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1948-12-04 第4回国会 衆議院 外務委員会 第1号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
二十三年十二月四日(土曜日) 午前十時四十三分
開議
出席委員
委員長
生越
三郎
君
理事
若松 虎雄君
理事
和田 敏明君
理事
安東 義良君
理事
多賀 安郎君
幣原喜重郎
君 中村
嘉壽
君 竹内 克巳君 馬場 秀夫君 細川
隆元
君 園田 直君 並木 芳雄君 松本 眞一君 野坂 參三君
出席政府委員
外務政務次官
近藤 鶴代君
外務事務官
大野
勝巳
君
委員外
の
出席者
外務事務官
田中
三男
君 專 門 員 佐藤 敏人君 專 門 員 村瀬 忠夫君 十一月二十九日
委員戸叶里子
君辞任につき、その補欠として山
口靜江
君が
議長
の指名で
委員
に選任された。 ————————————— 本日の
会議
に付した
事件
國政調査承認要求
に関する件 中國における諸問題に関する
説明聽取
—————————————
生越三郎
1
○
生越委員長
ただいまより
会議
を開きます。 第三回
國会
におきまして、本
委員会
は
國際経済
に関する
総合的調査
並びに
講和会議
に関連する諸問題に関する
國政調査
の
承認
を得ましたが、御
承知
の通り第三回
國会
は
会期
が非常に短かく、十分に
調査
ができませんでしたので、今
國会
におきましても、さらに一段と
調査
を進める必要があると思いますから、
衆議院規則
第九十四條により、
國政調査承認要求書
を
議長
に提出いたしたいと思います。それでは
承認要求書
を朗読いたします。
國政調査承認要求書
一、
調査
する事項
國際経済
に関する
総合的調査
、
講和会議
に関連する諸問題 二、
調査
の目的
國際経済
の
現状
及び動向を
調査
し
國民外交
の樹立に資す、
講和條
約に関する
準備研究
三、
調査
の方法 官民各
方面
より
意見聽取及び資料要求
四、
調査
の期間 本
会期
中 右によ
つて國政
に関する
調査
を致したいから、
衆議院規則
第九十四條により
承認
を求める。
昭和
二十三年十二月四日
外務委員長
生越
三郎
衆議院議長松岡駒吉
殿 ただいま朗読いたしました
國政調査承認要求書
を
議長
に提出いたしたいと思いますが、御
異議
ございませんか。
生越三郎
2
○
生越委員長
御
異議
なしと認め、さ
よう
とりはからいいたします。 —————————————
生越三郎
3
○
生越委員長
次に中國の諸問題につきまして、
政府
より
説明
を聽取いたします。
大野勝巳
4
○
大野
(
勝巳
)
政府委員
本日は中國の問題に関しまして御
報告
をいたしますために参上いたした次第でございますが、
説明員
といたしまして、
外務省調査局
第五
課長田中三男
君を帶同いたしました。
田中三男
君は
米國在勤
の後中
國在勤
に轉じまして、長年月にわたりまして
華北
、
華中等
における重要なる
地位
を歴任された人でありまして、ただいま
外務省
におきましては、中國並びに
アジア関係
の
調査
、
研究
、
立案等
に関する
事務
の
中心
におる次第でございます。從いまして
田中
君が最もこのむずかしい問題につきまして御
報告
を申し上げるのに適任と存じまして、本日
田中
君から
説明
いたさせたいと存じます。その点御了承を願いたいと存じます。
田中三男
5
○
田中説明員
ただいま紹介にあずかりました
外務省調査局
の
田中
でございます。中國の最近の
状況
について
説明
をしろということでありまするが、まずお断りを申し上げなければなりませんのは、
終戰後
われわれ
外務省
では、特別の海外の
情報
というものは持ち合しておらぬのであります。そこでわれわれが
調査
をいたしております
資料
は、結局一般の方々のごらんにな
つて
おります
よう
な
新聞
、
通信等
に限られておりまするので、実際
現地
の実情について、正確な
情報
というものを持ち合しておらないのであります。そこで以下申し上げる事柄も、さ
よう
な
意味
であるいは正確を失しておる
よう
な点も多々あろうかと思います。もしそれらについてあとでわれわれの方にいろいろ御教示を賜わることができますならば、今後そういう
意味
で参考になるかと存ずるのであります。 まず中國の
終戰後
におきます問題、これはとりも直さず
國共
の内戰の問題が最大の問題でありまして、この内戰の問題こそ中國におきましては
政治
、
経済
、
財政
、
外交
その他あらゆる問題の根本にな
つて
おるということが言えるのであります。のみならずこの内戰の問題は、中國にと
つて
さ
よう
にきわめて重大な問題であるのみならず、これは
アジア
の問題として見ましても、また
世界
の問題としてもきわめて重大な
意義
を持
つて
おることは申すまでもないのであります。昨年の暮に中
國共産党
の主席をしております
毛澤東
が年末
報告
を発表いたしておるのでありますが、その冐頭に、昨年の後半期にはいりまして中國の
共産党
は攻勢に轉じた。そうして
各地
の
戰線
において
戰爭
の
主導権
を握るに
至つた
ということを報導いたしました。このことはきわめて
意義
がある。それは四億数千万の
人口
を有する國においてか
よう
なことが起
つて
おるからだ。さらにもう一つ重大なことは、
アジア
十億の
人口
を有する
東方世界
でこのことが起
つて
おるからだ。か
よう
なことを述べておるのでありますが、この
言葉
はあながち誇張であるということは言えない
よう
に考えられるのであります。実は最近の
ニユーヨーク・タイムス
の
社説
を見ましても、この十月十日の双十節の日に、冷たい
戰爭
は二つの
戰線
を持つというふうな題で
社説
を掲げておるのでございまするが、その中で、最近におきまする
アジア各地
における
共産勢力
の台頭を論じまして、しかしながら何とい
つて
もこの
共産党
の
勢力
が最も大きな活躍をしておるのは中國である、中國こそその
決戰場
ということが言える、この中國の運命は、結局は遠からず
アジア各地
にも影響を及ぼすということが考えられる、もしか
よう
にして
アジア
の
各地
が
西欧
の
世界
から切り離されるということになるならば、これは
西欧
の
世界
にと
つて
もきわめて重大なことであ
つて
、今日の平和を維持する、今日の自由を亨樂するということは非常にむずかしくなる、か
よう
に考えてみるならば、今日中國において
蒋介石政権
が
共産党
と戰
つて
おるということは、結局それはわれわれの
戰い
であるということが言える。か
よう
に論じておるのでありまするが、この
ニユーヨーク・タイムス
の
社説
も、結局はさつき申し述べました
毛澤東
の
言葉
と中國の内戰の問題の
重大性
を指摘しておる点において、相一致しておる点がある
よう
に考えられるのであります。さてこの中
國内戰
の
状況
は一体どういう
よう
にな
つて
おるか。これは毎日の
新聞
が報道しておるのでありますが、しかしこの内戰の
現状
を御
説明
するにあたりまして、一
應支那事変
が起りました当時の中
國共産党
の
勢力
及び
終戰当時
におきまする中
國共産党
の
勢力
というものを一應簡單に振り返
つて
みたいと思うのであります。
支那事変
が起りました当時、中國の
共産党
は
陜西省
の
延安
に首都を移しておりまして、この
地方
を
中心
といたしまして
ソビエト政府
をつく
つて
お
つたの
であります。当時の
兵力
は五、六万であ
つた
。か
よう
に
推定
いたしておるのであります。これが
支那事変
が起りますと、御
承知
の
よう
に
國共
の第二次の合作をいたしまして、そうして
事変
の
拡大
につれて
日本軍
が
北支
から順次
國民政府
の
軍隊
を撃退して行くにつれまして、
中共軍
の方はその
背後地帶
に入り込んで参
つたの
であります。 か
よう
にして
中共軍
は順次主として
北支那
の
農村地方
に
勢力
を伸ばして参
つたの
でありまして、特に
太平洋戰爭
が起りますると、
中共側
ではもつ
ぱら党勢
の
拡張
という点に重点をおいた
模様
でございまして、当時七・二・一
政策
という
政策
を
中共側
はと
つた
よう
に言われておるのであります。と申しますのは、
中共側
は十のうちの七の力をも
つて
、もつ
ぱら中共
の
党勢拡張
に努力する。
残つた
二の力をも
つて
國府攻略をする。これは
言葉
は奇妙に聞えるのでありますが、当時なお
國共
の
相克摩擦
が頻繁に繰返されてお
つたの
であります。そこで
中共側
は
政府側
に対して、
中共
の
合法的地位
の
承認
を要求するとか、また
中共軍
に対する
武器彈藥
その他軍夫の補給を要求するとか、またある場所では
中共
の兵隊が、
政府軍
のために
包囲攻撃
を受ける、か
よう
な
事件
もしばしばあ
つた
わけでありまして、か
よう
な
攻撃
を中止させる、か
よう
な対
國府政策
に二割の力を用いる。そうして
残つた
一割の力をも
つて
日本軍
に対抗する。か
よう
に七・二・一
政策
という
政策
をと
つて
おるのでありまするが、これを見ましても、いかに
中共
が自分の
勢力
の
拡大
に力を注いだかということがうかがえるのであります。か
よう
にいたしまして、
終戰
の当時におきましては、旧
黄河以北
の
北支那
の
農村地帶
には、
中共
の
勢力
はほとんどすみずみまで行き渡るという
状況
でありました。注目されますのは、これらの
地域
に
政府側
の
軍隊
というのはほとんど姿を見せておらないのであります。当時
日本軍
は点と線を保持してお
つた
。こういう
よう
にいわれるがごとく、大
都市
と、これを結ぶ
鉄道線路
並びにその沿線を主として確保してお
つたの
でありまするが、これらの
地点
を除きました
農村
には、もつ
ぱら中共側
の
勢力
が確立されておる。
北支那
におきましては、わずかに
山西省
の
西南
の
山岳地帶
に
閻錫山
の
兵力
が
残つて
おる。また内蒙古は御
承知
の
よう
に、
包頭
の奥の五原
地方
に
傅作儀軍
の
軍隊
がお
つた
。そのほかにはほとんど
政府
の
軍隊
というのは姿を見せておらないのであります。また当時におきまする
満州並び
に中
支那
、
南支那
の
状況
を一瞥して見ますると、
満州
におきましては、
満州事変
の当時から
日本軍
に抵抗しておりましたいわゆる
共産匪
、これは満
韓鮮——満州人
、中
國人
並びに
朝鮮人
の混合の
共産匪
であります。これが
満州
の
東北
の
山岳地帶
に
残つて抵抗
を続けてお
つたの
でありますが、その
兵力
は約二、三万と
推定
せられておるのであります。なお南の方の
熱河
の
方面
では、
華北省
の方から
中共
の
李雲昌
という
軍隊
が
終戰
の前年ぐらいから
熱河省
の
山岳地帶
に入り込んでおるのであります。この
兵力
は大体五、六万
程度
でなかろうかと
推定
せられるのであります。また今日
戰場
にな
つて
おりまする中
支那
の
地方
には、これまた有名な新四軍という
中共
の
軍隊
がお
つたの
でありまして、今日徐州
蚌埠
の
作戰
に從事しておりまする
陳毅
という
中共
の
將軍
の率いておりました新四軍が、大体
揚子江
の
北方
の
江蘇省
、
安徽省方面
におります。大体その
兵力
は十万ないし十五万
程度
と推測せられるのであります。
揚子江以南
には、今日と同様にまだ大して
中共
の
勢力
はなか
つたの
でございまして、わずかに
海南
島の
山岳地帶
、それから
廣東
の周辺の
農村
並びに雷州
半島附近
、これらの
地域
に三万
程度
の
共産軍
が
残つて
お
つたの
であります。か
よう
にして
終戰当時
におきまする
中共側
の
兵力量
と申しますのは、これはまたいろいろの
推定
があるのでありますが、
終戰
の直前の四月に
毛澤東
が有名な
連合政府論
というものを出しております。その中に引用しております
兵力
は、
中共
の
正規軍
が九十一万ということを言
つて
おるのであります。もしこの
数字
が確かであると考えまするならば、今申しまする
よう
に、
満州
の
熱河方面
の数万の
兵力
、中
支那
の十四、五万の新四軍の
兵力
並びに
海南
島及び
廣東附近
の三万ばかりの
中共軍
、これを除きました約六十五万ばかりの
中共
の
軍隊
というものが、もつ
ぱら黄河以北
の
北支那
に
がんばつ
てお
つた
ということになるわけであります。この当時さ
よう
な
状況
のもとに
終戰
にな
つた
わけなのでありますが、
終戰
になりますと、実は
終戰前
からでありますが、ドイツが降伏いたしました当時、すでに
中共側
では遠からず
日本
の
全面降伏
があるという予想のもとに、
満州
の
接收計画
を立てて
準備
をしてお
つた模様
であります。さ
よう
にして
終戰
になりますと、いち早く
満州
の
占領
に
主力
を注いでおる
よう
に見受けられるのであります。
中共側
の
主力
は、
目下人民解放軍
の総
司令
をや
つて
おります
林彪
の指揮いたしまする
中共
の
軍隊
が主として
山東方面
から渤海湾を
渡つて満州
に入り、これが
ハルビン
を
中心
とした
北満
に入り込んでおるのであります。大体その
兵力
は十五万
程度
と考えられるのであります。それから
南満州
の
方面
は、
終戰
の前から
熱河方面
に入
つて
おりました
李雲昌
の
軍隊
が、さらに
華北
から應援を得まして、
長城線
を越えて、主として
南満州方面
に入り込んで行
つて
おるのであります。大体その
兵力
も十五万
程度
かと考えられるのであります。
両者
合せて三十万の
兵力
、さらに
現地
にありました雜軍を
支配下
に入れて、約四十万ないし五十万の
中共軍
ができた
よう
に考えられるのであります。この
数字
は、実は
終戰
の翌年
中共
の幹部であります
周恩來
が、当時の
東北
における
中共軍
が四十万
——正規軍
三十万、さらに雜軍十万、合せて四十万であるということを言
つて
おるのでありますが、大体四十万ないし五十万の
中共
の
軍隊
が
満州
にあ
つて
、今申します
よう
に、
満州
の
各地
の
占領
に努力した、か
よう
に考えられるのであります。これに対しまして
政府側
の
終戰
のときの
作戰
と申しますか、
方針——
これは別にそうはつきりした文書があるわけではないのでありますが、いろいろの
報告
なり、発表なりを総合してみますと、大体
政府側
におきましては、
中共
の
部隊
というのを主として
北支那
の
農村地帶
、すなわち從來からの
中共
の
勢力範囲
内にいわば
カン詰
にしておいて、
満州並び
に
満州
を含んだ全支にまたがりまして、
日本軍
の
占領
してお
つた都市
並びに
地方
はもつ
ぱら政府軍
の手で
接收
する、こういう
計画
を立てている
よう
であります。これは当然の話なのでありますが、さ
よう
にいたしまして、中支にありました新四軍に対しましても、嚴重な命令でも
つて
北支那
に移駐を命令しているのであります。一時は
揚子江
の
北方面
にありました新四軍も
山東方面
に
引揚げ
ているのでありますが、か
よう
にして
北支那
の
地方
に
中共軍
をできるならば
カン詰
にしておいて、
満州並び
にその他
各地
の
日本軍
の
占領地域
を
政府軍
の手でもつ
ぱら接收
をする、か
よう
な
計画
を立てたらしいのでございますが、しかしこれに対しまして
中共側
は
——毛澤東
が言
つて
いるのでありますが、全
抗日戰
を通じて実は
中共
は七割の
抗日戰
を受持
つて
來た。か
よう
な事実から見て、われわれも当然
日本軍
の投降を受理し、
日本軍
の
占領地域
を
接收
する権利があるということを
政府側
に強く主張しているのであります。もちろんこれに対して
政府側
は應諾しておらぬのであります。そこで
中共側
は先ほど申します
よう
に
満州
にいち早く兵を集中させまして、
各地
の
地点
を押えると同時に、
北支那
におきましても、それぞれの
地点
の
占領
の
計画
を立てておるのでありまして、北上して参ります
政府軍
を妨害するためにはいろいろ
交通線
を破壞するとか、あるいはそれにもかかわらず北上して來る
政府軍
に対しては、武力をも
つて
これを粉碎する、か
よう
な
作戰
を立てているのであります。そこで
政府側
では、主として
アメリカ側
の
援助
のもとに、一部は飛行機をも
つて
北京
、
天津
、
済南等
の各
都市
に
兵力
を輸送する。また大半は
アメリカ
の
援助
のもとに船でも
つて
兵力
を
北支那
に送りまして、
アメリカ
のマリンの
援助
のもとに
北支那
の
接收
をはか
つて
いるのであります。また
満州
に対しましては、これは
政府側
は非常に
準備
が
手間取つて
、
終戰
の翌年の三月ごろになりましてから、
よう
やく兵を
満州
に送り込む、こういう
よう
な
状況
であ
つたの
でありますが、しかしその当時は
政府側
の
軍隊
というのは非常にまだ勢いがありまして、
満州
に入りました
政府軍
のごときも、二、三箇月にして
南満州
から
長春並び
に吉林の
方面
まで、一挙にこれが
接收
に成功いたしているのであります。御
承知
の
よう
に
終戰
の直後には
アメリカ
のあつせんのもとに、
政治協商会議
が行われ、
國共妥協
の話合いが進んだわけでありますが、しかし
両者
の
妥協
というのは結局
政府
の失敗に
終り
まして、
終戰
の翌年の六月の
終り
に、
満州
におきます一時的な停戰協定が破れましてから、
満州
、
華北
、
華中各地
におきまして全面的に
両者
の
戰爭
の火ぶたが切られておるのであります。か
よう
にして
両者
の
戰爭
は全面的な
戰い
に入りまして今日に
至つた
わけなのであります。その間の事情は時間もありませんので省きますが、最近の情勢を
概略各地
について申し述べて行きたいと思います。 今日はもう申し上げるまでもなく、
満州
は
長春
、奉天が陷落し、錦州、
葫芦島方面
からも
政府軍
が撤退し、また
熱河省
の承徳からも撤退する。か
よう
なわけで全
満州
は
中共側
の
支配下
に入
つて
おるというわけであります。また
華北
の
状況
は、先般
済南
が陷落してから、
山東省
はわずかに青島が
政府側
の手に保持されておるにすぎないのであります。また北では御
承知
の
よう
に
北京
、
天津
と、それから
北京
、
天津
から東に塘沽、唐山に至る線、それから北に延びまして
張家口
、大同、綏遠に至る
地区
、この細長い
地区
を、
北京
に総
司令部
を持
つて
おります
傅作儀軍
がこれを保持して
防衞
をしておるわけであります。また
山西省
では太原に
閻錫山
がまだ
がんばつ
ておる、こういう
状況
であります。これらの
華北
の
状況
を大観いたしてみますと、大体もう九割
程度
が
中共側
の
支配下
に入
つて
おるのではないかと考えられるのであります。
目下戰爭
は主として
華中方面
、すなわち
揚子江
と旧
黄河
との
中間地帶
でも
つて
両者
の
攻防戰
が展間せられておるわけであります。最近の
新聞
が報道しております
よう
に、徐州、
蚌埠
、それから
南京
に接近して來た
地方
へ大きな
戰爭
の
中心
が移りつつある、こういう
状況
の
よう
であります。大体
華中
、すなわち
揚子江以北
の
華中
におきましては、目下の
状況
は大体五割
程度
が
中共
の
支配地域
に入り、
政府側
は五割少し足らずかと思いますが、
政府側
が五割
程度
の
地域
をまだ支配しているのではないか、か
よう
に見られるのであります。
揚子江以南
の
地域
につきましては、先ほど申しました
終戰当時
から今日まで大きな変化はないのであります。これらの
地方
に
中共側
は、それぞれ
各地
に
地方政府
と申しますか、
政府
を建てておりまして、
満州
には
東北解放
区というのができておる
よう
であります。
ハルビン
にその本部がありまして、
東北行政委員会
というのができておる
よう
であります。それから
華北
では、この八月の
終り
に
華北人民連合政府
というのが石門にできておる
模樣
であります。これらの
地域
は大体
河北省
と
山西省
の東半分並びに
察哈爾省
、それから
河南省
の北部、大体
隴海線以北
の
よう
であります。ここに
華北解放
区というのがありまして、
華北解放人民連合政府
というのができておる
よう
であります。それから西の方では
山西省
の西半分と
陜西省
及び甘粛寧夏の一部分を合せまして、ここに
西北解放
区というのができておる
模樣
であります。また東の方では
山東省
と
江蘇省
及び
安徽省
の一部を加えまして、ここに
華東解放
区というのができておる
模樣
であります。この
華東解放
区は先ほど申しました新四軍を率いております
陳毅
の
支配下
に入
つて
おる
模樣
であります。それから
目下戰爭
の繰返されておりまする
河南省並び
に
湖北省方面
には
中原解放
区というのができておる
模樣
であります。これの
司令官
は劉伯承という
中共
の
將軍
の
よう
であります。 それから西の方には、大体
湖北省
でありますが、ここには
西南解放
区というのができておる
模樣
であります。 大体以上申します
よう
に
東北解放
区
——満州
でありますが、
東北解放
区と、
華北解放
区、
西北解放
区、
西南解放
区、
中原解放
区、
華東解放
区、そういう六つの大きな
中共
の
地区
ができ上
つて
おる
よう
な
模樣
であります。これが大体の最近の
状況
でございますが、そこでこの
政府側
の
態勢
というのは一体どういうふうな
状況
にな
つて
おるか、これまたわれわれは正確な
資料
を持ち合さないのであります。
新聞
その他の
ニユース
を総合したにすぎないのでありますが、
政府側
の現在の
態勢
というのを大体
兵力
の点、
財政経済
の点並びに
アメリカ
の対
華援助
の点、この三つの点から御
説明
をしてみたいと思うのであります。
政府側
の
兵力量
につきましては、これまた正確な材料は持ち合さないのでありますが、この六月の
終り
に、
ちようど
当時
開封
が
中共
の手に
陷つた
直後でありますが、何
應欽國防部長
が
行政院
の
祕密会議
で
報告
したという
数字
が
新聞
に傳わ
つて
お
つたの
であります。これによりますと、当時、六月の
終り
でありますが、
政府側
の
兵力量
は二百十八万ということが発表されております。これに対しまして
中共
の
正規軍
は百五十万ということを何
應欽國防部長
は言
つて
おるのであります。
中共
の百五十万の
兵力量
は今日も大差がないのではないかと思うのであります。大体
中共
の百五十万の
兵力
の
配置
は、これも非常に乱暴な
推定
でありますが、大体
満州
に五十万、
華北
に五十万、それから今日猛烈な戰鬪の行われておりまする
華中
に約五十万、こういうふうな
配置
と見て大きな間違いはないのじやないかと思うのであります。これに対しまして
政府側
の二百十八万の
兵力量
は、その後も御
承知
の
よう
に
満州
で約三十万の
兵力
を失
つて
おります。また
済南陷落
の当時、あそこにおりました
王耀武
の率いておりました
部隊
は約十五万あ
つたの
じやないかとわれわれは
推定
しておるのであります。これも失
つて
おるわけであります。また太原の
閻錫山
の
部隊
、これは十万ないし十五万持
つて
お
つたの
じやないかと思うのでありますが、これが
中共側
の
攻撃
を受けまして今日は半減をしておる、こういうふうにいわれておるのであります。これらの
兵力
の喪失を二百十八万から引きますと、大体百五、六十万の
兵力
になるのでありまして、
兵力
の点において今日
中共
と
政府軍
とはほぼ伯仲しておるのじやないかと考えられるのであります。この
政府側
の百五十万余りの
兵力
は実は
各地
に分散しておりまして、しかも
戰爭全般
が昨年の下半期から
中共側
に
主導権
を握られたという
関係
上、必ずしも行動の自由を持
つて
おらない
よう
に見受けられます。
政府側
の百五十万の
兵力
の大体の
配置
は、御
承知
の
よう
に
北京
に本拠を置きまする
傳作儀軍
が約二十万ばかりかと想像せられるのであります。太原の
閻錫山
の
部隊
が七、八万ないし六、七万、か
よう
に思うのであります。また
隴海線
の西の端の
西安
には
胡宗南
の
部隊
が陣ど
つて
おります。この
兵力量
が約十二万といわれておるのであります。この
西安
の
胡宗南
の
部隊
は
中原
の
作戰
に
移動
を開始したという
よう
な
ニユース
も出てお
つたの
でありまするが、その後
移動
中であるかどうか、最近は
ニユース
が絶えております。それからさらにもつと西の蘭州には
張治
中の
部隊
がおることにな
つて
おるのでありますが、この
兵力量
ははつきりはわからないのでありますけれども、きわめて古い
ニユース
でありますが、約二十万の
兵力
があるということにな
つて
おるのであります。今日なお二十万の
兵力
をも
つて
おるかどうかよくわかりませんが、少し古い
ニユース
でありまするが、そういうふうにな
つて
おるのであります。それから
漢口
には、
白崇禧
が
がんばつ
ておるわけでありますが、その
部隊
は約二十万
程度
じやないか、か
よう
に思うのであります。徐州には
劉峙將軍
が約二十万ないし二十五万の
兵力
を持
つて
お
つた
。最近の
新聞
でも、二十五万の
兵力
が徐州脱出して南方に下
つて
おるという
よう
な報道があるのであります。それから最近まで鄭州、
開封方面
に約十万の
政府軍
がお
つたの
でありますが、これらの
地域
を撤退いたしまして、その十万の
兵力
が大体
蚌埠方面
に出ておるのではないかと思うのであります。
南支那
では
廣東
に
宋子文廣東省首席
が、
河南
の
綏靖総司令
に同時に任命にな
つて
おりまして、その配下は
保安軍
十五箇師、約十五万の
兵力
かと考えられるのであります。そういたしますと、これらの
兵力
をいろいろ差引いて見ますると、残る
兵力
が三十万内外になるわけなのでありまするが、もちろんこれもきわめて乱暴な計算でありますので間違
つて
おるかと思うのでありますが、大体この
兵力
が
南京
、
上海方面
の
防衞
に当
つて
おる、また当るのでないか、か
よう
に考えられるのであります。これを一口に言うならば、案外
上海
、
南京方面
の
防衞軍
は手薄であるということが言えるかと思うのであります。 次には
政府側
の
財政状況
であります。これは
政府側
の
財政
は、最近の
幣制改革
並びにその後の
幣制改革
の
状況
によ
つて
最も端的に現われておる、か
よう
に思うのであります。御
承知
の
よう
に
法幣
はほとんど
天文学的数字
のインフレを示してお
つた
わけでありますが、これに対しまして
政府
は八月の十九日、大英断をも
つて
これを一挙に三百万分の一に切下げて、新しい金円制度というのをつく
つたの
でありますが、この制度に対しまして、
政府側
は一連の
経済
財政
の戰時的な、きわめて消極的なる
財政経済
政策
をと
つて
、力でも
つて
この
政策
の強行をして來たわけであります。この
政府
の
財政
は、これも一般に廣く
新聞
に出ております
よう
に、大体七割ないし八割まで軍事費に使われているものであります。しかもその七割、八割の軍事費というものは、結局赤字でも
つて
、從來は
法幣
の増発によ
つて
これをまかなうという方針をと
つて
來たのであります。そこに
法幣
インフレの最大の原因があ
つたの
でありますが、新金円に切りかえましても、この根本の点については何ら手が打たれておらないのであります。すなわちその後
財政
部長の
報告
によりましても、新金円になりましてから二個月間に
政府
財政
の赤字が五億金円出た。こういうふうに
報告
をしているのでありますが、結局軍費というものは紙幣の発行によ
つて
まかなわれて來る。こういう方法なのでありまして、そこに幣制を改革いたしましたけれども、結局うまく行かなか
つた
という原因がひそんでお
つた
わけであります。これに対しまして先ほども申しまする
よう
に、
政府側
は非常に強硬な
政策
でこれを維持し
よう
という一連の
経済
財政
政策
を立てたわけでありまするが、これまた
新聞
をにぎわしました
よう
に、
上海
においては蒋経國が武力をも
つて
非常に強硬な
経済
取締りをや
つた
。しかしながらこの
経済
原則に反した取締りというものは結局失敗いたしまして、蒋経國も十一月の初めに謝罪文を公表して辞職をした。同時にこの
経済
政策
の失敗を理由に、オウブンコウ行政部長も辞職をした。これが大体の
状況
でありまして、この辺からも危機が傳えられている。ある人にいわせるならば、
満州
の失陷よりもむしろ
上海方面
における
経済
財政
政策
の失敗の方がより大きな影響を
政府側
に與えているのではないか、か
よう
に言う向きもあるのであります。これに対しまして一つ問題になりますのは、米國の対
華援助
であります。毎日の
新聞
が報道しております
よう
に、中國側は米國の対
華援助
をしきりに懇願しているのでありますが、この米國の対
華援助
の
現状
について簡單に御
説明
をしてみたいと思うのであります。 御
承知
の
よう
に今年の初めに、現
アメリカ
政府
は五億七千万ドルの対
華援助
法案を議会に上程したのでありまして、結局議会の削減を受けまして、四億ドルの対
華援助
法案がきま
つたの
であります。この四億ドルの対
華援助
は、二億七千五百万ドルが
経済
援助
であり、残りの一億二千五百万ドルが軍事
援助
にな
つて
おるのであります。最近までのこの
援助
の
状況
を見てみますと、きわめて大ざつぱに見まして、二億七千五百万ドルの
経済
援助
の約半分は米國内における物資の買付が済んだというのが大体最近の
状況
の
よう
であります。しかしこれらの物資は、まだ中國にはほとんど到着しておらないという実情の
よう
であります。軍事
援助
の一億二千五百万ドルについてはほとんど全額の買付が済んだ、そうしてその第一船が十一月の二十九日に
上海
に到着する、こういうふうな報道が最近
新聞
紙上に載
つたの
であります。か
よう
な
状況
の
よう
であります。すなわち
経済
援助
については約半額の物資の買付は済んだけれども、まだ中國には到着しておらない。軍事
援助
については全額の買付を終
つて
、第一船が最近
上海
に着いて、続々あとの分も到着するであろうと思うのでありまするが、か
よう
な
状況
の
よう
であります。これに対しまして中國側はさらに多額の、しかも早急の
援助
というものをいろいろ要求しておる
よう
でありまして、最近も宋美齢夫人が渡米をいたして、トルーマン大統領あるいはマーシヤル國務長官に会見をしておる
よう
に傳えられております。これに対しまして一体
アメリカ側
はどういう方針をとるのであろうか。これはいろいろの臆測が行われておるのでありまして、また共和党
方面
では從來からそうなのでありまするが、対
華援助
をさらに積極化しろというふうな意見も出ておるのでありまするが、しかしどうも從來のトルーマン大統領並びにマーシヤル國務長官の態度、方針から見ますると、この際多額の
援助
が新たに行われるかどうかということは、一般に疑問に見られておる
よう
であります。 以上をもちまして大体中國側の
状況
の
説明
を終らしていただきたいと思うのでありまするが、そこでも
つて
中國の内戰の將來というのはどういうふうにな
つて
行くだろうか、これは非常に大きな問題であり、われわれごとき者が一國の運命を占うという
よう
な大胆なことはできないのでありまするが、
ちようど
最近の
ニユーヨーク・タイムス
にコロンビヤ大学のペツフアー教授が——非常に
アメリカ
においても有名な中國通でありまするが、ペツフアー教授が
ニユーヨーク・タイムス
に中國問題について論文を寄稿いたしておるのであります。そのごく大要を披露いたしまして私の御
説明
を終らしていただきたいと思うのであります。ペツフアー教授のこの論文によりますると——これは要点だけをごく簡單に御紹介したいと思いますが、ペツフアー教授によると、中國の事情にいささかでも通じておる者にと
つて
は、
満州
が失われ、
華北
が
満州
と同じ
よう
な運命に陷るだろうということは、もう久しい前からよくわか
つて
お
つた
ことだということを言い、現在非常にはつきりしている一つの事柄は、
蒋介石政権
がよろめいておるということだ。しかしこれが將來どういうふうになるかというふうなことは、もちろんこれはだれにも予言のできないことだが、しかしあるいはこれによ
つて
この
政府
は倒れるかもしれないし、あるいはうまく行くならば、一
地方
政権として
残つて
行くというふうなことになるかもしれない。この点においてペツフアー教授は、今後
國民政府
、
中共
の
政府
が、たとえば
揚子江
を境にして南北の両政権の対立という
よう
なことは予想をいたしておらないのであります。むしろ崩壊するか、あるいは
地方
政権になるか、どちらかであろうというふうなことを申しております。この次に來るものとして、それは連立政権か、連合
政府
というのが予想せられる。しかしこの連合
政府
はもちろん
共産党
が指導権を握るのであ
つて
、ただお飾り的にいろいろの中立分子を並べ立てるであろうが、結局それは
共産党
の指導する政権である。か
つて
マーシヤル元帥が二年前中國において
國共妥協
に努力した当時ならば、純粹の
意味
の連合
政府
、連立政権というのができたであろうけれども、今日ではもはやそういう形の連立政権というのは考えられない。か
よう
に言
つて
、結局現在の
國民政府
と
中共側
の
妥協
という
よう
なことは見込みがないという
意味
を述べております。さらに
中共
の
政策
といたしまして、
共産党
は常に公言しておるがごとく、結局マルキシズムを信奉し、またマルクス主義的な社会を実現し
よう
というのが、彼らが日ごろから口に唱えておるところであ
つて
、
アメリカ
の一部で行われておる
よう
な、
共産党
は單なる農業改革者であるというふうなものとは違うということを言
つて
おるのであります。さらに
中共
が今後とるであろう
政策
について、対内
政策
と対外
政策
とにわけて、対内
政策
については、
中共側
は中國の工業技術というものは非常に遅れておる。また余剩資本というものもほとんど欠いておる。か
よう
なきわめて工業化の
程度
の低い國であるので、ただちに共産化をやるという
よう
なことはできないということを中
國共産党
はよく知
つて
おるので、おそらくはさ
よう
な純粹の共産主義的
政策
をとるに至るまでは、まだ数段の過渡期を経ることになるだろう。この過渡期においてはかなり高度の私有財産制というものや、個人企業制というものを認めて行くであろうし、また
政治
的には代議的民主
政治
という
よう
なものもつく
つて
行くであろう、か
よう
にペツフアー教授は言
つて
おるのであります。対外
政策
については、これは最近のユーゴスラビアのチトー問題と関連いたしまして、このチトーの問題というのは、中
國共産党
と関連していろいろな
意味
において興味があるという
よう
なことを
説明
いたしまして、まず中
國人
というのは、ユーゴスラビア人がスラブ族に対して感ずる
よう
な血統的な近しさというふうなものを、中
國人
はロシヤ人に対しては持
つて
おらない。のみならず中
國人
は、一般的に言
つて
本能的に白人というものに対して猜疑心を持
つて
おる、か
よう
な民族であるということ。さらに中國の
共産党
というのは、過去ほとんど三十年間にわた
つて
独自の歩み方をや
つて
來た、きわめて自主性の強い
共産党
である。こう言うのであります。それから第三点として、中國において
共産党
が成功するためには、國内の工業化ということが必要である。そうして中國における工業化を実現するためには、どうしても海外から資本財を獲得して來なければいけない。これはクレジツトによ
つて
資本財というものを手に入れなければ、中國の工業化ということはできない。か
よう
なクレジツトによ
つて
資本財を供給し得るのは、結局米國以外にない。そうするならば、結局米國の
援助
がなければ工業化はできず、工業化ができなければ
共産党
は成功しない、か
よう
なことも考えられる。さ
よう
な
意味
において中國の
共産党
はあまりにロシヤに接近をして、そうして米國側と疎遠になるというふうなことはしないかもしれない、こういういろいろなことが考えられるのであるけれども、しかしこういういろいろな事実があるにかかわらず、最近の中
國共産党
の過去二箇年の動きというものを見ておると、結局米ソ
関係
というものを如実に反映して來ておる。こういう
よう
な
意味
において、米ソの
関係
が今後対立惡化するという
よう
なときには、中
國共産党
は当然にソ連側に属することになるだろう、か
よう
なことを言
つて
おるのであります。最後に米國のとるべき方法として、ともかくも中國の
共産党
が今後かりに米國との
関係
を断つという
よう
な場合を考えてみましても、さ
よう
な場合には國内の工業化なり、あるいは行政機構の整備なり、あるいは一般の組織化という
よう
な点に多年を要するのであ
つて
、その間には米ソの今日の
よう
な対立ということもどう動くか、これは予測がつかないので、場合によれば、米ソの両方の
妥協
によ
つて
、中國問題等についても新たな解決の方法があるということも考えられるかもしれない、かりにそれが考えられない
よう
なことが起るとしても、ともかく米國としては、その際における行動の自由というものを保留しておくのが賢明な方法だ、か
よう
に言
つて
、米國が今後中國に対してとるべき道は三つある、一つは現在の
援助
を継続することだ、しかしこれはきわめて無
意味
なことで、ただいたずらに金をまきちらすだけだ。第二には強力な干渉を行
つて
、中國をテーク・オーバーするということだ。第三は全然放任して手を離すということだ。これら三つにはいろいろの危險がそれぞれ伴うのだけれども、いろいろ考慮して見るならば、結局放任をして、そうして米國側としては行動の自由をこの際保留すべきだ、か
よう
な結論を出しておるのであります。この結論は別といたしまして、このペツフアーの論文は、中國の將來のいろいろの問題について、いろいろな
意味
において示唆に富んでおる
よう
に思いますので、ちよつと御紹介を申し上げたわけであります。 以上をもちまして私の
説明
を終らしていただきたいと思います。
生越三郎
6
○
生越委員長
ただいまの
政府
の
説明
について、質疑はありませんか。
幣原喜重郎
7
○幣原
委員
ただいまの御
説明
によりまして、國民軍と
中共軍
との対峙しておる双方の情勢は、大分明らかにな
つたの
でありますが、大体におきまして
中共軍
は
各地
に進出の勢いを示しております。これと同時に、國民軍ははなはだ不利な
地位
に立
つて
おる
よう
に思えますが、一体その根本の原因はどこにあるのでありまし
よう
か。あるいは
作戰
計画
の優劣という
よう
な点にあるのか、また
政治
上あるいは
経済
上の理由があるのでありまし
よう
か。か
よう
な点をあまり詳しく論及することは、はなはだ穏やかでないという点もあるだろうと思いますから、もしおさしつかえがあるというお見込みなら、これはま
つた
く御答弁をいただかなくてもよろしうございますが、さしつかえない範囲内において、大体のわれわれの頭をつくる事実を、ひ
とつ
でき得るなら伺いたいと思うのでありますが、いかがでありまし
よう
。
田中三男
8
○
田中説明員
これは実は最初にもお断りいたしました
よう
に、われわれ
現地
の実情を実際に見ておりませんので、ほんとのことはわからないのでありまするが、しかしいろいろの
報告
なり、書きもの等を総合した結論を、あるいはこれは私見にわたると思うのでありまするが、
説明
さしていただきたいと思うのであります。中國の
共産党
のと
つて
おりまする現実の
政策
と申しまするのは、これは結局新民主主義という
言葉
で現わされておるのでありまするが、この
毛澤東
の唱えておる新民主主義というものは、彼によりますと、結局それは三民主義であるということを言
つて
おるのであります。ただ三民主義と違うところは、三民主義によれば、三民主義を実行すればもうそれで理想が実現された、か
よう
に考えるけれども、新民主主義によれば、もう一段の革命を考えておる。それは新民主主義ができ上
つた
ときには、次には社会主義革命をやるのだ、こういうふうに革命を二段に考えておる。その点だけが三民主義と違うのだ、
現状
においては三民主義というものと新民主主義というものとは同様である。こういうことを言
つて
おるのでありまして、結局中
國共産党
は孫文の唱えた三民主義を実行しておる、こういうふうに言
つて
おるのであります。この三民主義は、申し上げるまでもなく民族主義、民権主義、民生主義なんでありまするが、何と申しましても、重点は
経済
政策
である民生主義に置かれるわけなのでありますが、三民主義に説いております民生主義は、結局地権の平均と資本の節制ということを説いておるわけです。このうちで結局地権の平均という、土地問題というものに対して、中
國共産党
が一應具体的に
政策
を実施しておるという点が、結局非常に大きな
共産党
の魅力にな
つて
おるのではないか、か
よう
に考えられるのであります。
毛澤東
の言
つて
おるところによりますると、結局中國の四億数千万の國民のうち八割が農民である。その八割の農民のうちで、地主といわれるのは八%しかない。九二%は小作人あるいは日雇い農夫もしくわ一部分しか耕す土地を持
つて
おらない
よう
な貧しい農民である。この農民の九割二分を占めておりまする貧しい農民、これらの要望、すなわち自分の耕す土地を自分のものにしたい、この要望にこたえてやる。これが結局中
國共産党
の土地
政策
にほかならないのでありまして、
毛澤東
はこの貧農の要望にこたえてやるということと、それから同時に中農——大体自分で自作のできる
よう
な中農を味方に引入れる、このことによ
つて
必ず中
國共産党
は成功する。この二つの点をがつちりと実行するならば、成功するということを、昨年の暮れの
毛澤東
の年末
報告
の中にも強く
説明
をいたしておるのでありまするが、どうもこの点に重点が置かれ、そこに
共産党
が一般の民衆から支持を受けておる大きな力が生れておるものではないか、か
よう
に考えられるのであります。この点につきましては、実は今年の二月にマーシヤル國務長官は、
アメリカ
の議会に対
華援助
法案を上程いたしました際、議員との質疑應答の中でか
よう
なことを言
つて
おるのであります。それは、自分は中國に一年余りおる間に、蒋介石
政府
に対して土地改革の必要をたびたび繰返してアドバイスをした。というのは、自分は別段中國の内政に干渉するというふうな
意味
でなか
つたの
だが、自分はもともと軍人であるから、
作戰
的な見地から土地改革の必要をむしろ忠告したのだ。それは一般の中國の大多数を占めておる農民というものは、今の
政府
は何も自分たちのことをかま
つて
くれない、自分たちの利益をちつとも考えてくれない、こういう
よう
な氣持がみなぎ
つて
おる。それに対して
中共側
はどんどんと土地
政策
というものを実行して、自分たちの利益を考えてくれる。こういう
よう
な氣持を非常に持
つて
おる。か
よう
にして
中共側
は、さ
よう
な農民の上にゲリラ戰というものを展開しておるのであるから、なかなか
政府側
はこのゲリラ戰に対抗することはできない。そこでも
つて
どうしても
政府側
でも土地改革というものを実行しなければいかぬ。でなければ
作戰
的見地からも不利だ、こういう
意味
で
政府側
にしばしば助言をしたのであるけれども、どうも自分の助言は顧みられなか
つた
。か
よう
な
意味
のことをマーシヤル國務長官は
アメリカ
の議会で話をしておるのであります。この点から見ましても、どうも三民主義でうた
つて
おる地権の平均という
政策
を中
國共産党
はともかく実行しておる。
政府側
の方は、いろいろな事情もあるのでありまし
よう
が、これをまだ十分実行しておらない。か
よう
な点に
政府側
の方は人心が次第に離れて行き、むしろ
中共側
の方が一般の支持を得るという
よう
な大きな原因があるのではないか、か
よう
に考えておるのであります。 さらにこれは
農村
政策
でありまするが、一般の商工業者に対する
政策
にいたしましても、中國の
共産党
は、決してそのすべての生産設備等を國有にするという
よう
なことは言
つて
おらないのでありまして、今申しました
よう
に、昨年の暮れの
毛澤東
の年末
報告
の中でも、中國の
共産党
がかりに中國を支配した場合、將來のことを考えても、かなり長期にわた
つて
私有財産制というものは認めるということを言
つて
おりまするし、また中國の一般の商工業者というものは、民族産業を保護、発展せしむるという見地から、あくまでも保護しなければいけない、か
よう
に言
つて
おるわけで、農民といわず、一般の商工業者といわず、これを敵にまわすというふうな乱暴な
政策
はほとんど実行しておらない、か
よう
に考えるのでありまして、この点に一般の中
國人
が
中共
を恐れておらないという
よう
なところが考えられるのではないか、か
よう
に思うのであります。
幣原喜重郎
9
○幣原
委員
ただいまの御
説明
を聞くというと、中國
政府側
の方の形態の不利なのは、主として
政治
のやり方がよくない、三民主義の地権の平均とかいう
よう
な点を実行しておらぬという
よう
なことがおもなる原因であるならば、これは武器を貸すとか、
兵力
をどうとかするとかいう
よう
な問題でなくて、理論上から言えば、
政治
の改良さえやればよいという結論になるわけですが、しかしそういうことを今日の中國
政府
でできるかできないか、それは私ま
つた
くわかりませんが、もう一つ、これはささいな点ですが、けさ
新聞
を読んでおりますと、
毛澤東
とそれから李立三ですか、それから
林彪
ですか、この三人は対立して、互いにけんかをしておるということが書いてありますが、事実そういうことがあるのですか。
田中三男
10
○
田中説明員
どうも詳しいことはわれわれのわからないのでありまするが、李立三というのは、実は一時
毛澤東
が
勢力
を得る前に、
共産党
を牛耳
つたの
であります。これは有名な李立三コースといいまして、かなり彼は乱暴な共産主義
政策
を実行した。結局それが失敗いたしまして、
國民政府
の方からすつかりたたかれまして、その結果そのあとへ
毛澤東
が、今申し上げました
よう
なきわめて幅のある
政策
をとり、そして農民に重点を置いた
政策
をと
つた
。これが中
國共産党
を牛耳
つて
今日に至
つて
おる。こういう
よう
な
意味
で、李立三と
毛澤東
とは行き方を異にして、ことに李立三は一度失敗した。さ
よう
な
意味
で
両者
が対立しておるという
よう
なことは考えられる。その後李立三はソ連の方に亡命してお
つた
、こういう
よう
なことを言
つて
おるのでありますが、
終戰後
また
満州
に現われて、今日
満州
の、先ほど申しました
東北行政委員会
の顧問をしておる。そこで
満州
の行き方というのは、結局
毛澤東
の行き方と違うのでないかというふうな、いろいろな臆説も行われておるわけなのでありまして、実際どういうふうな反目なり、けんかなりをしておるかということは、わからないのであります。
生越三郎
11
○
生越委員長
ほかに……。
中村嘉壽
12
○中村(嘉)
委員
私はこの間、
満州
に長い間お
つて
帰
つて
來た人から、こういうことを聞かせられたのです。大体概念的に、
共産党
はどこの國においてでも破壊を企てておる、こういうふうにも思われておる。ところが
満州
における共産主義は、それと違
つた
行き方をしてお
つた
、建設的の行き方をしてお
つた
、こういう
よう
なことを言
つて
おります。今のお話によ
つて
もそういうことがうかがわれるのですが、一体今度の中
國共産党
は、何か理論から違
つた
ところがあるかどうか、これを一点お伺いしたい。もう一つは、この話をしましたところが、ほかの中國から帰
つて
來た人の説によると、今は國民に迎合する
意味
で、建設的なことを考えておるけれども、これが一ぺんすつかり済んだ後は、さらに第二の革命を起して、從來の破壊的の行き方をば行うのだ、こういうふうのことを言
つて
おりましたが、その点についてどんなものでありますか。
田中三男
13
○
田中説明員
建設的であるか、破壊的であるかというのですが、ともかく
戰爭
についてはずいぶん破壊もした。これは
作戰
的な一つの行き方だろうと思うのでありますが、鉄道だとか、交通路線を破壊したり、いろいろ破壊工作もや
つて
おるわけでありますが、具体的に中
國共産党
の唱えております
政策
は、先ほどもちよつと申しました
よう
に、新民主主義というものを唱えまして、結局現在においては三民主義を実行する、これができ上れば共産革命をやるのだ。二つの段階で革命を
終り
、自分たちの理想としておるマルクス主義的な社会の実現をはかる、か
よう
に明言をしておるのであります。そこで現在においては民主主義的な國内の革命、改造をとりあえずやるが、それができ上れば、次の段階として社会主義的革命に移る、こう言
つて
おります。さてしからば、その民主主義的革命というのにどのくらいな時間がかかるかという問題が一つあるだろうと思うのでありますが、これは先ほどちよつと御紹介いたしましたペツフアーの論文の中にも、それを非常に示唆しておる点があるのではないかと思うのでありますが、われわれは彼らが結局ソ連と同じ
よう
な共産主義社会をつくろうという理想を持
つて
おるということはわかるのでありますが、そこに至る段階として、ペツフアーも言
つて
おります
よう
に、いろいろな数次の段階を経なければいけない。この数次の過渡的段階は一体何年くらいかかるのだろうか。これは國際情勢にも影響されるのでし
よう
が、結局
毛澤東
の生きている間には、そこへ行かぬのじやないかということを言う者もあるわけなんであります。またペツフアーの言
つて
おります
よう
に、それに至るのにはどうしても中國の工業化ということが必要である。工業化を実現するためには、結局海外からいろいろな技術なり資本なりを取入れなければいけない。
現状
においてソ連がさ
よう
な余力がないというならば、結局米國その他から技術なり資本なりを輸入する必要が出て來るという
よう
なことも考えられるのでありまして、どうも当分の間は現在の
よう
なきわめて幅の廣い
政策
をや
つて
行く。またや
つて
行かざるを得ないのではないか。これを急激な共産主義
政策
を実行し
よう
としてもできない。し
よう
とすれば失敗をせざるを得ないということになるし、それはまた先ほど申しました
よう
に、さ
よう
な乱暴な
政策
は、一時李立三なんかが牛耳
つて
おる時代には実行をしかけたのでありますが、失敗をした。そこで今
毛澤東
の言
つて
おる
よう
な、非常に幅の廣い、社会主義であるか何であるかわからぬ
よう
な、まあ民主主義革命と言
つて
おるのですが、そういう幅の廣い
政策
をと
つた
。そういう経過を見ましても、今後ともかなり幅の廣い
政策
をと
つて
行くのではないか、またとらざるを得ないのではないか、か
よう
に考えるのです。
中村嘉壽
14
○中村(嘉)
委員
今私が考えますのですが、中國で今の
よう
な幅の廣い
政策
をと
つて
、中國全体がその
意味
の共産化して行くというのならば、どこの國においても
共産党
ははなはだしい抵抗があるのですが、この抵抗の一番少いのが中國の共産運動だとすると、これにほかのところがなら
つて
行こうという
よう
な考えを起すところはないかどうか。
田中三男
15
○
田中説明員
今の御質問に対して、実際私どうなるか見当がつかないのでありますが、ただ興味がありますのは、東ヨーロツパにおきまして、ヴアルガというロシヤ人で、有名な
世界
経済
の
研究
家がありまするが、新しい型の民主主義という論文を出しておるのであります。この論文の趣旨といいまするか、考え方というのに、やはり中國の
毛澤東
の歩んでおる
よう
な線というか、そういう何か少しかわ
つた
行き方という
よう
なものが感じられるのですけれども、しかしどうでありまし
よう
か、中國の
共産党
の
よう
な行き方を各國がならうのか、ちよつと私にはわかりません。
中村嘉壽
16
○中村(嘉)
委員
いや、けつこうでございます。
若松虎雄
17
○若松
委員
私はちよつと米國の対
華援助
のことでお伺いしたいのですが、
アメリカ側
の方は
新聞
等で私ども大体
承知
しておるのであるが、中國側の方の
ニユース
が比較的私どもにはうといのです。御
承知
の通り、ポーレー大使時代は
南京
政府
一本で行こうという
よう
なことが、逐にマーシヤルが出て來て、今度は
國共
の調停をし
よう
。その後ウエデマイヤーの視察の
報告
も私どもはつきり
承知
してないのですが、一体
アメリカ
の方も、大分対
華援助
について変轉がある
よう
ですが、中國側の方でこれをどう見ておるか。実は
國共
の爭いとい
つて
みたところが、これを解決するためには、表面に現われておるところでは、対
華援助
が大きな役割を演ずるわけですが、実際のところ
アメリカ側
の方では、いろいろ大統領の選挙につきましても、相当に大担率直に現わしておる
よう
ですが、一体中國側の方ではどのくらいに期待しておるか。先ほどお話のあ
つた
某教授の意見では、どうやら
南京
政府
の行き先もはなはだ影が薄いという
よう
なことを
承知
しております。大体米國の
援助
に対して、中國側のもつと変轉につれていろいろな考えもありまし
よう
が、最近はもとよりそれは期待はかけておりまし
よう
が、ほんとうにこれが唯一の解決策として非常に期待しておるか、あるいは少しやけ氣味にな
つて
おるのではないかという
よう
なことが考えられるのですが、いろいろ
ニユース
が手に入
つて
おるだろうと思いますし、私ども
情報
を得る機会がないので、その方の
情報
を一つ……。
田中三男
18
○
田中説明員
どうもわれわれの方も十分なる
資料
、
ニユース
はないのでありまするが、どうも中國側の方は、二月前でありまするが、
財政
部長は、さらに五億ドルの
援助
を得るならば、非常に内戰の
状況
も
政府側
に有利に展開して來るであろうという
よう
な
意味
のことを言
つて
おるのです。どうもわれわれが、これはきわめて乱暴でありまするが、机の上でそろばんを置いてみますると、今まで
政府
の軍事費というものは、年に米國ドルに換算して十億ドルぐらいはい
つて
おるのではないか、か
よう
に考えられるのです。もちろん中國の
財政
は最近は新金円でまかな
つて
おるわけで、これが時々刻々米ドルとの相場がかわ
つて
おりまするので、詳しい換算はできないのでありますけれども、どうも年十億ドルくらいの軍事費を使
つて
おる。それが必要なのでないか、か
よう
に思うのです。
財政
部長は五億ドルあればいいということを言
つて
おるのでありますが、しかし同時に、先ほどもちよつと申しましたが、新金円になりましてから、最初の二箇月間に五億金円の赤字を出しておる。その五億金円は米ドル建で四対一でありますので、結局二箇月間に五億金円、一年間に三十億金円、すなわちそれは四対一で七億五千万ドルになるわけなんです。どうも軍事費だけをと
つて
見ましても、年に十億ドルくらいを必要とするのではないか、その
程度
のものを少くとも中國側は米國に期待しておるのではないか、またそういう額の要求もいたしておるのではないか、か
よう
に考えられるのです。また中國側では大統領選挙に共和党の勝つことを非常に期待してお
つた
、そういうふうに考えられる。これは共和党が非常に対
華援助
の積極化を叫んでおり、デユーイも選挙のプログラムの中にそれをうた
つて
おる。こういうぐあいで、期待してお
つた
ということはむりからぬことでありますけれども、ところが一般の予想に反してトルーマンが再選した。こういう点から見まして、
アメリカ側
は中國の要求するだけのものを出すというふうな空氣にない。また出すにしてもなかなか時期的な問題があ
つて
、中國の急場の間に合わないという
よう
な点も考えられるのではないか、か
よう
に思うのであります。またウエデマイヤーの
報告
というのは、実際全然公表されておりません。米國でも公表されておらぬ
よう
であります。最近ワシントンから來ました
ニユース
によりますと、こういうことだけがわか
つて
おる。ウエデマイヤーの
報告
については要するにダラーをも
つて
しては中國の問題は解決しない、そういう結論だということだけしかわか
つて
おらぬという
よう
なことを言
つて
おるのでありますが、どうもわれわれも全然わからないのであります。要領を得ませんですが……。
若松虎雄
19
○若松
委員
今
満州
、
華北
、
華中
、華南、ことに
山東方面
から諸外
國人
の
引揚げ
の問題が起
つて
おる
よう
ですが、今一体落ちついていますか。商賣なんかどの
程度
や
つて
おりますか。大体でよいのですが、地理的に北から南へ、情勢を簡單に御
説明
願いたい。
日本
人の状態もあわせてお願いします。
田中三男
20
○
田中説明員
どうもその点につきまして、特に
調査
をしておりませんので、正確にお答えできないのでありますが、
満州
にはほとんどもういないのではないか。もちろん商賣もできる
よう
な
状況
にないと思います。
華北
では、
北京
、
天津
、青島
方面
にまだ、
引揚げ
るという命令に対して、自己の危險で残るということを言
つて
、残留を希望しておる者もあるということを言われておる。
日本
人はごく少数が
残つて
おるのでありまするが、これは大体続々と
引揚げ
て來ておる
よう
です。
上海
、
南京
の方も、
アメリカ側
は非常に
引揚げ
を急いでおる。英國側はそれほどまでに急いでおらぬ
よう
なけはいも見える。これらの
地域
においても、
アメリカ
人の中にも、全部じやありませんけれども、別に
中共
が入
つて
來るということを必ずしも危險に思
つて
いない。從
つて
自分の責任で残ろうという者も少数あるのではないか、か
よう
に思うのです。ただ
日本
人であそこに徴用にな
つて
おる者は、
幣制改革
で賃金、物價というものがくぎづけにな
つた
というにもかかわらず、物價はどんどん上
つて
來るというために、生活が一時惡くな
つて
、苦しくな
つて
來た。こういう
よう
な
意味
で非常に
引揚げ
を希望しておる、また
引揚げ
て來ておる、こういう
よう
な
状況
の
よう
に存じます。華南の方の
状況
はどうもはつきりわかりません。
若松虎雄
21
○若松
委員
上海
はどうです。
田中三男
22
○
田中説明員
上海
は
幣制改革
後、
政府
が非常に極端な統制
政策
をや
つた
ために、商賣はほとんどとま
つて
しま
つた
。外
國人
もすつかり音をあげてしま
つた
。その後蒋経國もかわりますし、
政府
も統制を撤廃したのでありますが、そのときには
政治
的不安がかなり緊迫して來てお
つた
。こういう
状況
で、商賣はほとんど、ことに外
國人
の貿易だとか、その他の商賣は非常に不振にな
つて
おるのではないか、か
よう
に考えるのです。
馬場秀夫
23
○馬場(秀)
委員
百五十万からの
中共
陸軍の維持費を含めまして、
中共
の
経済
的基礎は大ざつぱにどういうところに置かれておるのですか。
田中三男
24
○
田中説明員
この点われわれもま
つた
く
現地
の実情を知らないので、申し上げることは受賣りの
程度
になるのでありますが、
中共側
の方は、徹底的な自給自足の
態勢
を当初からと
つて
おるらしいのであります。たとえば武器の点にいたしましても、
中共
の
毛澤東
なんかが言
つて
おりますのは、われわれの武器の補給は第一線でやるんだ、第一線が兵器廠なんだという
よう
な
意味
のことを言
つて
、部下の將兵を督励をしておる。すなわち武器も第一線で敵の持
つて
おる兵器を手に入れる。そうしても
つて
自分の補給をはかる、こういうふうなことをや
つて
おる。また
中共側
自体がきわめて質素な、金のかからない生活をや
つて
おる。その点においても
政府側
よりもうんと経費は少いだろう。武器をさ
よう
にして、ほとんど第一線で手に入れる。
中共
の今日の兵器の一番大きな補給源は、結局
満州
にあ
つた
日本軍
の——これはソ連軍に
接收
されたのでありまするが、その武器であ
つた
ろうと思うのであります。そういう
よう
な方法で武器を補給する。それから
中共側
は、自耕自織と言
つて
おるのでありまするが、自分で耕し自分で織る。こういうふうな方針で、非常に徹底した自給自足の体制をと
つて
おる。もちろん
中共側
においても、かなりのインフレの
状況
はあるのでありまするが、しかし
政府側
の
支配地域
に比べればインフレの
程度
も少い。こういうわけで、
財政
のからくりといいますか、やり方というものは、実際のところどうもわれわれよくわからないのでありますが、そういう体制でや
つて
おりますので、同じ百五十万の
兵力
にしても、
政府側
の
兵力
の何分の一かの経費で済むというふうな実情ではないか、か
よう
に考えられるのであります。
馬場秀夫
25
○馬場(秀)
委員
もう一つですが、平和のときの民心把握の方法はよくわかるのですが、今の
よう
な抗戰状態に入
つた
ときに、
中共側
の費用は五分の一とか三分の一とかい
つて
も、その費用の捻出方法ですね。國民軍の
よう
に租税によるとか、あるいわ
援助
によるとか、いろいろあると思うのですが、蓄積してお
つた
ものを一氣に出すものか、あるいは
現地
に行
つて
取上げるとか、第一線の武器を當てにするとかい
つて
も、今の
よう
な抗戰中のときには一定の時期を区切
つて
準備
して入るのか。今盛んに一應休戰状態に入るのではないかという見方がありますね。
田中三男
26
○
田中説明員
たびたび申し上げる
よう
に、実情はよく知らないのですが、もちろん現物その他でも
つて
一般から租税ないしはこれに類似のものをと
つて
おるだろうということは想像せられるのであります。ただ
政府側
の
よう
に、海外からさ
よう
な物資等の供給は受けておらぬということが言えるのでないか。実はこれのわれわれは全然
現地
の事情を知らないのでありますが、今年の二月に米國の議会で対
華援助
法案を出しました際にも、ギリシヤにおける叛乱軍と中國における
共産党
軍の大きな違いは、ギリシヤの叛乱軍は國外から武器その他の
援助
を受けておる。しかし中國においてはさ
よう
な証拠は見当らないということを、マーシヤル國務長官が答弁しておるのであります。その点から見まして、
中共側
が國外から武器並びにその他のまとま
つた
物資の補給を受けておる証拠はない、か
よう
に考えられるのであります。もちろん今申します
よう
に、
満州
方面
に
日本軍
が蓄積してお
つた
武器その他の物資等が
中共側
の手に入
つて
おるだろうということは考えられるのでありますが、しかし
華北
並びに
華中
地区
では、
日本軍
は蒋介石の命令を忠実に守
つて
、全部
政府側
に
接收
されておる実情でありますので、
華北
や
華中
においては、さ
よう
に
日本
側の持
つて
お
つた
物資を
中共
がまとま
つて
手に入れたということはないだろうと思います。一般にはやはり現物その他によ
つて
ある
程度
の租税ないし租税的なものを徴收しておるということは考えられるのであります。それからさらに
各地
を今
占領
しておりますが、
占領
した際に
中共側
は一般人の私有物はほとんど手をつけておりませんが、
政府側
の
軍隊
、すなわち
正規軍
は持
つて
おります物資その他は全部自分のものにしておる、こういうことは事実の
よう
であります。それ以外のことはどうも私どもには詳しいことは実はわからないのであります。
野坂參三
27
○野坂
委員
簡單に一つ。き
よう
の問題は、今後の
日本
の問題として非常に重要だと思うのです。それで
政府委員
のき
よう
の
報告
は、大体片寄らないで割合に正確に近い
よう
な材料で
報告
されて、よか
つた
と思うのですけれども、問題はもう少し深く掘り下げて実体を
研究
してもら
つて
、たとえば幣原さんが出された、ああいう質問がやはり答えられていないと思うのです。私たち一番知りたいのは、やはり現在の動きと、それから今後中國がどうなるかという見通しを立てる材料がほしいと思うのです。それがためにはやはり現在だけじやない、將來の見通しを立てる
よう
な材料もひ
とつ
ぜひほしいと思う。たとえば幣原さんのあの質問に正確に細かく答えてもらうことが、將來の見通しを立てる道だと思うのです。こういう点で私
事務
的なことについて少しお聞きしたいのです。今の
日本
の状態では、対日
理事
会に参加されている四つの國から直接にいろいろな材料をとることはむずかしいでし
よう
けれども、私はもう少し何とかならぬかと思う。たとえば國民党側のいろいろな材料にしても、
新聞
、雜誌とか外國の通信でき
よう
報告
されているので、あれだけでなしに、もう少し直接の生の材料、ああしたものを中國代表部からでも得られないものか。またわれわれの目につくところでも、たとえば香港に発行されているもの、
上海
に発行されている
新聞
、雜誌の目に触れるものなど、
政府側
でもう少し努力されれば生の材料が得られると思う。こういうものをむしろ
報告
してもらえば、われわれは非常に有益だと思う。こういう点については
政府側
でもう少し努力していただくこと、これは私個人の要望でございますけれども、おそらく全
委員
の要望ではないかと思います。中國問題は今後の
世界
の動きのかぎだと思います。いろいろ國際的にも、特に
日本
に対して決定的な影響を與えるだろうし、三十年前のロシア革命に次ぐ
よう
な大きな影響を與えるのじやないかと思う。この
意味
で私たちはやはりこの問題についてときどき
報告
していただく。 それから今日の質問を見ましても、たとえば中國の問題といえば、今後
共産党
の問題にな
つて
來ると思うのです。そうすると
共産党
に対する先入観——たとえば
共産党
は破壞するものだという先入観で見ていただくとほんとうのものは見られない。中國の將來をこれでもし見れば、とんでもない結論が出る。そういう問題についても、やはり
政府
の方からもう少し正しい知識を與えてもらう
よう
な努力がやはり必要じやないかと思います。 それからこの前の
委員会
のときに私一つの提案を出しておきましたけれども、この
委員会
はほかの
委員会
と違う性格を持
つて
おりますので、もう少し見通しを立てて、箇々の
調査
とか、論議を進めることが必要ではないか。この間も衆議院で
講和会議
の促進の決議があ
つた
と思います。できれば來年でもこういう状態が生まれることをわれわれは望んでおるけれども、そうすればわれわれの方でも、この受入れ
態勢
を整えて行かなければならぬ。これを外務
委員会
でやるか、あるいは特別
委員会
をつく
つて
やるか、これは別箇の問題ですけれども、やるとしたらわれわれとしては遠慮せずに、こういう問題についても内部的の討論をしたり、あるいは材料を集めたり、多少の
準備
は必要じやないかと思う。こういう点も私は本
委員会
として考えていただきたいと思います。
生越三郎
28
○
生越委員長
今の野坂君の御発言に対して
委員長
としてお答えいたします。
政府
に対しましては、より以上詳細な
状況
がわかる
よう
にしていただく
よう
に要望しております。 それから特別の
委員会
を設けるということにつきましても、実は考えておるのでありまして、この点は
理事
と相談いたしまして、至急に方法をとる
よう
にいたしたいと思います。
和田敏明
29
○和田
委員
野坂さんの発言と多少
関係
があるのですが、今日みたいなときには、こうい
つた
外務省
側で調べられたことについて、
政府
は
政策
的にどういうふうに考えておるかということを——公開のところはむりだ
つた
ら、場合によ
つて
は祕密会でもよい、なるべく公開が望ましいのだが、表明してほしい。とにかく
政府委員
が一人もいないし、大臣も來ておらぬ、政務次官も來ておらぬという外務
委員会
はま
つた
く
意味
がないと思う。ですから私はさつき妙な発言もしたのですが、政務次官などはやはり出席して、この
委員会
の論議を聞いていなければだめだ、それだけの熱意がなければだめです。今もちよつと聞いたら、急用ができたからというが、この
委員会
に來るのが
外務政務次官
の役目だと思います。そこで必ず大臣か政務次官は出席すること、これを
委員長
から強く要望していただきたい。 それから本日吉田外務大臣の出席をさつき口頭で申し込んで要求したのですが、予算
委員会
に行かれたとか——予算
委員会
のことはよくわかりますが、この次の定例日、月曜日には必ず出席される
よう
に、
委員長
からあらゆる努力を拂
つて
もらいたい。この点を特にお願いしておきます。
生越三郎
30
○
生越委員長
和田
委員
にお答えいたします。
政府委員
の出席に対しましては、極力出ていただく
よう
にいたします。本日は大体中國の問題を聞きまして、
委員
の御質問などの樣子を伺
つて
漸次進めて行きたいという考えから、今日は大体の
説明
程度
で終る予定でいたものでありますから、
政府委員
の出席を強く要求いたさなか
つた
次第であります。今後は
政府委員
の御出席を願いまして、そして質疑應答していただく
よう
にいたします。 それから外務大臣の出席に関しましては、先ほどお答え申し上げました
よう
に、連絡をとりましたが、予算
委員会
の
説明
の都合上、御出席が得られないために、後日出ていただく
よう
に連絡いたしました。その点で御了承願いたいと思います。
野坂參三
31
○野坂
委員
私は和田さんの意見に賛成ですが、中國の問題にしても、ああだこうだという
報告
だけにとどまらず、
政府
としてはこの問題についてはこういう見通しをも
つて
いるとか、そういう意見を私はやはり聞きたいと思うのです。中國だけでなく、國際的にいろいろな問題があると思います。
講和会議
の問題もあるのでありますが、こういう問題について
政府
はどういう考えをも
つて
おるか。これを今後聞きたいと思
つて
おります。
生越三郎
32
○
生越委員長
野坂
委員
のお考えのあるところは
政府
に十分傳えまして、この
委員会
の運営を円滑にする
よう
にいたしたいと思います。 ほかにございませんか——なければ六日月曜午前十時より本
委員会
を開くことにして、本日はこれにて散会いたします。 午後零時三十二分散会