享受することはできない。これはびしびしと行われております。何にも御利益はないというのではございません。われわれがこういう
規定を設けて一定の場所から一定の日時に、互いに爭わせる
制度が必要であ
つて、
事前運動を
禁止いたしますと同時に、互いに一定の
立候補制度と供託
制度のもとに
届出をいたしまして、その後許された
範囲内において自由にやる。これでこそ私は正しい公正なる
選挙ができると思います。もしそういつたような
制限もなしに、自由氣ままにやらしてしましまするならば、これはもう
選挙の秩序やなんかというものもあつたものではありません。しこうしてそういつたことはなかなか施行困難だと言いますけれ
ども、それだつたら窃盗にしても横領にしても、刑法上の
犯罪のごときは今日絶えません。しかし檢挙されるものはその一部分にすぎないでしよう。浜の眞砂は盡きるとも盗人は盡きないという。しかし刑法を廃止するわけには参りません。こういう
規定がちやんとあればこそ、これに対して相当の効果を收めておることは間違いない。もちろん役人に対する
規定でも、きよう一日限り役人をや
つてよろしいと野放しにしてごらんなさい。いかなる殺人事件が起るかもしれません。その
規定がちやんとあ
つて無言の支配をしておる。それは統計に出るような、数字に現われるようなものはなくても無言の制約というものがある。それでいいのです。それでこそこそや
つておるものは檢挙もするし、檢挙を全部しなくても法の効果なしとは断じて言えません。從
つて私はそういう
規定は、公正にやらせる
意味合いにおいてあ
つてよろしいと思います。チヤンスをイコールにする上において必要であると思う。
次に教育者の特殊地位利用運動の問題も、かような
意味合いにおいて。特殊の地位を利用いたしまする運動のごときは制約を加えることが必要であると私は思います。次いで戸別訪問の問題でありますが、戸別訪問につき物は買收であります。古來から戸別訪問には必ず買收がつきまと
つておる。從いまして買收を
禁止しようとする方面に御賛成の方でありましたならば、その機会を與えるところの戸別訪問は
禁止してよろしいと思います。これは單なる小
選挙区時代の弊害ではありません。もしこれを今日、中
選挙区におきましても、あるいは大
選挙区になりましても、戸別訪問を自由に許すということに
なつたならば、これが絶えるかと言つたら絶えません。おそらく第一に手を着けるものは戸別訪問團を組織することでありましよう。それが勝敗の
決定点になりましよう。たとえば私でありましたならば、あの村のどういう人をかり込む。そこで五人なり十人なりの團体をつくる。これが先ほど申し上げました
選挙運動員をある
程度制限せいと言うたのと
関連いたします。
選挙運動員はどれだけ置いてよろしい、戸別訪問も野放し、やり放題だということになりますならば、この村で五人、この村で十人、この市で百人と、戸別訪問團をつくります。もうそれが朝から晩まで戸別訪問をや
つて参ります。これは戸別訪問の恐るべき激戰になりましよう。今度の
規定ではトラツクの上から何の某に入れてくださいと言うことを
禁止いたしましたからみつともない状態が絶えましたけれ
ども、あれを許しておるときにどういう有樣でありましたか。実に物狂わしいばかりなプロパカンダでございました、ギヤンギヤン夜の一時二時過ぎまでや
つておる。朝はまだ起きない前からガンガンや
つておる、安んじて寢ることもできなかつた。もし戸別訪問を許すことに
なつたならば、これが法制の上において公然許されることに
なつたならば、夜の夜中も戸をたたいてやるでしよう。そうなれば戸別訪問をしてまわる人を押えた者が勝利です。これは恐るべき方面に向くと同時に、その
関係は必ずや買收に行く。これは決して小
選挙区制の弊じやありません。今日のように
選挙がせちがらく
なつて参りますと、大選手区制になりましても、中
選挙区制になりましても、これはその方面に驚くべき精力を集中しまして、しかも運動員が無
制限に許されるものですから、各市、各町村、渦を巻いて戸別訪問になる。そこで戸別訪問をか
つてこれを
禁止するように
なつたのは、
選挙をする側にと
つてもとうていたえきれぬという、負担の重いという点からでもあつたと同時に、一面は
選挙民が迷惑する。店を開いていると、店に來て坐り込まれる。甲が帰ると乙が來る。甲に会
つて乙に合わぬというわけには参りません。玄関でもいかぬから奧に通す。台所から來る。それで台所のごときは奧さん連がもうほとんど家事ができないようになる。國民一切が生活に耐えられない。だからこんなばかばかしいことはない。みんながこれをやめる。機会均等でお互いにせぬで行けばいいじやないかというのでやめることにに
なつたのであります。私
どもが最も
禁止をしなければならぬ面は、むしろ
選挙をしなければならぬ側これらの人々に迷惑をかけてまでも
選挙というものはあるわけはない。
選挙の自由はいいけれ
ども、
選挙権者の自由を侵害してその自由にあり得ないと思う。私
どもはこういう見地に立
つて、とにかく
立候補いたしました者が、いかなる政策のもとに、どのような人物であ
つて、どういう方に向
つて進む人物であるかということさえ徹底せしめればいいのです。それ以上國民に迷惑をかける必要はちつともない。從いまして私
どもといたしましては、その持
つておるところの政見なり、その人の身分なり性格なり、これを徹底せしめるに必要な限度において自由なる運動を與えればいい。これを徹底いたしますために適当なものは演説会であり、文書である。こういう面においてある
程度の
制限はやむをえないでしようが、これをできるだけ自由にいたしまして、も
つて互いに機会均等で、金のある人だけが勝手氣ままなことをやらないように、互いに人物と政見を中心とした平等の爭いが公正にできるような建前の
選挙法こそ望ましいと
考えます。こういう
意味合において戸別訪問のごときはも
つてのほかであると私は
考えます。