○森
証人 昭和電工の川崎
工場は十数万坪の敷地の中に爆彈が大型、中型合せまして約六百ばかり落ちました。そのほかに焼夷彈がほとんど無数と申しますか、そうして
工場の大半は土台からひつくり返
つてしま
つたのでございます。しかしながら幸いなことに人命にはあ
まり大きな影響はなか
つたのであります。
工場の従業員が二人死にました。そのほかにはけが人は一人もなか
つた。これが非常な不幸中の幸いで、
終戰と同時に何としてもこれは日本の食いものを解決しなければならぬ、それにはこの
工場としては大いに早く復興しようということであ
つたのですが、先ほど電気の
問題が出ましたが、私は戰争後電氣は余る。少くともアルミニウムをやめただけでも
つて相当以上の電氣が余るはずだ。アルミ一トンつくるのに約三万キロの電氣が要ります。ところが軽工業や燈用だけではこの電氣は使い切れるものではない。アルミニウム一トンつくる電氣は約京都の町の全体の燈用ぐらい要ります。してみますと十数万トンつく
つてお
つたアルミをやめた。そのほか電解用の電氣、それからフエロアロイ、製鋼、そういうものの電氣を全部やめてしま
つたのでこれは非常に余る。だから川崎
工場の復旧、そのくらいの電量はどうしても早急に使わなければ困るのではなかろうか。そういう結論から、最初の川崎
工場のできたときは全剰電力であ
つたのですが、途中でも
つて電氣の消費が多くな
つて、あすこはコークス法にかえたのですが、しかしこれは元へもどして全部電解でさしつかえない、こういうことで、実はあすこえ元々通りの三十万トン設備を復旧することにきめたのであります。そうしてこれは経験の年の秋からただちにかかりまして、その年の大晦日には製品が出だしたほどでありまして、非常に急いだのであります。従
つて先ほど八億云々の
資金計画があ
つたのですが、これは割合に正直なところ杜撰なものでありました。およそこの八億というものは川崎
工場の復旧とその他の復旧がわずかばかりはいうております。そのほかに秩父、富山、鹿瀬、旭川、こういう
工場の轉換等があるのですが、この方の計画は轉換復旧でありましてさほど急がなくともいい。だから
あとあと八億で足りなくて十五億近くの修正が出たのでありますが、この修正はむしろ川崎のが殖えたというよりは、その他の
工場の轉換が遅れたために加わ
つてきた分が多いのであります。だから八億が一ぺんに十億にな
つたというのでなくて、新しく轉換する分がここにはい
つておるということをお
考え願いたいと思います。そういうわけでありまして、ではこの金はどうしてつくるかという、ことでありますが、私の
考えではこの川崎
工場が約当時の金で五億円、この五億円はどういう五億円かと申しますと、あの
工場ができたときは、もつとも
昭和六、七年のころでありますが、非常にものの安い時分で、ほとんど日本の機械
工場と言いますか、各
工場は遊んでおる、お茶をひいておるときだから、
昭和肥料が機械を注文すると言えばほとんど
あと勘で、しかもとんとんにいけばいい、こういう
関係で非常に安い
建設でした。その金が約五千万円、五千万円の
建設があれを全部根こそぎやられて、これを復旧するとなると五億円かかるという勘定なのです。そういうふう元々は五千万円のものを今つく
つて五億円かかる。五億もかけて一体その
あとあとや
つていけるかどうかということが私の一番悩みの種であ
つた。しかし
仕事はどうしても当時の食糧事情からやらなければならぬ。そのくせ、これだけ金を使
つてしま
つたらどう
あとの始末をつけるかということが私も心配だし、
会社も心配する。それから当時これをやらしてくれようと思
つたG・H・Qの
人たちも心配する。しからばどういうふうにするかというので、産業復興公團、これに任したらどうか。当時の事情が、
ちようど
肥料國営とか國管とかいう
問題がやかましい時代でしたから、政府のものにして
会社が一時借りて経営する、
会社が委託経営したらどらか、こういう
考えで実は進んだのであります。その
考えが議会でも外でも御賛成を得まして、ああいう形で
行つたのでありますが、そうすれば、もし
あと会社がや
つていけるようだ
つたら買戻しもできるし、どうしても情勢上まずいというのなら國家のものにしておいたらどうかということでございました。しかしそのときの五億円、この算定時期はいつかといいますと、
終戰の年の八月、九月、十月ごろのものです。だからあの八億円の許可がおりたときは、もう物價はだいぶ上
つておりました。だから許可がおりたとき、この許可をくれるけれ
ども、少し値段が違うから、明らかに公定價格は変
つているし、大体あの最初の八億の算定は公定價格の算定です。公定價格と申しましても、前の年の八、九、十月ごろの公定價格でや
つたもので、
あとの追加分はその次の公定價格ではい
つている。その他やみなどをある程度見込みまして、これは全部政府の御承認のもとに、これくらいやみで買えるということを入れたものが十五億にな
つたのです。大体そういうことで計画をしたわけであります。