○
安田委員 私は民主党を代表いたしまして、
本件に反対、すなわち
芦田氏外二名の
逮捕に対する
許諾の
請求を拒否すべしという
意見を申し上げます。
國会議員に対する
逮捕許諾の
請求は、旧
憲法のもとにおける
帝國議会の長年の歴史の間においても、か
つてその例を見なか
つたところでございます。しかるに
人権尊重の特に強調せらるる新
憲法のもとにおける新
國会に
至つて皮肉にも
僅々一年有半の間に、すでに二回にわた
つてその例を見るに至り、今後もこの
請求が
頻々として提出せらるるのではないかとうわさせられていることは、まことに悲しむべき
事柄であ
つて、私
どもは
かくのごとき現象が何ゆえに生ずるかという点について、この際深き注意を拂わなければならないと考えるものであります。今この悲しむべき
前例の第一の
犠牲者になられた
原侑君の場合について見まするに、先ほどの御
討論にありましたように、同氏はこの
事件によ
つて遂に
議員の
辞任を余儀なくせられたのでありますが、その後この
嫌疑を受けた事実についての
裁判の結果は、
無罪とな
つているのであります。
議員辞任という重大なる結果を生ぜしめた
嫌疑事実が
無罪と
なつたということは、まことにゆゆしき
事柄でありまして、私
ども國会議員はえりを正して、当時われわれのと
つた態度を反省しなければならぬと考えるのであります。私はこのゆえをも
つて本件を機会に、
國会議員逮捕許諾の
請求に関する
憲法並びに
國会法の
解釈を根本的に檢討し、この種の
事件に対する
國会の
取扱いの
根本方針をこの際確定して、今後誤りなきを期せねばならぬと考えるものであります。
この際私
どもが特に強調いたしたいことは、
本件問題の対象たる
議員に私
どもの党の、殊に前
総裁があるがゆえに、私
どもにおいて問題の
個人を特に庇護しようとするものでない。問題は
國政運用上の重大問題であります。私
どもは
國会の権威と
尊嚴に関する問題として、この際感情を捨て、党派を超越して、
國会政治のために
議員としての共通の
立場において、本問題を檢討したい、かように考える次第であります。
本問題に対しまして、
世上一般に次のような
議論が行われております。これはただいまの御
討論の中に見えたのでありますが、万民は法の前に平等でなければならない。
從つていやしくも
犯罪の
嫌疑があり、
搜査の必要上
逮捕勾禁を必要とせられる場合においては、
國会議員といえ
ども何ら
特権を與えられるべきものではない。一般人と同様の考慮のもとに必要と考えらるる場合は、躊躇なく、容赦なく
逮捕が行わるべきが
原則である。
從つて國会議員に対する
逮捕許諾の
請求を受けた
國会は、もつ
ぱら國政審議の上にさしつかえがあるかないかという点のみを考慮して、もしこの点において重大なる支障のない限り、
逮捕の
許諾を與うべきである。その場合に
國会が進んで
犯罪が成立するか
いなかとか、あるいは
嫌疑の
程度がどうであるか、あるいは
逮捕勾禁の
必要性がどうであるかという点について、
立入つて判断をすることは、誤
つているというような
議論が行われているのであります。すなわち
國会議員の
逮捕許諾を求められたる
國会としては、
原則としてその
許諾を與うべきである。これを拒否するには、
國会の
運営がこれによ
つてはなはだしく障害を來すという場合にのみ限られねばならぬという
議論であります。
檢察廳が近時
國会議員に対する
逮捕許諾の
要求を
頻々として求めて参ります傾向の生じた原因も、また
かくのごとき
考え方に起因するものであると私は観察しておるのであります。しかしながらこのような
考え方は、旧
憲法において
議会の
地位が單なる
天皇の
諮問機関にすぎず、
國会議員の
審議権は
天皇の
解散によ
つて何時にても同時に剥奪せらるるきわめて下位のものであり、
議会と
政府は互いに対立するものであ
つて、
議会は
行政権にまたは
司法権に干渉することが許されなか
つた。かような旧
憲法のもとにおいて行われた
議論でありまして、今日新
憲法の
精神のもとにおいては、これをあらためて檢討し直さなければならない問題であると思うのであります。そもそも
國会議員は
國民を代表して
國政の
審議に当るものでありますが、この
國会議員の
國会における
審議権は、
当該議員個人の
権利ではございません。
憲法が
國民に與えた
國民の
権利であります。
議員はこの
國民の
権利を
國民にかわ
つて行使するものであります。
從つてかくのごとき
國会議員を
國会の
会期中に
逮捕して、
國政の
審議に参画することを不能ならしむることは、その
國会議員によ
つて代表せらるる
國民の最も重要なる
権利を妨げることになるのであります。あらゆるものを犠牲としても、これを避けなければならない。
犯罪を犯した
嫌疑のある者を
逮捕して、
犯罪の
搜査を行うこともまた、
國家社会の安寧秩序維持のためから、きわめて重要なことではありますが、
嫌疑を受けた者が
國会議員である。これを
逮捕することがその者の代表する
國民の
國政審議権の行使を妨げる。かような結果を生ずる場合においては、
國政審議権が最も重要な
権利であるということのゆえに、これは差控えなければならないのが
原則であると考えます。このゆえに
憲法第五十條の
規定が設けられたのであります。ただこの
原則を一貫して何らの例外を求めないということになりますと、
國会議員の
特権を濫用することによ
つて、
犯罪者が罪証の湮滅を行うというような危險がありますので、かようなきわめて異常な場合をおもんぱか
つて國会法第三十三條が設けられたのであります。
國会は
國家最高の機関でありますから、かような場合においてはみずからの
判断によ
つて、
逮捕の
許諾を與うべきかどうかということを、決定すべきであると思うのであります。私
どもは
國会議員不
逮捕の
原則の理論を、新
憲法の
精神に
從つて、このように把握しなければならぬと考えます。かように考えますと
國会議員に対する
逮捕許諾の
請求を受けた議院として、その拒否の
判断を、どういう
考え方に
從つてやるべきであるかということを考えてみます。すなわち
國会議院の
会期中における
逮捕は、
國会議員が
國民の代表として行使する
國会審議権の尊重の必要のために、これを行
つてはならないことを
原則的な建前としなければならないのであります。この
原則的な建前から出発して求められた場合において、この重大な
原則を破
つて、
國政審議権を犠牲にしてまでも、
逮捕を行うことの必要があるかどうかという点を檢討する、かような
考え方でなければならぬと思うのであります。かような観点から私
どもの
判断しなければならぬ点は、およそ次のような点になると思うのであります。
第一は
逮捕請求の
理由とな
つている
犯罪の内容が、
國政の
審議権という重大な
権利を犠牲にしてまでも、
逮捕を必要とするごとき
程度の重大な
犯罪であるかどうかという点であります。
犯罪の内容が軽微であ
つて、
國政審議権の行使の妨害というようなことを犠牲としてまでも、あえて
搜査の徹底を期する價値のないというような
犯罪の場合におきましては、
國会はこの
逮捕の
許諾を拒否すべきである。
第二は
犯罪の
嫌疑の
程度が考えられなければなりません。
國会議員の
逮捕は
國政審議権の妨害という、重大なる結果を生ずるものでありますから、この結果を犠牲にしてまで
逮捕を行わしむるためには、
犯罪の
嫌疑の確実なることが必要でありまして、一般普通の場合におけるよりも、この点において一層嚴密に確かめなければならぬのであります。このことを考えずして、一般普通
事件におけると同様
程度の
嫌疑があるのゆえをも
つて、軽々に
國会議員の
逮捕の
許諾を與え、後に
至つて事件が
無罪と判定せられたる場合、その結果がいかに重大なものを生ずるかということは、最近における原氏及び
事柄は少しく違いますが、西尾氏の
事件において、私
どもはなまなましい経驗を持
つているはずであります。深く留意しなければならぬと私は思うのであります。
第三は
逮捕勾禁の
必要性があるかどうかという問題であります。
犯罪搜査のために、
被疑者を
逮捕勾禁することは先ほどのお話にありましたごとくに、
被疑者の住居不定の場合か、
被疑者が
逃亡のおそれがあるか、あるいは
証拠湮滅のおそれのある場合に限られることは申すまでもございません。この
逮捕勾禁の許さるる場合の條件の中で、
國会議員の場合におきましては、もつぱら
証拠湮滅のおそれがあるということのみが考えらるるのであります。
國会議員逮捕の場合においては、この
証拠湮滅のおそれありやいなやの点についても、特に嚴密なる
判断がなされねばならぬと私は考えるのであります。
第四は
犯罪探査の緊急性であります。
國会議員の
逮捕は、それが必要とせらるる場合でありましても、もしその必要が緊急を要しない場合、
國会の
会期の終了を待
つても、さまで重大なる支障が生ずるとは考えられないような場合においては、その
逮捕は当然その時期までこれを見合わすべきであ
つて、
会期中に
國会議員の
逮捕を行うことを許すためには、その
逮捕が特に
國会の
会期の終了まで待てないというような緊急の必要が存する場合でなければならないのであります。
國会議員逮捕の
許諾の
請求を受けた議院は、その
許諾の拒否について特にこの点の考慮を必要と考えるのであります。
最後に以上の諸点について檢討を加えた結果、
逮捕の
許諾を與えることが必要である。かように考えられた場合におきましても、なお議院において重要なる
案件が付議せられ、その
案件の
性質上全
議員の
審議参加が必要と考えられるような政局の重大なる時期においては、
國会における
審議権の特別の重大性のために、通常の場合においては許可せらるべき
逮捕の
許諾も、これを拒否しなければならぬ。かように考えるのであります。以上の理論をもちまして私は
本件の具体的場合について、私
どもの
判断を申し上げてみたいのであります。
まず最初に今日衆議院がきわめて重大な問題を含み、緊張の極に達していることは、多言を要せずして皆様方も御承知の通りであります。
かくのごと要重大なる時期においては、たといいかなる重大
犯罪につき、いかなる緊急の必要があろうとも、
國会議員の
逮捕はこれを絶対に許容すべきではないと私は考えます。私
どもは今日のごとく重大なる問題が山積し、政局の変動が一触即発の状態にある場合において、
國会議員の
逮捕につき
許諾を與え、これが先例となるということがありますならば、これは
國政の將來にと
つて実にゆゆしき問題を残すものと、深くこれを憂えるものであります。私
どもは皆様方が眼前の党利党略あるいは感情を離れて、
國家百年のためにこの点につき特に重大なる御考慮を拂われんことを祈るものであります。
第二に
嫌疑の内容をなすところの事実であります。罪名は
收賄罪とな
つていますから、この罪名から申しますと、これはまことに
議員の
性質と両立をしない
犯罪でございます。しかしながらその
犯罪事実の内容についてこれを見ますと、その
嫌疑の
程度についてこれを檢討いたしますと、私
どもはまず
檢察廳が
主張するような
被疑事実のみによ
つては、
收賄罪が成立しないと言うべきではないかと考えらるるほどであります。この
程度においては
犯罪の
嫌疑はきわめて薄弱であると申すのほかないと断定するのであります。
御承知のごとく
本件被疑事実の内容を概略して申しますと、
芦田氏が
昭和二十二年六月から二十三年三月まで外務大臣に在任中、
國務大臣たるの職に関し、
昭和二十二年十月下旬ごろ、岡直樹氏から同人の床板納入代金の
政府支拂い、日本興業銀行よりの融資に関して請託を受け、その謝礼として、秘書官下河邊氏を介して現金の
供與を受けたことが
收賄である。しかして
北浦、
川橋両氏はこの
收賄に関して、斡旋幇助を行
つたということにな
つております。
そこでこれはまことにつまらぬお話でありますが、私
どもの地方で行われる子供だましの寓話に、鼠がふえると目医者がはやるという話があります。これは鼠がふえると桶をかじ
つて桶がこわれる。桶がこわれれば桶屋が繁昌する。桶屋が繁昌すれば山の木が切り倒される。山の木が切り倒されれば雨が降らなくなる。雨が降らなくなれば塵が立つ。塵が立てば目を惡くする者ができるから、
從つて目医者が繁昌する、こういう話があります。まことにばかげた話を申し上げまして、皆様方御憤慨なさるかもわかりませんが、ただいま日本の
檢察廳は、このようなばかげた子供だましの童話に出て來るような論理をそのまま適用して、前総理大臣を
收賄罪として問疑して、この
國会の重大なる時期に
國会に対して
逮捕の
許諾を
請求して参
つているのであります。まことに驚くべく、まことに憂うべきことと申さねばならぬのであります。
なるほど因果
関係はこれを拡張すれば、今のお話のように無限に廣げられ得ます。
國務大臣芦田均氏が
國務大臣として閣議に列席した。その閣議は
政府支拂に関する方針の決定をなし得る。
從つて政府に対して床板を納入し、その代金の支拂いを受ける
関係にある岡氏は、これによ
つて利益が得られる。
從つて金品を受領すれば、それが閣員としての職務に関するものと言うことができる。しかし、こういうところまでいわゆる職務の
関係を押し廣げることになりますと、私
どもはまことに寒心にたえざるものと申さねばならぬのであります。さらに外務大臣、
國務大臣の職務と、日本興業銀行の貸付との
関係に至りましては、私の
判断をも
つてすれば、鼠がふえれば目医者がはやるという論理をも
つてしても、なおその間の因果
関係を発見することができないほどであります。私はこれ以上立ち
至つて本件の容疑事実たる
犯罪が、
犯罪を
構成するかどうか、
無罪であるかというような法律論をいたそうと考えるものでありませんが、ただ一言私は申しておかなければならないことは、
國務大臣が閣僚として閣議に列席して閣議を決定し、政令を制定するということと、
國会議員が
國会に列席して院議の決定に参加し、法律の制定に参加するということは、何ら
性質上の差異はございません。しかして
國会において決定せられたる院議や法律は、何らかの
関係において日本の全
國民のいずれかに、利害
関係を持たないことはないのであります。かように考えてみますと、
本件のごときものが有罪とせらるることがあるならば、あるいは有罪の
嫌疑をも
つて本件のごとく
逮捕が認められなければならぬということになると、
國会議員たる者が
國民の何人からでも、いやしくも金品を受くる場合においては、
本件と同様にただちに職務に関しこれを收受したるものとの
嫌疑を受けて、
逮捕の
請求がなされるという危險があることを、特に注意しなければならぬのであります。今日御承知のごとく各
政党の首脳者について、いわゆる
政治献金なるものが多数に指摘せられていることは、御承知の通りであります。今もし
本件のごときものを
收賄の
嫌疑あるものとして
逮捕の
許諾を與うる。これが先例と
なつた場合には、近き將來においてこれらの多数の
政治献金につき、それが職務に関し贈られたものとして、
逮捕の
許諾を求められて來た場合において、私
どもはこの先例に
從つてこれを拒むことができないことになります。
國会議員たるものはまさにまくらを高うして眠ることができないと申さねばなりません。かようなことになりますれば、
國会議員に対する生殺與奪の権は、
檢察官の手中に握られるということを、私
どもは深く考えなければならぬのであります。私
どもは金品を受領したる公務員と、これに金品を贈
つた贈與者との利害
関係が、
本件のごとくきわめて間接稀薄なる場合においては、金品の贈與がその職務に関し贈られたことを特に推測せしむるような、的確にして具体的なる事実が指摘せられざる限り、
收賄罪の成立は考えることができないのであります。
かくのごとき具体的な事実が少しも指摘されていない
本件の
犯罪嫌疑は、きわめて稀薄であ
つて、
かくのごとき
程度の稀薄な
犯罪嫌疑をも
つて、
國会議員の
逮捕に
許諾を與うることは、原
議員、西尾
議員の先例にかんがみ、嚴にこれを差控うべきものであるということを、
主張するものであります。御承知のごとくただいま
政治献金を一がいに罪惡のごとく罵倒せられておりますが、私
どもは今日の
考え方をも
つて昨年の
考え方を律することが、無理ではなかろうかと思うのであります。それは別といたしまして、今日の
実情において
政治家たる者が、額の差こそあれ、
政治献金を少しも受けないというような人は、私はきわめて少数であろうと思うのであります。これを一くるめにして罪悪視するということが、私
どもは間違
つていると思います。
政治献金に対する
判断は、あるいは党の建前として、党において好ましからざる
政治献金と考えられる場合もあると思います。それは党の問題として、党において
判断すべき
事柄であ
つて、他に干渉すべき筋合いではございません。また場合によりましては
政治家として、
政治献金を受けたことを罪悪視する場合もございましよう。その場合は
國会における
政治的
立場においてこれを批判すべきであります。
檢察廳がこれを問題とする場合においては、それが法律上煩瑣である場合に限る。その範囲を嚴に愼んで、それ以上に出てはならないということを、私は特に強調いたしたいのであります。
元來
被疑者の
逮捕を行うためには、御承知のごとく
被疑事実の内容を明確にして、この事実について
逮捕状の
請求をなさねばならないのが、刑事訴訟法の
要求であります。
被疑事実を示すことなく、人身の自由を拘束する
逮捕を行うことが許されたのは、封建時代の弊習であります。近代文明國のいずれの國法も、かたくこれを禁じているところであります。ところが悲しいかなわが國においては、この近代文明國の象徴をなす
事柄として、
憲法及び刑事訴訟法等において、特に人身の自由を拘束する
逮捕は、その原因たる
犯罪事実を明らかにしるした
逮捕状のみによ
つて、これをなすべき旨の
規定を設け、人権の保護を行
つているにかかわらず、從來
檢察廳の
搜査においては、ややもすればこの
規定の趣旨を脱法せられて、不当の拘禁が行われていることは、皆さん御承知の通りであります。すなわちある重大なる
事件の
搜査を行う便宜のために、まず枝葉末節のわずかなる
嫌疑事実につき、一應の
証拠をあげてこれを起訴し、この
事件に関して
逃亡あるいは
証拠湮滅のおそれがあると名目をつけてこれを拘留し、起訴を行
つて、
裁判所から
檢察廳がか
つて記録を取上げて、
裁判所に公判期日を指定させずに、その間の拘禁を利用して、主たる
目的とする本來の
事件の
搜査の便宜に供する。この脱法的な拘禁が、今日におきましては半ば公然と行われております。このことはすでに慣行となり、一般人は当然のことと考えております。一般人だけでなく、
裁判所もまた弁護士も、あえてこれを異としないという
程度に及んでいるのであります。私は
かくのごときは民主々義
國家の恥辱であると申さねばならぬのであります。もし
請求に掲げられたる
嫌疑事実のほかに、別に重大なる
犯罪の容疑事実があるならば、このことを明らかに指摘して、これについて
逮捕許諾を求めればよろしいのである。また求めなければならぬのであります。隠されたる容疑事実の
搜査の便宜のために、他の事実を名目として掲げて、
被疑者の
逮捕拘禁を求むるというがごとき脱法行爲を含む
本件の
請求は、私はこの点においても峻拒すべきであると考えるのであります。
第三に
本件において
被疑者を
逮捕しなければ、証憑を湮滅するおそれがあるという当局の
主張には、私は絶対に納得ができません。
本件の内容を見ますと、金品の授受その他の容疑事実は明確とな
つております。問題となるのはもつぱら当事者の内心的意思がどうであ
つたかという点であります。主観的意思の問題に関しては、多くの場合において直接に
証拠の存在しないのが普通であります。まして
本件の場合においては、これらの
証拠の存在は考えられない。もしあ
つたとすれば、すでに
とつくの昔に湮滅をせられてお
つて、今日
逮捕をいたしたところで、それは何らの役に立たないということは、先ほど
石田委員からの申された通りであります。
由來
犯罪の
搜査におきまして、ほかに
証拠を收集しても、的確な
証拠をつかむことができない。かような
事態に立入
つた場合に、
檢察当局は
被疑者を
逮捕拘禁して、これを訊問することによ
つて、
搜査の手がかりを得、
証拠の発見の手段とするのが、今日までの
檢察当局の常套手段であります。
裁判所もまたこの手段を暗默の間に認めて、
証拠湮滅のおそれありとして、
逮捕拘留の
請求を無條件に認容しておるのが、今日の
実情であります。私は
かくのごときは
檢察当局が時代に目ざめることができず、旧態依然として封建時代そのままの、岡つ引のや
つたような
搜査方法のみを固執して、新しい近代的な科学的
搜査方法にくふうをこらすことができない結果、さようなことにな
つておるものだと考えるのであります。新刑事訴訟法の施行を眼前に控えておるこの際であります。
本件の
逮捕の
要求をこの点において拒絶して、当局の反省に資すべきであると考えるのであります。
最後にただいま
國会は本月末をも
つて解散せらるべきことが、半ば公に予想せられている状態であります。私
どもはかかる際において、
本件の
逮捕が今日この場合緊急になされなければならなか
つたという、何らの
理由を発見することができないのであります。私は多くを言ふことを差控えるものでありますが、本年六月西尾氏に対する起訴稟請が行われた場合の稟請の時期と
方法、さらにその後における栗栖氏の
逮捕の時期と
方法、さらに西尾氏に対する再度の
事件に対する
逮捕の時期並びに
方法を観察して見ますとき、それはいずれも符節を合するごとく、
政界の激動が
最高潮に達した時期に、その
政治的
影響が最も強く波及するような
方法において行われたことを、感ぜざるを得ないのであります。私
どもはこれが何ら格別の意図を有しない
檢察当局の
搜査の自然の進行の結果、偶然にかように
なつたと考えるには、偶然の一致があまりにも多きに過ぎると考えざるを得ないのであります。心ある人々は、これをも
つて檢察当局のフアツシヨ化と呼んでおります。
國家のためまことに憂慮にたえないことと私は考えるのであります、私はこの際でき得るならば、
本件の
逮捕の
許諾の
要求を拒否することによ
つて、
檢察当局に反省を促すことにしたいと、かように考える次第であります。以上をもちまして私の
理由を終ります。