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1949-08-05 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第32号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
二十四年八月五日(金曜日) 午前十時五十三分
開議
出席委員
委員長
鍛冶
良作君
理事
大橋 武夫君
理事
高木 松吉君
理事
神山 茂夫君 井手 光治君
宇田
恒君
岡延右エ門
君 菅家 喜六君 塚原 俊郎君
橋本登美三郎
君 福井 勇君 吉武 惠市君 石井
繁丸
君 聽濤 克巳君 小林 進君 浦口 鉄男君
委員外
の
出席者
証 人 (
日本製鋼株式
会社廣
島
製作所
々長
代理
)
板垣
茂君 証 人 (廣島
地方檢察
廳檢事正
)
松井
善一
君 証 人 (
鹿島ブロツク
安
藝地区公安連
絡協議会長
) 戸田 初一君 証 人 (
日本製鋼株式
会社廣
島
製作所
労働組合
第二組
合長
) 金子
敬通
君 証 人 (廣島
縣労働組
合協議会
々長) 松江 澄君 八月五日
委員松本善壽
君及び
安部俊吾
君辞任につき、そ の補欠として
宇田恒
君及び
岡延右エ門
君が議長 の指名で
委員
に選任された。 —
——
——
——
——
——
——
本日の
会議
に付した
事件
日本製鋼株式会社廣
島
製作所争議事件
に関する 件 —
——
——
——
——
——
——
鍛冶良作
1
○
鍛冶委員長
これより
会議
を開きます。 本日は
日本製鋼廣
島
製作所争議事件
について調査を進めることといたします。 ではさつ
そく本件
について
証人
より
証言
を求めることといたします。ただいまお見えにな
つて
おる
証人
は
板垣茂
さん、
松井並
三さん。これより
日本製鋼廣
島
製作所争議事件
につき
証言
を求むることとなりますが、
証言
を求める前に、各
証人
に一言申し上げますが、
昭和
二十二年
法律
第二百二十五
号議院
における
証人
の
宣誓
及び
証言等
に関する
法律
によりまして、
証人
に
証言
を求める場合には、その前に
宣誓
をさせなければならぬことと相な
つて
おります。
宣誓
または
証言
を拒むことのできるのは、
証言
が
証人
または
証人
の
配偶者
、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または
証人
とこれらの
親族関係
のあ
つた者
及び
証人
の後見人または
証人
の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある
事項
に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき
事項
に関するとき、及び
医師
、
歯科医師
、薬剤師、
薬種商
、産婆、弁護士、
弁理士
、
弁護人
、
公証人
、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあ
つた者
がその職務上
知つた
事実であ
つて
職秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には
証言
を拒むことはできないことにな
つて
おります。しかして、
証人
が正当の理由がなくて
宣誓
または
証言
を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ
宣誓
した
証人
が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとな
つて
おるのであります。一應このことを御承知にな
つて
おいていただきたいと思います。 では
法律
の定めるところによりまして
証人
に
宣誓
を求めます。御起立を願います。
松井
さん
代表
して読んでください。 〔
証人松井善一
君各
証人
を
代表
して
宣誓
〕
鍛冶良作
2
○
鍛冶委員長
署名
御
捺印
を願います。 〔各
証人宣誓書
に
署名捺印
〕
鍛冶良作
3
○
鍛冶委員長
証言
を求める順序は
板垣
さんそれから
松井
さんといたしますから、
松井
さんはしばらく元の控室でお待ちを願います。
板垣茂
さんですね。
板垣茂
4
○
板垣證人
はい。
鍛冶良作
5
○
鍛冶委員長
あなたは
日鋼廣
島
製作所
の
所長代理
をしておいでのようですが、いつからおやりですか。
板垣茂
6
○
板垣證人
所長代理
になりましたのは昨年の十一月です。はつきりしたことは今
ちよ
つと覚えておりません。
鍛冶良作
7
○
鍛冶委員長
大体でよろしゆうございます。あなたの
製作所
は
賠償工場
に
指定
されたようでございますが、
賠償工場
としては、どういう性格というか、どこの
管理
に属するものであ
つて
……。
板垣茂
8
○
板垣證人
賠償工場
として
指定
されたのはGHQから
指定
されました。
鍛冶良作
9
○
鍛冶委員長
いつですか。
板垣茂
10
○
板垣證人
昭和
二十一年の春でございます。たしか四月か五月だと思いましたけれ
ども
、そのときには
鉄鋼関係
の
工場
として
賠償指定
を受けました。それからその後、
昭和
二十一年の八月の半ばごろと記憶しておりますが、そのころに
兵器工場
としての
指定
を受けました。そして直接の
管理監督
と申しますか、そういう命令その他は廣島
軍政部
から受けております。それで
管理責任者
として鷹島懸知事、それから私の方の
工場
の
製作所長
が
管理担当者
ということにな
つて
おります。
鍛冶良作
11
○
鍛冶委員長
あなたの方の
製作所
は
企業合理化
をやらなければならぬことにな
つて
、それに
伴つて人員整理
を行わなければならぬということに
なつ
たそうですが、それらの大体の
経過
をお話していただきたいと思います。
板垣茂
12
○
板垣證人
大体において昨年の十一月ごろから非常に
金融面
においても逼遣して参りました。それから約二千百人の
從業員
を持
つて
おりまして、大体月々の
生産目標
としてあげてお
つた額
が六千八百万円から七千万円という
生産目標
を立てて、いろいろ
仕事
を続けてお
つたの
ですが、最近の半年くらいの間は大体四千五百万円
がらみ
、
仕事
が多いときでそのくらい、少いときには四千万円を割るというような
状態
が続いておりました。
工場
の力としては七、八千万円の
仕事
はできる自信は持
つて
おりますが、今年に入
つて
から四月以降にいわゆる経済九原則、ドツジラインとい
つた
ようなものからいたしまして、さらに
工場
の
経営
の
実態
を再検討した結果、廣島
製作所
として受注し得る金額が三千八百万円、こういう
結論
に達しました。それであらゆる
経営
の
合理化
、
経費
の
節約
というようなものを
考慮
に入れまして、
生産計画
、
資金計画
をいろいろ勘案いたしましたが、いかにしてもこれはある程度の
人員整理
をしなければならないという
結論
に達しました。その前から
労働組合
とは
企業再建委員会
というものを持ちまして三月ごろからいろいろと
——
元來私の方の
工場
は、
労働組合
は五つの
製作所
が
連合会
をつく
つて
おりまして、その
連合会
と
中央経営協議会
というものを開きまして、そこで
会社
全体に関する問題はいろいろと
協議
しておりましたが、その
中央経営協議会
の小
委員会式
のものとして、
企業再建委員会
というものを三月ごろから開いて、いろいろと
企業
の
実態
を
組合
と
協議
しておりました。それで五月末に
会社
として
結論
が出まして、その結果として六月にそういう
結論
の発表という段取りになりました。それから引続いて六月二日の午後に、席島
製作所
といたしましてこの
経理状況
、
生産状況
、
生産計画
というような細かな
数字
を出しまして、
所長
から詳細に
説明
すると同時に、
解雇基準
、
退職手当
の問題をあわせて提示いたしまして、
組合
に、これは
会社
としては
最後案
である、しかし
組合
に何かこれに代る良案があれば、それも
考慮
に入れて
合理化
をやりたいということを発表しました。その後にいろいろの
争議
が起
つた
わけでございます。
鍛冶良作
13
○
鍛冶委員長
ところであなたの方と
労働組合
との間に
労働協約
が
効力
を
失つた
ということですが、それはいつからどういうことで
効力
を
失つたの
ですか。
板垣茂
14
○
板垣證人
労働協約
につきましては、先ほど申し上げました
中央経営協議会
において、
日本製鋼所労働組合連合会
と
本社
の社長との間で、その
協議
を本年二月末から開いているというかつこうなんでございますが、それには廣島からは
勤労部長
、
勤労課長
、
人事課長
というような
人たち
が出て来て、いろいろ
協議
したわけでございます。
鍛冶良作
15
○
鍛冶委員長
本社
で……。
板垣茂
16
○
板垣證人
そうでございます。私はその詳細については今ここで、暗記しておりませんが、概略のことを記憶にあることを申し上げますと、二月末日に
会社案
の
労働協約
の案を出しまして、それを
審議
を始めた。そしてたしか三月の初めから半ばごろまで、
経営協議会
と小
委員会
の間でその案を
練つたの
でございますが、これは大体新しい
労働組合法
その他の法規の改正の
素案
を
もと
にしてつく
つた案
なのでございます。その後四月に、
ちよ
つと日にちのことは覚えておりませんが、
次官通牒
その他が出た
関係
上、新しい
労働組合法
に
最初
の
素案
といくらか変
つた
ところが出たというので、
会社案
に若干の
修正
を加えまして、またそれを
もと
にして
議論
をし、五月の三日が古い
労働協約
の
有効期間
の切れる日でございますので、五月三日までにさらに正式の
協議会
を持とうと
言つて
、
会社側
から提案したのに対して、
組合
の都合で五月十七日までこの
会議
が持てませんでした。十七日に
最後
の
会合
をいたしましたときに、今度は
組合側
の案が出て参りました。
会社案
と
組合案
とを両方から並行的に
審議
をして
行き
ましたが、結局まとまらない。それは大体において私の方の
会社案
と申しますのは、新しい
労働組合法
にのつと
つた形
で案をつく
つたの
に対して、
労働組合
は全
金支部日鋼分会
、これは廣島に関する限りのことでございますが、その新しい
労働組合法そのもの
を否認してかか
つて
いるという形の
組合
であるがために、これは根本的にまとまる
見込み
がない
状態
に立ち至りまして、それで五月三日に切れている旧
協約
をそのまま一日ずつ延長して
行き
ながら
協議
を続けたのでございますが、五月二十四日、もう妥結の
見込み
なしということで、五月二十四日に
覚書
を取交しまして、一
應労働協約
はここでなくするということになりました。
鍛冶良作
17
○
鍛冶委員長
そうすると、それは新しい
労働組合
をつくらぬから、もうこれで前のは
効力
がないんだという
覚書
ですか。
板垣茂
18
○
板垣證人
協約有効期間満了
後の
就業規則
並びに
労働契約
に関する
覚書
といたしまして、五月二十四日より無
協約
になるについては、表記に関する取扱いを左記の通りとする。一、
就業規則
、かつこして
賃金規則
、
災害給與金規定
、その他項を並べてありまして、
就業規則
並びに
会社
、
組合両者協議
の上調印決定した
労働協約
並びに
給與
に関する決定は本
有効期間満了
後にかかわらず残存するものとする。但し將来これを変更する必要があ
つた
場合は、個々の問題につき法令の定めるところによる。
昭和
二十四年五月二十四日……。
鍛冶良作
19
○
鍛冶委員長
これはここに書いてあるものだけは前の
効力
があるものと同様に取扱う、そのほかはすべてないものだ、こういうことですね。
板垣茂
20
○
板垣證人
そうでございます。
鍛冶良作
21
○
鍛冶委員長
これは
刷り
ものですが、一部もらえるものなら
あと
でもら
つて
おきとうございます。
板垣茂
22
○
板垣證人
さしつかえないと思います。
鍛冶良作
23
○
鍛冶委員長
そこであなたの方から六月二日にお出しに
なつ
た
整理案
はどういうものでしたか。
板垣茂
24
○
板垣證人
三千八百万円の受注を元にいたしまして、それへあらゆる
経営
のいろいろの
作業
の方式の改善とか、その他を織込みまして、ある程度の
配置轉換
も
考え
るということで
経費
の
節約
の案も出しまして、結局において約七百名の
人員整理
をしなければ
工場
が立ち行かない。それでその七百人を減らしました残りの約千三百五十名くらいの
人間
になると思いますのですが、その千三百五十名の
人間
を配置いたしますれば、三千八百万円の
仕事
ができる。こういう次第でその調書を提示いたしまして、六月六日までに一應
組合
の
考え
を聞くということを申してありますので、それを無制限に延ばされたんではこちらは非常に困りますので、一應何分の
回答
を六月六日にもらいたい、こういうふうにして提示いたしました。六月二日のその
説明会
という名称で
協議
をいたしましたのですが、これは非常に平穏にその日のその
会議
は一日くらいかか
つた
かと思いますが、終りまして、その後この問題は非常に重要な問題である、であるから
組合
には十分の議を盡してもらいたい。この問題に関する限り、
組合大会
、あるいは
職場大会
、
執行委員会
というようなものは
就業
時間中に
許可
を得てやるならばすべてさしつかえないから
許可
を得てや
つて
欲しい。それでその間のこの問題に関して費した時間に関しては、
給料
も支拂おう、こういうふうにして提示いたしました。
鍛冶良作
25
○
鍛冶委員長
そこでどうなりました。
板垣茂
26
○
板垣證人
それでその日の
説明会
が
終つて
、
組合
の
代表
がおのおのの
職場
に帰りますと、もうすぐにその日の午後からは無
許可
の
職場大会
を各所で開き始めました。これに対しては翌日抗議を申し込んでおいたのでございますが、引続いて三日には午前中
組合臨時大会
を開かして欲しい、こういう申出がありましたので、これはかねてから約束してありましたので、
許可
もいたしましたし、結局午前中というのが午後一ぱい、まる一日費して
組合大会
を開いたわけです。そうして結局その
組合大会
の
決議
を持
つて
参りましたのですが、それは五
項目
くらいの
決議
で、その
一つ
に馘首絶対
反対
というのが一
項目
、一番大きな問題でございました。その六月三日になされた
決議
が、結局このたび
解決
に至るまで終始一貫した
組合
の態度であ
つたの
でございます。
鍛冶良作
27
○
鍛冶委員長
その
決議
に対しては、あなたの方でどういう対策をとられたのか。
板垣茂
28
○
板垣證人
それでは大体二日以後の
組合
と
会社
との
交渉
の
経過
並びに
争議状況
について御
説明
申し上げます。三日はそういうことで
組合大会
で終日暮れまして、
決議文
を
所長
に持
つて
来たということで終りましたのですが、四日からは
組合
の大体の
情勢
といたしましては、
首切り
絶対
反対
の
署名運動
と称して、これを
工場
の中でそういう帳面を持
つて
、
課長
、
工場長
、あるいは
部長クラス
のところまで各
職場ごと
に、
事務所
にいれば
事務所
に、七百人の
人間
で取り囲む、また表に出ればそれについて歩いて、
首切り反対
に
署名
しろ、こういう
運動
を行う一方盛んに
組合
の
人たち
は
外部
にも出て
行き
まして、
外部
で
首切り反対
の
署名
をする。一方
社宅街
に参りまして、
家族会
というようなものをつくるためのいろいろの
運動
をする。それでわれわれの立場から見ておりますと、無
許可外出
、それから集團的な
職場放棄
という
事態
が連日行われまして、
仕事
はほとんどできない。それでそれに対して
組合側
に、一体これが
組合
の指令によ
つて
や
つて
いることか、あるいは
山猫争議
なのか問合せましても、一向にそれに答えて來ない。それでその
事態
の収拾にも全然無関心でおるというような
状態
でありました。 それから
交渉
の方は、四日からまた引続いて、
所長
を中心といたしまして
組合
と連日
——
一日に一回ないし二回の
会議
を持ちましたのですが、それは終始三日の
組合大会
の
決議
の
首切り
絶対
反対
ということがその本流にな
つて
おりまして、そのために、
会社側
の
説明
がこまかな
説明
に入ろうとしても、なかなかそれが入れない。それで
組合側
は、ただ三千八百万円という
生産計画そのもの
がいけないのだ。われわれが一生懸命働けば、七千万、八千万でもできるじやないか。それに対して
会社
が三千八百万円しか注文がとれないというのは、これは
経営者
の
責任
であり、また
吉田内閣
の
責任
であるというような
議論
で、結局三千八百万円論に終始したわけであります。それで一向に進捗しない。
組合
の
代表
の
発言者
というものも、
毎日新手
がほとんど入れ
かわり立
かわり出て来る。こちらでは主として私がこまかな
数字
の
説明
などにがか
つたの
でありますが、常に向うは
新手
の
質問者
が出て來、
発言者
がかわ
つて
来る。そのたびにまた前の問題を、同じことを
説明
する。一向に話が進まない。六日までそういうような
状態
で、六日には一應この絶対
反対
というのでなくて、
組合
はこういう
考え
を持
つて
いるという
考え
くらいを出してほしいということを言いまして、結局八日の午後の
会合
におきまして、
組合
から
一つ
の案が提示されたのであります。その
組合
の案と申しますのは、私の方の
工場
では
TA
・
ワン
という形式の
職業用ミシン
をつく
つて
おります。これが新しい
生産計画
では、月五百台という
数字
をあげておるのでございます。その
TA
・
ワン
型の
職業用ミシン
を千台つくれば、約九百万円の
生産
があが
つて
来るじやないか。これで
完全雇用
ができるじやないかという
組合
の案でございました。それを私たち聞きまして、それは一應いい着眼である。われわれとしても、
経営者
が
ミシン
をつくるという
計画
を立てるにはいろいろの
データー
を集めて、
愼重検討
の結果や
つた
ものだから、それで五百台という
数字
は出ているのだけれ
ども
、一應それはわれわれも
眞劍
にもう一度
考え
させてもらおう、こういうので八日の午後の
会合
を打切りまして、それについて、われわれも部
課長
集まりまして
協議
いたしました。それで八日の午後に
組合
と会うというときに午後一時と
言つて指定
をいたしましたところが、
組合
は実はその
ミシン
千台案の
データー
を書類にしておるのでまだ
刷り
上
つて
いない。それのできるまでもう一時間待てというような
回答
がありまして、結局三時ごろから開きました。その
最初
に出て來た
組合
から提示されました
データー
は、半分以上は
会社
のいろいろ職制において、
原價計算
その他の
関係
でつく
つたデーター
をただ
刷り
直して、これは
実費課
から出た資料によるという
説明
が出てお
つたの
ですが、結局その
あと
に、
ミシン
に関するある
工場
においては
晝夜二交代制
でやる、そういうことをすれば千台できるという
説明
なのでございます。その案をも
つて
参りまして、これは読んでもらえばわかるのだ。別に
説明
する必要もないから読んでくれ。こういう提示を受けまして、私からその一々の
項目
についていろいろ
質問
をして、それではこれに対する
回答
をするから
ちよ
つと
休憩
をもらいたいと
言つて
、約三十分の
休憩
をいたしました。ようやく
会議
を再開いたしまして、私が答えました要旨は大体こういうことなんであります。
晝夜交代
をや
つて
千台をつくるということは可能である。但し新しい
生産計画
は、残業は全然しないでやらなければ
原價計算
的に引合わないというので、その工賃は定時間
作業
で
考え
ている。
晝夜交代
にや
つて
非常な
夜勤手当
を出したり、それから
晝夜交代
をすると、私
ども
の方の
工場
は
汽車通勤
の
関係
でどうしても残業せざるを得なくなります。それでや
つたの
では、千台できてもこれは
原價計算
的に赤字になる。それから千台をつくれることはわか
つて
おるけれ
ども
、今の四百台
がらみ
の
生産
を千台に引上げるまでには、三箇月ないし半年の日数の
準備期間
がいる。その間の金繰りをどうするかという問題、それから資材に関しては、
ミシン
は
重要物資
でない
関係
上、これの
物資
の割当というものがしかく円滑にはいただけない。そうすると、これはあるいは金で
解決
のつくものもあるかもしれないけれ
ども
、現在五百台の
生産計画
でも
物資
はどうしても不足がちなのである。これも金である
程度解決
がつくかもしれないけれ
ども
、今
会社
がこういうことを
考え
出したのは、金に詰ま
つて
の話である。これも非常にむずかしい問題だ。それから致命的な問題は、その
ミシン
の賣れ
行き
の問題である。今私の方のつく
つて
おります
職業用ミシン
が全國に
代理店綱
を持
つて
おりまして、それの引受け得る
台数
が三百七十台、それを五百台にするというのは、約百台はどこか
輸出向
に出す手を打たなければいけない。これは
輸出
についでも
いろいろ骨
を折
つて
いるけれ
ども
、まだ目鼻がついていない。約一年前から手をつけております。そうしてこれは業者がおのおの秘密なものですから確かな
数字
を申し上げられないのですが、そのときに
言つたの
です。今全國で
TA
・
ワン
型の
職業ミシン
がつくられておるのが
月産
千百台である。
月産
千百台のうち五百台が
日本製鋼廣
島
製作所
である。
あと
の六百台というものは、これは相当有力な
——会社名
は申し上げませんが、有力な
メーカー
が三社ございます。これが六百台つく
つて
いる。その有力な
メーカー
がなぜ三世で六百台しかつくれないか。これは力がないのでつくれないのではなくて、賣れ
行き
の目途がないから六百台しかつく
つて
おらない。そこに
日本製鋼所廣
島
製作所
がこれを今五百台から一躍千台にして、市場に出まわる
台数
千六百とした場合に、一体たれがそれをさばくのか、これに対して
組合
から、それは
従業員
が一人一台
づつ責任
を持
つて
賣るというような
議論
も出ましたが、こういうことは、前にも私の方で
横浜製作所
においてヒーボーというものをつくりましたときにそういう問題も起りましたのですが、実行不可能な問題、そういうことで、
組合
の案を蹴
つた
んでございます。それに対して
組合側
は、二十分の
審議
で
打切つた
というような話をしております。一方
工場
の
情勢
を申し上げますと、先ほど申し上げましたように、日々
山猫争議
のようなことが行われておる。このままで推移したならば、たとい
整理
が行われたにしても、
日本製鋼所
は戸を締めなければならないという
事態
を招くと
考え
ましたので、私は
所長
の口から九日の日に、それではもうこれで
会社
の
責任
において
会社側
が
最後案
と
考え
た案を実行させてもらうからということを申しまして、十日にまたその問題を
議論
しましたのですが、それに対しても同じような押問答の結果、十日には、それでは本日から
希望退職者
を募るということを申しまして、十日に
希望退職者
の募集の掲示をいたしましたが、これはすぐに破られてしまいました。改めて十一日に張りましたが、これも破られてしまいまして、結局十一日に
解雇者
の家へ
解雇通知
を郵送すると同時に、午後三時ころだ
つた
と思いますが、
組合長
に
会社
の
勤労課長
から
解雇者名簿
を送達したわけであります。
鍛冶良作
29
○
鍛冶委員長
幾ら解雇しました。
板垣茂
30
○
板垣證人
そのときは六百六十二名、これはいろいろ
組合
で
協議
している間に、
会社
の方でも
修正
も行いましたし、それから
解雇基準
について、嚴正に当てはめて
行つた
結果が六百六十二名という数にな
つたの
です。
鍛冶良作
31
○
鍛冶委員長
それは六月十一日ですね。
板垣茂
32
○
板垣證人
そうでございます。
鍛冶良作
33
○
鍛冶委員長
それについて、
組合
の方から改めて
協議
の申出ででもありましたか。
板垣茂
34
○
板垣證人
六月十日に
組合
は、
会社
が
最後
の
回答
をいたしまして実行させてもらうと言
つた
ものですから、
闘争宣言
というものを持
つて
参りまして、十一日に
会議
をした結果それを渡したところが、
組合
は四時まで各
職場
で
職場大会
を開いておりました。そうして十一日は
——
私の方は、先ほどから申し遅れておりましたが、
給料
が
遅配
にな
つて
おりました。それで六月十一日は五月分の
給料
の
遅配分
の
分割拂い
を
行つた日
なんでございます。その
給料
が、いつも四時の終業時間に渡されるものですから、四時にな
つて給料
を受取るまで
職場大会
を開いておりました、
給料
を
受取つた
後、四時すぎに本
事務研
の傍の
廣場
に全員集合いたして、今度は
組合大会
を開いたわけです。それで
勤労課長
が
組合長
のところへ
解雇者名簿
を持
つて
行つた
ときに、むき出しで持
つて
来たんでは困るから
封筒
へ入れてくれというので、
封筒
へ入れ直してまた持
つて
行つたの
ですが、それをも
つて
組合大会
を開いて、すぐ
所長
に蹴返せという
決議
をして、それを返しに参りました。しかしそのときはもう四時過ぎておりましたので、
会社
の者は皆帰
つて
しま
つた
あと
だ
つたの
です。たまたま
秘書課長
と
人事課長
が
工場
に残
つて
おりまして
組合員
につかまりまして、これをお前が保管して、明日
所長
が來たらば
從業員
の見ている前で
所長
に突つ返す
取計い
をするように骨を折れ、こういうことを申しまして、その
誓約書
を書けというようなことを言われました。それで
人事課長
と
秘書課長
が、預かることは預
つて
よい。これは
組合
の
事務所
へ置けないものだから、預か
つて
くれというので、表に何も書いてない
封筒
に書いたものですから、預かれと言えば明日まで預かるけれ
ども
、
所長
にそれを突つ返すような
取計い
をする約束はできないと
言つて
、結局預かることだけは約束しようと
人事課長
がバルコニーから話しかけたのでございます。すると、
ちようど下
の
事務所
の回りにつめかけていた二千の
從業員
が、われわれの頭の上から物を言うやつがあるか、降りて来いといきなり連れ出されて、私
ども
の
事務所
の前に戦争中
防火用水
の目的をも
つて
大きな池をつくりましたが、その池の深さは
人間
の背の立たないくらいの深さなんであります。その池のまん中に丸い島がありまして、その島へ追い出されて
人事課長
と
秘書課長
が責め立てられまして、結局
人事課長
は夜十時ごろに卒倒して病院へ連れて行かれた。
秘書課長
はもうそういう約束はせぬことを言い張
つて
、十二時四十五分まで
——
組合
が翌日何か行事があ
つた
と思いますが、
人事課長
は十二時、
秘書課長
は十二時四十五分くらいに預り証だけを渡して許されたということでございました。
鍛冶良作
35
○
鍛冶委員長
卒倒したのはたれですか。
板垣茂
36
○
板垣證人
人事課長
です。
鍛冶良作
37
○
鍛冶委員長
秘書課長
がその証書を書いたのですか。
板垣茂
38
○
板垣證人
そうでございます。
鍛冶良作
39
○
鍛冶委員長
そのときに何かけがをしたというのはどうですか。そういうことはありませんでしたか。
板垣茂
40
○
板垣證人
けがをしたようなことは開いておりません。
鍛冶良作
41
○
鍛冶委員長
その前に、あなたの方で何か第三者を含めない
交渉
なら應ずるとか言われたことがあるというのですが……。
板垣茂
42
○
板垣證人
そういうことははつきりは
言つて
いないのですが、
ちよ
うど六日かと思いますけれ
ども
、
最初
二日に発表いたしましたときは
説明会
、それから四日以後も
説明会
の形式でや
つて
おりました。ところが六日だと思いますけれ
ども
、突然
組合側
から今日は團体
交渉
にしてくれということを
言つて
來ました。
鍛冶良作
43
○
鍛冶委員長
六日ですね。
板垣茂
44
○
板垣證人
六月六日です。六日にそういうことを
言つて
、いよいよ顔を合せたとたんに、團体
交渉
にしてくれということで、そのときに社外の全金属の本部の人が一人入
つて
おりました。それでこの問題はまだ内部の問題であるし、社外の人を入れて話をするよりも、社内の
人間
で、ほんとうに
工場
のことがわか
つて
いる人だけで話した方が
解決
は早いから、それで一應これは團体
交渉
ということでなく、流会になりました。その後にこの問題は、
最初
に私から
組合
に、今度の問題は非常に重大な問題である。それだから愼重に両方議を盡して、模範的な
交渉
をしようじやないかということを申しましたのに対して、
組合
から文案をつく
つて
参りまして、協定を結んだことがございます。その協定書は、六月五日に結んだ協定書でございます。
会社
、
組合
間の日常業務処理又は紛争中といえ
ども
会社
は正当な
組合
活動を阻止又は妨害するが如き行為をなさず、
組合
は破壊的、暴力的行為は一切行わないことを確約する。」こういう協定を六月五日に結び、さらに六月六日には、そういう問題のあ
つた
直後において、
組合
からの話合いがあ
つたの
で、私の方から文案をつく
つて
、もう
一つ
協定を結んでいるのですが、「
企業合理化
についての六月二日
会社
提案は、
会社
としては
日鋼廣
島の再建についての日取案であるが、尚
組合
の意見を徴する余地あるものであることを確認する。尚
企業合理化
については二日より
協議
したが、更に
会社
、
組合
間のみで本問題に関して最善の努力を拂い、速やかな
解決
に双方誠意を盡す事を確約する。」それでこの協定書の文案は
会社側
でつく
つたの
ですが、これを協定するときに、「
会社
、
組合
間のみ」でというこの「のみ」という字は、
組合側
が入れてくれというのでこの「のみ」を入れたんで、「のみ」を入れることはわれわれの方としては最も希望するところだ。それでこれは入れたわけなんです。
鍛冶良作
45
○
鍛冶委員長
その六日に、今あなたおつしや
つた
、だれかほかの者が入
つた
というのは、そのとき初めてでございますか。
板垣茂
46
○
板垣證人
そうです。それまでは
協議会
には社の
人間
だけで話しておりました。
鍛冶良作
47
○
鍛冶委員長
どういう人が入
つて
お
つたの
ですか。
板垣茂
48
○
板垣證人
全金属の本部の坂本光平という人だとい
つて
おりました。これは
賠償指定
工場
でありますので、私の方では出入についてはすべて
署名
をと
つて
おりますから、それでその人が坂木光平氏であることは、その入門のサインで
知つた
わけでございます。
鍛冶良作
49
○
鍛冶委員長
わかりました。そこでそういう大騒ぎが十一日にあ
つて
から、さらに十二日には一層大きい騒ぎがあ
つた
ようですが、その模様を承りたい。
板垣茂
50
○
板垣證人
十二日にはそういうことが十一日にあ
つた
ことを報告は受けましたのですが、私は朝八時四十五分ごろに、
勤労部長
と慶島市内で会いまして、同じ自動車で
会社
に入りました。
会社
へ入りますときに、西門と称しております門を自動車で入ろうとすると、
組合
の青年部の若い人が、私の入るのを守衛所で見ておりまして、急いで走
つて
行く姿を認めました。そうして私は
所長
室へ通るのに、秘書の部屋を通
つて
入るのですが、秘書の部屋を通りがけに秘書に、今から部
課長
会議
を開くからすぐ集めろということを
言つて
、
所長
室へ行
つて
上衣を脱いで、自分のいすに腰をかけるとほとんど同時ですが、電話がかか
つて
参りまして、とりましたら、それは
組合
の執行
委員
の松田敦巳君の声で、きのうの
解雇者名簿
の件について
所長
に会いたいが会
つて
くれるか、こういうことを
言つて
参りました。それに対して私は、署長はきようは午前中は廣島市内のいろいろな連絡があるので、午後にならなければ見えない。私がかわ
つて
会
つて
もいいけれ
ども
、会うならば
勤労部長
を通じて
言つて
來てもらいたい、こういうことを言いました。私の方でいつも
組合
と
交渉
するときには、勤労部を通じてやる習慣にな
つて
おりますから、そういうことを
言つたの
であります。そうすると松田君は、
勤労部長
も来ているんですかと
言つて
電話を切りまして、それからほとんど五分もたたないうちにデモが押しかけて参りまして、
所長
室の前の廊下を赤旗を持
つて
踊り狂
つて
、とびはねる、ガラスをぶちこわされる、それから秘書の部屋にも三十人くらいかそれとも五十人くらいの
人間
が、これは青年行動隊の
人たち
ですが入
つて
、秘書の室を占領される、ほとん
ども
う
所長
室にお
つて
も、秘書と
所長
室との間のドアを開け放されて、そこからのぞいたりして、部
課長
はそのころに大分集ま
つて
來てはおりましたけれ
ども
、この
会議
を開くこともできないような状況でありました。そうこうしているうちに、また松田君から
勤労部長
に、團体
交渉
を開きたいからということを
言つて
参りまして、それに対して私
勤労部長
に指示いたしまして、
組合
が
組合員
を全部
工場
にもどして、
職場
にもど
つて
平静な
状態
になおらなければ、團体
交渉
などを開くことはできない、それで團体
交渉
は開くから、平靜な
状態
にもどしなさい、そうして團体
交渉
の場にはデモをしかけたり、それから大衆の圧力をかけるというような行動をされたときには、いつでもその
交渉
を打切るということを
組合
に通達させました。これは非常に混乱した場面でしたので、文書などでつくる余裕がなか
つたの
で、すべて口頭でございます。電話連絡でや
つて
おりました。それに対して
組合
では、それでは一考しようというような意思表示があ
つた
そうでございますが、
事態
はますます惡化して行くばかりで、事能の收拾はつかない。そのうちに午後一時ごろに私に呉から電話がかかりました。そのころには交換手が
職場
を放棄してしま
つた
関係
と思いますが、電話はすべて直通にな
つて
しま
つて
、交換台を使うことができないので、
所長
室の電話は使えないで、守衛所の電話に私は呼び出されて
行つた
わけでございます。電話を
終つて
出て來ると、もうすでに
組合員
がスクラムを組んで、きのうの
人事課長
、
秘書課長
を監禁した中の島に通路をつく
つて
待
つて
おる。それで私はまだ君たちの
代表
とこれから話をしなければならぬ問題があるので、
所長
室へ行くのだから通してくれ、こう
言つて
おると、そこへ書記長の越智一見君が走
つて
来て、どうしたんですかということをほとんど一言二言
言つて
おる間に、私の両腕を押えるのがきつかけにな
つて
、みんなでわつしよいわつしよいというわけで押し出されたわけであります。押し出されて
行き
まして、私は助けてくれということを十数回
言つて
押し出されて
行つた
わけであります。それで正面玄関の車寄せの柱の前に力盡きてすわ
つて
しま
つた
、こういうわけでございます。 (発言する者あり)
鍛冶良作
51
○
鍛冶委員長
静粛に願います。その中の島へ押し出されて
行つた
んじやないですか。
板垣茂
52
○
板垣證人
中の島まで行かないうちに、私は玄関のところで坐
つて
しま
つた
わけであります。
鍛冶良作
53
○
鍛冶委員長
玄関というと
事務所
の玄関ですね。
板垣茂
54
○
板垣證人
そうです。それでその次には約一時間くらいののちと思いますが、これは
あと
で本
人たち
に聞いたのですが、今
板垣
が下で大衆に取囲まれてまつ青にな
つて
いる、いつ殺されるかわからないという状況だ、それで松田敦巳、越智一見君が
所長
室に
——
所長
室は当時もう部
課長
全部集ま
つて
おりましたが、そこへ
行き
まして、一言釈明してもらえば
板垣
は帰れるんだから、だれか来て釈明してほしいというので、それではというので若い
課長
、
工場長
の
人たち
が四人ばかりそれじや行こうと言
つた
ら、きみたちじやだめだ、それじやというので、もう一人松本という
所長代理
が行くと言
つた
ら、それでは
勤労部長
も來てくれというわけで六人おりて参りまして、中の島に闘争本部がそのときあ
つたの
ですが、そこへ行
つて
釈明をいたしました。釈明をいたしましたけれ
ども
、これは全然それつきりで、またその六人も私のわきへ坐
つた
、そうこうしておりますうちに、今度は守衛所にいた警備の担当をや
つて
おります総務部長付の長門という男がおりますが、それのところに
組合
の北平勝美という教育宣傳部長が参りまして、何か言葉の
行き
違いから謝罪せいというようなことで、長門を手取り足取り連れ出して、これは中の島に連れて行かれました。それから長門君がいなくなると、十分に警備の任務が盡せなくなるので、
ちよ
うど総務部長の鈴木という人が、その朝
工場
がら銀行方面に
ちよ
つと用事があ
つて
出まして、戻
つて
きて、そのときに守衛所にいたのであります。長門にかわ
つて
守衛をいろいろ指揮していたのも、これもしばらくすると、いすごと連れ出そうとした。それで鈴木君はそのいすからすべり落ちて横にな
つて
いると、今度は足でけり出されて、また結局私たちのいるところに出された。それで日が暮れるころにな
つて
から、今度は二階にいる部
課長
等も一人ずつ同じように、手をかけるな、手をかけるなというので、いすごと押し出したり、あるいは連れ出したりして、次々と出されて、結局十二人の部
課長
が玄関前に引出される。それから八人くらいの部
課長
の人が
所長
室に残
つて
お
つたの
ですが、これは二階で別に入れかわりたちかわりいろいろおどかしたり、すかしたり、いわゆる人民裁判的なことが行われた。私たちの方には、その間に
組合
の幹部の
人たち
はその闘争本部にいて、いろいろ夜の準備をや
つて
、その間家族と称して、家族の人も実際に來たでしようが、そのほかの
人たち
も盛んに入
つて
來た。
外部
の人も入
つて
來て、かわるがわる尋問を継続する。
鍛冶良作
55
○
鍛冶委員長
あなた方にですか。
板垣茂
56
○
板垣證人
そうです。それで夜の九時か十時か
——
時間の記憶がはつきりないのでありますけれ
ども
、九時か十時ごろにな
つて
、林執行
委員長
から、ただいまから團体
交渉
を始めますというようなことを宣言して、私らの前に三十人くらいの
人間
でいろいろ始めかけたのですが、私は團体
交渉
というものはこんな
状態
では開くことはできない、これでは正当な判断をすることはできないし、團体
交渉
はお断りすると、終始もうそれ以外にはほとんど口をきかないで黙
つて
いたのです。
鍛冶良作
57
○
鍛冶委員長
そこで向うで尋問をしたときには、
最後
には何か申渡しみたいなことでもや
つたの
ですか。
板垣茂
58
○
板垣證人
申渡しのようなことも
——
個人的な攻撃もやりますし、きさまそれでも男か、これが鬼の張本人だというようなことを
言つて
みたり、それから泣いてみたりおとしてみたり、いろいろなことをやりました。
鍛冶良作
59
○
鍛冶委員長
被告とかなんとかいう言葉まで使
つた
とか、そういうことはないですか。被告
板垣
とか……。
板垣茂
60
○
板垣證人
まあいろいろそれを話して、たとえば
首切り
をやるのはきみらの本旨じやないんじやないか、二、三箇月後にはきみらの背後の権力はみななくな
つて
しまうのだ、今われわれと一緒にやろうじやないか、だからきみらが社長に言いつけられてそれをや
つて
いるなら、社長のところへ一緒に行こう、社長がまた吉田に言いつけられているなら、古田のところへ行こうというようなことも言われました。
鍛冶良作
61
○
鍛冶委員長
それはいいのですが、あなたが人民裁判と言われるその内容を聞きたいのです。被告
板垣
というような言葉を使
つたの
ですか。
板垣茂
62
○
板垣證人
そういうことを言われたこともあります。
鍛冶良作
63
○
鍛冶委員長
かわるがわる聞くのですか。
板垣茂
64
○
板垣證人
そうです。社内の
人間
ばかりでなくて、社外の人も來ているので、これは経験のない方はおわかりにならないと思いますけれ
ども
、それでやられると混乱して、ほとんど記憶力も何もなくな
つて
しまうのです。三時間もそういうことが続くと……。私は一番長くかか
つた
わけですけれ
ども
、一時ごろから翌朝の六時まで続いたわけです。
鍛冶良作
65
○
鍛冶委員長
そのほかの部
課長
はどうでしたか。
板垣茂
66
○
板垣證人
それぞれ先ほど申しましたように、時間は六時に一應終
つた
わけです。
鍛冶良作
67
○
鍛冶委員長
その間に人事本省に陥
つた者
、なぐられて負傷した者がお
つた
そうですね。
板垣茂
68
○
板垣證人
なくられての負傷は私は存じませんけれ
ども
、ただ精神的な非常な混乱から卒倒した者が六人かおります。
鍛冶良作
69
○
鍛冶委員長
負傷した者もお
つた
んじやないですか。なぐられたか、ひつぱられるときに傷ついたりした者は……。
板垣茂
70
○
板垣證人
そればおりました。長門、それから総務部長の鈴木、この二名は負傷しております。
勤労部長
は卒倒して、これは私の隣におりましたが、もう手がけいれんいたしまして、非常に冷たくな
つて
しま
つて
、初めは手を握
つて
いてくれと言うから握
つて
いましたが、非常な冷たさにな
つて
いる。それから手をもんでや
つて
いると、そうしていてもらいたいと言う。私が片方の手をもんでいて、向うの手もまただれかにもんでくれと
言つて
お
つた
わけです。
鍛冶良作
71
○
鍛冶委員長
それでも放さずに尋問しておるのですか。
板垣茂
72
○
板垣證人
それで私は医者を呼んでくれと
言つて
、結局一時間くらいしたら医者が参りました。緒方
勤労部長
はたしか五時か六時には別室へつれて行かれて、そこで一晩中ソアアーの上へ寝かされておりました。
鍛冶良作
73
○
鍛冶委員長
それからその晩十一時ころに占領軍のたれかが來たということですが、そういう事実はありましたか。
板垣茂
74
○
板垣證人
來られました。
鍛冶良作
75
○
鍛冶委員長
たれが来たのですか。
板垣茂
76
○
板垣證人
これは私は名前を知らないのですけれ
ども
、來られまして、それ以後はかなり静粛にな
つたの
です。
鍛冶良作
77
○
鍛冶委員長
それは
工場
内に入
つたの
ですか。
板垣茂
78
○
板垣證人
入りました。
鍛冶良作
79
○
鍛冶委員長
入るときに妨害したとかいうことですが、そういうことはありませんね。
板垣茂
80
○
板垣證人
それは私は見ておりませんでした。
鍛冶良作
81
○
鍛冶委員長
けれ
ども
あなた方を救い出すことはできなか
つた
わけですね。
板垣茂
82
○
板垣證人
そうです。
鍛冶良作
83
○
鍛冶委員長
あなた方がそういう目にあ
つて
おることは……。
板垣茂
84
○
板垣證人
私はその人に呼ばれていろいろ状況の
説明
をいたしました。
鍛冶良作
85
○
鍛冶委員長
その晩ですか、十一日の晩ですか。
板垣茂
86
○
板垣證人
十二日の晩です。
鍛冶良作
87
○
鍛冶委員長
あなたは向うにひつぱられて、玄関前で尋問を受けてお
つたの
でしよう。
板垣茂
88
○
板垣證人
その間に一時間半か二時間くらいだ
つた
と思いますが、二階でどういうことかということをお話いたしました。
鍛冶良作
89
○
鍛冶委員長
そのときは
組合員
はあなたを放したですか。
板垣茂
90
○
板垣證人
アメリカ人が來て、來いと
言つて
つれて行かれました。そのときには、私が行くと同時に
組合長
もついて
行き
ました。
鍛冶良作
91
○
鍛冶委員長
それでいつごろ帰
つて
行つたの
です。
板垣茂
92
○
板垣證人
何時ころでしたか、三時くらいじやないかと思います。はつきりしたことを覚えておりません。
鍛冶良作
93
○
鍛冶委員長
その間はあなたは二階にお
つた
わけですね。
板垣茂
94
○
板垣證人
そうです。
鍛冶良作
95
○
鍛冶委員長
それから帰
つて
からあなたはどうなりましたか。
板垣茂
96
○
板垣證人
帰られたのか、あるいは二人か三人か來られたので、そのうち一人の方は朝まで残
つて
おられたようです。
鍛冶良作
97
○
鍛冶委員長
あなたはその人と一緒に部屋にお
つたの
ですか。
板垣茂
98
○
板垣證人
秘書の部屋にいろいろ状況を
説明
させられる間だけおりました。
所長
室には
組合員
と部
課長
が入
つて
おりました。
鍛冶良作
99
○
鍛冶委員長
それからあなたはあまり尋問を受けぬことにな
つたの
ですか。
板垣茂
100
○
板垣證人
三時ころまでは私は秘書の部屋におりました。
鍛冶良作
101
○
鍛冶委員長
そのときは尋問を受けてないのでしよう。
板垣茂
102
○
板垣證人
そうです。
鍛冶良作
103
○
鍛冶委員長
帰
つて
からは……。
板垣茂
104
○
板垣證人
帰
つて
から続きをやりまして……。
鍛冶良作
105
○
鍛冶委員長
二階でか、下でか。
板垣茂
106
○
板垣證人
下です。
鍛冶良作
107
○
鍛冶委員長
あなたは帰れと言われて帰
つたの
ですか。自発的ですか。
板垣茂
108
○
板垣證人
帰れと言われて帰
つたの
です。
鍛冶良作
109
○
鍛冶委員長
下へ降りろと言われて
行つたの
ですか。
板垣茂
110
○
板垣證人
はあ。
鍛冶良作
111
○
鍛冶委員長
ここに写眞第一がありますが、これは池の島……。
板垣茂
112
○
板垣證人
今まで名前がなか
つたの
です。
鍛冶良作
113
○
鍛冶委員長
池の島から長門氏が出ようとしたら、途中何か島へ行くまで飛び石みたいなものがあるのですね。そこで止められているような写眞ですが……。
板垣茂
114
○
板垣證人
これは十四日でしよう。
鍛冶良作
115
○
鍛冶委員長
十四日にもそういうことがあ
つたの
ですか。
板垣茂
116
○
板垣證人
十四日には
ちよ
うどこういうことがありました。これに抱き止められているのは私です。
鍛冶良作
117
○
鍛冶委員長
これは長門氏ですか。
板垣茂
118
○
板垣證人
池の島の方にいるのが長門君です。これも私です。
鍛冶良作
119
○
鍛冶委員長
これは皆十四日ですか。ここには十二日というのはないのですね。よろしゆうございます。それから十三日にはなお一層騒ぎがひどか
つた
ようで、何か進駐軍が出て來られたというのですが、十三日の模様を……。
板垣茂
120
○
板垣證人
十三日には六時に一應われわれ二階へ上りまして終
つたの
です。その後すぐまた追いかけて來まして、今から三十分ぐらい後に團体
交渉
を開いてくれということを言われました。それに対して私は、もう頭が空つぽにな
つて
いる。それで、こういう
状態
で團体
交渉
は三十分では開けない。そのときは非常に気が弱くな
つて
いた
関係
と思いますが、それでは今から二時間後に
所長
を連れて来て團体
交渉
を開けということを
言つて
参りました。二時間で
所長
を連れて来ることもできない。それではということでごたごたいたしまして、八時四十五分ぐらいから再度團体
交渉
を開かざるを得ないようなはめにな
つて
参りました。それで今度はちやんと團体
交渉
をする場所でや
つたの
ですが、
組合員
はやはり前日のままの態勢でとりかこんでおりますので、その監視の中で團体
交渉
を開いたということになります。その
交渉
を開いておりますと、
軍政部
の係官が、その
交渉
が始ま
つて
三十分くらいしたときと思いますが、私と林君と二人を呼び出されまして、そのときに、ここは
賠償指定
工場
である。
賠償指定
工場
には
軍政部
の
許可
のある者でなければ入れない。それに何か
外部
の人が入
つて
いるようだが、これは
組合長
すぐ退去させるべきだというような話と、私の方には、
賠償指定
工場
として一体どういう手続で入場を
許可
しているのかというような、主として
賠償工場
の
管理担当者
とそこの
従業員
の心得というようなことでいろいろ注意を受けたわけでございます。そのときに余談という形か何かで、占領軍の係官と林君との間の一問一答を脇で聞いていたんですが、こういうことがありました。十二日の状況は、これは何か。ストです。それでは今日は何か。今日はストですと言いかけて、今日は休日ですというような
——
ちよ
うど電休日でした。明日はどうか。明日もこのまま行けばスとです。このストは
——
新しい
労働組合法
が
ちよ
うど十日から施行されたわけです。
労働組合法
の規定に從
つて
無記名投票でや
つた
ストか。いやそうではない。大会形式できめた
——
大会形式できめるというのはどういうことを
言つたの
か、満場一致できめた。その大会形式の満場一致というのはどういうことか、全員が拍手したから満場一致と認めました、それからこのストに対してはあらかじめ
経営者
の方に予告したかとい
つた
質問
に対して、
闘争宣言
を十日に発しております。
闘争宣言
にはいつから罷業
状態
に入るかということをうた
つて
あるかという
質問
に対して、そういうことは書いてありません。これは非合法なものだと思うかどうか、そうだというような問答をしております。
鍛冶良作
121
○
鍛冶委員長
それからさらに解散させいと言われたのじやないですか。
板垣茂
122
○
板垣證人
解散させいということは言われないと思います。
鍛冶良作
123
○
鍛冶委員長
そのとき何か解散させるように放送したというようなことを聞いたのですが、そういうことはありませんか。
板垣茂
124
○
板垣證人
十三日にはそういうことはありません。 そこで十三日午前中の團体
交渉
はうやむやで
終つて
しまいまして、午後一時からまた向うから
言つて
來てやりました。そのときに結局きのうのような状況を見ても、まだ
首切り
案を撤回しないかということを向うから言われたのに対して、私は今とな
つて
は撤回できないと言
つた
。その瞬間にまた
軍政部
の係官から
組合
の
代表
全員と
会社
の
代表
全員が呼び出されまして、繰返し
賠償指定
工場
としての心得を、今度は執行
委員
全員と、それから
会社
の部
課長
全員に注意をされたわけです。それで團体
交渉
も
終つて
、
組合
の方もすべてそれで
終つて
しま
つた
わけなんですが、
組合
の方では前の晩に徹夜をしているのと、それから何か
——
これはうわさですからはつきりはわかりませんけれ
ども
、
組合
の内部から、きようもカソ詰にするなら事力でも帰るというような声が出たというような話で、
組合員
は前の晩は寝てないということも大きな原因だと思いますけれ
ども
、三時ごろ全員
工場
を退去しました。
鍛冶良作
125
○
鍛冶委員長
午後ですね。
板垣茂
126
○
板垣證人
はい。十三日はそういう騒ぎがあ
つた
ものですから、われわれはま、だ残
つて
おりましたが、檢察廳からその監禁を受けた被害者全員すぐに検察廳へ來てくれ、こういう電話がかか
つて
参りました。それで私たちはそこを脱出いたしまして、結局倒れた者な
ども
いるものですから全員は行くことができませんで、部
課長
全部をとにかく廣島市内に分宿させて、私と総務部長と六、七名の者が檢察廳へ
行き
ました。いろいろその前の晩の話などの調書をとられました。そうして終
つたの
が八時過ぎでございました。それで八時過ぎから市内で
所長
を中心にしていろいろ
協議
いたしまして、結局もうこのままの
状態
では賠償保全の
責任
は全うできない。それから
職場
の秩序は乱れて
仕事
はしないという
状態
で無警告ストである。またわれわれの身辺にも危險があ
つて
、とても
工場
を開いておくことができない
状態
であるという判定の
もと
に、無警告ストに対抗する手段として
工場
閉鎖を決意いたしました。その
結論
までにもいろいろ
議論
がありまして、結局
工場
閉鎖を決意したのが十一時過ぎでございました。それで実はどこへも連絡がとることができないので困
つたの
です。そうかとい
つて
もう一日延ばしたらばストで出て來るが、今ならば
工場
から全員出ておる。これを延ばしてまた騒ぎを始めたときにや
つた
らこれは警官の出動を見なければならないようなはめになるだろう。今は
ちよ
うど全員
工場
から出ておるときだから、その機会にやれば摩擦がなく
工場
閉鎖ができるのじやないかという見方から、翌朝
工場
閉鎖をするということに決定いたしたわけであります。それから塀のないところもありますので、仮の囲いをいたしまして、六時五分までに
工場
閉鎖の立札を立てました。そうして私はとりあえず
軍政部
まではまつ先に報告に行かなければいかぬというので、七時に出て呉まで
行き
ました。それで
軍政部
の係官に
工場
閉鎖をしたとい
つて
説明
をしているときに、八持
ちよ
つと過ぎでしたが、今お前の
工場
に五百人が、塀を乗り越えて不法侵入したという報告が來たぞというお話でございました。それで私もそれじや
工場
へ帰るからと言
つた
ら
軍政部
の係官がおれも行くというので、ジープに乘せてもら
つて
工場
へ帰りました。
鍛冶良作
127
○
鍛冶委員長
だれですか、一緒に來たのは……。
板垣茂
128
○
板垣證人
ダガーという大尉で、
軍政部
長
代理
です。それから
あと
はその日の八時ごろまでは
日本製鋼所廣
島
製作所
の
労働組合
として私のところへいろいろ会見を申し込んで来たり何かしました。それで今拝見しました写眞はそのときの写眞でございます。あの日の二時三十分ごろだ
つた
と思います。そこで二時三十分ぐらいに
組合側
が團体
交渉
を開きたいと言うから、それより君たちがそこを出るのが先決問題なんだ、出た上ならまた話をしようじやないか、私は團体
交渉
は今後も誠意を持
つて
続ける、それからその
交渉
の場所は双方
協議
の上きめるということを約束して帰るときです。この写眞は……。
鍛冶良作
129
○
鍛冶委員長
それで帰さぬと言うのですか。
板垣茂
130
○
板垣證人
はい。何かそこで私をとめていたのは黒神貞松君でしたか、帰さぬとい
つて
とうせんぼうをしたのです。
鍛冶良作
131
○
鍛冶委員長
それであなたはとにかく帰
つて
来た。長門氏は……。
板垣茂
132
○
板垣證人
長門氏は
あと
から帰
つて
参りました。
鍛冶良作
133
○
鍛冶委員長
そのときダガー大尉が來られての模様を聞きたいのです。
板垣茂
134
○
板垣證人
私はそのとき実は應接室に入
つて
おりまして、もうそのときは社外の人が実は家族の者だとい
つて
どんどん入
つて
來て、
所長代理
に一目会わせろとい
つて
、つきまと
つて
いるものですから、私は應接室へ入
つた
きりで一歩も外へ出なか
つた
。ですから應接室内のできことは知
つて
おりますけれ
ども
、外のことは應援室から大衆がいろいろや
つて
おることは見ておりましたが、建物の内部のほかの部屋のできことは知りません。
鍛冶良作
135
○
鍛冶委員長
報告は受けているでしよう。
板垣茂
136
○
板垣證人
大体の報告は受けておりますけれ
ども
、占領軍の方のことは、
会社
の者との接触は聞いておりますが、
組合
の方とのことは聞いておりません。とにかく中の島に行かれて有川武典君と話しておられた。そのうちに二階にもど
つて
來られて、そのときに林君と、松田君、越智君、渉
外部
長の竹田君ぐらいの
人たち
がダガー大尉と何か話しておられるところは見ておりました。それからその後に晝間でしたか、過ぎでしたか、私も顔をはつきり知らないのですけれ
ども
、その日ぐらいからか、そのときにもうできていたかしりませんが、共同闘争
委員会
の
委員長
の松江澄氏がダガー大尉と何か話をしておられたということは後に聞きました。しかしそれもどういうことを話しておられたか存じません。
鍛冶良作
137
○
鍛冶委員長
退去させろという命令があ
つて
、マイクか何かで退去させることを命令した、こういうことですが、聞いておいでにならなければおいでにならないでよろしゆうございます。
板垣茂
138
○
板垣證人
聞いておりません。
鍛冶良作
139
○
鍛冶委員長
それではよろしゆうございます。それから賠償施設物件の保管のために、知事に対して進駐軍から命令があり、それから知事から警察に対して出動を命じたということですが、この点はいかがですか。
板垣茂
140
○
板垣證人
これは新聞で私承知しただけで、知事と
軍政部
とのいろいろ命令の往復とか、あるいは知事から警察署への
関係
ということは、全然存じておりません。ただ先ほど申しましたように、十四日の八時過ぎ
——
ちよ
うど日の暮れるころですから八時ごろと思
つて
おるのですけれ
ども
、林君と松田君ともう一人越智君だと思いますが、この三人が
——
越智君です。この三人が私に会いに来て、今君らがここに入
つて
いること自体が間違
つて
いるのだから、この建物の中で君たちと会うことはできない。できないけれ
ども
非公式に会おうと
言つて
、そのときもそういうような話をしたのです。それから
交渉
は別に持つという話をしたのですが、そのときが
組合
と私たちと直接話のできた
最後
であ
つて
、その後はもう知事と共同闘争
委員会
との話合いにな
つて
、そうしてこれもうわさですが、何か知事に、自分が直接出て來なければ、
代理
人とでは話をせぬというようなことを共同闘争
委員会
は言
つた
とかいう話で、十一時ぐらいだと思いましたが、懸の賠償課の人から知事の命令で、全員退去させろということを
会社
の
所長
から傳えろと言われたのですが、もう私の方ではそういう機能は全然ないから、これを傳えることはできない。しかも
組合
だけの問題でなくて、共同闘争
委員会
との話合いにな
つて
いるようで、われわれのところから
言つて
も通ずる道はもうないようです。知事から直接傳えてほしいということをお願いしたわけです。それで知事の方で結局あの山から拡声器で放送されたのです。
鍛冶良作
141
○
鍛冶委員長
十五日の……。
板垣茂
142
○
板垣證人
十五日の午前四時でございます。
鍛冶良作
143
○
鍛冶委員長
そのときあなたは……。
板垣茂
144
○
板垣證人
工場
の中におりました。
鍛冶良作
145
○
鍛冶委員長
そのことは聞えましたか。
板垣茂
146
○
板垣證人
断片的に聞えました。
組合
はもうそのときに歌を歌い、サイレンを鳴らしたり、あらゆることをして聞えないようにや
つて
いました。
鍛冶良作
147
○
鍛冶委員長
最初
の一ぺんは聞えたが、その次からじやまをしたというのじやないのですか。
板垣茂
148
○
板垣證人
間でも断片的には聞えてはおりましたが、私の
事務所
から山まで距離にして約六百メートルくらいあるので、はつきりは聞きとれません。
労働組合
員のお
つた
ととろは、川のへりにいた
人たち
は三百メートルそこそこのところだ
つた
から、これは聞く気なら聞えたと思います。
鍛冶良作
149
○
鍛冶委員長
それから警察官が入
つて
退去させたようですが……。
板垣茂
150
○
板垣證人
警察官が入
つて
退去させまして、そのときは私は應接室の窓から見ておりました。
鍛冶良作
151
○
鍛冶委員長
午前……。
板垣茂
152
○
板垣證人
午前五時
——
私が警察官の姿を見たのが午前五時三十分ぐらいかと思います。
鍛冶良作
153
○
鍛冶委員長
それは相当な騒ぎだ
つた
でしような。
板垣茂
154
○
板垣證人
警察官は三十人か四十人の人が一隊とな
つて
、二列の縦隊で棒は持
つて
いますけれ
ども
、棒を下げて相手の顔は見ない。相手の顔は見ないで上の方をながめてそばにや
つて
來ます。や
つて
来ると、
組合側
の方はいきり立
つて
スクラム組んでおりますから、わつしよわつしよとや
つて
非常に興奮しておるのです。幾つの除も來られましたから、ある隊のごときは
最初
から約三十分くらい対峙したままで待
つて
おられたのもありました。結局警棒を持
つた
ままで
組合側
と接触する。接触すると、
組合
の方はいきり立
つて
、中に力の強いところがどこかにできて押し出して來る。押し出して来たのが自然にどこかスクラムが解けて五人か六人が列のうしろに出てしまう。四十人かの警官の一稼は二列にな
つて
おりますから、うしろの列を通るときは戦意を失
つて
おとなしく出て行く。そういうことを二、三回繰返しておるうちに、フアイテイング・スピリツトの旺盛な
人間
だけが飛び出して行
つて
しまう。その
あと
に残るのはおとなしい
人間
だけで、これは靜かに出ます。ですから警察官のやり方を見ていて実にうまいものだなと感心しました。
鍛冶良作
155
○
鍛冶委員長
そのときは相当傷害があ
つた
り何かしましたか。
板垣茂
156
○
板垣證人
傷害はあのときには新聞で見たのですが、
組合側
の発表が軽傷三百何十名、重傷二十何名とかであ
つた
と思います。私も非常に心配いたしまして病院長にすぐ連絡をとりまして、どういう状況だと聞きました。それから病院の方から担架に乘せてすつかり死人を出すようなかつこうで出て来るのがあるのです。それで非常に心配しまして病院長にどうな
つたの
かとい
つて
や
つた
ところが、一番重い傷が額に裂傷を負
つた
程度で、裂傷を負
つたの
は鉄か何か鈍器でたたかれたようなので、むしろ電柱についておる金がありますが、あれに自分でぶつけたのじやないかというのが、院長の見た話でした。それが一番重い方で三針縫
つた
。
あと
は擦過傷程度で、あのとき
会社
の病院で手当をしたのが、二十何人か三十何人でした。
鍛冶良作
157
○
鍛冶委員長
裂傷は何名ですか。
板垣茂
158
○
板垣證人
裂傷はそれ一名です。それから黒神貞松君が捻挫したのと、わきの下をけがしたのがありました。黒神貞松君は
最後
まで残
つて
おりまして、黒神貞松君は
最後
に、守衛の見張所の建物があるのですが、その上に上
つて
しま
つて
盛んに警察官に対して演説をや
つて
お
つた
。そのうちに警察官がそれにとり合わないでいたものだから、自分でどこかからおりた。どうしておりたか、私それは見落しましたが、それでおりてから
最後
に一番おとなしか
つた
人か何かが五、六十人建物の陰の方にすわらせられていた
人たち
があ
つた
。そこの列へ黒神君が入りました。香川君もそこに入
つて
行くのを見ました。それらがみな出てしま
つて
から、警察官があの
人たち
を出そうとしたならば、前列の方にいた連中がみなスクラムを組んだまま仰むけに倒れて動かなか
つた
。そういう
人たち
を出すために、警察官は一人に両手と両足とに四人ついて連れ出した。途中までそういうことをしていた人でもたいがいは
ちよ
つと連れられるとまた歩いて出て
行つた
ようですが、あのときに黒神君がワッと大きな声で泣き出して、それで足を捻挫したというわけでした。
鍛冶良作
159
○
鍛冶委員長
高いところから飛び下りたときに捻挫したのではないのですか。
板垣茂
160
○
板垣證人
それはどうか私は知りません。
鍛冶良作
161
○
鍛冶委員長
何か死人があ
つた
ということを
言つて
おりますが……。
板垣茂
162
○
板垣證人
死人は絶対ありません。そういうことは先ほど申しましたように病院から担架のままおおいをかけて連れ出した
人間
がありましたのを見て死人と思
つたの
かもしれません。
鍛冶良作
163
○
鍛冶委員長
何か黒神君がワツと大声を上げてお
つた
でしよう。はたの者も一緒に泣いてそれを写眞にと
つて
死人が出たということにな
つて
おるが、そういうことはありませんか。
板垣茂
164
○
板垣證人
ワツと泣き出して向うの建物の中にどうかして入
つたの
です。
ちよ
うど新聞社の
人たち
も、それから日映の
人たち
も應援に來たりしていましたから、その
人たち
が一齊に向うの建物の中に飛び込んで
行き
ました。その中で私はどういうことがあ
つた
か
反対
側の建物の中におりましたので存じません。
鍛冶良作
165
○
鍛冶委員長
そういううわさも聞いておりませんか。さつき
ちよ
つと
言つたの
ですが、ダガー大尉が來られて、林
組合長
だろうと思うのですが、林
組合長
に解散をさせるようにせよと言
つた
。なかなかがえんじなか
つた
が、とうとう林君はマイクか何かを使
つて
それを
組合
に傳えたということだが……。
板垣茂
166
○
板垣證人
傳えました。十時に言われて十時二十分までに出ろと
言つて
、どういう話をしたかその前の方は知りませんけれ
ども
、ダガー大尉が林君に十時までに全員を退去させろと言
つた
というのは私わきから
ちよ
つと通りすがりに聞きました。やがて林君が下へおりて行
つて
それをマイクで傳えまして、そのとき入
つて
いた人数は八百人ぐらいだ
つた
と思います。それが大体六百五十ぐらい、
あと
百五十ぐらいと思われるまで一應退去を始めたのですが、そのときにだれが言
つた
か、
工場
閉鎖に疑義がある。あるいはこれはうわさで私が直接聞いたわけではございませんが、一度この
工場
を出たならば二度と入れないからみんなもう一ぺん全部もどれと言われてもど
つて
来たのであります。
鍛冶良作
167
○
鍛冶委員長
その疑義があるとい
つて
叫んだのは、黒神君だということですが、どうですか。
板垣茂
168
○
板垣證人
これもはつきり私本人の
言つたの
を見ておりませんから……。
鍛冶良作
169
○
鍛冶委員長
疑義があるということを言うた者があることだけはあなたは見ておりますね。
板垣茂
170
○
板垣證人
ええ。
鍛冶良作
171
○
鍛冶委員長
今聞いたそれぐらいの負傷者で、死者もなか
つたの
ですが、非常に宣傳が大きくて死者何名、負傷者何百名というので、新聞から号外並びに張札までどんどん市内にや
つた
ということですが……。
板垣茂
172
○
板垣證人
はい。ありました。
鍛冶良作
173
○
鍛冶委員長
大体どんなことを
言つて
おりましたか。
板垣茂
174
○
板垣證人
不法弾圧という言葉でそれを片づけているのです。不法弾圧の実況と
言つて
新聞に写眞をか
つて
に映し直したのだということで非常に誇大なポスターが出ていたようです。
鍛冶良作
175
○
鍛冶委員長
組合
書記局からニュース第二報というものが出てお
つた
ようですが、そういうことは御承知ないですか。
板垣茂
176
○
板垣證人
組合
の方のニュースはなかなかわれわれの方には入りにくいものですから……。
鍛冶良作
177
○
鍛冶委員長
「五・三〇虐殺
事件
廣島日鋼において起る。廣島日鋼ストに協力出勤した廣鉄
組合員
一名死亡、廣船
組合員
一名瀕死の重傷、今からも続々重軽傷者続出の
見込み
。虐殺された同志を帰せ。」こんなようなことを書いて出してお
つた
ようですが、これはお聞きになりませんか。
板垣茂
178
○
板垣證人
聞いておりません。
鍛冶良作
179
○
鍛冶委員長
この
争議
に加盟した團体を先ほどおつしやいましたが、どういう團体とどういう国体が加盟してお
つた
か御承知ありませんか。
板垣茂
180
○
板垣證人
これも
組合
の方でないとわからないのですが、六月十五日の夕刊廣島に載
つた
ところで在廣各
組合
、廣船というのは三菱重工の廣島造船所です。廣船、國鉄、全逓、全鉄、電産、日通、日発、日映演、配炭公團、教職組、朝煙、全学連、全新聞、通産省というようなものであります。
鍛冶良作
181
○
鍛冶委員長
通産省というのは廣島の通産省ですか。
板垣茂
182
○
板垣證人
通商産業局です。
鍛冶良作
183
○
鍛冶委員長
それも出て來たのですか。
板垣茂
184
○
板垣證人
はい。
鍛冶良作
185
○
鍛冶委員長
それで一番多いときは何千人ほどおりましたか。
板垣茂
186
○
板垣證人
いろいろと
組合側
の報道はあ
つた
ようですが、私が目撃したのでは一番多いときで八千ぐらいかと思います。これは
ちよ
うど十五、六日かと思いますけれドも、どちらか忘れましたが、私の方の隣の東洋工業という
工場
がありますが、そこの
工場
の
組合
が、これは終始中立の態度をと
つて
おりまして、それで
会社側
に対して東洋工業の
組合
から、早く
解決
して労働者の生活を見てやれということを勧告に來られたのです。デモに参加するという意図はなか
つた
らしいのですが、二千幾らという数にな
つて
いる。それが來られたときに全金
組合
が全部それを包囲して出さなくしてしま
つた
。そのときが一番多か
つたの
ではないかと思います。そのときに結局やり方がひどいというので、その東洋工業の
組合
などは非常に反省して、廣島で現在産業防衛
会議
というのと産業復興
会議
というのといわゆる民同派と左翼派とわかれてしま
つた
。そのきつかけはおそらくそのあたりにできたのではないかと思います。
鍛冶良作
187
○
鍛冶委員長
その
あと
さらに
組合大会
であるとか人民大会というものを
工場
の外で行われたということですが、それはどのようにお知りです。
板垣茂
188
○
板垣證人
これは
最初
の一日、二日は
工場
の前の
廣場
、延命神社という神社がありますが、この神社の前の
廣場
でや
つて
おります。
鍛冶良作
189
○
鍛冶委員長
十五日ですか。
板垣茂
190
○
板垣證人
十五日ごろから梅雨に入
つて
雨が降
つて
参りまして、それで
組合
の
人たち
が十六日か
——
十五日はたしか青天井でや
つて
いたのですけれ
ども
、十六日以後は戦争中に私
ども
が約千人の
人間
を收容する寄宿舎を持
つて
おりました。それが現在ほとんど使われないで遊んでいて、その食堂も約千人收容力があるのです。その食堂を大会場として占拠した。それから寄宿舎も全部占拠してそこへ寝とまりしていたようです。十六日以後は主として松石寮という寄宿舎、そこを……。
鍛冶良作
191
○
鍛冶委員長
あなたの
会社
の寄宿舎ですか。
板垣茂
192
○
板垣證人
そうです。
鍛冶良作
193
○
鍛冶委員長
近くですか。
板垣茂
194
○
板垣證人
すぐ
工場
の裏にな
つて
おります。
鍛冶良作
195
○
鍛冶委員長
十六日に人民大会をや
つたの
ですか。
板垣茂
196
○
板垣證人
やりました。
鍛冶良作
197
○
鍛冶委員長
それから後ですか。
板垣茂
198
○
板垣證人
それから後に松石寮に
行つた
り、懸廳の
廣場
でもや
つた
こともあ
つた
ようでありますし、元戰争中練兵場だ
つた
児童文化会舘のあたりでもや
つた
ように聞いております。それは確かであるかどうか知りませんが……。
鍛冶良作
199
○
鍛冶委員長
その大会でえらい人が來ていろいろ激励演説をや
つた
ということですが、その点はお聞きになりませんか。
板垣茂
200
○
板垣證人
一番先に來られたのが、田中堯平代議士と加藤充という方がおいでにな
つたの
が、十六日ではないかと思います。それから春日正一氏も見えたと開いておりますが、これはどうか知りません。前のお二人は大会の松石寮に見えられたかに聞いております。
鍛冶良作
201
○
鍛冶委員長
田中君と加藤君ですか。
板垣茂
202
○
板垣證人
はい。
鍛冶良作
203
○
鍛冶委員長
春日君は。
板垣茂
204
○
板垣證人
春日さんはどうか存じません。
鍛冶良作
205
○
鍛冶委員長
産別の菅氏は。
板垣茂
206
○
板垣證人
管議長が見えたのは、これも十六日ぐらいだ
つた
と思います。
鍛冶良作
207
○
鍛冶委員長
これも大会へ出て行
つて
や
つて
おりましたか。
板垣茂
208
○
板垣證人
これは新聞にみな出ておりますから……。大会にはどうか存じませんが、何か菅議長の宿舎で共同闘争
委員会
が開かれたというようなことは新聞に載
つて
おります。
鍛冶良作
209
○
鍛冶委員長
それから全逓の山口
委員長
は。
板垣茂
210
○
板垣證人
菅議長と一緒に写眞に写
つて
おります。
鍛冶良作
211
○
鍛冶委員長
どういう行動をしたかは御承知ありませんね。
板垣茂
212
○
板垣證人
新聞で
知つた
範囲です。
鍛冶良作
213
○
鍛冶委員長
どう書いてありましたか。
板垣茂
214
○
板垣證人
懸廳に行かれて懸知事に会
つて
、両方に、
組合側
にも懸知事にも何かいろいろ進言したというようなことでした。
鍛冶良作
215
○
鍛冶委員長
そのほか指導的立場に立
つて
目立
つた
人は御承知ありませんか。
板垣茂
216
○
板垣證人
共闘委の役員の方だろうと思います。
鍛冶良作
217
○
鍛冶委員長
いや、そのほか自由法曹團の原田香留夫という人もそうですか、廣島の弁護士ですか。
板垣茂
218
○
板垣證人
そうです。この人は騒ぎが始まる前からうちの
組合
には絶えず出入りしていろいろや
つて
おられました。
鍛冶良作
219
○
鍛冶委員長
騒いだときもあなたのところに……。
板垣茂
220
○
板垣證人
常に見えてお
つた
ようです。
鍛冶良作
221
○
鍛冶委員長
社内に入
つて
お
つたの
ですか。
板垣茂
222
○
板垣證人
ある日には社内にも入
つて
來たり、また
工場
閉鎖後、十四日、十五日のときにはどうか私は存じません。
鍛冶良作
223
○
鍛冶委員長
それまでは來てお
つたの
ですか。
板垣茂
224
○
板垣證人
それは入門の手続をせられて出入りしておられたから、サインによ
つて
出入りされたことがわか
つて
おりまする
鍛冶良作
225
○
鍛冶委員長
同じく自由法曹團高橋何がしという人はおりましたか。
板垣茂
226
○
板垣證人
高橋武夫という方ですか。
鍛冶良作
227
○
鍛冶委員長
その人です。
板垣茂
228
○
板垣證人
大体
組合側
で
法律
的な連絡をや
つて
いたのはその自由法曹團の原田弁護士、高橋弁護士、椢原弁護士、この三人の方だというように聞いておりました。
鍛冶良作
229
○
鍛冶委員長
高橋氏も入
つて
おりますか、入
つて
おらなか
つたの
でありますか、あまりあなたの社の方に……。
板垣茂
230
○
板垣證人
これははつきりわかりません。
鍛冶良作
231
○
鍛冶委員長
共産党懸
委員長
徳毛……。
板垣茂
232
○
板垣證人
徳毛氏はほとんど
工場
には來られなか
つた
だろうと思いますが、これもどうか存じません。
鍛冶良作
233
○
鍛冶委員長
大会で演説や
つた
とかいうことは存じませんか。
板垣茂
234
○
板垣證人
組合
の方の大会にはわれわれ出たことはありませんし……。
鍛冶良作
235
○
鍛冶委員長
春日氏は何か変各で來てお
つた
といううわさがあるそうですが。
板垣茂
236
○
板垣證人
何か私もうわさですがそういうことを聞きました。
鍛冶良作
237
○
鍛冶委員長
何と変名して来てお
つた
か聞きませんか。
板垣茂
238
○
板垣證人
そういうことは存じません。
鍛冶良作
239
○
鍛冶委員長
さらにその大会から続いてデモに移
つた
ようですが、そのデモの大きなもので御承知のものをお聞きしたい。
板垣茂
240
○
板垣證人
デモの大きなものは大体懸廳には非常に頻繁に行
つて
おりましたし、懸廳と警察、市役所、檢察廳にもかなり
行つた
ようでした。一番大きなのは懸廳、警察、市役所
関係
だと思います。市役所の中に警察局がありましたから……。
鍛冶良作
241
○
鍛冶委員長
それについて向うに行
つて
からの様子は御承知になりませんか。
板垣茂
242
○
板垣證人
それはやはり新聞で見た程度で、私は実際のところは何も見ておりません。ただデモの行進の状況はときどき自動車ですれ違
つた
りして見たことはありますけれ
ども
、十八日、九日以後のデモは私の見た範囲においては前の方の三分の一、うしろの方のごくわずかというのが本当のデモのようでありまして、まん中を歩いておるのは私の方の者で、腰に弁当をぶら下げた本当に意気消沈したようなかつこうをして歩いているのが本当の私のところの
従業員
だ
つた
と思
つて
、その
人たち
を見て一日も早くこれは
工場
を再開しなければならぬということを
考え
た。
鍛冶良作
243
○
鍛冶委員長
あと
さきはさまれて動いておるわけですか。
板垣茂
244
○
板垣證人
ええ。
鍛冶良作
245
○
鍛冶委員長
幾日くらいそういう騒ぎは続きましたか。
板垣茂
246
○
板垣證人
デモを盛んにや
つて
動いたのは七月三日ぐらいまでと思います。
鍛冶良作
247
○
鍛冶委員長
たいてい毎日や
つて
おるのですか。
板垣茂
248
○
板垣證人
六月の末には、二十六日ぐらいから、もう休ませろという声が出たとかいうことで、半分ずつ三日ずつ休むというようなことを
言つて
いたようでした。そのころにはもうかり出しても大分集ま
つて
來ないというような
状態
であ
つた
ように聞いております。
鍛冶良作
249
○
鍛冶委員長
七月三日ぐらいまで続いたのですか。弱くな
つて
も……。
板垣茂
250
○
板垣證人
はあ。
鍛冶良作
251
○
鍛冶委員長
そのような騒ぎをしたとすれば、廣島市民は非常な不安にかられたものじやないのですか、その点はいかがですか。
板垣茂
252
○
板垣證人
たしかにそうだと思います。不安にかられて、新聞の投書欄にもいろいろ出ているのですが、少くとも白晝警察署の窓ガラスをぶちこわされて、現行犯をつかまえることができないというようなこともありましたし、それからこれは新聞が少し大げさに書いているかもしれませんけれ
ども
、市の警察局長が大衆の前にひつぱり出されて、頭をなぐられたというようなこともあるので、これはどういうことになるのかというので、市民、懸民にも非常な不安を與えたと思います。
鍛冶良作
253
○
鍛冶委員長
そのほかこれらの
運動
をして歩いた人心が、八月革命とかいうことを宣傳して歩いたということを聞いておりますが、その点はお聞きになりましたか。
板垣茂
254
○
板垣證人
玄関の前に土げざして尋問を受けたときに、そういうことをいろいろ教えてもらいました。
鍛冶良作
255
○
鍛冶委員長
どういうことを言いましたか。
板垣茂
256
○
板垣證人
先ほど
ちよ
つと申し上げましたけれど、どうせ二箇月もすれば
工場
の
経営
はおれたちがやるんだ。そのときお前はすぐ首は切られる。それで一緒にやろう、ついて来いというようなことを……。
鍛冶良作
257
○
鍛冶委員長
われわれが
工場
を
経営
するという上に、もつと政治的に何か革命……。
板垣茂
258
○
板垣證人
そういうことですな。
鍛冶良作
259
○
鍛冶委員長
市中でもそういうことを言いふらして歩いた者があるのじやないか。
板垣茂
260
○
板垣證人
町の方はことに激しか
つた
ようですが、船越、海田の
家族会
議あたりでは、それは盛んに宣傳したようです。
鍛冶良作
261
○
鍛冶委員長
そこでこの
争議
をここまで持
つて
來たのは、一体どういう勢力で……。これはあなたの方の
工場
だけでないとおつしやいましたが、それらはいろいろの方面を総合して、どういう勢力がここまで持
つて
來たものだとごらんにな
つて
おりますか。
板垣茂
262
○
板垣證人
大体この
争議
の
もと
は、六月二日に、先ほど申しましたように、
会社
が発表したことから始ま
つた
わけです。それから六月四日の中國新聞、これはのちの共同闘争
委員会
の
委員長
のおられる新聞ですが、それに地域人民闘争を行うとともに云々という記事が載
つて
いるわけなんです。この地域人民闘争というのは、一体何かということは私は知らなか
つたの
ですが、その後にいろいろ起
つて
來るもの、それからそれが権力闘争であ
つて
、町村
会議
員をおどし上げたり、それから地方権力をおどし上げたり、こういう姿にな
つて
現われて来たわけです。それから六月四日にこういうことを予言したというのはどういう意味なのかという問題と、それからそのほか六月五日には夕刊廣島の記事で、廣島地方
会議
吉田書記長談として載
つて
いる中に、反動政府は警察の暴力を前面に押し出して
首切り
、低賃金はますますひどくなるであろう、こういうようなことを言われているのですが、この吉田書記長という方も後には私の方の共同闘争
委員会
の副
委員長
にな
つて
おられます。このときにやはり警察の暴力云々ということを予言しておられる。それが十日の後にそんなような姿にな
つて
現われて來た、これが一脈相通ずるものがあ
つて
、この方々が
——
これは想像になりますけれ
ども
、そういうことを
言つて
おられる一連の
人たち
が結局やられたことだと思う。
鍛冶良作
263
○
鍛冶委員長
それは政党的にはどういう人です。
板垣茂
264
○
板垣證人
まず日本共産党の方だと思います。
鍛冶良作
265
○
鍛冶委員長
今あげられたような人人はすべて共産党ですか。
板垣茂
266
○
板垣證人
そういうふうに聞しております。
鍛冶良作
267
○
鍛冶委員長
現在は廣島は相当に平静になりましたか。
板垣茂
268
○
板垣證人
少くとも私の方の
工場
は平静になりました。
鍛冶良作
269
○
鍛冶委員長
あなたの方は
工場
はいつから再開しました。
板垣茂
270
○
板垣證人
七月十三日に再開しました。
鍛冶良作
271
○
鍛冶委員長
どういう経緯から再開するようになりました。
板垣茂
272
○
板垣證人
七月三日に第二
組合
が名乘りをあげまして、七月の八日に第一回の團体
交渉
を開きまして、その團体
交渉
の
最初
が
工場
再開という問題だけで、それから連日團体
交渉
を開いておるのですが、結局われわれとしてもその
従業員
のために、
工場
閉鎖中は生活を
考え
ると、一日も早く開いてあげなければならないと
考え
る。しかし今開くことによ
つて
また賠償施設の保全ができないということと、それから流血の惨が起るだろうということで、これはまた四囲の
情勢
から見て、それを保護してもらうだけの警察力に動いてもらうわけには行かない、そうな
つて
來ると、これはそういう危険のなくなるまではどうしても
工場
再開ということはできないだろうというふうに
考え
ておりましたけれ
ども
、第二
組合
が七月三百に約二百二十名ぐらいの人数で名乘りをあげて第一回の團体
交渉
を開き、八日にはすでに八百幾らという数をすでにと
つて
いる。日々非常な勢いで大きくな
つて
、結局四分の三以上の勢力を占めてしま
つた
。それで
工場
再開した曉には、賠償施設の保全はきつとわれわれの力でや
つて
みせる。それから流血の惨というようなことも必ず防いでみせる、われわれが
責任
を負
つて
やるからというような意気込みを示し、われわれはもう
争議
をしようという腹はない、閉鎖しておく理由はないじやないかということを言われて、確かにそうである。一方全金の方の
組合
の様子を見ていて、まずそのころには大分人数も少くなるし、
外部
の應援もほとんどなくな
つて
しま
つた
。それでこれは少々の犠牲は拂
つて
も、第二
組合
の熱意に動かされて、
工場
再開をせざるを得ないという決意をいたしまして、七月十三日に再開した。一方地労委が十二日からあつせんに來てくれまして、それで十三日には
ちよ
うど再開するということを地労委にも申しました。地労委といたしましては、それから懸知事も間に入
つて
いそれまや
つて
くださ
つて
いた
関係
で、何とか
解雇者
も一應入れてや
つて
くれないか、それは
工場
の中へ入れなくてもいいからどこか一定の地域を限
つて
入れてほしい。それは第一
組合
の方なんですが、第一
組合
がその約束を守れるならば、流血の惨を起らなければ私ど
もと
してはそれに越したことはないということから、
工場
再開は第二
組合
の熱意で決意をしたのです。そして地労委のあつせんによ
つて
解雇者
もと
にかく三日間だけ定の地域を限
つて
入れるということにして、
工場
を十三日に再開いたしました。十四、十五の二日は
解雇者
は、一定の地域といいましたけれ
ども
私物の
整理
その他があるので、
工場
に入れて私物の
整理
をさせました。引続いて六日間ばかり
解雇者
も入れて
——
これは
組合
事務所
だけということで入れて、午前中だけぐらい入
つて
いましたが、だんだん日に日に減
つて
行
つて
しま
つて
、
最後
には五十名ぐらいしか出て來ないという
状態
になりました。それで
仕事
の方は從
つて
十四、十五は
解雇者
が入
つて
工場
にいるものですから
仕事
はできませんでしたが、十六日から全面的に
工場
は操業しておるわけであります。
鍛冶良作
273
○
鍛冶委員長
現在は見通しがついたわけですね。
板垣茂
274
○
板垣證人
はあ。全部現在は
——
第二
組合
とは先月の二十八日それから第一
組合
とは三十日に調印を終りまして、すべて
争議
は
解決
したという形にな
つて
おります。
鍛冶良作
275
○
鍛冶委員長
解雇についての処分も……。
板垣茂
276
○
板垣證人
ええ、全部できました。
鍛冶良作
277
○
鍛冶委員長
ほかに何かありますか。
吉武恵市
278
○吉武
委員
大体
証人
から承りましたので日鋼
事件
の全貌はわか
つて
参りましたが、大事な点をもう一度はつきりお聞きしてみたいと思います。例の人民裁判の問題ですが、人民裁判にかけられました方はあなたほか何人でございましたか。
板垣茂
279
○
板垣證人
玄関前の
廣場
で土下坐してやられたのが十二名でございます。
吉武恵市
280
○吉武
委員
名前をもし御記憶でしたら
——
よろしい、職名と両方ほしいですから、
あと
でその書類をいただきたい。それから人民裁判にかけられました時刻ですが、十二日は朝の何時ごろから夜の何時ごろまでありましたか。
板垣茂
281
○
板垣證人
十二日に私が出ましたのは午後の一時ごろです。それから翌朝の六時までです。
吉武恵市
282
○吉武
委員
あなたがかけられました前に、すでに人民裁判にかか
つて
いた人はありませんか。
板垣茂
283
○
板垣證人
私が一等先でありました。
吉武恵市
284
○吉武
委員
前日はあ
つた
けれ
ども
、その日はあなたが一番先。
板垣茂
285
○
板垣證人
そうです。
吉武恵市
286
○吉武
委員
その問受けられました暴行、脅迫の極端な点を伺いたいのですが、あなたは大分御遠慮にな
つて
表現されているようですけれ
ども
、私
ども
承
つたの
では日中にそこで入り
かわり立
ちかわり裁判を受ける。それで苦しくな
つて
日陰に
ちよ
つと入れてくれないかと
言つて
申し出たのに対して、なまいきなことを言うな、お前たちかぜを引くよりこの方がいいのだと
言つて
むりやりにひつぱり出したということですが……。
板垣茂
287
○
板垣證人
そういうこともありました。ことにばくちの常習の
人間
だとか、それから
会社
に入
つて
来る前身が博徒の子分であ
つた
というような連中がまわりについておりましたから、それでほとんどわれわれ坐
つて
おりまして、西日だんだん廻
つて
参りまして帽子をかぶ
つて
いないところに普段日なたに出ていない
人間
が出たわけですから、それで卒倒した
人間
も出たのだと思います。日陰の方へと体をずらそうとすると、体に密落しているものですから、きさまかぜを引くよりも日なたがいいだろうからもつと暖いところに出ろというようなことで押し出されました。
吉武恵市
288
○吉武
委員
それ以外に手にかけてなぐ
つた
ようなことはございませんか。
板垣茂
289
○
板垣證人
それは私の見た範囲では総務部長が押し出されて來たときにいきなり一人飛び出して来て、総務部長の頭をなぐ
つて
ぱつと隠れたのがおりましたが、それがだれであ
つた
かはつきり覚えておりません。覚えてないというよりも顔を見落しました。
吉武恵市
290
○吉武
委員
その人民裁判にかか
つて
倒れられた方は結局何人ですか。
板垣茂
291
○
板垣證人
下に出たのが五人、上で一人と思いますが……。
吉武恵市
292
○吉武
委員
そうして倒れたときにそれをどこかに運んで治療しようというのを妨げようとしたことはございませんか。
板垣茂
293
○
板垣證人
妨げようとしたことはございません。ただ医者が、普通であ
つた
ならば
工場
の構内におる医者ですから、私が呼んでたいがい十分か十五分で來られる範囲のところが、そのときは一時間ぐらいた
つて
からやつと來てくれた、連絡がつかなか
つた
ためだと思います。
吉武恵市
294
○吉武
委員
それから人民裁判に出るまでの
関係
は、やはり腕力によ
つて
押し出したというように開いてよろしゆうございますね。
板垣茂
295
○
板垣證人
そうです。
吉武恵市
296
○吉武
委員
あなた自身はどうですか。腕力によ
つて
つき出された。
板垣茂
297
○
板垣證人
そうです。、
吉武恵市
298
○吉武
委員
それからその、今の
組合
の首謀者と思われる人は、先ほど
委員長
の
質問
に対してお答えがあ
つた
ようですが、大体共産党員であると聞いてよろしゆうございますか。
板垣茂
299
○
板垣證人
大体この
争議
を指導した人はそうだと私は
考え
ております。
吉武恵市
300
○吉武
委員
その実際の人民裁判にかか
つた
ときに腕力沙汰でや
つた
というのは、今博徒だとかなんとかいうようなお話を聞いてみますと、それは
組合員
なんですか、
外部
から連れて來た……。
板垣茂
301
○
板垣證人
組合員
です。
吉武恵市
302
○吉武
委員
それからあなたの
組合
に第二
組合
ができたそうですが、そうしますと第一
組合
の当時は大体どの
組合
に参加しておられましたか。
板垣茂
303
○
板垣證人
産別の全金属です。
吉武恵市
304
○吉武
委員
そうすると大体共産糸によ
つて
指導されてお
つた
組合
ですね。
板垣茂
305
○
板垣證人
と私は
考え
ております。
吉武恵市
306
○吉武
委員
次にもう
一つ
お聞きしたいのですが、あなたのそういう共産系に指導されてお
つた
組合
ですが、今度の六月の
事件
の前までにそういう暴行なんかに訴えた行為がございましたか。特に六月にそういう行為が顕著に
なつ
たか。
板垣茂
307
○
板垣證人
その前には私の承知しておる制囲では暴力行為というものはなか
つた
。
吉武恵市
308
○吉武
委員
そうすると先般の福島
事件
の廣田
工場
においても同様六月に特に顕著な現象としてそういう暴行が行われておる。あなたの
工場
も同じような状況だ、こういうふうに承知してよいわけですね
——
それから
整理
は大体完了したのですか。それともそのままうやむやにな
つて
現在や
つて
おりますか。
板垣茂
309
○
板垣證人
整理
は完了いたしました。
吉武恵市
310
○吉武
委員
それから第一
組合
と第二
組合
と二つあるようですが、第二
組合
は今何人くらいおりますか。
板垣茂
311
○
板垣證人
第一
組合
は新しい
労働組合法
を先ほ
ども
申しましたようにネグレクトしてかか
つて
おりますから、結局それで新しい
労働組合法
でいう非
組合員
まで数に入れておると思うのです。それで第一
組合
に名簿を出せと
言つて
も出して参りませんので、はつきりした数は何人と
考え
ておるかわかりません。第二
組合
は約千百名。
吉武恵市
312
○吉武
委員
それから今残
つて
おる者は全員でどのくらいか。
板垣茂
313
○
板垣證人
全員で千三百五十人です。
吉武恵市
314
○吉武
委員
そうすると第一
組合
に残
つて
おる者は現在職員では二百人ですか。
板垣茂
315
○
板垣證人
その中には部
課長
も入
つて
おりますから、私は第一
組合
と第二
組合
とダブ
つて
入る
人間
がないと
考え
れば百六、七十人のものだと思います。
吉武恵市
316
○吉武
委員
わかりました。そうしますとあなたの六月
事件
で
組合員
及びその家族が何千名も押しかけて、盛んに乱暴な闘争をや
つて
お
つたの
ですが、それが
事件
後において第二
組合
で建設的な
組合
にほとんど大部分が参加しておるという事実を見ますると、その大部分はごく一部の共産党によ
つて
煽動されて、こういう暴行
事件
を働いたと言いますか、参加されてお
つた
。ほんとうに自分の自発的な気持で乗り出したのではないというふうに見られるのですが、それはどうですか。
板垣茂
317
○
板垣證人
私もそういうふうに
考え
ます。
吉武恵市
318
○吉武
委員
今の一般の
組合員
あたりがこほしている言葉というものはどういう言葉があるか、一、二河か御記憶があればお聞きしたいのですが……。
板垣茂
319
○
板垣證人
結局これもうわさで、私直接聞いたわけではありませんが、第一
組合
の執行
委員
に残
つて
おるものが、われわれは初めのときには幾らでも、
最後
まで應援してやるとい
つて
しりをつつかれてや
つて
来た。それでここまで来て振りかえ
つて
みたら、だれもついて來ないじやないか、一体これはだれが
責任
をと
つて
くれるのだとい
つて
、今の新しい執行
委員長
あたりに食
つて
かか
つて
いるというような話も聞いております。結局冷靜に
考え
てみた結果は、いろいろ感情上の融和ができないような点があ
つて
第一
組合
に残
つて
おる
人たち
の大部分でも、やはりそういうふうに
考え
るだろうと思います。
吉武恵市
320
○吉武
委員
そこで先ほどのお話のように、共産系の
組合
ではあ
つた
けれ
ども
、從来そういうふうな態度でなか
つたの
だが、特に最近そういう現象が現われて来た。これは先ほど申しましたような福島懸の
事件
、あるいは東京近辺に行われた各種の
事件
を総合して
考え
ましても、やはり六月前後にそういう同じような形の暴行
事件
が頻発しておるという点から見て、その背後に共産党のどこからかの指令が動いてお
つたの
じやなかろうかという点は、一般に言われておるところですが、あなたの
組合
に共産党の議員連中などが行かれたという事実は、先ほどの
証言
によ
つて
わか
つたの
でありますが、それ以前に何か秘密の指令その他が流れたような形跡はございませんか。
板垣茂
321
○
板垣證人
そういうようなうわさは聞いております。何か日鋼
事件
については五人の人が指導しておいでになるというようなうわさを聞いております。
吉武恵市
322
○吉武
委員
五人というのは、廣島の五人ですか、東京中央の……。
板垣茂
323
○
板垣證人
東京において……。
吉武恵市
324
○吉武
委員
それはどういう名前ですか、大体……。
板垣茂
325
○
板垣證人
名前は存じません。
鍛冶良作
326
○
鍛冶委員長
その五人というのは、さつき言
つた
春日君は入
つて
おりますね。
板垣茂
327
○
板垣證人
人
つて
おります。
鍛冶良作
328
○
鍛冶委員長
次は田中君は……。
板垣茂
329
○
板垣證人
入
つて
おるように聞きました。
鍛冶良作
330
○
鍛冶委員長
加藤君は……。
板垣茂
331
○
板垣證人
入
つて
いないようです。
鍛冶良作
332
○
鍛冶委員長
全逓に
関係
ある土橋君はどうですか。
板垣茂
333
○
板垣證人
入
つて
おるように聞いております。
吉武恵市
334
○吉武
委員
あと
二人。 〔「聽濤君はどうだい」と呼ぶ者あり〕
板垣茂
335
○
板垣證人
ああ、聽濤さん。
吉武恵市
336
○吉武
委員
あと
もう一人はお忘れになりましたか。
鍛冶良作
337
○
鍛冶委員長
伊藤律君じやないですか。
板垣茂
338
○
板垣證人
ああ、伊藤さんが入
つて
おります。
吉武恵市
339
○吉武
委員
それからその
人たち
が日鋼
事件
に対してどういうような方法でやれとか、何か多少示唆を與えたようなものの聞込みはございませんか。
板垣茂
340
○
板垣證人
その内容は知りませんが、今の五人の方が日鋼の担当の方だといううわさを聞いております。
吉武恵市
341
○吉武
委員
わかりました。
鍛冶良作
342
○
鍛冶委員長
ほかにありませんか。
——
大橋君。
大橋武夫
343
○大橋
委員
この共同闘争
委員会
というのは今どういうことになりましたか。
板垣茂
344
○
板垣證人
今もあるのだろうと思いますが、存じません。
大橋武夫
345
○大橋
委員
この
争議
の犠牲者、特に刑事訴追を受けたような
人たち
に対して、共同闘争
委員会
はどういう救援の手を延べておられるか、御承知ありませんか。
板垣茂
346
○
板垣證人
存じません。何かうわさではこういううわさを聞きました。第一
組合
の方が第二
組合
に合流したいのだけれ
ども
合流できない。その理由として刑事訴追を受けている
人間
がある。これを何か法廷闘争をやらなければならぬ。法廷闘争をやるのに金がない。ところが第二
組合
の方は産業破壊分子絶対排撃というスローガンを掲げておりまして、これと一緒に法廷闘争をやることはできない。それで法廷闘争には何かはかの意図も含んでいるかしれませんけれ
ども
、その金が五十万円くらいいるのだということを第一
組合
の幹部は、これもうわさですが
言つて
いるそうであります。その金の出所がないので、何か第二
組合
と合流して、第二
組合
から金をひつばり出さすということを
言つて
いるが、第二
組合
はそういう手には乘らないと
言つて
おるというようなうわさは聞いております。
大橋武夫
347
○大橋
委員
そうすると共産党の諸君は、おだてるだけおだてて、
あと
犠牲者は自分で始末しろというまことに冷酷なる態度をと
つて
おられるということになるのですな。
板垣茂
348
○
板垣證人
そうだと思います。
大橋武夫
349
○大橋
委員
これは各地において同様の態度を共産党はと
つて
おられまするから、廣島もまたその例外でないと思います。 それからもう
一つ
伺いたいのですが、この松石寮を占拠されたということをあなたは
言つて
おられますが、これは
会社
で
管理
してお
つた
ものですか。
板垣茂
350
○
板垣證人
そうでございます。
大橋武夫
351
○大橋
委員
管理
の
責任
はどなたにありましたか。
板垣茂
352
○
板垣證人
これは結局
所長
にあると思います。
大橋武夫
353
○大橋
委員
そうしてその占拠に対しては暗黙に承認されたわけですか。
板垣茂
354
○
板垣證人
承認はしておりませんけれ
ども
、追い出す実力は持
つて
いない。
大橋武夫
355
○大橋
委員
だれか番をしておりましたか、どうですか。
板垣茂
356
○
板垣證人
番とい
つて
そこに住人はいるのですから、その中の者が大体
管理
をや
つて
いる。その者も
組合員
ですから……。
大橋武夫
357
○大橋
委員
その
人間
が引入れたわけになりますか。
板垣茂
358
○
板垣證人
引入れたよりは、むしろ押しかけられた方だと思います。退去命令は
最後
には出しましたけれ
ども
、
最初
のころには出しませんでした。
大橋武夫
359
○大橋
委員
それは出したのはいつごろですか。
板垣茂
360
○
板垣證人
出したのは七月の十四日かと思います。
大橋武夫
361
○大橋
委員
それからもう
一つ
、この人民裁判その他の暴行が行われておりまする際に、
組合側
では何か凶器のようなものを示すとか、あるいは用いるとかいうことはございませんでしたか。
板垣茂
362
○
板垣證人
凶器はありませんでしたけれ
ども
、かしの棒みたいなものは持
つて
歩いておりました。
大橋武夫
363
○大橋
委員
投石はどうでしたか。
板垣茂
364
○
板垣證人
投石はその後にはありましたけれ
ども
、十二日から十三日にかけてはありませんでした。
大橋武夫
365
○大橋
委員
それから塀がこわれたようですね。
板垣茂
366
○
板垣證人
はあ。
大橋武夫
367
○大橋
委員
これはいつこわれたのですか。
板垣茂
368
○
板垣證人
十四日、十五日、十六日ぐらいまでたびたびこわれております。
大橋武夫
369
○大橋
委員
設備機械はいかがでしたか。
板垣茂
370
○
板垣證人
設備機械は、現場にあるものの被害はほとんどないと思います。
大橋武夫
371
○大橋
委員
投石をしたりこん棒を持
つた
りしてお
つたの
は、概して
組合員
ですか、それとも部外者ですか。
板垣茂
372
○
板垣證人
一番多か
つたの
は、その暴行、乱暴をしたのが部外者だと思
つて
おります。
大橋武夫
373
○大橋
委員
それで
結論
としてお伺いしたい点は、
外部
の應援というものがなければ、この
争議
はこれほどむちやくちやな暴行
状態
までは至らなか
つた
ろうということをお
考え
にな
つて
おられますか、どうですか。
板垣茂
374
○
板垣證人
そういうふうに確信しております。
大橋武夫
375
○大橋
委員
最後
に、松石寮のモーターが盗まれたというようなことはありませんか。
板垣茂
376
○
板垣證人
これは水洗便所の揚水用の小さなモーターでございますが、それが三個がすでになくな
つて
おるというようなことを……。
大橋武夫
377
○大橋
委員
それは出ましたか。
板垣茂
378
○
板垣證人
まだ出ません。
大橋武夫
379
○大橋
委員
平生
工場
の中の
人たち
は、そういうものを盗んだしする習慣がありますか。
板垣茂
380
○
板垣證人
中にはそうい不心得者もおりますけれ
ども
、あの混乱
状態
で、現にあの松石寮を占拠されておる際に、松石寮というものはわれわれが図面をも
つて
して
もと
にかく千人の
從業員
を収容する建物ですから、それが碁盤の目のように廊下がついております。それで自分が一体建物のどこにおるかということは、よほどなれた者でない限りわからない、そういう構造にな
つて
おります。そこで逮捕命令が出て、警察官が何度もあそこに隠れている者を逮捕に
行き
ましても、みんな手放しでもど
つて
来てしまうというような、向うには守るにやすく、攻めるにかたいというような構造にな
つて
おします。それで向うは非常に便利にできておるところへ入
つて
おりましたが、実は一箇月ぐらい
あと
で聞いたのですが、あそこが博徒の巣窟にな
つて
お
つて
、警察官は來ない、絶対に安全だというので、松石寮が賭博場にな
つて
おります。
大橋武夫
381
○大橋
委員
そうすると、その賭博の寺銭なんかは共産党の收入にな
つて
いるんですか。
板垣茂
382
○
板垣證人
それはどうですか知りません。
塚原俊郎
383
○塚原
委員
守衛長が
組合員
と衝突したのは十二日ですか。
板垣茂
384
○
板垣證人
そうでございます。
塚原俊郎
385
○塚原
委員
そのころから、十一日ごろから友誼團体の指導者がどんどん侵入して来たというふうに聞いておるのですが、守衛の任務というものはまるで喪失した。從
つて
だれでも入れるようにな
つて
しま
つた
。あなたの方の
工場
は、入場するのに非常な制限があると聞いておるのですが、はたしてこの十一日から
外部
の者がどんどん無断で入
つて
来たのか、あるいはそれ以前にも、厳重な規定があるにもかかわらず
会社
に入
つて
お
つた
というような事実はございませんか。
板垣茂
386
○
板垣證人
規定が非常にやかましくしてありますので、みんな入
つて
來る者には
署名
をさせて入れております。
外部
の方は……。それで特に夜陰に乘じて塀を乗り越えたとか何とかして入
つたの
は別でございますけれ
ども
、そう十三日以前には部外者が無制限に入
つた
ということは私は
考え
ておりません。ただこの
争議
の應援のために來られた人で入
つた
きり出ない人があるのです。これは泊り込んでいたんだと思います。のちのちの日かでおりましたから……。
塚原俊郎
387
○塚原
委員
会社
以外の者が應援に來られた。その方をどうして入れられたのですか。守衛はそれを拒むでしよう。
板垣茂
388
○
板垣證人
これは
組合
事務所
まで連絡に行くんだということで、
組合
事務所
までという約束で入れました。
塚原俊郎
389
○塚原
委員
しかしあの門は
許可
を得た人から入れて行くんじやないんですか。
板垣茂
390
○
板垣證人
そうです。
塚原俊郎
391
○塚原
委員
そうするとその門は入れないわけじやないんですか。
板垣茂
392
○
板垣證人
平時にこの
争議
の始まる前までは、
軍政部
並びに懸の賠償課と話合いをつけまして、たとえば日常出入りします商人であるとか、お得意さんであるとか、こういう人は始終参りますから、これを一々
許可
を得ていたのでは非常に事務が煩雑になりますので、そういう人は特に
許可
をしてもら
つて
、
所長
限りで入れさしてもら
つて
おりました。通行証も出してはおりますけれ
ども
……。
塚原俊郎
393
○塚原
委員
そうすると、十一日の前は、守衛の任務というものは完全に全うされてお
つたの
ですね。
板垣茂
394
○
板垣證人
しておりました。
塚原俊郎
395
○塚原
委員
脅迫その他の事実によ
つて
むり押しして入
つた
ということはこの前はあまりないですね。
板垣茂
396
○
板垣證人
ありません。
塚原俊郎
397
○塚原
委員
それから林春一という方が
委員長
になられたのは、昨年の何月ですか。
板垣茂
398
○
板垣證人
昨年の十月くらいかと思います。
塚原俊郎
399
○塚原
委員
今度の五月の第五國会に労働法の改正問題がかかりましたときに、全金属の指令によりあなたの方の
組合
も何か一應の騒ぎをやろうという態勢を示したということを聞いておりますが……。
板垣茂
400
○
板垣證人
あれは二時間ストをやりました。それでこれはストであるからとい
つて
、いろいろこれで一もめしたのでありますけれ
ども
、結局彼らは、賃金の
遅配
をや
つて
いたものですから、賃金
遅配
のためにストをや
つたの
で、決して労働法改悪
反対
のためにストをや
つたの
ではないと
言つて
逃げました。
塚原俊郎
401
○塚原
委員
そのころは、大体先ほどの吉武
委員
の御
質問
でもわか
つたの
でありますが、あなたの方の
組合
というものは非常に穏健な
組合
で、林という人が
委員長
にな
つて
から、逐次左旋回をして來ている。五月のときにもそれほど大したことはなか
つた
というふうに了承していいのですか。
板垣茂
402
○
板垣證人
大体林が
組合長
にな
つたの
は十月と申しましたが、その前に八月ころに私の方で
組合
が何かひとつ討論会みたいなことをや
つて
、そのときに共産党員の
人たち
がほんとうに名乘りをあげて、そのときにほんとうに
組合
の性格が一変したということをある
組合員
は
言つて
おります。
塚原俊郎
403
○塚原
委員
進駐軍の
質問
に対して、六月十二日ですか、これはストである、十三日はストと言いかけて、休日であると言われたのでありますが、その間において、無記名投票というものは全然用いず、全部拍手によ
つて
これを満場一致とみなしたというふうに答えておりますね。
板垣茂
404
○
板垣證人
そうです。
塚原俊郎
405
○塚原
委員
ところがその後七月に入りましてから、七月の三日にまた
職場大会
が開かれておりますね。そのときに基本線の再確認という問題について相当活発な
議論
がかわされたというふうに聞いておるのですが、これを採決するときにも、一部の者は無記名投票を主張したが、大体こういうことをする者は青年行動隊といいますか、こういう者が、発言しようと思うとわきに行
つて
おどかす。相当の脅迫をして、とうとうこれを挙手投票によ
つて
きめてしま
つた
というような事実を聞いておるのですが、間違いありませんか。
板垣茂
406
○
板垣證人
私もそういう話を聞いております。ことにそれは第二
組合
ができましてから、たびたびの團体
交渉
の
休憩
時間などにいろいろ実情を聞いてみますと、すべてそうらしゆうございます。
塚原俊郎
407
○塚原
委員
今あなたがおつしや
つた
第二
組合
というのは、
日鋼廣
島
製作所
労働組合
にな
つて
いるのですね。
板垣茂
408
○
板垣證人
そうでございます。
塚原俊郎
409
○塚原
委員
今これは千名くらいにな
つて
おるのですか。
板垣茂
410
○
板垣證人
千百名くらいと思います。あるいは二、三十名それより少いかもしれませんが、千百名くらいと聞いております。
塚原俊郎
411
○塚原
委員
この連中は、
最初
百六十名くらいが蹶起して、今までの林春一君なんかの一派の者のや
つて
おるやり方というものは、ことごとにわれわれは乏しきに耐えて行こう、八月、九月までがんばろう、そうすると暴力革命は達成するんだというようなことばかり述べまして、経済闘争から政治闘争に持
つて
行こうというのに非常な不満を覚えて、この百六十名が蹶起して、逐次これに対する参加者が出て来た、その間にこの百六十名に同調して集ま
つて
來る者に対して相当の暴力、脅迫、威嚇が行われたということを開いておるのですが、
証人
はそういうことを開いたことがございますか。
板垣茂
412
○
板垣證人
それはいろいろ実際もありましたし、それから宣傳においても非常に惡疎な、その宣傳も普通のビラを出すとかなんとかいう宣傳でなく、ほんとうにまことしやかな、耳から耳に傳わるような宣傳をされて大分それで恐れをなした
人間
もあるようです。
塚原俊郎
413
○塚原
委員
それからあなたのところに黒神という方はおりますか。
板垣茂
414
○
板垣證人
おります。
塚原俊郎
415
○塚原
委員
これはどういう方ですか。
板垣茂
416
○
板垣證人
これは昨年の四月か五月に私の方の
工場
に入
つて
來た者ですが、その前は日本共産党廣島懸支部というのか本部というのが八丁堀というところにありまして、そこに六箇月常駐の
責任
者の最右翼の方だ
つた
そうです。その前は三菱造船にいた。それで三菱造船は二週間以上無届欠勤というので解雇にな
つて
いるのですが、私の方に入
つて
來るときの履歴書では、戦争に行
つて
、帰
つて
來て百姓をや
つて
いたということにな
つて
おります。
塚原俊郎
417
○塚原
委員
どうも
会社
は非常にうかつだ
つた
と思うのですが、こういう札つきを入れて、しかもこれが中心人物にな
つて
動いている。それから私は現地に
行き
まして
組合
の方にお会いしましたが、入
つて
わずか一年や半年くらいの者が、
会社
のことはわからないで勝手なことを
言つて
おるというような印象を深くして來たのですが、どうも
経営者
側もそういう点においては少し欠けるところがあ
つたの
ではないかと思うのです。そんなことは余談ですが、それから先ほど十五日から十七日の間に警察官が相対峙して、警察がうまい処置をと
つて
、うまくこれを撃退したという話がありまして、
組合側
ではこのときに何名死者、三百何名負傷というような誇大な発表をしておるということを申されましたが、これは私は現地に行
つて
よく調べて参りまして、実際小さなけがをした者で病院で治療を受けた者は三十名か二十九名と聞いております。しかもこれは擦過傷程度のものであ
つて
、何ら苦痛を覚えるものではない。彼らはけがをするとすぐ病院へ行
つて
医者の手当を受けたようなかつこうをすることがすきですから、それをむりに行
つて
や
つたの
が三十名か二十九名、これが実際であると私は確信しております。しかも担架に乗せて町の中を連れて歩いたというのは、日射病か何かで倒れた者を、それつというわけで担架に乘せて、むしろをかぶせて、死んだ死んだ、暴行によ
つて
死んだんだというようなことで町中をねり歩く、乘
つて
おる本人はだんだん元気にな
つて
來て、どうもうちへ早く帰りたいが、死んだんだから黙
つて
おれということで、家族の者はおろおろしながらその
あと
をつけて歩くというような、われわれの想像もできないようなことをや
つた
と聞いておるのですが、
証人
はそういうことはお認めになりませんか。
板垣茂
418
○
板垣證人
町の方のことは存じませんけれ
ども
、担架が出て
行つたの
をこちらから見ております。私はその当時はあそこに入
つた
らまわりはとりかこまれておりまして、あの
工場
はだだつ廣いことはだだつ廣いのですが、出口を塞がれると表に出ることはできないのです。
鍛冶良作
419
○
鍛冶委員長
高木君簡単に願います。
高木松吉
420
○高木(松)
委員
一点だけ、十二日の二階の
所長
室にお
つた
課長
は
——
営業部長はおりましたね。
板垣茂
421
○
板垣證人
おりました。
高木松吉
422
○高木(松)
委員
資材
課長
がおりましたね。
板垣茂
423
○
板垣證人
おりました。
高木松吉
424
○高木(松)
委員
設計部長がおりましたね。
板垣茂
425
○
板垣證人
おりました。
高木松吉
426
○高木(松)
委員
ほかに四名
課長
がお
つた
ね。
板垣茂
427
○
板垣證人
倉庫
課長
と
秘書課長
とそれから……。
高木松吉
428
○高木(松)
委員
そこであなたは下でいわゆる人民裁判をやられておる。上の人民裁判の様子は、直接見なか
つた
であろうが
あと
で聞いたろうと思う、私の方では比較的はつきりしておるが、香川、池田、黒神というような者がかわるがわる裁判長にな
つて
、その裁判のしぶりは、顔を上げろとか、声が小さいとか、お前の顔は吉田に似ておるではないか、お前は資本家の犬だとか、お前はおしかというようなことをかわるがわる問い詰めて、今回の首切には賛成かどうか、賛成したら承知しないぞ、
反対
だと言えというようなことを言
つた
り、黙
つて
おると、何で黙
つて
おるの、だというようなことを
言つて
、結局
最後
に八月には必ず人民政府ができるのだから、お前たち人民政府ができたら絞首台にのつけて
最後
の
結論
をつけるのだと、そういうことを言
つた
人がおるのですが、あなたの耳には入りませんか。あなたは二階のことだからわからなか
つた
ろうが、そういうようなことを
言つて
人民裁判にかけたということはお聞きになりませんでしたか。
板垣茂
429
○
板垣證人
聞いております。
高木松吉
430
○高木(松)
委員
その通りですね。
板垣茂
431
○
板垣證人
はい。
高木松吉
432
○高木(松)
委員
下でも当然その通りじやないですか。
板垣茂
433
○
板垣證人
下でもそれに類するようなことは
言つて
おります。ナホトカに連れて行
つて
重労働にしてやるとかいうようなことは
言つて
おりました。
宇田恒
434
○
宇田
委員
第一に日鋼
争議
の新聞記事の問題に関してお伺いしたい。御承知のごとく廣島地方では中國新聞と夕刊廣島、これが地方新聞として特別に大きな新聞です。中國新聞の福永記者と私との対談で、福永記者の言明によりますと、たしか十五日と思
つて
おりますが、オート三輪車で
争議
のある
本社
に向
つて
行つた
。入
つて
行くと福永記者の前に中國新聞の記者と、この反動記者めが、と
言つて
、オート三輪を皆して手をかけてひつくり返したということをまず第一に私に言明いたしておる。そこでその問題はなぜそういう話が出たかと申しますと、その後のいわゆる知事に対して、懸廳を中心として行われましたデモンストレーシヨンでありますが、それが私の目で見ると大体五百名くらいと
考え
ておりますのが、翌日の新聞記事に二千名と書いてある。しかしそれには括孤して、但しこれは主催者の発表だという註釈がつけてある。そこで私は福永君に、君、きのうは自分も行
つて
みたんだが、五百名くらいしかいなか
つたの
に、なぜ二千名と書いたのかと言
つた
ら、いや、ああ書かないとやられるのだということをはつきり申した。つまりオート三輪を記者が乗
つて
おるままでひつくり返し、さらにそういうような共産党員と申しますか兇徒と申しますか、
争議
團本部の方から牽制されて心にもない
数字
を、但し主催者発表と註釈は書いてありますが、そういうふうに新聞社が牽制された。さらに夕刊廣島の、たしか吉井という、私懸会にお
つた
時代から詳しいのでありますが、その人から、何しろ共産党の勢力が強いので私ら非常に困るんだということを言明いたした。そこで私の
証人
にお伺いしたいのは、この日鋼
争議
について新聞記事が歪められた
——
著しくでもあるいは若干でもいいのでありますが、あなたのお
考え
にな
つて
おる通りの、あなたが実際に感じられた、あるいは見られた通りの新聞記事が出ておるか、あるいは非常にゆがめられた記事が出たかということを具体的にお伺いしたい。
板垣茂
435
○
板垣證人
新聞記事につきましては日々非常に注意をも
つて
見ておりましたですが、御説の通りま
つた
くゆがめられた記事が多くてわれわれ非常に迷惑したのであります。ことに夕刊廣島という新聞には絶対これは私
ども
は相手にしないというまで
考え
たくらいうそつぱちを書かれて困
つたの
であります。大体これはどういう原因かわかりませんけれ
ども
、夕刊廣島はことに全金に都合のいいようなことのみ書かれ、
会社側
の言
つた
ことはあまり都合のいいことは書いてなか
つた
ということを見聞きしております。
宇田恒
436
○
宇田
委員
具体的なものがあれば……。
板垣茂
437
○
板垣證人
具体的なものど申しまして、実は私これは切抜いてはらせまして一通り目を通して來ようと思
つて
、とうとう暇がなくて通しておりませんが、準備がはなはだ十分にできておりませんので、しどろもどろであります。
宇田恒
438
○
宇田
委員
原則として、中國新聞あるいは夕刊廣島とい
つた
新聞記事が著しくゆがめられた報道をしたということは確認されますね。
板垣茂
439
○
板垣證人
いたします。
宇田恒
440
○
宇田
委員
それでは次にお伺いいたしますが、檜山という民自党の廣島懸支部の幹事長
——
これは
本社
のある町に住んでおるわけですが、いわゆる
争議
團のデモンストレーシヨンが邸を中心にして行われて、
代表
が應接間に乗り込んで來た、幹事長は何か公用で出てお
つた
そうでありますが、その留守宅を非常な暴言を吐いて恐喝したということを聞いておるのでありますが、
証人
はそういうことを御承知ですか。
板垣茂
441
○
板垣證人
何か檜山さんの屋敷垣根をこわしたとかいうことを聞いております。
宇田恒
442
○
宇田
委員
さらにお伺いしたいのは、附近の五箇町村の町村長さんのお宅に
争議
團の方が執拗に行
つて
、早くお前らの
責任
で
解決
しろということをたびたび強要したということをお認めになりますか。
板垣茂
443
○
板垣證人
開いております。
宇田恒
444
○
宇田
委員
五箇町村というとどういうことになりますか。
板垣茂
445
○
板垣證人
六箇町村でしよう。海田市、船越、府中、矢野、畑賀、中野であります。
宇田恒
446
○
宇田
委員
もう
一つ
、そういうような町村長の家とか檜山幹事長の家とか、懸廳その他の人民大会に、あらゆる人員が出動を命ぜられた。これはある年寄りの参加者ですが、もうわれわれは大儀なんだ、こんなものは出たくないんだが、
争議
團側からは一日百五十円づつ手当をくれるというし、
会社
の方からは日当がもらえるし、両方からもらえるから、あまり損が行かないからまあついて歩くんだということを言明しておるのですが、そういうことはお聞きになりませんか。
板垣茂
447
○
板垣證人
そういうことを
言つて
來たらしい様子がございます。この会見直前の、
解雇者
を
工場
の
組合
事務所
まで入れたときに、
解雇者
たちが盛んに、百五十円づつ日当を出すと言
つた
じやないか、それを出せというようなことを
組合
の執行
委員
の者に責め立てているのを聞きました。
宇田恒
448
○
宇田
委員
そうするとかり出すときには、手当を百五十円出すと
言つて
かり出して、現在では結局うそを
言つて
ほ
つた
らかしたということになりますね。
板垣茂
449
○
板垣證人
そういうことになると思います。
聽濤克巳
450
○聽濤
委員
どうも本人の知らぬうちに自分の名前が出ておるのですが、今日鋼
争議
について東京の共産党で、五人
争議
の指導の担当をや
つて
いる。春日、田中、土橋、伊藤律、私というような名前が出ているのですが、あなたはそういうことを言われるぐらいなら、何か根拠があ
つて
言われておると思いますが、それはどういう根拠から……。
板垣茂
451
○
板垣證人
私は根拠があると申しておりません。
聽濤克巳
452
○聽濤
委員
だれからお聞きにな
つて
いるのですか。
板垣茂
453
○
板垣證人
だれということなく、いろいろな人に会
つて
いるうちに、そういうようなことを二、三の人から伺
つた
わけであります。
聽濤克巳
454
○聽濤
委員
そうしますと、そのうちだれか一人か二人でも覚えておりませんか。
板垣茂
455
○
板垣證人
覚えておりません。
聽濤克巳
456
○聽濤
委員
どうもあいまいですが、それではいろいろの人というのは、どういう種類の人ですか。
板垣茂
457
○
板垣證人
争議
期間中いろいろな方にお目にかか
つて
、御声援をいただいている方もありますし、罵倒された方もありますので、そのうちのどういう方でしたか、覚えておりません。
聽濤克巳
458
○聽濤
委員
声援している人もあり、罵倒している人もあると言うのですが、どつちの側ですか。
板垣茂
459
○
板垣證人
両方にまたが
つて
いたと思います。
聽濤克巳
460
○聽濤
委員
私はこれ以上追究するわけではないけれ
ども
、あなたもこれほどのものを出されたからは、もう少しはつきり、何か根拠のあることを
言つて
いただけませんか。
板垣茂
461
○
板垣證人
初めから根拠あることと申しておりません。ただうわさとして申し上げただけです。
聽濤克巳
462
○聽濤
委員
このことはこれ以上聞いても何も出ないから仕方がありませんが、そうしますと、八月革命とか暴力革命というようなうわさも、だれから出たのか、どの方面から出たのか、あなたは何も確実なものは承知していないわけですね。
鍛冶良作
463
○
鍛冶委員長
人民裁判で言うたとさつきから何遍も言われているので、すが……。
聽濤克巳
464
○聽濤
委員
ほかにいろいろ聞きたいのですが、また
あと
神山君が控えておりますから、前の方を
ちよ
つとお尋ねしたいと思います。これはあなたに御確認しておいていただきたいと思うのですが、大体今度のああいう
争議
になりますまでの
組合
との
関係
などの重要な日付ですが、たとえばいよいよ團体
協約
、
労働協約
——
これはもう
協約
がなく
なつ
たと
会社側
が声明したのは五月二十五日ですね。
板垣茂
465
○
板垣證人
そうでございます。
聽濤克巳
466
○聽濤
委員
それから
会社側
の方で、
企業
整備の再建案
——
これは労働者にとりましては
首切り
案になりますが、これを出されたのが六月二日ですね。
板垣茂
467
○
板垣證人
そうです。
聽濤克巳
468
○聽濤
委員
それからこれに対し
組合側
が、
組合
の再建案というものを出したのが六月九日……。
板垣茂
469
○
板垣證人
八日の午後です。
聽濤克巳
470
○聽濤
委員
それからその方の話も結局だめにな
つて
、
会社
の方でとにかく
会社案
を実力をも
つて
行使をすると宣言したというのか。
板垣茂
471
○
板垣證人
実力行使をするとは申しませんけれ
ども
……。六月の九日に
会社
の方でやらしてもらうとまず一應
言つて
、それで十日になおまた会
つて
、そのときにはいよいよやらしてもらうと言い、
希望退職者
をまず募るということを言いました。それで実際に
解雇通知
を出したのは十一日です。
聽濤克巳
472
○聽濤
委員
そうすると、事実上九日というところでいろいろな
交渉
がすべて切れてこれで
最後
の決裂
状態
の時期が來たわけですね。
板垣茂
473
○
板垣證人
そうです。
聽濤克巳
474
○聽濤
委員
大体ずつと見ましても、今度の
争議
に対する系統的な足取りと申しますか、
交渉
の
あと
がはつきり出ると思うのです。第一五月二十五日から六月二日
——
一週間もたつかたたないうちに
首切り
案が出ております。それからそれについてすでに團体
交渉
の
最後
の決裂の時期が來ておる。こういうところで、しかも内容にな
つて
おるのが七百人という大量
首切り
でありますが、ここで
会社
の方でこの数百人に達する
首切り
を一回にやる。これは今日の
情勢
で首を切られる者にとりましては、たいへんな事柄でありますから、これはどうしても簡単に收まるまいということは当然お
考え
に
なつ
たろうと思うのですが、いかがでございましよう。こういう
最後
の決裂
状態
に
なつ
たときに……。
板垣茂
475
○
板垣證人
それですから、
組合
には愼重に
協議
をしたいということで、その機会は十分に持
つて
くれと
言つたの
ですが、
組合
は結局お説の通りたいへんなことにすることに汲々としたということは、二日にすでに午前中で今度の
——
実は想像で人の腹の中まで入
つて
見て來たようなことまで言うようですが、
首切り
絶対
反対
ということだけで、そのほかのことは
会社
との
交渉
の
経過
とか、あるいは
会社
の出した條件とか、
会社
の
説明
した諸種の資料であるとかいうものは、
組合
のごく一部の
代表
の人と私
ども
会
つて
話をしたが、ごく一部の人だけで握りつぶしてお
つて
、それを
一つ
も
組合員
には知らしていない。それで、ただ事事に違
つた
こと、たとえば
退職手当
は一人平均五千円ずつしか出さないのだというような宣傳をして、結局お説のたいへんなことにすることにのみ汲々として、これを円満に收めるように、ほんとうに
眞劍
にな
つて
考え
て、この問題を処置しようという気持の片鱗さえも見られないので、私
ども
はもうこれ以上話をすることはむだたと
考え
たのです。
聽濤克巳
476
○聽濤
委員
ところで、そういたしますると、この
首切り
問題について非常に問題にな
つたの
は、あなたはそういうふうにおつしや
つて
おりますが、まず第一には、
組合
にと
つて
はこの
首切り
の発表される一週間ほど前に無
協約
状態
が宣言されてしま
つて
おる。ところがそれにもかかわらず、
——
これはあなたもさつき
証言
しておられると思うのですが、
就業規則
についてやはり
覚書
をと
つて
——
協約
がなくな
つて
もこれこれのことについては双方
協議
してやるという
覚書
までと
つて
おるそうですが、そういうものまでも無視されておる。こういうふうな中で首を切られると困るということが、根本の問題だ
つたの
じやないでしようか。そこのところが
会社側
と
組合側
とでいくら
言つて
も押問答で話がつかなか
つた
というのが眞相じやないのですか。
板垣茂
477
○
板垣證人
協議
をやるというように今おつしやいましたけれ
ども
、個々の問題について
協議
をするとはうた
つて
ありません。先ほど
委員長
の方に差上げたあの書類に、法令の定むるところによるというふうに約束しております。要するに今度の
協約
の改訂の問題が妥結に至らなか
つた
という問題も、根本的に全金の
組合
が新しい
労働組合法
を全然無視してかかろうというところから出発しておるので、結局その
経営
権と
最後
に対立した五つくらいの
項目
があるのです。その
一つ
に、一番大きな問題だと思いますけれ
ども
、
経営
権と労働権あるいは人事権とい
つた
ようなものも
最後
の決定は
会社
にあるということを全然無視しようという態度、結局それは……。
聽濤克巳
478
○聽濤
委員
それはいいです。わか
つて
います。しかしあなたそうおつしやいますけれ
ども
、新しい労働法というのはこの当時すでにできておりましたか。
板垣茂
479
○
板垣證人
十日から実施されましたけれ
ども
、その前に今年の春にはその行く筋道だけは世の中の人にはわか
つて
いたわけです。
聽濤克巳
480
○聽濤
委員
あなた先ほど御自分でも
委員長
の
質問
に
証言
なさ
つた
と思うのですが、大体
会社側
の
労働協約
案というのは、新しい労働法の草案を
もと
にしてや
つた
。さらに
次官通牒
なんかで第二次の
修正
を引続いてや
つた
と言われておるのですが、しかしこれはまだ
法律
ができていない、また
次官通牒
も労働
運動
の点で問題が起
つて
いた。これは権限もないのにいかにも政令であるかのごとくに出したというので憲法違反の問題も出てお
つた
くらいのものである。そういう中であなたがやられたということは、はなから新しい協定ができないということを予想してつく
つたの
だと私は思う。あなたは新しい労働法を労働者の方は無視しておると言いますけれ
ども
、これは
法律
も何もまだ出ていはしない。これは労働
運動
について非常に大論争のあ
つた
問題です。そういう問題をあなたが言われることは、むしろ
会社
の方は再建案を近く出すための準備としてこの
協約
を事実上破棄してしまう、
争議
の初めからそういう
計画
でなさ
つた
わけじやないのですか。
板垣茂
481
○
板垣證人
いや、そうじやありません。
聽濤克巳
482
○聽濤
委員
五月分の賃金の未拂分というのはどれくらいの額にな
つて
おるのですか。
板垣茂
483
○
板垣證人
いつころでしたか、三分の一はとにかく
給料
日に拂
つたの
です。三分の一を月末に拂
つて
、三分の一を十一日でしたか、それから二十日ごろに三分の一、そのくらいでした。
聽濤克巳
484
○聽濤
委員
五月分の
給料
の千六百万円のうち、未拂い分が千二百万になるというので、この問題と
首切り
問題と合せて
組合
の方が
会社
を相手にして仮処分の申請をしておるということを御存じでございますか。
板垣茂
485
○
板垣證人
そういううわさは聞いております。
聽濤克巳
486
○聽濤
委員
こういう問題がこの
争議
の内容にな
つて
おると私は思うのですが、こういう
状態
で六月の九日には事実上決裂
状態
にな
つて
しま
つた
。そこであなたはいろいろなことが起るだろうと予想されなか
つた
ですか。
板垣茂
487
○
板垣證人
予想はしましたけれ
ども
あんないろいろなことが起るとは思いませんでした。
聽濤克巳
488
○聽濤
委員
あなたの方でそれに対してどういう手をお打ちになりましたか。起るべきいろいろな事柄に対して
会社側
がいろいろ策戰を練
つた
だろうと思いますが、どういう策戰を立てられたのですか。
板垣茂
489
○
板垣證人
いや別に策戰のようなものは立てません。
聽濤克巳
490
○聽濤
委員
ところが五日後の十四日に
工場
閉鎖をや
つた
。これはよく
会社側
が
争議
の戰術としてやるわけですが、このときにもう次の日には警官隊の大量の出動があ
つた
。こういうわけで労働者を
会社
と官憲とが一緒にな
つて
職場
から出してしまえば、労働者は闘うすべも何もない
状態
にな
つて
しまうのです。だからこういうことをや
つて
その
あと
で不法侵入だというので官憲が弾圧して來る、全國いたるところでこういうあれが非常に強く現われている。これはあなたにお聞きすればそんなことはないと言うかもしれないが、大体五月二十五日以後の重要な日付を見ますと、結果において非常にそういう傾向が濃厚なのです。あなた方はそれについて警察側あるいはその他と連絡をとられたようなことはございませんか。
板垣茂
491
○
板垣證人
警察その他と連絡は、十一日からたしか四人の警官が
工場
の中に入
つて
おられたはずです。
聽濤克巳
492
○聽濤
委員
それで
工場
閉鎖前後に起るいろいろな騒動に対して警察と前も
つて
連絡なさ
つた
事実はありませんか。
板垣茂
493
○
板垣證人
ありません。
聽濤克巳
494
○聽濤
委員
多分あなたはそうおつしやるだろうと思いますが、ただ重要なことは、どこでも労働
争議
の場合に行われる
会社側
の手口というのはま
つた
く酷似しておりますので、労働者はこれに対して非常な憤慨と疑惑を持
つて
おると私は思います。これがやはり
争議
のこういうふうな大
事件
にな
つて
來る根本の問題だと思うのです。 もう
一つ
お聞きしたいのは、あなたは人民裁判だとか何とか言われているから、おそらくみな労働者が惑いからこういうことに
なつ
たとおつしやいましようが、しかしこれだけの大
事件
が起
つた
その根本問題は
首切り
問題であ
つて
、これは労働者にと
つて
は命にかかわる問題である、そういうものが原因にな
つて
起り、しかもこういうふうな全体的な大きな問題に
なつ
たことに対しては
会社側
として
責任
をお感じになりませんか。
板垣茂
495
○
板垣證人
会社
としては遺憾に思いますが、これに対して
会社
が
責任
があるとは
考え
ておりません。
聽濤克巳
496
○聽濤
委員
それであなたの態度はよくわかりましたが、そういう態度がかえ
つて
争議
を激発しているのだと思います。 もう
一つ
質問
しておきたいと思いますが、廣島日鋼の
事件
につきまして廣島警察署がつくりました報告書の中にも、廣島日鋼の
会社側
のと
つた
態度には納得ができない云々ということが書いてある。こういうふうに警察にまで批判されているのですが、あの
事件
について
会社
は何の
責任
も感じないというのがあなたの態度ですね。
板垣茂
497
○
板垣證人
その警察というのは、警察のどういう方がおつしや
つたの
ですか。
聽濤克巳
498
○聽濤
委員
廣島の警察局の日鋼
事件
概況の中にある……。
板垣茂
499
○
板垣證人
その警察局にもしそういう御意見があれば私は幾らでもお答えしたいと思
つて
おりますが……。
聽濤克巳
500
○聽濤
委員
そのほか市長、懸知事の態度、その集いろいろあるのですが、
あと
に讓りましよう。
神山茂夫
501
○神山
委員
まずあなたの所の資本構成について一言お聞きしたいと思います。
板垣茂
502
○
板垣證人
資本金は一億二千万、それから祉債は今よく覚えておりません。
神山茂夫
503
○神山
委員
それじやまた
あと
で詳しく適当な機会に調べてもらうことにして、アームストロングとビッカースの資本が入
つて
おることは御承知でしようか。
板垣茂
504
○
板垣證人
これは戰争以前に入
つて
おりましたが、今その大部分は持株
整理
委員会
に行
つて
いると思います。
神山茂夫
505
○神山
委員
今のお答えは、その点だけでいいわけです。戦前には約二十パーセントが入
つて
いたわけであります。その次に製品のおもなものをお尋ねしたい。
板垣茂
506
○
板垣證人
廣島では車両
関係
のものが六、七十パーセントや
つて
おりました。それから山
関係
の炭車であるとか、コンベア、それが十数パーセント。
あと
は
ミシン
であるとか、ミルク・セパレーター、私
ども
の方で商品
関係
と
言つて
いるものであります。
神山茂夫
507
○神山
委員
あなたの今の御
説明
でわかりますように、国鉄と非常に重要な
関係
のある車両が大体六十パーセント。その次に現在の製品の第二次的に重いものは、山に
関係
しているということですね。このあなたの場合、
経営
困難に
なつ
た直接的の大きな原因は國鉄で予算が削られたこと、さらに炭鉱
関係
が全般にわた
つて
危機にあるということが直接の原因じやないですか。
板垣茂
508
○
板垣證人
そうと思います。
神山茂夫
509
○神山
委員
その次にはシャム車両をおやりになりましたね。いつまでにその製品ができ上りましたか。
板垣茂
510
○
板垣證人
あれは五月末納期の
仕事
でした。
神山茂夫
511
○神山
委員
このシャム車両を完成するにあた
つて
は、ずいぶんあなた方にしましても、気合いをかけられて、やられたと思いますが、労働者諸君も一生懸命や
つた
ということを開いておるのですが、どうですか。
板垣茂
512
○
板垣證人
すべて一生懸命や
つて
もらいました。
神山茂夫
513
○神山
委員
その場合に労働者諸君に、将來のことについてはあまり心配するなというふうなことをおつしやられたことはありませんか。
板垣茂
514
○
板垣證人
その事情を申しますと、この四月ごろから船越、海田の町に、日本共産党船越細胞というような名前で郷土産業日鋼を守れというようなことを書いて、それはありがたいことなんですけれ
ども
、逆に日鋼が今にもつぶれるということを盛んに宣傳してくれたんです。それでそういう宣傳ビラを見る人は、
組合
がや
つて
いる、こういうふうに言う。お宅の
組合
がああいう宣傳をする、いや、私の
組合
じやない、これはあそこにもちやんと船越細胞と書いてあるじやないですか。船越細胞というのは決してうちの
組合
ではなくて、
組合
とは全然別個のものであるということを
説明
したんですが、その宣傳がだんだんに
行き
わた
つて
、先ほど申し上げました近隣大筒町村の町村長とか、町村会の議長とかいう
人たち
が非常に心配してくれまして、
会社
へ、一体ああいうひどい宣傳が始ま
つた
けれ
ども
、お宅は一体どうなんだということを心配して聞きに來てくれた。約一箇月くらい前です。
神山茂夫
515
○神山
委員
大体そのくらいでいいでしよう。その場合に今おつしや
つた
ように、
組合
と共産党の区別を非常に明確にしておられるとまことにけつこうでありまして、いつでもそういうふうにしていただくと、ものがもめないのですが、それはそれとして、市町村長にお会いになりましたときには、あなたの方の赤字をどのくらいというふうに御発表になりましたか。
板垣茂
516
○
板垣證人
赤字の発表はしておりません。
神山茂夫
517
○神山
委員
していない。それじや市町村長が一方的に聞いたというのでしようが、四月の下旬にこういう話が出たことはありませんか。
板垣茂
518
○
板垣證人
……。
神山茂夫
519
○神山
委員
なければ、あなたの方で発表したことがないとおつしやればけつこうですが、
組合側
では九百三十万円、これはなぜ九百三十万円かというと……。
板垣茂
520
○
板垣證人
その
数字
は六月二日の発表した
数字
です。
神山茂夫
521
○神山
委員
これをなぜお尋ねするかというと、警察の報告の中でも九百三十万円が基準にな
つて
お
つた
ようですが、
組合側
ではもつと少い
数字
だと
言つて
いる。また市町村ではもう少し大きな
数字
だというふうに聞いたという、いろいろな報告があるのお尋ねしたのですが、大体九百三十万円と発表しておられますが、そこに前後若干の開きがあ
つた
ことも
考え
られる。そこで
争議
その他の
経過
の点については、今聽濤
委員
が大分開きましたので、実は私の方には党の機関で調べたものや
組合
その他の團体から來た非常に驚冨な資料があるのでありますが、今日ここで全部をあなたにだけひろげてもしかたがありませんので、簡單にしまして、先ほどの聽濤君とダブらない点だけ一、二
経過
だけお聞きしますが、あなたの方で六月二日に大体の方針を発表なす
つた
わけなんですが、そのときに
組合
の幹部諸君は現場にいたでしようか。
板垣茂
522
○
板垣證人
現場と言いますと……。
神山茂夫
523
○神山
委員
船越の
工場
ですね。
板垣茂
524
○
板垣證人
船越の
工場
に大部分の人はおりました。
神山茂夫
525
○神山
委員
大部分の人はいましたが、佐藤副
委員長
その他重要なメンバーは当時東京に
行つた
んじやないですか。
板垣茂
526
○
板垣證人
佐藤副
委員長
はずつと東京におりました。
神山茂夫
527
○神山
委員
その他にも
組合側
から言えばこの問題については相当重要な役割をする人が東京に行
つて
いたのですが、その場合重大
事項
について話したいから上京せよという三十一日の招電があ
つて
、それで
行つた
というようなことを
言つて
おるわけなんです。行
つて
みて大したことがなか
つたの
に……。さらにこれはもしも必要ならば資料として提供してもいいのですが、
勤労部長
の私信によりますと、これがある場合
組合
幹部を分散させるというふうな策に使われたのじやないだろうか、こういうことも
考え
られる。
板垣茂
528
○
板垣證人
それはたいへんな手違いがあ
つて
、これは
本社
の方の
勤労部長
からの連絡の不十分な点で手違いをや
つたの
ですが、これについては
組合員
によく話しまして、
組合
も当時納得してくれていることなんです。
神山茂夫
529
○神山
委員
あと
で納得できればけつこうですが、今私の申した例はほんの一斑ですが、先ほど申しましたシャム車両の場合にしましても、あるいは気合いをかけてくれ、それからまた
あと
は心配する必要はないと
会社
が言われ、またそれを信じて來たのに、シャム車両が終るとすぐ
首切り
の問題が出て來た。しかもその場合に
組合
の幹部を分散させるような形
もと
られて來たというのだが、あなたは
経営者
側の立場だし、
組合
職員にすれば自分の生活を守る立場だというので、意見の食い違いの
一つ
の條件になると思うのですが、その点あなたはどういうふうに
考え
られますか。
板垣茂
530
○
板垣證人
非常にその間の事情を
説明
すると長くはなりますけれ
ども
、先ほ
ども
ちよ
つと話がありましたけれ
ども
、何も心配ないんだということは
言つて
おりません。特にその先ほどの船越と海田あたりで宣傳されたことに対して、釈明する意味でいろいろと市町村長には話はしたのです。それは何も
会社
の内情について非常な悪いことを話す必要はないので、かなり将來の見通しは明るいというような話をしたものですから、すぐ
組合員
に
——
そのときの原稿はまだちやんとありますが、
所長
が放送で今日は八箇町村の有力な人が來たから、こういう
説明
をした、しかし
会社
の現状はしかくなまやさしいものじやないんだ、それで諸君らの奮起をお願いしたい、御協力をお願いしたいということを話したんです。決して楽観すべきものだということをしやべ
つた
わけではないのであります。
神山茂夫
531
○神山
委員
まあそのくらいでいいでしよう。それから今度は問題が起る
経過
を簡單に日記に見ても、それから三日から十一日までの間に、先ほどあなたのお述べになりましたようないろいろな、
組合
としては余儀なきに陥
つた
。たとえば二百からあなたは山猫みたいに
なつ
たとおつしやいますが、
組合
としては七百名も
首切り
をされてたまるかというわけで、目をつり上げたというふうなところに、ずいぶん意思の疏通を欠いたところがあ
つた
と思う。しかも十一日の團体
交渉
がうまくまとまらない。
組合側
に言わせますと、その前の再建案が二十分でけとばされておるというふうに
言つて
おるのですが、あなたの御説を全部承れば
組合員
諸君も、本
委員会
も納得したかもしれない。ところが
組合員
の大多数は、二十分間でけられたというような
考え
を持
つて
いる。このことが非常に不満だ
つた
と思うのであります。そういう條件があ
つた
から、十二日の場合にもあのわつしよい、わつしよいとみこしをかついだという話にな
つて
來る
一つ
の條件に
なつ
たと思うのです。そこであなたがここでおつしや
つた
ことに対して、二、三お尋ねするわけです。あなたのことを鬼の張本人というような惡口を
言つて
お
つたの
ですが、これはあなたは思い当りませんか。
板垣茂
532
○
板垣證人
何もありません。
神山茂夫
533
○神山
委員
それからあなた自身助けてくれというふうにおつしや
つた
。それからまた玄関の下の門のところにすわらされた、こういうふうにおつしや
つて
おりますが、あなたは柔道五段ですね。
板垣茂
534
○
板垣證人
そうです。
神山茂夫
535
○神山
委員
あなたの方が、
組合
の諸君に挑戦して
行つた
というふうな見方をしている人もある。それから二人手をつけたというのも、殺気立
つた
中であなたに乱暴させないためにしたという見方をしている人もある。そこで今のあなたの言葉の中に、つい心にもなくそういうやつとしやべ
つて
いる。こういうふうな気持があ
つた
ことが、お互いの間の対立を激化していると思う。現に長門という守衛は
組合員
に向
つて
、ほいとと
言つて
いる。ほいとと言うのはどういう意味ですか。
板垣茂
536
○
板垣證人
それは長門君があそこにいて、北平君がそばにくつついて、二時間あまり長門を初め守衛の
人たち
の悪口を
言つて
いた。そこへ総務部長が帰
つて
來たわけです。総務部長が來たから、長門君がタバコのケースを出して一本いかがですかと
言つて
総務部長に勧めたわけです。そこで今まで惡口を
言つて
いた北平君がそこに出て來て、おれにも一本くれということで、それで長門君は、内心かんかんに怒
つて
いたと思うけれ
ども
、ここはがまんすべきだと思
つて
黙
つて
お
つた
。ほいとというのは、廣島の言葉で乞食ということです。それを一本くれと言
つた
から、ほいとめと小さい声で言
つた
わけです。それで向うは乘ずる機会をねら
つて
いたわけですから、うまく乘せられたわけです。
神山茂夫
537
○神山
委員
乘せられたと思
つたの
はあなたの表現なのですが、
組合員
諸君に言わせれば、この長門という守衛は日ごろ非常に生意気で、横暴である。
組合員
に対しては、非常に昔流儀の彈圧的な態度であ
つた
というので、特にねらわれていた。それがいわんやほいとめというようなことを言いますから
——
私も実は山口懸の
人間
なので、ほいとぐらいはよく知
つて
おりますけれ
ども
、そのほいとと言われたから、よけいかあつとしたというようなことは一方的にもなるわけで、あなた自身あのときに人民裁判を受けたというふうにほんとうに感じているのか。それとも一方では、あなたが自分ですわり込んだというような意見もあるのですが……。
板垣茂
538
○
板垣證人
それは今度いよいよ
解決
するときに、全金の
組合
の幹部連中と團体
交渉
で私が会
つた
ときに、こういうことを言いました。実にうまいことを言えるものだと思
つたの
は、十二日には
板垣
さんの部屋に行
つて
すわり込んでお願いしなければいかんと思
つた
から、われわれは
板垣
さんの前にすわり込んでお願いしたのだ。それを不法監禁などとはひどいじやないか。実にぬけぬけと
言つて
おるけれ
ども
、私があのときの
組合
の指導者であれば、應接室から
——
私の
会社
にはろくなものはありませんけれ
ども
、一番いいアーム・チェアを持
つて
行
つて
、そこへまずすわらせる。そうすればまだかつこうがついたのですけれ
ども
、これは後にあるところから手に入れた写眞もありますが、少くとも土下座をしていたわけですから、アメリカの人も來られて、実にいいものを見た。日本では人民裁判というものがあるそうだが、それを今までは見たことがなか
つた
。今度は実にいいものを見たと
言つて
喜んで帰られたのです。
神山茂夫
539
○神山
委員
そこであなたにすいぶんいろいろなことを言
つた
ようですが、あなたをほんとうに絞首台にあげるなどと言いましたか。
板垣茂
540
○
板垣證人
そういうことも
言つて
おりました。
神山茂夫
541
○神山
委員
それは
組合
の幹部が言
つた
ことですか。
板垣茂
542
○
板垣證人
幹部ではないですな。
神山茂夫
543
○神山
委員
そうでしよう。そういう点はあなたと直接
——
そう
言つて
は失礼ですが、
経営者
の
代表
のあなたと
組合
の
代表
の幹部と対等の立場で話してお
つて
、それを取巻いておる者が絞首台とか鬼とか
——
それはあなたが柔道五段だという意味ではなくても、七百名の首を
ちよ
ん切るというふうに受取
つて
いる者から見れば、鬼あるいは蛇のように見えたかもしれないのですが、そういう蔭の方から言うのをあたかも
組合
の幹部諸君が言
つた
かのごとく
言つて
おる。ことに吉武君のごときは、自分で労働次官をや
つて
お
つた
くせに、共産党と共産主義とを混同してしまう。從
つて
あなたの場合も、絞首台にのせるぞと言
つた
ことは、やはり蔭の方のやじ馬から出て來た、あるいは
組合
大衆の中から出て來たということになると、眞相が違
つて
來ると思うのです。そこで十四日ですか、十六時に
從業員
の方からあなたにお目にかか
つて
團体
交渉
をやろうじやないかということを申入れしたことがありますか。
板垣茂
544
○
板垣證人
十六時でしたか、もつと遅か
つた
と思います。二十時ぐらいだ
つた
と思います。
神山茂夫
545
○神山
委員
それに対してどういう態度をおとりになりましたか。
板垣茂
546
○
板垣證人
私は、今あなたのやるべきことは、ここをとにかく出て行くことだ、閉鎖されている
工場
に入
つて
おるということは許されないことだから、出て行
つて
もらうことだ。その上だ
つた
ら
交渉
は開こう。その前に、二時半に私は自分で市まで出て行
つて
おります。そこでも約束しておるのです。へたな文章でしたけれ
ども
、私は
署名
して來たのです。今後も
会社
は誠意をも
つて
交渉
を持つ、
組合
と
協議
の上、決定した場所で
交渉
を持つというふうに書いてございます。
神山茂夫
547
○神山
委員
そういうようなことが実際に現われないで、團体
交渉
を拒否されたというふうに
組合側
では
言つて
おるわけです。
板垣茂
548
○
板垣證人
非常におかしな宣傳をしております。
神山茂夫
549
○神山
委員
それでこの場合、先ほどのあなたのお話にも関連するのですが、新聞社が非常に手まわしよく、中國新聞の場合、あるいは夕刊ひろしまですか、ひろしま夕刊ですか、どちらも権力闘争とか警官の出動云々ということをすでに四日も前から
言つて
おる。從
つて
計画
的ではないかとおつしや
つて
おるのですが、実ば公安
委員会
は二日に万一の場合の対策を立てている。さらにその後も公安
委員会
と警察とあなたの間には、相当緊密な連絡があ
つた
。警察はもう十二日、十三日すでに動員態勢に入
つて
おる、こういうふうな事実もあ
つた
わけです。從
つて
どちらが先に権力闘争なんということを言い出したかということは、これは立場も違い、また後に公安
委員長
も見えることなので、そこで聞きたいと思うのですが、こういうふうに一方的な問題の扱い方が双方にあ
つた
。
組合側
は今私が言いましたように、十四日にあなたに拒否されておると
言つて
おるのだが、あなたは文書を書いてや
つた
という。こういう重大な食い違いがあるわけです。全体を通じて私が指摘しておるのは、双方の間で十分問題を
解決
するための意思の疎通がなか
つた
ということが感じられるのです。その点あなたとしては十分手を盡されたと思われましようか。
板垣茂
550
○
板垣證人
思
つて
おります。
神山茂夫
551
○神山
委員
次に十五日の警官が入
つて
來たときの模様ですが、あなたの先ほどのお話を開いておりますと、労働者というのは相当あわて者で、お巡りさんが手錠を持
つて
おるその前で、自分でスクラムを組んで歌を歌
つて
勢いに余
つて
お巡りさんの方に飛び込んだと言われておりますが、あなたはそういうふうにごらんに
なつ
たかもしれませんが、これは
委員長
、
あと
でこの新聞を集めていただきたいのでありますが、六月十六日の毎日新聞に出ております写眞、それから先ほど
宇田
委員
が反動新聞だと言われた中國新聞の六月十六日の写眞によりますと、そうひとりでに飛び出しておらない。もし必要があれば私の方にまだほかにも写眞がありますから、
あと
で提出いたしますが、お巡りさんが相当労働者の中に飛び込んでおる、そうしてえり首をとつかまえておるのもある。こういう点は、あなたはごらんにな
つて
おりませんか。
板垣茂
552
○
板垣證人
さつきも言いましたが、
組合
の方の人で
——
もつともさつきの私の言
つた
言葉では、フアイテイング・スピリツトの旺盛な人は手を出した人もあります。そういうのは警察官の方が引きずり出して、そういう
人たち
が検挙されたのだと私は見ております。
神山茂夫
553
○神山
委員
あなたはそうごらんに
なつ
たでしようが、私はその混乱
状態
の写眞を、
組合
が出すのではなくて、新聞の写眞によ
つて
申し上げたわけであります。これは事実と若干違
つて
おる点があるかもしれません。それから負傷者のことも大分ここでいろいろ問題にな
つて
おるのでありますが、たとえば先ほど塚原
委員
のごときは、
組合側
の発表によれば死者九名、重軽傷三百名、こう
言つて
おりますが、同じ毎日新聞によれば
組合側
の発表もそうな
つて
おらない。
組合側
の発表でも重傷が九名で軽傷が三百名、こう
言つて
おるわけです。また警察の発表も、やはり二十二名の負傷者が出ておる。毎日新聞の記事によりますと、
組合側
に重傷六名、軽傷が七十六名、警察側に軽傷十二名を出しておる云々、こういうふうにな
つて
おるわけです。從
つて
あなたがごらんに
なつ
たように、なまやさしいものでなか
つた
ということは、立場の違いがあり、見方の違いもありましようが、こういう新聞によ
つて
もうかがわれるのじやないかと思いますが、いかがですか。
板垣茂
554
○
板垣證人
私が見た範囲では、先ほどどなたかおつしや
つた
ように、あの附近で病院の手当を受けるとすれば、少くとも私の方の
工場
の病院に來られたはずですが、それが二十九名か三十名で、そんなに大勢の人がけがをしたように思
つて
おりません。
神山茂夫
555
○神山
委員
ですから私の申し上げておるのは、
組合側
から九人の死者が出たというふうに言
つた
事実はないということを
言つて
いるわけです。また三百名の負傷者があ
つた
ということは、少し多過ぎるにしても、この場合相当の負傷者があ
つた
ということは第三者が認めておるというふうに
言つたの
です。その次に四人で手足を持
つた
という問題ですね。これはあなたはどうお
考え
になりますか。ただ手足を持
つて
静かに持ち出したというふうにごらんにな
つて
おりますか。
板垣茂
556
○
板垣證人
立たせるまでの間だと思
つて
おります。たいがいの人は……。特に
工場
の三人か四人の人は四人で持たれた人がありました。そのほかの人は手だけ持
つて
上げてたいがい出て
行き
ました。
神山茂夫
557
○神山
委員
あなたがおつしや
つたの
で私も思い出したのですが、手足を持たれて
行つた
人の中には、胴突きというのがありまして、手足を持
つて
上の方にあげておいて、
反対
に下の方にどんと落しておるわけです。こういう事実をあなたはごらんにならなか
つた
ですか。
板垣茂
558
○
板垣證人
見ません。
神山茂夫
559
○神山
委員
私の方にこれは写眞がありますから、
あと
で提出いたしますが、胴突きを食
つて
おる。從
つて
黒神君の場合にしても、彼が悲鳴をあげて泣いたとおつしや
つたの
ですが、診断書によりますと、左の腕が捻挫して一時気絶したのは胴突きを食
つたの
が直接の原因である。こういうような事実がありますので、私は今あなたとここで事実を争おうというのではなくて、あなたの
証言
が、あなたの立場からなされた一方的なものだということだけを立証しておけばいいのです。 それから新聞記事の信憑性について大分決定的のことをおつしやいましたが、これは新聞記者諸君も聞いておられることですが、共産党から新聞記事はあてにならぬと言われ、また
経営者
であるあなた方から新聞記事はあてにならぬと言われる。私たちはこの記事が全部正しいと
言つて
おるのではありませんけれ
ども
、あなたの新聞に対する見方だけによ
つて
、この負傷者の問題や労働者諸君が他の市民諸君と立ち上
つた
状況を一方的に判断されることは、どうかと思います。ことにこの
事件
が起
つたの
は六月十五日以降のことでありますが、先ほど塚原
委員
のごときは引揚者のことまでも引合いに出しておる。ところが引揚者の第一陣が日本に帰
つて
來たのは、この
事件
があ
つて
十日以上た
つた
後のことであります。こういうことまでチャンポンにして
事件
の眞相をおうい隠すような発言があ
つたの
で、この眞相をはつきりしておく必要があ
つた
わけです。(六月
事件
だ」と呼ぶ者あり) そこで今度はあなたに直接関連はないのでありますけれ
ども
、しかしあなたの
証言
の中に出て來ておることなので、お尋ねします。今そこで吉武
委員
や菅家
委員
が六月
事件
とか六月十何日
事件
とかいうようなことを
言つて
おりますが、最近傳えられておりますところの、共産党が暴力革命をやるというふうなことを一番先に言い出したのは、ほかでもない廣川弘禪君が六月十五日に言い出したことなんであります。わが共産党の方針がはつきり発表されたのは六月十八日で、あなたのところの
事件
があ
つた
十五日を去ること三日ないし四日の後に私たちは方針書を発表しておるのであ
つて
、これと関連させるようなあなたの
証言
が先ほどあ
つたの
でありますが、あたかも共産党の中央本部の五人の代議士がこの
事件
を担当してや
つた
というふうなことをいまだにあなたは断定的に
——
うわさですから、うわさと言われれば別問題ですが、言えますか。少しこれはこじつけではありませんか。
板垣茂
560
○
板垣證人
それはうわさとして先ほど申し上げたのでありまして、何も信憑性云々という問題じやないと思います。
神山茂夫
561
○神山
委員
いや、ですからあなたがうわさとして開かれたこと、あるいはあなたが自分の
経営者
としての立場からいろいろお述べに
なつ
たという上では信憑性があるでしようが、事実の眞相をほんとうについておるかどうかということについては、問題は別に存在するということを私は
言つて
おるわけです。
最後
に、一番初めの問題に帰
つて
來るのでありますが、あなたのところの
経営
がこういうふうな困難な
状態
に
なつ
た直接の原因は何でありますか。
——
あなたが言いにくければ私がかわりに指摘してもいいのでありますが、九原則を一方的にと
つて
民主自由党が今度の第五國会で通したところの予算及びこれに関連する諸法規だ、それが現にあなたのところの車両
生産
に致命的な打撃を與えておる、中小炭鉱を中心にしてあなたのところの鉱山機械に致命的な打撃を與えておる。このことこそがあなたのところで
企業
整備を行わなければならない、数箇月にわた
つて
遅配
、欠配をやらなければならない、七百名の
首切り
をやらなければならない直接の原因ではないでしようか。わかりませんか。
板垣茂
562
○
板垣證人
わかりません。
鍛冶良作
563
○
鍛冶委員長
では済みました。御苦労さまでした。 それではこれより三十分
休憩
いたします。 午後三時五十一分
休憩
鍛冶良作
564
○
鍛冶委員長
休憩
前に引続き
会議
を開きます。
松井
善一
証人
より
証言
を求むることにいたします。
松井
善一
さんですな。
松井善一
565
○
松井
證人 はあ。
鍛冶良作
566
○
鍛冶委員長
あなたは廣島地方検察
廳檢事正
をや
つて
おいでのようですが、いつから検事正になられましたか。
松井善一
567
○
松井
證人 本年六月八日着任いたしまして、爾来勤務しております。
鍛冶良作
568
○
鍛冶委員長
去る六月廣島管内
日鋼廣
島
製作所
に発生した
争議
に起因いたしまして、あなたの方で取扱われるように
なつ
た
事件
が起
つた
ようですが、概略をお述べ願いたい。
松井善一
569
○
松井
證人
事件
は捜査を完了し、また捜査中のもの合せて四件あります。完了した分から申しますと、六月十八日に廣島市役所前で市警察局長に対し暴行を加えました暴行
事件
、これはすでに捜査も完了し起訴いたしました。起訴と同時に身柄は釈放いたしております。 その次は六月十二日の晝過ぎから十三日のあけがたにかけまして
会社
内で行われました
会社
の幹部を不法に監禁致傷したという
事件
であります。これもほとんど捜査が完了いたしまして今起訴いたしましたのが十四名、これは檢事が起訴いたしましたのは三回か四回にわけて起訴いたしました。現在身柄は全部保釈で出でおります。 もう
一つ
は十五日の朝方起りました
工場
に対する侵入ないし退去であります。これはまだ現在捜査中でありまするが、近くいずれかに決定できる段階にな
つて
おります。これに関する身柄は最近逮捕状によ
つて
拘束しました一人だけ拘束いたしております。
あと
は釈放にな
つて
おります。
鍛冶良作
570
○
鍛冶委員長
何人ですか。
松井善一
571
○
松井
證人 これは今捜査中でまだ起訴不起訴の決定はしておりません。何人ともだれとも名前は申し上げられません。 もう
一つ
は
会社
の
組合長
とそれから廣島懸
労働組合
協議会
長という肩書でしたか、中國新聞に記者として籍のあります松江澄、この人二人が告訴人になりまして、
弁護人
三人
代理
人とな
つて
おりますが、知事と警察隊長、市警察長、市公安
委員長
、この四名を職権濫用罪等で告訴した
事件
があります。この
事件
も大分捜査が進捗いたしまして、捜査の進捗段階は今七、八分という程度のところです。これはまだこのような次第でありますので、起訴、不起訴とも決し定いたしません。以上の通りで、捜査中のものが侵入ないし、不退去罪の
事件
、それから今の告訴
事件
、こういうことにな
つて
おります。
鍛冶良作
572
○
鍛冶委員長
一番
最初
の暴行
事件
はもう起訴が決定しておるのだがこれは何名ですか。
松井善一
573
○
松井
證人 一人です。
鍛冶良作
574
○
鍛冶委員長
最初
から一人だけですか。
松井善一
575
○
松井
證人 被疑者一人であります。
鍛冶良作
576
○
鍛冶委員長
逮捕状が出てまだ檢挙されぬ
人間
がありますか。
松井善一
577
○
松井
證人 逮捕状が出て、まだ逮捕されないのはないと思います。私らの方は原則的に任意出頭の方法をとりましたので、むやみに逮捕状を出しておりません。
鍛冶良作
578
○
鍛冶委員長
これらの者の所属しております團体、もしくは政党等についておわかりでありましようか。
松井善一
579
○
松井
證人 これは私らの方といたしましては取調べの対象が犯罪でありますので、その者が何党に属しようが、何
組合
に入
つて
おろうが、その点についてはあまり重点は置いておりませんので、詳細なことはわからないのであります。ただ取調べの際に現われましたので、ほとんど
組合員
でありますが、はつきりわかりませんけれ
ども
、不法監禁致傷で十四名事起訴いたしました中の十名ぐらいが
——
私どうもはつきりわかないのです。直接取調べた者はないのですから、報告を聞いて記憶に残
つて
おるところを申しますと、十名くらいが共産党に籍のある人だと聞いておりますが、その点はよく覚えておりません。
鍛冶良作
580
○
鍛冶委員長
あなたの先ほどおつしや
つた
暴行
事件
から承りますが、暴行
事件
は廣島市役所前へたいへん大勢押し寄せて起
つた
と聞いておるのですが、それらの事実はおわかりですか。
松井善一
581
○
松井
證人 概略のことはわかります。たしかあれは六月十八日だ
つた
と思います。元の練兵場が市民農場というのですが、そこで鷹島懸産業復興
会議
とか何とかいう
会議
が
組合側
で持たれました。そこでたしか何らかの
決議
がなされておる。その
決議
を持
つて
市役所前に大勢集まりましてその大勢集ま
つて
おる前へ市の警察局長を呼び出しましていろいろ
質問
があ
つた
ようで、そのときに行われた暴行
事件
です。
鍛冶良作
582
○
鍛冶委員長
そこで承りたいのはデモ隊が市役所前へ行
つて
いるからとい
つて
警察局長がそこへ呼び出されるということがはなはだ不可解なんですが、どうしてそこへ出なければならなか
つたの
ですか。
松井善一
583
○
松井
證人 私その場にいませんし、またその
交渉
を見たのでもありませんから存じません。どういうような話合いでそこへ出るようにな
つたの
か私は存じません。
鍛冶良作
584
○
鍛冶委員長
それで暴行を働いたというのはどういうことをしたのですか。
松井善一
585
○
松井
證人 これは市役所職員
組合
の書記長八谷が発起人にな
つて
、大衆が興奮したといいますか、空気が非常に興奮
状態
に
なつ
たときにうしろから行
つて
げんこでなぐ
つた
、こういう
事件
であります。
鍛冶良作
586
○
鍛冶委員長
詳しくおわかりにならなければやむを得ませんが、警察局長ともあろうものをデモの力によ
つて
市役所前に呼び出して
説明
させるということ自体が大いなる暴行だとわれわれは思いますが、
責任
者はおらなか
つたの
ですか。
松井善一
587
○
松井
證人 私らの方といたしましても、ただ單にげんこでなぐ
つた
ということだけを見ますれば、きわめて簡単な
事件
でありますが、いやしくもなぐられた人が市の警察長であり、また場所が何千と称する大衆の前であり、なぐ
つた
人がおそらく教養のある人だと思うのです。市の職員
組合
の書記長がなぐ
つた
というのでありますから。事案そのものはきわめて簡単な暴行罪でありますが、意味は相当重く見なければならぬものと
考え
まして、取扱いとしては簡單な
事件
ではありましたが、起訴したような次第であります。
鍛冶良作
588
○
鍛冶委員長
そういう重大なる
事件
を起した一種の集團暴力とも認められるのですか。
松井善一
589
○
松井
證人 そこは私らの方の立場からしますれば、何らかの証拠
関係
の結びつきがありませんと、ただちにこの被疑者の背後にこれありと断定できませんので、あのときの突発
事件
として、証拠上とり上げ得なか
つたの
であります。想像すればどんなこともできますが……。
鍛冶良作
590
○
鍛冶委員長
その次の不法監禁ですが、この十四名は不法監禁についてどういうことをした者ですか。
松井善一
591
○
松井
證人 個人々々のや
つた
行動は私覚えておりませんが、概括的に申しますと、
会社
の幹部が
事務所
の二階におるのを外へ連れ出すような方法を講じまして、それにはいろいろあ
つた
ようですが、いわば團体
交渉
の名儀を使
つた
そうですが、そこで
整理
の案を撤回しろというふうにずいぶんきつく強要したということが大体の概略です。そのためここにも名前は忘れましたが、
会社側
の幹部の人で、四人はかりが脳貧血あるいは心臓衰弱症というのでしようか、そういうので倒れたのがたしか四人くらいだ
つた
と思います。その他多少の怪我をしたような人もあ
つた
と思いますが、それはどの程度かよく覚えておりません。とにかく早いので十二日の晝ごろから始まりまして、ある者は二時、三時、五時、六時というふうに順々に引きずり下されまして、ある者は守衛所から出された者もあります。そうして翌朝のたしか六時か、七時ころまで、俗に言えば罐詰にされた。それで脳貧血を起したわけであります。それはあるときには数百名、あるときは千数名も取囲んでお
つた
という
状態
なんです。
鍛冶良作
592
○
鍛冶委員長
そうするとこの十四名は……。
松井善一
593
○
松井
證人 その中で証拠上最も
責任
を問わなければならない人として現われた人がそれだけであります。
鍛冶良作
594
○
鍛冶委員長
それから不退去罪についてはおもにどういうものでありましたか。
松井善一
595
○
松井
證人 これも初め十五日の朝、警察官が不退去罪の現行犯として逮捕いたしまして、われわれの方に送置を受けましたのがたしか二十八名だ
つた
と思います。それは逐次十日間内に取調べ、取調べが済むと同時にみな釈放いたしました。十日目には一人もいなか
つた
。これらももちろん侵入あるいは不退去罪と打つべきは明らかなのでありますが、とにかくわれわれといたしましては、
事件
の形式的な処理はしたくない、できるだけ眞実の実体をつかんで、そうして
責任
ある者に対しては、
責任
をとるようにしたいというのがわれわれの信念でありまして、そのために二十八名の取調べは十日間で済みましたけれ
ども
、いろいろな指導
関係
とか、あるいは主たる
責任
者とかいうふうなものの証拠を集めて、これを明瞭ならしめるために時間をと
つて
おりますので、これも先ほど申しましたように、近くいずれかに決定すると思います。
事件
としてはまだ未決であります。
鍛冶良作
596
○
鍛冶委員長
これは朝、
工場
構内から退去せしめるときに、妨害をした者と聞いておるのでありますが、どのような妨害か、そのようなことはおわかりになりませんか。
松井善一
597
○
松井
證人 大分こまかいことは、取締り主任官は正確な
証言
ができるかもしれませんが、私にはどうも正確な
証言
はできかねます。
鍛冶良作
598
○
鍛冶委員長
これらの者が検挙されておるときに、人民大会とか、何とかいうものを起して、先ほど言
つた
ようにデモをも
つて
市役所に
行き
、またその次には懸廳に
行き
、あなたの檢察廳にも
行つた
ということですが、それはいかがですか。
松井善一
599
○
松井
證人 私の方へも初めごろは五、六百名、千名くらい赤旗を立てて、まあ一種のデモに來ていました。
鍛冶良作
600
○
鍛冶委員長
それは幾日と幾日ですか。
松井善一
601
○
松井
證人 さあ、それは多い日には三回、人数は違います。
鍛冶良作
602
○
鍛冶委員長
いわゆる不退去罪が起
つたの
は十五日の午前ですか。
松井善一
603
○
松井
證人 十五日の午前五時であります。
鍛冶良作
604
○
鍛冶委員長
順序を追うて聞かしてもらえばわかりますが、その日のうちに参りましたか。
松井善一
605
○
松井
證人 日にちの点は
ちよ
つとメモしておりませんから正確な記憶はないのですけれ
ども
、初めころは毎日あるいは隔日と
言つて
いいくらいデモ除の押しかけがありました。そうして検事正に会わせろ、あるいは取調べ主任檢事に会わせろというので相当続きました。しかし終りごろになるとだんだんに減りまして、四、五十人、五、六十人となりました。最近はま
つた
くありませんでした。
鍛冶良作
606
○
鍛冶委員長
多いときは五、六百名……。
松井善一
607
○
松井
證人 はい、あ
つた
と思います。
鍛冶良作
608
○
鍛冶委員長
それは何日くらい続きましたか。
松井善一
609
○
松井
證人 その後、今申し上げたように毎日と言いたい日もありますし、また間を二日置く日もありましたが、初めから終りまでだと申しますと、二週間くらいのものでしようが、これも不正確でありますから、そのおつもりでお聞取りを願います。帰ればメモがあるのですが、その点メモしておりませんから、わかりません。
鍛冶良作
610
○
鍛冶委員長
それでただ会わせろというだけですか。事実会いましたか。
松井善一
611
○
松井
證人 必ず会いました。会わずに帰
つた
ことはありません。必ず数名の
代表
者と会いました。
鍛冶良作
612
○
鍛冶委員長
どんなことを
言つて
おるのですか。
松井善一
613
○
松井
證人 たいがい不当彈圧あるいは不当拘束というのが主たる話でありました。
鍛冶良作
614
○
鍛冶委員長
暴行脅迫したような事実はありませんでしたか。
松井善一
615
○
松井
證人 私らのところでは、もちろん声が荒くなるというようなことはありますけれ
ども
、暴行脅迫というようにはまだ感じませんでした。
鍛冶良作
616
○
鍛冶委員長
ところがあなたの檢察廳の前で
板垣
工場長
代理
を監禁したことがあるそうじやないですか。
松井善一
617
○
松井
證人 それは私は見ておりませんから、正確な供述はいたしかねますが、そのことは檢事から開いております。
鍛冶良作
618
○
鍛冶委員長
いつころ、どういう機会にや
つたの
ですか。
松井善一
619
○
松井
證人 あれはたしか
証人
か何かで主任檢事が呼び出しまして、帰るときに赤旗を三つに組んで、間にはさんでどうとかすれば帰してやる、どうとかすれば帰さないとかいうことで、その
証人
がまつ青にな
つて
檢事の部屋に飛び込んで來て今こう言われておりますが、
——
何とか書けと言
つた
とか、入れと言
つた
とか、とにかくある行為を満足にすれば帰してやるというように旗か何かではさんだと
言つて
おりました。それは日時はよく覚えておりません。とにかく檢事が
会社
の幹部を
証人
として呼び出した日のことであると覚えております。
鍛冶良作
620
○
鍛冶委員長
そこで檢事の方に逃げ込んだのですか。
松井善一
621
○
松井
證人
あと
へ帰
つて
檢事の部屋へ逃げ込んで來たそうです。
鍛冶良作
622
○
鍛冶委員長
それからどういうことになりましたか。
松井善一
623
○
松井
證人 それからたれかがそんなことをせずに帰してやれとい
つて
ついて
行つたの
でしよう。それから間もなく帰
つたの
だろうと思います。その後の様子は聞きませんが……。
鍛冶良作
624
○
鍛冶委員長
それらについても何かあなたの方で手を下すべき犯罪事実ありとお認めになるほどじやなか
つたの
ですか。
松井善一
625
○
松井
證人 その点についてはまだこれとい
つて
犯罪容疑として捜査には着手しておりません。
鍛冶良作
626
○
鍛冶委員長
少しりくつになりますが、そういうことが市内で
ちよ
い
ちよ
い行われることに
なつ
たらたいへんなことなのですが、それはやむを得ないものなのですか。いやしくも檢察廳の前なのですからね。われわれはそういうことがかりに諸所で行われるということに
なつ
たら、たいへんなことだと思います。いわんや檢察廳の前においておやと
考え
るのですが、まあその程度にしておきましよう。とくと御
考慮
を願
つて
おきましよう。それからこれらの被疑者の逮捕にあた
つて
はたいへん困難であ
つた
とかいうようなうわさがあるようですが、そんなことはありませんでしたか。
松井善一
627
○
松井
證人 先ほど申しましたようにできるだけ任意出頭の形で呼び出しをかけたのですが、それで出ないのが多いのであります。やむなく逮捕状の請求をいたしまして、判事から逮捕状をもら
つて
や
つたの
ですが、警察の方では自分の方で行くと必ず衝突するというふうに
考え
ましだのか、衝突の起らないような方法で逮捕を執行したいというふうな
考え
であ
つた
らしい。そのために逮捕がはかばかしく行かない。それであるときには私の方から所轄の署長あてに、できるだけ早く取調べを済ます意味におきまして、逮捕状の執行をしてもらいたいと言いますけれ
ども
、なかなか行かない。そこでこれではあまり長引きますので、檢察事務官に逮捕状を持たせて執行にあた
つた
ことが二度あります。
最初
執行に
行つた
場所は
会社
の寮の松石でありますが、これは
会社
のすぐ横にあるのです。そこへ
最初
にやりましたところが、このときには目的の被逮捕者を逮捕し得ずして帰
つて
参りました。その次のときには二名ほど逮捕を執行して帰
つて
参りました。相当事務官はまじめに熱心に活躍しております。
鍛冶良作
628
○
鍛冶委員長
それは事務官だけですか。警察官も補助について
行つたの
ですか。
松井善一
629
○
松井
證人 そのときは檢事がまず出まして、事務官が
最初
のときには本名ばかりでしたが、後に三十名か四十名
行き
ました。船越署は市署とい
つた
ところが全体で十二人しかいないのですから、それが少し手傳
つて
くれたというふうに聞いております。主動力は檢察事務官の方でやりました。
鍛冶良作
630
○
鍛冶委員長
これはあなたの方でお認めにならなければ別ですが、かような大きな
事件
にな
つたの
は、一日鋼
製作所
だけの問題ではなくて、これをきつかけにいわゆる地域人民闘争とか権力闘争とか名づけるある一部政党の指導に基くものだという世評なのですが、あなたの方でさようにお認めにはなりませんでしたか。
松井善一
631
○
松井
證人 私
ども
の方では先ほど來申し上げておりましたように、取調べの対象が犯罪にわた
つて
おりますからそこに主眼を置きましたので、一部政党の示唆があ
つた
か、指令があ
つた
かということについては、何らの
考え
を申し上げることはできないのであります。ただ私の方で現われますのは犯罪容疑事実を取調べる際に、たまたま捜査線上に現われる人物があるいは党員である、党員でないというのがあります。それがその場合党員で、その党員が党の指令で動いておる。あるいはそうではなくして党員自体の
考え
で動いているのか、あるいはその人が何か別の
労働組合
に入
つて
おる。その
組合
の
関係
でや
つて
おるのかわからないのです。しかし党員が浮かび出たことは間違いないのです。
鍛冶良作
632
○
鍛冶委員長
何党員ですか。
松井善一
633
○
松井
證人 共産党員です。
鍛冶良作
634
○
鍛冶委員長
ごのデモは廣島市内だけではなくてまだ近郷にもこういうことが起
つたの
ではありませんか。船越は廣島市内ですか。
松井善一
635
○
松井
證人 土地の
関係
は例の
工場
のある船越町が六、七分、廣島市が三、四分だと思います。船越あるいは海田市の方にはデモ的な行為があ
つた
ということを聞いたように思います。
鍛冶良作
636
○
鍛冶委員長
呉はいかがです。
松井善一
637
○
松井
證人 呉でも市役所かどこかに押しかけたということを記事で見ましたが、それが日鋼
関係
と直接連鎖があるのかないのかということは、よく存じません。あ
つた
ことは間違いない。
鍛冶良作
638
○
鍛冶委員長
かように廣島縣の主要地にわた
つて
騒擾が起
つた
とすれば、非常に社会不安をかもしたことと思いますが、この点はいかがです。
松井善一
639
○
松井
證人 その点はま
つた
く同感です。
鍛冶良作
640
○
鍛冶委員長
それについて現在は何ら不安を感じないまでに至
つて
おりましようか、なお不安があるようでしようか。
松井善一
641
○
松井
證人 これは廣島市あるいは縣だけでなしに、われわれはそういう問題については新聞の傳えるところよりわからないが、まだ何らかの不安感は持
つて
おるかもしれません。何かあるのじやないかという不安感はおそらく廣島のみならずあるだろうと思います。
鍛冶良作
642
○
鍛冶委員長
ことに廣島では近く革命が起
つて
人民政府が樹立されるのだと言いふらしておる者があるので、非常に人心が動揺しておるという人もあるのですが、その点はいかがです。
松井善一
643
○
松井
證人 そういうことを言うておるかもしれませんが、私は何も正確な筋からそういうことを聞いておりませんので、何も申し上げかねます。
鍛冶良作
644
○
鍛冶委員長
先ほど言われた新聞その他で見ての不安というのはどういうことです。新聞その他で見ての不安というのはそんなようなことじやないのですか。
松井善一
645
○
松井
證人 とにかくいろいろな点から、さらに行政
整理
がありまするので、それに関連しての人心の不安だろうと思います。近く人民政府が樹立されるというような具体的なことを私
ども
直接には耳にいたしておりませんので、わかりません。
鍛冶良作
646
○
鍛冶委員長
現在はこれに対して不安のないように、あなた方の方でと
つて
おいでになろうと思うが、具体的にどういうことをなさいましたか。
松井善一
647
○
松井
證人 私らの方の発動は御承知のように檢事同一体の原則で動いております。最高檢の方から何らかの指令がありますれば、その指令を忠実に遵奏することにな
つて
おります。今これでいかなる指令が來ておるかということは申し上げられぬのであります。
鍛冶良作
648
○
鍛冶委員長
できるだけや
つて
おいでになることと思いますが……。
松井善一
649
○
松井
證人 それはともかく各種の情報を得まして、できるだけ不安感を除きたい、かように
考え
ます。
高木松吉
650
○高木(松)
委員
証人
は裁判所でやる特定人の犯罪の証拠というような観念をも
つて
証言
されておるのじやないかと思うのだが、考査
委員会
は要するにその事実を起した人が特定の
人間
と定まらなくても、逆に事実のあ
つた
ことだけでもわれわれは明瞭にしたいのですから、あなたの直接見たこと及び間接に聞いたことをそのまま述べてもらわぬと、裁判所じやないからその点大いに
考え
てもらいたい。 そこでさきほどお話に
なつ
た警察局長を市民
廣場
に引き出したというときにどういうことで引き出したのであるかという問に対して、その点はつきりいたしませんが、あなたが直接見たのではなくても間接に係り檢事や何かから聞いたことでもよろしゆうございますから、その詳細のことをお述べにな
つて
いただきたい。
松井善一
651
○
松井
證人 それは先ほど申し上げましたように、市民
廣場
で大会が行われ、そこで何箇條かの
決議
がなされ、その
決議
を持
つて
行き
まして、その釈明を求めることにな
つたの
であります。その何
項目
について釈明を求めたが、その
項目
など覚えておりません。たしたそのうちの
一つ
には、十五日の朝警察権を発動したのは進駐軍の命によるのかという問いがあ
つたの
で、警察局長は、もちろんそれは命によ
つて
や
つたの
だ、もしその命令がなか
つた
とすれば辞職するか、辞職するという問答があ
つた
ということを聞いております。
高木松吉
652
○高木(松)
委員
それで私の聞かんとするところは、その現場に來てからの話でなく、現場にひつぱり出されて來たというのは、警察隊長の自由意思で來たのか、そうでなく、そこにむりにある圧力をも
つて
引出されて來たのかと聞いておるが、どつちでしようか。
松井善一
653
○
松井
證人 これはそうなるとま
つた
く想像の話になります。
高木松吉
654
○高木(松)
委員
想像でもよろしゆうございますが、いろいろな材料であなたの気持に映
つた
ものをそのまま
言つて
いただければいい。
松井善一
655
○
松井
證人 何人でもおそらくいろいろな話をし
交渉
をする際には、一人二人の小人数で話す方を好むのが人情だろうと思う。大衆の前でいろいろな意見を求められることは、とかく
人間
ですから、あるいは興奮し、あるいはおじけて、本当の自由意思は持ち得ないかも知れません。そういう意味合いから言えば、おそらく警察局長はそういう場に出ることをいやが
つた
に違いないと思う。しかるに現実には出ているのですから、その間にはあるいは何といいまするか、ぜひ出てもらいたいというか、あるいはときにはうしろの方から大きな声が飛ぶとか何とかそこにある言動があ
つた
ために、私は局長は大衆の前に出たものと、こう思う。どういう声が飛んだとかいうことは私は覚えておりません。
高木松吉
656
○高木(松)
委員
いまひとつ聞きたいことは、警察隊長は暴行
事件
の被害者ですから、この暴行
事件
の被害者として
証人
としてお調べに
なつ
たでしようが、この警察隊長はどういうことをお話しにな
つて
いるかをお聞きにな
つて
おりますか。
松井善一
657
○
松井
證人 その問題につきましては、あの
事件
がありました翌日、私の所に参りまして、きのう実はこういうことがありまして、まことにどうも残念千万だというような話がありました。そのときに、ああいうふうに大勢の前でひつぱり出されることはつい気おくれといいまするか、自分の思うことも言えないで困
つた
という話で、なおまた松葉杖をついた黒神、三角巾をして首にかけた竹田、この二人がまさしく警察官にやられたのだ、これに謝罪しろということであ
つた
。なおこのときも、これ以外にたくさん警察官にやられたのだから大いに
責任
をとれ、謝罪をしろということがあ
つた
そうです。それについて公安
委員
も頭を下げましたから、私もつい頭を下げました、こういう話をしておりました。そのときに自分が謝罪したのは、自分の目の前におられる二人の諸君がけがしたのはそのときのけがに違いないと思
つて
、そのけがは認めるという意味で言うたのを、全部を警察がこの通りにや
つた
という意味で謝罪したごとく、その後には吹聽されておりますが、非常に困
つた
というようなことも述懐しております。
高木松吉
658
○高木(松)
委員
それから第二の問題である不法監禁ですが、不法監禁は時間的に言うと相当長いようですが、その監禁の
状態
についてお調べに
なつ
たことはありませんか。
松井善一
659
○
松井
證人 とにかく主任檢事は、二階の
事務所
から引つぱり出されて、下の
廣場
で大勢に囲まれて、翌朝その囲みが解けるまでの事情は、一應聞いていると思います。その紬かしい事情は私は一々は聞いておりませんので、よく覚えておりません。
高木松吉
660
○高木(松)
委員
それから特に任意出頭の形で呼出した。私
ども
から言えば、こういう問題は一日も早く鎮圧しなければならぬのですから、そういう疑いのある者があ
つた
ら、早急に
解決
すべき問題だと思うので、任意出頭ということになるとなかなかその目的を達せられぬと思うが、どういう
考え
で任意出頭の形式をとられたか。
松井善一
661
○
松井
證人 やはり一應はその形式をとりました。それで應じない者は逮捕状というつもりで、いわばできるだけ不拘束で実情を調べたいという方針でありました。だからこれに應じない者に対する逮捕状は非常に早く出ております。
高木松吉
662
○高木(松)
委員
そこで一、二、三、四、まで起訴にな
つて
いない
事件
もあるようですが、この
事件
を捜査して行
つて
、少くとも背後にこれを使嗾するものがあるという事実があ
つた
ならば、それはあなた方の捜査範囲の中に入
つて
來るのではありませんか。
松井善一
663
○
松井
證人 とにかく不法監禁、不退去、暴行、この三つですが、それでああいうふうな犯罪をやらすような教唆という問題が、もし証拠上現われて來ますれば、われわれとしても
考慮
しなければならぬ問題だと
考え
ております。
高木松吉
664
○高木(松)
委員
捜査の範囲に入
つて
來ますね。そこでお尋ねいたしますが、私
ども
の調べたところによると、相当裏面に大きな勢力があ
つて
、これを教唆し、そして
事件
を起しているように思うが、この点についてあなたの方ではどうお
考え
にな
つて
おりますか、はつきりしたものがなくとも、疑いだけでもかけたような事実でもありますか。
松井善一
665
○
松井
證人 それは先ほど申しましたように、十四日のあの
事件
以後
——
これは前からもありますが、共産党員である人が
争議
が起ると常に出入りが激しく
なつ
たとか、あるいは十四日の退去
事件
後、つまり
工場
閉鎖後は、党員であり、あるいは代議士である人が、そこで演説したというようなことはあります。そのことがあるから、何かあるのじやないかという想像をすればできます。具体的にどうのこうのという証拠はありませんので、何とも申し上げられません。
高木松吉
666
○高木(松)
委員
そこでいま
一つ
お尋ねしたいことは、今お話に
なつ
たように、共産党の最高幹部の方々がしきりにこの
事件
の前後にあの方面に出入りして、いろいろな行動をと
つて
いるようだが、これに
一つ
の疑いをかけて、これを明らかにしようと努力されたことはありませんか。努力したとすれば、どの程度まで明らかに
なつ
たか、その点を明らかにしていただきたいと思います。
松井善一
667
○
松井
證人 私らの方の捜査は御承知のように、何か疑うに足る十分な理由がなければ、むやみに人を逮捕することはできません。
高木松吉
668
○高木(松)
委員
逮捕と申し上げているのではなくして、逮捕するまでにも、あなた方はいろいろな傍証を固めて逮捕まで行くのですから、その間における傍証その他の材料で、とにかく疑いをかけることのできるような事実はありませんでしたか。
松井善一
669
○
松井
證人 ただ出入りが多いとか、あるいはある人に対してこんなことを言
つた
とか、またはこういうような激励演説をしたというのが、われわれの知り得る材料です。それ以上に具体的の材料は持
つて
おりません。
高木松吉
670
○高木(松)
委員
そこで私の聞きたいのは、その具体的の事実を聞きたいのです。今あなたの口から出ただれが行
つて
、どういう激励をしたということを調べたというから、調べた内容とか、出入りした人の行動とか、そういう具体的の事実についてお知りにな
つて
おることがありましたら、詳細に述べていただきたい。
松井善一
671
○
松井
證人 それは人は大体わか
つて
おりますが、演説の内容はおそらくわからぬと思います。
高木松吉
672
○高木(松)
委員
その人というのはだれですか。
鍛冶良作
673
○
鍛冶委員長
メモをごらんにな
つて
よろしゆうございます。
松井善一
674
○
松井
證人 共産党の廣島地区
委員
の森繁平という人がおります。
高木松吉
675
○高木(松)
委員
一人ずつ具体的にわか
つて
おる程度の行動を明らかにしていただきたい。
松井善一
676
○
松井
證人 森君は日鋼と向い合いに朝鮮人連盟の
事務所
があるのですが、そこにその当時常時居住してお
つた
ようであります。その
関係
もありまするか、とにかく
組合
活動が活発に
なつ
たころから、しばしば姿を見せておる。ことに
争議
が始ま
つて
以來は、ほとんど毎日のように出入りしておるということがあります。これは守衛の
証言
であります。
高木松吉
677
○高木(松)
委員
そういうことを具体的に聞きたい。要領さえ盡していただけばよい。
松井善一
678
○
松井
證人 また森が巡査に対して、君たちは今ここに入るすじではないじやないかと
言つて
追い出すようなことを言うた。これは巡査の
証言
です。同じく構内にあそこの日鋼專属の土建業者で、戸田初一という人がおりますが、君はここへ來るすじではない、君は公安
委員
ではない、出て
行つた
らよいだろうと言
つた
、これは戸田の
証言
です。それから十四日の朝
工場
を閉鎖しまして、十五日までですが、そのころ出入りした人は、十四日の午前十一時ごろに、廣島縣
労働組合
協会会長の松江澄、共産党代議士田中堯平氏、これは午後二時ごろで、何か應援といいますか、激励といいますか、演説したそうですが、内容は知りません。その次には午後の三時半ごろ、これは廣島地方
労働組合
協議会
書記長吉田治平、これもおそらく党に入党しておる人じやないかと思いますが、これも激励演説をした。午後四時四十分ごろ、廣島の弁護士原田香留夫、この人も演説したそうであります。それから時間はよくわかりませんが、そのころ共産党の廣島縣
委員長
徳毛宣策という人が、
職場
死守の演説をしたというようなことを聞いております。大体その程度です。
鍛冶良作
679
○
鍛冶委員長
さきの不法監禁のときの被害者はお調べにな
つて
おることと思いますが、その供述、
証言等
は大体お聞きでありましようか。
松井善一
680
○
松井
證人 御承知のように、私は直接調べませんので、ただ中間報告とか、あるいは起訴の際の
最後
の総括的の報告しか聞きませんので、一々のこまかしい問題については、今覚えておりません。
鍛冶良作
681
○
鍛冶委員長
そういう加害者
ども
は、どういうことを
言つて
おるとお聞きに
なつ
たか、それをお聞きいたしたい。
松井善一
682
○
松井
證人 起訴状に現われておりまするのは、ほんの一部分だと思いますが、それでいいですか。
鍛冶良作
683
○
鍛冶委員長
それでもけつこうです。
松井善一
684
○
松井
證人 一番初め監禁の場所にひつぱ
つて
行かれたのは、
板垣茂
、これを、初めとしまして、幹部の者その他青年行動隊員らが、それぞれ
板垣
を逃すな、スクラムを組め、そして中へ閉じ込めて、本人が助けてくれとか、乱暴してくれるなというような一とを絶叫するのに耳をかさずに、守衛所内から室外に出して、本館前の
事務所
に連れて
行つた
。これは
一つ
の断片です。こまかしいことば聞取りを見れば一番よくわかるのですが……。また他の幹部を二階の
事務所
から下の方へ連れ出す
一つ
の方法としましては、
板垣
所長代理
が大衆にもまれているのを知らぬか。あのままほう
つて
おけば命にかかわるようなことがあるかも治れない。それはおれは知らぬぞ、部、
課長
らが行
つて
、すぐ
板垣
も帰れるから、大衆の前へ行
つて
話してくれというようなことを
言つて
連れ出したというようなこともあります。それからある者は、行くか行かぬか、返事をせい、さあ行けというような……。また椅子に腰掛けたまま押し出してひつくり返
つた
ような者もあるようです。だからその場合場合で、
首切り
案を撤回しなければ、三日も四日も帰さぬ、今夜は徹夜でいじめてやるんだ、あれが
首切り
の張本人だ、鬼のよう
なつ
らをしておるのを見てくれと言
つた
。これは断片ですが……。 それから守衛ですが、何か言葉の使い方の穏やかでないものがあ
つた
。それを取り上げまして、タバコをくれと
言つたの
を、ほいとのようなまねをするな、こう言うた。それをきつかけに……。
鍛冶良作
685
○
鍛冶委員長
それでようございましよう。
大橋武夫
686
○大橋
委員
検察廳におきましては、労働
争議
として現われましたる十二、十三日の
事件
をお取調べにな
つて
おると思いますけれ
ども
、その結果幾多の犯罪行為が行われておると思うが、この労働
争議
は不法な
争議
として
考え
ておられますか。それともこれは労働者として当然になすべきことをなしたのだと
考え
ておられますか。
松井善一
687
○
松井
證人 私らはいわゆる正常な労働
争議
そのものに対しては何ら介入する権限もないし、
考え
もありません。しかしそれが一たび治安に
関係
を持つようにな
つて
來ますと、これは職責上断固として臨まなければならぬ、こう
考え
ております。労働
運動
自体に対しては何ら関渉も容喙もする権限もなければ
考え
もありません。
大橋武夫
688
○大橋
委員
するとこのたびこの
事件
に検察廳が介入されましたのは、そこに犯罪行為が伴
つて
おる。從
つて
この
争議
は不法な
争議
である。こう見られてやられたのですか。
松井善一
689
○
松井
證人 不法なる
争議
と言いまするか、とにかく
争議
中に犯罪容疑としてこれに臨まなければならない事実が現われたから検察権を発動したわけであります。
大橋武夫
690
○大橋
委員
その結果ただいままでに取調べられました
事件
は先ほど伺いましたように家宅侵入並びに要求不退去罪と不法監禁致傷罪、この二件だけですか。
松井善一
691
○
松井
證人 労働
争議
関係
の犯罪としましては、労働
争議
に直接関連しておるのはこの二件で、
あと
の市警察署長をなぐ
つたの
は関連と言えば関連していますけれ
ども
直接のものとは違います。
大橋武夫
692
○大橋
委員
不法監禁致傷罪と侵入不退去罪とは、これは関連
事件
としてはお扱いにな
つて
おらないのですか。
松井善一
693
○
松井
證人 別罪です。
大橋武夫
694
○大橋
委員
それから不法監禁致傷罪は共謀としてお取扱いにな
つて
おられますか。
松井善一
695
○
松井
證人 共謀ですか。被疑者を……。
大橋武夫
696
○大橋
委員
そうです。共同謀議ですが……。
松井善一
697
○
松井
證人 共謀の被疑者として扱
つて
おります。
大橋武夫
698
○大橋
委員
その共謀者の氏名はどういうものですか。
松井善一
699
○
松井
證人 これは起訴しておりまするから申し上げましよう。七月八日に起訴いたしたのが、工員の越智一見、同じく徳永宗、同じく伊藤不二夫、同じく池田啓三、同じく香川一彦、同じく長谷計、同じく大下博行です。それから七月十八日が工員の竹田太一、林春一、黒神貞松、中田昭一の四名で、七月二十八日に松田敦己、これは室蘭に逃走しておりましたのを逮捕状で逮捕しました。それから有川武典、北平勝美の三人で、たしか以上で十四名だと思います。
大橋武夫
700
○大橋
委員
このうち日鋼の工員は何名おりますか。、
松井善一
701
○
松井
證人 ほとんど工員だと思います。
大橋武夫
702
○大橋
委員
その共同謀議は現場で行われたとお認めにな
つて
おられますか。
松井善一
703
○
松井
證人 共犯
関係
ですか。
大橋武夫
704
○大橋
委員
共犯の伴う謀議はいつ成立したのですか。
松井善一
705
○
松井
證人 とにかく全部共犯者として起訴したと御了解願えればいいと思います。いつ共謀を
行つた
かということは
ちよ
つと申し上げられません。
大橋武夫
706
○大橋
委員
むろん御確信はおありでしようが、捜査上の必要から控えられたいというのですね。
松井善一
707
○
松井
證人 はい。
大橋武夫
708
○大橋
委員
なおこれらの人のほかに共同謀議の容疑ありとして捜査なさ
つた
方はありませんか。工員以外として……。
松井善一
709
○
松井
證人 今の十四人の中で竹田太一というのがおります。これは七月十八日に起訴した四人のうちの一人ですが、これは三菱三原車両の工員です。日鋼
製作所
の工員とは違います。
大橋武夫
710
○大橋
委員
これはどういう事情でこの現場に居会わせておりましたか。
松井善一
711
○
松井
證人 應援に來たのです。
大橋武夫
712
○大橋
委員
それはたれからの要請で現場に應援に來たのですか。
松井善一
713
○
松井
證人 その点は捜査官として捜査しているかどうかしりませんが、私としては存じません。
大橋武夫
714
○大橋
委員
これは
工場
側から直接に應援の要請があ
つたの
でしようか、それとも共産党の機関からお前特に應援に行くようにと指令があ
つたの
でしようか、その辺の御調査はわか
つて
おりませんか。
松井善一
715
○
松井
證人 主任檢事は知
つて
いるかもしりませんが、私は知りません。
大橋武夫
716
○大橋
委員
もし許されれば後日お知らせ願いたい。 それから侵入罪につきましては全然今お話になることは御希望にならないのですか。
松井善一
717
○
松井
證人 先ほ
ども
申し上げましたように近くいずれかに確定しますが、まだ捜査中でありますから……。
大橋武夫
718
○大橋
委員
捜査中の人員の概数はどのくらいにな
つて
おりますか。
松井善一
719
○
松井
證人 これも申し上げかねますから御了承願いたいと思います。
大橋武夫
720
○大橋
委員
それでは
質問
を撤回いたします。 それからただいま伺いますと、これらの檢挙中にいろいろ釈放
運動
のためのデモがあ
つた
そうですが、これらの
代表
に検事局の方がお会いにな
つて
おられ、また檢事正御自身もお会いにな
つて
……。
松井善一
721
○
松井
證人 私も数回会いました。
大橋武夫
722
○大橋
委員
そういう際に彼らは不法行為を正当化する理由を述べておりはしないかと思うのですが……。
松井善一
723
○
松井
證人 自分たちのや
つた
ことは決して悪いことではないのだ。それをつかまえたから不法檢挙だというように……。
大橋武夫
724
○大橋
委員
その正当化の理由として、彼らはどういうことを述べておりますか。
松井善一
725
○
松井
證人 正当化についての理由の言い方は知りませんけれ
ども
、われわれは普通の
争議
行為と思
つて
や
つて
いるのだというような言い方です。ときにはお嬢さんみたような
交渉
はできないと
言つて
おりました。
大橋武夫
726
○大橋
委員
そうして檢察廳においては、それは普通の
争議
行為と見ておられないというわけですね。
松井善一
727
○
松井
證人 少くとも不法監禁致傷罪と侵入不退去罪と
考え
ております。
大橋武夫
728
○大橋
委員
その際のデモの指導者はどういう人々でありましたか。
松井善一
729
○
松井
證人 それは主任檢事に会いに來て、文句を言
つた
人が指導者だと思いまするが、これは帰えれば一々記録としておりますからわかるのですけれ
ども
、私はちゆうに覚えておりません。
大橋武夫
730
○大橋
委員
大体共産党員が多かろうと思いますが、これもまた後に知らせていただこうと思います。 それから特にお伺いしたいのですが、検察官の自宅に対してデモあるいは面会を強要しておるような事実はございませんか。
松井善一
731
○
松井
證人 これはないと思います。あればただちに私に報告してくれるはずですが、報告がないところをみればないのだと思います。
大橋武夫
732
○大橋
委員
それからこのお取調べの
経過
を通じて、共産党のこの
事件
に対する方針なり、あるいは意図なりについては、おぼろげに輪郭を画かれておられると思いますが、どういうふうに御監督なす
つて
おられますか。
松井善一
733
○
松井
證人 どうもその点は先ほど來いろいろのお尋ねがあ
つたの
でありますが、私らの方では具体的の事実を知りません。先ほ
ども
申しました通り、これこれのことがあ
つた
からあるいは何らかあ
つたの
じやないかと思うだけであります。
大橋武夫
734
○大橋
委員
そうすると共産党が背後にあるのであろうというような推測はしておるけれ
ども
、確固たる証拠がないからこの場合は控えたい、こういうことですか。
松井善一
735
○
松井
證人 先ほどの佐々木さんの御
質問
で申しましたが、あの程度の材料があるということです。
大橋武夫
736
○大橋
委員
それから本件全部を一括いたしまして、検察廳に任意出頭を求められました人員の数はどのくらいに上
つて
おりますか。
松井善一
737
○
松井
證人 不法監禁罪は初め全部任意出頭を求めました。その十四名のうち五名は、その当時知事が斡旋して
交渉
を開始するようにしたが、その知事の斡旋の場合に
組合
代表
として出ておるということを伝聞しましたので、この取調べは遠慮しました。だから十一名に対して任意出頭を求めてそれで出て來たのがたしか六名だ
つた
かと思います。これは取調べの途中被疑者の供述その他によりまして拘束の必要を檢事が認めましたので、その日に逮捕状で逮捕したのであります。その他任意出頭の呼び出しに應じない者はその後何日かた
つて
逮捕状を出しました。
大橋武夫
738
○大橋
委員
その逮捕状の出された判事に対してもやはりメモが行
つて
おりますか。
松井善一
739
○
松井
證人 判事の方には行
つて
おらぬでしよう。ただ勾留理由解除のときには数百名がにぎやかな歌を歌
つて
裁判所に行く姿を横からながめました。
大橋武夫
740
○大橋
委員
それと関連いたしまして呼び出されました参考人はどのくらいの数に上りますか。
松井善一
741
○
松井
證人 数十名と言いますか、あるいは百数十名と言いますか、これは
ちよ
つと私としては
証言
いたしかねます。
大橋武夫
742
○大橋
委員
よろしゆうございます。それからもう
一つ
お伺いしたいのは、先ほど來
証言
の中でありました
組合長
と松江君の告訴にかかる知事、警察隊長、市警察長、公安
委員長
の職権濫用に関する
事件
、これについてはどういう訴状にな
つて
おりますか。
松井善一
743
○
松井
證人 その被告訴人が共謀してああいうふうな行為に対して暴行傷害を加えた。これは何らかの権限がないのにや
つた
行為だから職権濫用だという意味のものだと思います。
大橋武夫
744
○大橋
委員
そうすると暴行傷害というのはどういう傷害を指すのであるか。
松井善一
745
○
松井
證人 それは告訴状に添付してあります診断書が五十通前後ございます。告訴状に添付しております被害者と称する者の診断書でございますが、それをわれわれの方で調べたのです。その傷害の程度は今知らないのですが、程度はほとんど赤チンキをつけて帰らしたような程度だと思います。中には診断書に三日あるいは五日というようなことが書いてあるのもあるが、ほとんどは治療日数が書いてないでそこは空白にな
つて
おります。ただ挫傷とか踏まれてこす
つた
とかいうようなことで赤チンキをぬ
つて
帰した程度であります。
大橋武夫
746
○大橋
委員
なおこの診断書を出しました
医師
についてお取調べに
なつ
たことはありませんか。
松井善一
747
○
松井
證人 それは主任檢事が調べております。
大橋武夫
748
○大橋
委員
どういう性質の
医師
かわかりませんか。
松井善一
749
○
松井
證人 おそらく音通のお医者さんで、何もたくらみを持つような医者ではないと思います。
大橋武夫
750
○大橋
委員
そうすると大体現在の段階において事実
関係
は明らかにな
つて
おるのじやないですか。
松井善一
751
○
松井
證人 ただいまあなたの御
質問
にな
つて
おる問題ですが、つまり
組合
の方でこの告訴
事件
で非常に困
つて
おる問題が
一つ
あります。と申しますのは、告訴状のこれこれを調べてもらいたいという
証人
のほとんど全部が出て來たのです。ところが二人出て來ないのがある。これはおそらく共産党の廣島地区における機関紙かと思われるのですが、廣島民報というのがあります。その廣島民報の記者の二人の名前を告訴状に載せてあるのです。二人を呼び出すのにいくら呼んでも來ない、電話をかけたら今
行き
ます、今日來るかと言
つた
らあす
行き
ます、自動車を迎えにやるからと言
つた
ら今
ちよ
つと
会議
をしているからと
言つて
絶対に來ないのです。
大橋武夫
752
○大橋
委員
そうすると現在までの段階においては犯罪の容疑者と見るべき犯人はないけれ
ども
、
あと
二名の者が残
つて
おるために最終の決定ができかねるというような……。おそらくその
証人
は共産党員じやないのですか。
あと
の二名はこれが出頭することによ
つて
いよいよこの犯罪が成立だということが明らかになることをおそれて故意に出頭しないのではないか。從
つて
永久にこの
事件
は完結しないというおそれがあるのではございませんか。
松井善一
753
○
松井
證人 私の方で出て來ないのでずいぶん手を盡して取調べ、主任官は非常に困
つて
おるようでした、何と申しましても出て來ない、二人を自動車で迎えに行
つて
も出て來ない。
大橋武夫
754
○大橋
委員
そうすると今のところ別に檢察廳としてはその方を強制的にお呼び出しになる方法はございませんね。
松井善一
755
○
松井
證人 今の刑事訴訟法では
ちよ
つとむつかしいと思います。
大橋武夫
756
○大橋
委員
そうするとこの告訴状のある者は何ら事実のないところに宣傳のためにかような告訴状を出した、そうして一方においてはこれをぜひ調べろということによ
つて
宣傳の効果をあげる。しかし
最後
的にはこの取調べが完結するということは結局自分たちの虚偽と欺瞞とが暴露することになりますから、
最後
的にはこれを完結することをできるだけ妨害して引き延ばす、これが彼らの態度であるということが明らかに
なつ
たです。
神山茂夫
757
○神山
委員
先ほどの
証言
の中に戸田初一という人の名前が出たのですが、この人は日鋼の専属の請負ですか。
松井善一
758
○
松井
證人 多分專属の請負とか聞いております、土建業者です。
神山茂夫
759
○神山
委員
日鋼と特殊の
関係
があるということは当然ですね。
松井善一
760
○
松井
證人 そう想像できますね。 〔「前身は暴力團じやなか
つた
か」と呼ぶ者あり〕
神山茂夫
761
○神山
委員
もちろん前身は暴力團で今もそういう傾向があります。先ほどの
証言
の中で今度の不法監禁とけがをさせた致傷罪ですか、その内容をお述べに
なつ
た点は私も聞いてお
つたの
ですが、あなたはああいうふうなことになるのがどういう原因から起
つた
かということは一言もお述べになりませんでしたか。何かお気づきのことはありませんか。
松井善一
762
○
松井
證人 それは
争議
なかりせばわれわれの調べておるところの事案は起らなか
つた
と思います。
神山茂夫
763
○神山
委員
争議
はどうして起りましたか。
松井善一
764
○
松井
證人 その点はわれわれの問題外であります。
神山茂夫
765
○神山
委員
それで先ほど
鍛冶委員長
が警察署長がしきりに前に出るのは何らかの暴行があるのじやないかと思わぬかということを聞いてお
つたの
です。これは上田市警局長が人民大会の前に出たことが何らか暴行と関連させなければ
考え
られない。こういうわけですが、あなたのところに各民主團体の
代表
者が数回來ておりますが、あなたがこれらにお会いになりますときには何か暴行か脅迫でもあ
つて
お会いにな
つて
おりますか。
松井善一
766
○
松井
證人 私としては暴行を受けておりません、もつとも暴行という言葉の内容を腕力の行使と見るか、あるいは威圧と見るかはその人の判断によ
つて
違うと思いますが、何らか威圧を加えんとする態度であることは明らかであります。
神山茂夫
767
○神山
委員
あなたがお会いになる場合には威圧があ
つた
からお会いにな
つたの
ですか。
松井善一
768
○
松井
證人 いやそうではありません、向うの方の意思は威圧でありますけれ
ども
、こちらは、受ける方はそうではありません。
神山茂夫
769
○神山
委員
あなたの方としても、当然職権に基いて正しく執行するために天地腑仰に恥じず、生々堂々とお会いになるでしよう。それにもかかわらず上田市警局長の場合にだけ、どうして威圧に感じて出たかもしれないというような推測ができますか。
松井善一
770
○
松井
證人 それは先ほど申しましたように、人と人とが
交渉
する際によく立場を理解し、お互いの主張を理解するためには、大勢の前ではできないのが私は普通だろうと思います。できるだけおとなしく、静かに打合わすのがほんとうの
交渉
だと思います。ああいうふうに大勢の前に出されることは、たとい市民の治安を守る局長といえ
ども
出られない。これが普通だろうと思います。しかるにそれが出ておるというのが現実ですから、その間に何らかあ
つた
かもわからぬけれ
ども
、威圧か暴力か、あるいはだましたのかどうかそれはわからぬが、とにかくそう申したのであります。
神山茂夫
771
○神山
委員
ですから私の申したのは、だましたのか威圧を食
つたの
かわからないように、あなたと同じように自由意思で出たかわからない。
鍛冶良作
772
○
鍛冶委員長
違う。根本的に違
つて
いることを君は
言つて
おる。そんなら聞いてみよう。
神山茂夫
773
○神山
委員
何をだ。
鍛冶良作
774
○
鍛冶委員長
向うから檢事正は会いに來ておる、局長は前にひつぱり出されておる、それを
言つて
いる。それは違
つて
おるよ。
神山茂夫
775
○神山
委員
委員長
、おれの
質問
に対して途中でそんなことを言わんでもいい。おれが聞いているのは、いろいろなそういうふうな場合の可能性がある。暴行云々というような表現を使うのは問題だと
言つて
おるのだ。しかしこれは見解の相違ということになるからいいとして、それでは檢事正にひとつお尋ねしますが、あなたは当然この問題の大体の動きについては御承知だと思いますが、先ほどから他の
委員
諸君が、共産党がこれに大きな指導をしている、ある場合には高木
委員
のごときは親切に中央からわざわざ指導しているというようなことを
言つて
いるわけであります。というのは聽濤代議士でありますが、廣島ではこの聽濤代議士及び共産党の中央に関連する闘士も含んで、合せて五人の指導部があ
つて
、これに対して対策を立てて指導していたというふうなうわさがあ
つた
ということをお聞きに
なつ
たことはありますか。
松井善一
776
○
松井
證人 主任検事は聞いておるかもしれませんが、私は存じません。
神山茂夫
777
○神山
委員
それから先ほどあなたのおつしや
つた
ことに関連するのですが、現在の社会不安と言われるもの、すなわち廣島に不安があるだけではなくて、全國に社会不安があるとおつしや
つた
。これは最近の三鷹
事件
は共産党がや
つた
んだ、下山を殺したのも共産党だと言わんばかりの宣傳が盛んにあり、高萩、平の
事件
もありますので、あなたが社会不安と言われる現象があるかもしれぬ。しかしその一番底に何がこういうことをさせるか、何が彼女をそうさせるか、これを一体お
考え
にな
つて
おるか、どうですか。
松井善一
778
○
松井
證人 私として社会観や政治観を述べる筋ではないと思います。
神山茂夫
779
○神山
委員
その政治観は聞かないが、今度の不祥
事件
と言われる場合に、
争議
なかりせばこういうことはなか
つた
とおつしや
つた
でしよう。
争議
が起
つた
直接の原因、一番根本の原因、これをさかのぼ
つて
行き
ますと、民主自由党の政治や政策の結果起
つて
おる、こういうことをお
考え
に
なつ
たことはありませんか。
松井善一
780
○
松井
證人 それは政治観や社会観は申し上げかねます。
鍛冶良作
781
○
鍛冶委員長
では済みました。御苦労さんでした。 —
——
——
——
——
——
——
神山茂夫
782
○神山
委員
議事進行について一言いたします。昨日の議院運営
委員会
の申合せに從いまして、各
委員会
は原則として午後五時に打切ることにな
つて
おるのであります。それはすでに先月の末に議院運営
委員会
の
理事
会で決定して、その旨を各
委員長
諸君に申入れしてあるはずでありますが、不幸にして
鍛冶委員長
は知られなか
つた
。今度の場合は、昨日成規の文書をも
つて
申入れしてあるはずであります。從
つて
賢明な
委員長
としては、この申合せの趣旨に從
つて
委員会
の運営を正五時に打切られるように私は強調せざるを得ない。なぜかと申しますと、この申合せは暑中における職員諸君の健康
状態
を
考え
まして、國会の正常なる運営もさることながら、これを正式に運営すると同時に、國会職員諸君の現在の困窮した苦しい
状態
を少しでも軽くするために、特に土曜日のごときは半日勤務ということにわざわざ連合軍側のサゼツシヨンに基いてな
つて
おるのであります。それにもかかわらず、本考査
委員会
は、どういうわけでありますか、終始特定の、非常に一方的の
事件
を持ち出されて、しかもその運営にあた
つて
は一日おきというふうな非常にむりなことをして今までもや
つて
來ておるのであります。これは國会全体の運営の立場から見ましても、また昨日の議院運営
委員会
の正式の申合せの精神にかんがみましても、まことに遺憾しごくであります。從
つて
本日以後ただちに、昨日決定いたしましたように五時に
委員会
を打切られるようにされることが必要であると私は
考え
るのであります。 さらに私は一言したいのは、本考査
委員会
が常に定足数を欠いておる事実を強調せざるを得ない。特定の議決がある場合などには、非常に時間を延ばして、
委員会
の開会を遅らしたり何かある作為を行いまして、定足数を集めて、集めて來るやいなや一方的に議決される例が遺憾ながら今まで一、二回あ
つたの
でありますが、その後黙
つて
見ておりますと、ほとんど定足数を欠いておる。昨日のごときは
証人
に対して共産党二名、民自党二名しか残
つて
いないような事実があるのであります。こういう点については
委員長
はいかなる
考え
を持
つて
おるか。この点について
責任
のある明答をしてもらいたい。これについてわれわれとしてはまた態度を保留したいと思いますが、以上二点について、
委員長
の
責任
のある御答弁を願いたい。
鍛冶良作
783
○
鍛冶委員長
私に対する
質問
ですからお答えいたしますが、神山君の仰せられる通り、その御趣旨に沿うべくや
つて
おりますから、できるだけひとつ御協力のほどをお願いいたします。 ただいまお見えにな
つて
いる
証人
は、金子
敬通
さん、戸田初一さん、松江澄さんですね。これより
日本製鋼廣
島
製作所争議事件
について
証人
より
証言
を求めることといたします。 証書を求める前に、各
証人
に一言申し上げますが、
昭和
二十二年
法律
第二百二十五
号議院
における
証人
の
宣誓
及び
証言等
に関する
法律
によりまして、
証人
に証書を求める場合には、その前に
宣誓
をさせなければならぬことと相な
つて
おります。
宣誓
または
証言
を拒むごとのできるのは、訳
証言
が
証人
または
証人
の
配偶者
、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または
証人
とこれらの
親族関係
のあ
つた
考及び
証人
の後見人または
証人
の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある
事項
に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき
事項
に関するとき、及び
医師
、
歯科医師
、薬剤師、
薬種商
、産婆、弁護士、
弁理士
、
弁護人
、
公証人
、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあ
つた者
がその職務上
知つた
事実であ
つて
黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には
証言
を拒むことはできないことにな
つて
おります。しかして、
証人
が正当の理由がなくて
宣誓
または
証言
を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ
宣誓
した
証人
が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとな
つて
おるのではあります。一應このことを御承知にな
つて
おいていただきたいと思います。 では
法律
の定めるところによりまして
証人
に
宣誓
を求めます。御起立を願います。戸田さん
代表
して読んでください。 〔
証人
戸田初一君各
証人
を
代表
して
宣誓
〕
鍛冶良作
784
○
鍛冶委員長
署名捺印
を願います。 (各
証人宣誓書
に
署名捺印
)
鍛冶良作
785
○
鍛冶委員長
証言
を求める順序は戸田初一さん、金子
敬通
さん、松江澄さんの順序にいたしますから、戸田さん以外の方は
もと
のところでお休みください。 戸田初一さんですね。あなたは廣島ブロック安藝地区公安
委員
連絡
協議会
会長というのでありますか。
戸田初一
786
○戸田證人 さようであります。
鍛冶良作
787
○
鍛冶委員長
これはどういうことでこの
協議会
はできておりますか。
戸田初一
788
○戸田證人 これは懸下一般の公安
委員会
には懸公連というものがありまして、国家と自治体との連合の警察運営についての
協議
をする会で、廣島は廣島市が局にな
つて
、安藝、佐伯、安佐という
関係
で、安藝郡は安藝郡下六筒町村の警察の連絡
協議会
であります。
鍛冶良作
789
○
鍛冶委員長
縣公連の中の安藝郡の公安
委員
、こういうことですね。
戸田初一
790
○戸田證人 さようであります。
鍛冶良作
791
○
鍛冶委員長
あなたはいつからそれをおやりですか。
戸田初一
792
○戸田證人 これは公安
委員会
というものが認められた当時から、ずつと引続いてや
つて
おります。昨年の三月からです。 それから
委員長
にお願いしておかなければならぬのは、
証言
をいたしますにあた
つて
、日にちとか、時間とかいうものがあまり記憶にない点があるいはありはしないかと思いますから、その点あらかじめ御了承を願
つて
おきます。
鍛冶良作
793
○
鍛冶委員長
わかりました。できるだけ正確に願います。 あなたは
日本製鋼廣
島
製作所
に始終出入りしておいでになりましたか。
戸田初一
794
○戸田證人 さようであります。
鍛冶良作
795
○
鍛冶委員長
どういう
関係
で出入りなさいますか。
戸田初一
796
○戸田證人 大正十年から引続いてあ、すこの專属請負業といたしまして、現在まで毎日というわけではありませんけれ
ども
、参りまして
仕事
の取引をしていただいております。
鍛冶良作
797
○
鍛冶委員長
建築ですか。
戸田初一
798
○戸田證人 建築土木です。
鍛冶良作
799
○
鍛冶委員長
この
日鋼廣
島
製作所
に六月に入
つて
から
争議
が起
つた
ようですが、大体どんなような
争議
であ
つたの
ですか。
戸田初一
800
○戸田證人 大体六月二日に
整理案
を
会社
でこさえたというようなことで、それから十一日まで各
委員
と
交渉
してお
つた
ような
状態
であります。十二日から多少混乱したような結果でございます。
鍛冶良作
801
○
鍛冶委員長
どのような混乱になりましたか。
戸田初一
802
○戸田證人 私はその日十一時ごろに
会社
に参りましたところが、
事務所
の二階の廊下、それから下に赤旗が立
つて
労働歌をうた
つて
おりまして、もちろん庶務はすでに占拠され、秘書も占拠され、
所長
室に各部
課長
、
工場長
がおられまして、それで
所長
室へは参りませんけれ
ども
、とりまいて
交渉
を続けておるような次第であります。
鍛冶良作
803
○
鍛冶委員長
交渉
でしたか、どういうのですか。
戸田初一
804
○戸田證人 それは團体
交渉
をするから外に出てくれというような
交渉
を続けておりました。それで
会社側
とされましては、こうたくさんの
人間
が騒動してはどうも穏やかに
交渉
はできないから、
委員
を選択してくるなら
交渉
する。こういうようなことを言われたように
考え
ます。その日の大体のいきさつを私が知
つて
おります範囲で申し上げてよろしゆうございますか。
鍛冶良作
805
○
鍛冶委員長
できるだけ簡単に……。
戸田初一
806
○戸田證人 それで十一時ごろ参りまして、十二時ごろに部
課長
と
板垣
所長代理
と三人ばかり人垣をつく
つた
中を玄関まで出られて、引続いて多少時間を置きまして各
工場長
が全部寄りまして、そして私は早速西側の入口に参りました。ところがそこに取締り本部の
課長
が引ずり出されて、西側に出されて、こつちに顔を出して、こういうぐあいにして顔を内にしていた。その間いろいろのことをいたしましたが、まあ暴言というか、いろいろの行動もしておりました。ところが
ちよ
つとこちらを見ますと、そこに鈴木総務部長が
ちよ
うどこういう窓ぎわにおられました。そしてぐるりを取巻いて何か
交渉
しておるところを見まして、これは鈴木さんあぶない、かように見まして、私は声をかけました。そうしていろいろの
交渉
がありましたけれ
ども
、鈴木さんといたしましてはあまり口もきかず、ただ黙然としておられたのであります。ところがそのときに、約三十分ぐらいいたしますと、森という共産党の党員
——
これは有名な人でありますが、それが
ちよ
つと來い。こう言われたので、何か用かと言うて外へ出たんです。出ていろいろの話を
——
話と申しましても、あなたはここへ何しに來られた、どういう必要があ
つて
來られた、と申しますから、私はこうこうでここへ約三十年間出入りしておる。それから
ちよ
つと向きますと鈴木さんが腰掛けの上に載せられて、わつさわつさと抱いて表に連れられて
行つた
ような状況であります。そこで私は事重大である、かように
考え
まして、早速一船越の警察署へ参りまして、三好署長に、そこに公安
委員
もおられまして、事情をよく話したところが、そういうわけだ
つたの
か、それじや放
つて
おけぬというので、署長みずから各署へ行
つて
應援力を要請せられたような次第であります。
鍛冶良作
807
○
鍛冶委員長
それで署長はどうしましたか。
戸田初一
808
○戸田證人 署長は電話で何か
交渉
せられたようであります。
鍛冶良作
809
○
鍛冶委員長
それから何か出て來ましたか。出て來ませんでしたか。
戸田初一
810
○戸田證人 だれがですか。
鍛冶良作
811
○
鍛冶委員長
警察の方で……。
戸田初一
812
○戸田證人 出て來ませんでした。
鍛冶良作
813
○
鍛冶委員長
どこへどういう
交渉
をされてお
つた
かそれはわかりませんか。
戸田初一
814
○戸田證人 それは大体において廣島の局と、それから縣の方と
交渉
されたようです。それから進駐軍の方へも連絡されたようです。
鍛冶良作
815
○
鍛冶委員長
だが具体的には何もやらなか
つた
ですか。
戸田初一
816
○戸田證人 やりませんでした。
鍛冶良作
817
○
鍛冶委員長
あなたはそのときその
状態
を見てこれはたいへんだというのは、どのようにたいへんだと思いましたか。
戸田初一
818
○戸田證人 それはすでに長門という取締
課長
もそういう現状であるし、それからまた署長
代理
の
板垣
さん初め
工場長
までが民家の前に出されて、そうしてコンクリートの上に立たされて、周囲は全部
組合員
が囲んでおるし、鈴木さんはそういう
状態
で拉致されたということで、しかも白晝かくのごとき行動をされたことは、どうも見るにしのびない。もちろん私も公職を帶びている
関係
上、つまり船越町の公安
委員会
の
委員長
といたしましてこういうふうに思
つた
次第であります。
鍛冶良作
819
○
鍛冶委員長
ただ單にむちやをやるという意味ですか。これは放つといたらたいへんなことになるという意味ですか。
戸田初一
820
○戸田證人 それは放つといたらば
——
そのときの
考え
方は、こういうようなことをしかも白晝にすることはまことに乱れたという
考え
の上におきまして、私の感想といたしましては、私の子供が学校へ行
つて
おりますが、これは偉い者にしたらこういうことになるのだ、勉強というものはあまりさせるものでない、かように
考え
ました。
鍛冶良作
821
○
鍛冶委員長
法治国として許すべからざることだというわけですか。
戸田初一
822
○戸田證人 法治国として白晝、しかも大衆の面前でわつしよわつしよや
つて
、
委員
を連れて行
つて
そうして乱暴を働く、かように
考え
まして放
つて
おくべきでないと私は
考え
たのであります。
鍛冶良作
823
○
鍛冶委員長
そういうりくつが主だ
つた
か、私の言うのは、これは放
つて
おいたらどんなことをされるかわからぬという、そういう身体の不安を感じられたかどつちですか。
戸田初一
824
○戸田證人 そのときの
状態
を見ますと、放
つて
おいたらどういう問題が起きるかわからぬ、かようには
考え
ました。
鍛冶良作
825
○
鍛冶委員長
その通り警察署長に言われたわけですね。
戸田初一
826
○戸田證人 その通りを
——
どこそこでこういう
状態
だ、しかしこれに対しての署長の
考え
方はどうだと言
つた
ら、どうも十人二十人の自治体警察ではどうすることもならぬ、他に應援を求めなければならぬという
関係
で、他から應援を受けたようなわけです。
鍛冶良作
827
○
鍛冶委員長
ところが事実上應援に來なか
つた
わけですね。
戸田初一
828
○戸田證人 來なか
つた
と申しましても、安藝地区全部寄せましても百人くらいしかおらぬ、とうてい百人くらいではいけぬということを
考え
て、それであらゆる方面に應援の要請をされたように思います。
鍛冶良作
829
○
鍛冶委員長
寄
つて
來る時間が簡単には行かぬから、こういうわけですね。
戸田初一
830
○戸田證人 そこで私の申すことは、警察というものが二本建であるので、養成いたしましてもなかなか簡單にはや
つて
來ない、これは何とかしなければ、こういうような
状態
に
なつ
た場合にはこんなことではいけない、ということを私は
考え
ました。
鍛冶良作
831
○
鍛冶委員長
その後
会社
はずいぶん騒ぎに
なつ
たようですが、その点は御承知ありませんか。
戸田初一
832
○戸田證人 十三日はそういうわけで、十三日、十四日は私気分が惡くて家で寝ておりました。
鍛冶良作
833
○
鍛冶委員長
十五日の状況は。
戸田初一
834
○戸田證人 十五日の状況は、朝の八時半に警察の人が二人ほど來まして、それで私としまして寝ておるわけにいかぬというので
——
そのときは警察側と
組合
とのいきさつは、門外でどな
つて
お
つた
ような
状態
でありますが……。
鍛冶良作
835
○
鍛冶委員長
その後船越の警察が
争議
團に襲われたようですね。
戸田初一
836
○戸田證人 それは十四日です。十四日の晩に私は家にお
つた
が、中島惣次が参りました。八時ころだ
つた
と思います。たいへんだ、船越の警察がとり囲まれた、何とか方法はありませんか……。
鍛冶良作
837
○
鍛冶委員長
十四日ですね。
戸田初一
838
○戸田證人 そうであります。そうして中島惣次の申しますには、警察の机の上に上
つて
交渉
しよ
つた
。外には二、三百人の
人間
がおり、中には四、五十人お
つて
交渉
しよ
つた
……。
鍛冶良作
839
○
鍛冶委員長
それでどうしましたか。
戸田初一
840
○戸田證人 それで私は、年寄のくせにそんなあぶない所に行つちやいけないと申しますものですから、そのときは参りませんでした。
鍛冶良作
841
○
鍛冶委員長
それで警察に何を言うて
行つたの
ですか。
戸田初一
842
○戸田證人 そこに私はおらぬのでありますから。ただ中島惣次がそういう報告に参りましただけですから、あまり詳しいことは知りませんが、私の所に來るのに、何ゆえに警察は警察官を招集してやらぬのかということを
交渉
に
行つた
。
鍛冶良作
843
○
鍛冶委員長
そのとき警察は招集してお
つたの
ですか。
戸田初一
844
○戸田證人 警察は一部は招集してお
つた
ような気がいたしました。
鍛冶良作
845
○
鍛冶委員長
そのほかその辺の公職者とかいろんな所へ非常な脅迫がましいことを
言つて
デモをかけたそうですが。
戸田初一
846
○戸田證人 事実であります。
鍛冶良作
847
○
鍛冶委員長
あんたはやられなか
つた
ですか。
戸田初一
848
○戸田證人 私の所には來ません。ところがその前に奥海田村の村長が参りまして、どうも困
つた
ことができた。とにかく議会を開いてくれ、その理由はいわゆる
首切り反対
で議会を開いてくれと朝晩
言つて
來る。どうしたものかというような話でありましたけれ
ども
、それはあなたの
考え
方で、この労働問題に対して必ず議会を開かなければならぬ性質のものかと言いました。ところがそれは重要だから、重要ならしようがない、議会を開かなければならぬというわけで、私としてはそこは何とか言うてや
つて
、その
あと
はあなたの自由だから、あなたの自由か
つて
にせい……。
鍛冶良作
849
○
鍛冶委員長
なるべく大きい声で、はつきり
言つて
下さい。
戸田初一
850
○戸田證人 そこで海田市の奥海田村長は私のところにも参り、役場にも参
つた
。私は現場におらぬものですからよく知りませんが、
あと
で聞きますれば、船越の町長佐古田利雄という人の家へ行
つて
、おれには巡査が應援に來るからたき出しをや
つて
くれ、どういうわけでそういうようなことをするのかと申しまして……。
鍛冶良作
851
○
鍛冶委員長
米のたき出しですか。
戸田初一
852
○戸田證人 それは実際はないのです。それからまた役場に参りまして、
ちよ
うどそのとき町長は留守だ
つた
から、助役を外に出してそうして道端でいろいろな話をした。これは私な見たのでなく、聞いた話ですが、そのときの助役の言われるのは、いろいろな問題があ
つた
けれ
ども
、しかし要するに道路では交通妨害になるから学校の校庭へ行
つて
交渉
してくれというので、その人は足が悪いのでびつこを引いて來られて、いろいろな
交渉
を受け、その結果としては町長としてはどうすることもできない……。
鍛冶良作
853
○
鍛冶委員長
それから廣島市内を何日もデモをやるし、呉その他にもデモがあ
つた
ということを聞いておりますが、そういうことは聞いておりますか。
戸田初一
854
○戸田證人 聞いております。
鍛冶良作
855
○
鍛冶委員長
そのたびに警察はそれを取締ることはできませんでしたか。
戸田初一
856
○戸田證人 できません。全然手をつけず……。
鍛冶良作
857
○
鍛冶委員長
それはどういうのです。
運動
がはげしいから、
運動
をや
つて
歩く、デモをや
つて
歩く者が多いから手が出ないのですか。
戸田初一
858
○戸田證人 そういうわけではございません。警察はなるべく労働
運動
に対しては引込み主義で、手を出しません。
鍛冶良作
859
○
鍛冶委員長
労働
争議
には手を出さぬが、そういう不安なこと、
——
人心がずいぶん不安がるでしよう。治安が保てないでしよう。そうすれば当然任務としてやらなければならぬでしようが……。
戸田初一
860
○戸田證人 われわれが五人や十人
行つた
ところでとうてい鎮圧できぬのだからというような
関係
で、あまり手を出さない。これがいわゆる自治体警察の最も悪いところだと思います。
鍛冶良作
861
○
鍛冶委員長
これに対して附近の人々はどう
言つて
おりますか。これは将來どういうことになるだろうと
言つて
いたでしよう。
戸田初一
862
○戸田證人 十六日の日でございます。晩にかけまして製鋼所の塀の外に一万内外の
運動
員あるいは朝鮮人連盟、
外部
團体が参りまして、そうして石を投げたりなんかして乱暴を働いたようです。それに対して警察としては、そのときに警察の巡査はその中に何百とおりましたが、それに対しての取締りはやらぬようでした。
鍛冶良作
863
○
鍛冶委員長
あなた方としても、こういう不安なことをどうすればしずめられるかというようなことを苦心されたようですが、手の出しようがなか
つた
……。
戸田初一
864
○戸田證人 手の出しようがなか
つた
。それで私の
考え
方は、一箇所にこういうことがあ
つたの
でさえ、こういうような地方民の不安がおびただしい。至る所にこういうような不安な
状態
があ
つた
ら警察は一体どうするんだというような、非常に警察力の弱いことを感じているような次第であります。
鍛冶良作
865
○
鍛冶委員長
今は平穏になりましたか。それでもまだ不安が続いておりますか。
戸田初一
866
○戸田證人 現在は、稔やかに
なつ
た。
鍛冶良作
867
○
鍛冶委員長
大丈夫ですか。
戸田初一
868
○戸田證人 大丈夫です。
鍛冶良作
869
○
鍛冶委員長
それではよろしうございます。
神山茂夫
870
○神山
委員
ちよ
つとお尋ねしますが、戸田さんは戰時中谷組という土木組にいらつしやいましたね。
戸田初一
871
○戸田證人 あれは合資
会社
として中谷組とともにあすこの事業を一緒にやりました。
神山茂夫
872
○神山
委員
そのとき一緒に合資しておられた日吉文左エ門ですか、その当時労務報國会の会長をや
つて
いらしたことはほんとうですか。
戸田初一
873
○戸田證人 あれは中谷庄之助といいまして、大阪におりますが、その親戚にあたる日吉文左エ門という者がやりました。
神山茂夫
874
○神山
委員
あなたがこの労務報國会の会長をしたわけではないのですか。
戸田初一
875
○戸田證人 私がや
つた
わけではありません。
神山茂夫
876
○神山
委員
それから先ほどからお聞きしておりますと、三十年間
会社
と親しくしていらつしや
つた
そうですが、どういう
関係
で
会社
に出入りしていらつしや
つたの
ですか。
戸田初一
877
○戸田證人 それは三十年前のことでございますから詳しいことは存じませんが、
仕事
があればさしてもらいたい。簡単に申し上げますと、そのときに製鋼所としては臨時建設部で
工場
の拡張をするのに人夫を十人ばかりいる。それを私に命ぜられまして、それが機縁とな
つて
現在に至
つて
おります。
神山茂夫
878
○神山
委員
そうすると、人夫を入れていらしたわけですね。一番盛んなころは何人ぐらい入れておりましたか。
戸田初一
879
○戸田證人 それからずつと製鋼所に入る職工は、みな私の方から臨時雇として供給しておりました。多いときは四、五百いたわけです。
神山茂夫
880
○神山
委員
それで飯場といいますか、あるいは親方といいますか、そういうものにな
つて
いたわけですか。
戸田初一
881
○戸田證人 飯場はありません。
神山茂夫
882
○神山
委員
このごろの言葉でいうと中間搾取といいますか、一應あなたのところで請負してお
つた
わけですか。
会社
と非常に密接な
関係
があ
つた
わけですね。
戸田初一
883
○戸田證人 はあ。
神山茂夫
884
○神山
委員
今若い者はいらつしやいますか。
戸田初一
885
○戸田證人 今はそういうようなことはできないことにな
つて
おります。
神山茂夫
886
○神山
委員
それにもかかわらずやはりあなたのところの輩下というような人が残
つて
いるのではないですか。
戸田初一
887
○戸田證人 それは製鋼所だけではなく、ほかの方面にも多少事業がありますからその方に使
つて
いる人もございます。
神山茂夫
888
○神山
委員
そういう人が今度の
争議
の中に顔を出しているものですから、
ちよ
つと聞いてみたか
つた
んです。それから六月二日に船越の公安
委員会
が開かれたという話はお聞きにな
つて
いませんか。
戸田初一
889
○戸田證人 聞いております。
神山茂夫
890
○神山
委員
これはどうでしよう。三日に
会社
が
首切り
案を発表したわけですが、その前に船越の公安
委員会
と連絡をと
つて
……。
戸田初一
891
○戸田證人 日にちはよく覚えておりません。
神山茂夫
892
○神山
委員
二日ですが、廣島の警察署長と公安
委員会
に対して警備を強めるというようなことを
言つて
おりますが、これはお聞きにな
つて
おりませんか。
戸田初一
893
○戸田證人 知りません。
神山茂夫
894
○神山
委員
あなたは海田市の公安
委員
でいらつしや
つて
、これは船越の話ですから、その内容はお知りにならないわけですな。それから十四日に、やはり公安
委員
、懸知事、岡谷檢事、この
人たち
が集ま
つて
いろいろ相談をしているような事実がありますが、御承知ですか。
戸田初一
895
○戸田證人 知りません。
神山茂夫
896
○神山
委員
それは知らない。連
合協議会
の会長であるあなたには知らせないで、ほかの公安
委員
諸君が
——
定数はあ
つた
でしようが、縣知事その他と会
つて
打合せしたということなんですか。
戸田初一
897
○戸田證人 船越の公安
委員
と会
つた
かどうか知りません。
神山茂夫
898
○神山
委員
船越の公安
委員
の名前は知りませんか。
戸田初一
899
○戸田證人 根石一誠、佐古田利雄。
神山茂夫
900
○神山
委員
それで根石さんはお医者さんですね。佐古田さんは何ですか。
戸田初一
901
○戸田證人 あれは金物商です。
神山茂夫
902
○神山
委員
別にこの人は
会社
に特別に
関係
あるというふうなことはありませんね。
戸田初一
903
○戸田證人 佐古田君はありますよ。
神山茂夫
904
○神山
委員
どういう
関係
でしようか。
戸田初一
905
○戸田證人 あれはあそこのスクラツプと申しますか、あそこの
工場
内を
整理
しまして、
——
機械建築の
整理
をしてそれをとにかく圧搾してどこへ納めるのか、どうするのかしらないけれ
ども
、その
仕事
をしております。
神山茂夫
906
○神山
委員
それから日吉さんは日吉組を持
つて
おりますが、
関係
ございませんか。
戸田初一
907
○戸田證人 それはありませんね。日吉君の子供は
関係
あります。ところがその公安
委員
は養子でありまして、それは現在タバコ屋をや
つて
おります。
神山茂夫
908
○神山
委員
それではそのタバコ屋でないそのお父さんですか、公安
委員
をや
つて
おるのは……。
戸田初一
909
○戸田證人 文左エ円氏は死んだのです。
神山茂夫
910
○神山
委員
息子さんがや
つて
おるのですね。何をや
つて
おりますか。
戸田初一
911
○戸田證人
会社
の中の荷揚げだとか、運搬とかや
つて
おります。
神山茂夫
912
○神山
委員
やはりそういうふうな運搬や何かに従事しておる。組をや
つて
いらつしやるのですね。
戸田初一
913
○戸田證人 日吉組というのをや
つて
おります。
神山茂夫
914
○神山
委員
これで明らかになることは、戸田さんは
会社
と非常に古い
関係
を持
つて
いらつしやるということと、公安
委員
でいらつしやる佐古田さんと日吉さんもこの
会社
と非常に密接な
関係
があるというわけですね。
戸田初一
915
○戸田證人
関係
はあります。
神山茂夫
916
○神山
委員
それではこれでけつこうです。
鍛冶良作
917
○
鍛冶委員長
それでは済みました。 —
——
——
——
——
——
——
鍛冶良作
918
○
鍛冶委員長
金子
敬通
さんですか。
金子敬通
919
○金子證人 はい。
鍛冶良作
920
○
鍛冶委員長
あなたは
日本製鋼廣
島
製作所
の
労働組合
の
組合長
をしておられるのですか。
金子敬通
921
○金子證人 はい。
鍛冶良作
922
○
鍛冶委員長
いつからですか。
金子敬通
923
○金子證人 七月八日からであります。
鍛冶良作
924
○
鍛冶委員長
そのとき初めてできた
組合
の
組合長
ですか。
金子敬通
925
○金子證人 そうです。
鍛冶良作
926
○
鍛冶委員長
それではその前からあ
つた
組合
とは違うのですね。
金子敬通
927
○金子證人 違います。
鍛冶良作
928
○
鍛冶委員長
六月早々廣島
製作所
でたいへん
争議
があ
つた
ようですが、大体どういうことからどういうことに
なつ
たか概略の筋だけをお話願いたい。
金子敬通
929
○金子證人 これは一應断
つて
おきますが、私は
職場
議長をや
つて
おりました
関係
上、抽象的なこともありますし、また日時におきましても多少違いがあると思いますが、その点御了承願いたいと思います。六月二日に七百三十二名の
首切り
が発表されたということを執行部よりわれわれ
職場
に傳達があ
つた
わけであります。しかる後において自治的サボに入れという
組合
よりの指令がありました。それから三日でしたか四日でしたかはつきり記憶しておりませんが、今後の
首切り
に対する
運動
方針を決定するために大会をいたしました。この大会の席上におきまして
首切り
絶対
反対
という
運動
方針を決定いたしました。その大会の席上におきましては全金廣島支部書記長、それから廣船並びに共産党廣島支部
——
名前は記憶しておりませんが、これらのあいさつがありました。それから後におきましては、闘争本部より逐時指令が参りまして、一日の行動を指令しておりました。十日だ
つた
と思いますが、例によりまして現在團体
交渉
をや
つて
おるから、圧力をかけるために、デモ行進をや
つて
くれ、これは本館前だという指令がありましたので、私の率いる三百五十名を連れまして
工場
より出て参りました。しかるに本館へ面接行けばいいのに、川端を傳
つて
表門の方から入
つて
くれという声でありましたので、その方向に私は出て参りましたのですが、正門のところに参りますと、もはや時間は遅いからこれより警察にデモ行進をも
つて
圧力をかけるというような結果になりまして、われわれ機械
工場
並びに鋳造
工場
が東門のところで合併しまして、船越警察に、労働
運動
に対する彈圧は決してしないという確約書を書いてくれと
交渉
に参りました。この場合におきましては鋳造
工場
並びに機械
工場
総員八百名くらいの人員をもちまして参りましたのですが、双方の議長は私が勤めました。しかし
ちよ
うど船越警察署長もお留守でありましたので、次席の中本部長に種々懇談いたしましたのですが、署長が留守でいかんともし難いという御
回答
でありまして、確約書の件につきましては何ら得るところなくして実は引上げて帰りました。十日は大体そのくらいでありまして、十一日は朝から本館に押かけてデモ行進をや
つた
と記憶しております。十二日はやはり朝からデモ行進に移りまして本館へ参りまして、本館前
廣場
において
——
十日か十一日かはつきり記憶しておりませんが、
首切り
の名簿を
会社側
より
組合
へ手交された、その書類を一應われわれは
首切り
を認めないのだから返すというので、本館前の中の島におきまして
会社側
の当時
ちよ
うど残
つて
おりました最高
責任
者たる松岡
人事課長
並びに大久保
秘書課長
、この両名を呼び出しまして突き返さんとしたのでありますが、これに関しましては彼等はわれわれは最高
責任
者でないから受取るわけには行かないというので、そこで押し問答をいたしまして、結局預か
つて
おくということで一應大久保
秘書課長
が預かりまして、金庫へ納めるという約束でありました。その際におきましては
組合員
としましては
人事課長
並びに大久保
秘書課長
が中の島から出るのを坐り込みで拒んだという行動をと
つた者
が一名おりましたが、そのほかはスムースに大体
行つた
ような
状態
です。
鍛冶良作
930
○
鍛冶委員長
人事課長
は卒倒したというが……。
金子敬通
931
○金子證人 いやそれはその翌日だ
つた
ろうと思うのです。十二日は朝から大体デモ行進に移りまして、本館を上下上下とやりまして、大体二時半ごろだ
つた
と記憶しておりますが、
ちよ
うど
板垣
所長代理
が電話が來たというので守衛所に出かけまして、そこらの小ぜり合いにつきましては私は遠く離れておりましたのでよく存じませんが、出て來たところをピケをも
つて
迎えてワツシヨワツシヨでつきまとい、おしまくり、ける、たたくというような暴行は私は横から見ておりました。それで
板垣
所長代理
は悲鳴を上げられまして、助けてくれという声を二回聞きました。そういうわけでありまして、一應玄関先に連れて参りまして、そこに
所長代理
はすわり込んでしま
つたの
でナ。すわり込んだのかたたきのばされたのか、どういうかつこうだ
つたの
かはつきり私は見受けませんでした。次に起りましたのが守衛取締りの長門氏が鈴木総務部長に対してタバコを吸えと
言つて
出しましたのを、一
組合員
の北平勝美が手を出してわしにもくれということでごたごたしてお
つた
ということです。それで言葉のかけようが惡か
つた
というのでまた引きずりだされてたたきのばされた、その現場は
ちよ
うど私行
つて
見たのですが……。
鍛冶良作
932
○
鍛冶委員長
いや一人一人でなくてもいい、まとめて何人どこでどういうことにな
つて
いるかということです。
金子敬通
933
○金子證人 次に鈴木部長がやはりそこにおりましたのが、そういう態度でやはりひつぱ
つて
行かれました。しかる後に四時ごろだ
つた
ですが、
事務所
の階上におります
会社
幹部の緒方部長並びに松岡
人事課長
、次に夕刻に入りまして鋳造の山下
工場長
というふうに次々に引きずり出しまして玄関先にすわらせました。そして公開團体
交渉
というような形式によりまして罵詈雑言をも
つて
、ま
つた
くわれわれ意識ある者には見ておれないような行動がとられました。それで十二日の十一時過ぎだ
つた
と思いますが、GHQかどこかの方がお見えになりまして、
板垣
所長代理
に会いました。この際
組合員
の妨害もありましたが、GHQの方より制止されて引込んだようなかつこうです。その晩徹夜いたしまして、十三日には朝大体九持ごろだ
つた
ろうかと思いますが、團体
交渉
を持つということに話が決定しまして、本館前の
事務所
において團体
交渉
を持つようにな
つて
おりました。その当時長門氏はあやまり証文を書けというようなかつこうで、やはり人民裁判というものですか、そういう形のものでや
つて
おりました。私は十三日の十時ごろに
ちよ
うど兄貴が危篤だという知らせを受けましたので、一應申し出まして帰りまして、十四日、十五日の
事件
のありました当日には出ておりませんので、その間の事情は存じません。十五日の朝私は
会社
へ
事件
があ
つた
というので
責任
上行こうと思
つて
、兄貴の苦しんでおるのをそのままにして実は出かけたようなわけですが、時すでに大体治ま
つて
お
つた
ような事情でありましたが、私が参りまして、廣船だ
つた
と思いますが、廣船の青年部の副部長とか何とかいう方だ
つた
そうですが、警官と押し問答をや
つた
こともありますが、これは私は現場におりませんので目撃しておりません。こういう
経過
におきまして大体十五日の夕方から松石寮に場所を移行したのだと
考え
ております。そこにおきまして今度は外郭團体の應援がありまして、大々的に展開されたというようなかつこうであります。
鍛冶良作
934
○
鍛冶委員長
外郭團体の應援はどの程度にあ
つたの
ですか。
金子敬通
935
○金子證人 その日その日によりまして違いますが、一番多いときは大体七、八千人ではなか
つた
かと記憶しております。
鍛冶良作
936
○
鍛冶委員長
いかなる團体がおもですか。
金子敬通
937
○金子證人 廣船、國鉄、電鉄、縣教、坂発電、朝連、大体このくらいしか私は記憶しておりません。
鍛冶良作
938
○
鍛冶委員長
これはおのおの何百人ずつみな引連れてや
つて
來たのですか。
金子敬通
939
○金子證人 何百人ということは言えない。わずかの人員もおりましたが、大体大きなのは廣船でございます。
鍛冶良作
940
○
鍛冶委員長
全逓はどうです。
金子敬通
941
○金子證人 全逓も参
つて
お
つた
ように記憶しておりますが、これは私も自分の
職場
を支配しておりましたから、あまり記憶しておりません。後には出品の徳山鉄鋼だろうと思いますが、あすこからも來ました。それから三原車両、こういうところも來ました。
鍛冶良作
942
○
鍛冶委員長
それから特に目立
つて
や
つたの
は青年行動隊というものを使
つて
やらせたそうですが、それはどうです。
金子敬通
943
○金子證人
ちよ
つと待
つて
いただきます。その前に大体われわれはこのストライキに自信を得るごとく
法律
的並びにスクラムの組み方並びにデモ行進の仕方という面においてわれわれは教育を受けました。これは各
職場
を巡回したのだと思いますが、私のところには三原車両の竹田太一、これは全金分会の組織部長か何かや
つて
お
つた
人物です。
鍛冶良作
944
○
鍛冶委員長
全金の組織部長だね。
金子敬通
945
○金子證人 だろうと思います。はつきり記憶しておりません。
鍛冶良作
946
○
鍛冶委員長
それから青年行動隊というものは、
組合員
中でそういうものをつく
つたの
か。
金子敬通
947
○金子證人 この点についても私ははつきりのみこめておりませんが、大体青年部というものは解散したというふうに聞いておりましたが、いつの間にやら青年部が復活してお
つた
。そうして青年行動隊というものができてお
つた
ことでありまして、私らとしては全然その面についてはタッチしておりませんので、よく存じないのですが、青年行動隊なるものはありました。
鍛冶良作
948
○
鍛冶委員長
これもやはりそういう特別なものが來て
争議
の指導、訓練をやりましたか。
金子敬通
949
○金子證人 その面については私は存じません。
鍛冶良作
950
○
鍛冶委員長
それから
従業員
家族会
とか家族大会とかいうものをや
つて
、
争議
をやることを非常に教え込んだという話ですが、これはどうですか。
金子敬通
951
○金子證人 教え込んだということは、私は現場を見ておりませんから知りませんが、われわれ
組合員
並びに、大体大会の席上において各部落ごとにおいて町村別というようなことで
家族会
を開いて、地域人民闘争を展開してこの闘いに勝つという面について協力してくれというようなことはありました。
鍛冶良作
952
○
鍛冶委員長
だれがそういう指導をしたのですか。
金子敬通
953
○金子證人 私もはつきり記憶しておりませんが、私が聞いた点においては、西村龍三という執行
委員
が私らに申したと思います。
鍛冶良作
954
○
鍛冶委員長
共産党か。
金子敬通
955
○金子證人 共産党ではないが、大体その系統を帶びている人だと思います。
鍛冶良作
956
○
鍛冶委員長
先ほど
会社
の幹部に対してそういう不法監禁、暴行、人民裁判等をや
つた
というが、あなた方に対しても不協力だということで何か人民裁判をや
つた
ことがありますか。
金子敬通
957
○金子證人 私が
組合長
になりまして、團体
交渉
を持つべく予備
交渉
の会談に
会社
へ参りました。これは七月六日か七日だ
つた
と思います。大体
交渉
委員
は六名ばかりで参りましたが、一應
交渉
が
終つて
あと
は
署名
、
捺印
という結果になりましたが、大体空気がおもしろくないという情報を得ましたので、他の方には帰
つて
いただきまして、私と書記長が残
つて
おりました。そして書類ができて
署名
、
捺印
いたしまして、帰らんとしたところが、すでに赤旗を下げた青年隊らしき者が二、三名各門にかけて
行き
ました。これはおかしいぞと
言つて
おりましたが、
ちよ
うどわつしよいわつしよいとや
つて
來まして、さつと守衛所に入りかけて來ましたから、私はこれはお
つて
はあぶないと身の危険を感じましたので、守衛所の裏の
休憩
所にかくれておりました。彼らは守衛所の中に押しかけて入りまして、おいここに新組会長がおる、書記長もおるというようなことで、罵詈雑言をぶつかけて参りましたが、私らは相手にせずそのままにしてお
つたの
であります。
ちよ
うどそこへ團体
交渉
に來られた方と
会社側
の大森
勤労課長
が、そこで会うから來てくれと言われるので、私はまた
もと
の守衛所の
事務所
に出かけたわけであります。そうして
ちよ
うど朝連また
組合員
等が押しかけて参りまして、議長を選出して、ただいまより彼らに対して
質問
應答するから、活発なる意見をはいてくれというようなことで、いろいろな罵詈雑言が出ました。そしてその間朝連の
——
これは氏名ははつきり覚えませんが、朝連の方が参りまして、私の胸ぐらをひつつかまえたので、私はあなた
ちよ
つと待
つて
くれというふうに話しましたが、貴様どこだというふうにして、私の住所も書記長の住所もすべて聞まきして、いいか、つらを覚えておけ、かたきをと
つて
やるからな、というような脅迫的なことをやりました。また外におります人物は、外に引きずり出せ、たたき殺してやる、こいつらは裏切者だ、というような言を吐いておりました。そういうふうにしてわれわれは非常に恐怖を感じておりましたが、
ちよ
うど
会社側
との話合いが済みましたので、また裏にわれわれは隠れたわけです。隠れたところが、逃すなという言も出ましたが、われわれは知らぬ顔で振りき
つて
逃げたわけです。そうして裏に入
つて
おりました。ところが今度は家族部隊に呼びかけて、家族部墜をも
つて
またわれわれにリンチ的な行為をも
つて
や
つて
來た。
鍛冶良作
958
○
鍛冶委員長
どんなことをしたか。
金子敬通
959
○金子證人 あなた方は裏切者である事、あなた方はきんたまがありますかというようなことで、非常に日本の女性としては見られないような言でありました。
鍛冶良作
960
○
鍛冶委員長
その議長を選ぶというのはどういうのですか。君の尋問をする場合の議長か。
金子敬通
961
○金子證人 そういうわけであります。
鍛冶良作
962
○
鍛冶委員長
それがいわゆる人民裁判か。その裁判長か……。
金子敬通
963
○金子證人 裁判長ではない。議長であります。
鍛冶良作
964
○
鍛冶委員長
人民裁判と言えば、そういうことになる。
金子敬通
965
○金子證人 私は人民裁判の内容についてよく知りませんから……。
鍛冶良作
966
○
鍛冶委員長
そういうのを人民裁判と言うのじやないか。それならさつき
板垣
所長代理
その他を人民裁判的と
言つて
お
つた
が、それはビういうのだ
つた
か、だれか議長でも選んでやるのじやないか。
金子敬通
967
○金子證人 これははやり言葉で私らも
言つて
いるのです。
鍛冶良作
968
○
鍛冶委員長
それはどういうやり方をやりましたか。
金子敬通
969
○金子證人 議長は共産党の黒神、そして交代しましたのが同じく共産党の中田という青年部の副隊長をや
つて
いる男です。
鍛冶良作
970
○
鍛冶委員長
所長代理
とか各部長が尋問を受けたときも、大体そのようなやり方でしたか。
金子敬通
971
○金子證人
所長代理
の析には、これは罵罵詈雑言でま
つた
く統制がとれなか
つた
わけです。
鍛冶良作
972
○
鍛冶委員長
被告
板垣
とか、首をあげろとか
言つて
や
つて
お
つたの
じやないか。
金子敬通
973
○金子證人 や
つて
おりました。今まで貴様はおれたちをあごで使
つて
いたから、今からおれたちが貴様をあごで使
つて
やる、起立、というような調子でや
つて
おりました。
鍛冶良作
974
○
鍛冶委員長
声が低いとか何とかや
つた
でしよう。
金子敬通
975
○金子證人 そういうことも聞きました。
鍛冶良作
976
○
鍛冶委員長
君もそうやられたのですか。
金子敬通
977
○金子證人 私は声の低いということは言われたことはありません。私ははつきりした態度で、言明しましたから……。
鍛冶良作
978
○
鍛冶委員長
そうするとただ罵詈誹謗ですか。
金子敬通
979
○金子證人 そうです。
鍛冶良作
980
○
鍛冶委員長
何か暴行を加えるようなことはありませんでしたか。
金子敬通
981
○金子證人 暴行を加えるようなことはありませんが、ただ朝連の方が胸倉をつかまえてや
つた
わけです。
鍛冶良作
982
○
鍛冶委員長
しかし君のような者でも恐怖観念にはかられたわけだろうね。
金子敬通
983
○金子證人 私のような者で
もと
いうお言葉でありますが、私はま
つた
くおとなしい
人間
ですから、恐怖を感じました。
鍛冶良作
984
○
鍛冶委員長
板垣
さんなんか入口のコンクリートの上でや
つた
んだそうですね。
金子敬通
985
○金子證人 コンクリートでなくて、あそこは砂にな
つて
お
つた
。
鍛冶良作
986
○
鍛冶委員長
それから上の方の残
つて
お
つた
部
課長
もやられたそうですが……。
金子敬通
987
○金子證人 それは上の方では
あと
から話を聞きましたが、檢事とか判事ができたとかいうようなことでした。
鍛冶良作
988
○
鍛冶委員長
それだ、そいつを聞きたい。
金子敬通
989
○金子證人 私ははつきり知りません。私は私の
工場
を握
つて
おらなければならない
関係
がありましたので……。
鍛冶良作
990
○
鍛冶委員長
どういうふうに聞いてお
つた
。
金子敬通
991
○金子證人 檢事、判事をこしらえて、上でや
つて
お
つた
ということを聞いておりましたが、はつきりしたことは私知りません。
あと
から聞いた話ですから……。
鍛冶良作
992
○
鍛冶委員長
ほんとうの裁判だな。それでは……。そこで
争議
團が
工場
をそういうふうに不法占拠したときに、進駐軍が見えて退去命令が出たという話ですが、これはどうですか。
金子敬通
993
○金子證人 私はその際にはおりませんので知りませんです。休んでおりました。
鍛冶良作
994
○
鍛冶委員長
話は聞いておりましたか。
金子敬通
995
○金子證人 話は聞いております。
鍛冶良作
996
○
鍛冶委員長
どう聞いておりました。
金子敬通
997
○金子證人 進駐軍からの撤去命令というようなことについては、私は具体的に聞いておりませんので、ここで言明できませんが……。
鍛冶良作
998
○
鍛冶委員長
一体この
争議
はあなたの方の
組合員
だけの
争議
であ
つたの
ですか。先ほどから言われたように、はたの者も來てお
つた
ようだが、はたの者が働きかげてできた、こういう
争議
なのか。
組合員
が主にな
つて
や
つた
争議
なのか。どつちか。
金子敬通
999
○金子證人 当初におきましては、
組合員
の
争議
でありました。しかるに日時を経るに從
つて
組合
の
争議
でなくて外郭團体の
争議
というような形態に持ち込まれた傾向が多分にありました。
鍛冶良作
1000
○
鍛冶委員長
それはさつきから言われた十日からですか、十一日からですか。
金子敬通
1001
○金子證人 大体十一日ごろからだと思います。
鍛冶良作
1002
○
鍛冶委員長
さつき
家族会
から進んで地域人民闘争に入れという指令があ
つた
と言われたね。持
つて
行けと言われた。
金子敬通
1003
○金子證人 いやこれは
家族会
をも
つて
、地域人民闘争を展開する、こういう意味であります。
鍛冶良作
1004
○
鍛冶委員長
そういう指令なんでしよう。
金子敬通
1005
○金子證人 それは闘争本部の指令として出ました。
鍛冶良作
1006
○
鍛冶委員長
その地域人民闘争というのはどういうものか。
金子敬通
1007
○金子證人 これは私は内容については、それぞれ担当者をこしらえましてや
つた
ものですから、内容についてはタッチしておりません。
鍛冶良作
1008
○
鍛冶委員長
それではあなたの
工場
では、いわゆる産業防衛闘争ということは聞きませんでしたか。
金子敬通
1009
○金子證人 それは産業防衛闘争という点については
ちよ
い
ちよ
い聞いたことはありますが、覚えておりません。
鍛冶良作
1010
○
鍛冶委員長
そういう名前は覚えておりますか。
金子敬通
1011
○金子證人 覚えております。
鍛冶良作
1012
○
鍛冶委員長
それは要するにあなたの
工場
なら
工場
の産業を防衛せよ、こういうことなんでしよう。
金子敬通
1013
○金子證人 そうです。
鍛冶良作
1014
○
鍛冶委員長
從
つて
首切り反対
とか、
整理
反対
、そういうことになるのだろうが、それが進んで地域人民闘争ということはどういうことかわからんですか。
金子敬通
1015
○金子證人 いや、これは私は具体的に聞いておりませんから、趣旨そのものが私が申しておることと、また向うの指令されたことと違
つて
おりましても不都合だと思いますから……。
鍛冶良作
1016
○
鍛冶委員長
よろしい。それじや私から聞こう。地域人民闘争というのは
一つ
の
工場
だけで
争議
をやらんで、その辺の友誼團体というか、各
工場
を合同して大きな力で地域的な
争議
に持
つて
行け、こういうことでしよう。
金子敬通
1017
○金子證人 大体そういう意味でありました。
鍛冶良作
1018
○
鍛冶委員長
そういう意味でそこへ持
つて
行つた
んだから外郭團体の
争議
にな
つて
來るということは当然じやないか。
金子敬通
1019
○金子證人 そういうふうに感ぜられるのでありますが……。
鍛冶良作
1020
○
鍛冶委員長
そうしてそういうものを指導してお
つた者
はおもにどういう者ですか。
金子敬通
1021
○金子證人 これは表面立
つて
聞いておりませんので、存じません。これはだれが指導したものか……。
鍛冶良作
1022
○
鍛冶委員長
さつきから言
つた
ようなおもだ
つた者
はたいがい共産党ですか。
金子敬通
1023
○金子證人 いいえ、私の
組合
では共産党というものは首脳幹部では二、三名しかおりませんので、心当りは、
ちよ
つとはつきり知りませんです。
鍛冶良作
1024
○
鍛冶委員長
ところが
争議
がだんたん大きくな
つて
、
工場
閉鎖をした後には、外で人民大会をやり、またさつき言
つた
松石寮ですか、そこらで始終大会等をや
つて
お
つて
、毎日デモに出てお
つた
ということは間違いありませんか。
金子敬通
1025
○金子證人 大体毎日デモに出ておりました。
鍛冶良作
1026
○
鍛冶委員長
そういう騒ぎをや
つて
お
つた
ときに、共産党のえらい人たがたくさん來てこれを指導したり煽動をや
つた
ということであるがどうですか。
金子敬通
1027
○金子證人 私が聞きましたところでは、田中堯平という代議士ですか、と、それからもう一人何とかいう代議士がおいでになりました。
鍛冶良作
1028
○
鍛冶委員長
あなたは演説を聞いたか。
金子敬通
1029
○金子證人 私は中途年端しか聞いておりません。
鍛冶良作
1030
○
鍛冶委員長
とにかく演説は聞いたね。それは田中代議士かね。
金子敬通
1031
○金子證人 はい。田中堯平、加藤充ですか、この二名がおいでに
なつ
たようにわれわれは執行部から聞きましたのですが、
あと
からの大体風評によりますと、春日正一さんという方がおいでに
なつ
たということを聞いております。
鍛冶良作
1032
○
鍛冶委員長
春日という代議士は何か偽名で
行つた
ということを聞いておるが、そういうことは聞きませんでしたか。
金子敬通
1033
○金子證人 それは私は
あと
から開いたものですから……。
鍛冶良作
1034
○
鍛冶委員長
そのほか自由法曹團というのは……。
金子敬通
1035
○金子證人 自由法曹團では原田香留夫、並びに高橋……あれは名前は何というのかよく存じませんが、そういう方等がおいでに
なつ
たように記憶しております。
鍛冶良作
1036
○
鍛冶委員長
そうしてみな演説をや
つた
……。
金子敬通
1037
○金子證人 高橋弁護士はあまりやらなか
つた
。ただ法的の面ばかりだ
つた
と記憶しております。
鍛冶良作
1038
○
鍛冶委員長
あなた方新
組合
をこしらえたのはどういうわけなんですか。
金子敬通
1039
○金子證人 これにつきましては、われわれは大体当初におきましては、労働者が享有する労働権を確保するためには、完全雇傭というものを死守しなければならないというふうに全金分会からも指導されて参りました。それでわれわれもそうでなくてはならないのだというふうに信じておりました。しかしながらわれわれはそれに対して、六月十日以降決然立
つて
闘争を展開して参りましたのでありますが、時日を要するに從いまして、何らの進展する段階を見出すことができなか
つた
。また指導理念というものが、架空論でありまして、しかもそれに革命的意図というものが多分に含まれてお
つた
という面であります。大体根本原因はこれであります。
鍛冶良作
1040
○
鍛冶委員長
そこであなた方のような人は、これはこんなふうなことをしてお
つて
もいかんからひとつ……。
金子敬通
1041
○金子證人 これが眞の労働者の姿であるかいなかということをわれわれは反省したわけであります。
鍛冶良作
1042
○
鍛冶委員長
それで自然集ま
つて
來たのですか。
金子敬通
1043
○金子證人 これは自然集ま
つたの
ではなくして、大体地域的にこういう気持の人が相互に集まりまして、これではいかんという姿を発見いたしましたものですから、これは何とかしてわれわれの自主的な
解決
による遂に運ぶようにしようではないか
考え
まして、地域的な
代表
者が寄り合いまして、何とか弁論戰をも
つて
この大会を終結の遂に持
つて
行くようにしようと闘
つて
参りましたのですが、たまたまわれわれの発言を阻止されまして、これが成功を得なか
つた
わけであります。
鍛冶良作
1044
○
鍛冶委員長
闘
つた
というのはどこと剛
つた
……。
金子敬通
1045
○金子證人 弁論戰をも
つて
闘
つたの
であります、大会の席上において……。
鍛冶良作
1046
○
鍛冶委員長
それで……。
金子敬通
1047
○金子證人 これは成功に終らなか
つた
。これではだめだと
言つて
おりますときに、大体七月五日に鉄道が
首切り
を実施する。これと提携して立ち上
つて
、革命的に持
つて
行かなくてはだめだというような言質をとらえましたので、こういうことでわれわれが鉄道の
首切り
にまで巻き込まれて云々や
つて
お
つたの
では、とうていわれわれの生活は保障されないという面から、決然三日に分裂という決意をしたのであります。
鍛冶良作
1048
○
鍛冶委員長
三日。
金子敬通
1049
○金子證人 そうであります。
鍛冶良作
1050
○
鍛冶委員長
それでどうしたのですか。
金子敬通
1051
○金子證人 そうしまして三日に大体われわれの声明書なるものを読み上げまして、席をけ
つて
立た。そして延命寮に集結いたしました。延命寮に集結しました人員は徒歩者が四十名程度で、
あと
自轉車に乗
つて
來た方が二、三十名程度、大体七十名程度であります。それから逐次ふえまして、夕刻には百八十名程度、その翌日には四百名、その翌日には六百名、その翌日には八百名、九百名、こういうふうに人員が増加して参りました。
鍛冶良作
1052
○
鍛冶委員長
それで現在幾ら持
つて
おりますか。
金子敬通
1053
○金子證人 現在千六十二、三名であります。これを結果から見ましても、いかにわれわれが自主的に活動を続けてお
つた
かということがはつきり言えるわけであります。
鍛冶良作
1054
○
鍛冶委員長
この
争議
中にも穏健なる
組合員
は、このようなことでは労働
争議
は
行き
過ぎていかぬ、こういうことを
考え
てお
つたの
ではないですか。
金子敬通
1055
○金子證人 その面がこういうような大きな膨脹を來した。
鍛冶良作
1056
○
鍛冶委員長
そうでしよう。そういうことを
考え
てお
つた者
は大半でしたか
金子敬通
1057
○金子證人 大半以上だ
つた
と思います。
鍛冶良作
1058
○
鍛冶委員長
それをむりに一部の者がひつぱ
つて
行つた
わけですね。
金子敬通
1059
○金子證人 まあ煽動者と言いますか、そういう指導者によりましてわれわれは指導されたわけであります。
鍛冶良作
1060
○
鍛冶委員長
それから
組合
の、あなた方に対して指導する面においても、暗い面があ
つたの
ではないですか。
金子敬通
1061
○金子證人 この面につきましては、大体
争議
に入る
首切り
発表という際におきましても、その
首切り
の十一
項目
というものがあ
つた
わけであります。これも何らわれわれは聞いておりませんし、また臨時
退職手当
規程というのもありましたが、これはお前たちが思
つて
おるような表ではない。十分の一か、五分の一くらいしか
考え
られない。人によ
つて
はそういうような十分の一と言う人もありますし、また五分の一というようなことを
考え
ておりましたので、われわれとしましてもある程度半信半疑でおりましたが、私は
職場
区長を勤めておる以上、統制を乱してはいかんということで、黙
つて
は聞いておりましたが、そういう面で非常に眞相を発表されていなか
つた
ということは言い得ると思います。
鍛冶良作
1062
○
鍛冶委員長
さつきあなたは、六月三日に七百何十名の
首切り
を発表したと言いましたね。
金子敬通
1063
○金子證人 七百三十二名。
鍛冶良作
1064
○
鍛冶委員長
これも事実はなか
つたの
ですね。
金子敬通
1065
○金子證人 結果から見れば、事実ではなか
つた
。
鍛冶良作
1066
○
鍛冶委員長
十一日に初めて発表したのでしよう。
金子敬通
1067
○金子證人 そうであります。
高木松吉
1068
○高木(松)
委員
あなたはこの種の
争議
行為が続けられたら、日本の産業は崩壊してしまうと思いませんか。
金子敬通
1069
○金子證人 この面におきまして、われわれはこれは
生産
復興ではなくして、破壊だという解釈をいたしました。
高木松吉
1070
○高木(松)
委員
結局崩壊してしまいますね。
金子敬通
1071
○金子證人 そうです。
高木松吉
1072
○高木(松)
委員
日本の産業が崩壊してしま
つた
ら、労働者というものは餓死することになりませんか。そういうふうに
考え
ませんか。
金子敬通
1073
○金子證人 お説の通りです。
高木松吉
1074
○高木(松)
委員
それで現在
——
むろんあなたが第二
組合
をつくられておるのだが、これは自己反省をして、共産党のようなものに引きまわされてそういう渦中に入
つて
しま
つたの
では、自分が餓死の一途をたどるばかりだというような
考え
方で、いわゆる第二
組合
をつく
つた
ということになるのですね。
金子敬通
1075
○金子證人 これは、私は共産党とははつきり言明しません。これに関しましては極左分子、こういう言葉を使いたいと思います。
高木松吉
1076
○高木(松)
委員
共産党と極左分子とは、われわれの解釈では一致しているのたが。
金子敬通
1077
○金子證人 そうですか。
吉武恵市
1078
○吉武
委員
私は
証人
の、今高木君が言われたように、共産党一派の暴行あるいは脅迫の中に敢然と正しい
組合
運動
に立たれました点については、非常に敬意を表するものであります。一点お尋ねしたいのは、先ほどあなたが言われました中に、全金属の組織部長の竹田太一というものが來て教育をしたと言われましたが、これは本部の全金属の組織部長でありますか。
金子敬通
1079
○金子證人 これは廣島縣支部であります。
吉武恵市
1080
○吉武
委員
この人は共産党員ですか。
金子敬通
1081
○金子證人 党員だという事話であります、はつきり私は知りませんですが……。
吉武恵市
1082
○吉武
委員
これは何日ごろ來て指導を……。
金子敬通
1083
○金子證人 大体六月五、六日ごろであ
つた
と記憶しております。
吉武恵市
1084
○吉武
委員
そうして指導するうちに、先ほどあなたの言葉の中にも、こういう連中の革命的な行動についてわれわれに引きずられてはならないというようなお言葉がございましたが、その教育指導の中に、ただスクラムを組むとかそういう指導ばかりでなしに、何かそうい
つた
革命的な行動についての教育というものはなか
つた
ですか。
金子敬通
1085
○金子證人 その面についてはありませなんだですが、ただ法的にわれわれの今後進むべき道は正当なものであるという自信をつけました。
吉武恵市
1086
○吉武
委員
それはあなたがお
考え
にな
つて
……。
金子敬通
1087
○金子證人 そうであります。私が
考え
て……。
吉武恵市
1088
○吉武
委員
從
つて
竹田君の指導した中に、あなた方が
考え
られないようなことを指導したと思われるのですが、その点についての
証言
がほしいのです。
金子敬通
1089
○金子證人 その点について、私は資料を持
つて
おりません。
吉武恵市
1090
○吉武
委員
もう
一つ
お聞きしたいのですが、その指導するうちあるいは
争議
中を通じて、これは先般の福島
事件
等においても同様な言葉が用いられておるのです。八月に
なつ
たならば自分たちの政権ができるのだとか、あるいは革命が行われるのだとか、そのときには絞首刑にしてやるぞというような、同じような言葉を使われておるのですが、あなたの
争議
中において、そういう言葉をはいたのをお聞きに
なつ
たことがありますか。
金子敬通
1091
○金子證人 これは聞きました。それは
争議
終了後におきまして私も聞いております。もう一、二箇月したならば、われわれは大手を振
つて
工場
に入
つて
來るのだという言をはいております。
吉武恵市
1092
○吉武
委員
これはどういう人が
言つて
おるのですか。
金子敬通
1093
○金子證人 それは伊藤不二夫です。
吉武恵市
1094
○吉武
委員
それは
組合
の人ですか。
金子敬通
1095
○金子證人 これは今度退職された方です。(「共産党かね。」と呼ぶ者あり)共産党に入党したということですが、その面ははつきりしません。
鍛冶良作
1096
○
鍛冶委員長
組合
の何をや
つて
おる人ですか。
金子敬通
1097
○金子證人 それは青年行動隊の方で、このだび檢挙された方です。
吉武恵市
1098
○吉武
委員
それから青年行動隊の話ですが、これは一般の
組合
の中で、そういう二重の組織がよくないということは当然のことです。一旦解消したのがまた秘密裡にできておるというふうに聞いておるのでありますが、この青年行動隊に参加しておる青年というものは、大体あなたの言葉で言う極左分子でございますか、あるいは一般のものですか。
金子敬通
1099
○金子證人 いやこれは青年部員全般であります。
吉武恵市
1100
○吉武
委員
全部で……。
金子敬通
1101
○金子證人 はあ。
吉武恵市
1102
○吉武
委員
その青年部員全般はあなたのつくられました健全なる
組合
に改ま
つて
入
つて
來ておりますか、その連中は依然として共産分子に引きずられて残
つて
おりますか。
金子敬通
1103
○金子證人 いやわれわれの傘下に入
つて
來ておる者もあります。
吉武恵市
1104
○吉武
委員
そういう人々はどういうことを漏らしておるでありましようか。これはほかの方の
事件
についても述べられておることですが、自分たちは共産党の連中のおだてに乗
つて
や
つた
けれ
ども
今から
考え
るとばかを見たというような言葉が往々に使われておるのですが、そういうことを
言つて
いませんか。
金子敬通
1105
○金子證人 そういうことは二、三承りましたが、私は大体
組合員
に接触する機会が少くありまして、戰術面にのみかか
つて
おりましたのではつきりいたしません。
吉武恵市
1106
○吉武
委員
それであなたの
組合
は今回のような無謀な
争議
を通じて新しい正しい
組合
が生れたのですが、あなたの方の地区においては先ほどのお話のように、廣島の日鋼
事件
に友誼團体と称して相当他の方面の
組合
もこれに参加しておるのでありますけれ
ども
、同じような悩みと言いますか、同じような気持というものが多数の正しい労働者諸君のうちには欝然として起りそうに思いますが、その点の気配はどうでございますか。
金子敬通
1107
○金子證人 ただいまの御
質問
の趣旨はわかりません。
吉武恵市
1108
○吉武
委員
あなたの
組合
は今回のああいう暴行ざたによ
つて
初めてこういう革命的な無謀な
組合
運動
者とは一緒にはやれないというところで新しく生れたのですね。そういう気持というものはあなたの附近の今回それに参加された他の友誼團体あるいは他の
組合
の中にも私は多数の労働者のうちにはあり得るのではないかと思うのです。今度の
事件
を通じてですね。でありますから、これはあなたの
工場
ばかりでなしに、ほかの
工場
にもそういう気持というものが起りそうに思うのですが、それはお耳になさ
つて
おらないでしようか。
金子敬通
1109
○金子證人 その面につきましてはまだここで私が言明するだけの資料を持
つて
おりません。
塚原俊郎
1110
○塚原
委員
先ほどお話の中に一点疑問の点があるのですが、その点だけ伺
つて
おきたいと思います。 六月の十一日に
解雇者
の名簿を
組合側
に手交いたしましたね、このとき松岡
人事課長
と大久保
秘書課長
を池の中の小島に呼んで
交渉
した、このときこの名簿を
受取つた
ということをあなたは言われましたが
受取つた
のですか。
金子敬通
1111
○金子證人 いやそれは預かるというのです。
塚原俊郎
1112
○塚原
委員
それはその間にやはり相当脅迫めいたことはあ
つたの
ですか。
金子敬通
1113
○金子證人 これは、最高幹部ではないから受取るというわけには行かない、預か
つて
おく、あすの朝渡す。
塚原俊郎
1114
○塚原
委員
それはきわめて平穏裡に行われた
交渉
ですか。
金子敬通
1115
○金子證人 大体労働者的
運動
といたしましては比較的平穏た
つた
と思います。
塚原俊郎
1116
○塚原
委員
ところが檢察廳で松岡
人事課長
の不法監禁というような点で調べておるというふうに聞いておりますが。
金子敬通
1117
○金子證人 それは不法になりますかどうかということは私は存じませんですけれ
ども
、彼らが帰らんとする場合におきまして、その飛石の所で鋳造
工場
の池田という人物が通さないというようなことですわり込み戰術をや
つた
ということははつきり認めます。
宇田恒
1118
○
宇田
委員
簡単にお伺いいたしますが、
証人
は代議士の田中さんと加藤さんの演説を聞かれたというのですが、その内容はどういう内容の演説ですか。
金子敬通
1119
○金子證人 これは私は中座いたしましてはつきり記憶しておりませんが、大体こちらの状況を調査に來たというようなお言葉でありまして、とくとこちらの状況を中央に反映するというようなお言葉であ
つた
ように記憶しておるのですが、これははつきり記憶しておりません。
宇田恒
1120
○
宇田
委員
激励演説ですね。
金子敬通
1121
○金子證人 はあ。
宇田恒
1122
○
宇田
委員
それから山崎という、社会党だが、左翼の懸
会議
員が演説したというのですが。
金子敬通
1123
○金子證人 聞きました。
宇田恒
1124
○
宇田
委員
それから
争議
資金の問題ですが、巻間では四、五百万円も
争議
資金が
争議
團本部に集
つた
というのですが、何か具体的にお聞きに
なつ
たことはありますか。
金子敬通
1125
○金子證人 それは資金カンパ面のみでありまして、大体全金本部並びに産別からも來たように聞いておりますが、はつきり記憶しておりません。
宇田恒
1126
○
宇田
委員
あなた方の
関係
しておる
組合
もあ
つた
であろうが、デモに参加する一般の
組合員
に百五十円の手当を特別に出すということでデモに参加したということをお聞きになりましたか。
金子敬通
1127
○金子證人 これは蔭ながら聞いておりますが、表立
つて
聞いておりません。
宇田恒
1128
○
宇田
委員
そういうことがあ
つた
らしいですか。
金子敬通
1129
○金子證人 そういううわさは聞いておりました。
宇田恒
1130
○
宇田
委員
そういたしますと、事実かどうかはわからないわけですね。
金子敬通
1131
○金子證人 はあ、わかりません。
宇田恒
1132
○
宇田
委員
もう
一つ
、あなたは共闘本部の指令によ
つて
工場
内のデモに参加してお
つた
ら、にわかに命令がかわ
つて
警察に
行つた
。檜山氏の一家にデモに
行つた
組は知りませんか。
金子敬通
1133
○金子證人 知りません。
宇田恒
1134
○
宇田
委員
行つた
ということはお知りにな
つて
いますか。
金子敬通
1135
○金子證人 それも知りません。
宇田恒
1136
○
宇田
委員
その他町村長役場等にデモに参加した他の
責任
者の名前はわかりますか。隊長というような者は。
金子敬通
1137
○金子證人 はつきり記憶しておりません。
宇田恒
1138
○
宇田
委員
今後とも調査すればわかる可能性はあるですか。
金子敬通
1139
○金子證人 わかるかもしれません。
小林進
1140
○小林(進)
委員
六月三日に
組合側
は大会を開かれて首切に絶対
反対
するということを
決議
されたわけでありますが、その
決議
に対しては、あなたの御意向はどういうのでございますか。やはり大会の
決議
に全面的に賛成だ
つた
わけですか。
金子敬通
1141
○金子證人 そうです。
小林進
1142
○小林(進)
委員
今でもそのお気持にかわりはございませんか。
金子敬通
1143
○金子證人 これは要するに指導理念というものがそういうふうに私は指導されたのであります。実際問題といたしましてわれわれとしましては労働
運動
という問題については非常に浅いという面から、結局
首切り
がわれわれの頭上に下
つて
來たらどういう結果をもたらすかというような指導方法によ
つて
おりましたら、われわれもそれを信頼したわけであります。
小林進
1144
○小林(進)
委員
それでは
首切り
には絶対
反対
であるということを承認されておるわけですか。それではあなたがこの
組合
闘争というものがどうもあなたのお気に沿わぬという心境にかわられたのはいつからですか。
金子敬通
1145
○金子證人 これは大体十二日ころからであります。
小林進
1146
○小林(進)
委員
十日の警察へのデモまではあなたも賛意を表していられたわけですね。警察にデモに行くというようなことについて不服は何もなか
つた
ですか。
金子敬通
1147
○金子證人 不服はないことはありません。われわれとしてはばかげたことだという
考え
は持
つて
おりました。
小林進
1148
○小林(進)
委員
先ほどのあなたの御答弁でも、もう一度お聞きしますが、結局
首切り
に
反対
する、そういうふうに指導されたのであ
つて
、今にな
つて
みると少し
考え
がかわ
つて
いるというふうに大体
なつ
たように聞いたんですが、今のお
考え
はどうでありますか。やはり首を切るのが当然だというようにお
考え
になりますか。
金子敬通
1149
○金子證人 大体
会社
が再建整備が必要だということは、要するに創立以來特殊事情のあるところの製作をや
つて
おりました。從
つて
これは終戦と同時にこういう
事態
が來るということはやむを得ないだろうということは
考え
ておりましたです。そうしてたまたま日本が向めて経験するところの経済の大激動というものが起
つて
参りましたので、これは
首切り
が起
つて
來るということはやむを得ぬのじやないだろうかということは現在思
つて
おります。
神山茂夫
1150
○神山
委員
今経済の激動が必然だ
——
戰争に敗けたからでしような。それでその激動が必然だという場合に、あなた方の
工場
はまだ日にちがあるのではないか、たとえばあなたのところで一番大きな役割をや
つたの
は車両
生産
だ。その次には炭坑用の機械だ、もしもこういうふうなものが平和的な産業として続けば、こういうことにはならなか
つたの
じやないですか、どうですか。
金子敬通
1151
○金子證人 その点につきましては、現在の日本の事情がああいうふうに車両も制限されたという面におきまして、これはわれわれ
工場
の労働者としては何らなすすべがない、こう
考え
ております。
神山茂夫
1152
○神山
委員
それでは
組合
では再建案というものを出したことは御承知でしようか。
金子敬通
1153
○金子證人 知
つて
おります。
神山茂夫
1154
○神山
委員
これはどうです。
金子敬通
1155
○金子證人 これに関しましては、われわれも
ミシン
新宣傳一千台という再建案が出ましたが、これを一千台出すのには何箇月要するか、これを軌道に乗せるには何箇月要するかということは、過去の
ミシン
をやり始めました経験を目算しまして大体三箇月ないし四箇月、長ければ半年を要する。であ
つた
ならば、かかる時代においてこれを一千台目ざしたところで、これは無謀な策ではないかという
考え
を持
つて
おります。
神山茂夫
1156
○神山
委員
それじやあなたの
考え
としては、この
首切り
もしがたがないということですか。
金子敬通
1157
○金子證人 要するにある程度やむを得ないのではないだろうかと思います。
神山茂夫
1158
○神山
委員
あなたは十三日から兄さんのところにおいでになりましたわけですか。
金子敬通
1159
○金子證人 十三日の十時ごろから十五日の朝までです。
神山茂夫
1160
○神山
委員
その前に
工場
の前で家族の方にお会いにな
つたの
じやないですか。
金子敬通
1161
○金子證人 どこの家族ですか。
神山茂夫
1162
○神山
委員
あなたの家族の方はいらつしやいませんでしたか。
金子敬通
1163
○金子證人 來ませんでした。
神山茂夫
1164
○神山
委員
それではほかの家事族の方が來て、
組合
の書記長なんかを取囲んで、みんなで何とかしてくれというふうなことを言われて、泣いておられたことはありませんでしたか。
金子敬通
1165
○金子證人 書記長をつかまえてですか。
神山茂夫
1166
○神山
委員
ええ。
金子敬通
1167
○金子證人 そういうことは聞いておりません。
神山茂夫
1168
○神山
委員
そうしますと、あなたはこの第二
組合
が結成される前に、すでにいろいろな再建会、その他の動きがあ
つた
ということは御承知でありませんか。
金子敬通
1169
○金子證人 これははがきをもら
つて
おりますから知
つて
おります。
神山茂夫
1170
○神山
委員
その再建会というものはどういうふうな人が、どういうふうにや
つて
おるかは、あなた御承知ありませんか。
金子敬通
1171
○金子證人 この件に関しましては、再建会は一箇所にあ
つたの
ではないのであります。これは各地域において再建会というようなものがあ
つた
ように感ずるわけです。
神山茂夫
1172
○神山
委員
まずはがきのことを聞きますが、はがきを大分出しておりますが、あなたはそれをどの程度知
つて
おりますか。
金子敬通
1173
○金子證人 私は三通か
受取つた
ように記憶しております。
神山茂夫
1174
○神山
委員
六月十五日に、千五百通、六月十八日に千五百通、六月二十一日に千五百通、六月二十四日に千五百通、六月三十日に千五百通、こういう事ふうに相当大量にな
つて
おりますね。
金子敬通
1175
○金子證人 その千五百通という
数字
はどこから出た
数字
ですか。
神山茂夫
1176
○神山
委員
これは私の方から
あと
であなたにお聞きしたいことなんです。
金子敬通
1177
○金子證人 いや、私の方であなたにお開きしたいのですが……。
神山茂夫
1178
○神山
委員
あなたは私に聞く何らの権限がないのです。私があなたに聞く権利はある。從
つて
あなたにお聞きしたいのは、こういうふうなはがきを出すような再建会があ
つた
ということはあなたは認めるかというのです。
金子敬通
1179
○金子證人 それは私にはわかりません。
神山茂夫
1180
○神山
委員
認めないが、とにかくそういうような再建会からはがきが來たということは認めていますか。
金子敬通
1181
○金子證人 來たということは認めております。
神山茂夫
1182
○神山
委員
それからこの再建会なんかが新聞廣告をしたのは御承知ですか。
金子敬通
1183
○金子證人 これが新聞に出てお
つたの
は知
つて
おります。
神山茂夫
1184
○神山
委員
七月五日に出てお
つた
ですか。
金子敬通
1185
○金子證人 これは日にちははつきり記憶しておりませんです。
神山茂夫
1186
○神山
委員
あなたがその地域における
運動
が起
つた
と言う前に、今大分あなたの気にさわ
つた
らしいのですが、私はこういうことを申し上げたのは理由があるのです、これは
首切り
発表がもう二週間も前から、五月二十ごろから
組合員
のうちにまで手をまわされて、
会社
からある程度手が打たれたということが言われておるのです。こういうことがなければ、今私が述べたような厖大なはがきが出るはずはないのですが、こういうことを伺
つた
ことはありませんか。
金子敬通
1187
○金子證人 その点につきましては私は知りません。
神山茂夫
1188
○神山
委員
あなたは安藝文化研究会というのを御存じありませんか。
金子敬通
1189
○金子證人 それは知りません。
神山茂夫
1190
○神山
委員
從
つて
、あなたはこの再逮会の動きをよく御承知ないのでありますが、この再建会というのは、先ほど言いますように
首切り
を前にして、
職場
の一部をねら
つて
会社側
からいろいろ分裂策動をや
つて
いて、それにはわざわざ東京の
本社
から、これは一説によれば鉄鋼連盟からも
行つた
という意見がありますが、とにかくわざわざ
人間
が行
つて
、そうして先ほど言
つた
安藝文化研究会という名前を使
つて
、あなたもさつきから
言つて
おられるように地域的にいろいろな活動をすでに始めていたわけです。それがあるからこそ、先ほど言いましたようにあなたにも三通
行つた
というような厖大なはがきがまかれ、また新聞廣告が出た、こういういきさつがあ
つた
わけですが、これを御承知ありませんでしたか。
金子敬通
1191
○金子證人 この面につきましては、地域ごとに起
つた
というのはわれわれもこの同志の一人です。これは私の村で、私はこういう
考え
を持
つた
同志です。でありまして、この再建会なるものがいかなる行動をと
つて
お
つた
かという面については私は存じません。御
質問
の趣旨は、再建会なるものがこういう行動をと
つて
お
つた
。それでこれは
首切り
が発表になる前からこういう行動をと
つて
お
つた
という御
質問
でありますが、われわれとしてはそういうことについては全然関知しておりませんから存じません。
神山茂夫
1192
○神山
委員
ですからあなたの知らない間に、あなたのまじめな意見にかかわりなく、こういうふうなはがきが五日ごろ出ておるというような事実がある。それからまだたくさんの事実が私の方ではあるわけですけれ
ども
、そういうふうな事実があ
つて
、紛擾が起
つて
來ておるということをあなたに参考までに確めたか
つたの
ですが、あなたが御承知ないのをそれ以上私はとやかく言うことはないのです。そこであなたは先ほどの
証言
の中で、自分は
組合
運動
には縁が浅い、こういうふうにおつしや
つた
が、そうですが。
金子敬通
1193
○金子證人 そうです。
神山茂夫
1194
○神山
委員
あなたは戦時中にどういう地位におられましたか。
金子敬通
1195
○金子證人 戦時中は私は職工をしておりません。
神山茂夫
1196
○神山
委員
何をしていましたか。
金子敬通
1197
○金子證人 私は軍隊へ出ておりました。
神山茂夫
1198
○神山
委員
軍隊でいかなる階級にいましたか。
金子敬通
1199
○金子證人 私は陸軍の准尉でした。
神山茂夫
1200
○神山
委員
そうしますと下士勤務ですか。下士か何かから上られたのですか。
金子敬通
1201
○金子證人 もちろん軍隊では下士からでなければ准尉というものにはなれませんので、そういう系統を行
つて
おります。
神山茂夫
1202
○神山
委員
私の伺
つたの
は、下士勤務を自分で志願されたかどうかを聞きたか
つたの
です。
金子敬通
1203
○金子證人 志願じやありません。
神山茂夫
1204
○神山
委員
そうじやなくて徴兵でひつぱられて……。
金子敬通
1205
○金子證人 私は下士適任証を持
つて
一應満期したわけであります。
神山茂夫
1206
○神山
委員
おれだ
つて
上等兵だ
つた
から知
つて
おる。それで勤務しておる間に准尉に
なつ
た、こういうわけですか。
金子敬通
1207
○金子證人 そうです。
神山茂夫
1208
○神山
委員
ただあなたが
組合
運動
に経験が浅いとおつしや
つた
ことと何も結びつけるわけではありませんけれ
ども
、前から准尉であ
つた
というようなことも、この動きに全然
関係
がないというふうには見えない。あなたの意思にかかわりなく、こういうことがあるというのは、あなたはここで先ほど
証言
されたときに分裂の決意をされたのは七月三日だ
つた
、こうおつしや
つた
ですね。
金子敬通
1209
○金子證人 そういう言ははいておりません。
鍛冶良作
1210
○
鍛冶委員長
三日、だとは言わない。
神山茂夫
1211
○神山
委員
いや、二十七日の大会には
行つたの
だが、少数派で意見が負けたのでしよう。
金子敬通
1212
○金子證人 二十七日ですか、そういう言をはいた覚えはありません。
神山茂夫
1213
○神山
委員
いつの大会で負けたんですか。
金子敬通
1214
○金子證人 二日の大会で負けたのです。
神山茂夫
1215
○神山
委員
そのときには脱退しなか
つた
が、三日には脱退されたでしよう。
金子敬通
1216
○金子證人 そうです。
神山茂夫
1217
○神山
委員
だから私はそこを聞いておるのだ。その三日に決意される場合に、あなたは國鉄と一緒にやるというふうなことが気にいらぬ、それではいつまでも片づかぬ、そういうふうに言われたのはわかりますが、
ちよ
うどあなたが決意して、そのときに集ま
つた
人が合せて七十名、夕方にな
つて
百八十名、四日にな
つて
四百名、五日にな
つて
六百名、七日にな
つて
八百名、こういうふうにここで言われたわけですが、
ちよ
うどその同じときに、七月五日の日に緒方
勤労部長
が東京の
本社
と連絡をと
つて
いる電話なんですが、再建会が新
労働組合
準備会を結成するのは二日の予定であ
つた
が、一日遅れて三日にできました、これは万やむを得ません。現在までの準備会の人員は七月三日に二百名、四日に四百八十名、本日七百五十名を獲得しました、こういう報告をしておるわけだ、從
つて
私のここで
言つて
いるのは、あなたの
眞劍
な意図にかかわりなく、あなたの背後に
会社
がこういうことをや
つて
いたということが
一つ
の事実としてある。こういうことを
言つて
いるのです。
金子敬通
1218
○金子證人 この件につきましては、私はそういう事実をつかんでおりませんので、ここではつきり知らぬということを言明いたします。
神山茂夫
1219
○神山
委員
私の
言つて
おることは、あなたの
眞劍
な意図にはかかわりなく、
労働組合
運動
というものは複雑怪奇なものでありますから、こういうことがあるということ、しかも再建会その他の問題が
——
先ほ
ども
言
つた
ようにあなたに葉書を送
つて
おるという事実もある。新聞廣告をしたという事実もある。こういうことから見れば、あなたのまじめな意図にかかわりなく、心にもない結果に陥
つて
いる。こういうことを私言いたか
つた
わけです。そこで今の第二
組合
がどうなるか、第二
組合
の
情勢
がどうかということは言明の限りでないとおつしやいましたが、地区の他の労働團体はこの、第二
組合
に対してどういうふうに見ておるか。お聞きに
なつ
たことはありませんか。
金子敬通
1220
○金子證人 地区の各労働團体にはいろいろな批判の目がありますので、ここでどこがどうだ、ここがどうだということははつきり申し上げられません。
神山茂夫
1221
○神山
委員
批判の目があるということは、産別系はそういう第二
組合
をほとんど問題としないで、それよりも労働者の利益のために合同しようじやないか、こういう見方をしている。問題なのは総同盟系なんですが、総同盟系さえもやはり結成の動機には疑いを持
つて
いる、從
つて
積極的には應援できない、こういう立場に立
つて
いる。中立系もやはり同じように結成の動機に疑いを持
つて
いる、積極的には應援できない、今までの
行き
がかりを捨てて即時合同してもらいたい、第一
組合
としてはこういうような意向を持
つて
いると聞いておりますが、あなたは聞いておりませんか。御承知ありませんか。
金子敬通
1222
○金子證人 これは承りましたが、この件につきましては、一方の線というのは、現在の全金分会並びに労組というものを解散して、第三
組合
というような形でも
つて
や
つた
らどうかということにつきましての御相談は、私がこちえへたちます前日の日に、こういうことを全金分会に申したということを申しました。
神山茂夫
1223
○神山
委員
ですから何らかの形で統一を求めている。ところがここで旭の浦座という劇場を借りた。そこの賃貸料の問題だとか幹部の
運動
費だとか、あるいはその他の費用の点でずいぶん疑惑が残
つて
おるし、あなたの
組合
の大会に戸田組の配下の人が入
つて
いたとかいうようなことも、やはり疑惑を持たれる根拠なんです。ここのところをやはり
考え
ていただきたい。特に九日の晩には、あなたは入
つて
いないと思いますが、
組合
の幹部の諸君がうんと酔つぱら
つて
歩いていたのを見たのもあるということもありますので、いろいろな批判があるわけです。ここで
最後
にお聞きしたいのは、これからの問題にもあるのですが、
争議
が起
つて
來た直接の原因は、あなたも御承知のように、長い間賃金の
遅配
があ
つた
わけですね。しかもまた
首切り
があ
つた
わけですね。
金子敬通
1224
○金子證人
ちよ
つと待
つて
ください。これは私に何を
言つて
おられるのか、どうも私ははつきりのみ込めないのです。今酒を飲んだとか言われましたが……。
神山茂夫
1225
○神山
委員
そういううわさがあるということが先ほどのような疑惑があるというふうに言われる根拠になる、こういうことを言
つた
わけです。そこで私が今あなたにお尋ねしておるのは、
争議
が起
つた
根拠にな
つたの
は、長い間の賃金
遅配
が大きな原因だ、またとにかく七百名を首切るということを一方的に
会社側
から言われたことが今度の
争議
の大きな原因ではなか
つた
か、そういうことを
言つて
おるのです。
金子敬通
1226
○金子證人 これは一方的と申しますか、この面についてはわれわれはこの
交渉
の眞相がはつきり披瀝されておりませんから、わかりません。
神山茂夫
1227
○神山
委員
それではわからないとおつしやるなら、私もこれ以上あえて追究することはしませんが、こういうふうな事情があ
つて
約午五百名のあなたの仲間が長い間苦労されたわけでありますから、現在またいろいろな手違い、
行き
違いがあ
つて
、あなたの意図にかかわりなく、うしろで行われておる
運動
に関連しておるわけでありますから、一日も早く統一されて、少しでも労働者諸君の生活を守るように活動されることをお願いしておきたいと思います。
石井繁丸
1228
○石井
委員
今神山君が
証人
の軍隊
関係
を非難するようなことを聞いたので、一言申します。私も伍長から召集されて長い間いたので、曹長一等級から准尉になろうというわけにな
つたの
ですが、大体
証人
は伍長勤務をや
つて
、それから長い間軍隊にいたので、長い間戰争生活をした
関係
で自然に准尉に
なつ
た、こういうわけですね。
金子敬通
1229
○金子證人 途中で私は現役を志願いたしました。
石井繁丸
1230
○石井
委員
大体あのころ、もう幾年た
つた
ら帰れるかわからないというので、若い人は現役を志願するというような傾向にな
つたの
ですね。
金子敬通
1231
○金子證人 そうです。
石井繁丸
1232
○石井
委員
それから今度急速に第二
組合
ができたというのは、共産党や全金属の指導する
争議
方針というものが、問題を
解決
するということには向わないで、
争議
を拡大する、激化する、そうして
最後
においては
工場
をつぶしてもなんでも社会不安が起れば革命が達成する、こういう傾向ばかりたど
つて
、問題の
解決
にはあまり努力しない、こんな傾向を一般のまじめな
組合員
が
考え
たので、これではいけないというところから自然発生的に第二
組合
をつくろう、こういうのですね。
金子敬通
1233
○金子證人 その通りです。
石井繁丸
1234
○石井
委員
労働者の方では、自分たちの立場を
考え
たり、いろいろと社会の
情勢
を見て、なるべく良心的に問題を
解決
したい、
工場
としては人員を
整理
しないで済むものならばできるだけ
整理
しないで済ませたい、ところが
吉田内閣
の政治ではどうも首切らざるを得なく
なつ
た、しかし何としてもこういう経済
情勢
の上であるから、最小限度に犠牲を少くして問題を
解決
したい、こういう気持で第二
組合
をつく
つた
わけですね。
金子敬通
1235
○金子證人 そうです。
鍛冶良作
1236
○
鍛冶委員長
では済みました。 —
——
——
——
——
——
——
鍛冶良作
1237
○
鍛冶委員長
松江澄さんですね。
松江澄
1238
○松江證人 そうです。
鍛冶良作
1239
○
鍛冶委員長
あなたは廣島懸
労働組合
会議
議長、それから日鋼防衛共同闘争
委員長
をや
つて
おいでになりますか。
松江澄
1240
○松江證人 廣島縣
労働組合
協議会
会長。それから廣島懸産業防衛
会議
準備会日鋼防衛共同闘争
委員会
委員長
。
鍛冶良作
1241
○
鍛冶委員長
そのほか廣島地区放送
労働組合
長もや
つて
おりますか。
松江澄
1242
○松江證人 地域的なものは廣島地区
労働組合
会議
の執行
委員長
もや
つて
おります。
鍛冶良作
1243
○
鍛冶委員長
労働組合
会議
の何ですか。
松江澄
1244
○松江證人 全日本
労働組合
の中央
委員
並びに中央闘争
委員
とそれから廣島支部の執行
委員長
をや
つて
おります。
鍛冶良作
1245
○
鍛冶委員長
廣島地区放逸
労働組合
長というのは……。
松江澄
1246
○松江證人 そういうのはありません。
鍛冶良作
1247
○
鍛冶委員長
この廣島懸産業防衛日鋼防衛共闘
委員会
ですか、これはいつどういうことからできたのですか。
松江澄
1248
○松江證人 大体昨年あたりから一般の
企業
は、いろいろの点で
行き
詰まりを見せ始めておりましたけれ
ども
、今年になりましてから、総選挙の結果現在の
吉田内閣
ができて、その
吉田内閣
の政策が、いろいろその反動的なあるいは買弁的な政策が全日本的な範囲でも
つて
、基幹産業を中心としていろいろな
企業
に対して圧迫を加へ始めました。その例といたしましては、たとえば造船
関係
にしましても、集中
生産
の結果非常に製作が制限されております。そうして、しかもそのつく
つて
おるものが外国の船をつく
つて
おる。そのために
從業員
たちは非常に低賃金労働強化が行われておる。こういうことがいろいろありました。こういう
状態
は單に造船部門に限らず、車両部門あるいは繊維部門あるいは鉄鋼部門、その他各重要部門にいろいろと現われて参りました。特に鉄鋼、石炭部門などはストックがありながら、実際その石炭がそういう鉄鋼のほしいところにはまわ
つて
いない、そういう状況が現われております。さらにこの集中
生産
というものが、單に反動的に中小
企業
を圧迫するということだけでなしに、そのきわめて買弁的な性格を露骨に現わして参りまして、その結果たとえば造船部門におきましても……。
鍛冶良作
1249
○
鍛冶委員長
簡單に趣旨だけ述べてください。
松江澄
1250
○松江證人 造船部門におきましても、向うから注文された船をこつちがつくるというだけでなしに、一時
吉田内閣
が向うと
交渉
して、その結果だめになりました例のリバテイ船の問題にしましても見られますように、あるいはまた以上のような葉中
生産
政策によりまして、國内市場をきわめて狭隘にしております。一方世界的な資本主義の一般的な危機がきわめて激化して参りましで、その結果アメリカにおいて起きた農業
生産
を中心とする経済恐慌、これがさらに世界的な規模で発展して参りまして、その結果外國市場もきわめて狭くするという結果にな
つて
参りました。 それではこういうふうなきわめて買弁的、反動的な集中
生産
政策が、いかにして中國地方あるいは廣島縣、廣島市周辺に現われているかと申しますと、具体的な例をあげて申してみますと、たとえば……。
鍛冶良作
1251
○
鍛冶委員長
そうこまかく言わぬでも、大体でいいです。
松江澄
1252
○松江證人 非常に関連があるの で……。たとえば中國地方におきましても、表筋の車両製作部門、たとえば三原の三車であるとか、あるいは岡山縣の汽車
会社
、あるいは山口懸の方の車両
関係
、あるいは造船
関係
におきましては、廣島造船あるいは因島の
製作所
、それから玉野の造船、山陰の木造船、そういうふうなところにこの直接的な影響が非常に現われて参りまして、廣島懸の場合におきましても、具体的に申しますと……。
鍛冶良作
1253
○
鍛冶委員長
そんなことを言わぬで、大まかでいい。
松江澄
1254
○松江證人 非常に
関係
ありますから……。廣島懸におきましても、たとえば車両方面……。
鍛冶良作
1255
○
鍛冶委員長
一々でなしに
——
大抵あなたの言われることはわか
つて
いる。だから、これは
行き
づま
つた
という話でしよう、廣島懸で……。
松江澄
1256
○松江證人 その
行き
づまり方が違うのです。
鍛冶良作
1257
○
鍛冶委員長
その
行き
づまりをどうするのですか。
松江澄
1258
○松江證人 たとえば集中
生産
を受けていない廣島造船なんかでは、船がつくりたくてしようがないというのにかかわらず、船がつくれないというので、街頭へ進出して、街頭で
署名運動
を行
つて
いる。しかも集中
生産
を受けた玉野造船では外國船をつく
つて
、それが賣れなか
つたの
で、また低賃金労働強化にな
つて
かえ
つて
來る。また山陽方面では廣島の木造船が非常に打撃を受けまして……。
鍛冶良作
1259
○
鍛冶委員長
そんな具体的な一々言わぬでも、総合して
言つて
もらわぬと、時間がない。
松江澄
1260
○松江證人 総合して
言つて
おります。木造船あたりが非常に影響を受けまして、
経営者
も
組合
と一緒に何とかしなければいけないという
状態
にな
つて
参りました。そして市内におきましても、いろいろとこういう現象が現われて参りまして、あるいは税金のために非常に小さな
企業
は困
つて
來るとか、あるいは資材や價格が統制を受けて非常に困る、そういうふうな現象がきわめてたくさん現われて参りました。そこでこういうふうな現在集中的に現われて來ているこの
吉田内閣
の反動的あるいは買弁的な集中
生産
方式のために、廣島縣の中のいろいろな
企業
がまさに崩壊に瀕している。
従業員
におきましては、異常な低賃金で、あしたの生活をどうしてもや
つて
行けない、配給
もと
れない、こういう
状態
が現われて來たのであります。さらに
経営者
におきましても、單に
組合
だけでなしに、
経営者
でも何とかこれは切り抜けなければならない、こういうようなことを
考え
始めておりまして、そこで廣島地方
労働組合
会議
が五月に
会議
を招集しまして、おもに中小
企業
の
労働組合
関係
の
代表
者を集めまして、そこで一体こういう中小
企業
の崩壊をどうしたらよかろう、こういうことをいろいろ討論をいたしました。廣島の特産である針の
工場
などはレートがかわ
つた
ために、毎月数十万円の赤字が出る、あるいは精米機をつくる
工場
はつく
つて
も賣れない。こういうことを何とかしなければならない、こういうふうなことがいろいろ論議をされました。とにかくわれわれ
組合
だけではなく、
経営者
もほんとうに困
つて
いるのじやないか、しかしわれわれ
組合
が、労働者が中心にな
つて
、立て直して行かなくてはどうしてもこれは救うことはできない。そうして具体的な実例を上げて、
経営者
にもこの点をほんとうにわかるように話合わなければならない。しかし
一つ
の
企業
内で、一体技術的にこれができるだろうかどうかという問題、この点も大分討論をされました。しかし現在の中小
企業
、郷土産業の崩壊は一
企業
内における技術的な、金融操作では絶対に救い得ない。この根本は現在の反動、買弁的な集中
生産
政策をどうしても直させる以外に途はない、こういうことに
結論
がつきまして、
組合
はこのことは本能的に生活に追われて実際に感じておりますが、
経営者
の方はどちらかといいますと、まだ必ずしもすぐに
組合
について來るという
状態
ではない。と申しますのは、聞くところによりますと、
経営者
が……。
鍛冶良作
1261
○
鍛冶委員長
あなた、ここで何も演説をする必要はない。君に言わせると、こまかく言えばわかるというかもしれんが、そんなこまかいことを聞いてお
つて
はきりがない、だからそれをどうして防ぐというのでしよう。
松江澄
1262
○松江證人
経営者
の方は賃金を少し下げてくれれば
企業
は何とか盛り立てて見せるとい
つて
、それは実際にや
つた
所もあるようです。ところがそのときには一月た
つた
ら賃金を元に戻すから下げてくれ、そうすればうちの
企業
を何とか盛り立てるからということで、
組合員
の中では同調した人もありました……。
鍛冶良作
1263
○
鍛冶委員長
どういうものが寄
つて
この闘争
委員会
をつく
つた
かと聞いているのです。
松江澄
1264
○松江證人 とにかくこういう組織体をつく
つて
、労働者が中心にな
つて
中小
企業
者、民族資本家、そうしてできればこれに賛成をする地方議会の議員、そういう
人たち
も一緒にひつくるめて、そうして地方全体が郷土産業のために立ち上らなくてはならぬじやないかというような
結論
が出ました。この
会議
を終り、その後
経営者
とも一緒に
会議
を持とうということにな
つて
おりましたが、それがなかなか持てませんでした。
ちよ
うど六月の初めになりまして、廣島地方
労働組合
会議
の総会が持たれました。この総会の席上では、当面の問題として労働法規改悪の問題あるいは教育の問題、あるいは郷土産業防衛の問題、中小
企業
の問題、労働強化、
首切り
あるいは行政
整理
反対
、こういう問題がいろいろ出されました。これをいかにするかということをみんなが討論をいたしましたが、その結果集約されたのがすなわち産業防衛闘争、われわれの郷土の産業をわれわえ自身が守
つて
行かなければならないという
結論
でありました。
鍛冶良作
1265
○
鍛冶委員長
よろしい。そこで構成團体に
なつ
た友誼團体はどういう團体ですか。君はここで君の言うことをしやべろうと思
つて
來たのならば
証言
にならぬですよ。君の意図をわれわれは聞いているのではない。どういう團体がその中に入
つた
かと言うのです。
松江澄
1266
○松江證人 それで今まで話しましたような
結論
に基いて、産業防衛
会議
をつくろう、こういうことを決定し、とりあえずその準備会をつくろうということになりまして……。
鍛冶良作
1267
○
鍛冶委員長
中途のことはよろしい。
松江澄
1268
○松江證人 どういう團体が入
つて
おるかと申しますと、この準備会の中には國鉄廣島支部、國鉄廣鉄支部、全逓廣島懸本部、電産、教組、日農全新聞その他そういう全懸的な組織を持つ
組合
が集ま
つて
準備会をつくりました。その以後また準備会を二回重ねて持ちまして、その結果準備会に入
つて
來る
組合
が拡大されましで、その場合の
組合
を申し上げますと、先ほど申し上げました国鉄廣鉄支部、同廣島支部、全逓、電産、教組、日農、全官労
関係
の全気象、全商工、全農林その他海員
組合
、それから全金属、全新聞、その他現在こまかいことは覚えておりませんが、廣島縣中のほとんどとい
つて
いいくらいの懸單位の組織を全部網羅したのであります。
鍛冶良作
1269
○
鍛冶委員長
よろしい。それでそれは朝鮮人連盟と何か
関係
がございますか。
松江澄
1270
○松江證人 産業防衛共同闘争
委員会
の中に入
つて
おります。
鍛冶良作
1271
○
鍛冶委員長
日鋼
製作所
はどういう
関係
でこの中に入
つて
おりましたか。
松江澄
1272
○松江證人
組合
ですか、
組合
は共同闘争
委員会
に入
つて
おりません。
鍛冶良作
1273
○
鍛冶委員長
入
つて
おらぬ、全金属としてこの中に入
つて
いるのですか。
松江澄
1274
○松江證人 全金属として組織の中に入
つて
おりますが、直接日鋼としては入
つて
おりません。廣島の全金属支部が入
つて
おるわけです。しかし日鋼は別にその共同闘争
委員会
の出す指令のようなものには一切束縛されておりません。
鍛冶良作
1275
○
鍛冶委員長
日鋼廣
島
製作所
は
賠償指定
工場
であ
つた
ということは知
つて
おいででしたか。
松江澄
1276
○松江證人 それは知
つて
おりました。
鍛冶良作
1277
○
鍛冶委員長
ところが六月に入りまして、この日鋼で
争議
が起り、その
争議
が大きくなりますと、今あなたの言われる廣島懸産業防衛共同闘争
委員会
ではこれに対する應援だというので、この
工場
へ外郭團体の人たが非常に多く入
つて
來たと言いますが、そういう事実はありましたか。
松江澄
1278
○松江證人 今の
委員長
の御
質問
ですが、日鋼の防衛闘争
委員会
というのは前からできてお
つた
わけではありません。それは産業防衛準備会ができてお
つた
、
ちよ
うどその総会に日鋼の問題も報告されておる。ところがたまたま
争議
が起
つた
。それで警官が断圧するというので、とりあえずみんながおつとり刀でかけつけた。そこででき上
つたの
がこの共同闘争
委員会
にな
つて
いるのです。
鍛冶良作
1279
○
鍛冶委員長
そうすると日鋼でもあらためて共同闘争
委員会
というものをつく
つたの
ですね。
松江澄
1280
○松江證人 そうです。
鍛冶良作
1281
○
鍛冶委員長
それは幾日ですか。
松江澄
1282
○松江證人 それができ上
つたの
が十四日
——
十三日に一應提案がなされて決定はされておりましたが、実質的にでき上
つたの
十四日であると思います。
鍛冶良作
1283
○
鍛冶委員長
そうすると十日、十一日には外郭團体は入
つて
お
つたの
じやないですか。
松江澄
1284
○松江證人 私は行
つて
おりませんので、そこのところは知
つて
おりません。
鍛冶良作
1285
○
鍛冶委員長
十三日には
行つたの
ですね。
松江澄
1286
○松江證人 十三日に一回顔を出しました。
鍛冶良作
1287
○
鍛冶委員長
ところが十三日に廣島軍政隊のダガー大尉が日鋼
製作所
へ來られて、この
工場
は
賠償指定
工場
であるがゆえに、よその者が入
つて
行かぬから、立ちのきせい、こういう命令が出たと聞いておりますが、それは聞きませんでしたか。
松江澄
1288
○松江證人 十三日には私はまだよく聞いておりません。
鍛冶良作
1289
○
鍛冶委員長
あなたは十三日に行
つて
お
つた
でしよう。
松江澄
1290
○松江證人
ちよ
つと覗いたたけなので聞きませんでした。
鍛冶良作
1291
○
鍛冶委員長
聞いたでしよう。
松江澄
1292
○松江證人 はつきりは聞いておりません。
鍛冶良作
1293
○
鍛冶委員長
そこで十四日にあらためて進駐軍からこれを撤退せしめよという命令が出たということは聞きませんでしたか。
松江澄
1294
○松江證人 警察の方から聞きました。
鍛冶良作
1295
○
鍛冶委員長
それはどこへ命令があ
つた
と聞きましたか。
松江澄
1296
○松江證人 警察の方ですか。東署長の瑞木署長がそう申しておりました。
鍛冶良作
1297
○
鍛冶委員長
それは幾日ですか。
松江澄
1298
○松江證人 十四日です。
鍛冶良作
1299
○
鍛冶委員長
そこで十四日に東署長から聞いたのですね。その命令を受けたのは知事ではなか
つたの
ですか。
松江澄
1300
○松江證人 私が聞いたのは瑞木東署長であります。
鍛冶良作
1301
○
鍛冶委員長
いや、進駐軍から命令を受けたのは懸知事ではなか
つたの
かというのです。
松江澄
1302
○松江證人 そういうことは全然聞いておりません。
鍛冶良作
1303
○
鍛冶委員長
そこで十五日の朝にな
つて
、知事から拡声器か何かで向いの山から
争議
團に対して命令であるから
賠償指定
工場
であるがゆえに、全員立ちのきせいという命令があ
つた
そうですが、それはどうですか。
松江澄
1304
○松江證人 何か警官がどんどん入
つて
來るという情報がいろいろ入
つて
参りまして、大分警官が取巻いている、そういう上に、何か山の上の方に大型のマイクロホンがあ
つて
何か
言つて
いるらしいということを聞いておりましたが、中の方ではインターナシヨナルを歌
つて
おりますし、どういうことを
言つて
おるのか知りません。
鍛冶良作
1305
○
鍛冶委員長
最初
の一ぺんは聞えたが、インターを歌
つた
り汽笛を鳴らしてそれを聞えないようにしたということですが、
最初
の一ぺんは
言つて
お
つた
でしよう。
松江澄
1306
○松江證人 おりました。
鍛冶良作
1307
○
鍛冶委員長
聞いてお
つた
でしよう。
松江澄
1308
○松江證人 何か
言つて
おるということは聞いておりました。
鍛冶良作
1309
○
鍛冶委員長
あなたはダガー大尉から直接東署長の前で立ちのきせいということを言われたそうですが……。
松江澄
1310
○松江證人 ダガー大尉から私に言われたというよりは、私がダガー大尉と会
つた
ということはあります。
鍛冶良作
1311
○
鍛冶委員長
東警察署でですか。
松江澄
1312
○松江證人 いいえ、現地で……。
鍛冶良作
1313
○
鍛冶委員長
そのときはやはり立ちのきせいという命令があ
つたの
じやないですか。あなたにだけですか。一般の中に入
つて
おる者に対しての命令ではなか
つたの
ですか。
松江澄
1314
○松江證人 一般の者の前ですか。
鍛冶良作
1315
○
鍛冶委員長
そうです。
松江澄
1316
○松江證人 一般の者の前でそういうことを特に私に言われたということは覚えておりません。
鍛冶良作
1317
○
鍛冶委員長
あなたに対してだけでなく、いわゆる
争議
團に対してそういう話があ
つたの
じやないですか。
松江澄
1318
○松江證人 ダガー大尉ですか。
鍛冶良作
1319
○
鍛冶委員長
そうです。
松江澄
1320
○松江證人 東の署長からそういう話があ
つたの
だということは聞いております。
鍛冶良作
1321
○
鍛冶委員長
あなたは東署長と一緒に会
つたの
じやないですか。
松江澄
1322
○松江證人 そうです。会
つて
おります。
鍛冶良作
1323
○
鍛冶委員長
工場
でですか。
松江澄
1324
○松江證人
工場
というよりか本館で……。
鍛冶良作
1325
○
鍛冶委員長
そのときは一般に命令せいと
言つたの
じやないですか。
松江澄
1326
○松江證人 私に対してですか。
鍛冶良作
1327
○
鍛冶委員長
いやそうじやない、
争議
團全体に対して……。
松江澄
1328
○松江證人
争議
團全体に対して
——
もう少し具体的に
言つて
いただけるといいのですが……。
鍛冶良作
1329
○
鍛冶委員長
ダガー大尉から、その
会社
の
事務所
の方で東署長と一緒にあなたが聞かれたのでしよう。
松江澄
1330
○松江證人 東署長にダガー氏が命令されたというわけですか。私らのおる前で
——
何かそういういうなことは
言つて
おられたようにも覚えております。
鍛冶良作
1331
○
鍛冶委員長
あなたにも命令したというのですが、それはどうですか。
松江澄
1332
○松江證人 私あてに命令されたというのですか。
鍛冶良作
1333
○
鍛冶委員長
ダガー大尉からあなたに
——
。
松江澄
1334
○松江證人 私あてに命令されたということは覚えておりません。
鍛冶良作
1335
○
鍛冶委員長
松江共闘
委員長
にも命令した、こう
言つて
おるのだが、これはどうですか。
松江澄
1336
○松江證人 それはダガー大尉がそう言われておるのですか。
鍛冶良作
1337
○
鍛冶委員長
あなたに対して……。
松江澄
1338
○松江證人 私に対して立ちのけと……。
鍛冶良作
1339
○
鍛冶委員長
闘争
委員長
であるがゆえに立ちのかせいと言われたと聞いておるが、どうですか。
松江澄
1340
○松江證人 私、当時のことは詳しく覚えておりませんけれ
ども
、そういう命令のようなことを言われてお
つた
ようだということは覚えております。
鍛冶良作
1341
○
鍛冶委員長
あなたはほんとうに覚えがないのか、どうだね。
松江澄
1342
○松江證人 それを私にお前こうこうしろという命令を受けたということははつきり覚えておりません。
鍛冶良作
1343
○
鍛冶委員長
林
組合長
に対してはみな退散させろと言われたそうですね。
松江澄
1344
○松江證人 私は現場にいませんし、そう言われたときは知りません。
鍛冶良作
1345
○
鍛冶委員長
そういうふうなことを聞きましたか。
松江澄
1346
○松江證人 そういうふうなことを言われたらしいということを聞きました。
鍛冶良作
1347
○
鍛冶委員長
そこで林
組合長
はマイクを通じて全体に立ちのきを命じたそうですが、それは何時ころでしようか。
松江澄
1348
○松江證人 私は知りません。私が
行つたの
は多分晝前だ
つた
と思います。
鍛冶良作
1349
○
鍛冶委員長
午前中ですから……。
松江澄
1350
○松江證人 午前中
——
何時ころですか。私はマイクを通じての放送ということは、私の耳に聞いておりません。
鍛冶良作
1351
○
鍛冶委員長
これは
組合
の者に対してお前が
組合長
だからやれと言われた。それから
組合
外の者がおるものだから、あなたに対して共闘
委員長
として
組合
外の者を出すようにせいと言われたと聞いておるが、どうですか。
松江澄
1352
○松江證人 林
委員長
に言われたというのは、私は現場におりませんから、私は申し上げられません。私に対してはむしろあの日にわれわれの方から
軍政部
の方にもお会いしたいと思
つて
お願いしてお
つた
。ところがなかなか会えなか
つた
。それでもお会いしてお話をしてみようと思
つて
待
つて
お
つた
わけですが、とうとうそういう形では会えなか
つた
わけで、たまたま日鋼の人か
組合
の人か話しておられるところへ偶然
行き
まして、そこでさつき言
つた
ようなお話をされているのを聞いた。こういうことです。
鍛冶良作
1353
○
鍛冶委員長
あなたの話を開くと、よその者にダガー大尉が話しておるのをあなたは聞いた、こういうふうに聞えるのですが、そう言うのですか。
松江澄
1354
○松江證人 私は十四日の晝前に参りまして、
軍政部
の方が來ておられるということを聞きまして、お会いしていろいろ話してみようと思
つて
二階へ上
つて
通訳の人に頼んだわけです。ところが今忙しいからというような話でなかなか会えなか
つた
。晝過ぎにな
つて
たまたま廊下のところかどこかで日鋼の
組合
の人が話されておるところで、
ちよ
うど偶然私が
行き
まして話をした。
鍛冶良作
1355
○
鍛冶委員長
そのときにあなたにこれを退散させろと
言つたの
ですか。瑞木署長に言うのをあなたは聞いたのですか。どつちですか。
松江澄
1356
○松江證人 私に対してもそういうことに関するようなことは言われたようですが、今私は明確には覚えておりません。
鍛冶良作
1357
○
鍛冶委員長
言われたようだというのはおかしいじやないか。そこで朝へ移りますが、その知事の退去命令があ
つた
が、出ましたか。
松江澄
1358
○松江證人 知事の退去命令はさつき申し上げましたように、何か
言つて
いるということは聞きました。あるいはまた退去しろというふうに言われているのだということは、私も間接に聞いております。しかしただわれわれとしては
賠償指定
工場
であ
つて
も、どこまでもこのたびの問題は純粋な労働
争議
である。このことは極東十六原則によ
つて
もわれわれに認められている労働者の基本権利であるとわれわれ確信して、そういうふうな命令というものは出るはずはないだろう、こういうふうに確信をしまして、從
つて
われわれはほんとうにそこ以外に日鋼の
人たち
の働く場所がない。ほんとうの
職場
なんだ、死に場所である。だからどこまでも
職場
を死守するというように、日鋼の人と一緒な階級として立ち上
つた
わけです。
鍛冶良作
1359
○
鍛冶委員長
そういう信念の
もと
に出なか
つた
わけだね。
松江澄
1360
○松江證人 そうです。
鍛冶良作
1361
○
鍛冶委員長
そこで重大にな
つて
來るのだ。それは十五日の朝だね。
松江澄
1362
○松江證人 そうです。
鍛冶良作
1363
○
鍛冶委員長
そういう命令が出るはずはないとあなたは信じてお
つた
わけですな。
松江澄
1364
○松江證人 そうです。
鍛冶良作
1365
○
鍛冶委員長
そうすると十四日にダガー大尉から面接みな退去しろと言われたことはどういうことなのですか。
松江澄
1366
○松江證人 私はそういう形でお前出せと言われたことははつきり覚えておりません。ただ何か
指定
工場
であるというふうなことで瑞木署長に命令を出されたということは聞いておりますが……。
鍛冶良作
1367
○
鍛冶委員長
君に言うたか言わぬかということを聞いておる。
松江澄
1368
○松江證人 私は今
委員長
が聞かれたような形で私にそういうこと言われたことは覚えておりません。
鍛冶良作
1369
○
鍛冶委員長
どう覚えているのか。
松江澄
1370
○松江證人 大分前のことでありますから、今その当時どういう言葉でどういうことを言
つた
かということは覚えておりません。
鍛冶良作
1371
○
鍛冶委員長
知
つて
いることを知らぬと言うのは偽証になりますが、よろしゆうございますか。
松江澄
1372
○松江證人 ほんとうにはつきり覚えておりません。
鍛冶良作
1373
○
鍛冶委員長
瑞木署長が言
つた
ことははつきり覚えておりますね。
松江澄
1374
○松江證人 瑞木署長に退去しろというふうなことを言われたことは大体覚えております。
鍛冶良作
1375
○
鍛冶委員長
それでもよろしいか。それを聞いておるにもかかわらず、さような命令が出るわけはないと信じたということとはどうしても合わぬのですが、それはどういうことなんだ。
松江澄
1376
○松江證人 これは実はそれから
あと
瑞木署長が警察側として
組合
に面会を申し込んで参りました。その前にもわれわれは瑞木署長に対して、一体どうなるかと聞きましたら、どうも退去しなくてはいかぬ、君たち退去してくれと言われるので、退去してくれと言われるがそういう正式命令が出たのか、何か文書で命令が出ましたか、それなら見せてくれれば私は堂々とインターを歌
つて
退去しますということを言
つた
わけです。ところが東署長はそれがそうでない、実は困
つて
いるのだというふうなことを言われたのは覚えております。それからさらに晝過ぎ四時ごろだ
つた
と思いますが、瑞木署長が人をよこして
組合
の
人たち
と話がしたいということを言われまして、また本館の二階で
——
これは夕刊廣島の記者も立ち会
つて
いたと思いますが、警察側と日鋼の
組合
と、共同闘争
委員会
の
代表
の両者が面会をいたして話合いをいたしました。そのときに瑞木署長は実は警察も非常に困
つて
いるのだ、だから何とかここはひとつ穏便に君たち出て行
つて
くれないか、こういうふうなごとを言われておりました。そういうことを言われてお
つた
ことは覚えております。從
つて
われわれも日本の警察官が確固たる信念をも
つて
行動する結果、非常に困
つた
困
つた
と言いながら何とか穏便に出て行
つて
くれないかと言うのを聞いて、われわれも先ほど申しております確信、これは純粋の労働
争議
であり、極東十六原則によ
つて
與えられておるものである。從
つて
そういう暴力を與えられることはないだろうという確信をますます深めて、その
職場
である
工場
を日鋼の
人たち
は守り、また組織労働者は階級としてこれを戰
つて
行く……。
鍛冶良作
1377
○
鍛冶委員長
困
つた
困
つた
というのはどういうのです。出てもらわなければ困るというのでしよう。
松江澄
1378
○松江證人 瑞木署長の言葉ですから私察するところ出て行
つて
もらわなければ、自分が板ばさみにな
つて
困るという意味か、そこはよくわかりませんが、何しろ日本警察官としての自主性ある態度でなしに、何かどうも困
つた
困
つた
、君たちもいろいろ言いたいことがあるだろうが、何とか出て行
つて
くれないか……。
鍛冶良作
1379
○
鍛冶委員長
板ばさみになるというのは進駐軍から命令があるからじやないのですか。
松江澄
1380
○松江證人 私は知りませんけれ
ども
、瑞木署長がそのように言われております。
鍛冶良作
1381
○
鍛冶委員長
その前に、あなたが聞いておるにもかかわらずそういう命令が出るわけはないと言われるあなたの言葉に矛盾があることを指摘しておきます。
松江澄
1382
○松江證人 これは私としては矛盾はありません。
鍛冶良作
1383
○
鍛冶委員長
これだけ
言つて
も事実と反しておれば偽証になるがよろしゆうございますか。
松江澄
1384
○松江證人 よろしゆうございます。
鍛冶良作
1385
○
鍛冶委員長
その後においてもいろいろ騒ぎがあ
つて
、
会社
のガラスがこわれたとか、塀がこわれた。そういう事実はお認めになりますか。
松江澄
1386
○松江證人 その後ですね。
鍛冶良作
1387
○
鍛冶委員長
十五日までです。
松江澄
1388
○松江證人 十五日までは私は知
つて
おりません。
鍛冶良作
1389
○
鍛冶委員長
十五日以後にあ
つた
ことは……。
松江澄
1390
○松江證人 以後に私の聞いておるところでは、附近の子供たちが非常に警官のそういう暴行あるいは官憲の彈圧、これに非常に憤慨をして何か小石を投げてお
つた
、こういうことは聞いております。それからもう
一つ
聞いておるのは、
組合
が外へ退去させられた
あと
、木で柵ができました。門ができました。それをつく
つたの
は何とか組というやはり日鋼の下請の組だそうです。ところがそれに対して、つく
つた
けれ
ども
、あれはおれたちがつく
つたの
はよく
考え
てみたら、自分たちで自分たちの身を縛るようなものだというので、自分たちがつく
つた
ものを自分たちではずしに
行つた
ということを間接的に聞いております。
鍛冶良作
1391
○
鍛冶委員長
争議
彈が投げたのではなく、子供たちが投げたというのですね。
松江澄
1392
○松江證人 そういうように聞いております。
鍛冶良作
1393
○
鍛冶委員長
それからさらに十八日から二十一日などの人民大会を開いて、それからデモをも
つて
市役所及び縣廳を襲
つた
という事実はありますか。
松江澄
1394
○松江證人 襲
つた
ということはございません。
鍛冶良作
1395
○
鍛冶委員長
俗に言うデモをかけたということは……。
松江澄
1396
○松江證人 俗に言うデモ行進、それは十八日に市役所に対して、二十一日に縣廳に対して行いました。
鍛冶良作
1397
○
鍛冶委員長
市役所に行
つて
公安
委員
並びに市警察局長を大衆の前にひつぱり出していろいろ尋問されたそうですが、それはどうですか。
松江澄
1398
○松江證人 ひつぱり出したことも尋問したこともございません。ただわれわれがデモ行進して
行き
まして、あらかじめ
代表
でも
つて
今度の
事件
についてお話したい。ついてはみなで話したいということを申し出て、向うの方も自主的に市警の局長と野口公安
委員
、波多野公安
委員
、それから少し遅れて濱井市長、これが出て参りました。これに対してもわれわれは決して尋問ということはいたしておりません。ただきわめて平和的な言葉でいろいろ
質問
し、向うも答えたのであります。
鍛冶良作
1399
○
鍛冶委員長
暴行を加えたと申しますが、そうですが。
松江澄
1400
○松江證人 そういうことは知
つて
おりません。
鍛冶良作
1401
○
鍛冶委員長
あなたはお
つたの
だろう。
松江澄
1402
○松江證人 私はおりました。
鍛冶良作
1403
○
鍛冶委員長
それでそういうことを知らぬのですか。
松江澄
1404
○松江證人 そうです。
鍛冶良作
1405
○
鍛冶委員長
懸廳ではどうでした。
松江澄
1406
○松江證人 どうでしたというのはどういう……。
鍛冶良作
1407
○
鍛冶委員長
だれか呼び出して……。
松江澄
1408
○松江證人 懸廳では私たちが参
つた
ときに、縣知事はどこかに出ておりましたが、國警隊長だけおりました。それから懸知事が帰
つて
参りましたので、われわれとしては懸知事にも國警隊長にも副知事にも、ぜひ大衆の前に出ていただきたい。大衆は直接あなた方と話したいと
言つて
おりますから、こう申したら、懸知事はどうしてもがえじませんでした。そこで
ちよ
うど産別の菅議長等も見えておられまして、それではひとつ問を持
つて
一應あいさつに出て、それから
あと
は
代表
團ときちんと話されたらどうか、こう言われましたので、私が大衆に特にはかりまして、そういうことに決定いたしました。そうして一應知事と副知事と國警隊長が縣廳横の大衆の前に出て、懸知事が
代表
してあいさつを述べました。そしてまたひつこんで、
あと
は
代表
團で
交渉
しました。
鍛冶良作
1409
○
鍛冶委員長
國警隊長が出たら大衆がいろいろ
質問
を浴びせたのではないですか。
松江澄
1410
○松江證人 いろいろ
質問
を浴びせた……。どんな
質問
を浴びせたかということは今覚えておりません。
鍛冶良作
1411
○
鍛冶委員長
全然浴びせなか
つた
。
松江澄
1412
○松江證人
質問
は浴びせたかもしれません。
鍛冶良作
1413
○
鍛冶委員長
具体的にどういうことをどうしたかということは……。
松江澄
1414
○松江證人 問いですね。やはり大衆がそれぞれ口々に
言つて
おりましたから、そういうことはあ
つた
かもしれない。あ
つた
でしよう、おそらく……。
鍛冶良作
1415
○
鍛冶委員長
質問
を出してお
つたの
でしよう。あなたは一体どういう意味でそういうことを言うのですか。
松江澄
1416
○松江證人 どういう意味とは。
鍛冶良作
1417
○
鍛冶委員長
質問
を出してお
つたの
だろう。大衆がお
つた
から……。あ
つた
かもしれないというのはどういうことか。
松江澄
1418
○松江證人 大衆は人民
廣場
で大会を持ちまして、縣知事に対してはどれどれ、國警に対してはどれどれというようにそれぞれ決定して、
質問
書を紙に書いて來ております。從
つて
それを
代表
團が持
つて
來て
質問
したわけです。
鍛冶良作
1419
○
鍛冶委員長
質問
をしたのだろう。
松江澄
1420
○松江證人
代表
團が
質問
したわけで、直接大衆がや
つたの
ではありません。
鍛冶良作
1421
○
鍛冶委員長
それで大衆の前で
質問
したのだろう。
松江澄
1422
○松江證人 違います。縣廳の二階の應接室で
代表
團とした。
鍛冶良作
1423
○
鍛冶委員長
私はそれを
言つて
いるのではない。大衆の前へ
行つた
ときに
質問
した者は相当お
つた
ろう。
松江澄
1424
○松江證人 大衆の中からですか。
鍛冶良作
1425
○
鍛冶委員長
ええ。
松江澄
1426
○松江證人 それは覚えておりません。
鍛冶良作
1427
○
鍛冶委員長
隊長に
質問
したのだろう。
松江澄
1428
○松江證人
質問
をですか。よく覚えておりません。
鍛冶良作
1429
○
鍛冶委員長
よく覚えておらぬ、そのほか附近の町村でも町会を開いて町長であるとか公安
委員長
のところヘデモをかけたということを聞いておりますがどうですか。
松江澄
1430
○松江證人 附近というのは日鋼附近ですか。
鍛冶良作
1431
○
鍛冶委員長
廣島附近です。
松江澄
1432
○松江證人 船越、海田市の方でや
つた
じやないかと思います。これも私は直接共同闘争
委員会
としてそういうことをや
つたの
ではありませんので、そういうことはよく存じません。日鋼の方でもしや
つたの
だらそうだろうと思います。
鍛冶良作
1433
○
鍛冶委員長
呉はどうですか。
松江澄
1434
○松江證人 呉は共同闘争
委員会
としてそういうことを
言つて
おりませんが、よく知
つて
おりませんが、あるいはや
つた
かもしれません。
吉武恵市
1435
○吉武
委員
証人
に二、三お聞きしたいのですが、あなたは十二日に日鋼の
工場
の方においでになりましたか。
松江澄
1436
○松江證人 私は十二日は行
つて
おりません。
吉武恵市
1437
○吉武
委員
おいでにならない、そうすると十五日に初めておいでに
なつ
た。
松江澄
1438
○松江證人 十三日です。
吉武恵市
1439
○吉武
委員
そうですが、それでは十五日にもおいでになりましたか。
松江澄
1440
○松江證人 はいそうです。
吉武恵市
1441
○吉武
委員
それはあなたは十五日においでにな
つたの
はだれかに頼まれておいでに
なつ
たか。
松江澄
1442
○松江證人 全然頼まれておりません。
吉武恵市
1443
○吉武
委員
そうするとあなは日鋼の
組合員
でありますか。
松江澄
1444
○松江證人 日鋼
組合員
でありません。
吉武恵市
1445
○吉武
委員
組合員
でない者がどうして
工場
の中に入れますか。
松江澄
1446
○松江證人 労働者として同じ労働者の仲間が非常に
争議
で困
つて
いる。ましてや警官の弾圧があるかもしれないということを聞けば、何をさしおいてもかけつけるのが当然であります。
吉武恵市
1447
○吉武
委員
それは不法侵入であ
つて
も行くということでありますね。
松江澄
1448
○松江證人 そういうことは
考え
ておりません。
吉武恵市
1449
○吉武
委員
考え
ていなくも、その
組合員
なら
争議
に参加することは当然だが、
組合員
でない者がよその建物に入ることは許されない。特に
賠償指定
工場
ならなおさらのことであります。それをあなたは
法律
に違反しても同僚の
争議
だからおいでに
なつ
た、こういう意味ですね。
松江澄
1450
○松江證人 私は十三日、十四日と
最初
から入るときに門衛所で門鑑もら
つて
入
つて
おります。
吉武恵市
1451
○吉武
委員
だれから……。
松江澄
1452
○松江證人 門衛からもらいました。
吉武恵市
1453
○吉武
委員
門衛の名前は覚えておりませんか。それは確かですね。門鑑はどんなものをもらいましたか。
松江澄
1454
○松江證人 こんな木の札です。穴があいてお
つて
焼印などあ
つた
と思います。
吉武恵市
1455
○吉武
委員
それから先ほど
委員長
からお尋ねに
なつ
たが、はつきりしないでもう一ぺんはつきりしてほしいですが、十四日の
工場
で東署長とお会いに
なつ
たときダガー氏が、ここは
賠償工場
だから退去しなさいということを直接にあなたに話があ
つた
ですか、なか
つた
ですか、その点はつきりしておきたい。
松江澄
1456
○松江證人 ダガー氏ですか、先ほ
ども
申し上げましたように私とお話をいたしまして、そのときの文句が今あなたの言われた通りであ
つた
かどうかということを私はつきり覚えておりません。
吉武恵市
1457
○吉武
委員
出て
行き
なさいという意味のことを直接あなたに話があ
つた
かなか
つた
か。
松江澄
1458
○松江證人 何かそういう退去に関する話のようなことがあ
つた
かもしれないということは、私もはつきりどんな言葉でどういうことをお前にしろと言われたのかは覚えておりません。
吉武恵市
1459
○吉武
委員
出るという現わし方はたくさんあるでしよう。しかし出ろということと、出ないでいいということの話ははつきりしておると思う。出ろといわれたか、出なさいといわれたか、それとも
ちよ
つと言葉が多か
つた
かは別として、内容として意味ははつきりするでしよう。あなたが意識が不明なわけじやないから出ろと直接話がありましたのですか、なか
つたの
ですかどつちかはつきりすればいいですよ。
松江澄
1460
○松江證人 それがたとえばだれに対してどうしろと、こういうようなことを私がはつきり覚えていないから今申し上げられないわけであります。
吉武恵市
1461
○吉武
委員
あ
つた
ことは覚えておるでしよう
——
それがあなたに直接話があ
つた
かどうかこういうのです。
松江澄
1462
○松江證人 そういうことに関して話があ
つた
ことは覚えているが、あなたの言われたようにあ
つた
かどうか……。
吉武恵市
1463
○吉武
委員
どういう形で言われたか。
松江澄
1464
○松江證人 それをはつきり覚えておりません。
吉武恵市
1465
○吉武
委員
どんなような形か覚えてなくとも、ぼくの言
つた
ような形でないかあ
つた
か話を覚えているはずだ。
松江澄
1466
○松江證人 その詳しいことを覚えておりません。
吉武恵市
1467
○吉武
委員
それでは全然立ち退けという意味のことがあ
つた
かないかも御存じないですか。
松江澄
1468
○松江證人 それがお前立ち退けといわれたのか、あるいはほかの人に言われたのかそこのところは私はつきり覚えていない。
吉武恵市
1469
○吉武
委員
わかりました。もう
一つ
はつきりしておかなければいかぬのだが、そうするとあなたに直接話があ
つたの
か署長にあ
つたの
かは覚えないけれ
ども
、立ち退けという意味のことがあ
つた
ようだ、こう聞いているのですが、それも覚えないのですか。
松江澄
1470
○松江證人 私が覚えているのは、私
ども
、それから東署長にも何かそういうことに関する話があ
つた
ことは覚えておりますが、それが具体的にどんなことを言われて、どんな内容であ
つた
かは、今覚えておりません。
吉武恵市
1471
○吉武
委員
だから、そういうふうな意味のことを言われたことは覚えているのだな。それを覚えておりながら、十五日にあなたは入
つて
退去されないのは、その意思に反して、自分たちは入
つた
、こういうことなんですか。
松江澄
1472
○松江證人 私はさきから
言つて
おるのは、そういうことに関した話があ
つた
ことを覚えておるが、そんなことは覚えていない。それに対して、退去しなか
つたの
は、私としては、これは純粋な労働
争議
であ
つて
、
賠償指定
であ
つて
も、労働
争議
にはかわりない。これは極東十六原則によ
つて
はつきり規定されておる労働者の当然の権利であ
つて
、
経営者
の
工場
閉鎖に対して、労働者は戦う権利を持
つて
おるのはあたりまえだ、こういうように私は確信しておりました。そうして日鋼の労働者もまた
職場
が日鋼の
工場
ですから、当然これは労働階級として一緒に助けて闘うことは当然であり、またわれわれの権利である、私はそう確信をして残りました。
吉武恵市
1473
○吉武
委員
そうすると、そういうことをGHQの方から話があ
つた
けれ
ども
、自分たちは権利を主張して入
つた
、こういうのですか。
——
わかりました。 それからもう一点、これは
委員長
から言われた点でありまするが、はつきりしなか
つた
から、もう一度はつきりさしてほしいのですが、市役所へあなた方デモと一緒においでになりまして、そうして市長を前に出されましたね。それに
委員長
の
質問
に答えて、あなたは自発的に平和的に、おとなしく出られたと
言つて
おられますが、ほんとうですか。
松江澄
1474
○松江證人 ほんとうです。
吉武恵市
1475
○吉武
委員
出ないと言われたやつをむりに出されたことはないでしような。
松江澄
1476
○松江證人 私はそのときの
代表
でありませんから、詳しいことは知
つて
おりませんが、決して暴力その他をも
つて
ひつぱり出したのではない。
吉武恵市
1477
○吉武
委員
いや、暴力でなく、脅迫……。
松江澄
1478
○松江證人 もちろん脅迫なんかしておりません。
吉武恵市
1479
○吉武
委員
そうすると、本人は出ないとも言われなか
つたの
ですね。
松江澄
1480
○松江證人 それは私は詳しいことは聞いておりません。しかし暴力、脅迫という事実はなか
つた
ことは確信もしておるし、私もそう聞いております。
吉武恵市
1481
○吉武
委員
その市役所の前には立ち会われたわけですね。
松江澄
1482
○松江證人 前に立ち会う……。
吉武恵市
1483
○吉武
委員
一緒に立ち会われたんですか。
松江澄
1484
○松江證人 そうです。
吉武恵市
1485
○吉武
委員
代表
として中に入りませんでしたか。
松江澄
1486
○松江證人 入りません。
あと
から入りりました。
吉武恵市
1487
○吉武
委員
そうすると、出るときには一緒に出られたわけだな。
松江澄
1488
○松江證人 出るとき……。
吉武恵市
1489
○吉武
委員
市長が前に出られたときには一緒に來た……。
松江澄
1490
○松江證人 いや違います。私が
あと
というのは、大会を済む前に途中で上田市警局長が、黒神という負傷者が前に出て來た場合に、いろいろわれわれの
質問
によ
つて
明らかに黒神君の負傷は警官の泰行による負傷であるということを認めて、公安
委員
と一緒に大衆の前へ頭を下げて謝
つた
。それで
——
軍政部
の命令の件ですか。
吉武恵市
1491
○吉武
委員
いや、そうじやない。
松江澄
1492
○松江證人 そのことに関連してですか。
吉武恵市
1493
○吉武
委員
いや、そうじやない。デモで行
つて
市長なりあるいは市警局長なりを前に出すのについて、他の方の人々の
証言
によると、脅迫がましく出ないというのをむりやりに出された、こう
言つて
おるのですが、あなたはそれは平穏裡に、平和的に、自発的に出られたという
証言
の食い違いがある。それだからあなたにもう一度その点をたしかにしていただきたい。
松江澄
1494
○松江證人 私は平穏裡にと
言つたの
は、決して暴力や脅迫、そういうことは一切なか
つた
、こういう意味で申し上げておるわけです。われわれが黙
つて
お
つて
も、デモが近づけば、おれの方から要求がなくても出て行
つて
やろうというような警察局長や公安
委員
は当時の廣島にはおりません。だから当然前も
つて
代表
が行
つて
、これこれデモが來るが、ひとつお話がしたいから出てもらいたいということを
交渉
した結果、そういう脅迫とか暴力の事実なんかなくして、局長、公安
委員
が出て來られた、こういうように報告を受けておるし、私も確信をしておる。
宇田恒
1495
○
宇田
委員
証人
に二、三お伺いするのですが、私は
証人
は中國地方における労働
運動
の大先輩であり、オーソリテイーであるという今の肩書を聞かされて
考え
るのでありますが、わずかに一箇月か二箇月に足りない間の重要なるポイントになる問題をほとんどお忘れに
なつ
た。そういう記憶力の惡いことでは、その下に働く労働者諸君の人々に対しても同情するのでありますが、その問題は第二といたしまして、たとえば廣島市役所の前における人民大会か市民大会か知りませんが、その場合に局長があなた方の面前で殴打されたであろうこともお知りにならぬ、これが第一、その次には知事が
賠償工場
であるから速やかに占拠した労働者諸君は退去しろということを船越の山から放送したことも、あなたは共闘
委員長
である重大な
責任
者であるにもかかわらず、そういうふうなことは放送したというが、私は直接干與しないというふうな、ここでも
一つ
ぼけられるのであります。
最後
に私はいろいろあなたの話を聞いておりますが、終始一貫証拠なきものは罰せずという問題について多分な御
考慮
を拂われておるというふうに拝聽するのでありますが、この問題は少くとも
軍政部
のダガー大尉、さらに東署長の瑞木氏とあなたと三人の立会の
もと
に話されたものだと
考え
るのですが、あなたはこの問題については撤去せしめようというふうな関連した話であ
つた
と思うという点まで確認されるのでありますが、しかも相当の時間を費しておるので忘れた、大体そういう話であ
つた
ろう、こういうふうに思われるのでありますが、相手の二人はダガー大尉にせよ、瑞木署長にせよ、それは匹夫野郎ではないのでありまして、相当な地位にあり、むろんあなたよりか記憶力がよいと思うのでありますが、二箇月もたたぬのにそういう重大な問題をお忘れになるような方ではない。特にあなたも中國新聞の論説
委員
という新聞界としては最高の地位におられた方でありまして、二箇月もたたぬのに、この労働問題、労働
争議
、あるいはこの日鋼問題についての重要ポイントをなすところのダガー大尉が、君を通じて退去をせしめるというような重大問題が忘れられるべきものではない。あなたは忘れたということを
証言
されるのでありますが、もしそれ大体においてその問題についてのお話があ
つた
までは確認されるので、今後ダガー大尉あるいは瑞木署長がもしはつきりと
証言
されたならば、いかようなる
証言
になるかわかりませんが、その問題について確認されるあなたは用意があるかどうか、この点を特にお聞きしたい。
松江澄
1496
○松江證人
最初
に中国地方と言われましたが、私は中國
関係
の労働
関係
はしておりません。そうして指導者というほどのあれではありませんし、みなと同じ労働者として立
つて
いるつもりです。それからなお重要なるポイントは、少くとも労働者の私としてはそういうことにあるのではなくて、どこまでもなぜこのたびの
争議
が起きたかというのが要点であり、それをいかに労働者が防ぐのかということが要点であると確信しております。さつき言われた今の瑞木署長なり、あるいはダガー大尉がどういうことを言われるか私にはわかりませんから、聞きもしない先から、こう言われたときには無條件で確認するということはできません。
神山茂夫
1497
○神山
委員
今の点ははつきりしておいた方がお互いのためだろうと思う。警察の報告によりますと、これは十四日午前十時五十分に至り、現場にいた
軍政部
員より警察官に対して全員の退去措置方を要請された、こういうふうにな
つて
おるのであります。この点は國電ストの問題の場合にも至るところで起
つた
問題でありますし、それから廣田
工場
にも明らかにな
つて
おりますように、当考査
委員会
でなぜ連合軍側の命令があ
つた
ということがそれほど問題になるのですか。私は不可解なのでありますが、この場合共通の点は、連合軍側でこれを指示ないしは勧告なり好意的サゼツシヨンであると
言つて
いるのに対して、ふしぎにも本考査
委員会
の書類の中には命令とな
つて
いる。先日も廣田
工場
の
所長
はそれは指令ではない、これは日本政府がやることである、從
つて
ここで言うことはどうかということまで
言つて
おる。本件の場合にも從
つて
軍政部
員であ
つて
ただちに日本の警察機構その他に対して直接の指示権はないのであります。從
つて
この場合警察が警察官に対し
工場
内の全員の退去方を要請された、こういうふうに書いてあることは正しいのである。從
つて
これを
証人
がかりにそばで聞いていたとしましても、この問題の取扱い方そのものにおいて意見の違いがありますし……、(発言する者多く、聽取不能)それに関…しまして
工場
の労働者側の報告も、この点はもし諸君が十分聞きたいとおつしやるならばこまかな材料を提供しますが、大体においてこの問題が命今であるかいなかという問題について
工場
の労働者諸君が論議しておる。文書による正式の命令でなければ退去しないという者が三分の一だ。ここで出ようとした者が三分の一である。その他の者も三分の一ある。
最後
に最終的な討議によ
つて
全員がこれは正式の文書でなければ退去しないと
言つて
おる。この
工場
から退去の命令が出たという根拠はこれは
賠償工場
である。從
つて
ここから
工場
閉鎖そのものも命令したというふうなことが傳えられておるのでありますが、この点について後には当事者側がいろいろ違
つた
声明をしておるのでありますが、
証人
は後に呉の労働
課長
のマレー氏やあるいは先ほど吉武
委員
はGHQと地方
軍政部
と取違えておりましたが、GHQの労働課員のブラツテー氏や第八軍の労働係りのドーテ一氏、こういうふうな人々はどういうふうにこの問題について答えているか。これをお話になれば問題の眞相が明らかになると思う。もしこの点についてあなたが知
つて
いることがあれば明らかにしてもらいたい。
松江澄
1498
○松江證人 私が共同闘争
委員会
の
代表
者数名と一緒にその後いつだ
つた
か覚えておりませんが、呉の今で言う民政部、当時の
軍政部
に行
つて
軍政部
長のトルーデン中佐並びに労働
課長
のチャーチル・マレー氏にお会いしました。
最初
トルーデンに会いましてトルーデンに対していろいろと話をしました。どういうことを言
つた
かということは詳しく覚えておりませんが、トルーデン氏は今度のことに関してわれわれに対し命令だということを口頭で言われております。それでわれわれがこれは労働
争議
だと思うのであるがということでいろいろと聞きますたら、自分は労働
関係
のことは関知しない。それはひとつマレー労働
課長
の方へ行
つて
聞いてくれ。こういうことを言われました。それからわれわれはまたマレー氏にお会いしましていろいろと日鋼の労働
関係
のことについてお話をいたしましたが、われわれが
賠償指定
と労働
争議
との
関係
について
質問
をしましたところが、マレー
課長
は自分は労働
関係
のことはわか
つて
おるが
賠償指定
関係
のことはよくわか
つて
おらぬ。自分は関知しない。これはひとつトルーデン中佐の方へ行
つて
聞いてくれ。こういうお話でありました。そこでわれわれが一番目的としてお
つた
労働
関係
と賠償施設の
関係
、この
関係
について明確なる解答は得られないで帰
つて
参りました。
神山茂夫
1499
○神山
委員
それではGHQの労働課員やあるいは第八軍の労働係りドーテー氏に会
つて
聞かれたことはありませんか。
松江澄
1500
○松江證人 ありません。
神山茂夫
1501
○神山
委員
それではおなたがこの問題についてはつきりしないのはもつともですが、
組合側
の
代表
がGHQに行
つて
話したときも、
工場
閉鎖の命令をしていないということは言われておるわけです。だからこの点の
経過
の具体的なことをあなた自身はつきりしていないのでこのくらいにしておきます。 その次に十八日の人民大会で上田市警局長を引張り出して頭をぶんなぐ
つた
とか何とかいうことがあるということですが、上田局長は暴力的に連れて來られなか
つた
ということはあなたは
証言
しておられます。この場合何らかの確約書みたようなものを書いておりませんでしたか。
松江澄
1502
○松江證人 先ほ
ども
言いかけたと思いますが、われわれがいろいろ
質問
をいたしております際に、市警察局長はこのたびのことは
軍政部
の命令でや
つたの
だということを言
つた
わけです。それでわれわれとしては間違いないかと言いましたら間違いはないと言われました。もし命令でなか
つた
ときは何か
責任
をとられるかと言
つた
ら、自分は辞職すると言われました。そこでその二つの
事項
を書いてもらえないであろうかと言いましたら、それでは書こうというので現場で書かれておりましたが、うまく書けないからというのでまた席を移して、大会の途中で中に入
つて
書きました。その際にその書類にこれは暴行、脅迫等の事実なくこれを定めたのだということを市警局長が書いておりました。
神山茂夫
1503
○神山
委員
後に共産党の
代表
者が懸知事に会
つて
、これが命令であ
つた
かどうかという点に触れておりますので、あなたはこれはお聞きしませんが、そのまた確約書というのもわれわれは見ておるわけです。この点はまた別の機会にするとして、もう
一つ
お尋ねしたいことは、あなたはこの
事件
に
関係
しておられたときに共産党員であ
つたの
ですか。
松江澄
1504
○松江證人 この
事件
に
関係
しておるときには党員ではありませんでした。私は七月の十六日だ
つた
と思いますが、入党の決意を宣言して手続をとりました。
神山茂夫
1505
○神山
委員
簡單でけつこうですが、今まで非党員であ
つた
あなたが共産党に入
つた
動機について聞きたいと思います。
松江澄
1506
○松江證人 私は一昨年
組合
に
関係
しまして、昨年地労
会議
の
委員長
とか、縣労の
会議
長に選ばれました。また新聞
関係
の
委員長
になりました。そこで自分としてはいろいろ
組合
関係
で一生懸命や
つて
参
つた
つもりであります。そうして新聞におきましても昨年の十二月に一週間にわた
つて
中國新聞が発行できなく
なつ
たような大きな
争議
ができまして、そのときには
組合員
と一緒に闘
つて
遂に
組合
の勝利に終りました。そういうふうにしていろいろ
組合
関係
のことに携
つて
おりましたところ、今度の
吉田内閣
になりましてから先ほど申し上げましたようないろんな中小
企業
を破壊させ、労働者をほんとうに窮屈な生活に追い込み、とうとう中には死にまで至らしめるような
状態
が現われて参りました。たとえば今度の日鋼の問題にしましても、われわれが現場に参りますと、現場のあの日鋼の毒が流れておる附近のきたない長屋で汚い着物を着たおかみさんが子供さんを抱きながら、今度の
争議
がだめに
なつ
たら自分たちは餓鬼道に陥る、こういうようなことを涙を浮べて言われておりました。あるいはまたこのたびの
争議
に対しまして、家族の方、あるいは小さな子供、あるいは
関係
もない廣島市内の人々も、あるいはそれ以外の人々も……。
鍛冶良作
1507
○
鍛冶委員長
証人
に言いますが、動機というものと遠因というものは違うのです。動機はどうかというのです。
松江澄
1508
○松江證人 このたびの日鋼の
争議
に見られるように、單にわれわれの
組合
だけということではなく、労働階級として階級の上に降りかか
つた
大きな火の子を皆で守ろうという、どこまでも階級としての闘争のために立ち上
つた
姿であります。そうしてこの闘争の過程において、ほんとうに日鋼に現われているように、たとえば基幹産業である國鉄の
関係
におけるように、あるいは中小
企業
の破壊におけるように、この日鋼の問題は、單に日鋼に起きただけの問題ではなくて、今のこの反動的な買弁的な
吉田内閣
の集中
生産
政策が……。
鍛冶良作
1509
○
鍛冶委員長
証人
に何べんも言うが、
質問
していることに答えなさい。ここで君の演説を聞いているのではない。そういうことを言うなら止めますよ。動機だけを言えというのに何を言うのですか。
松江澄
1510
○松江證人 簡單に申し上げます。簡單に申し上げます。具体的な闘争を通じて
——
頭の中でなしに、この目でこのからだで、具体的な闘争を通じて日本共産党の政策こそがほんとうに日本民族の独立を守り自由と平和を守るものだ、こういうことがはつきりと感得できましたので、労働階級の前衛である共産党に入るのが一番よい、こう私は確信して入りました。
神山茂夫
1511
○神山
委員
もう
一つ
最後
にお尋ねいたします。あなたの入
つた
共産党というのは、このごろ世間の新聞紙その他によりますと、八月には暴力革命をやる予定にな
つて
いるらしいのですが、このごろは大分ずれまして、九月あるいは十月には暴力革命をやると
言つて
いるのです。私は共産党の中央
委員
としてそういうばかなことのないことを知
つて
おりますが、あなたが党に入
つたの
は、暴力革命をやるために入
つたの
ですか。
松江澄
1512
○松江證人 決してそんなことはありません。また入
つて
日も浅いのですが、決してそんな党ではなくて、共産党こそがほんとうの平和を求めている党だと信じております。
菅家喜六
1513
○菅家
委員
最後
に一点聞きます。この
証人
は自分の都合のよいことは記憶をたど
つて
述べているが、不利益になると皆記憶がはつきりしない、忘れたと
言つて
おる。
鍛冶良作
1514
○
鍛冶委員長
この
証人
だけではありません。共産党員は大ていそうです。
菅家喜六
1515
○菅家
委員
共産党の
証人
の共通点である。共産党の議員が
質問
すれば述べる。それはよろしい。そこで一点簡単に伺いたい。
工場
に入るとき門鑑をもら
つて
入
つた
と
証言
されたが、それは幾日ですか。
松江澄
1516
○松江證人 十三日、十四日。
菅家喜六
1517
○菅家
委員
このときは守衛も門衛もおらなか
つたの
でありますが、どういう人からもらいましたか。
松江澄
1518
○松江證人 おりました。
菅家喜六
1519
○菅家
委員
名前は忘れたというのでしよう。門衛は全部呼んで來ればわかりますか。
松江澄
1520
○松江證人 顔は覚えておりません。
菅家喜六
1521
○菅家
委員
それではよろしい。
鍛冶良作
1522
○
鍛冶委員長
もう一ぺん言うが、きみはかえりみてうそを言うているとは思いませんか。
松江澄
1523
○松江證人 思いません。
鍛冶良作
1524
○
鍛冶委員長
きみを偽証罪にすることは本意でないから言うのです。十四日には
工場
が閉鎖にな
つて
いるので門衛なんかいるわけがないのです。帰りなさい。 本日はこれにて散会いたします。 午後八時五分散会