○北條秀一君 私は
國会の
運営について
意見を述べたいのであります。四つの点に要約して述べます。第一は
國会の本質についての自覚、第二は立法と決議、第三は
國会の採決について、第四点は
自由討議の重要性について、この四つの問題について
考えたいのであります。
第一の
國会の本質についての自覚、この点につきまして、私共は今日最も強く
國会議員そのものが反省をしなければならんと
考えます。
國会が開かれてからすでに一年半の時日が経
つております。その一年半の経過を顧みまして、果して
國会というものが正しく運用されて來たのかどうかということを
考えますと、私は非常に遺憾の意を表せざるを得ないのであります。
敗戰後
日本は民主化される線をまつしぐらに進んで來たのでありますが、
日本全体が民主化されるためには、何よりも
國会そのものが最も正しく、而も強く民主化されなければならないのであります。にも拘わりませず、今日まで一年半の経過を辿
つて参りましたところの
國会が、果してその民主化の線に沿うてお
つたかどうか、この点について
我我は特に強く反省を繰返さなければならないのであります。
國会は言うまでもなく國の
最高機関であります。そうして又それは立法機関であります。にも拘わりませず、その
最高機関であるところの
國会というものに対して、
議員はもとより、
國民全体がどういうふうに認識しておるでありましようか。この点につきまして私は
一つの例を取りますが、去る六月、或る
委員会におきまして、最も急進的な
議員の一人が、
政府は我々の上にあるということを言
つたのであります。即ち
政府は
國会の上にあるのだということを
発言されたのであります。私はその
発言に対して直ちに注意を加えたのであります。その時にその
議員は、それは失言であ
つたということを言われました。併しこの極めて急進的なる
議員は、常に人は
言葉の端々にその本質を暴露するということを言われていた方であります。正にその通りでありまして、この、失言は決して失言でなしに、かの急進的な
議員の意識を
はつきりと実証するものであります。即ちこの急進的なる
議員においても
國会の上に
政府があるという
考え方を持
つていることは、正にこれこそ
日本の民主化に対して非常に反対な側にあるのだということを私は断言せざるを得ないのであります。どうしてもそこで我々
議員は一年半の経験を顧みまして、十分にここで
國会とは何であるかという点を反省を繰返しまして、その反省の上に今後の
國会の
運営を、正しい
國会の本質、正しい
國会の
地位にまで高めるように努力しなければならないことは言うまでもないところであります。
第二に立法と決議について私は論じて見たいと
考えます。それは言うまでもなく
國会は立法府であります。然るに第二回
國会の例を取
つて見ますと、第二回
國会におきまして、
政府提出の議案は百九十、
議員提出の議案が二十一、その外に決議が八つありました。この数字は今日の
國会の実力を明らかに物語
つていると私は指摘したいのであります。元來ならば、立法すべき
國会は沢山の議案を準備いたしまして、それをここに持出しまして
法案を決定する。從
つて政府の提出百九十と
國会の提出二十一が逆にな
つて、
政府が二十一出して
國会が百九十出すというところまで
國会は成長して行かなければ、
國民の負託に應えることができないのである。にも拘りませず
委員会等等で我々の見聞するところでは、何故
政府は
法案を出さないのか、何故議案を出さないのかということが
議員諸君の口から出て來るのであります。ということは、言い換えますと、
政府にのみ議案の、或いは
法案の提出を追
つて、自分は議案を提出しない。ここに私は問題があると思うのであります。議案を提出しないのか、或いは議案を提出するところの力が未だ十分でないのか。その点については、私は今日の
國会は遺憾ながら自分の手で議案を準備し、
法案を作り上げるだけの十分な能力を持つに
至つていない。ここに今日の
國会の非常な弱点があるのであります。どうしても我々は
國会が正しくその使命を果たすために
議員諸君を中心といたしまして、各政党の急速なるところの発展を促進しなければならないと
考えるのであります。そこで立法と決議の問題について、私は
一つの問題にしたのでありまするが、第二回
國会におきまして我々は八つの
決議案を採択いたしました。この決議については私は特に主張をしたいのでありまするが、決議は國家
最高機関であるところの
國会の
意思の決定であります。
從つて最高の機関において決定された
意思は直ちにこれは立法に移されるということでこの決議は生きて行くのであります。そこで先程申しましたように、今日の
國会が実際に必要なる議案と
法案とを準備することができなければ、少くとも決議によりまして、國が何如なる
方向に行くべきであるか、即ち國家の
政治の計画を決議によ
つて私はやるべきである。少くともそこまで
國会は成長して貰いたいということを
考えるのであります。
從つてこの
國会の決議は國の
政治の計画の根本を決定するものでなければならんと
考えるのであります。然るに今日までの決議或いは第三回
國会におきますところの決議は、私は必ずしもそうした決議の
方向にない決議があるということを
考えるのであります。或いは
政府が
施政方針を早く
発表しろとか、或いはこれをやれとか、或いはやれんとかいうふうな極めて抽象的な決議を
國会がや
つておるということは、誠に私は
國会の権威を損ずる以外の何ものでもないのではないかというふうに
考えざるを得ないのであります。どうしてもこの現状におきまして、
國会の
意思の決定は飽くまでも決議によるか、乃至は議案の採決によるのであります。ところが議案に関しましては先程申しましたような状態でありまして、
國会が独自の見解に基いてこの
敗戰日本を民主化の線に、或いは文化國家の線に持
つて行くというために、どうしても
國会自体の
意思を決定するということが絶対に必要でありまして、從
つて國会としては議案の提出にまだ十分な力が出し得なければ、少くとも國の
政治の大綱を決定する
方向において重要なるところの決議を私はやるべきであると
考えるのであります。多少言い過ぎになるかも知れませんが、今日までの八つ、或いは本
國会におきまするところの決議の中の或るものは、それは或いは
政府に対するところの
緊急質問であり、或いは
委員会においての
質問であり、
政府の鞭撻、そういう程度で十分な決議が
國会の本
会議において論ぜられるということに、私は非常に遺憾の意を表せざるを得ないのであります。
第三点は
國会の採決であります。第一回国会の冒頭におきまして総理大臣の指名をする際に、私は特に本
会議におきまして
発言をいたしまして、國の運命の重要なる部分を委託するところの総理大臣の選挙に当
つては、苟くも民主議会の
議員諸君は白票を投ずるがごときことがあ
つてはならないということを、私はこの議場において
発言いたしまして、満場の
議員諸君の御賛同を得たのであります。然るにも拘わらず、それから後一年半のこの第三回
國会におきまして、
吉田内閣の
成立に当りまして、
衆議院におきましては二百余票の白票が投ぜられ、参議院におきましては五票の白票が投ぜられたのであります。かくのごときことは
民主國家において執るべからざるところの、あるべからざるところの結果であると言わざるを得ません。高くも
國民の代表として
國会に臨むような
議員であるならば、而もそれが最も重大なるところの國の運命を付託すべき総理大臣の指名に当
つて白票を投ずるがごときは、断じてあり得べからざるところであります。この点について特に
國会自体の白票投票の結果を我々は
考えまして、参議院はもとより
衆議院におきましても十分な反省を加えなければならないというふうに
考えます。
第四点は
自由討議であります。本日のこの
自由討議であります。三週間に一遍ずつ行われますところの
自由討議、この
自由討議の重要性を我々は培
つて行かなければならないと
考えます。然るに一年半の経験の結果、
自由討議というものは凡そその債値を認められていないという現状は、今日のこ
会議におきますところの
議員各位の出席の率を見ても分るわけであります。而も本日の
自由討議は、まるで各党が区々に、それぞれ思いの見解をここに述べるというふうな
自由討議は、私はむしろ止めた方がいい。第一回
國会におきまして、片山
内閣が初めて
成立しました当時、
議員諸君は非常な
政治に熱意を持
つておりました。又当時の片山
内閣は、口を開けばガラス張りの箱の中において
政治をやるということを言いました。我々も亦これに相和したのであります。然るに一年そこそこや
つている中に、段々と言い疲れたのか知れませんが、ガラス張りの箱の中で
政治をやるということは、
新聞を見ましても、或いは世間の人の
言葉を聞きましても、段々とそういうふうな言い方がなくな
つてしまいました。何故ガラス張りの中で
政治をするということが、そういうふうに輿論の中から姿を消して行
つたかということを、
一つ反省する必要があると思うのであります。この
自由討議の重要性について私は今申しましたが、
自由討議の重要性は、正にこの
自由討議において、各党が今後國をどういうふうに持
つて行くべきであるか、その根本についてここで自由に討議し、即ちガラス張りの箱の中において討議する、各党の主張をここで明らかにするというところに、
自由討議の私は妙味があり、その重要性があるということを
考えるのであります。(
拍手)にも拘わらず、この
自由討議が、まるで中学校の弁論会のように、各人が勝手にここに出て來て、十分なり、十五分なり喋るというふうなことでは、この
自由討議は、あ
つて害あるとは申しませんけれども、價値はない、無意味だというふうに言わざるを得ないのであります。須らく現状のような状態ならば、
國会法を変えまして
自由討議は止めろ。私は
自由討議というものが非常に重要である、特にこの
自由討議が
國民にと
つて非常に関心の的になるように、我々
國会としては、これを育成して行かなくちやならんというふうに
考えるのであります。我々
日本人は、今日まで長い間ガラス張の中の
政治でなしに、幕の中の
政治に苦しめられて來たのでありまするが、漸くその幕が取拂われまして、そうして自由自在にガラス張りの中で
政治を行い、ガラス張りの中で自由自在に自己の主張を
発表するという時代が來ておるにも拘わりませず、いわば各党が堂堂と自己の見解を天下に声明できるこの
自由討議の絶好の機会を、今日のごとく
國会みずからが蹂躙しておるというところに、今日の
國会の反省すべき点があるわけであります。(
拍手)
以上私は四点について申上げたのでありまするが、
最後に、
國会は新らしい
憲法に從いまして、最高の國家の機関であり、最高の立法府としての
地位を獲得したのでありまするが、遺憾ながら今日まで一年半の間の経験を通して見ますと、今日の
國会は依然として旧
憲法によりますところの帝國議会、即ち翼賛議会と申しまするが、古い帝國議会の域を殆んど脱していないのが今日の
國会の姿ではなかろうか。我々としましては速かにこの
國会を眞に新らしい
憲法に即したところの
國会に作り上げて行くということが、
日本の民主化の根本であるということを私は本日述べまして、私の
自由討議を終りたいと
考えます。(
拍手)
〔板野勝次君
発言の
許可を求む〕