○蝋山
参考人 蝋山
政道でございます。主として
選挙法の問題について、平素
考えておりますことを二、三申し上げたいと思います。こまかいことはすでに
鵜飼教授からお話がありましたが、私は少し原則問題から入
つてみたいと思
つております。
御承知のように
選挙法は長い間の変革を重ねて参
つた法律でありますので、どうもそこに
はつきりとした原則がわからなくな
つておると思うのであります。何のために
選挙をするのかということは、あの
選挙法を見ましたのではよくわからない。そういう点から見て、今
選挙の目的を明確にする立法上の必要が生じているのではないかと思うのであります。
選挙は言うまでもなくいろいろの目的を持
つております。從來とられて参りました原則は、
選挙を公正にすることが第一、第二は
選挙をできるだけ自由平等にする。こういう点であろうと思います。しかし
選挙を公正にするために、
選挙の自由が制限され、また場合によ
つては平等も欠けるというおそれがあるのであります。そこで窮極は
選挙の自由と公正とをいかに調和するかという点にあるかと思いますが、今日の問題は、むしろ自由になるという方に向うべきではないかと思うのであります。その理由は、
選挙を自由にする結果、場合によ
つては不正行為が今よりもふえるおそれがある。しかしながらそのために
選挙が
國民によく理解せられ、ひいては
國会に対する
國民の繋がりが強化せられるという、より大きな利益があるのではないかと思うのであります。從來の
官僚制度のもとにおきまして、
選挙が行われますと、どうしても形式的に公正を期する、つまり間違いのないように、不正が行われないようにというふうに傾くのであります。
從つてややもすれば
選挙は窮屈になる、
選挙に対する
國民の氣持は萎縮的になるおそれがある。また非常に
選挙法が技術的に細目にわた
つて、どうも一般
國民には理解しがたい、專門家でなければよくわからないというような点が多くな
つておると思うのであります。これは
選挙の目的を達成するために、他のより重要な面を閑却する結果にな
つておるように思われますので、私はできるだけ――もちろん実情に即してやらなければなりませんが、今日よりも一層
選挙を自由にする。その自由な
選挙の上に基礎づけられた
國会制度を樹立する。こういうことが必要ではないかと思
つておるのであります。と同時に必ずしも直接
選挙の目的ではありませんが、しかし非常に重要な目的が間接的にあると思うのであります。それにどういうことかというと、
選挙を通じまして、
國会の中に安定勢力をつくることであります。ひいてはこの安定勢力を基礎にして、内閣が樹立されるということが、
憲法の重要な原則に沿うことになると思うのであります。新
憲法の原則の
一つとして
議院内閣
制度が採用されておるのであります。
議会の信任、不信任ということが、内閣にと
つて最も重要なことなのであります。
從つてこの
憲法の精神を生かすためには、やはり
選挙法もそれに沿
つて行かなければならぬと思うのであります。もちろん
選挙は
憲法の
規定からのみ生れるものではありません。
選挙の実体をなすところの政党の実情、その政党を生み出す
國民生活の実情が問題であると思います。
從つて憲法と政党並びに
國民生活との間に若干の距離があることは免れがたいと思います。現在の
憲法はこの点において政党の実情並びに
國民生活から離れてお
つて、ある意味において、理想的な
規定であるように
考えられるのであります。
從つてこの
憲法の精神に政党なり、また
國民の生活なりを近づけて行くということが必要ではないかと思うのであります。その場合
選挙法の演ずる役割はすこぶる重要であると思うのであります。政党が先に生れて、
憲法がそれに沿
つて行
つたような國もあります。英國のごときはその例であると思います。
議院内閣
制度も政党の
前提があ
つて、特に二大政党のような
憲法があ
つてこそ、あのような
憲法が生れたのである。しかるにわが國におきましては、むしろ
憲法の方が
はつきりと先に方針を
規定しておりますが、政党の実情に必ずしもそうな
つていない。先ほど
馬場さんは、
はつきりと二大政党を
前提とし、小
選挙区單記の
制度を主張されましたのは、その根拠をおそらく英國のごとき場合に置いておるのだと思うのであります。私もそういう点において非常に共鳴するところが多いのであります。つまり
はつきりしておる。ところが
日本の場合におきましては、そういう点が少しも
はつきりしておらない。
はつきりしていないというのは、
憲法の精神に必ずしも政党の実情が沿
つていないから、また
國民の
動きも必ずしも
憲法通りに
行つてないというところにあるから
はつきりしないのである。そこでどうしても
憲法自体が
國民の実情に沿うということも必要でありますが、しかしこれは
日本の実情だけでなく、
相当廣く多くの國々の長年の
経験を基礎にした原則的な行き方であり、むしろ
日本の実情をその方にできるだけ沿うように努力するのが
改革の
方向ではないかと思うのであります。その点を
考えまして、私は一挙に二大政党に行くことは無理であろうと思います。けれどもその
方向に向
つて行くのでなければ、新
憲法の精神は生きて行かない。はたしてこの
憲法が
ほんとうに確保されるかどうかということも疑問になると思うのであります。その意味からどうしても
選挙法の行き方をその方に近づけて行く、そういう点から
政治的安定ということも、今日の
選挙法改正の眼目の
一つになるのじやないかと私は
考えておるのであります。そういうふうな
選挙の趣旨ということがまず明確になり、そこに幾つかの原則が明確になりまして、
選挙はこのような趣旨において行わるべきものであるということが、一般
選挙民に徹底せられることがまず必要ではないかと思うのであります。そんな点から二、三具体的な問題について
意見を申し述べてみたいと思います。
一つは今まで陳述がありません問題の
一つでありますが、立候補
制度の問題であります。先ほど
鵜飼君が多少これに言及されて、現在の政党の立候補
制度については、何らかの立法上の
わくをはめることには賛成しがたいが、各政党の
事情なり、自治的に解決すべき問題は多々あると言われましたが、私は一歩を進めて、何らかの立法的措置を講ずる必要があろと
考えております。すなわちノミネーシヨンの
制度はすこぶる重要でありまして、ことに
選挙民がま
つたく知らないような人が立候補せられて、それに
投票しなければならないということは、決して好ましいことではない。ことに新しい変革期に絡みまして、年々毎度の
選挙に新しい
候補者が出るのであります。
相当たくさんの人が新しい
候補者が出るというような場合、
選挙民と
候補者との繋りが、はなはだ散漫であります。稀薄であります。そういう点は
選挙をして
ほんとうに力強いものにすることにならないので、そういう点から見て立候補
制度については
相当立法的の措置を講ずる必要があると思います。私はやはり將來は直接予選
制度まで行くべきだと思います。すなわちデイレクト・プライマリーの
制度をとるべきものと
考えております。しかしここに行くまでには
相当の問題があるのでありまして、まず第一に政党自体の内部において
候補者を選択するいわゆる公認
制度の問題を十分
研究する必要があると思う。その場合に私の
考えでは現在の
選挙法の
程度においていいと思うのでありますが、これを公認
制度にある
程度まで適用すべきものではないかと思うのであります。これは大政党にとりまして、また特殊の
選挙区にと
つて、特に問題にな
つたのであろうと思うのでありますが、今日のような中
選挙区でありまして、同一の政党からたくさんの立
候補者が出る場合、そこに非常に競爭が行われる。そうした場合に幾多の問題が発生すると思います。そうした結果、定められた
候補者が
選挙民の前に現われるということは、やはり
選挙の自由公正という原則から見ても好ましくない。そこでやはり公正な自由な方法で立
候補者が定まる
制度を政党自体が採用すべきものと思う。その
手続におきまして、やはり
選挙法自体が適用せらるべきではないかと思うのであります。そういう訓練を経ました後に、さらに一般党員並びに、一般
國民が自由にノミネーシヨンに参加できる、デイクト・プライマリーの
制度に進んで行くことが、政党をして責任ある團体たらしむる点においても、また國政上重要な明確なる地位を與える意味におきましても、必要ではないかと
考えております。
從つて立候補
制度につきましては、立法的措置が講ぜられることにおいて、政党の自由な発達を妨げるという点から遠慮されておるようでありますが、そういう
意見ももちろん尊重せられなければなりませんが、しかし政党の自由な
政治的活動を決して妨げるものでないと思うのであります。むしろ政党をして重からしむるものでありまして、政党が責任ある團体として秘められるためには、まずこのように立候補
制度から
はつきりとした
手続を持
つて行くということが必要ではないかと思うのであります。
第二の点は
選挙区の問題であります。
選挙区につきましては、いろいろ議論があり、最も困難な問題の
一つでありますが、これは
政治の安定の上から、今日としてにその点から問題を取上げるべきだと思う。
選挙区はいろいろの角度から、大小その可否について論ぜられるのでありますが、何と申しましても今日の必要は、
日本の
政治的安定であると思うのであります。その意味において、私の現在の
考えといたしましては、やはり
選挙区はもつと小さくすべきものではないかと思
つております。しかしそうかと言
つて一人一区の
制度を一挙にして行うことは、今日の実情に沿わない。今日のごとき小さい政党がたくさんあることが事実である場合に、この一人一区の
制度をとることは、非常にこれらの小さい政党に対して不利益を生じます。しかし政党自体といたしましては、その政党が將來多数党にな
つた場合におきましては、この小
選挙区であるということは利益なのであります。ですから利益であるかないかという点から言えば、その点は同じなのだ。ただ現在、將來の問題についてわかれるだけのことであります。そうするとその政党自体が、いかなる結果をもたらすかという点から判断すべきものだと思う。
選挙区が小さくなると、少くとも私は三人以上の多数の
候補者が出るということは好ましくないと思う。長年の沿革上非常に困難であろうと思いますけれども、やはり
選挙区は少くとも三人をも
つて止めるような、少くとも四人くらいのところは例外のようにするというような行き方が、
國会制度を安定せしむる上において、非常に効果がある行き方ではないかと思
つております。こういう
考えから申しますと、結局私は比例代表には
反対であります。比例代表は
選挙の結果が公平に現われることだけを見てのことでありまして、今日の
日本の
政治に最も必要であり、おそらく新
憲法全体の運命に
関係するような
政治的安定の問題といたしましては、やはり比例代表をとることに非常な不安定な原因を醸成することになるのであります。これは
選挙法が單に
選挙という観点からのみ見られない
一つの例だと思うのであります。実情から
考えましても、今比例代表をとるべきときではありませんし、と
つた國におきましては、みな
政治的な混乱を生じておるのであります。その原因はもちろんいろいろありますけれども、やはりその
制度自体が非常にたくさんの小さい政党を分立せしめることになるというところに原因があるように思われるのであります。
次に
選挙運動の問題を申し上げてみたいと思います。これはたくさんの点がもちろん
考えられると思うのですが、先ほど申しましたように
選挙をできるだけ自由にしたい。それによ
つて多少の弊害は起きるかもしれないが、より多き利益を伴うという点から見まして、私はいわゆるカンパシングの
制度、すなわち
個々面接の
制度はこれは認めてよろしいのではないかと思う。米英の実情を見ましてもこれが最も効果のある
選挙運動なのでありまして、その他の
選挙運動は関接的なものである。最も
選挙民と直接に結びつく方法は
個々面接運動である。このカンパシングの方法が認められないということは、それが濫用されるからであり、それがいろいろの不正の原因となるからであります、
從つてこれについては多くの意議があり、むしろ
反対が多いと思いますが、私としてはやはりできるだけ早い機会にこの
個々面接運動まで自由に認むべきではないか、そして得るところをより多からしめるようにということを念願としております。
そういう点から見まして、たとえば費用の点等につきましても考慮を要すると思いますが、たとえばビラを張るとか、いろいろな文書の頒布をするとか、あるいはまた第三者の運動とか、そういうものをできるだけ制限しようしようというのが今までの
選挙法の趣旨でありますが、これもできるだけ認めた方がよろしいのではないか。もちろんおのずから限度はありましようが、そういう点についてあまり制限を設けないで行くべきもので、そして不等な手段や不正な手段や濫用によることはかえ
つてその効果がないというように、
選挙民の向上をはか
つて行くことが理想でありまして、そういう理想を持
つていない
議会制度、民主主義
制度は結局いろいろのこまかいつつかい棒をしてみたところで、とうてい維持できるものではないと思う。そういう点から見てできるだけ
選挙運動をより自由にしたい、こういうことを
考えております。これと関連して公営
制度でありますが、公営
制度自体はもちろん賛成であります。
日本のごとき実情におきまして特に必要を感ずるものでありますが、しかしこれとても方法においていろいろ
考えなければならない点があるのではないかと思うのであります。公営の結果あまりに自由が制限されたり、また
選挙が萎縮したり、あるいは非常にしやくし定規にな
つておもしろくない。小さい例でありますが、たとえばいろいろ班にわかれて共同の演説会を開く、立会演説会を開くようなことは場合によ
つてはけつこうなことでありますが、そればかりが本体であるということは決していいことではないと思うのであります。やはり
個々の政党が自由に演説のできるようにすることが好しいので、あまりに公営一本で行くということについては私は賛成できないのであります。
要するに
選挙法は健全な多数をつく
つて行く、その多数には少数党が服する、そういう空氣をつく
つて行くのでなければ
議会制度というものはだめだと思う。そうして現在は少数党でも次の
選挙には多数になる、そういう希望を持
つて奮闘努力するところに
議会政治の進展が行われるのであります。ですからできるだけ安定したマジヨリテイーをつくり出す。そういう意味において
選挙法も
方向づけられなければ、
選挙法というのはおじやのように何もかも入
つた、そうしていろいろな方面に公平なものであ
つても、またあとからいろいろの仕事を追つかけて行くようなやり方では
選挙法というものの筋が通らなくなると
考えます。何らかの方針を立てられんことを希望してやまないのであります。
ついでに
参議院の
選挙制度について簡單に申し上げておきます。もちろん第
二院制度あるいは
両院制度という観点から問題にすべき筋合いのものでありましようが、これはすでに
宮澤教授から言及されましたから、私はこれに触れないでおきたい。ただ
選挙制度の観点から見まして
参議院の今日の
選挙法にはやはり明確を欠いておるものがあると思う。
國民の
選挙による、すなわち公選
制度によらなければならないという一点はよくわかるのであります。この点はまた実行されておりますが、その
前提の上でいかなる
参議院をつくるかという点について、
参議院の性性格が明確でないところに問題が発生するのだと思う。第二院というのは
衆議院の別動隊で縮図をつくるところではないと思う。
衆議院とま
つたく違
つた性格をつくり出すところに
参議院の存在の理由があると思う。同じようなものをつくるならば心要ないと思う。ところが現在のような
選挙法ではややもすれば
参議院と
衆議院とは同じものができるおそれがある。
從つてこの点について
選挙法を
改正する必要があるのではないかと
考えておる。
そこで私は
参議院というものの権限に触れませんが、権限はかりに今のような第二院的なものでけつこうと思いますが、権限を越えて
参議院の性格から來る存在の理由を明確ならしめるためには、どうしても
参議院に別個の趣旨を盛らなければならないと思う。たとえば
参議院の
議員は地方全体をある
程度代表するものであるとか、あるいは職能を代表するものであるとか、あるいは
政治的
経験のゆたかな人であるとか、いろいろ何らかの性格を持
つている人でなければ
参議院の性格は出て來ないと思う。そこで公選
制度という原則のもとで
参議院の
制度をかえる必要があると思う。そこで現在の二本立ての行き方については私は賛成できないのであります。やはり一本にいたしまして、そこにおのずから
参議院的性格を持
つた人を出し得るように、そういう
選挙法をつくるべきではないか、この点につきまして
参議院の現在の行き方ではおそらく現在のような紛糾ということばかりではないかもしれませんが、單純に
運用では解決のつかないような
関係に置かれるように思われる。もちろん政党との
関係も重要でありましようが、しかし政党との
関係がありましても政党の別動隊のようなものではなしに、政党を離れてその存在が主張できるようなそういう性格のものがつくり上げられると思う。その点で一番私の重要視するのは地域代表である、すなわちある縣なら縣を代表する人なのであります。そういう人は連邦
制度でないから出ないというかもしれませんが、連邦
制度でなくてもこれは重要な問題があるのであります。やはり
國家の構成には地方々々というものが大事なのであります。それを代表するという意味におきまして、やはり米國の
上院のような
制度、趣旨を加味したものが必要ではないかと思う。この点を主たる要素にいたしまして、そこに現在の職能代表的な行き方を加味する。しかしこの職能的代表というものを全國的な方法によらずしても出すことができるのであります。この点はいろいろ技術的な苦心を要するのでありますが、あるいは縣会であるとかあるいは各縣における重要な團体とか、そういうものにおけるコーカスの
制度、つまり予選
制度を採用いたしまして、そこでやれば必ずしも職能代表的な要素が除去されるということはあれません。そういう意味において
はつきりした
制度をつくり上げるという点で、二本建をやめるということ、そしていささか小さ過ぎるとは思いますけれども、長年歴史的沿革を持
つておる縣というものを單位にして、第二院的性格を持
つた議員を選び出す、こういうことにいたしますれば、すつきりとした、そして
参議院らしい性格を持
つた選挙法がつくれるのではないかというふうに
考えて、主として
選挙法の
関係から
参議院について一言申し上げた次第であります。非常に簡單でありますが、私の
意見を申し上げた次第であります。