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証人(
大場甚之助君) これは七月の十日頃であ
つたですが、先程もお話の出た
増野という毎日
新聞の
記者が私の所に参りまして、群馬縣佐渡郡の
豊受村の松波公安
委員長の主催で
豊受鉱泉で近く公安委員と
警察の者の
顔合せをかねた懇親会をやりたいからという私の方に話があ
つたが、この懇親会には出席者は、埼玉縣側では、
本庄地区自治
警察、それから公安委員、
新聞記者会であるという話でありましたが、併し私には別に話もありませんし、松波さん自身もどうしていらつしやるか、
宴会に
行つて初めて紹介されて、この人が松波さんであるということを知
つたのですから、自分とすれば別に招待を受けておるわけじやありませんし、又そういう檢察官として軽々しく
宴会の席へ臨めるものでもないというようなお話もございました。それでそこのところへ
読賣の
記者と埼王の
記者が参りまして、どうも自分としては別に話がないから出席する意思はないというふうにして置きました。そうすると当日の午前中だ
つたのですが、当日は七月十四日でありますが、先程お話の警民協会の副会長をや
つており、
本庄町の
町会議員をや
つており、又縫製業をや
つておる中島宗司という人がおりますが、その人が私の所へ参りました。それで松波公安委員の主催で、公安委員と檢察
関係の懇親会をやるのだから出席して貰いたいと、こういうお話があ
つたのであります。私共やはりこの人の家の二階にお
つたものですから、これは儀礼的じやないかと私はこう思
つたから、檢察側の方を呼ばないというのはおかしいというんで呼ばれたのじやないかとこう
思つたのですが、それで側にいた、先程話していた
読賣記者と埼王
新聞記者とに中島さんの方から出て欲しいということを
言つて参りました、それから私とすればそれについていいとも惡いとも言わなか
つたのですが、側にいた
読賣記者が、それじや中島さんが折角言うんだから
行つたらいいじやないか、むしろ公安委員会と檢察懇親会ならば別に何のこともないんだから堂々と
行つたらいいじやないか、こう勧めて、とにかく自分は行くからと言うんで、私もそれじや行きましよう。それから又埼王
新聞の
記者も私も行くというふうに話も決
つたわけです。それで私の考えとすれば、あすこは利根川を境にして群馬、埼玉の境にな
つておりますから、この際そういうふうな催しならば、まあ檢察官として將來檢察取締面の
運営等についてはむしろ檢察官としてそういう席へ出たということは有意義ではないかというような観点から、じやあ出席しようという氣持にな
つたわけです。その中に
朝日新聞の
記者も出席するために來たわけであります。それで丁度午後の四時半頃だ
つたのですが、
本庄地区
警察の自動車に乗りまして、それで出かれて行きました。それで向うへ
行つて風呂へ入りまして、それで初めて松波公安
委員長に合
つたわけであります。それで又
宴会の席へ出て行きましたら、私の方とすれば、私と、飯塚事務官、それから
本庄町長、それから武井公安委員、それから栗原
本庄地区大泉自治
警察署長、その外署員、それから日本
新聞記者、それから群馬縣側は松波公安
委員長に
豊受村の自治
警察署長、それからこれは後で分
つたですが、伊勢崎
銘仙の幹部といいますか、報織会の幹部の人が三名とそれから
豊受村長、佐波地区の署員というメンバーだ
つたのですから、大体人数は五、六十人であ
つたとそう
記憶しております。それで
宴会の
進行としましては、松波公安
委員長の開会の辞がありまして、それから自己紹介に移
つたわけであります。それから又続いて松波さんと、今考えると板垣という報織会の会長でありましたが、この人の勧迎の辞がありましたが、続いて埼王側としては、私とそれから
本庄町長の感謝の辞を述べたわけであります。それが始まりであります。