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小林公述人 國鉄労働組合の中央執行
委員の
小林でございます。本日は
公述人といたしまして、皆様方御多忙の中を私
たちの
意見を聞いていただくということにつきまして、非常に光栄に存ずる次第でございます。特に今回の
公共企業体法案につきましては、われわれ
関係の
組合といたしまして、重大な
関心を持
つておるわけでございますから、皆様方もぜひ
組合側並びに各界の
代表者の
意見を十分取入れられまして、
行動されるようにお願いしたいと思うわけでございます。
まず順序といたしまして、
公務員の
関係から若干述べて行きたいと思いますが、しばしば
公務員というものが何か特別の範疇のものであ
つて、勤労者ではない、
労働者ではないというような観念が非常に強いわけでございまして、この点につきまして若干私は申し述べたいと思うのでございます。本來われわれは各種の任命の形におきまして、雇傭
関係をつく
つておるわけでございまするが、これも決してわれわれの意思に反して任命される、雇傭されるということはございません。またわれわれがやめたいというときには、この
関係を断つこともできるのでございまして、こういう点から行けば一般の私
企業の場合におけるところの雇傭
関係と、ほぼ同一な
関係にありまして、むしろ公法上の契約
関係というような
立場をとるのが至当であろう。こう
考える次第であります。從
つてわれわれは契約以外のことにつきましても、十分な
活動の
範囲を保障されておるということを、
考えて行かなければならないと思うのであります。その点はただいま現在の憲法の二十
八條におきまして、勤労者の
團結権、
團体行動権というものを保障しておりまするけれ
ども、個人的な契約、これに対する優位性を認めておるというのが、
基本的人権の保障の
眞意でございまして、このような個人的契約にまさるところの保障を、一般の雇傭契約によ
つて抹殺するという
立場は、本來顛倒しておるというような
考え方に、われわれは立
つております。從
つて現在の
労働三
立法におきまして保障されておる
立法は、決して一般的な
立法ではなくて、憲法の二十
七條、あるいは二十
八條の勤労者の
基本的権利を、具体的に表示したところの付属法でございまして、憲法とは絶対に離れきれない
法律であるということを、御認識願いたいわけでございます。從
つてこれを單なる
立法によ
つてセーブするという
考え方は、根本的な誤りを示しておるということを、まず指摘しておきたいと思うのでございます。
次に
公務員の仕事が國家の統治権の作用を営むので、何か一般的な勤労者とは違
つておるということを、しばしば指摘されるわけでございますが、これも重大な誤りでございまして、近代の民主國家におきましては、私
企業にまかせられるような廣汎な
事業経営も、また都廳の便所のくみとり人といつたような廣汎な人員を擁しまして、いろいろと
公務員の
立場をと
つておるわけでございまして、これを一律に單なる
公務員というような名称によ
つて、特別な範疇に制約することは間違いであるということを、私は指摘したいと思うわけでございます。この点につきましてはかの戰時中におきましても、東條首相は一億総動員あるいは一億一心というような
言葉によ
つて、事実上全
國民を
公務員であるかのごとき認定を行いまして、あのフアシヨ的な戰爭を行つたという事実がこれを示しております。勤労者の人権を單なる形式的な
公務員、あるいは
公共企業という
考え方によ
つてセーブする
考え方は、われわれ納得できないというのが
主張でございます。また現実論といたしまして、われわれの
給與というものはきわめて低く
決定されております。すなわち二千九百二十円ベースの改訂当時、
政府は何と言つたか。私
企業においてはすでに二千九百二十円が、三千八百円にも四千円にもな
つておる。だから物價改訂をせなければならぬのだというのが、提案の
趣旨だとわれわれは聞いております。当時われわれ官吏は二千九百二十円をびた一文も越えて
給與を受けておらない。また現実におきましても三千七百九十一円によ
つて縛られまして、
民間におきましては六千円あるいは七千円、あるいはそれ以上の
給與を支給されておるという現実にもかかわらず、われわれはいまだ三千七百九十一円を、びた一文越えて支拂いを受けておらないという
歴史的な事実をお
考えになれば、いかに國家
公務員というものが低
賃金にあえいで來たかということがわかるわけでございます。これを單に感覚的に
考えまして、
給與を上げれば爭議をやらないでいいのではないかというような單純論が、
國家公務員法あるいは
公共企業体の
法案の骨子にな
つておるようでございまするが、これは
歴史に逆行するところのものでございます。かような理想論が現実に行われるならば、
労働組合などというものの発生はなかつたはずでございまして、これは資本主義の社会におきましては、当然このような一つの勤労者の
團結権を保障することによ
つて、
團体行動権を保障することによ
つてのみチエツクされ、バランスされて來たという事実を、皆様方は十分御認識願いたいと思うわけでございます。單なる理論的な
公務員という
立場からは、問題は少しも解決されないということを指摘したいと思います。この点につきましては特に民自党の方方が、六十九條のいわゆる解散権問題等を
主張しております。私は個人的に民自党のあの
意見に賛成しておるわけでございまするが、あの六十九條の問題あるいは
七條のいわゆる天皇の告示の問題でございまするが、理論的に申し上げるならば、國会で不信任を送つたところの内閣が國会を解散するということは、憲法上條文から言
つても成立たない。理論的にただ形式論理を展開するならば、國会が唯一の
機関であるという
立場をとるならば、かような暴論は成立たないわけでございますが、ここに民主主義社会のチエツク・アンド・バランスの
方法が見出されておるわけでございまして、これはアメリカにおきましても拒否権の発動というようなことで、実質的な民主政治が確立されておるわけでございます。こういう観点に立
つて労働組合の
團体行動権が観察されなければならない、
考えられなければならないということを、まず指摘したいと思うわけでございます。なおこの実例といたしましては、アメリカの例を申し上げるわけでございまするが、
マ書簡においてもいろいろと引用されたような
字句もございます。また別の紙上におきましては、ルーズベルトは
政府の被傭者といえ
ども、当然
労働時間とか、安全あるいは
労働條件についてこれの是正を欲し、また公正な処理
機関を求め、あるいは交渉するということは当然である。そしてそのためにも團結を保持し
行動することは、当然であるということを指摘しているのでございます。現在の
マ書簡に示された
公務員は
國民の
使用者であるから、特殊なそういう
行動権をセーブしなければならないという
考え方は、きわめてこれまた皮相的でございまして、われわれの爭議行為は決して経済を破壊し、政治を破壊するためにとるものではなくて、過渡的な一つのわれわれの
團体の圧力として利用するものであ
つて、決して
目的ではないということを指摘しておきたいと思うわけであります。この
考え方はアメリカにおきましても、いわゆる
團体交渉というものは行政
機関を通ずるのではなくて、
立法府に向
つて働きかけるという理論も一つ成立ちますが、現実におきましては、この
方法はあまり尊重されておらないということを、はつきり指摘したいと思うわけであります。その例といたしましては、一九四三年ないし四年におきまして、米國の都市被傭者のいろいろな
関係を雜誌等で拜見いたしますと、やはり行政官吏が当事者としての責任を與えられておりまして、実質的に
團体交渉を行い、また
労働契約を締結しているというのが
現状でございまして、これは事実でございますからたれも否定することができないと思います。そのゆえに問題は單に理論的に解明されるのではなくて、現実的な問題として取上げられなければならないということを、まず指摘したいと思うわけであります。このような観点に立ちまして、われわれは今回の改革案を
考えるわけでありますが、まず例示されておりますTVAあるいはイギリスの石炭、あるいは運輸、あるいは公團の場合の例を
考えてみましても、特にイギリスにおきましては最終的な爭議権の否認を行
つていない。
團体交渉を認め、あるいは協力
機関という
程度になりますけれ
ども、
経営の参加というものを十分に認めているというような
立場をと
つていると思うのでございます。またTVAにおきましても
團体交渉を認めまして、あるいは各
業務関係その他にわたりましても、十分な協力
機関を持
つているという実情でございます。これが今回の國家
公共企業体労働関係法の
眞意が全然抹殺されて、
法文化されているということにつきましては、私
たち全面的に賛成できないわけでございます。特に爭議権の否認の問題につきましては、現在のところタフト・ハートレー法の三百五條によりまして、
政府の
職員並びに
政府全額出資の公團は、爭議行為ができないということにな
つておりますが、これはもはや現在の段階においては、アメリカの民主主義において否定されているということをまず
前提に置いて、お
考え願いたいと思うのでございます。このアメリカ民主主義においてさえ否定されている事実を、われわれ
日本國が肯定するという事実があつたならば、もはや
日本民主主義の評價が、世界においていかになされるかということを十分に御認識にな
つて、
本案の
審議に当られていただきたいと
考えるわけでございます。
次に
調停仲裁の
手続でございますが、これもきわめて独善的でございまして、
仲裁制度におきましても、強制
仲裁という
立場をとりまして、爭議権の否認とさらに
調停仲裁の形を整えておりまして、このようなことでは実質的にわれわれの
團体交渉権の成果が、当然発揮できないということを指摘したいと思います。タフト・ハートレー法前のマグナー法あるいはTVA
法案におきましても、決して爭議権の最終的な否認は行
つておりません。またアメリカにおけるところのわれわれと同職業であるアメリカ鉄道におきましても、冷却期間あるいは相当の期間を、一時爭議権の発動というものを中止するということにはな
つておりまするけれ
ども、最終的な爭議権を從來は奪
つておらなかつたという現実を、皆様方にも十分御認識していただきたいと思います。こういう観点から、われわれは
調停仲裁につきましては、特に
仲裁につきましては、適当な予告期間あるいは冷却期間を設置することによ
つて、爭議権の最終的な
確保をぜひはか
つていただきたい。こういうのがわれわれの
考え方でございます。それから特に罰則につきましては、先ほどるる申し上げた
通り、憲法の附属
法規であるところの
労働関係法を特に否認いたしまして、個人的な契約の違反と言いますか、そのようなものに対して罰則を適用し、体刑を適用するというようなことにな
つておりますけれ
ども、この点はわれわれは先ほど申し上げた人権の基本的な
考え方から、本末を顛倒しておるという
立場をと
つておりますので、ぜひ削除をお願いしたいと思うわけでございます。また
当局の不公正
労働に対しましても、いわゆる不当なる行政権の濫用という
立場から、当然処断されなければならないということを申し上げたいと思うのでございます。
最後に
経営の参加につきましては十分に配慮されまして、
労働者の意思を十分に反映したところの産業復興に当らなければならない。そういう観点から、これらの條文が
本案に挿入されなければならないということを申し上げて、私の簡單な
公述を終りたいと思います。