○星島
証人 ただいま申し上げましたように、酒井君に
選挙の話が出たところからその話が始ま
つたのですが、たしか私が三月の八日、九日
豊橋におりまして、
豊橋の市の公会堂で演説会をいたしましたときに、
梅村君親子が聞きに來てくれたようです。演説会の
あとで私の申したことが
——梅村君は非常な思想の進んだ方でありまして、私の意見と若干違
つた点があるように思うけれども、しかしそのときに私の話を非常に感激したと言うて、ことに子供さんも
一緒にお
つて、そういうことを申されておりましたことがあるのですが、酒井君より聞いておりますと、若干お助けしましようというようなことを聞きましたように覚えておりました。帰りまして三月の十三、四日ごろと思いますが、私の長男東一と申しますのが私の祕書をしたり嘱託をしたりしていたのですが、酒井君から
電話がかか
つたのか、その
電話の
事情はわかりませんが、
梅村さんから金が届いたから來てくれというので伺いまして、何でも帝國
銀行木挽町支店あての五十万円の
小切手二枚を
受取つたようです。これはそのままその
銀行に子供の名儀で預けておくように命じまして、預けておきました。これが
最初に
受取りました百万円であります。
豊橋でその話がありましたけれども、これはあなたの話を聞いたり、また酒井さんから何か私に対するお勧めの言葉があ
つたようですが、民自党では石橋さんとあなたが好きだというようなことをおつしや
つて、しつかりおやりなさい。これは党に出されようと、何に使われようと、あなたの政治資金として御自由にお
使いください。こういうような
お話でありましたので、私は非常に感謝してそれをお受けしたようなわけであります。私は
梅村という人は傑物だと思いましたから、こういう人を、私のみならず、党のパトロンにしたいものだ。これは総裁に御報告して、総裁にも一ぺん会
つていただきたい。かように思いまして、十八、九日ごろだ
つたと思いますが、当時荻外莊の
吉田総裁を訪問いたしまして、今回
豊橋の
梅村という人から私個人として百万円の献金を受けましたけれども、これは党に差出したいと思いますから、ひとつ礼状を書いてください。そして一ぺん荻外莊にお呼びください。私が御案内して來ますからというようなことを申し上げたのを覚えております。達筆な総裁は、そうか、それはけつこうな話だと言
つて、その場ですらすらと巻紙に書いてくれました。それを私が持
つて帰りました。その文面等は私は覚えておりませんが、とにかく百万円出してくれてありがたいというような、いわゆる礼状の
意味であ
つたように覚えております。昨今やかましいことに
なつておりますけれども、当時の氣持でありますと、とにかくありがたいという
意味のことを書いてくださ
つたように覚えております。それを私が郵便で出さないで、そのままもら
つて來て、これを
梅村君にお渡ししたのですが、その場所と日と時間等はどうも覚えませんが、あるいは先ほどお尋ねのところで渡したのか、その点はもし
梅村君がそうだと言えば、
梅村君の
記憶は確かだと思います。私はどうも覚えておりませんが、とにかく渡したことは確かです。その当時金のことなんかは一切幹事長の
大野君が扱
つてお
つたわけです。私はむろん総裁に会います前に、党へ出すといたしますれば、こういうことは
大野君に諮るはずでありますが、その当時
大野君はどこかへ應援演説に行
つたか、岐阜へ帰
つたか、いなか
つたことはたしかです。
大野君が帰りました
あと、実はこうこうなんだ、党へ出して総裁から礼状を書いてもら
つた。そうしたら
大野君が申しますのに、それはありがたい話だ。実は今度は閣僚級は五十万円ということにいたしているのだから、これが均一を欠くと、
あとでわかることなんで、五十万円でよいのだよ。君はすでに星島藤村会という君の後援團体からその金は出すことに
なつている。出た
あとか、出すことに
なつてお
つたか、
大野君が憶えているのですから、出した
あとだと思いますが、
せつかく
梅村君が
自分で自由に使
つてよいということなら、どうせ
選挙のために使うのだろうから、あなたの責任において使
つたらどうだ。そうか。そうしてもらえたらありがたい。実はぼくは岡山の自由党の支部長をや
つているので、いくらあ
つても足りない。それじやそうしても
らいましようということで、これは結局総裁から礼状を出していただきましたが、
選挙に行きます四月四日ごろまではそのまま
銀行に預け放しにして、党には納めませんでした。その後、今度は
選挙應援に私がずつと東海道を自動車で二十日の間、熱海を振出しに靜岡からずつと行きまして、
豊橋へ参
つたのが四月の九日か十日と思いますが、青木君の應援に行きまして、
豊橋においてまた演説会をやりました。
ちようど一箇月目に行
つたわけですが、そのときにも
梅村君が出て來てくれまして、あるいは街頭演説、あるいは久々に
一緒に大口翁を訪問したり何かいたしました。また晝時間があ
つたときに、
梅村氏の工場を参観したようなこともありました。そのときでありましたか、その以前でありましたか、よほど私をひいきに思
つてくれたのか、もう少し出してもよいというような
お話でありました。それじやお願いします。五十万円出してもよいようにおつしやるから、それはありがたい、それでは岡山の私の取付の
銀行へ振り込んでいただきましようというようなことを申しておきましたらば、その後十日もかか
つて岡山に着いてみますと、すでに安田
銀行支店の私の普通口座に振込んでありまして、非常に私は感謝したようなわけであります。そのために私は非常に安心して、おちついて
選挙をいたしました。