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中原委員 第三者のいわば証明がなければ、その
組合の会計というものは外部に向
つて信用がない、こういうふうに受けとれると思うのであります。
労働組合の会計なるものは、
組合員自身の会計において経営して行くのでありますが、その際第三者が立証しなければならないというほどに、
組合の
自主性が無視されてよいのかどうか。もしこういう
考え方をほかのことで
考えますと、最近特殊産業のいわゆる企業の経理について、われわれはしばしば疑惑を持
つておる。たとえば石炭なら石炭企業の会計の経理が、各種補給金その他國家補助との
関係において國に報告されておりますが、この報告されておる経理内容について、われわれは非常に疑問を持
つておる。しかもそのような大企業の経理内容が、國家の庇護を受ける
関係に置かれておる。
從つてひ
とつ間違えば、赤字補填のために國帑を傾けるという結果にな
つておるのでありますが、そういうような経理の場合にも、その経理内容を第三者が檢討しなければ、國家から受けるいろんな援助、いろんな
利益は、これを停止されるというようなものではないと思います。というのは國の援助によ
つてその赤字が補填されたり、あるいは経理がそのために超過したりするという
関係に置かれておるがゆえに、そのような場合にはあるかもしれないが、
労働組合の会計というものは、そういう性質のものでないと私は思うのであります。もしそうであるならば、
労働組合の会計の内容が非常に弱くて、相当程度
組合の費用を必要とするという場合に、それを國が援助補填して行くというような
関係があるから、その信用を立証するために、第三者の監査が必要である。こういうならば、また
一つのりくつが成り立つと思うのでありますが、むしろこの
労働組合の場合は、それどころか專從
職員に対して拂う給與をさえ一切支給してならないということに
なつた。当然しかるべきはずの
事情があ
つて、ここに給與がなされて、給與が支拂われて参りました。その沿革を無視して、ここにこういう
規定をさえ設けておる。そうなりますと、さきの特殊産業資本の経理に対する問題と、これとの問題もまるで逆にな
つて來る。こういうふうに私は理解できる。そうなると
労働組合というものは、ま
つたく國家から
考えれば、
監督の面は
決定的に深く追究して行こう。しかし援助の面は、あくまで
自主性という言葉にかりてこれを薄めて行くというふうな心構えが、ほとんどできておるように思うのでありますが、この点はどうでございましようか。