○神谷證人 それは
ちよつと話がまたさかのぼりますが、五月十八日に
新橋管理部、八王子
管理部内の
車掌区長会議、これは事務上の
連絡でありまして、もう二、三年このかた継続して、毎月一回一日の日に開きましたので、一日会という
名前をつけてや
つておりますが、実際はいつも一日に開けないで十日過ぎにな
つておりますが、幹事としまして毎月各
車掌区を巡回しておりまして、
ちようど久里浜の
車掌支区が五月の当番に当ります。十八日にただいま申し上げました新橋、八王子
管理部の
車掌区長、並びに
首席助役が久里浜に集まりましたときに、東京鉄道局の業務部の総務課の
車掌区の行路
関係の担当者室伏と申します、これが
ちようど出席しておりまして、そのときに今度の新
勤務時間制によ
つて、
交番が相当少くなるについて、その数を大体お話をするから、それによ
つて準備して
交番を組み直す方法をと
つてもらいたいということを各区長が受けまして、私そのときには列席をしておりましたけれども、末端におりまして、
あとで区長からそういう話を聞かされました。しかし京浜、東北においては蒲田も
乘つているので、同じ歩調で行かないとまずいからというので、蒲田の
助役の椎野という人に私話しまして、同じ歩調で行くことにして、いずれ担当
助役からあなたの方に
連絡をと
つて相談をする。それについて案を大体こしらえてもらおうじやないかということでわかれまして、十八日に帰
つて参りました。十九日の朝に出勤しておる各担当の
助役だけには、その旨を話しておきました。
電車と汽車との予備率というものが今まで違
つておりまして、
電車は三割九分五厘、汽車の方は三割五分五厘であ
つたのですが、今度新
勤務制によりまして同じ予備軍になり、
電車が三割五分五厘になる
関係上、京浜に
乘つておる組に対しては何名というふうに、合計四十という
交番がとにかく少くなるわけであります。その準備を各担当
助役がや
つておりましたが、ただ汽車の方は予備率に変更がありませんで、一部行路をいじくりませんと、汽車はたしか九名でしたか、九名の
交番があかないのでありまして、その件につきまして鈴木という担当
助役が局へもいきましていろいろと
相談をして、この
交番をいじくることは区長の権限においてやれるのであります。委任されておるのでありますが、行路の
内容をいじくることは局長でなければできないのであります。少しでもいじくることは局に
相談をして、局の指示を受けなければできないわけであります。それがために局に行きまして、一部それを直すということでございましたが、その
交番制をやることにつきましては、汽車に
乘つておる組の懇談会を、人を集める
関係から、三十一日でなければ開けない。三十一日の日に汽車班の懇談会を開くから、そのときに
内容を検討しようということにな
つてお
つた関係上、どうし ても六月一日からは実施ができない状態にありますので、汽車に限
つては六月五日に実施してもらわぬことには、事務上できないということを
管理部に申しまして、承認を受けました。そうして
電車は六月一日から、汽車は六月五日からということで、準備を進めたのであります。とにかく明けと公休の人がおりますので、どうしても
電車を一日からやるのには五月三十日の午前中、午前も朝早くですが、すつかり
交番表の割当をやりまして、だれが何に事乘るということをきめて一般に
確認をとらないことには、一日から実施できないのであります。というのは、とまりの者が三十日に明けで休んで、その次が公休にな
つて六月一日から出勤するということになりますから、どうしても三十日の軌までには一般に
確認の判をとるという状態に置かなければできないのであります。それで全部その準備だけは、謄写版もありますし、いろいろと仕事上の準備ができましたが、六月一日から実施をするという通知を、二十四日の午後三時ごろだと思いますが、
管理部の担当の松島という人、から私は電話で受けまして、せんだ
つての一日会で新
交番をやる話を局から聞いておるだろうが、あれは今局からの
命令で、六月一日から実施するということにな
つたから、ひ
とつそのつもりでいてもらいたいということを二十四日に受けました。そうするともうほんとうに三十日の朝までには、すつかりこしらえなければならないので、非常に日が短かいのであります。全部準備が済みましたのは二十七日の日だと思います。区長が
ちようど不在でありましたが、
分会長の
井上勘一君外数名の方が私のそばに來ました。いよいよ六月一日から新
交番制によ
つてやるそうだが、それだけの人間をどうするのだ、要するにそれだけ浮かせということは、首切りじやないか、私たちには、そう
考えられる。これが首切りになる前提じや承服できないから、これはひ
とつ返上してもらいたい。それからまたこれはどうしてもやらなくちやならぬ問題なのか、他ではやらないような
車掌区もあるように聞いておるのだが、こういうような話を
言つて來たのです。これは局からも内示もありましたし、また
管理部からも一日からやれということで、首切りということは決して当局では
言つてない。新
勤務時間の改正に伴うもので、八時間制に伴
つて駅とか
車掌区の庶務係はすでに実施しておる。ただ乘務員だけがいろいろの都合で延びてお
つたのを、ここでやることにな
つたのであ
つて、決して首切りじやないということを当局で
言つておるのだから、ぼくはそう信じておる。まあひ
とつそう思
つて、時期が遅れてお
つたということでやるよりしようがないだろうということを、私はそこで言いました。しかし今日は区長もおらないから、明日区長が來たら、あなたの來た趣をよく話すということでお
つたのです。それでそのことは区長にも傳えたのです。二十九日はたしか日曜だ
つたと思いますが、その日曜の日に水口君と
井上勘一君が午前一回
——午前一回は
井上勘一君だけですが、午後二時五十分ごろですが、
東神奈川の
ホームにある
車掌の休憩所に私がおりますと、そこへ來まして、方々の
車掌区を聞いてみると、どこもや
つておらぬ、この
車掌区だけがやる、何もほかでや
つてないものをこの
車掌区でやる必要はないと言うので、いやそんなことはない、とにかく六月一日から一済にやるということにな
つておるので、これはひとり
東神奈川車掌区に限
つたことではない、これはみんなやるんだ、ぼくはやるつもりで信じていると申しましたら、それならばあなた聞いてみなさいというわけで、ひ
とつ確かめてみようということにな
つた。しかし区長さんや
助役さんに聞いた
つてだめですよ、区長さんや
助役さんはもちろん
管理部や局に対しては、や
つておるということにして内たは認めておるから、とにかく
車掌に開いてみなければいけない、
車掌ならば眞実のことを言うだろうと言うのですが、しかしそんなことはできないじやないか、事実はわか
つておる、
交渉してちやんと操縦の前に判こを押すように
交番の
順序が出してある以上は、そんなうそはお互いに言えないだろう、しかしほかがやらないでいいならば、何も
東神奈川車掌区ひとりだけやる必要はないので、
管理部へ話してできるものならば了解してもらうよりしようがない、これは、ひ
とつよく確めてみようということにな
つたのですが、私の
考えとしてはそんなばかな話はないと実はそのとき思
つてお
つた。だから結局どうしてもわきでや
つておるからや
つておるからと言いまして
——新鶴見の
助役にも会
つたとき聞いてみましたが、やはりや
つておると言いますし、それに東京は伊東線が電化になりましたのが五月の十五日だと思いますが、それに伴
つて一部乘務方がかわ
つた機会に、新
交番でや
つたそうです。品川はどうせやるならば早くやろうじやないかという名のもとに、五月の二十四、五日ごろ移
つたそうです。それも話したのです。品川と東京は、どうせやるならばというので、もうすでに品川などは始めたというわけなのだと言うと、いやあそこはだめだ、あれは何でも区長の言いなりにな
つているので、あそこはもうや
つてるかもわからぬ、そのほかのところはや
つてない、矢向もや
つてないと言うのです。矢向は聞いてみましたところが、あそこは東京競馬で非常に臨時
電車が動いておる、それがために人が足りないで、ことに八時間制以上のような
勤務を代務でやらなければならぬような、人のきゆうくつがあるので、東京競馬が終
つてから実施するということで、
管理部の承認を得ておるからそれまではおれのところは実施してないのだという話を聞きました。そうしてみると、
あとはどうもみなや
つてるように思えるので、私としてはどうしても六月一日から業務
命令通りやるのだというふうに信じておりました。