○
齋藤委員 選挙法の
改正について大体
私見を述べておきたいと思います。今いろいろ御
説明もありましたし、また
研究事項等もこまかく書いてありますが、これを一々
可否を問うておつたら際限ないことであります。でありますから、この
選挙法改正委員会の目的は、
現行選挙法をどう
改正するかというだけのことであ
つて、この点を
改正したらよかろうということについて、
委員諸君の御
意見を承ればそれでよくはないかと思います。今は
選挙区のことでありましたが、
選挙区のことばかりじやありません。
選挙法改正の
全般に関します私の大体の
考えを述べまして、今後における
皆さんの
参考に供したいと
考えます。
選挙区のことはこれまでもしばしば
議論がありまして、小
選挙区、中
選挙区、
大選挙区とあるが、
日本は六回までは小
選挙区で、それからして七回
大選挙区でありました。それから二回ばかり小
選挙区にしてまた中
選挙区にな
つて中
選挙区が七回ばかり続き、
昭和二十一年の
選挙のときでありましたか
大選挙区にな
つて、一回や
つて中
選挙区にな
つたのであります。
大選挙区
といつても以前の
大選挙区と後の
大選挙区とは
大分違つております。以前の
大選挙区は
府縣單位の
大選挙区でありまして、たとえば
兵庫縣は
兵庫縣全体が一
選挙区である。ただそのうちの市だけが
独立選挙区であること。三万以上の
人口を持
つておる市は
独立選挙区である。それがすなわち当時の
大選挙区であ
つたのであります。その後
昭和二十一年の
大選挙区はそれと少し違いまして、
定員四名以上十名以下というようなぐあいで、大きい縣は二つにわけてあります。同じ
大選挙区と
言つても
選挙区の構成については
大分違つたところがあるのであります。これはいろいろ
議論がありまして、小
選挙区がいいか、中
選挙区がいいか、
大選挙区がいいか。これらはこの前の
選挙法改正のときに
議論は盡されております。これは常識によ
つてこの
委員会できめるより仕方がないと思います。私自身の
考えでは今の中
選挙区を
変更する理由は認めません。しかし中
選挙区の
投票の
方法については幾らか
考える余地があるかと思います。
昭和二十一年のいわゆる
大選挙区では
連記をや
つておりましたが、
連記もただ無
制限の
連記であ
つて非常に
投票にむりを来した。二、三名を
連記するにあた
つて、一名を甲の
党派、一名を乙の
党派を書くというようなことではまつたく
意味がない。
連記をやる以上は
政党式の
連記とする。しからざれば
投票は無効とするということに至らなければ
連記の効果は上らないのであります。かように
考えますので研究願いたい。私の
考えでは今の中
選挙区で三名のところは二名、五名のところは三名
連記する
政党式の
連記であ
つて、同じ
党派の者を
連記するということになれば
比例投票という
意味もあ
つてよいかと思います。さらに
投票を拡張して四名以上十名以下ぐらいの
選挙に拡張すればなお一層
連記投票の実を上げることができると思います。これをひとつ
皆さんで御研究願いたいと思います。それからしてこのあとに書いてある
選挙管理長の
海野君ですが、
選挙に関するところの大体研究すべき
事項を十ばかり列記されております。もとより
海野君はこの
事項のうちでどれがいいということを断言されたのではありませんが、こういうことを研究してもらいたいという題目だけを投げておりますから、これについて大体私の
意見を述べて見たいと思います。
一番初めの
二院制のことであります。この
二院制は
憲法で認めておりますから、これはいいとか悪いとかいうことを述べる必要がない。
次に
記号投票ということを述べております。しかし
投票用紙に
候補者を列記して
自分の好む
候補の頭に
クロスをつける。これがすなわち
記号投票でありまして、これまでの
選挙法改正においてもこういう
議論がありましたが、
日本においてはできないということに結論されております。
アメリカやイギリスなんかの諸國においては大体
記号によることもできるのであります。
日本においては今のところ実際行われません。なぜかというと、たとえば
候補者が二十名ある。それを
投票用紙に列記する。
漢字で姓名を書かねばならぬ。
漢字だけでいかぬから
ふりがなをつけなければならぬ。かたかなとひらがなと両方の
ふりがなをつけなければならない。それに向
つて自分が好む
候補者の頭に
クロスをつける、こういうことでありますが、これは実際問題となるとなかなか今の
有権者の
程度から行きますと、できる者もあればできない者もある。
地方の
あまり字の書けない人はなかなかそんなことではわかるものではない。
選挙の実際を見ますと、
有権者のある者はただ一人の
候補者を
知つてお
つて、
斎藤なら
斎藤というだけのことを
知つてお
つて、
斎藤という文字を教えてもら
つてそれを書きに行くのでありますから、そういう
選挙人をとらえて、たくさんの
漢字の載
つておる
候補者の頭に
クロスをつけるということはなかなか実際できることではない。それからめがねを持
つておらぬ年寄は、
投票所に
行つて一体どこに
自分の
候補者の名前があるかということを見出すこともなかなかむつかしい。でありますからは、西洋のようにアルハベツトでや
つているところはよいが、
日本のように
漢字でや
つているところはなかなかできない。ことに
候補者の名を書くについてもどういう
順序で書くか、
いろは順でやるか、くじ引きでやるか、一番初めに書かれた者は得でありますから、円い
投票用紙をつくればたれが一番先かわからぬが、結局そんなことは行われぬということにな
つておるのであります。いつか
ウイリアム氏に会つたとき、
アメリカではできるかしらんが、
日本ではできないというので
事情を述べたら、
ウイリアム氏もそうか
といつて承認したこともありますが、これもあまり深く研究する必要はないと思う。
次に
不在投票のことがありましたが、
不在投票は必要であります。どうも
不在投票ということは軽視されるけれども、手続がめんどうでありますから、もつと
簡單にできるような
方法を
考えてもらいたい。近ごろ
船員不在投票を拡張しろという論があるがもつとものことであると思う。
不在投票の拡大についても
事務局において十分お
考え願つてなるべく
簡單にや
つていたたきたい。
次に
比例代表のことを申し上げておきます。これも
選挙法の
改正がある
たびごとに問題になるのであります。これも結局行えないということに論決が下されております。
比例代表の
方法はずいぶん数が多いのであ
つて、あるいは三百もあると言われるが、
日本においては
單記移譲式、
名簿式というのがよく言われる。
日本では
單記移譲式を主張しておる人が多い。この
單記移譲式は非常にめんどうでありまして、なかなか実際に行えません。ただ
候補者の名前をたくさん
投票用紙に書いて、
自分が好きな
候補者に一をつける、次に二の
候補者にやる、次に三の
候補者にやるということに、一二三四の数字をつければよろしいというだけの
簡單なものではない。これを実際に行おうとすると非常にめんどうでありましてとても行えるものじやありません。ここに早稲田大学の政治学者の高橋教授の書いた書物、これにもいろいろ
比例代表のことが書いてある。
單記移譲式については、
アメリカのオハイオ州のクリーブランドという
人口八十万ばかりの市で
單記移譲式をやろうと思
つて試みたが、計算だけで土日かかつた。それよりか計算に従事した人は延人員で千名かもかか
つておる。それよりか以前に
選挙期日の数箇月前に各所に、廣告をして
投票計算者の志願者を募集した。そうしてこれに
比例代表制度の出版、
投票計算
方法を教授する夜間の講習で、毎夜二ドル半の手当をも
つて、大分長い間かか
つて教授とした結果、いよいよ
選挙が済んで計算すると、
ちようど七日かかつた。これほどめんどうなことでありますから、ただ
簡單にこれができると思
つてお
つては非常な間違いなんです。一、二、三、とつけるのはよろしいけれども、たくさんの人に重なるというと、なかなかわからぬ。高等数字を
知つておらないとこれはなかなか計算できるものではない。
昭和六、七年ごろでございましたか、
斎藤内閣の時代に
選挙法改正に関する非常な大規模な
選挙委員会ができまして、朝野の権威者を集めて
選挙法改正に関する討議をせられました。私も内務省の政務次官をや
つておりまして、主として
選挙法改正のことを討議したのであります。
比例代表制を研究するために、小
委員会を設けた。小
委員には在野の権威者でありまする美濃部達吉博士、それから小野塚博士、佐々木惣一、森口繁治というような第一流の先達でありますが、こういう人たちを集めまして、いろいろ研究をしてみたのであります。その結果、とてもだめだ、
日本においてはこんなものはできないという結論になりまして、それ以来
比例代表ということは問題にされておりません。今日でもややもすると
比例代表をやるということを
言つておる人がありますが、どういうふうに
比例代表をやるかと反問すると、
單記委譲式をやると言う。
單記委譲式とはどういうものであるかと反問すると、ほとんど答えのできない人がたくさんおります。何もこんなことをやる必要はありません。
アメリカや、ヨーロッパの小さい國において少しや
つておるようでありますけれども、
日本の現状においてはこんなことをやることはとんでもない。
次には立
候補制度でありまして、
法律をも
つて候補者を限定するということでありますが、そんなことはとんでもないことで、
法律をも
つて候補者を限定するなどできるものではありません。
次に公務員と立
候補の
関係という問題でありますが、役人が在職中においてすでに
選挙運動をや
つておる。今日においてもこの点は明年の
参議院の
選挙をやるために、
地方の知事が大分運度をや
つておるらしい。これはよくないので
制限を加えたらどうだ、つまり公務員をやめて一箇年後でなければ立
候補することはできないという
制限を加えたらよかろう、これは
憲法上から見てどうかと思いますが、これについても十分御研究願いたいと思う。
次に繰上当選のことでありまして、以前は一箇年の間は繰上当選ができたのでありますが、今日はできません。それから
選挙公営ですが、一体私は
最初から
選挙公営に反対であります。だれがこれを言い出したかというと、以前にたしか新潟縣から一、二回代議士に
なつた建部遯吾という方、これは文学博士で哲学者であります。これが一ぺん
選挙をやるとどうも金がかか
つてたまらぬ。
選挙は公営でや
つてもらいたいというのが初まりで……(笑声)これがよかろうということで
選挙公営ということがやかましく
なつた。けれども
選挙費用というものは公営でやるものでない。
選挙が起こつた元を尋ねてみると、人民が
自分の代表を選んで、代議士に送
つて、政府と対抗する。その
自分の代表を
選挙するというので立憲政治の起りでありますから、これは人民が選ぶのはあたりまえです。政府のせわによ
つて代議士を選ぶということはまつたくりくつに合わぬ。だからして私は終始一貫して
選挙公営に反対しております。しかしあまり政府にも損にならず、そうして立
候補者に便宜になるということであれば、や
つてもよろしいということで、公営ということを始めるように
なつた。ところがこの間の
選挙によりますと、公営の費用が七億七千五百万円、これは政府の初めの予算でありますが、これではなかなか足らぬということで
地方からもたいへんな請求をや
つて選挙公営をやつた。
候補者の費用は幾らか減つたかもしれないが、國家においてはたいへんな負担をや
つておる。國家全体から見れば
選挙公営によ
つて何も費用は減るのでなく、かえ
つてふえていると
考えるべきであります。しかしながらあまり國家の費用を要さず、國家に迷惑をかけずして
候補者の利益になるようなことであればこれは十分や
つてもよろしかろう。
次に
選挙費用という問題であります。今の
法律でも
選挙費用は法定があり、現実に
法律にあるからしかたがない。
選挙費用を法定することは悪いことではないけれども、公営で、それでも
つて選挙費用を名実ともに限定するということは非常な間違いなんである。今の
選挙法でも、おそらく今年の春の
選挙などでも、法定
選挙費内で
選挙をやつた人はないと思う。また近ごろ
選挙に金がかかるかかると言うが、金がかかるのはあたりまえである。以前一万円かかつたものが、今百万円かかるのはあたりまえである。
選挙費用だけが
一般社会とかけ離されたものではない。
一般の経済界が膨張すれば
選挙費用が膨張するのはあたりまえだ。これについてもよほど
考えてもらいたい。
それから事前運動のことであるが、
選挙運動は
候補者に出てからでないとできない。事前に
選挙運動をやつたならばこれを禁止することにな
つておる。
候補に出てからでなければ
選挙運動を認めないということは、あえてむりのないことだと思います。
次に戸別訪問であるが、これは改良すべきである。一体
日本において戸別訪問ということはまつたく小
選挙区の
制限連記時代の遺物であるが、小
選挙区時代においては
有権者もわずかであ
つて、所によると、千五百人か二千人くらいなので、朝から晩まで羽織袴で五人も七人も弁当を持
つて、足をすりこぎにして
有権者に頭を下げて歩く。
有権者も何を標準に
投票するのかわからないから、しばしば来た人に
投票しようというので、名刺の数を数えて、たくさん名刺のある人に
投票するということが行われたことがある。そこで大正五十四年のいわゆる普選法
選挙をやりますときに、戸別訪問をやめようじやないかという
議論がどことなく行われまして、遂にこれをやめたのです。戸別訪問どころではない。個々面接、電話による勧誘も何も一切やめて、そこで
選挙運動は公然たる言論文書だけでやろうということでや
つたのでありまして、それが今日まで続いておつたが、この間の
選挙法改正によ
つて戸別訪問だけを残して、個々面接とか電話による
選挙運動はや
つてもよろしいということに
なつた、戸別訪問を解放すべきだと思う、戸別訪問を禁止するということは、世界において
日本だけです、戸別訪問をや
つて何の悪いことがある。戸別訪問をやると買収が行われると言いますが、今戸別訪問をや
つて一々
有権者を買収するということは、おわかりであるかおわかりでないか。以前は五百か千の
投票をとれば当選できたが、今は少くも三万、五万の
投票をとらなければ当選できない、一々戸別訪問をや
つて有権者を勧誘するようなそんなことをする者はないと思います。戸別訪問をやることはこの際断然解放すべきであると思う。
それなら
選挙運動を原則としてすつかり自由にする、ただやむを得ない場合においてこれを
制限する
方針に改めてもらいたい。やむを得ない場合はどういう場合であるかということは、いろいろ経験されておる
委員長さんにおいてお
考えがあると思いますが、とにかく自由にするがよろしい、演説会も自由にするがよろしい、演説会を
制限して三十回以上できない、これは言論の自由を拘束する
憲法違反です。この
法律自体私は無効であると思う、しかしながら、あまりのべつに演説会をやらせるのも困るというならば、これも相当の
程度に
制限することがよろしい。けれども三十回以上はいけないと
制限することはあまりしやくし定規であ
つて、実際に適せぬと思う。私の見るところによりますと、演説会の回数は
選挙区の町村の数にしたらいい。市においては
人口三万に一箇所くらいにするのがよい。文書も自由に発送することができるようにするがよい、
候補者とか第三者とかいうことは、
選挙に関する事務は自由にするがよろしい、ただこれは文書をはがきぐらいにきめるのがよかろうと思
つております。はがきならば何ぼでも出せる。それから
現行法では演説会をするについては、演説会の準備を各
市町村役場でやる、個人演説会については自由にポスターをやる。演説会のポスターも
市町村役場でやらせるということであれば、少くとも三十枚以上のポスターをこしらえる、五千以上の
人口のあるところは五十枚以上のポスターを書けるというふうにせぬと、今のようなポスターでは演説会は開けるものではありません。それからポスターを
市町村役場でこしらえることがよいか悪いかということは、これは研究の必要がありますが、
市町村役場でポスターをこしらえるにしても、
候補者においても千枚くらいのポスターをこしらえるということをやる。演説会のポスターはただ
候補者の名前だけを印刷するがよいか悪いかわからぬが、とにかく
候補者においても千枚二千枚のポスターを許すのが実際の実情に適するのじやないかと思います。そのほかには何人も
選挙に関するポスターを掲示することができない、これくらいの
制限はや
つてもよかろうと思います。その他
候補者であろうが、第三者であろうが、どんな場合においても、どんな集会においても、自由に演説もできれば
議論もできる、そのほか一切の
選挙運動をすることができるようにしなくちやならぬ。それから今までは自動車が一台にな
つておりますが、これは一台ではとてもだめです。少なくとも二台にしなくちやならぬ。二万円くらいの公営費用はやめるがよろしい。
それからここで
言つておきたいことは、公共事業を利用して
選挙運動をすれば罪になることがきめてありますが、これははなはだあいまいであります。一体
候補者が公共事業というと、國家の事業です。鉄道をつける、あるいは港湾をつけるとかいうことを
選挙演説すると、その
地方の
選挙民が喜ぶ。それが何で罪になるか。みんな
地方のため、國家のため骨を折るということが罪になるわけがない。これは以前の
選挙法改正のときに問題になりまして、それを罪にする必要がないじやないかという
議論が強くなりまして、公共事業を「直接利害
関係」と直接という文字を入れて一層その範囲を狭めたのであります。ところが「学校、会社、組合、
市町村等に対する用水、小作、債権、寄附其の他特殊の直接利害
関係を利用して」と直接利害
関係が漠然としてわからぬ。学校とか会社とかいうのはとにかく、今言うたように廣い範囲の國家事業を利用して
有権者を誘導することを罪になるということは非常にりくつにならぬと思う。ゆえにこの
條文を相当に修正すべき必要があるではないかと思う。現にこの前の
選挙にあたりましても、ある
候補者が
ちよつと鉄道のことを言つた。どこそこからどこそこまで鉄道をつける、それをこの
條文で持
つて行つて、
地方の利害
関係を利用して、
選挙民を誘導したというようなことで裁判にな
つたのでありますが、私はこんなことは罪にする必要のないことであると思う。これも十分にお
考えを願いたい。
それから
別表のことでありますが、今の
別表は以前の
人口をもとにしております。この
参考書を見ると、大分
人口が変
つておるらしい。何とか正確な
人口調査がありまするならば、それを土台にして
別表の
改正をこの際や
つてもらいたい。戦争中の疎開、爆撃を受けた都市、こういう
関係から大分
人口が移動しておつたところが、近ごろ大分元にもど
つております。東京のごときもよほど
人口がかわ
つている。神戸のごときも
人口が二十万ぐらいは殖えている。でありますから、何か権威ある
人口統計がありますならば、これを元にしてこの際
別表の
改正をしてもらいたい。こういうことを、私、
ちよつと
考えついておるのです。いずれも当
委員会におきまして案ができると思いますがこの際むずかしいことを一々
項目について
議論していたのでは切りがありませんから、現
制度をどう
改正するかということに限定して
現行法改正の歩を進めていただきたい。そうでないと、とてもこれは間に合わない。それだけのことを申しておきます。