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徳田委員(徳田球一)
○徳田委員 しかし、そんなことを言いますけれども、戰時金融金庫というのがありますね。この戰時金融金庫は、この指定されておる工場でない限り、金融をしないはずです。ですからほんとうからいえば、各軍需工場、軍管理工場といえども、なるほど所有者は所有者に違いないけれども、それはみな戰時金融金庫の債権と見合
つて
いるもので、実際上はみな監督しておるものです。だから注文しておるいろいろの製品、半製品、これはみんな金融金庫の債権と見合
つて
おるものだ。
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1948-10-19 第3回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第6号
公式Web版
会議録情報
0
昭和
二十三年十月十九日(火曜日) 午後二時十二分
会議
出席委員
委員長
武藤運十郎
君
理事
鍛冶 良作君
理事
田中
角榮
君
理事
辻 寛一君
理事
荊木 一久君
理事
石田 一松君 尾崎 末吉君
明禮輝三郎
君 渡邊 良夫君 足立 梅市君 前田
種男
君
椎熊
三郎
君
宇都宮則綱
君
中村元治郎
君 寺崎 覺君 徳田 球一君
委員外
の
出席者
兵器処理
に関す る問題について 出頭した
証人
多田
武雄
君
椎名悦三郎
君
中島知久平
君 ————————————— 本日の
会議
に付した事件
兵器処理
に関する問題 —————————————
武藤委員長(武藤運十郎)
1
○
武藤委員長
これより
会議
を開きます。
証人調べ
をいたします。本日御出頭の
証人
は
多田武雄
さん、
椎名悦三郎
さん、
中島知久平
さん、
津島壽一
さん、
遠藤三郎
さん、五名ですね。本日御出頭願いましたのは、御
承知
の
通り
当
委員会
において目下
調査
中の
兵器処理
の問題につきまして、
証言
を求める
ため
においでを
願つた
次第であります。
証言
を求める前に各
証人
に一言御注意を申し上げます。昨年十二月二十三日公布になました
昭和
二十二年
法律
第二百二十五
号議院
における
証人
の
宣誓
及び
証言等
に関する
法律
によりまして、
証人
に
証言
を求める場合には、その前に
宣誓
をさせなければならぬことにな
つて
おります。
宣誓
または
証言
を拒むことのできるのは、
一般
の人については、
証言
が
証人
または
証人
の
配偶者
、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族及び
証人
の後見人または
証人
の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある
事項
、あるいはこれらの者の恥辱に帰すべき
事項
に関するときに限られ、
医師
、
歯科医師
、藥剤師、藥種商、産婆、弁護士、
弁理士
、
弁護人
、
公証人
、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあ
つた者
については、その職務上
知つた
事実であ
つて
、黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られております。右以外には何人も
宣誓
または
証言
を拒むことができないことにな
つて
おるのであります。なお
証人
が正当の理由なくして
宣誓
または
証言
を拒んだきは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ
宣誓
した
証人
が虚偽の陳述をたきは、三月以上十年以下の懲役に処せられることにな
つて
おるのであります。一應このことを御
承知
にな
つて
おいていただきたい上思います。それでは
法律
の定めるところによりまして
証人
に
宣誓
を求めます。お手
もと
に差上げてある
宣誓書
を御起立の上御朗読ださ。それでは
多田
さん、ひ
とつ
代表してお読みを願います。 〔
証人多田武雄
君各
証人
を代表して
宣誓
〕
武藤委員長(武藤運十郎)
2
○
武藤委員長
では御
署名
、御
捺印
を願います。 〔各
証人宣誓書
に
署名捺印
〕
武藤委員長(武藤運十郎)
3
○
武藤委員長
それでは
順序
といたしまして
多田
さん、
椎名
さん、
中島
さん、
津島
さん、
遠藤
さんの
順序
でお伺いいたしますから、
多田
さん以外の諸君は御迷惑ながら、もうしばらく別室でお待ちを願いたいと存じます。 それでは
多田
さんにお伺いいたします。あなたは
鈴木内閣
、その次にできました
東久邇内閣
、この
内閣
の
海軍次官
をいたしておりましたか。
多田証人(多田武雄)
4
○
多田証人
さようであります。
武藤委員長(武藤運十郎)
5
○
武藤委員長
それぞれの
期間
はいつからいつまでですか。
多田証人(多田武雄)
6
○
多田証人
終戰前
からその年の十一月二十日までです。
武藤委員長(武藤運十郎)
7
○
武藤委員長
終戰当時
における
海軍関係
の
軍需物資
ですね。これの
生産状況
あるいは
保有状況
、
保有量
、そういうものについて、なるべく詳しくあなたの御
記憶
のある限りを話していただきたい。
多田証人(多田武雄)
8
○
多田証人
どうも
数字
は
記憶
しておりませんから、
数字
的にお答えすることは今
ちよ
つとできませんが、ただそれはお
調べ
になるとろでお
調べ
になればわかるようにな
つて
いると思いますが……。
武藤委員長(武藤運十郎)
9
○
武藤委員長
わかるころは
概略
を述べていただきまして、なおどういうところでわかるというふうにお答えになればよろしいと思います。
多田証人(多田武雄)
10
○
多田証人
もと
の
海軍省
の記録あるいは
進駐軍
に提出しました
報告書
、あるいは
内務省
に移管されたときの
書類
、そういうものは
残つて
いると思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
11
○
武藤委員長
数量
以外について、
さき
に私が
お尋ね
しましたことを話してください。
多田証人(多田武雄)
12
○
多田証人
数量
は今
記憶
しておりません。
武藤委員長(武藤運十郎)
13
○
武藤委員長
数量
以外に
海軍
でいわゆる
軍需物資
の
生産
をさせてお
つた
ろう思うのですが、それからその後の
保有等
についてあなたは知
つて
おられるでしよう。
多田証人(多田武雄)
14
○
多田証人
それは
終戰後
でございますか。
武藤委員長(武藤運十郎)
15
○
武藤委員長
終戰当時
どんな
状態
であ
つた
か。
多田証人(多田武雄)
16
○
多田証人
海軍肩体
で
生産
をしてお
つた
ものもあります。それから……。
武藤委員長(武藤運十郎)
17
○
武藤委員長
それから
民間
の工場にやらせたものもある……。
多田証人(多田武雄)
18
○
多田証人
民間会社
にやらしたものもあります。それから
軍需省
の方で担当してや
つた
ものもあります。
武藤委員長(武藤運十郎)
19
○
武藤委員長
よほどあ
つた
だろうと思うのですが、なおその後何年くらい戰争をや
つて
も間に合うくらいのものがあ
つたの
ですか。
多田証人(多田武雄)
20
○
多田証人
いや、それはほんの一少
部分
のものについては相当の
ストツク
を持
つて
お
つた
ものもあ
つた
ろうと思いますが、足らなくて
生産
がおつつかなくて困
つて
お
つた状態
ですから、莫大な
ストツク
があ
つた
ものは量的にはないと思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
21
○
武藤委員長
しかしそのころ本土抗戰とか
焦土作戰
とかい
つて
大分呼号してお
つたの
だから、相当いろいろなものを蓄わえて準備があ
つた
わけではないのですか。
多田証人(多田武雄)
22
○
多田証人
それは当時の物
動計画
をお
調べ
になればわかることでありまして、現われないで
海軍
だけで持
つて
お
つたストツク
はないはずであります。
武藤委員長(武藤運十郎)
23
○
武藤委員長
八月十四日に軍その他の保有する
軍需用保有物資
、
資材
の
緊急処分
の件という
閣議決定
がありますけれども、あなたはぞれに参與しておりましたか。
多田証人(多田武雄)
24
○
多田証人
当時
海軍次官
でお
つたの
ですが、
関與
というと、
閣議決定
ですか。
武藤委員長(武藤運十郎)
25
○
武藤委員長
相談
を受けておりますか。
多田証人(多田武雄)
26
○
多田証人
おりません。
武藤委員長(武藤運十郎)
27
○
武藤委員長
その後話を聽いておりますか。
多田証人(多田武雄)
28
○
多田証人
決定
後に
承知
しました。
武藤委員長(武藤運十郎)
29
○
武藤委員長
その
決定
というのはどいうふうですか、
概略
を述べてください。
多田証人(多田武雄)
30
○
多田証人
文句は
記憶
しておりませんが……。
武藤委員長(武藤運十郎)
31
○
武藤委員長
内容だけでよろしい。
多田証人(多田武雄)
32
○
多田証人
いよいよこれで
終戰
になる、それで軍部で持
つて
おる
軍需品
をこの際民生をうるおす目的で
他省
に移管するとか、あるいは
民間國体
に
拂下げ
る、そういう
処分
をしろ、すべきであるという
決定
だ
つた
と
記憶
しております。
武藤委員長(武藤運十郎)
33
○
武藤委員長
そしてそれをどんなふうに実施いたしまたか
多田証人(多田武雄)
34
○
多田証人
それによ
つて海軍大臣
の
命令
で
部内一般
に
処分
の
命令
が出されたわけであります。
武藤委員長(武藤運十郎)
35
○
武藤委員長
それはいつごろですか、
命令
が出されたのは……。
多田証人(多田武雄)
36
○
多田証人
それは
終戰
の日か翌日か、
日にち
ははつきりしておりませんがたしか
閣議決定
は十四日ではなか
つた
かと思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
37
○
武藤委員長
そうです十四日です。
多田証人(多田武雄)
38
○
多田証人
ですからその翌日か、その翌々日だ
つた
ろうと思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
39
○
武藤委員長
十七日ごろではありませんか。
多田証人(多田武雄)
40
○
多田証人
日にち
ははつきり
記憶
しておりません。とにかく直後です。
武藤委員長(武藤運十郎)
41
○
武藤委員長
直後ですね。
命令
を出して実行したのですか。
多田証人(多田武雄)
42
○
多田証人
実行しつつあ
つた
わけであります。実行されたものもあります。
武藤委員長(武藤運十郎)
43
○
武藤委員長
その後これは
取消し
たということでありますけれども、どういう
事情
で
取消し
ましたか。
多田証人(多田武雄)
44
○
多田証人
いよいよそういう
命令
で実行に移してみましたところが御
承知
の
通り
当時のいろいろの
原因
からいわゆる
混乱状態
を呈しましたので、これではいけない。一たんこれはやめた方がよかろうという
意見
が
海軍省
に起
つて
お
つたの
でありますが、たまたまその
取消し
をやろうではないかという
相談
をしてお
つた
ときに、
マニラ
に行きました
使節
が帰
つて
きまして、これは一切相ならぬという
進駐軍
の
方針
がはつきりいたしまして、それによ
つて
あら
ため
て取消が出されたわけであります
武藤委員長(武藤運十郎)
45
○
武藤委員長
マニラ
に
行つた使節
というのは
河邊中將
ですか。
多田証人(多田武雄)
46
○
多田証人
河邊中將
以下数名でございます。
武藤委員長(武藤運十郎)
47
○
武藤委員長
向うの
意向
がわか
つて
初めて
取消し
をし、
処分
を
中止
したというわけではないので、その前からこれはいけないから
中止
をしよう、
取消し
をしようかということにな
つて
お
つたの
ですか。
多田証人(多田武雄)
48
○
多田証人
海軍省
ではそういう
意見
がありました。他の省については今存じておりません。
武藤委員長(武藤運十郎)
49
○
武藤委員長
何か
陸軍
の方で連絡をと
つて
そういう話をしたとか、あるいは
閣議
または
次官会議
でそういう話をしたということはないのですか。
多田証人(多田武雄)
50
○
多田証人
私の
記憶
ではなか
つた
と思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
51
○
武藤委員長
ただ
海軍部
内でそんなふうに
考え
てお
つた
というだけですね。
多田証人(多田武雄)
52
○
多田証人
さようでございます。
武藤委員長(武藤運十郎)
53
○
武藤委員長
実際の
処分中止
をしたのは、やはり
河邊中將
が帰
つて
きてからや
つた
わけで、その前にはしなか
つた
わけですね
多田証人(多田武雄)
54
○
多田証人
さようでございます。
武藤委員長(武藤運十郎)
55
○
武藤委員長
たまたまあなたの方の
考え
てお
つた
ことと、
河邊中将
のもたらした先方の
意向
とが合致してそこで
取消し
た……。
多田証人(多田武雄)
56
○
多田証人
取消し
ましたのは、またあら
ため
ての
閣議
によ
つて
取消されたわけであります。
武藤委員長(武藤運十郎)
57
○
武藤委員長
そうするとやはりそういうことに基いて
閣議
として
取消し
たわけですか。
多田証人(多田武雄)
58
○
多田証人
閣議
の方は、
進駐軍
の
意向
がはつきりした
ため
であ
つた
と思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
59
○
武藤委員長
閣議
の方で
取消し
の
決定
をしたのは、
河邊中将
以下
使節
が帰
つて
きて、
連合軍
の方の
意向
を傳えたので、それに基いて
閣議決定
をしたということになりますね。
多田証人(多田武雄)
60
○
多田証人
私はそう
考え
ております。
武藤委員長(武藤運十郎)
61
○
武藤委員長
取消し
たのはいつごろだか御存じですか。
多田証人(多田武雄)
62
○
多田証人
八月の末だ
つた
と思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
63
○
武藤委員長
二十八日ごろじやないですか。
多田証人(多田武雄)
64
○
多田証人
そのころだ
つた
と思います
武藤委員長(武藤運十郎)
65
○
武藤委員長
先ほどあなたの
お話
で、
緊急処分
をしたらば非常な
混乱
を生じて困
つた
というのですけれども、どういう
事情
にな
つた
わけですか、具体的に申しますと
多田証人(多田武雄)
66
○
多田証人
少し附加えることにな
つて
、余分になるかもしれませんが、とにかく、
ポツダム宣言
を受諾した降、伏をした、それから
連合軍
が速急に
日本占領
にや
つて
くる当時の
状況
から
考え
まして
占領軍
と
日本軍
の
衝突
を避けたいという気持が一番強か
つた
と思います。それが
ため
には、そういう
衝突
のおそれのあるような部隊をなるべく早く解体しなければならぬ。それからそれに使用されるようなおそれのある
武器
はなるべく
処分
をしなければいかぬという
考え
が先に立
つて
お
つたの
であります。そういういわばあせ
つた
きらいが非常に濃厚であ
つた
ため
に、これが
混乱
を來した大きな
原因
にな
つて
おると思います。それで、はなはだ遺憾千万ではありましたが、一部には御
承知
のような
混乱
を來し、あるいは不正なことも起
つた
という
状況
でありました
武藤委員長(武藤運十郎)
67
○
武藤委員長
運び出したものなども
もと
へ戻すというような
処置
もありましたか。
多田証人(多田武雄)
68
○
多田証人
それも一
部分
はできたように
報告
を受けましたが、
最初
の
閣議決定
によ
つて
放出されました
物資
の何割かはつきり
記憶
しておりませんが、ごく一
部分
しか戻
つて
こなか
つたよう
に
記憶
しております。
武藤委員長(武藤運十郎)
69
○
武藤委員長
あなたの方の
さき
に行われた
緊急処分命令
で
処分
された量は全体の
保有量
のどのくらいであ
つて
、返
つて
きたのはどのくらい、
残つたの
はどのくらいであるというような
概略
の
見当
はないのですか。
多田証人(多田武雄)
70
○
多田証人
何万トンとか、相当な
数量
だ
つた
と思いますが、放出されたものの
数量
は
記憶
いたしませんが、戻
つて
きた方は二割にも及ばなか
つた
りじやないかと思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
71
○
武藤委員長
終戰当時残つて
お
つた数量
の、
完成品
、未
完成品
あるいは
資材等
のどのくらいの割合が
緊急処分
されたか、
見当
はつきませんか。
多田証人(多田武雄)
72
○
多田証人
そういう
お尋ね
ですと、今のお答えしたのが
ちよ
つと
見当
が違うかもしれませんが、
艦船
、
兵器
の方は
最初
の
閣議決定
によ
つて
処分
されたものはほとんどないと思います。
民間
に放出されたものは、主として
食糧
、
衣料関係
がおもだ
つた
と思います。これも軍の
方針
としましては、大体当時可能ならば三月分も
ストツク
を持
つて
いたか
つたの
ですけれども、とうてい実情がしませんで、せいぜい一月分ぐらいしか余裕がなか
つたの
じやないかと思
つて
おります。そのうちの大
部分
ということはないと思います。ほんの一
部分
だ
つた
と思います。なぜかと申しますと、まだ軍隊がその当時ほとんどそのまま
残つて
お
つたの
でありますから、それらの生存の
ため
に保有しておらねばいかぬのでありまして、そう洗いざらいに放出するわけにはいかぬのであります。
武藤委員長(武藤運十郎)
73
○
武藤委員長
そうしてその放出したものの
概略
二割ぐらいが返
つた
かと思うというのですね。
多田証人(多田武雄)
74
○
多田証人
大体の
見当
で二割以内だ
つたよう
に思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
75
○
武藤委員長
半分くらい放出したのですか。
多田証人(多田武雄)
76
○
多田証人
いや、そんなにたくさんは放出されなか
つた
と思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
77
○
武藤委員長
放出されたのはごくわずかですか。
多田証人(多田武雄)
78
○
多田証人
ごくわずかだと思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
79
○
武藤委員長
九月二十四日にな
つて連合軍
から覚書が與えられたようですけれども、そういうことがありましたか。
多田証人(多田武雄)
80
○
多田証人
たしかそれは
軍需物資
、
施設等
を
内務省
に移管せよという
指令
じやなか
つた
かと思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
81
○
武藤委員長
それを受けてあなた
方政府
ではどういう
処置
をとりしましたか。
多田証人(多田武雄)
82
○
多田証人
その前から、大体そういう
方向——
どうせ
海軍
というものはなくなるから、
他省
に移管するということは
見当
がついてお
つたの
で、その前からいろいろな移管すべき
物資
の
調査
に着手してお
つたよう
に
記憶
しております。いよいよそういう
指令
が出まして後に、移管する手続の
書類
を調製する
ため
に、非常に繁忙をきわめた
記憶
が
残つて
おります。
武藤委員長(武藤運十郎)
83
○
武藤委員長
一旦
兵器
は
連合軍
で接収をしまして、それを今度は
日本政府
に返すことにな
つたよう
でありますけれども、そのことに関してあなたは何か
関係
したことはあるのですか。
多田証人(多田武雄)
84
○
多田証人
その
進駐軍
で管理する物とそれ以外の物の
処分
については
海軍自体
でそれを命ぜられたことはありません。
武藤委員長(武藤運十郎)
85
○
武藤委員長
特殊物件処理委員会
というのができたことは御存じありませんか。
多田証人(多田武雄)
86
○
多田証人
それはたしか
兵器
以外のものの
処理
をする
委員会
じやなか
つた
かと思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
87
○
武藤委員長
兵器
については、どういうふうにしようかということは、
閣議
できまらなか
つたの
ですか。
多田証人(多田武雄)
88
○
多田証人
それはなか
つた
と思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
89
○
武藤委員長
何か
お尋ね
になることがございますか。
明禮委員(明禮輝三郎)
90
○
明禮委員
廃兵器
を
連合軍
の方へ
引渡し
をいたしますには、
リスト
をつく
つて
出したわけでございますが、これは
陸軍
でも
海軍
でも同じだと思いますが、
海軍
としてはこれはどこでおやりにな
つたの
でありましようか。
多田証人(多田武雄)
91
○
多田証人
当時の
軍務局
だ
つた
と思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
92
○
明禮委員
軍務局
ですか。
多田証人(多田武雄)
93
○
多田証人
はい。しかし
軍務局自体
で全部調製はできないのです。やはり鎭守府だとか
艦政本部
、
航空本部
その他の方から資料をと
つて
、つまり
軍務局
と申したのは、結局その
まとめ役
にな
つた
わけです。
明禮委員(明禮輝三郎)
94
○
明禮委員
そうすると結局
軍務局長
の責任でありますね。この問題についての
リスト
を提出いたしたのは……。
多田証人(多田武雄)
95
○
多田証人
そうお
考え
にな
つて
よかろうと思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
96
○
明禮委員
そこであなたは
次官
としてお知りにな
つて
いるかどうかわかりませんが、こういうふうに
リスト
を拝見いたしますと、
連合軍
の方へ
引渡し
ましたときの欄には、物品の
引渡し品名
というのずつとありまして、そしてそれについての
数量
のないものが相当多いのであります。それから今度これは
連合軍
の方から実際
引渡し
を受けたものについては、
数字
がちやんと書いてあるようでありますが、こういう点はあなたは御
承知
ありませんか。またこの点はどういうわけでこういうふうにな
つて
いるのでしようか。
多田証人(多田武雄)
97
○
多田証人
引渡し
た品物の
数量
がはい
つて
ないというのですか。
明禮委員(明禮輝三郎)
98
○
明禮委員
そうです。ないものがある。たとえば
戰車
のごときものは、
司令部
の方に引渡す
戰車
の分については「
戰車
」と
品名
は書いてありますが、その下に
数量
が書いてありません。それから
引渡し
を受けた方ものには
数量
がはい
つて
おります。この点はどういうふうにな
つて
おるのでありましようか。
多田証人(多田武雄)
99
○
多田証人
その提出の
書類自体
については、私はよく
記憶
しておりませんけれども、おそらく
連合國軍
に提出するのを急いだ
関係
で、
調査未済
のものはあとで出すようにでもな
つて
お
つた
んじやないでしようか。それは
期間
を限られますと、この
書類
以外にもずいぶん当時はやかましく要求された
調査事項
がたくさんあ
つたの
ですが、徹夜しても間に合わぬような
調査
もあ
つたの
です。そういう
関係
で、間に合わなか
つたの
も確かにあ
つた
と思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
100
○
明禮委員
リスト
の
数量
は普通わか
つて
いるわけでありますが、
リスト
の
数量
を、実際あるものを燒いてしま
つた
というような点からして、ここに載せることができなくな
つて
しま
つたよう
なものがあるわけではありませんでしようか。
多田証人(多田武雄)
101
○
多田証人
それは今申しましたように、
書類
は燒いていない
ため
に、現物に当
つて
みなければいかぬというので、てまどるわけです。それで間に合わなか
つたの
ではないかと思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
102
○
明禮委員
それから先ほど
委員長
から質問された点ですが、二十年八月十四日の
閣議決定
によりますと、あなたの
お話
の
通り
、
兵器
は除外してあります。しかしながら、除外はしてありますけれども、実際において
緊急放出
の中の
兵器
というものがどの
範囲
であるかということは、なかなかむずかしいので、
兵器
の
ブロツク
に属するものでも、たとえば
ガソリン
のようなものとか、
馬具
とい
つたよう
なものは、相当ある
方面
に
緊急放出
にな
つた
ものがあ
つたの
ではないかと思いますが、その点はいかがですか。
多田証人(多田武雄)
103
○
多田証人
兵器
というものは、御
承知
かもしれませんが、
海軍
では、
兵器簿
というのがありまして、
予算
から割り出して、
兵器簿
に
数字
を記入して、今年度の
兵器処理要領
はこれだぞというふうに、各
所轄ごと
に
兵器簿
というものは持
つて
いるわけです。ですから
兵器
の種類というものは、きわめてはつきりしております。
明禮委員(明禮輝三郎)
104
○
明禮委員
それが、今日言われているところの
兵器
は、
兵器
の
範囲
に関する
規定
ができておりまして、たとえば飛行機に
使つて
お
つたガソリン
のようなもの、あるいは
原材料
でも二〇%以上加工したものは
兵器
の
取扱い
を受けておるわけです。そういう面から言いますと、どうも
緊急放出
というものは、普通は
食糧
とか衣類とかいうようなものが主として行われたものでありますけれども、実際において、行われたものの中には、
ガソリン
、あるいは
馬具
、あるいは
原材料
を一〇%なり二〇%加工したようなものも、やはり
部面部面
によ
つて
放出されておる事実があると思うのでありますが、この点につきましてはいかがでありますか。
多田証人(多田武雄)
105
○
多田証人
具体的なことは存じません。ただ今申し上げました
兵器簿
に記載してあります
海軍
でいう
兵器
の中には、
常識
で
考え
てこれが
兵器
かとい
つたよう
なものがあるのです。
兵器
というと、何か
大砲
を撃
つた
り、
魚雷
を発射したりする方に直接
関係
のあるもののように、
常識
では思うのですが、そうでなくして、経理上の必要からあるいは
予算運用
の
関係
もあ
つた
でしよう、
常識
で
考え
られないようなものが
兵器
とな
つて
いるのがあ
つたの
です。しかしそれが
ため
に、これは
兵器
でないとい
つて
放出されたかどうか、どうも私は
記憶
しておりません。
明禮委員(明禮輝三郎)
106
○
明禮委員
大体において、一々具体的にあなたは御
調査
にな
つて
おりませんでしようけれども、今申し上げましたように、
兵器
というものが、
陸軍
と
海軍
の
兵器簿
でなく、攻撃的な
武器
ということ以外に廣く持
つて
おりますから、そういうものも、やはり
緊急放出
の
物資
として出ておる事実がある。これはなぜそういうことを申すかといいますと、大体
兵器
というものはどのくらいあ
つた
かあなたは概数的に御
承知
でしようか。一千五百万トンあるともいわれているし、五百万トンだともいわれているし、現在
兵器
として
処理
されたものは、実は百二十八万トンであります。これにおいて
数量
が今日あると目されているものとたいへん減
つて
いるのであります。
多田証人(多田武雄)
107
○
多田証人
ただいまおつしやいました
最初
の大きな
数字
は
大砲
だとか、
魚雷
だとか、
発射管
だとか、
陸上
の
砲台
だとか、
艦船
は含んでおらないと思いますが、そうい
つた
進駐軍
が最後まで管理してお
つた
破壞したとか
処分
したというものの方が、トン数からい
つた
ら多いと思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
108
○
明禮委員
進駐軍
が破壞したものでも、
兵器
として
兵器処理委員会
が收用するのには別に変りはないのでありますが、どういう
意味
ですか。
多田証人(多田武雄)
109
○
多田証人
兵器処理委員会
がどのくらいの
範囲
の
兵器
を受持
つた
か、壞したか存じませんが、この
大砲
だとか、
陸上砲台
だとか、そういうものは去年の暮くらいまでは
進駐軍
が自分で管理してお
つたの
ではないでしようか。
明禮委員(明禮輝三郎)
110
○
明禮委員
管理したものもあるかもしれませんが、かりにしてお
つて
も一應
兵器
に属するものは
兵器処理委員会
で整理しておりますから、その整理した結果が百二十八万トンということにな
つて
出てきておるわけであります。今われわれが
考え
ても、一千五百万トンははたしてあるかどうかということはわからぬが、いずれにしても百二十八万トンだということはあまりに少いように思う。そこであなた
方海軍
におかれまして、その辺に通じておられる方々は、これがどのくらいあるものとお
考え
か、あるいはこれはどのくらいあるかわかりませんけれども、今ここにいわれておる
兵器——
これは少し廣い
意味
になるけれども、そういうものが
緊急方出
で相当流されたというような面がありはしないか、その点を伺
つて
おるわけであります。
多田証人(多田武雄)
111
○
多田証人
その点はないと思います。あの短
期間
にそういうような
兵器
まで手をつけて放出したということはあり得なか
つた
と思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
112
○
明禮委員
それからもう一つは、八月二十八日に
緊急放出
を停止したというのでありますが、これは九月二日ごろまでに大体停止されておるわけですね。ところが
復員軍人職業補導会
には
緊急放出
をしてもよいというような何か
取扱い
があ
つたの
ではありませんか。その点どうですか。
多田証人(多田武雄)
113
○
多田証人
いや、そういう
規定
は何もありません。
明禮委員(明禮輝三郎)
114
○
明禮委員
規定
はありませんが、そういう
取扱い
をなされたことがありはしませんか。
多田証人(多田武雄)
115
○
多田証人
それは厚生省に
移つたの
はいつだ
つた
か存じませんが、
復員者
、
帰還者
の
ため
に
食糧
だとか冬の毛布だとか、そういうものをある程度持
つて
おらなくちやいけないのです。そういうものがいつの時期でしたか
海軍
の手を離れて、そういう機関に移
つた
ときがあ
つたよう
に思いますが、そのことを言われるのじやないでしようか。
明禮委員(明禮輝三郎)
116
○
明禮委員
これは
特殊物件全般
にわたることですが、つまり停止するということは、あらゆる
部面
についての
緊急放出
を停止しておるのですね。それにもかかわらず
復員軍人
のある
ブロツク
に対しては
緊急放出
をしてもよいというような、たとえば
九州方面
でしたら
西部軍
とかいうようなところでそういう
指令
をしたことがありはしないか。
多田証人(多田武雄)
117
○
多田証人
いや、それはないと思います。
西部軍
は
海軍
ではありませんけれども、
海軍
ではそういうことはないと思います。但し
内務省
に移管された後に、
復員軍人
の
援護
の
ため
に
内務省
、
大藏省
、
進駐軍
全部の了解を経て、
復員援護
の特別の
團体
にある
資材
をや
つた
ということはあると思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
118
○
明禮委員
今
お尋ね
したのは、八月二十八日に
指令
が出て九月二日ごろまでに停止されたというのでありますが、十月一杯までや
つた
というのが事実ですがその点はどうですか。
多田証人(多田武雄)
119
○
多田証人
十月ごろはもう
内務省
に
移つたの
じやないでしたか。
明禮委員(明禮輝三郎)
120
○
明禮委員
八月二十四日の
閣議決定
に基く
緊急放出
というのと、普通の
内務省
が
拂下げ
をしておるのとは別でありましよう。
多田証人(多田武雄)
121
○
多田証人
その間に
施設
の移管とかいうことは準備する。この学校は何に充てる、この病院はどこに移管して使うかとか、この
航空隊
はどうする、そうい
つた
下
相談
があ
つたの
は
記憶
しております。これはしかし一つ一つねらい打ちに
処分
していくわけにいかぬ問題でして、國全体の問題として厖大な表をつく
つたの
を
記憶
しております。これは
施設
についてです。この
施設
をどこへやるということについて、
海軍
の管理を離れても、
海軍
が一番よく知
つて
お
つた
わけですから、そういう案を
海軍
で立てたのを
記憶
しております。
明禮委員(明禮輝三郎)
122
○
明禮委員
それは
内務省
の
ため
にや
つた
わけですね。
多田証人(多田武雄)
123
○
多田証人
そういうわけです。
明禮委員(明禮輝三郎)
124
○
明禮委員
それはそれといたしまして、艦艇のことですが、
終戰当時
においてわが國が持
つて
おりました艦艇、軍艦その他小さいところまで何隻ぐらい
残つて
おりましたか。
多田証人(多田武雄)
125
○
多田証人
形だけ
残つて
お
つた
ものを入れると相当な数ありましたろうが、実際海上輸送に使えたのは三十隻くらいじやなか
つた
かと思います。それは
帰還者
の輸送、それから機雷の掃海——これはやはり
海軍
の手でや
つて
お
つたの
ですから、それに使
つた
船は動けるものはほとんど使
つた
はずであります
明禮委員(明禮輝三郎)
126
○
明禮委員
あなたのおつしやる三十隻というのは單に自由に活動のできる船であ
つて
、多少けがをしてお
つて
も、いわゆる
連合軍
からこの艦艇は解撤すべきものだと
命令
されておるものは、もつとたくさんあ
つたの
じやないですか。
多田証人(多田武雄)
127
○
多田証人
それはそうです。
明禮委員(明禮輝三郎)
128
○
明禮委員
それはどのくらいありましたか。
多田証人(多田武雄)
129
○
多田証人
百万トン以上というか、内外というか、そのくらいの
見当
じやないかと思います。その点はどうも
記憶
がはつきりしておりません。
明禮委員(明禮輝三郎)
130
○
明禮委員
何隻ということはわかりませんか。
多田証人(多田武雄)
131
○
多田証人
隻数は
記憶
しておりません。しかし当時かあるいはその後議会等にも
報告
されたのじやないかと思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
132
○
明禮委員
これはやはり
連合軍
から引渡されて、
連合軍
からさらに日本に返して、そうして國民経済立て直し、あるいは國民の生活救済の
ため
に、こわしたものを
使つて
もよいという趣旨で解撤しておるのではないかと思いますが、この点については御
承知
にな
つて
おりませんか。
多田証人(多田武雄)
133
○
多田証人
兵器
でございますか。
明禮委員(明禮輝三郎)
134
○
明禮委員
いや、艦艇です。
多田証人(多田武雄)
135
○
多田証人
艦艇の使用
方針
については、
連合軍
の指示は私の在任中にはなか
つた
と思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
136
○
明禮委員
解撤の
指令
を出して、各業者に解撤を命じております。この点はおわかりになりませんか。
多田証人(多田武雄)
137
○
多田証人
存じません。
明禮委員(明禮輝三郎)
138
○
明禮委員
とにかくたくさんな船が各停泊地に皆泊めてありますね。その当時の
リスト
はあ
つた
わけでございますね。
多田証人(多田武雄)
139
○
多田証人
あ
つた
と思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
140
○
明禮委員
それはどこにありますか。
多田証人(多田武雄)
141
○
多田証人
それもやはり
海軍省
のあとにあるのではないでしようか。
明禮委員(明禮輝三郎)
142
○
明禮委員
復員局でございますか。
多田証人(多田武雄)
143
○
多田証人
そうです。
明禮委員(明禮輝三郎)
144
○
明禮委員
あまり詳しくおわかりになりませんね。
多田証人(多田武雄)
145
○
多田証人
わかりませんが、その当時の
リスト
は多分
残つて
いるのではないかと思います。
徳田委員(徳田球一)
146
○徳田委員 八月十四日の
閣議
の
決定
を先ほど御存じと言われましたが、これは主として目的は軍と民とを離間する間隙を防止するということにな
つて
いるのではないのですか。
多田証人(多田武雄)
147
○
多田証人
そこまでつつこんだ
考え
じやなか
つた
と思います。今初めてそういうことを伺いますが……。
徳田委員(徳田球一)
148
○徳田委員 ここにこういうことが書いてある。「陸
海軍
は、速かに國民生活安定の
ため
に寄與し、民心を把握しも
つて
積極的に軍民離間の間隙を防止する
ため
に、」目的はここなんです。
海軍
も
陸軍
もこの無謀な戰爭をしました結果、
終戰後
になりますと人民から非常に恨みを買い、かついろいろの襲撃を受けたりなんかするに違いない。だから民心を把握して、軍民の離間を防止する
ため
に、この間隙を來たさない
ため
にやれというのではないのですか。こう書いてありますが……。
多田証人(多田武雄)
149
○
多田証人
私はそれは初めて伺いました。
徳田委員(徳田球一)
150
○徳田委員 しかし
閣議
で
決定
しましても、この
閣議
を実行するのはあなた方であります。
多田証人(多田武雄)
151
○
多田証人
私は
記憶
になくな
つたの
かしれませんが、そういう印象は当時受けておらなか
つた
と思います。
徳田委員(徳田球一)
152
○徳田委員 重大な問題はここにあるのです。その
ため
に今度は「軍所有
資材
及び
物資
等につき隠密裡に
緊急処分
方措置す」と書いてある。
多田証人(多田武雄)
153
○
多田証人
それが
閣議決定
でございますか。
徳田委員(徳田球一)
154
○徳田委員 八月十四日の
閣議決定
。これはこの
書類
には二度出ておりますが……。
多田証人(多田武雄)
155
○
多田証人
隠密などということは私は全然知りません。
徳田委員(徳田球一)
156
○徳田委員 どうもそうじやなさそうに思えますが。
多田証人(多田武雄)
157
○
多田証人
いや、そういう
意味
じやありません。そういう
意味
で責任逃れとかなんとかいうことで申し上げておるのではなくて、それは
閣議決定
の文句でしようか。
徳田委員(徳田球一)
158
○徳田委員 文句です。
多田証人(多田武雄)
159
○
多田証人
それでは私の
記憶
違いです。
徳田委員(徳田球一)
160
○徳田委員 あなたの方の責任云々は別としましても、もし責任を負うとすれば、これは
閣議決定
をした大臣が責任を負うのであ
つて
、あなたは事務官でありますから何も責任を負うことはないと思いますけれども、しかしこういうことが隠密裡にやれ、軍民の間を離間しないようにしろ、ここに目的があるとなりますと、國有
物資
、國有財産を不当に
処分
するということになるだろうと思う。要するに軍本位だから、軍が民に敵意を買わないようにというので、隠密裡に、緊急に措置しろ、こうな
つて
おりますから、この際はこれはどんどんくれてやる、どんどん措置して軍の恩を賣
つて
おけ。そうしないとあとがたいへんだから、ここのところをうまくすぱつとやれというところに私は目的があると思う。
多田証人(多田武雄)
161
○
多田証人
いや、その
閣議決定
は、おつしやられて私の
記憶
違いと思いますが、
海軍
で
海軍
大臣の名前で
一般
に出した
命令
には隠密などという言葉はありません。それははつきり申し上げます。
徳田委員(徳田球一)
162
○徳田委員 しかし
陸軍
ではこれに対しましてちやんと陸機密第三六三号として別紙の
通り
云々というのを皆出しておりますが……。
多田証人(多田武雄)
163
○
多田証人
海軍
のものをひ
とつ
お取寄せください。非常に残念なことでありますが、
海軍
はそういうようなことを出した覚えはございません。
徳田委員(徳田球一)
164
○徳田委員
海軍
にもこれはありますか。これはひ
とつ
委員部で書いておいてください。
多田証人(多田武雄)
165
○
多田証人
海軍
にはそういろ隠密裡にというような
命令
を出したことはありません。これははつきり申し上げておきます。
徳田委員(徳田球一)
166
○徳田委員 これは非常に重大なことであります。これが非常に惡いことをしてもよろしい、盛んにやれということを煽動したように私には思えます。
多田証人(多田武雄)
167
○
多田証人
海軍
ではそういう
命令
を出しておりませんから御了解を願います。
徳田委員(徳田球一)
168
○徳田委員 だがこういうことが書いてあります。軍管理工場及び監督工場の管理を直ちに解除す。これは戰時中は軍が管理してお
つたの
ではありませんか。この管理していた工場をすべて直ちに管理を解除す。この場合製品、牟製品及び
原材料
の保管は差当り
生産
者に一任すとな
つて
おります。そうするとこれは
陸軍
の——
海軍
もそうでありますが、こういう管理工場はたくさんあ
つた
と思いますが、どのくらいありましたか。
多田証人(多田武雄)
169
○
多田証人
何百何千かはつきり
記憶
しておりませんが……。
徳田委員(徳田球一)
170
○徳田委員 これは皆將校を出して管理してお
つた
わけでありましよう。
多田証人(多田武雄)
171
○
多田証人
出しております。
徳田委員(徳田球一)
172
○徳田委員 管理工場の
リスト
はありますか。
多田証人(多田武雄)
173
○
多田証人
それはどこかにあると思いますが、しかし燒いたのかもしれません。それは國会でお
調べ
になればわかる問題だと思います。
徳田委員(徳田球一)
174
○徳田委員 燒くのは不当だと思いますが……。
多田証人(多田武雄)
175
○
多田証人
実際申しますと燒き過ぎたのです。燒かぬでいいものまで燒いております。
徳田委員(徳田球一)
176
○徳田委員 この燒くということについて
お尋ね
しますが、だれの
命令
で燒いたのですか。
多田証人(多田武雄)
177
○
多田証人
それはたしか
書類
の名前は
海軍次官
だ
つた
と思います。
徳田委員(徳田球一)
178
○徳田委員 そうすると、燒けと言われたのはあなただ
つた
わけですね。
多田証人(多田武雄)
179
○
多田証人
海軍
の
方針
は私の名前で出したということになります。
徳田委員(徳田球一)
180
○徳田委員 大臣が出したのではなくてて、あなたがお出しにな
つたの
ですな。
多田証人(多田武雄)
181
○
多田証人
確かにそうだと思いますが……。
徳田委員(徳田球一)
182
○徳田委員 そこのところをはつきりしてください。
多田証人(多田武雄)
183
○
多田証人
それははつきり私の名前と
承知
していただいて結構です。
徳田委員(徳田球一)
184
○徳田委員
陸軍
の方は
陸軍
大臣の高級副官が出したと言
つて
おりますが、
海軍
の方ではあなたがお出しにな
つた
。
多田証人(多田武雄)
185
○
多田証人
海軍
では首席副官の名前でそういうことは出しません。事の性質から私の名前で出したと私は思
つて
おりますので、そうお
考え
くださ
つて
いいと思います。
徳田委員(徳田球一)
186
○徳田委員 どういう種類のものを燒けという
命令
を出されたのですか。
多田証人(多田武雄)
187
○
多田証人
内容の文句ははつきり知りませんが、一口に言いますと当時の
海軍
の極祕
書類
といいますか、それ以上の機密のものに軍機というものがありまして、それらの祕密の
書類
は燒けという趣旨だ
つた
と思います。
徳田委員(徳田球一)
188
○徳田委員 軍機密と言うのですか。
多田証人(多田武雄)
189
○
多田証人
海軍
では軍機
書類
、極祕
書類
、それから祕密
書類
、こういうふうにわけております。
徳田委員(徳田球一)
190
○徳田委員 極祕以上を燒けというのでありますか。
多田証人(多田武雄)
191
○
多田証人
極祕以上だと思いますが、祕密のものまで便乗して燒いたところもあ
つたよう
です。
徳田委員(徳田球一)
192
○徳田委員 その極祕以上の中にはたとえば艦艇の種類、
数量
、それから
軍需品
の原簿、管理工場の原簿、そういうものは皆極祕のうちにはい
つて
いるのですか。
多田証人(多田武雄)
193
○
多田証人
今おつしや
つた
うちには極祕でないものもありますが、各部隊部隊で実行したものですから、
書類
の一々の名前は
命令
には出していないわけです。概括的なことで出しているわけですから、その部隊自体の解釈で燒き方が違
つて
お
つたの
でしよう。
徳田委員(徳田球一)
194
○徳田委員 その文書はありますか。
多田証人(多田武雄)
195
○
多田証人
今
残つて
いるかどうかはつきり申し上げられません。
徳田委員(徳田球一)
196
○徳田委員 どこで
調べ
ればわかりますか。
多田証人(多田武雄)
197
○
多田証人
調べ
れば結局
海軍省
のあとしかないと思います。
徳田委員(徳田球一)
198
○徳田委員 そうすると第二復員局ですか。
多田証人(多田武雄)
199
○
多田証人
厚生省だと聞いております。
徳田委員(徳田球一)
200
○徳田委員 厚生省は引揚
援護
の方ではないのですか。陸
海軍
の残務整理は厚生省でや
つて
おるのですか。
多田証人(多田武雄)
201
○
多田証人
人の
関係
は厚生省で、
艦船
等の
関係
は運輸省です。しかしそういう資料はたしか厚生省に資料課というのを設けてや
つて
いるように思います。
徳田委員(徳田球一)
202
○徳田委員 それならこつちから
書類
をと
つて
みましよう。そうしないとこれは大変なことができておりますから……。 沼津附近でありますが砂糖の隠匿
物資
がありまして、これは
海軍省
関係
でありましたが、これを
調べ
ましたらそれの原簿が皆燒けている。だから
もと
もと
いくらあ
つた
ということがわからない。あとから帳簿をこしらえたので、合法的に
処置
してよいようなものだけ帳簿をこしらえた。
もと
これだけあ
つた
というふうにできておりまして、あとで盗んだものは皆切捨てられている。だから原簿を燒いたということは非常に私は國民に対し、また國家に対して罪惡だと思います。これをやりました
ため
に、あとの犯罪の捜査にも、またこの隠退蔵
物資
の収拾のことにつきましてもま
つた
く手がつけられなくなりまして、この
委員会
ではもう一年なんぼというものま
つた
くこれに手こず
つたの
です。
多田証人(多田武雄)
203
○
多田証人
ちよ
うどよい機会ですから申し上げておきます。私はそういう資格者ではありませんけれども、
終戰
直後の
混乱状態
に対してはいつでも世間に対して相済まなか
つた
と遺憾の氣持でおります。ただそこでひ
とつ
お
考え
願いたいのは、結局あわててや
つた
わけですが、あわててや
つた
結果、
進駐軍
との
衝突
も來さずにすんだということも併せてひ
とつ
御考慮を願いたいと思います。この
混乱
を來した点についてはもう
終戰
直後から
海軍
をやめましても、まことに遺憾に思
つて
いるところであります。
徳田委員(徳田球一)
204
○徳田委員 そうするとひらたく言いますとこういう物のやりとりに皆熱中して、
進駐軍
のことも忘れてしまうような
状態
にな
つた
というわけですか。燒いた
ため
に相当物を獲得してもよいわけになるものだから、その方に熱中して……。
多田証人(多田武雄)
205
○
多田証人
結果からそういうふうに利用した人があ
つた
かもしれませんが、そんな
意味
で燒いたわけではないと思います。
徳田委員(徳田球一)
206
○徳田委員
進駐軍
との摩擦云々というのは、
進駐軍
のことも忘れて自分の方でそういうものを早く
処置
してうまく……。
多田証人(多田武雄)
207
○
多田証人
燒いたことが
進駐軍
との
衝突
という
意味
で申し上げたのではありません。復員を急いだとか、危險な
兵器
の
処理
を急いだとか、横須賀とか鹿兒島
方面
は眞先に
進駐軍
がや
つて
來るだろうという氣持で非常にあわてて解体したわけです。そういう点から
混乱
を來して、つまり物と人との
関係
ですね、その間に御
承知
のような不正も起
つた
。しかしこれはついでに申し上げますが、その不正を摘発する
ため
には、
海軍省
自体といたしまして
終戰後
軍人の死亡者なんかあるはずがないときに法務官を増員した。二年現役の主計官がおりましたが、その主計官を半強制的に法務官に採用して、この摘発に極力努力したわけであります。
徳田委員(徳田球一)
208
○徳田委員 それではその摘発によ
つて
どれくらいの効果があが
つて
おりますか。
多田証人(多田武雄)
209
○
多田証人
海軍省
として司法省に移す前の件数で千件くらいあ
つた
と思います。
徳田委員(徳田球一)
210
○徳田委員 実は下村元
陸軍
大臣のあれでは七百件ばかり
陸軍
では
処置
した、それで戻
つて
きたのは三割ないし六割と言われますが、あなたの方ではもつとたくさん
処置
しているのに、どうも戻
つて
きているのはわりに少いように思いますが……。
多田証人(多田武雄)
211
○
多田証人
それは今申したように、法務官を殖やしまして、法務官を強制的に採用して増員して極力しらみつぶしにや
つた
わけですから、ごく小さなものまであげておる
関係
じやないかと思います。
徳田委員(徳田球一)
212
○徳田委員 それではもう少し進めまして、この工場の管理を解除しまして、製品、半製品、原料、材料の保管をさしあたり
生産
者に任しておりますが、この任して後に損害賠償だのいろいろのことをやらなければならなか
つた
はずですが、そういう点をどういうふうになされましたか。
多田証人(多田武雄)
213
○
多田証人
その点は当時の政府としても非常に大きな問題だ
つたよう
に思いますが、これは
海軍自体
としては何ら手が出なか
つた
。
徳田委員(徳田球一)
214
○徳田委員
海軍
は何もや
つて
ない……。
多田証人(多田武雄)
215
○
多田証人
や
つて
おりません。
徳田委員(徳田球一)
216
○徳田委員 そうじやないんじやないですか。この製品だの半製品だのをみな受取
つた
勘定にして、
海軍省
からどんどん金を向うへ出しておるんじやないですか。
多田証人(多田武雄)
217
○
多田証人
それは当時の政府の
方針
に從
つて
、
大藏省
の認めたものは出しておるだろうと思います。
海軍自体
で勝手に出したものはありません。
徳田委員(徳田球一)
218
○徳田委員 これは
海軍
の経理部なんかへ聽けばちやんとわかるんじやないでしようか。
多田証人(多田武雄)
219
○
多田証人
経理
関係
は前の経理
関係
の……。
徳田委員(徳田球一)
220
○徳田委員 経理局長は何とおつしやる人ですか。
多田証人(多田武雄)
221
○
多田証人
当時山本という主計中將です。山本丑之助。
徳田委員(徳田球一)
222
○徳田委員 この人に聽けば大体わかりますね。
多田証人(多田武雄)
223
○
多田証人
わかると思います。
徳田委員(徳田球一)
224
○徳田委員 これは実は私の方ではほかに
調べ
ようがなか
つた
ものですから、日本銀行の発行高を
調べ
たのです。そうすると八月中だけで四百何十億と出ておるのです。これは要するに跡始末でどんどん金を出した
ため
に日本銀行の発行高をぐんとあけなければならなか
つた
んじやないですか。それで巷間では大体五百億の金を、ほとんど材料は向うに置いておいてそのまま放出したということを言われておるのです。
多田証人(多田武雄)
225
○
多田証人
たしか補償を停止するまでに拂
つた
ものはあ
つた
でしよう。その額じやないかと思います。
徳田委員(徳田球一)
226
○徳田委員 それが大体五百億……。
多田証人(多田武雄)
227
○
多田証人
私
ちよ
つと金の高は知りませんが、そういう事実はあ
つた
と思います。停止するまでの間に。
徳田委員(徳田球一)
228
○徳田委員 実は発行高が非常に殖えておるんですよ。これは非常に注目すべき事実だものですから、それの根拠がどこにあるかを知りたいのです。
多田証人(多田武雄)
229
○
多田証人
それは大蔵省の方にたしかにありましよう。
徳田委員(徳田球一)
230
○徳田委員 それから軍作業廳、殊に
海軍
いろいろの作業廳のものは適宜運輸省
関係
の工機工場、いわゆる運輸省の鉄道の工機部というものがあります。これに移しておるだろうと思いますが、そういうことはどうでしようか。
多田証人(多田武雄)
231
○
多田証人
運輸省に何を移したかとおつしやるわけですか。
徳田委員(徳田球一)
232
○徳田委員 軍作業廳のもののうち設備を工機部に移しておるのがあるでしよう。
多田証人(多田武雄)
233
○
多田証人
それはたしか
施設
本部
関係
のものですね。ひらたく言えば土建のようなものですね。
施設
関係
のものはたしか運輸省に移したと思
つて
おります。
徳田委員(徳田球一)
234
○徳田委員
民間
にも移しているのがないでしようか。
多田証人(多田武雄)
235
○
多田証人
民間
に移したのは
内務省
に移
つて
からじやありませんでしようか。
徳田委員(徳田球一)
236
○徳田委員 実は八月十四日の
閣議決定
には「軍作業廳の民需
生産
設備たり得るものは之を適宜運輸省
関係
の工機工場その他
民間
工場に轉換す」こうな
つて
おります。実際上にどれだけどこへどう移したかということは、先ほどあなたの御
証言
の中に、莫大な
リスト
をこしらえてこれをどこへ、これをどこへというようになされたという
お話
がありましたが、これはこの
閣議決定
によ
つたの
ではないでしようか。
多田証人(多田武雄)
237
○
多田証人
それとの
関係
は
記憶
しておりませんが……。
徳田委員(徳田球一)
238
○徳田委員 その
書類
はどこにありましようか。
多田証人(多田武雄)
239
○
多田証人
案ですか。
徳田委員(徳田球一)
240
○徳田委員 そうです。
多田証人(多田武雄)
241
○
多田証人
案は
内務省
にもや
つて
あると思いますし、今の資料課で持
つて
おりますかどうですか
徳田委員(徳田球一)
242
○徳田委員 そこを
調べ
てみればどこの
施設
はどこへという大体の案がわかりますね。
多田証人(多田武雄)
243
○
多田証人
おわかりになると思います
徳田委員(徳田球一)
244
○徳田委員 それから「軍需
生産
は之を直ちに停止し工場所有の
原材料
を以て民需
物資
の
生産
に当らしむ」こう書いてありますが、これは軍の所有しておりまする材料であると理解しますが、これを「民需
物資
の
生産
に当らしむ」、そういうことになりますと、それぞれの会社に向
つて
これで何を
生産
しろというような
命令
を発せなければならないと思いますが、こういうことをなされた事実はありますか。
多田証人(多田武雄)
245
○
多田証人
それは
海軍
に全然
関係
はありません。
資材
も
軍需省
が実際のものは持
つて
お
つた
と思います。
軍需省
に移して、いろいろな原料、材料は
軍需省
が持
つて
お
つた
。会社のものはその後商工省に移
つた
はずです。
徳田委員(徳田球一)
246
○徳田委員 これは
海軍
には全然
関係
がない。
多田証人(多田武雄)
247
○
多田証人
ありません。
徳田委員(徳田球一)
248
○徳田委員 それからたとえば
海軍
の持
つて
おりました呉の鎭守府とか横須賀の鎮守府とか佐世保の鎮守府とかいうものを
民間
工場に
引渡し
ておりますが、こういう
処理
は
海軍
がやられたのですか。
多田証人(多田武雄)
249
○
多田証人
それは
進駐軍
に渡したのでして
海軍自体
でや
つた
はずはありません。
進駐軍
に占領されたのです。
徳田委員(徳田球一)
250
○徳田委員 占領もされておりますけれども、その一部では
民間
自体で
使つて
おるものもたくさんありますが……。
多田証人(多田武雄)
251
○
多田証人
それはほとんど後のことだろうと思います。
徳田委員(徳田球一)
252
○徳田委員
海軍
では全然
関係
がない。
多田証人(多田武雄)
253
○
多田証人
関係
ありません。
徳田委員(徳田球一)
254
○徳田委員 それから
陸軍
ではこの
処置
に関してこまかい達を出してありますが、
海軍
でもこういうものはみな出してあるはずですね。
多田証人(多田武雄)
255
○
多田証人
その
処置
に関する細目でございますか。
徳田委員(徳田球一)
256
○徳田委員 ええ
多田証人(多田武雄)
257
○
多田証人
それは出した覚えはありません。
徳田委員(徳田球一)
258
○徳田委員 これは「
軍需品
、軍需工場等の
処理
に関する件達」というので、八月十七日に
陸軍
大臣の名前で出ておりますが、これは
海軍
で出ておりませんか。
多田証人(多田武雄)
259
○
多田証人
出てないと思います。
徳田委員(徳田球一)
260
○徳田委員 出ていない、それはおかしい。
多田証人(多田武雄)
261
○
多田証人
それは私の
記憶
違いかもしれません。あるいは
艦政本部
とか、
施設
本部とか、そういう会社に直接
関係
のある所轄をして、そういう
指令
を出さしたということはあるかもしれませんが、
海軍省
は直接その会社には
関係
ないのです。
徳田委員(徳田球一)
262
○徳田委員 そうすると
海軍省
では全然出しておらぬのですね。
多田証人(多田武雄)
263
○
多田証人
いや、
記憶
違いであるかもしれません。大きな
方針
は出しておるかもしれません。会社に直接ということになると
艦政本部
とか
航空本部
とかです。今のは
陸軍
大臣の達でございますか。
徳田委員(徳田球一)
264
○徳田委員 そうです。ですからこれと同様なものが
海軍
大臣からも出ておるのではありませんか。
多田証人(多田武雄)
265
○
多田証人
そんな詳細にまとま
つた
ものを
海軍省
からは出した
記憶
はありません。出してないと思います。
徳田委員(徳田球一)
266
○徳田委員 そうなると
海軍
では八月十四日の
閣議決定
はいつ実行なされましたか。
多田証人(多田武雄)
267
○
多田証人
さつきも
委員長
にもはつきり
日にち
を申し上げられませんでしたが、翌日か翌々日です。
徳田委員(徳田球一)
268
○徳田委員 そうすると十五日か十六日ですね、そうして実施したのは即時実施したのですね。
多田証人(多田武雄)
269
○
多田証人
電報でや
つて
おりますから即時各部隊では実施してお
つた
と思います。
徳田委員(徳田球一)
270
○徳田委員 電報の寫しなんかありませんか。
多田証人(多田武雄)
271
○
多田証人
書類
については実際私の立場からはつきり申し上げられません。資料課をお
調べ
になればあるかないかわかるのです。
徳田委員(徳田球一)
272
○徳田委員 大体ある見込みですか。
多田証人(多田武雄)
273
○
多田証人
あると思いますが、どうでしようか。
徳田委員(徳田球一)
274
○徳田委員 これは
陸軍
のは実に綿密に書いてあります。
多田証人(多田武雄)
275
○
多田証人
多田
があるはずだと言
つて
お
つた
と言われても
ちよ
つと困るのです。
残つて
おるか
残つて
おらないか私は知らないのです。
徳田委員(徳田球一)
276
○徳田委員
陸軍
がこんなに綿密に出しておるというのに、
海軍
はルーズだということになれば、
海軍関係
の隠退藏
物資
その他の不正が
陸軍
以上に深刻にあ
つた
という感じがしますが……。
多田証人(多田武雄)
277
○
多田証人
それは
軍需省
におもにや
つて
もら
つて
お
つたの
と、
海軍自体
でや
つて
お
つたの
と、もう一つ
陸軍
と違うのは、軍隊を全部解体できなか
つた
。軍人をやめなければいかぬというのに危険な掃海までやらさなければいかぬというような
関係
で、ある程度現役と言うとおかしいが、
海軍
が現存してお
つた
当時の
状態
で続いてお
つた者
が相当あるわけです。その点は
陸軍
と違うと思います。それだからとい
つて
、あまり
海軍
がラフだから不正が多か
つた
という結論は出さないでいただきたい。
徳田委員(徳田球一)
278
○徳田委員 そうすると
海軍
の方は
陸軍
ほど綿密に事をしなくともいいだけに、ある程度持続しなくともいいだけの
処置
をしなくともいいようにな
つて
お
つた
というわけですね。
多田証人(多田武雄)
279
○
多田証人
とにかく概括的に申しますと、
終戰後
のいろいろな事務を戰爭中よりもむしろ忙しか
つた者
が多か
つた
くらいに跡始末に非常に骨折したわけです。これは余談でありますが、
次官会議
のいつでしたか、
終戰
にもな
つた
から勤務時間を
規定
通り
——当時四時でしたか五時でしたか、それで全部切り上げるようにしようじやないかという話が出た。そのときに私は実は反対したのです。それは今いろいろな
進駐軍
からの注文とか跡始末に忙しくて、戰をしておるときより忙しい人間がたくさんおるのに、そういうことを
次官会議
で
決定
されたら困るというので取止めたくらいです。これは余談でありますが怠けてお
つた
わけでありませんからどうぞ……。
徳田委員(徳田球一)
280
○徳田委員 いや、決してそういうふうに
考え
ておりません。あまり勤勉でありすぎて、かえ
つて
事を誤
つた
ところもあろうと思いますから、そういうふうには
考え
ておりません。ところで問題は
進駐軍
に
武器
というか、
兵器
というか、こういう種類の
軍需品
は全部引渡さなければならなか
つた
はずでありますが、こういうものの
リスト
をこしらえてこれを
海軍省
の方に全部集めておられましようかどうでしようか。
多田証人(多田武雄)
281
○
多田証人
集めて
進駐軍
に渡したものと、事後寫しの
報告
を受けたものと、現場で
進駐軍
の部隊にや
つたの
ちに
海軍省
に送
つて
來たものも事務的にはあると思います。だから
海軍省
に全部まとま
つて
からごつそり
進駐軍
にや
つた
というわけじやありません。
徳田委員(徳田球一)
282
○徳田委員 しかしこれは集めてや
つた
ものと、あとから補充したものと、併せて全部現在のところから見れば
引渡し
た
リスト
はあるわけですね。
多田証人(多田武雄)
283
○
多田証人
それはあると思います。
徳田委員(徳田球一)
284
○徳田委員 これは資料部に聽けばわかるわけですね。
多田証人(多田武雄)
285
○
多田証人
資料部にお聽きになればわかると思います。
徳田委員(徳田球一)
286
○徳田委員 そうするとこの
リスト
は一方
進駐軍
におやりになるとともに、一方
内務省
並びに地方官廳にお渡しにな
つて
いるんじやないですか。
多田証人(多田武雄)
287
○
多田証人
いやその当時は
兵器
関係
で、
内務省
その他の省にそういう
リスト
を出すところまで行
つて
おらなか
つた
と思います。
徳田委員(徳田球一)
288
○徳田委員
軍需品
はどうです。
多田証人(多田武雄)
289
○
多田証人
それは先ほど申しましたように準備を進めてお
つた
と思いますが、全部一遍に
リスト
ができて、ある日を限
つて
きつちり
内務省
に移管手続を済ましたというわけじやなか
つた
と思います。
徳田委員(徳田球一)
290
○徳田委員 日は限らないでも
リスト
ができ次第すべて
内務省
に渡して、それで
内務省
がこの跡始末をする参考の
ため
に使用したわけじやないですか。
多田証人(多田武雄)
291
○
多田証人
兵器
以外はそうだと思います。
徳田委員(徳田球一)
292
○徳田委員
兵器
はどうでした。
多田証人(多田武雄)
293
○
多田証人
兵器
は
内務省
に渡しておらぬと思います。
徳田委員(徳田球一)
294
○徳田委員 そうすると
大藏省
の方ですか。
多田証人(多田武雄)
295
○
多田証人
大藏省
もないでしよう。
進駐軍
に移管しただけだろうと思います。
徳田委員(徳田球一)
296
○徳田委員 実を申しますと、
艦船
は國有財産で
大藏省
の國有財産課で扱いまして、業者と契約を結んだりして、この
リスト
がないと契約が結べない
ため
に、
大藏省
か
内務省
かどつちかに送
つて
おりませんと、
リスト
なしでは実際仕事はできないと思いますが、そういうことはしておらぬのですか。
多田証人(多田武雄)
297
○
多田証人
それはあとの
処分
の問題じやありませんですか。
徳田委員(徳田球一)
298
○徳田委員 それは
処分
ですけれども、
引渡し
た
リスト
を持
つて
おりませんと
大藏省
ではこれを
民間
と契約するときに現場へ行
つて
一々
調べ
て
リスト
をこしらえてからやるというのでは到底できない仕事なんで、それで
陸軍
省の方は
リスト
を渡したと言いますがね。
海軍省
はそういう
リスト
を
関係
官廳に渡しておらぬとすれば、非常に過ちを生じておると思いますが。
多田証人(多田武雄)
299
○
多田証人
それはずつとあとに、いよいよ
進駐軍
から
兵器
を
処分
するように、一遍
進駐軍
が保存したのを、これはおれの方では要らぬから
処分
しろというふうにな
つた
ころからはあるいはそういう手続にな
つた
かもしれませんが、私は
記憶
しておりません。
徳田委員(徳田球一)
300
○徳田委員 そこのところは判明しておりませんね。
多田証人(多田武雄)
301
○
多田証人
はあ。私がお
つた
時分にはそういう手続をした覚えはありません。
徳田委員(徳田球一)
302
○徳田委員 そこで最後にもう一つお聽きしたい。
兵器
を
処理
しますときに
兵器処理委員会
、
特殊物件処理委員会
とかいうものができましたが、このできたときに
海軍省
からもこれに参加しておると思われますが、これはどなたが参加されましたか。
多田証人(多田武雄)
303
○
多田証人
兵器処理委員会
は参考人として実際物を知
つて
おりますから
海軍
からも出てお
つた
だろうと思いますが、委員のメンバーにはどうであ
つた
か私
記憶
がありません。
徳田委員(徳田球一)
304
○徳田委員
陸軍
では皆はい
つた
と言
つて
おりますがね。
多田証人(多田武雄)
305
○
多田証人
私はつきり
記憶
しないで相済みませんが、私の
記憶
より記録をお
調べ
願つた
方がいいと思います。
徳田委員(徳田球一)
306
○徳田委員 はい
つて
いるはずですが、覚えておらぬでしようか。こういうような人事はあなたの所管じやないでしようか。第二次の
兵器処理
特別
委員会
の構成の中にもはい
つて
おりますね。
海軍省
の
軍務局
軍務第一課長というものがはい
つて
おります。それから復員局で中央
特殊物件処理委員会
の構成の中に、復員廳第二復員局、これは総務部長と同部総務課長が出るということにな
つて
おりますが……。
多田証人(多田武雄)
307
○
多田証人
私はその時分のことを存じません。
徳田委員(徳田球一)
308
○徳田委員 名前も御存じありませんか。
多田証人(多田武雄)
309
○
多田証人
私の時代のあとでございますからお答えいたしかねます。
徳田委員(徳田球一)
310
○徳田委員 幣原
内閣
の
海軍次官
はどなたですか。
多田証人(多田武雄)
311
○
多田証人
最初
の間は私です。
徳田委員(徳田球一)
312
○徳田委員 いつごろまでですか。
多田証人(多田武雄)
313
○
多田証人
十一月二十日まで。
徳田委員(徳田球一)
314
○徳田委員 それから復員廳になりましてからは第二復員局の局長はたれですか。
多田証人(多田武雄)
315
○
多田証人
それは
最初
は三戸中將であります。
徳田委員(徳田球一)
316
○徳田委員 この方をお喚びすればわかるわけですね。
多田証人(多田武雄)
317
○
多田証人
わかるだろうと思います。
徳田委員(徳田球一)
318
○徳田委員 これで私は終ります。
武藤委員長(武藤運十郎)
319
○
武藤委員長
ほかにどなたかございませんか
石田(一)委員(石田一松)
320
○石田(一)委員
ちよ
つと簡単に
お尋ね
いたしたいのですが、今徳田君のお聽きにな
つた
中に、あなたが責任をも
つて
出したとお
考え
にな
つて
も結構ですとおつしや
つた
書類
の燒却
命令
の出た極祕の
書類
というものは、あなたが
命令
をお出しになるときに具体的に言えば何と何に燒却
命令
をお出しにな
つた
か。
多田証人(多田武雄)
321
○
多田証人
当時の
考え
ですから今から
考え
ると間違
つて
お
つた
点もあるが、
連合國軍
に見られてはまずいものを燒けという趣旨が多か
つたの
であります。
石田(一)委員(石田一松)
322
○石田(一)委員
連合軍
に見られては都合が悪いというのは、まだその当時あなた方の
考え
では、日本に今後とも陸
海軍
というものを置くことを許されるというような
考え
の
もと
に、そうした機密の燒却を
命令
なす
つたの
ですか。
多田証人(多田武雄)
323
○
多田証人
そうはつきりした
考え
はもちませんでしたけれども、軍隊というものが全然なくなるというところまでははつきり
考え
ておらなか
つた
。少くとも國内警備の
ため
に、治安維持の
ため
には若干の軍隊は認められるだろうというくらいの甘い
考え
を事実も
つて
おりました。
石田(一)委員(石田一松)
324
○石田(一)委員 そうすると燒却
命令
をお出しに
なつ
だ極祕の
書類
、軍機
書類
というものは具体的にはいわゆる管理工場であるとか、
兵器
の未
完成品
であるとかいうものの、いわゆる原簿の極祕の
書類
というか、そういうことは御想像がなか
つた
ですか。
多田証人(多田武雄)
325
○
多田証人
そういう
意味
は全然ありません。何か悪いことをする
ため
に隠してやるという趣旨は全然ありません。
石田(一)委員(石田一松)
326
○石田(一)委員 要するに今度の戰爭当初から
終戰
に至るまでの、世界に公表することをはばかる分の、いわゆる
会議
の記録であるとか、あるいはそれまでに発せられた
命令
の写しであるとか、そういうものを燒却しろと御
命令
なす
つた
、こういうことに了解してよろしいですか。
多田証人(多田武雄)
327
○
多田証人
そういう趣旨でございます。
石田(一)委員(石田一松)
328
○石田(一)委員 もう一つお伺いしたい。これは御存じないかもしれませんが、現在あなたの知
つて
いらつしやる
範囲
で、元
海軍
の軍人で
終戰後
、
海軍
のの元軍需工場であ
つた
会社の重役であるとか、あるいは何とかという者に現在な
つて
、いらつしやる方を御存じありませんか。
多田証人(多田武雄)
329
○
多田証人
戰前ですか。
石田(一)委員(石田一松)
330
○石田(一)委員 いや、戰後です。
多田証人(多田武雄)
331
○
多田証人
戰後はないと思いますが、知りません。それに就いている人があるということを知りません。おそらくないと思います。
徳田委員(徳田球一)
332
○徳田委員 もう一遍お聽きしたいのですが、特殊物件のことは
昭和
二十年十月十九日に
閣議
が
決定
しておりまして、まだあなだが
海軍次官
であられるときのものではないかと思いますが、どうですか。
多田証人(多田武雄)
333
○
多田証人
いや、さつき申しましたのは、委員の構成は
記憶
がありません。参考人か、委員か知りませんが、
関係
者は出てお
つた
と思いますから申し上げたのであります。出てはお
つた
と思いますが、委員の構成についてははつきり
記憶
がありません。
徳田委員(徳田球一)
334
○徳田委員 しかしあんたのすぐ下に働いておられる保科善四郎中將ですか、少将ですか、この方が
軍務局長
としてちやんと出ておるのです、この
書類
によりますと。あなたが覚えがないということはないだろうと思います。
多田証人(多田武雄)
335
○
多田証人
その
通り
にお
考え
にな
つて
よいかもしれませんが、私は実際に忘れております。
徳田委員(徳田球一)
336
○徳田委員 まだそういうお歳でもないだろうと思いますが、まだ官吏には
海軍省
軍務局
第三課長吉田英三という方が出ておりますがね。もう少しあつさりしたらどうですか。
多田証人(多田武雄)
337
○
多田証人
何もそれを知
つて
おるか、知らぬかで私が責任をどうとかいうことはないのですから……。ま
つた
く
記憶
がないことは申し上げないんで、書き物の
通り
に間違いないと思います。
徳田委員(徳田球一)
338
○徳田委員 どうも
海軍
の方は保科善四郎氏も昨日出てこられたのですけれども、何も知らぬ何も知らぬというとうべんが多くて実際弱
つて
いるんです。そうすると、どうも非常に信頼の度を薄めますからね。
多田証人(多田武雄)
339
○
多田証人
実際委員方が熱心にや
つて
おられる立場から
考え
ると、知らぬのはけしからぬとお
考え
になるがもしれませんが、実際に三年も経
つて
忘れてますよ。
徳田委員(徳田球一)
340
○徳田委員 そうですかな。しかしあのときはずいぶんあなた方も苦労して天下をとるつもりでや
つた
んだから、なかなかあのときの
記憶
は去らぬだろうと思うんだけれども。まあ、あとで残念至極というところでいろいろ
処置
したことは、実に印象深いことだろうと思うのですけれども……。あなたは
次官
になられる前に、小磯
内閣
当時から米内大臣の
もと
に
軍務局長
をずつとや
つて
おられたのでありますか。
多田証人(多田武雄)
341
○
多田証人
そうであります。
徳田委員(徳田球一)
342
○徳田委員 そうすると、
終戰前
から
終戰前
後のことは全部御存じのはずだと思いますけれども。
多田証人(多田武雄)
343
○
多田証人
私は責任をとれと言われれば責任はとりますが、事実忘れておるものがたくさんあります。
徳田委員(徳田球一)
344
○徳田委員 困
つた
な。そういう方がみんな忘れたんじや、どうも
調べ
ようがない。
書類
は燒いているわ、あんたは忘れてるわ、それではみんな空白にな
つて
しまいます。
多田証人(多田武雄)
345
○
多田証人
書類
を燒き過ぎたことは悪か
つた
と思います。実際燒き過ぎした。
徳田委員(徳田球一)
346
○徳田委員 このときの
状態
についてみんなお忘れにな
つた
となると、これは聽きようも何もなくて困るのですでけれど、そう全部忘れたわけではないでしよう。
多田証人(多田武雄)
347
○
多田証人
しかし書き物でお
調べ
になればわかることが大
部分
じやないですか。
徳田委員(徳田球一)
348
○徳田委員 いや、実は書き物ではわからない
部分
があるんですよ。
終戰前
後のことは書き物には載
つて
ない特殊なあれがありますからね。そう申しますと、こういう
閣議決定
は実際からいくと違憲じやないですか。隠密裡にやれとか何とか、国有財産ですと何とい
つて
も国有財産の
処理
に対しては
法律
がありますから、その
法律
によらなければならないはずのものを、
法律
にも何もよらずして、勝手にやるという
閣議決定
をしているわけでありますから、こういう
閣議決定
をあなた方があとに知
つて
その実行方にあた
つて
何らの疑義を存せず、この仕事をや
つて
おられるのですね。実はこのことにあるのですよ。この
書類
だけではわからぬというところは……。
多田証人(多田武雄)
349
○
多田証人
海軍
は隠密裡という言葉は決して
使つて
おりませんから、私は当時の印象は
残つて
おりません。
徳田委員(徳田球一)
350
○徳田委員 しかし隠密裡でなくても、こういう國民國の所有ですから、國の所有を何も
法律
にもよらず、ただ一片の
閣議決定
で
拂下げ
るとか、引渡すという
処置
をすることはできないと思いますがね。
多田証人(多田武雄)
351
○
多田証人
今から
考え
てもおかしいですね。隠密に、だれに隠密にするかわからぬ。隠密というのは
意味
をなさぬと思う。
徳田委員(徳田球一)
352
○徳田委員 隠密というのは仲間同士でこつそりやるということでありませんか。
多田証人(多田武雄)
353
○
多田証人
そういうことに隠密という字を使
つた
らとんでもないことです
徳田委員(徳田球一)
354
○徳田委員 公式に國有財産の
処置
をするときに、公式の手続をとらずして違法にやれということではないか。
多田証人(多田武雄)
355
○
多田証人
そんなことはないと思います。
徳田委員(徳田球一)
356
○徳田委員 しかし書いてあります。見てごらんなさい。
多田証人(多田武雄)
357
○
多田証人
それは私はわかりません。
徳田委員(徳田球一)
358
○徳田委員 だから
書類
だけではわからぬ。要するにそのときの当事者にこれは一体どういうわけかと聽かないとわからないことがあるのでないか、だからここでの隠密裡というのはそういう
意味
でのことなんですよ。
多田証人(多田武雄)
359
○
多田証人
私はそう思いません。そんなことはできるはずはない。
徳田委員(徳田球一)
360
○徳田委員 しかしそうするとこのときの
閣議
の大臣というものはよほど惡党ですな。さもなければさつぱりわけのわからぬ人間ですね。できないことをやれというのですから、どうもそれをあなた方受取られて、これを実行せられたのだから、どうもこれがわからぬというあれはないと思う。印象は三年経
つて
も、十年経
つて
も、死ぬまでこのことを忘れられないと思うが、きわめて違法のことですから、きわめて特徴的なことで、普通の事務をとるというのと全然違
つた
性質のもので、これはよほど大事なことで忘れられないと思う。
多田証人(多田武雄)
361
○
多田証人
私は
海軍
のことを当時の
次官
としてのお答えしかできませんが、その点をお
調べ
になるなら、
海軍
大臣が出した
命令
をひ
とつ
お
調べ
を願いたい。
徳田委員(徳田球一)
362
○徳田委員
海軍
大臣がどうも不幸なことに死んでおられます。米内さんが亡くなられておるので、その次のあなたが責任者ですから、あなた以外に今立証する人がないですよ。
多田証人(多田武雄)
363
○
多田証人
いやその
書類
をお
調べ
になると隠密という言葉があ
つた
かなか
つた
か……。
徳田委員(徳田球一)
364
○徳田委員 そこですか、それならいずれ東久邇総理大臣も出てこられますから、これは陸
海軍
を通じての責任者でありましようから、その方にひ
とつ
十分お聽きしましよう。
武藤委員長(武藤運十郎)
365
○
武藤委員長
ほかにございませんか。それでは済みました。御苦労さまでした。
武藤委員長(武藤運十郎)
366
○
武藤委員長
椎名悦三郎
さんでか。
椎名証人(椎名悦三郎)
367
○
椎名
証人
はい。
武藤委員長(武藤運十郎)
368
○
武藤委員長
それでは伺いますが、あなたは
鈴木内閣
及び
東久邇内閣
のときに、軍需
次官
あるいは商工
次官
をしておられましたね。
椎名証人(椎名悦三郎)
369
○
椎名
証人
はい。
武藤委員長(武藤運十郎)
370
○
武藤委員長
いつからいつまで軍需
次官
で、いつからいつまで商工
次官
でありますか。起立してお答えください。
椎名証人(椎名悦三郎)
371
○
椎名
証人
鈴木内閣
成立後に豊田貞次郎氏が軍需大臣になりましたときに商工
次官
にな
つたの
ですが、あれはいつでしたか、
ちよ
つとはつきり覚えておりません。
武藤委員長(武藤運十郎)
372
○
武藤委員長
昭和
二十年四月ごろではございませんか。
椎名証人(椎名悦三郎)
373
○
椎名
証人
そのころだ
つた
でしようね。
武藤委員長(武藤運十郎)
374
○
武藤委員長
豊田貞次郎氏は鈴木貫太郎
内閣
の軍需大臣ですか、商工大臣ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
375
○
椎名
証人
軍需大臣です。
武藤委員長(武藤運十郎)
376
○
武藤委員長
そのときは商工大臣はないのですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
377
○
椎名
証人
商工大臣はありません。
武藤委員長(武藤運十郎)
378
○
武藤委員長
豊田氏が軍需大臣に就任せられたのが、
昭和
二十年の四月七日のようですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
379
○
椎名
証人
その後間もなくです。
武藤委員長(武藤運十郎)
380
○
武藤委員長
その後間もなく、少し後れて四月の十日ですね、それでは。
椎名証人(椎名悦三郎)
381
○
椎名
証人
はい。
武藤委員長(武藤運十郎)
382
○
武藤委員長
それからずつと軍需
次官
をしておられて
軍需省
がなくな
つて
商工省になりましたのは……。
椎名証人(椎名悦三郎)
383
○
椎名
証人
八月の二十七、八日ごろですね。
武藤委員長(武藤運十郎)
384
○
武藤委員長
そうすると、
東久邇内閣
ができてから変
つた
わけですか。
東久邇内閣
ができた当時は……。
椎名証人(椎名悦三郎)
385
○
椎名
証人
できた後に、間もなく変りました。
軍需省
が消滅して商工省が新しくできたわけです。
武藤委員長(武藤運十郎)
386
○
武藤委員長
なるほど。そうすると、その
東久邇内閣
の商工大臣は
中島知久平
氏ですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
387
○
椎名
証人
そうです。
武藤委員長(武藤運十郎)
388
○
武藤委員長
その下であなたがやはり今度は商工
次官
という名前で
次官
をしておる。
椎名証人(椎名悦三郎)
389
○
椎名
証人
ええ。
武藤委員長(武藤運十郎)
390
○
武藤委員長
仕事はずつと
軍需省
から商工省へ、そつくり引継いだわけですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
391
○
椎名
証人
軍需省
そのまま全部引継いだということにはならぬでしよう。ということは、初めに商工省が廃止されて
軍需省
になりますときに、陸
海軍
の仕事も
軍需省
にはいるし、企画院の権限の、ある
部分
も
軍需省
に移管されましたから、從
つて
もと
の商工省の性格に返
つた
、こういうことになります。
武藤委員長(武藤運十郎)
392
○
武藤委員長
そうすると、
終戰当時
における
軍需物資
の
生産状況
保有状況
、あるいは
保有量
等について、あなたの知
つて
おらるる限りを述べてもらいたい。
椎名証人(椎名悦三郎)
393
○
椎名
証人
生産状況
はきわめて不振であ
つたよう
に
記憶
いたします。ということは、いろいろな敵襲によ
つて
被害を受け、計画が片つぱしから齟齬したというわけで、すでにサイパン失陥後においては、非常に低調になり、
終戰
直前はきわめて低調であ
つた
と
記憶
しております。それから
軍需物資
と言われますが、いわゆる
軍需物資
の中には、廣義、狭義と二つにわけて
考え
ることができると私は思
つて
おります。廣義のやつは
民間
工場所有のものであ
つて
も、國家総動員法の対象にな
つて
、統制上この製品はどこへまわせ、この
原材料
はどの
方面
にまわせというような指導、統制をや
つて
お
つた
ものも、廣義においては
軍需物資
と言われております。しかし
終戰
と同時にそれは一應解除されております。それで所有者が自分のものとして
処理
することにな
つたの
でありますが、いわゆる狭義の
軍需物資
ですね。これは陸
海軍
所有のものが大
部分
であ
つて
、
軍需省
においては陸
海軍
の臨時軍事費の一部を航空
兵器
総局に移管しておりまして、その移管された
部分
において
軍需省
航空
兵器
総局が
民間
から買い上げる、そして飛行機をつくる
ため
に準備材料と卑して保有してお
つた
というようなものが
軍需省
所管においては、いわゆる狭義の
軍需物資
は、そういう
範囲
においても
つて
お
つた
と思いますが、私はその点に関しては、
軍需省
の構成上これに直接触れない立場であ
つたの
で私はどういう程度、どういう
数量
のものがあ
つた
かということは、ま
つた
く知らぬのです。
武藤委員長(武藤運十郎)
394
○
武藤委員長
概略
は……。
椎名証人(椎名悦三郎)
395
○
椎名
証人
概略
もわかりません。これは航空
兵器
総局長官であ
つた
遠藤三郎
氏が見えておりますから、後刻あるいは同氏から詳しくお聽きになる方が正確と思いますが、私は直接管轄しておりませんので、不正確な
数字
を申し上げることは控えておきます。
武藤委員長(武藤運十郎)
396
○
武藤委員長
軍需物資
について
終戰後
に——八月十四日に
閣議決定
をも
つて
、軍その他の保有する
軍需用保有物資
資材
の
緊急処分
の件、そういうものがきまりましたのですけれども、御存じですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
397
○
椎名
証人
ごくおぼろげに
記憶
しております。
武藤委員長(武藤運十郎)
398
○
武藤委員長
大体の内容は……。
椎名証人(椎名悦三郎)
399
○
椎名
証人
それは軍所有の
物資
を戰爭目的に動員してお
つたの
が、
終戰
にな
つた
以後においてはもはや軍が保有する必要がない。これを
民間
に有効に使わせることが、今後の國の
ため
であるとい
つたよう
な
考え
の
もと
に、そういう事柄が
決定
したのではないかと
考え
ておりました。
武藤委員長(武藤運十郎)
400
○
武藤委員長
その
閣議決定
に基いて、またさらに
陸軍
大臣または
海軍
大臣名をも
つて
達を出して、実際の
処置
方法を指示したようですけれども、あなたはそういうことには
関係
をせられなか
つたの
ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
401
○
椎名
証人
そのこともあまり覚えておりませんし、むちろん
関係
しておりません。
武藤委員長(武藤運十郎)
402
○
武藤委員長
しておらないのですか、忘れたのですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
403
○
椎名
証人
いや
関係
しておりません。
武藤委員長(武藤運十郎)
404
○
武藤委員長
それではその
緊急処分
の問題が、後に
閣議
を経て取消にな
つた
ことは、御存じありませんか。
椎名証人(椎名悦三郎)
405
○
椎名
証人
それも
記憶
しております。それはその後
占領軍
の
意向
等がわか
つて
、それを勝手に
処分
しちやいかんというような
意向
がわか
つたの
で急にそれを
取消し
たというような点を
記憶
しております。
武藤委員長(武藤運十郎)
406
○
武藤委員長
連合軍
の
意向
が判明いたしましたのは、
河邊中将
一行の軍
使節
が
マニラ
からこちらへ帰
つて
きて、初めてわか
つた
わけですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
407
○
椎名
証人
そういうふうに
記憶
しております。
武藤委員長(武藤運十郎)
408
○
武藤委員長
その前にこういう
緊急処分
の方法はよろしくないから、これは取消さなければならないということが、政府の内部で話が出てお
つた
わけではないのですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
409
○
椎名
証人
それは聞いておりません。
武藤委員長(武藤運十郎)
410
○
武藤委員長
それでは取消にしたのは、やはり先方の
意向
がはつきりして、それによ
つて
取消の
命令
を出したというように伺
つて
よろしいわけですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
411
○
椎名
証人
そう私は
記憶
しております。
武藤委員長(武藤運十郎)
412
○
武藤委員長
九月の二十四日になりまして、
連合軍
から最高司令官の覚書というものが公布されたようでありますけれども、御存じでありますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
413
○
椎名
証人
それはその当時私は存じませんでした。
武藤委員長(武藤運十郎)
414
○
武藤委員長
いつ御存じになりましたか。
椎名証人(椎名悦三郎)
415
○
椎名
証人
事後において聞いて
知つた
わけです。最高司令官の覚書というような、そういう詳しい話は私は覚えておりませんが、とにかくG・H・Qの方から指示があ
つた
というような、まあごく
常識
的な表現で聞いたような氣がします。
武藤委員長(武藤運十郎)
416
○
武藤委員長
それに対して
日本政府
がいかなる
処置
をとることにしたか、そういうことについてはあなたは御存じありませんか。
椎名証人(椎名悦三郎)
417
○
椎名
証人
それも事後において私は知
つたの
ですが、
内閣
の方に電話か何かで、これはひ
とつ
日本の方に返すから、この措置を一体どうするか、緊急にお前の方で
決定
して、すぐ返事しろというようなことで、各省に
相談
する間もなく、ほとんど
内閣
の方で便宜や
つた
。きわめて便宜の手続で軍
司令部
の方に通知したというように聞いております。
武藤委員長(武藤運十郎)
418
○
武藤委員長
あなたは当時
次官
をしておられたのだから、もう少しよく知
つて
おるわけではないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
419
○
椎名
証人
どうもあの当時の情勢で軍所有の
物資
ということでもあ
つた
し、あまり
終戰後
に
軍需省
の方に
相談
しなければきまらないという問題でもなか
つたよう
ですから、自然軍需
次官
の耳にはいらずにそういう措置が行われたように私は思うのです。
武藤委員長(武藤運十郎)
420
○
武藤委員長
商工省
関係
の所管
物資
というのは、何と何ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
421
○
椎名
証人
それは鉱工業全般にわたりますが、所管
物資
ですか。つまり行政の対象になるものですね。
武藤委員長(武藤運十郎)
422
○
武藤委員長
当時な
つて
お
つた
ものです。
椎名証人(椎名悦三郎)
423
○
椎名
証人
ただいまとほとんど違いありません。鉱工業全般の
物資
が商工省の行政の対象になるわけです。
武藤委員長(武藤運十郎)
424
○
武藤委員長
その
物資
の
緊急放出
またはその禁止等につきましては、あなたは直接の所管官職として、もう少し詳しく知
つて
おられるわけではありませんか。
椎名証人(椎名悦三郎)
425
○
椎名
証人
その軍放出
物資
の
取扱い
の問題については、その程度しか知りません。
武藤委員長(武藤運十郎)
426
○
武藤委員長
内閣
に
特殊物件処理委員会
というようなものをつく
つた
ことを御存じありませんか。
椎名証人(椎名悦三郎)
427
○
椎名
証人
それは私がやめてからです。
武藤委員長(武藤運十郎)
428
○
武藤委員長
おやめにな
つたの
は、
昭和
二十年の十月十二日でありますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
429
○
椎名
証人
そうであります。辞令を頂戴した目的はそうであります。
武藤委員長(武藤運十郎)
430
○
武藤委員長
実際やめたのは……。
椎名証人(椎名悦三郎)
431
○
椎名
証人
実際やめたのはそれよりも四、五日前、実際やめたといいますか、
ちよ
うど東久邇宮
内閣
が瓦解しまして、当時の商工大臣が
中島知久平
氏であります。次の
内閣
には遺憾ながら
次官
としてはやめたいからということで、形式上は小笠原大臣のところで辞表を受理されたわけでありますが、実際に職を去
つたの
は四、五日前で、
特殊物件処理委員会
のごくまだ案にもならない程度のことはあ
つたよう
に思われますけれども、それもはつきり
記憶
しておりません。
武藤委員長(武藤運十郎)
432
○
武藤委員長
連合軍
からそれでは返還を受けた
廃兵器
などについてどういろ
処置
をするかというようなことについては、あなたの在任中は問題にならなか
つたの
ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
433
○
椎名
証人
問題にならなか
つたの
です。
武藤委員長(武藤運十郎)
434
○
武藤委員長
特殊物件
処理
要綱というものが
閣議
できま
つて
おります。それが確定したのはあとの
内閣
のようですけれども、大体草案はあなたがおられるころにきま
つたの
ではないですか。御存じありませんか。
椎名証人(椎名悦三郎)
435
○
椎名
証人
どうも
記憶
にございません。
徳田委員(徳田球一)
436
○徳田委員
最初
に
軍需省
の所管でありますが、航空
兵器
総局というのは
軍需省
管下にあるのじやないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
437
○
椎名
証人
軍需省
の内部機構であります。
徳田委員(徳田球一)
438
○徳田委員 そうすると、あなたがここの総局長官をやはり指揮しておられるのではないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
439
○
椎名
証人
そういうわけにいかなか
つたの
です。
徳田委員(徳田球一)
440
○徳田委員 それではあなた、機構上怠慢じやないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
441
○
椎名
証人
怠慢じやないのです。そういう建前です。
徳田委員(徳田球一)
442
○徳田委員 それなら
軍需省
の
次官
が局長の方の管理をしなければ何の
ため
にあるか。
椎名証人(椎名悦三郎)
443
○
椎名
証人
それは
軍需省
をつくるときは、
陸軍
、
海軍
で同じ
軍需品
をせり合う。それから飛行機をつくるのでも、ほかのものをつくるのでも、同じものをつくるのにいろいろ方式が違う。從
つて
民間
のこれにあたる企業家は非常に迷惑するとい
つたよう
なこともありますし、とにかく総合して軍需
生産
をやることが最も能率的であるというようなことから、
軍需省
設置案というものが数年前から盛んに論議されたのです。論議されましたけれども、でき上
つた
ものは、われわれが期待したような渾然一体をなすような
軍需省
でなか
つた
ことはかねがね非常に遺憾に思
つて
おりました。それで航空
兵器
総局は御
承知
の
通り
、現役軍人がほとんど大多数を占めておりました。現役軍人に対する指揮
命令
権、監督権、人事権はもてない。ただ
ちよ
うどよろいの上に衣を着たようなかつこうで、衣をいくら押えてみた
つて
、よろいはその
通り
ぴんぴんしている。一應は
軍需省
の職員ということにな
つて
おりますけれども、轉任であるとか、あるいは信賞必罰とい
つた
ことは、
陸軍
は
陸軍
の人事局が、
海軍
は
海軍
の人事局がこれを掌握しているというようなかつこうで、この点いろいろ複雑なのです。
徳田委員(徳田球一)
444
○徳田委員 それはまあそうであ
つた
ろう。それは
事情
がそうであ
つて
、その
ため
に敗けたのでしようけれども、とにかく軍需
生産
そのものに関しては、航空
兵器
総局もすべて
軍需省
の一環として、指揮はしなくもその中にどういうことが行われて、どれだけの
物資
を
使つて
どうしたということはみな御
承知
じやないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
445
○
椎名
証人
どうもはなはだ不肖でその点は存じておりません。
徳田委員(徳田球一)
446
○徳田委員 知らないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
447
○
椎名
証人
それは別に弁解するわけではありませんが、知ろうと思
つて
も知ることができなか
つた
部面
があるのです。
徳田委員(徳田球一)
448
○徳田委員 そうすると、形式上は
軍需省
の中で仕事をしているけれども、実質上は陸
海軍省
がおのおの角つき合いしてや
つて
お
つた
ということになりますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
449
○
椎名
証人
それは私は全部は肯定しませんけれども、航空
兵器
総局以外の局においては、これは先に申し上げたように、國家総動員法によ
つて
、あるいは鉱山、その他の工場を軍需工場とい
つたよう
な指定をして、そうしてお前のところへいつもそれだけの切符をや
つた
。それによ
つて
生産
したものはこつちへやれ、あつちへやれ、あるいは労務管理はこうしろとい
つたよう
な監督権と申しますか、指揮権と申しますか、いわゆる統制は相当に徹底的にや
つた
わけです。
徳田委員(徳田球一)
450
○徳田委員 そうすると、それは
生産
の全面にわた
つて
や
つて
お
つた
わけですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
451
○
椎名
証人
それによ
つて
できた
生産
品は陸
海軍
の方に、あるいは航空
兵器
総局の方に、
兵器
生産
の方にまわ
つて
おりました。ただ行政の対象ではなくて、それを今度わがものとして、戰爭行為遂行の
ため
に必要なる
兵器
その他の万端の
物資
の所有
関係
は軍需大臣、
次官
の権限になか
つたの
です。
徳田委員(徳田球一)
452
○徳田委員 そうすると、
資材
だけしかあれしないというわけですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
453
○
椎名
証人
まあ追いまわしです。
命令
し追いまわしするだけです。
徳田委員(徳田球一)
454
○徳田委員 しかし
資材
関係
はわか
つて
いるでしよう。
椎名証人(椎名悦三郎)
455
○
椎名
証人
数量
的には大体わかります。
徳田委員(徳田球一)
456
○徳田委員
兵器
になる前、飛行機だとか、軍艦とか何とかになる前は、あなたの方でみな
処置
しなければならぬ。
椎名証人(椎名悦三郎)
457
○
椎名
証人
そうです。いわゆる物
動計画
を私のところでとりとめて、それはわかります。
徳田委員(徳田球一)
458
○徳田委員 そうすると
兵器
にな
つた
部分
云々は別としまして、それになるまでの全
生産
にわた
つて
は
軍需省
が、行政酌にはあなたが全部これを統轄してお
つた
わけですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
459
○
椎名
証人
各省がみな
生産
あるいは
軍需品
——農林省は
軍需物資
の一部をつく
つて
お
つた
、商工省もそれをつくりつつ行政の対象にしてお
つた
。いろいろの
方面
でつく
つた
物を集めまして、物及び人、それに対する一つの國家計画というものがあ
つた
。それをとりまとめては、当時
軍需省
の総動員局においてこれを統轄しておりました。
徳田委員(徳田球一)
460
○徳田委員 全体のアウト・ラインは全部わか
つて
おるのですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
461
○
椎名
証人
物
動計画
に載せられる
範囲
のものについてその当時はわか
つて
お
つた
……。
徳田委員(徳田球一)
462
○徳田委員 そうすると
終戰当時
すでに蓄積されてお
つた
軍需品
並びに
軍需品
になるべき
資材
の
数量
は大体わか
つて
おるのではないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
463
○
椎名
証人
それはどうもわかりませんね。
徳田委員(徳田球一)
464
○徳田委員 それがわからなければ、指揮も何もできやせんではないですか。何の
ため
に指揮するのですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
465
○
椎名
証人
軍需品
として陸
海軍
の所有にな
つた
ものは、それはわかりませんよ。
徳田委員(徳田球一)
466
○徳田委員 陸
海軍
の所有にな
つて
も、あとはあなた方これをどんどん戰爭ができるように蓄積して進行さしていかなければならぬのだから、いくらあるかわからないようでは、こつちの指揮はできないじやないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
467
○
椎名
証人
それがわからなか
つたの
です。
徳田委員(徳田球一)
468
○徳田委員 そんなめくらめつぽうなことはない。
椎名証人(椎名悦三郎)
469
○
椎名
証人
いや、めくらめつぽうではないのです。実際わからないのです。私の
記憶
によりますと、陸
海軍
がお互いに、
海軍
は
陸軍
の油の
保有量
、
陸軍
は
海軍
の油の
保有量
というものを
終戰
のごく直前まで知らなか
つた
。そういうようなもので、
陸軍
の保有
資材
、たとえば鉄は何トン、鉛は何トン、銅は何トン、それから
兵器
の半製品、あるいは備品、そういうものはわかりません。
徳田委員(徳田球一)
470
○徳田委員 するとどうして総動員法を扱いますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
471
○
椎名
証人
いやそのはいるまでの
生産
を駆り立てて、そして毎四半期にどれぐらい
生産
ができるか、從
つて
軍にどれくらい、民生にどれくらいとい
つたよう
な、一年の
生産
計画と、その
生産
の配分計画、これを称じていわゆる物
動計画
と言うのです。だから、そのでき上
つた
物を蓄積した量、あるいはそれを消耗した量というものは、これはわからぬのです。
徳田委員(徳田球一)
472
○徳田委員 しかしそんなことをすると、こうなりはしませんか。たとえば、一方では米がうんとなくな
つて
いる、それだのに、そつちの方には米をやらずに、米のたくさんある方にどんどん米をやるということになりはしませんか。向うの
保有量
がわか
つて
、消費量も大体わか
つて
、それに対処してあなたの方は
生産
のそれぞれの量を
決定
して、そして動員をかけて、これに合うようにしていかなければならぬ。そうしないと戰爭はできるはずがないんだから、そういう言い方は少しむちやじやないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
473
○
椎名
証人
私はこれからどうだと言うのではない。
徳田委員(徳田球一)
474
○徳田委員 これからどうだと言うのではないけれども、そのときの実際でも、そういうばかげたことはないじやないですか。何も知らずに、ただ動員して、ただ物をつく
つて
、これを民需にいくら、これを軍需にいくらというだけならば、小学校の子供でもやる。何もあなた高給をもら
つて
軍需
次官
として大きくがんば
つて
いる必要は
ちよ
つともありはせぬ。
椎名証人(椎名悦三郎)
475
○
椎名
証人
いや、事実を申し上げているのです。
徳田委員(徳田球一)
476
○徳田委員 同じ事実でも、そういう子供らしいことが、少くとも大戰爭をしている國の高級の機関の中に、そういうことが起
つた
ということはだれだ
つて
信じますか。それではわれわれは、あなた方が、ここへ來て
証言
して、一定の瞬間いい加減なことを言
つて
、めんどくさいことを言われれば知らぬ知らぬでいれば逃れられるから、それだけやればいいというふうに聞えます。
椎名証人(椎名悦三郎)
477
○
椎名
証人
そんなことはありません。
徳田委員(徳田球一)
478
○徳田委員 不合理だからさ。不合理でなければだれも何とも思いませんよ。あなた方が不合理なことばかり言うからそう思えると言うのです。思わざるを得ないじやないですか。戰爭は負けたから、もつとよけいにそのときの実情を話して、そして日本再建の
ため
に盡すべき途を今から見出さねばならない。それを君らは、知らぬ知らぬ、あれはどうのこうのと言
つて
いたのでは、どうして國を再建することができるか。何を聽いても知らぬ存ぜぬ、いやそんなことはなか
つた
、ああのこうのと言
つて
ごねていたのでは、再建はできはせぬ。だからもつと私はあなたに誠実に言
つて
もらいたい。それくらいの
数量
はどこを
調べ
ればどうわかるというくらいのことはわからぬはずはないじやないのですか。ただ知らぬ存ぜぬでは事は済まぬと思う。どうですか、それで済みますか。どうだ
つたの
ですか。何も知らなか
つたの
ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
479
○
椎名
証人
やらぬことはないのですが……。
徳田委員(徳田球一)
480
○徳田委員 じや何をや
つた
かひ
とつ
言うてください。少なくともあなたは軍需
次官
として、商工
次官
として勤めた以上、この國会が現在は主権をにぎ
つて
いるのだから、主権の機関にそういうことを放言することは許されないと思う。だから一体何をや
つたの
か、言うてください。や
つた
ことについて
調べ
なければこつちは仕事はできぬのです。日本再建の
ため
に最も重要なことを今
調べ
ているのです。だから何をや
つた
か言うてください。
椎名証人(椎名悦三郎)
481
○
椎名
証人
や
つた
ことを言えと言われましても、
ちよ
つと秩序立てて申し上げなくてはどうものみこみがどうかと思うのですが。
徳田委員(徳田球一)
482
○徳田委員 だから秩序立てて言いなさいよ。私は何も秩序立てないで漫談せよとは言いはせぬ。
椎名証人(椎名悦三郎)
483
○
椎名
証人
それじや私は私の頭を少し整頓して申し上げましよう。とにかく、あなたの聽かんと欲せられる軍需
保有量
の問題については、遺憾ながら権限上知ることができなか
つた
。それがよか
つた
か悪か
つた
かは、批判の問題は残ります。私自身ももちろん
意見
はある。
意見
があればこそ、その当時純正なる
意味
においで
軍需省
の創設を提唱した一人であります。しかしながら事実はそうならなか
つた
。それで、総力戰をやる体制としてはなはだ遺憾であるというような氣持は私はも
つて
お
つた
。しかしながらそれを知る権限も何もなか
つた
ということを未だに残念に思
つて
おります。
徳田委員(徳田球一)
484
○徳田委員 しかし、陸
海軍省
に聽けば、とにかく自分らがも
つて
いた軍部の
保有量
はわかるけれども、その背後に
軍需省
がちやんとあ
つて
、
軍需省
から一々支給せられるので、背後のもつとたくさんな
軍需品
に対する総括的なことはわれわれはわからぬ、これは
軍需省
に聽けばわかるのだ、と言うておる。だから、あなた方としては、製品にな
つて
陸
海軍
に渡したものはわからないとしても、少くとも渡すべきものはわか
つて
おるべきはずである。
椎名証人(椎名悦三郎)
485
○
椎名
証人
それは、戰爭が始ま
つて
以来の年々の物
動計画
、これは立
つて
お
つたの
です。それで、
生産
計画、
生産
に必要なる
資材
をどういうふうにこれを配分するか、できたものを、陸
海軍
需にいくら、あるいは民需にいくら、あるいは文化その他の
方面
にいくらとい
つたよう
な計画はあ
つたの
です。今度はそれを実行してみて、そうして計画の八割とか七割五分であるとか、それはあります。
徳田委員(徳田球一)
486
○徳田委員 それはどこを
調べ
ればありますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
487
○
椎名
証人
それは別に燒いたわけじやない。どこかにあるだろうと思います。
徳田委員(徳田球一)
488
○徳田委員 どこかじやわからぬ。
椎名証人(椎名悦三郎)
489
○
椎名
証人
それは私に聽いた
つて
わからぬのです。とにかく
終戰
のときに相当
書類
を廃棄しておるし、その後も私らやめてから三年になりますから、なかなか、その当時の人間が今どこにいるか始終連絡をと
つて
おるわけでもありませんから。ただその当時の
書類
だけは探せばどこかにあると思います。
徳田委員(徳田球一)
490
○徳田委員 それなら
ちよ
つとお聽きしますが、
軍需省
から商工省にかわりましたときに、
軍需省
の行政事務の所管は一体どこにな
つたの
ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
491
○
椎名
証人
軍需省
の廃止とともに、
もと
の商工省が
軍需省
にすつぽり吸收されたのですから、吸收されたものだけは商工省としてさらに復活したわけです。それから企画院の事務の一部をも
つて
お
つた
。これは、戰爭遂行の
ため
の國家総動員法の
関係
の総括事務なんですが、これは敗戰と同時に要らないものにな
つた
。どこへもも
つて
行き場のないもので、要らないものです。あとは、航空
兵器
総局の若干の残務整理は残りました。
徳田委員(徳田球一)
492
○徳田委員 それはどこにありましたか。
椎名証人(椎名悦三郎)
493
○
椎名
証人
それは、商工省なるときに、整理部というものをつく
つて
、航空
兵器
総局の
もと
の将校がや
つて
お
つた
りです。それを嘱託にしまして、そして実際の整
理事
務を協力してもらいました。
徳田委員(徳田球一)
494
○徳田委員 それは商工省ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
495
○
椎名
証人
商工省です。今ではその整理部というものの機構がなくなりまして、ごく少し総務局の一部くらいに仕事が
残つて
おりますかな。あらかた片がついたと思います。
徳田委員(徳田球一)
496
○徳田委員
東久邇内閣
時代に
内閣
調査
局というのができましたが、この
調査
局というのは、
もと
の企画院のものを大体ここに吸收しているのではないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
497
○
椎名
証人
いやそうじやありますまい。
徳田委員(徳田球一)
498
○徳田委員
書類
や何かはどうしましたか。
調査
局の方に行
つたの
ではないのですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
499
○
椎名
証人
いや企画院というものは戰爭を……。
徳田委員(徳田球一)
500
○徳田委員 それはそうでしよう。しかしあなたも御
承知
でしよう。戰爭の始まる前に、企画院ではなか
つた
が、
調査
局というようなものが
内閣
にあ
つたの
です。これは戰爭の準備の
ため
でもあ
つた
ろうけれども、やはり國全体に対する
生産
消費その他の計画を立てる
ため
にあ
つたの
でしよう。この
調査
局が、戰後の復興の
ため
に、今度は
東久邇内閣
のときに大体復興したのではないですか。長崎惣之助君がな
つて
いるのですから、大体そういう
見当
でなければ長崎君は役に立たぬ男だ。大体そういう
見当
でや
つて
いるはずだ。だから企画院の
書類
その他の計画の跡始末は、大体
調査
局がや
つて
いなければ無
意味
だと思いますが、いかがです。
椎名証人(椎名悦三郎)
501
○
椎名
証人
その点は私はつきりいたしません。
徳田委員(徳田球一)
502
○徳田委員 もつとあつさり、大体それくらいの
見当
というように……。
椎名証人(椎名悦三郎)
503
○
椎名
証人
私が引受けてもそうじやないかもしれませんから、長崎君にお聽きにな
つた
らわかると思います。
徳田委員(徳田球一)
504
○徳田委員 それは長崎君に聽くけれども、しかしあなたに聽いておいて長崎君に聽くのと、あなたは全然知らぬというので長崎君に聽くのとは、大分味が違うのです。
椎名証人(椎名悦三郎)
505
○
椎名
証人
どうもそこは確かに申し上げられません。
徳田委員(徳田球一)
506
○徳田委員 それではこのことを聽いてみたいのです。八月十四日にさつき
委員長
から言われました「
軍需用保有物資
資材
の
緊急処分
の件」というのがありますが、この
処置
の方法の一つの例示として「軍管理工場の管理を直ちに解除する、此の場合製品、半製品及
原材料
の保管は差当り
生産
者に一任す」というのがありますが、この軍管理工場というのは
軍需省
がや
つて
お
つたの
じやないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
507
○
椎名
証人
軍需省
が所管しておりまして、地方に軍管理局がありまして、地方の軍管理局が実際の当面の監督指導に当
つて
おります。
徳田委員(徳田球一)
508
○徳田委員 そうすると、軍管理工場というのは、あなたの指揮の
もと
にあ
つた
わけですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
509
○
椎名
証人
私の指揮というのは少し……。
徳田委員(徳田球一)
510
○徳田委員
軍需省
の指揮の
もと
にあ
つた
わけですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
511
○
椎名
証人
そうです。
徳田委員(徳田球一)
512
○徳田委員 その管理を解除するとな
つて
おりますが、この解除したときに、この管理に属する一切の
生産
品、製品にな
つて
いるもの、半製品及び政府から渡している
原材料
等は、このときに
調査
してありますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
513
○
椎名
証人
その政府から渡すといういわゆる官給品ですね。その文章の文言はそういうものを言
つて
いるわけじやないだろうと思います。軍需工場として指定して、若干特権もある、特権もあるが、かような義務を遂行しろというふうに義務を課しておりますから、この義務を解除したということであ
つて
、政府所有の、たとえば
原材料
を若干渡してあ
つた
、そういうものをただくれてやるという
意味
ではないと思います。
徳田委員(徳田球一)
514
○徳田委員 製品についてはどうですか。製品か半製品とか
原材料
とかいうのは、
軍需省
はちやんとわか
つて
いるのではないでしようか。
椎名証人(椎名悦三郎)
515
○
椎名
証人
それは非常に厖大なものでありまして、その当時どれくらいのものにな
つて
いるのか、おそらく
調べ
がないと思います。
徳田委員(徳田球一)
516
○徳田委員 しかしそういうものを
調べ
ておらなければ、総動員法で統制して
軍需物資
をつくるということはできないじやないですか。毎月々々どれだけ
原材料
を渡されてどれだけ製品ができて、どれだけ半製品で、次はいくら要るということがちやんと出てこなければ、調整事務はできないと思います。
椎名証人(椎名悦三郎)
517
○
椎名
証人
その当時はわかりまして、もう集計する必要はないから解除するというそのとたんに、わからなくな
つた
と思います。
徳田委員(徳田球一)
518
○徳田委員 みな捨ててしま
つたの
ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
519
○
椎名
証人
捨てたわけではない。軍需工場の
もと
もと
所有ですから。
徳田委員(徳田球一)
520
○徳田委員 しかしあなたはそうおつしやいますけれども、
もと
もと
所有でもあなたの統制しているものだから、根本をや
つて
、ちやんとリンクしてや
つた
はずだからそれがわからぬというのでは済まないと思いますね。それなら
軍需省
は何をや
つて
お
つた
か、わけがわからぬ。
椎名証人(椎名悦三郎)
521
○
椎名
証人
職事目的に動員してお
つたの
で、戰爭の目的がなくな
つた
から、いつまでも義務づけておく必要がないから、それで解除する。
徳田委員(徳田球一)
522
○徳田委員 それはわかるのです。その戰爭の終末まではわかるけれども、済んだとたんにどれだけあ
つた
かということがわかるような仕組にな
つて
いなければ、大よそでも仕事はできないと思う。そういうものはわからぬですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
523
○
椎名
証人
今からではもうわかるまいと思います。
徳田委員(徳田球一)
524
○徳田委員 その当時わか
つて
いるかどうかというのです。
椎名証人(椎名悦三郎)
525
○
椎名
証人
その当時は、たとえば飛行機
関係
なら飛行機
関係
、あるいは
海軍
なら艦本であるとか、あるいは
陸軍
の経本であるとか、その他部隊々かちみなひもがついておりましたから、そこらあたりは非常にきびしいものでありまして、
ちよ
つとでも延滯すると催促が來るというように、ものが非常に窮屈で、督促がきびしか
つたよう
に思われます。
徳田委員(徳田球一)
526
○徳田委員 そうすると
軍需省
は何してお
つた
か。管理工場の内容も何もわからぬでは、
軍需省
は何をしてお
つた
か。
椎名証人(椎名悦三郎)
527
○
椎名
証人
それは
資材
ですね。鉱山の
関係
とか、あるいは製錬会社の
関係
であるとか、化学製品の根本の
資材
部門、そうい
つたよう
なものについては、その当時所管々々で、大体において月別の
生産
なんか押えてお
つた
から、それはわか
つて
います。
徳田委員(徳田球一)
528
○徳田委員 その
書類
は商工省にあるわけですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
529
○
椎名
証人
その当時のものが今
残つて
いるかどうか、これは
ちよ
つとここで明言はできません。
徳田委員(徳田球一)
530
○徳田委員 それではもつと聽きますが、この工場の管理を解除して、保管は
生産
者に一任すると言
つて
おりますが、保管だけでなしに、民需品にこれを轉換するということにな
つて
いますね。
椎名証人(椎名悦三郎)
531
○
椎名
証人
それは軍需会社ですか。
徳田委員(徳田球一)
532
○徳田委員 軍管理工場です。だから軍需会社に違いないでしよう。
椎名証人(椎名悦三郎)
533
○
椎名
証人
軍需会社の中にも、特別の軍管理工場という、
陸軍
管理工場、
海軍
管理工場というものがあ
つて
、それは特別に軍との間に監督、被監督の
関係
に立
つた
工場のことを言
つて
おるわけですね。
徳田委員(徳田球一)
534
○徳田委員 そうすると、軍管理工場というのは、
軍需省
とは全然別ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
535
○
椎名
証人
軍需省
の
関係
においては、軍需会社法というものができてお
つて
、軍需会社に指定されたものです。ところが軍管理というのは、特に特別のひもがくつついているのです。
徳田委員(徳田球一)
536
○徳田委員 その方はあなたの方で全然わからぬのですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
537
○
椎名
証人
そうです。軍管理工場に対する軍の
命令
というものは、こつちは
関係
しないのですから。
徳田委員(徳田球一)
538
○徳田委員 そうすると、それに対して、あなたの方から材料や何かや
つて
いるのも、全然わからぬのですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
539
○
椎名
証人
軍の特別に育成している工場の特別の
事項
については、それはわかりません。
徳田委員(徳田球一)
540
○徳田委員 そうすると、そのほかの指定軍需工場というものは、あなたの方の所管でありますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
541
○
椎名
証人
軍需会社法による軍需会社の事業場、工場ですね。それについては私の方は全般的に監督しております。
徳田委員(徳田球一)
542
○徳田委員 そうすると、これは
終戰
のときにはどうなさいましたか。
椎名証人(椎名悦三郎)
543
○
椎名
証人
軍需物資
供給の
ため
に特別の監督行政をや
つて
お
つたの
ですから、
終戰
と同時にその必要がなくな
つた
から、当然解除したわけです。
徳田委員(徳田球一)
544
○徳田委員 それに対して
命令
か何か出しておりますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
545
○
椎名
証人
それは
ちよ
つとはつきり
記憶
しておりませんけれども、当然のことですから、何か出てお
つた
と思います。
徳田委員(徳田球一)
546
○徳田委員 しかし、そんなことを言いますけれども、戰時金融金庫というのがありますね。この戰時金融金庫は、この指定されておる工場でない限り、金融をしないはずです。ですからほんとうからいえば、各軍需工場、軍管理工場といえども、なるほど所有者は所有者に違いないけれども、それはみな戰時金融金庫の債権と見合
つて
いるもので、実際上はみな監督しておるものです。だから注文しておるいろいろの製品、半製品、これはみんな金融金庫の債権と見合
つて
おるものだ。
椎名証人(椎名悦三郎)
547
○
椎名
証人
金融金庫の融通したものは、その後ごく特殊の部門でしよう。ほとんど軍需会社に指定を受けましたから……。
徳田委員(徳田球一)
548
○徳田委員 けれどもああいう厖大な金融をや
つて
いたでしよう。
椎名証人(椎名悦三郎)
549
○
椎名
証人
個々の工場に万辺なくやるというよりも、金融金庫というのは相当大口が多か
つたの
じやないかと思います。
徳田委員(徳田球一)
550
○徳田委員 それはあなたよほど実情を知らないね。あなたは
次官
をしていても何にも知らぬ。われわれが知
つて
いる
範囲
でも、たいがいは金をいい加減にもら
つて
、それをめちやめちやに
使つて
、いい加減なことをしたのを相当みんな知
つて
おりますよ。それで戰時中に大やみをや
つて
、みんないい加減なことをしたはずである。今大やみをや
つて
おる連中は、たいがいこれらから轉化した者だ。みんな
調べ
てわか
つて
おるんですよ。あなたはその当時の当事者なのだから、そういう諸
関係
についてはもつともつと詳しいことを知
つて
おられるはずだ。それを聽きたいのです。だからその
終戰当時
の
状態
、軍管理工場にしろ、軍需指定工場にしろ、その
状態
を聽きたい。この製品、半製品、原料品の後始末について聽きたい。それはあなた方が始末したに違いないのだ。
椎名証人(椎名悦三郎)
551
○
椎名
証人
私の
考え
では、あの当時——結果においては非常に逆にな
つたよう
ですが、今まで軍の御用命を承
つて
、あれやれこれやれで、欲しいものがあ
つた
ら主原料でも原料でもどんどん軍の方からや
つた
。ところが
終戰
によ
つて
もう注文もなくな
つた
。そこで一体製品、半製品はどうなるのかというようなことで、工場々々については、あの当時はむしろ非常に同情的な
意見
が多か
つたよう
に思われますね。ところがその後相当の月日がたつに從
つて
、問題が逆にな
つて
まいりましたけれども、軍管理工場にしろ、軍需会社の工場、事業場にしろ、
終戰当時
においては、これは氣の毒だというような
意見
の方が私らの仲間では多か
つたの
です。
徳田委員(徳田球一)
552
○徳田委員 だからその同情的な態度が、
終戰後
これらの工場をどう
処置
したかということを聽きたいのです。あなたもたいがい知
つて
おられるだろうから、私はあなたの口から聽きたか
つたの
だけれども、こういうことなのです。
軍需品
の製品及び半製品にな
つて
おるものを政府が引取らぬという法はないというので、これを向うに任しておきながら、実際は引取らなくも、引取
つた
勘定にして金を渡しておるのじやないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
553
○
椎名
証人
そういう問題については、私は全然知らないのです。
徳田委員(徳田球一)
554
○徳田委員 知らぬとい
つた
つて
、軍の連中に聽けば、私は知らぬ、これは
軍需省
が知
つて
おるとい
つて
いる。
椎名証人(椎名悦三郎)
555
○
椎名
証人
いろいろうわさも聽きましたけれども、少くとも私は知る機会がなか
つた
。
徳田委員(徳田球一)
556
○徳田委員 そうするとあなたはどうするのですか、おつ放すのですか、何も
処置
しなか
つたの
ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
557
○
椎名
証人
三年もたちますから大部
記憶
も薄らいでおりますけれども、その当時
東久邇内閣
成立後に、
軍需省
を十日か二週間くらいの間に元の商工省に返すというようなわけで、そういう大世帯を轉換するのに相当忙しい思いをしておりまして、末端のそういう工場のものを一体どうするこうするとい
つたよう
な問題については、実は私日常タツチするいとまがなか
つたの
です。
徳田委員(徳田球一)
558
○徳田委員 しかしいとまがないと言
つた
つて
、その方が大事なんであ
つて
、商工省の事務をどうするというようなことは小使だ
つて
できる。そういう大事な、基本的な政策こそあなたの頭に浮び、
処置
すべきことであ
つて
、商工省にいすをいくつ並べてどうするというようなことは、あなたのするべきことじやないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
559
○
椎名
証人
そんなことはないです。ただ軍管理工場あるいは軍需会社法による、つまり
軍需物資
を
生産
してお
つた
企業に対する善後措置というものは、ただ目先の問題で、
処理
すべき問題としてはあまりに大きか
つた
問題だと私は思
つて
るんです。
徳田委員(徳田球一)
560
○徳田委員 それはそうです。だからどうしたかと言うのです。
椎名証人(椎名悦三郎)
561
○
椎名
証人
だからどうしたとおつしや
つて
も、十月の初旬で私は辞めてしま
つた
ものですから、これの後始末についてはまだ結論は出なか
つたの
です。
徳田委員(徳田球一)
562
○徳田委員 それで何もしなか
つたの
ですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
563
○
椎名
証人
何もしないことはないです。
徳田委員(徳田球一)
564
○徳田委員 それじやどうしたのです。したことだけを言えばいいんです。しないことまで聽こうというのじやない。
椎名証人(椎名悦三郎)
565
○
椎名
証人
少くとも
軍需省
に関する限りは、航空
兵器
総局がもつともその問題に当面してお
つた
……。
徳田委員(徳田球一)
566
○徳田委員 その方はいいです。あなたの所管してお
つた
ものはどうしたかと言うのです。航空
兵器
総局とかよけいなことはいいです。
椎名証人(椎名悦三郎)
567
○
椎名
証人
それは
軍需省
解消の後においては、どうしても商工省に措置機関をつく
つて
これを始末しなければならぬということで、整理簿をつくりまして研究してお
つたの
です。
徳田委員(徳田球一)
568
○徳田委員 それじや何もしなか
つたの
ですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
569
○
椎名
証人
何もしないことはありません。スタートは切
つた
が結論を得なか
つた
というわけです。
徳田委員(徳田球一)
570
○徳田委員 ほんとうの実行はしなか
つたの
ですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
571
○
椎名
証人
在任中にはそれだけのことをするいとまがありませんでした。
徳田委員(徳田球一)
572
○徳田委員 何もしないのですね、アクシヨンとしては。
椎名証人(椎名悦三郎)
573
○
椎名
証人
しないというと……。
徳田委員(徳田球一)
574
○徳田委員 研究したり準備してお
つた
けれども、実際上の
処置
はしなか
つたの
ですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
575
○
椎名
証人
やり始めたところで…。
徳田委員(徳田球一)
576
○徳田委員 やり始めたというと、どんなことをや
つた
んですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
577
○
椎名
証人
それは抽象的にやり始めたということは申し上げられますけれども、どんなことをや
つた
ということは、私実際に
処理
したわけではありませんから……。
徳田委員(徳田球一)
578
○徳田委員 だけれども大綱はきめてるでしよう。どういうふうにやれということはあなたが
命令
するんだから。
椎名証人(椎名悦三郎)
579
○
椎名
証人
私の
記憶
によりますと、四課くらいつくりまして、総括が一課、それから
軍需品
に関する契約
関係
の後始末をしなければならぬ、その所管の課がたしか一課あ
つた
と思います。それから第一軍需工廠、第二軍需工廠がありました、その軍需工廠の整理を專門にする一課があ
つた
と思います。
徳田委員(徳田球一)
580
○徳田委員 それだけですが。これが何したんですか。これは役所のことなんですが、それからどういう仕事をや
つた
かと言うのです。
椎名証人(椎名悦三郎)
581
○
椎名
証人
それらの課がですか。それから三年たちますので、その
処理
状況
については、これは商工省によ
つて
調べ
るほかはありません。
徳田委員(徳田球一)
582
○徳田委員 いや、あなたのおられた当時どういうことをせられたか。
椎名証人(椎名悦三郎)
583
○
椎名
証人
そういう機構の
もと
に整理問題のスタートを切
つた
だけで、その実績は私の在任中つかむことはできなか
つたの
です。
徳田委員(徳田球一)
584
○徳田委員 だからこういうことを私は聽きたいのです。三菱重工業なら三菱重工業に整理の一定の方向の
もと
にたとえば金をいくらや
つて
、製品は受取
つて
どうした。こういう具体的のことをやられたかどうか。
椎名証人(椎名悦三郎)
585
○
椎名
証人
それは結局事後に整理部においてや
つたの
です。やりましたけれども私はここで申し上げるほど
記憶
しておりません。
徳田委員(徳田球一)
586
○徳田委員 そうすると実際はや
つたの
ですね。その大綱はどうです。どういう
方針
で
処理
するかというその大綱だけ、あなたは忘れられるはずはない、大事なことですよ。
椎名証人(椎名悦三郎)
587
○
椎名
証人
私のときはその大綱はきまらなか
つた
と思います。それはお
調べ
にな
つた
らわかります。
徳田委員(徳田球一)
588
○徳田委員
調べ
ればわかりましようが、あなたは言う責任がある。國会は主権者である。主権者に対して問われるときに、そういうことは
調べ
ればわかるのだと言うだけでは済まない。あなたは何と
宣誓
したか。
椎名証人(椎名悦三郎)
589
○
椎名
証人
それは存じません。
徳田委員(徳田球一)
590
○徳田委員 全然知らないのですね。
終戰
のときの八月、日本銀行の発行高は約四百五六十億膨脹している。 この膨脹している
原因
は
軍需品
の跡始末にある。われわれも監嶽から十月十日に出て來ましたが、その当時の労働者諸君の
状態
から見ましても、軍需工場がどんどん金を放出して、いくらかのものをや
つて
失業しても少しは食える
状態
にあ
つた
。労働者諸君に
食糧
品、衣料、いろいろのものをや
つて
いる。これはいい加減なものをや
つて
あとは自分が隠匿した事実があるのですよ。だからこういうことに対して
軍需省
がいかなる
処置
をしたか。五百億になんなんとする金が膨脹するに対しては、
軍需省
の
処置
いかん、大蔵省の
処置
いかんでこれはできているのであ
つて
、あの当時この発行高を増大せしむる
原因
はほかにはないのです。ですからそういう点についてあなたが日本再建の
ため
に誠意をも
つて
お話
してくだされれば、何も罪を問うとか何とか言うのではない。いかなる事態がここに発生したかがわかれば、國会としてはこれに対する
処置
ができる。そうすれば再建の基礎が固
つて
いく。商工
次官
としてあなたは非常に有名な人で才能のある人だというので軍需
次官
にな
つた
人です。私は監獄にいてよく知
つて
いる。そういう人がこういうことを知らぬ存ぜぬ、忘れたというのでは私は済まぬと思う。正確な
数字
をあげてどうというのではない。大体の輪廓で、あの当時こういう
状態
で、こういうことをしたのだ、これが今こういう禍根を残しているから、どこを突いてどうやれば再建の目的を達することができる、そういう点もあなたは指摘する義務があると私は思います。それを知らぬ存ぜぬと言われるならこれ以上は問いません。しかしあなたの地位としてはそれだけのことは言うべきである。國会に対してそれだけのことは
証人
として堂々
証言
なさるべきだと思います。まあ知らなければしかたがない。
明禮委員(明禮輝三郎)
591
○
明禮委員
終戰当時
にあなたの方の所管において飛行機がどのくらい製造能力があ
つた
かということはわかりますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
592
○
椎名
証人
ちよ
つと
記憶
しておりません。
明禮委員(明禮輝三郎)
593
○
明禮委員
大体ですよ。あの当時どのくらいできるということはよく言
つて
お
つた
。一箇月何台とか一年に何台とか……。
椎名証人(椎名悦三郎)
594
○
椎名
証人
私どもが聞いておるのは、そういうぱつとした
数字
ではなくて、航空
兵器
総局の方から時々
報告
がありましたけれども、たとえば練習機あるいは爆撃機あるいは戰鬪機であるとか、そうしてその車体はまだできないが、エンジンはできたとい
つたよう
な專門的なことを聽いてお
つた
だけですから……。
明禮委員(明禮輝三郎)
595
○
明禮委員
それを言
つて
ください。
椎名証人(椎名悦三郎)
596
○
椎名
証人
どうもそれがはつきりしません。ただ漠然と年二万機ぐらいのベースにおいて大体目標に近づいたというようなことを、
終戰
のしばらく前ぐらいに
報告
があ
つたよう
に聽いておりますけれども、しかしこれは私は責任をも
つて
その
数字
を申し上げるわけにはまいりませんが……。
明禮委員(明禮輝三郎)
597
○
明禮委員
いやそれで結構です。大体二万機ぐらいですね。
椎名証人(椎名悦三郎)
598
○
椎名
証人
年
生産
二万機のベースにおいて……。
明禮委員(明禮輝三郎)
599
○
明禮委員
年二万というのは少し少いのではないですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
600
○
椎名
証人
多々益〃弁ず——もつ
とつ
くりたいというような氣持はあ
つた
でしようが……。
明禮委員(明禮輝三郎)
601
○
明禮委員
もう少しできるような話がありはしなか
つたの
ですか。実際ぼくらが世の中で聞いてお
つたの
は一箇月三千機とが四千機と聞いてお
つた
。
椎名証人(椎名悦三郎)
602
○
椎名
証人
そんなことも
ちよ
つとあ
つた
かもしれませんが……。
明禮委員(明禮輝三郎)
603
○
明禮委員
戰車
の方はわかりますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
604
○
椎名
証人
これはわかりません。
明禮委員(明禮輝三郎)
605
○
明禮委員
終戰当時
においてこうい
つた
兵器
がどのくらい
残つて
お
つた
か、たとえば飛行機がどのくらいあ
つた
ということはわかりませんか。
椎名証人(椎名悦三郎)
606
○
椎名
証人
わかりません。
明禮委員(明禮輝三郎)
607
○
明禮委員
およそわかりそうなものじやありませんか。そのことは実際よく言
つて
お
つたよう
に思いますが……。
椎名証人(椎名悦三郎)
608
○
椎名
証人
いやそれはわかりません。航空
兵器
総局の方から
生産
について聽いたことは聽いたですが、しかし戰闘行為に消耗してまだどのくらい
残つて
おるということは、その当時は軍の統帥上の機密と称して、
一般
の者には知ることはできなか
つたの
です。
明禮委員(明禮輝三郎)
609
○
明禮委員
けれどもあなた方が知ることができないはずはない。
椎名証人(椎名悦三郎)
610
○
椎名
証人
それがまことにお恥しいことですが、私は知らなか
つた
。
明禮委員(明禮輝三郎)
611
○
明禮委員
飛行機は消耗品だから毎日壞れたり落ちたりするから、五台、十台、百台は違うかもしれないが、
終戰当時
日本の飛行機がどのくらいあ
つた
ということは、あなた方はいくらぼつとしてお
つて
もわからなければならない。
椎名証人(椎名悦三郎)
612
○
椎名
証人
いやそれはわかりません。おそらく今死んでなくなられましたけれども、鈴木貫太郎
内閣
総理大臣でもそういう
報告
は受けておらなか
つた
と思う。
明禮委員(明禮輝三郎)
613
○
明禮委員
正確なことはわからぬにしても、
軍需省
だとか商工省の担任の者には飛行機ぐらいのことはわか
つて
もいいと思いますが、わからぬということですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
614
○
椎名
証人
正直に申し上げますがかりませんでした。
武藤委員長(武藤運十郎)
615
○
武藤委員長
ほかにございませんか。 最後にあなたは今どこでどういう仕事をしておられますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
616
○
椎名
証人
郷里の会社に
関係
しております。
武藤委員長(武藤運十郎)
617
○
武藤委員長
どういう会社に。
椎名証人(椎名悦三郎)
618
○
椎名
証人
東北毛織株式会社。
武藤委員長(武藤運十郎)
619
○
武藤委員長
この会社はいつできましたか。
椎名証人(椎名悦三郎)
620
○
椎名
証人
昭和
十三年だそうです。
武藤委員長(武藤運十郎)
621
○
武藤委員長
名前は変
つて
いませんか。
椎名証人(椎名悦三郎)
622
○
椎名
証人
変
つて
おります。
もと
は東北振興繊維工業株式会社。
武藤委員長(武藤運十郎)
623
○
武藤委員長
戰爭当時は何をしてお
つて
、今は何をしているのですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
624
○
椎名
証人
もと
は東北振興、ただいまの東北興業の子会社として創立されまして、屑繭の繊維から
民間
の生地などつく
つて
いる。一方においでは
陸軍
製絨所の下請工場といたしまして、あそこの下請の仕事をしてお
つた
そうです。
武藤委員長(武藤運十郎)
625
○
武藤委員長
終戰後
今日に至るまではどういう仕事をしておられますか。
椎名証人(椎名悦三郎)
626
○
椎名
証人
終戰後
は
一般
の毛布や何かをつく
つて
おります。
武藤委員長(武藤運十郎)
627
○
武藤委員長
あなたが会社に出たのはいつですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
628
○
椎名
証人
昨年の十一月です。
武藤委員長(武藤運十郎)
629
○
武藤委員長
どういう地位ですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
630
○
椎名
証人
社長です。
武藤委員長(武藤運十郎)
631
○
武藤委員長
前の社長はだれです。
椎名証人(椎名悦三郎)
632
○
椎名
証人
ちよ
つと度忘れいたしました……。東興
理事
の安田。
武藤委員長(武藤運十郎)
633
○
武藤委員長
安田なんという……
椎名証人(椎名悦三郎)
634
○
椎名
証人
ちよ
つと名前は忘れました。
武藤委員長(武藤運十郎)
635
○
武藤委員長
それからあなたのほかに軍
関係
ではい
つて
いる人、あるいは当時商工省
関係
ではい
つて
いる人は……。
椎名証人(椎名悦三郎)
636
○
椎名
証人
今年影木という尉官がはいりました。
武藤委員長(武藤運十郎)
637
○
武藤委員長
これはあなたが入れたわけですか。
椎名証人(椎名悦三郎)
638
○
椎名
証人
私が入れたというわけでありませんけれども……。
武藤委員長(武藤運十郎)
639
○
武藤委員長
よろしゆうございます。それでは恐入りますが
ちよ
つとあちらで控えて待
つて
いてください。 —————————————
武藤委員長(武藤運十郎)
640
○
武藤委員長
中島知久平
さんですね。
中島証人(中島知久平)
641
○
中島
証人
ええ。
武藤委員長(武藤運十郎)
642
○
武藤委員長
あなたは
東久邇内閣
の商工大臣をいたしましたか。
中島証人(中島知久平)
643
○
中島
証人
やりました。
武藤委員長(武藤運十郎)
644
○
武藤委員長
いつからいつまでですか。
中島証人(中島知久平)
645
○
中島
証人
商工大臣にな
つたの
は八月の十八日と
記憶
しております。十六日かな、十六日と
記憶
しております。初めは軍需大臣で入閣しました。
武藤委員長(武藤運十郎)
646
○
武藤委員長
一番
最初
は軍需大臣という官制があ
つて
、軍需大臣で入閣されてそれから……。
中島証人(中島知久平)
647
○
中島
証人
八月の十六日か十八日に
軍需省
を廃止いたしまして商工省を新設したわけです。そうして商工省の大臣にあら
ため
て就任したわけです。
武藤委員長(武藤運十郎)
648
○
武藤委員長
それから
東久邇内閣
の柱冠まで……。
中島証人(中島知久平)
649
○
中島
証人
それから
東久邇内閣
の総辞職が十月の五日でした。次の幣原
内閣
の成立が十月の九日でしたから、九日まで在任したわけです。
武藤委員長(武藤運十郎)
650
○
武藤委員長
そうしますと、商工大臣として
終戰当時
における
軍需物資
につきましてはどういうふうな引継を受けられたわけですか。
中島証人(中島知久平)
651
○
中島
証人
別にこれとい
つて
引継があ
つた
わけではありませんでしたが、こういう事実はありました。
鈴木内閣
の終りごろにおいて、
終戰
にな
つた
ため
に
鈴木内閣
は
軍需品
の
生産
を停止し、また軍
関係
の保有
物資
を急速に適宜
処分
すべしというような
閣議決定
の
指令
が出てお
つた
ことをわれわれはあとで知りまして、またその当時それが
ため
にいろいろ軍
関係
の
物資
や何かがあまり國民が見ておもしろくない方向に動いているということを聞きましたし、また
連合軍
の方でもそういうものを動かさないことを望むような話がありましたので、八月二十七日ころと思いますが、
閣議
においで
鈴木内閣
の
閣議決定
事項
を
取消し
まして、軍保有
物資
その他を現状のままに保管することを発令したことがあります。
武藤委員長(武藤運十郎)
652
○
武藤委員長
連合軍
の方でも
物資
の
処分
を好まない
意向
であるというのは、
河邊中将
一行が軍使として
マニラ
から帰
つて
來られて、そのもたらした
報告
に基いてそのことがわか
つた
わけですか。
中島証人(中島知久平)
653
○
中島
証人
そうです。
武藤委員長(武藤運十郎)
654
○
武藤委員長
そうしますと、この
鈴木内閣
当時発せられた
閣議決定
に基く
命令
を取消すことになりましたのは、もつぱら
連合軍
の
意向
に基いたわけでありますか。
中島証人(中島知久平)
655
○
中島
証人
もつぱらではありません。その
閣議
に載せる前に、どうもこれは何とかしなくてはならぬという
考え
がありまして、
連合軍
の方からそういう意想がなくともこれを取止める
考え
はも
つて
お
つた
わけです。
武藤委員長(武藤運十郎)
656
○
武藤委員長
ではたまたま
連合軍
の
意向
もわかり、
日本政府
としても同様な
考え
をも
つて
お
つたの
で、併せてそういう結果にな
つた
ということでありますか。
中島証人(中島知久平)
657
○
中島
証人
そうです。
武藤委員長(武藤運十郎)
658
○
武藤委員長
九月の二十四日になりまして、
連合軍
最高司令官覚え書が公布されたようでありますけれども、これに対して
日本政府
、特にあなたの扱
つて
おられた商工省はいかなる
処置
をしましたか。
中島証人(中島知久平)
659
○
中島
証人
それは
連合軍
から軍保有の物件を
日本政府
に返還するという覚書でありまして、その当時
内閣
官房におきまして
連合軍
と折衝の結果、軍保有物件はとにかく全國に散乱しておることでありますから、懸の機関をも
つて
おる
内務省
がこれを受領し、かつ保管し、またこれを
処理
することが一番適当というようなことに、
連合軍
との間に折衝の結果
決定
したことがあります。從
つて
その返還物件については商工省としては別にこれという
処置
をとる余地はなか
つた
わけです。
武藤委員長(武藤運十郎)
660
○
武藤委員長
当時
閣議
をも
つて
特殊物件
処理
要綱というものをつく
つた
ことはありませんか。
中島証人(中島知久平)
661
○
中島
証人
それはわれわれの
内閣
の時にはありません。幣原
内閣
にな
つて
から後で傳え聞いておるのですが、おそらく十月の十九日ころと思いますが、大体その
処理
の根本
方針
が
閣議
において
決定
して、その要綱ができたはずです。
武藤委員長(武藤運十郎)
662
○
武藤委員長
でき上
つたの
は幣原
内閣
でありますが、大体の草案は
東久邇内閣
当時ではありませんか。
中島証人(中島知久平)
663
○
中島
証人
そうではありませんでした。別に
閣議
にはそういうことは触れておりませんでした。その軍保有物件の返還の覚書があ
つて
から、まだそれを受領することになかなか容易でない
状態
であ
つたの
で、そこまでまだ
考え
の及ばぬうちに、覚書が出てから約十日くらいの間に
東久邇内閣
は総辞職しましたからして、そういう暇はありませんでした。
武藤委員長(武藤運十郎)
664
○
武藤委員長
それではこの覚書に対しては、
東久邇内閣
はこれということは何もしておらなか
つた
ということになるわけですか。
中島証人(中島知久平)
665
○
中島
証人
この覚書に対してはまず受領保管に任じたわけです。それからその
処理
について
方針
を
決定
してや
つて
いくはずであ
つた
けれども、その時間がなか
つた
というのが私の
記憶
にあるところであります。
武藤委員長(武藤運十郎)
666
○
武藤委員長
軍需工場というものがあ
つたよう
でありますけれども、それらの多くの工場への軍からの契約、そういうものについての
処置
はどういうふうになさ
つたの
ですか。
中島証人(中島知久平)
667
○
中島
証人
いろいろありますが、大体
鈴木内閣
の末期において、多分八月の十六日と思いますが、大体十七日に
命令
が公式に発せられたようでありますが、
軍需品
の
生産
をただちに停止すること、それから徴用工であるとか、あるいは学生の志願者であるとかいうものをただちに解放すること、その他、これはただ
一般
の軍需工場と
軍需省
のも
つて
お
つた
直営の軍需工廠というものがあ
つたの
です。それらについて多少は変
つて
おるところもあると思いますが、要するに今までの管理統制は一切これを撤廃するというような
意味
を
鈴木内閣
から発令したと
記憶
しております。
武藤委員長(武藤運十郎)
668
○
武藤委員長
それは大体
一般
的なことのようでありますけれども、何かあなたが先ほどいろいろあるというようなことであ
つたの
ですが、各工場別に……。
中島証人(中島知久平)
669
○
中島
証人
いろいろあるというのは、
軍需省
の直営いたしておる軍需工蔽と
民間
の軍需工場があるということを申し上げたわけです。
武藤委員長(武藤運十郎)
670
○
武藤委員長
それでは今
お話
のは大体
民間
の場合ですか。
中島証人(中島知久平)
671
○
中島
証人
その
軍需品
の
生産
の停止を命じ、徴用工とかその他の者を解放する等のことは
民間
の方に当てはまることであり、軍需工廠の方については少し変
つた
ことが多少あるようです。その変
つた
ことというのは、軍需工廠というのは
軍需省
が直営し、
軍需省
がいろいろ
施設
をしてお
つたの
でありますから、それらの
施設
をいかにするか、また
資材
をいかにするかというようなことを
軍需省
のものとして別の項目がはい
つて
お
つた
わけです。その当時は
鈴木内閣
の
指令
では、たとえば軍需工廠について、ただいま申し上げたこと以外に、官の
施設
した設備は——官というのは
軍需省
が
施設
したものですね。それから機械類等は無償でこれを——軍需工廠というものの元々の成立ちが
民間
の会社を一應
軍需省
が借り上げてや
つた
ものでありますから、その元の会社に無償で
拂下げ
る。
資材
のごときものは適宜これを
処理
すべしというようなこともはい
つて
お
つたの
であります。しかしわれわれが
内閣
にはいりましてからそれはどうもおもしろくないというので、十月一日だと思いますが、官の
施設
したところの設備機械等はこれを官有とする。從
つて
その保管はこの会社においてや
つて
もらうが、保管費は別に官から出すということを言うてありまして、
鈴木内閣
に
指令
を
取消し
たわけであります。それから
資材
は適宜に
処理
すべしということであ
つたの
ですけれども、これはやはり帳簿價格をも
つて
、元の会社が欲するならばそれに譲るといこことを申し傳えたはずであります。
武藤委員長(武藤運十郎)
672
○
武藤委員長
軍管理の
民間
一般
工場における製品、未
完成品
、材料等の
処置
はどういうようにしたのですか。
中島証人(中島知久平)
673
○
中島
証人
それはその当時の法規等にいろいろ準拠いたしまして、
軍需省
が注文して
兵器
として受けたものに対しての未拂金があるわけですが、それは支拂う。それから半成品あるいは仕掛品等については、そのうちその軍需工場で利用し得るものもあるし、利用し得ないものもあるのですから、それらはよく
調査
した上で、適当の支拂をすべきものならばするという
方針
でや
つた
わけです。しかし後においていろいろと変りまして、次の議会でいろいろの
法律
も出まして、補償すべきものは補償の全額を税として取上げるというわけでありますから、事実は拂わないことになり、また八月十五日以後に支拂
つた
ものは、たといそれ以前に納めた製品の代金であ
つて
もこれは返環させるというようなことにな
つたの
であります。われわれの時代にはまだそれまでの法規もございませんから、その当時存在した法規によ
つて
処理
する
方針
で進んでい
つた
わけです。
武藤委員長(武藤運十郎)
674
○
武藤委員長
あなたの時代において代金を支拂
つた
もの、あるいは仕掛品に対して代金を支拂
つた
もの、そういうものがあるのですか。
中島証人(中島知久平)
675
○
中島
証人
あると思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
676
○
武藤委員長
法規に基くというのは大体どんな形ですか。
中島証人(中島知久平)
677
○
中島
証人
その当時は総動員法その他ありましたが、結局戰爭の
ため
に損害をかけないという一つの建前があ
つた
。であるから軍需工場その他に対しての激励というか、こういうような設備をかけてやれ、またおよそこのくらいの
兵器
をいつまでにつくれ、またそれが
ため
に必要な金は貸す強制融資というのもありました。そうして強制的というか、政府が鞭撻して
軍需品
をつくらしたわけですが、しかしそれに対しては
民間
の工場は相当躊躇したのであります。しかし戰争はどんな結果にな
つて
も必ず損害をかけぬから、うんとやれということでや
つて
お
つた
わけで、それはやはり法規によ
つて
や
つて
お
つた
わけです。從
つて
終戰
直後はその
方針
がまだ現存しておりましたから、その
方針
に則
つて
処理
する方向をと
つて
お
つた
わけです。
武藤委員長(武藤運十郎)
678
○
武藤委員長
実際においても
処理
したわけですね。
中島証人(中島知久平)
679
○
中島
証人
処理
しました。しかしどのくらいしたかわかりませんが、商工省におけるものは航空
兵器
総局というのがありまして、そこが一切そういうことはや
つて
お
つたの
です。
終戰後
は
軍需省
を廃しましたけれども、そこに整理部どういうものを置きまして、その当時
軍需省
にお
つた
おも立
つた者
がおらぬとどういう結果にな
つて
おるか一向わかりませんから、それらのおも立
つた者
を嘱託として理整部に参加させまして間違いのないように進めたわけですが、その詳細なることは私は今
記憶
がありません。
遠藤三郎
君はその当時の航空
兵器
総局の長官でありましたから、
遠藤三郎
君にお聽きにな
つた
ならば私よりもつと詳しくわかるだろうと思います。
武藤委員長(武藤運十郎)
680
○
武藤委員長
金を拂えば品物を引取るということが当然だと思うのですが、金を拂
つて
品物をそのままにしておるというものもありませんか。
中島証人(中島知久平)
681
○
中島
証人
さあ、はたして製品以外のものにどれだけの金を拂
つた
か拂わなか
つた
かということはよく
記憶
がありません。
武藤委員長(武藤運十郎)
682
○
武藤委員長
これはたれに聽けばわかりますか。
中島証人(中島知久平)
683
○
中島
証人
大体
遠藤三郎
君がわか
つて
おると思いますが、もしも
遠藤
君において詳しくわからぬ場合には、その当時の整理部長に聽かれたならばわかるだろうと思います。商工省整理部です。
徳田委員(徳田球一)
684
○徳田委員 何という人ですか。
中島証人(中島知久平)
685
○
中島
証人
東久邇内閣
のときの整理部長は山田英三という方です。しかし幣原
内閣
にな
つて
その整理部長は退任しました。幣原
内閣
の整理部長は名を
記憶
しておりません。
武藤委員長(武藤運十郎)
686
○
武藤委員長
何かお聽きになることはありませんか。
明禮委員(明禮輝三郎)
687
○
明禮委員
ただいまの八月十四日の
閣議決定
に基いて
緊急処分
が行われたのですが、非常に弊害があるからこれを二十七、八日ごろ停止されたという
お話
でありました。これについては
河邊中將
が帰られたからということもあるが、そうでなくとも非常に不條理だからやめたとお
考え
にな
つて
おるように思うのですが、そのときは私どもの方で今
調査
しておるのは
兵器
であります。
証人
は
兵器
はよく御存じだろうと思いますが、
兵器
の
ブロツク
に属しておるようなものがたくさんやはり
緊急放出
されておるような事実があ
つた
からではなか
つた
でしようか。その点お伺いいたします。
中島証人(中島知久平)
688
○
中島
証人
兵器
はなか
つた
ろうと思恥います。
明禮委員(明禮輝三郎)
689
○
明禮委員
陸軍
とか
海軍
における
兵器
ということはきわめて狭義に解釈しておるようですが、今ここに取上げられておる
兵器処理委員会
においてや
つて
おります
兵器
というのは、
兵器
並びにその附属品あるいは
原材料
でも二〇%の加工をしてあるものはやはりこれを
兵器
として包含されておるものでありますから、そうい
つたよう
なもの、あるいは飛行機のガゾリンとか、
馬具
というようないろいろなものがやはり廣い
意味
において
兵器
として取上げられておる。そういうものも所々においてなくな
つて
い
つたの
ではないかと思われるのでありますが、その点はいかがでありますか。
中島証人(中島知久平)
690
○
中島
証人
ガソリン
などはなくな
つて
お
つた
と思います。その当時返還
物資
に含まれたものは、まず
食糧
、衣料医薬及びそれの材料、それから運搬に必要なるもの、これは馬のようなものから自動車等、とにかくそういう物件が軍に集結しておりまして、それが非常に多か
つたよう
です。その物件の中には
戰車
、
大砲
、あるいは弾丸、飛行機、あるいは軍艦のようなものもはい
つて
おるわけですが、われわれがその当時これはどうもこのままにしてはてはよくないと思
つたの
は、
食糧
であるとか衣料であるとか、
一般
民需用に振向け得るところの返還
物資
がたくさんあつちこつちに運ばれたり、自由にその地区々々において押下げたりしてお
つた
わけです。それはどうもおもしろくないというのが、これを
鈴木内閣
の
命令
を取消すおもなる動機であ
つたの
でありますが、その中にあなたのおつしやるように
ガソリン
も
兵器
の一部だというならば、その
ガソリン
もおそらく
食糧
やなんかと同じようにあつちこつち動いたということは確実と思います。
明禮委員(明禮輝三郎)
691
○
明禮委員
一九四五年の九月二十四日の覚書によりますと、
兵器
並びに軍艦というようなもの総て
連合軍
に一應納めまして、そうして
連合軍
からこれを
内務省
に返す。しかも
内務省
は國民経済の発達並びに國民生活の救済にのみこれを使えという
指令
であります。これによ
つて
あなたの方では、九月の二十四日に出ておる
指令
で、十月九日までいらつしや
つたの
でありますから相当の
期間
がありましたので、あなたといたしましてはこれに対する適当なる
処置
が蓮ばれたものであると私は
考え
ますが、先ほどはあまり
期間
がなか
つた
とおつしやいまするけれども、相当
期間
があ
つた
と思いますが、この点はいかがでありますか。
中島証人(中島知久平)
692
○
中島
証人
それは二十四日に返環の覚書が來まして、その返還
物資
をいかに取扱うかということについて
連合軍
の
司令部
協議の結果、
内務省
がそれを受領し保管しまた
処理
に任ずるということにきま
つた
わけです。ただちに
内務省
は各地方機関を動員してその受領に当
つた
わけであります。とにかくあれだけのものですからして、そうふろしき包で持運ぶようなわけにはませんから、これは十日くらいの間にはまだ完全に受領もできなか
つた
ろうと思いますが、それて受領保管の進めてお
つたの
ですが、それならばそれをどう
処理
するかというところまはいかないうちに
東久邇内閣
は総辞職もしたわけであります。そのときに商工大臣としてどういうことをしたかとう
お尋ね
のようですが、それは内務大臣がそのことに当ることに
連合軍
との間に話合いがつきましたから、そのことについては商工大臣は直接動きませんでした。
明禮委員(明禮輝三郎)
693
○
明禮委員
ところが、ただいままでここに
証人
として
内務省
の方々も喚んだのでありますが、皆
内務省
も責任を負わぬとは申しませんようでありますが、殊に
兵器
のごときものはほとんど商工省においてなされた。これはあなたは御
関係
にならなか
つた
かどうか知りませんが、解体
兵器
等の
処理
機構に関する件、こういうようなものができた
特殊物件処理委員会
は九月三十日ごろできてお
つた
が、これにはあなたは御
関係
があ
つた
はずです。その後これは十一月にな
つて
おりますけれども今まで喚び出した人々によるとこれはやはり九月のうちにできてお
つた
ということを皆言
つて
おる。解体
兵器
等の
処理
機構に関してこういうことはすべてあなた方の方でお膳立をなす
つたよう
な次第であると思われる。でありまするから
内務省
の所管であることはもちろんでありますけれども、商工省もまたこれに対して
処理
機構など皆
内務省
と商工省と連名でこれは発表された。こういう
意味
においてやはり商工省が実際は仕事をなす
つた
ものではないか思うのでありますが、この点いかがでありますか。
中島証人(中島知久平)
694
○
中島
証人
返還
物資
のことにつきましてはただいま申し上げましたように、まだ
東久邇内閣
がその
処理
方針
をかれこれ
決定
する段にまで至
つて
おらなか
つた
。それがいよいよ
閣議決定
事項
としてその
方針
が決
つたの
は十月十九日と思
つて
おります。それは幣原
内閣
のときの
閣議
であります。その
方針
に則
つて
中央
特殊物件処理委員会
というものが設置されましたのが、私の
調査
によりますと十月三十一日にな
つて
いる。それからその中央特殊物件
処理
があるというので、十一月五日に
兵器
があるというので、十月五日に
兵器処理委員会
というものを中央物件
処理
委員会
が設置することに決議したわけであります。そういうような
順序
でありますから、われわれの
内閣
のときにはその
処理
要綱を
閣議
でしたというようなことは
記憶
はありません。
明禮委員(明禮輝三郎)
695
○
明禮委員
この解体
兵器処理
機構の件は別といたしましても、先ほど申しました
通り
、九月二十四日の覚書に基きまして、物の
処理
ということはなかなか用意ではないのでありますから、ただちにこれがどうな
つた
ということは私どもも
考え
ませんが、ただし物の
処理
をなさるのについてこの覚書に基いて各地方々々においてどういう
処理
をさせるかという
方針
をお定めにな
つた
ことはあろうと思うのでありますが、この覚書に基いてどういうように皆
処理
していくかということ……。
中島証人(中島知久平)
696
○
中島
証人
それは私ども
閣議
に上
つた
記憶
がありません。ただあなたが今商工省が
兵器
の
処理
に
関係
しておらないはずはないとおつしやられたことは、
兵器処理委員会
が設置されまして、その
兵器
を破壞し、あるいは熔解するものは熔解する。また熔解、破壞しなくてもそのまま使える
部分
もあるというものはやはり日本の民需
生産
に有効に使うということが前提とな
つて
おりますから、商工省は各
民間
の
生産
工場を管理しておる
関係
からいかにしたらそれを有効に使えるか、どういうところにそれを分配したらいいかということについては、やはり商工省が参與しなければうまくいかないわけですから、
兵器処理委員会
でやることを、やはり
内務省
と商工省とでいろいろと協議してや
つて
い
つた
ことは事実であります。
明禮委員(明禮輝三郎)
697
○
明禮委員
それでわかりました。そこで協議されていろいろやりましたこのメモランダムに対していかなる
処置
をなすべきか、あるいは物の
処理
をやらせるについても、実は今日
兵器処理
についてのたくさんな欠陷が出ておることはもうあなたも新聞で御
承知
であろうと思います。ラジオその他すべて報道されておるところであります。これによ
つて
わかりますように、この
兵器
の
処理
が非常にまずか
つた
ため
に犯罪人ができたのみならず横流しをたくさんしている者がある。一向國民経済の
ため
にとか、あるいはその生活を救済するような
部面
には使われていなかなか
つた
という点があるのみならず、中は横領、窃盗、いろいろな問題が起
つた
。こういう点からいたしまして私どもはこのメモランダムに
つて
の指示
方針
というものをいかなる角度において当局が取扱われたか、それを伺いたいのであります
中島証人(中島知久平)
698
○
中島
証人
それはまことに遺憾の話でありまして、私は
東久邇内閣
が終ると、ただちに戰犯容疑者として長い間監禁生活でありまして、世間との交通もできず、詳しいことは存じませんでしたから、はなはだ御質問に対して詳しいことはお答えし離いかもしれませんが、われわれの知
つて
いる
範囲
において何かこの
委員会
の参考になり、またそういう不正を矯正する
ため
に参考になることは進んで協力したい
考え
でおります。だから決して自分の責任を回避するとか、あるいはここで答弁をあいまいにするというようなことは毛頭ありません。しかしながらただいま申し上げます
通り
、
兵器
の
処理
方針
というものは十月十九日頃
閣議
で
決定
して、ようやくその要綱がきま
つた
わけでありまして、それに基いて中央物件
処理
委員会
及び
兵器処理委員会
というのができて、それらがこれを運営してい
つた
わけであります。その運営の半ばにおいていろいろとことができたようにな
つて
、まことに國家の
ため
に遺憾に思
つて
おりますが、ただいま申し述べるような次第でありまして、どうしてそういうようなことが起きたかについては、詳しくここで私から申し上げる知識をもちませんです。 〔
委員長
退席、鍛冶
委員長
代理着席〕
明禮委員(明禮輝三郎)
699
○
明禮委員
そうすると、結果から申しますと、
特殊物件処理委員会
とか、解体
兵器
のすべての
処理
委員会
とか、あとからできる機構にこれを任せてやらせたということで、あなたの在任中にはこれに対しては特にこの
指令
に対する
部面
においては、何も
方針
をお定めにならなか
つた
ということでありますね。
中島証人(中島知久平)
700
○
中島
証人
そうです。
方針
としてはその返還
物資
を内務大臣がこれを受領し、保管し、それから先にこの
処理
方針
を
決定
する
方針
でありましたが、まだ受領が済まないうちに、われわれは退任したような次第でありますから、そこまで
日にち
がなか
つた
わけであります。
明禮委員(明禮輝三郎)
701
○
明禮委員
わかりました。そこでもう一つ、あなたは特に飛行機なんかについての專門家でありますから、伺
つて
みたいのでありますが、
終戰当時
の
日本軍
における飛行機の現在数といいますか、大体どのくらいの台数があ
つた
か、おわかりになりませんでしようか。
中島証人(中島知久平)
702
○
中島
証人
私も飛行機では大いに自負しておる一人でありますが、当時私は
民間
におつでその
方面
に直接
関係
いたしておらない
ため
に、なかなか極祕でありまして、実数を聽くことはなかなかむずかしか
つたの
ですな。おそらく軍人でも特殊の者以外にはむずかしか
つた
ろうと思います。ただその当時噂です。噂ですから御参考にされちや困りますが、あの当時は正規の飛行機の
生産
は一時控えまして、上陸作戰に備える
ため
に非常に簡單な一遍飛んでぶつかればよいというような簡單なものを各所でつくり始めたのですね。それは発動機その他の使えなくな
つたよう
なものを引つぱり出して、ほんの飛行機の形をしたものをつくり出して、飛び上ればよい、そうしてそれはただちに向うの上陸舟艇にぶつかるというよなものであ
つた
と思う。そういうものをかき集めると五千台くらいあ
つた
という噂は聽いております。しかしこれは責任の地位にないのですから、噂であ
つて
、実質がどうであ
つた
が知りません。それは航空
兵器
総局の長官がよく御
承知
だと思いますな。
明禮委員(明禮輝三郎)
703
○
明禮委員
それから
終戰当時
の
生産
能力というものは一箇月大体どのくらいおありでしようか。
中島証人(中島知久平)
704
○
中島
証人
それが今言うように極祕で、何人にも知らされなか
つたの
です。
明禮委員(明禮輝三郎)
705
○
明禮委員
商工大臣くらいだ
つた
らおわかりでしようか。
中島証人(中島知久平)
706
○
中島
証人
商工大臣にな
つた
ときは
終戰
で、あとですからはつきりしたこともなか
つた
ですが。
明禮委員(明禮輝三郎)
707
○
明禮委員
それから九月に、今の緊急
方針
を停止されましても、
復員軍人
補導会というようなのにはやはり十月くらい、九月いつぱいくらいは
物資
を
緊急放出
してないような何か
命令
を出したことがありはしませんでしよう
中島証人(中島知久平)
708
○
中島
証人
それはどこでですか。
明禮委員(明禮輝三郎)
709
○
明禮委員
九州方面
で
西部軍
が出たということを言
つて
おりますが。
中島証人(中島知久平)
710
○
中島
証人
そういうことがあるかもしれませんが、しかし私は責任をも
つて
答えられません。
明禮委員(明禮輝三郎)
711
○
明禮委員
あるかもしれない。聞いたことがあるという程度ですか。
中島証人(中島知久平)
712
○
中島
証人
聞いたこと——とにかくあの当時は急速に
軍需物資
を適宜
処理
しようということにな
つた
ため
に、かなり
混乱
したのですね。そうして
混乱
したが
ため
に、あれを
取消し
て、保管せよと
命令
を出したのですけれども、その
混乱
の極に達したものをああいうときにただちに正規の方に全國を取戻すということは困難ですから、
常識
から
考え
て、地区々々においてあるいは何か行われたかしれんと想像するわけです。
明禮委員(明禮輝三郎)
713
○
明禮委員
わかりました。
徳田委員(徳田球一)
714
○徳田委員
中島
さんは商工大臣になられる前はやはり
中島
飛行機株式会社を——現在これは冨士産業とな
つて
おりますが、これを主宰せられてお
つた
わけでありますか。
中島証人(中島知久平)
715
○
中島
証人
おりませんでした
徳田委員(徳田球一)
716
○徳田委員 それは弟さんですか。
中島証人(中島知久平)
717
○
中島
証人
私は
昭和
六年ごろ飛行機をやめまして、あとは社長は弟でしたが、事実はいろいろ軍からたくさんの人が來ておりまして、
会議
制をや
つて
お
つた
わけです。
徳田委員(徳田球一)
718
○徳田委員 しかし大体の様子はわか
つて
お
つた
んじやないですか、
中島
飛行機の……。
中島証人(中島知久平)
719
○
中島
証人
それは株主でございましたから、こまかいことはわかりませんが、大体の
数字
はわか
つて
おりました。
徳田委員(徳田球一)
720
○徳田委員 この
中島
飛行機株式会社は、
昭和
二十年四月一日に第一軍需工廠とな
つて
おりますね。
中島証人(中島知久平)
721
○
中島
証人
そうです。
徳田委員(徳田球一)
722
○徳田委員 これは
軍需省
の直轄と申しますか。直営と申しますか、そういう工廠にな
つて
おりますね。
中島証人(中島知久平)
723
○
中島
証人
そうです。
徳田委員(徳田球一)
724
○徳田委員 この借上金は全部——買上げと言いますか、借上げの金は全部佛
つたの
ですか。
中島証人(中島知久平)
725
○
中島
証人
貸賃は一銭
もと
らない。ただです。
徳田委員(徳田球一)
726
○徳田委員 貸賃はただで、支払いは何も受けておらないわけですか。
中島証人(中島知久平)
727
○
中島
証人
こういうことにな
つて
おるのですね。設備、機械、工場、建物、土地はただ借りるわけです。それでそこにある
資材
、半製品等は、
軍需省
が勝手に使うのですから、帳簿價格で
軍需省
がこれを買い受ける。それから、そこに使われてお
つた
約二十八万かの人がおりましたが、それはそのまま
軍需省
の人に轉換をさせられたわけです。
徳田委員(徳田球一)
728
○徳田委員 そうするとこの材料等の棚下し資産をどれだけに買
つたの
ですか。
中島証人(中島知久平)
729
○
中島
証人
さあ、そう詳しいことは存じませんが、その当時
資材
とか道具類が、六億かそこらあると思います。
徳田委員(徳田球一)
730
○徳田委員 六億ですね。
中島証人(中島知久平)
731
○
中島
証人
そうです。
徳田委員(徳田球一)
732
○徳田委員 そうすると、この六億という金は
終戰前
にみんな受取られたのですか。
中島証人(中島知久平)
733
○
中島
証人
受取らないのです。
徳田委員(徳田球一)
734
○徳田委員 受取らない前に
終戰
…。
中島証人(中島知久平)
735
○
中島
証人
いくらか受取
つた
ろうと思いますが、わずか受取
つた
うちに
終戰
にな
つて
、遂に大
部分
は受取らなか
つた
でしよう。そのうちに八月十五日以後の軍事費の支拂はまかりならぬということになりましたから、前に受取
つた
ものもこれを返し、受取らないものは零にな
つて
おります。
徳田委員(徳田球一)
736
○徳田委員 それで八月の二十六日に工廠は廃止されて、原会社にこれを返したわけですか
中島証人(中島知久平)
737
○
中島
証人
八月十六日でしよう。
徳田委員(徳田球一)
738
○徳田委員 十六日に廃止されたのですか。
中島証人(中島知久平)
739
○
中島
証人
ええ。
徳田委員(徳田球一)
740
○徳田委員 これには八月二十六日とある。十四日に
閣議
が
決定
されて、十七日にこれを実行する
ため
の
指令
が出て……。
中島証人(中島知久平)
741
○
中島
証人
軍需大臣から、軍需工廠をやめる、そうしてその建物、機会等は、
もと
の会社に返す……。
徳田委員(徳田球一)
742
○徳田委員 これは八月十六日ですか。
中島証人(中島知久平)
743
○
中島
証人
十七日と
記憶
しております。
徳田委員(徳田球一)
744
○徳田委員 八月十七日
もと
に返す。そうすると、買上げはしたが、その支拂はしないで、この工廠が持
つて
おる
物資
いわゆる借りてない
物資
、これはどうなんですか。
中島証人(中島知久平)
745
○
中島
証人
借りてないというと……。
徳田委員(徳田球一)
746
○徳田委員 いや土地だの建物だけは政府が借りておりますね。これはただで返すのでそれでおしまいになるけれども、そうじやなしに、買上げておるものです。政府が買上げたんでしよう。
中島証人(中島知久平)
747
○
中島
証人
買上げたものは政府が使
つた
わけですね。
徳田委員(徳田球一)
748
○徳田委員 材料を使
つた
、その代金は拂わなければならぬ。
中島証人(中島知久平)
749
○
中島
証人
拂い切れないわけです。
徳田委員(徳田球一)
750
○徳田委員 あとでまたもどして…。
中島証人(中島知久平)
751
○
中島
証人
だから零にな
つた
。
徳田委員(徳田球一)
752
○徳田委員 そうするとそこに
残つて
おる材料はどうなります。
中島証人(中島知久平)
753
○
中島
証人
残つて
おる材料はさつき申し上げたように、八月十七日の軍需大臣の
指令
では適宜
処理
すべしということだ
つた
んですが、われわれが
内閣
にはい
つて
から、それはよろしくないとのことで、その残
つた
材料は、帳簿價格をも
つて
その会社に譲り渡すということにな
つたの
です。
徳田委員(徳田球一)
754
○徳田委員 そうすると、前のものはただとられて、あとのものは帳簿價格で
拂下げ
るということになりますと、大分損しておるわけですね。
中島証人(中島知久平)
755
○
中島
証人
二重になるわけですね。そこでそれは今まだ解決が済んでおるまいと思いますが、また見解によ
つて
は、その
資材
は
もと
もと
買うと言
つて
、まだ買
つて
ないものを返すのだから、別にその代金を拂う義務はないし、とる権利もないじやないかということで、今もんでいるところです。
徳田委員(徳田球一)
756
○徳田委員 ところで、
拂下げ
た
数量
というものは、ちやんと帳簿價格に載
つて
、金にな
つて
おるのは十四億五千六百四十八万八千四百六十六円ということにな
つて
おりますね。たいへん莫大なものです。十四億五千万円ということにな
つて
おりますが、これはどうしたのですか。
中島証人(中島知久平)
757
○
中島
証人
あなたのさつきの御質問が、
資材
ということだ
つた
から、
資材
は六億から七億の間です。ただその間に飛行機で製品とな
つて
軍に納めたものもありますが、明日は製品になるというのがたくさんあるわけです。
ちよ
うど
生産
が最近の式でも
つて
、流れ作業でや
つて
おりますから、何十分に一台ずつできておるわけですね。そうすると、できかか
つて
いるものがたくさんあるわけですね。それは
資材
ではない。半製品であるから、それらはまた評價したわけです。そういうものを入れると、十四、五億円にな
つた
と思いますね。
徳田委員(徳田球一)
758
○徳田委員 いや、
ちよ
つお
考え
違いだと思うのであります。六億いくらというのは、これはあなたの方から政府に渡したもの……。
中島証人(中島知久平)
759
○
中島
証人
そう。
徳田委員(徳田球一)
760
○徳田委員 こつちの方の十四億いくらというものは、
終戰後
政府からあなた方が帳簿價格で引取
つた
ものだということにな
つて
おりますが……。
中島証人(中島知久平)
761
○
中島
証人
それは
数字
が違うだろうと思う。何でも残
つた
資材
その他を四億八千万円かで引取
つて
くれということが、商工省から富士産業に要求だと思
つて
おります。しかしはたしてそれだけありや否やということも、立会いの上で
調査
するとか、しないとか言
つて
いる間に、今のように、
もと
賣
つた
ことにな
つて
お
つた
ものは政府は拂わないことにな
つた
。それで材料の金はまたとられることになるから、二重なるにわけですね。そこで材料は、軍需工廠をやめた
ため
に、
もと
の会社へ返したというとにしたらば、別にその金は拂わなくともよいのではないか、金をと
つて
ないのですから……ということに折衝しておるのが、もうそれは済んだか、私も今
関係
しておりませんから、折衝中でしよう。ですから十四億ということはないはずと私は
記憶
しておりますが……。
徳田委員(徳田球一)
762
○徳田委員 これは商工省からの提出した文書ですがね。それでは、帳簿價格で、もうすでに下げたとな
つて
おります。
中島証人(中島知久平)
763
○
中島
証人
十四億ね。
徳田委員(徳田球一)
764
○徳田委員 ええ。第一軍需工廠から富士産業株式会社に
拂下げ
た物品の工廠別
数量
並びに價格とな
つて
おります。
中島証人(中島知久平)
765
○
中島
証人
それは私は少し多過ぎると思いますが、とにかく長い間戰犯容疑者として浮世から隔た
つて
おりましたし、また今は財閥追放者として、もこの会社とは連絡もできない
状態
にありますから、記録があるなら記録の方が事実かもしれません。ただ私の
記憶
としては、少し多過ぎるように思います。
徳田委員(徳田球一)
766
○徳田委員 ところでその辺はよいといたしまして、このできかかりの製品並びに半製品でありますが、いわゆる材料には使えないもの、そうした
物資
は指定された軍需工場及び工廠、こういうものから政府は買上げたことにな
つて
いるのですか。買上げることにな
つたの
ですか。
中島証人(中島知久平)
767
○
中島
証人
軍需工廠ですか。
徳田委員(徳田球一)
768
○徳田委員 軍需工廠も
一般
の
民間
工場からも……。
中島証人(中島知久平)
769
○
中島
証人
軍需工廠はそういうことはありません。自分のもので自分がつく
つて
お
つたの
ですから、すた
つた
ものは捨てちや
つた
わけです。使える
資材
を会社に買わんかということであ
つて
、それが四億いくらと思いますが、そういうような製品とか、仕掛品とかで捨てたものは、分算すればあるいは十四億になるかもれません。
徳田委員(徳田球一)
770
○徳田委員 あなたの商工大臣であられましたときには、そういう軍需工廠の製品、半製品はどういうふうな
処理
をなさいましたか。
中島証人(中島知久平)
771
○
中島
証人
さつき申し上げましたように、前軍需大臣が
閣議決定
の結果をや
つた
んでしようが、八月十七日にさつき申し上げたような
指令
が出ているわけです。つまり
資材
は適宜に
処理
してよろしい。官の
施設
したもの、官が軍需工廠にな
つて
からの機械等は無償で
拂下げ
る。しかし私どもが
内閣
にはいりましてから、それはどうも公正でないという見地から、官の
施設
したものは官のものにする。前軍需大臣のや
つた
ことは
取消し
て、それはその会社が保管してくれ、
資材
の方はやはりその会社に帳簿價格でも
つて
譲渡するということに変えたわけです。
徳田委員(徳田球一)
772
○徳田委員 そこはよくわか
つて
おります。
中島証人(中島知久平)
773
○
中島
証人
資材
以外のものは…
徳田委員(徳田球一)
774
○徳田委員 半製品、製品これをどうなさ
つた
か……。
中島証人(中島知久平)
775
○
中島
証人
これは軍需工廠が自分でや
つて
お
つた
ものですから、そういうものは自分が捨てたわけです
徳田委員(徳田球一)
776
○徳田委員 捨てたわけですか。
中島証人(中島知久平)
777
○
中島
証人
大
部分
の機械とか飛行機は、形になりかけてお
つた
ものは今のように
連合軍
が押えましたから、
兵器処理委員会
の方でつぶして適当に
処理
しております。
徳田委員(徳田球一)
778
○徳田委員 これはみんな
兵器処理委員会
に行
つたの
ですか。
中島証人(中島知久平)
779
○
中島
証人
そうです。みな行
つた
というわけではないでしようが、
兵器
のかつこうにな
つた
ものは行
つた
はずです。
徳田委員(徳田球一)
780
○徳田委員 そこで実を申しますと、あなたに御迷惑かもしれませんが、太田で有名な隠退藏
物資
摘発事件というのがありまして、この事件が起
つたの
は、要するにこの材料や半製品、製品その他
施設
のもを隠退藏したということにな
つて
いるのではないですか。
中島証人(中島知久平)
781
○
中島
証人
詳しいことは知りませんが、これはこういうようなことが眞相に近いのではないかと思います。とにかく
中島
飛行機という飛行機
生産
機関が、アメリカにおける作戰上これを壞せばもう戰争には勝てるというような気分があ
つたの
です。向うあたりのいろいろのラジオ等を聽いてもそうであります。B二九が日本に飛んで來られるようにな
つて
からは、ほとんど爆撃目標を
中島
飛行機においたわけです。各地の工場が何回爆撃されたか、私今
記憶
がありませんが、相当の爆撃を受け、また被害があ
つた
わけです。そこで軍の方、
軍需省
と言うていいか、その当時の監督官あたりの
命令
によ
つて
、とにかくこれを急速に、できるだけ多数の所に少しずつ疎開しろということで、疎開したわけです。小泉、太田というのが二つありますが、大体あすこに疎開したものは、二千数百箇所にな
つて
おるわけです。それは多少あつちこつち壞れても一度に失わないように、小さく分割された。これを爆撃の間において大勢の者がわかれて、あちらの倉庫、あちらの物置を借りて運んだわけですが、その中には爆撃のときに死んでしま
つた者
もある。一回に八十名ずつくらい死にました。だからある小さい倉庫にあるものを預けても、その人が死んでしま
つた
ため
にあとの人にはわからなか
つた
というような所もあるわけです。そこであとでそういう所を書き出したわけですが、
資材
はおよそこれ、合計これだけとや
つて
みたが、中にははい
つて
おらぬ所もある。たれも知らぬというのもある。もつとも
終戰後
大勢の者を
軍需省
はみな解雇しましたから、ごく少数の者が
残つて
おる。そこへも
つて
い
つて
爆撃によ
つて
死んだというようなことで、わからぬ所がある。預けてある倉庫には物ははい
つて
おるが、だれも知らずに帳簿に載
つて
おらぬというものもあるわけです。それらが
調べ
た結果、これは隠退藏であるというようことにな
つた
ものも相当あるようです。相当長い間檢事が多数動員して
調べ
たのですが、その結果どういう結末にな
つた
か知りませんが、大したことはなか
つたの
じやないかと、今私は想像しております。こういうような情勢があ
つたの
です
徳田委員(徳田球一)
782
○徳田委員 國の直営の所にもこういうのがあ
つた
わけですか。ほかの所でもこういうふうにして実際上帳簿にも何にわからなくな
つて
おるようなもの、すなわち國が直接どこにいくら
資材
があり、どこにどうあるかというようなことを実際上握
つて
おらぬ所、そうしてこの管理が非常に粗慢にな
つて
いた所がたくさんあ
つたの
じやないでしようか
中島証人(中島知久平)
783
○
中島
証人
普通
一般
の
民間
工場は、その当時
資材
がこれだけあるということになると、この
資材
は軍の
兵器
の
ため
に使う
資材
であ
つて
、これは
民間
用にはあまり轉換できないといようなことを申し出せば、それはその当時の價格で補償を受ける可能性があ
つたの
ですから、普通の
民間会社
ではそういうふうなことはあまりなか
つた
かと思います。むしろ十のものを十一、二くらいに大きく言
つた
ところがあるかも知れません。
徳田委員(徳田球一)
784
○徳田委員 ところでこういう点はどうでしようよか。軍需工場として指定されておる工場が、
終戰
になりまして製品及び半製品を政府が買上げたことにして、これに代金をどんどん拂
つて
おるという事実はありませんか。
中島証人(中島知久平)
785
○
中島
証人
軍需工場ですか。
徳田委員(徳田球一)
786
○徳田委員 指定されておる
民間
の軍需工場です。これは指定工場がたくさんあ
つた
はずです。
中島証人(中島知久平)
787
○
中島
証人
工廠と工場と間違うといけませんから……。
徳田委員(徳田球一)
788
○徳田委員 工廠じやない
民間
の工場で軍需工場して指定されておるところがたくさんあ
つた
と思います。その工場で
軍需品
をこしらえておる製品または製品にな
つて
おるところがたくさんあ
つた
に違いない。これを政府が引取らなければならなか
つた
はずです。引取らねば相手方が損しますから製品、半製品を引取
つたの
でしよう。
中島証人(中島知久平)
789
○
中島
証人
引取りまでい
つて
おらなか
つた
ろうと思います。
徳田委員(徳田球一)
790
○徳田委員 そうすると、これに対する支拂はどうな
つて
おりますか。
中島証人(中島知久平)
791
○
中島
証人
支拂はさつき申し上げたように、整理部というものがよく
調査
いたしまして、その
資材
のうちその工場で轉換し得るものがいくら、絶対に轉換し得ないものがいくらというようなことを
調査
して、その轉換し得ないところのものは相当の補償の
意味
で金を拂うという
方針
で臨んでお
つた
ことは事実です。このうちには小さいものはそういうことを受けたものもありましようが、なかなかそれがうまく進まぬうちに、ついにそういうものに対する代金は佛
つて
も返還すべきものであるということがきまり、補償は全部一〇〇%税金として取立てられることになりましたから 〔鍛冶
委員長
代理退席、
委員長
着席〕 その前に多少そういうものもあ
つた
ろうと思いますが、それはあとで取上げられることなるわけですから……。
徳田委員(徳田球一)
792
○徳田委員 あなたのおつしやるのは
資材
でありますが、製品並びに半製品はどうでしよう。
中島証人(中島知久平)
793
○
中島
証人
それも同じことです
徳田委員(徳田球一)
794
○徳田委員 そうしますと
終戰後
におきまして製品、半製品及び
資材
のことに関しては、政府では全然支拂をしなか
つた
ということになりますね。
中島証人(中島知久平)
795
○
中島
証人
いや、したものもあろうと思います
徳田委員(徳田球一)
796
○徳田委員 それはごく少数ですか。
中島証人(中島知久平)
797
○
中島
証人
どのくらいのパーセンテージにな
つて
おりますか、それは私には今答えるだけのあれがありませんが、
兵器
総局の長官もしくはその当時の整理部長にお質しになれば、ある程度御希望に副うような結論が得られるかと存じます。
徳田委員(徳田球一)
798
○徳田委員 実は八月にはいりましてから日本銀行の発行高が非常にたくさん上
つて
おります、四百五、六十億上
つて
おる。これは一体どういうわけでしようか。あなたは
内閣
に列しておられたのでありますから、この間の
事情
を相当御
承知
であると思いますが、こういう日銀の発行高がぐんぐん上るということはどこが
原因
したでしようか。
中島証人(中島知久平)
799
○
中島
証人
さあ、はつきり申し上げる確信がありませんが、その当時の大藏大臣であ
つた
津島
君が控えておりますから、
津島
君にお聽きになれば……。
徳田委員(徳田球一)
800
○徳田委員 それは控えておりますけれども、しかしあなたにお聽きして、それから
津島
君に聽く方が味がよい。ただ一人だけですと、なかなか
証言
というものは、一方
証言
でありましてぐあいが悪い。こつちとしては眞相をつかむのに傍証がたくさんあるほどよいのですから、それであなたにお聽きしておわかりになれば……。
中島証人(中島知久平)
801
○
中島
証人
そういうようなものを補償する
ため
に使われた金もその中には相当含まれているだろうと思いますが。
徳田委員(徳田球一)
802
○徳田委員 実はこういうことを実際工場などに私たちが行きましても工場主からは聽きませんが、工員などからよく聽きます。それは
終戰前
後に莫大な支拂いを受けた。製品並びに半製品を大体製品と見て支拂いを受けた。まあ戰争が済んで、向うさまが來てからではたいへんだから、來てもらわないうちにどんどん拂
つて
おかないとたいへんだというので、非常に莫大な金を拂われた。莫大な金が佛われている。その
ため
に会社としては厖大な儲けをした。その上
資材
は大体投り放しで、自分らがと
つた
ため
にたくさんな隠退藏
物資
ができておるということを聽きますが、あなたの今おつしやる御
証言
ではそういう事実の起るべき余地がないと思いますがどうでしよう。
中島証人(中島知久平)
803
○
中島
証人
余地がないということは保証できません。
徳田委員(徳田球一)
804
○徳田委員 そうすると、相当そういうことができ得る余地はあ
つた
わけですね。
中島証人(中島知久平)
805
○
中島
証人
その当時はとにかくあなた方も御存じないですかな。
徳田委員(徳田球一)
806
○徳田委員 私は監獄から十月十日に出てきたのでから、正確でないかもしれませんが、なかなか監獄というものは味なもので、へいを隔てていろいろの情報が來る。そこでわれわれの感じたところでは相当その間に大きな不正が行われておる。これが今日本の再建の
ため
には非常な妨げにな
つて
おるのです。この間の
事情
がはつきりいたしますと、この不当財産取引
委員会
としましては、これらの
処置
をどんどんすれば日本再建の
ため
に非常に有利だと思いまして、この間の
事情
をぜひ明らかにしたいと思
つて
おるのですが、どうか責任の問題は別にしましても、民族の
ため
にひ
とつ
その間の
事情
を、できる限り詳しく
お話
いただきたいと思います。
中島証人(中島知久平)
807
○
中島
証人
私は決して隠しておりません。さつき申し上げた
通り
、かなり他の證人よりも私の
証言
が詳し過ぎてポイントに……。
徳田委員(徳田球一)
808
○徳田委員 それは御信頼するに値いするから特に申し上げるわけでありまして、ぜひその間の
事情
を少し
お話
しいただきたいと思います
中島証人(中島知久平)
809
○
中島
証人
とにかく
終戰後
三箇年を経た今日において、ここで遅くまでも皆さんにお骨折りを願わなければならぬようなことが相当日時経
つた
後においてもあちこちに起
つて
おるというほどに、民心が廃頽したわけであります。殊に
終戰
直後は言語に絶するくらいに、ある一部においては日本人として顰蹙するようなことがあちこちで起
つたの
であります。この
兵器処理委員会
というものはずつと後に起
つた
ことでありますが、それでもこの
通り
であります。だからその当時において少しも不正なことが行われなか
つた
、だれもそんな人間は日本におらなか
つた
ということを私がここで
証言
することは間違いだと思います。だからたくさんの軍需会社の中にはいろいろのことをもくろんでや
つた
ものもあるでしよう。そういうことをなるべく避ける
意味
において整理部その他は全力を盡したのでしようけれども、なかなか中にはあなたの心配されたようなことがなか
つた
ということを断言し得ないだろうと思います。この程度申し上げる以外に、
ちよ
つと
常識
では申し上げかねますな。
徳田委員(徳田球一)
810
○徳田委員 しかしそこに軍人が非常に大きく
関係
しておるのではないかと思いますが、これはどうでしようか。実際
民間
の工場におきましても、すべて軍人が付き添いでや
つて
おりましたので、軍人が指示すればその間のいろいろの操作はできるのでありまして、これらの軍人と結托して莫大な不正が行われたという、こういう点はどうですか。
中島証人(中島知久平)
811
○
中島
証人
それは私よりもあなた方が明るいのではないですか。あなたははい
つて
お
つて
も出てきたが、私は中に入れられたのですから……(笑声)。だからあなたの方が知
つて
おられる……。
徳田委員(徳田球一)
812
○徳田委員 私が出る前に行われて——あなたの方は大体行われた後に向うに行かれましたので……(笑声)あなたがまだ
東久邇内閣
におられる当時そういうことがあり得たという感じはありませんか。
中島証人(中島知久平)
813
○
中島
証人
まだそこまでい
つた
かいかないか、とにかくわれわれが直接に感じたことは、さつき申し上げたように
鈴木内閣
の最後の
命令
として、
軍需物資
は急速に適宜
処理
すべしというようなことが——
軍需物資
というよりも軍保有
物資
ですね、そういう
命令
が出たのでありますから、その当時各所にお
つた
軍隊あるいは軍に関するいろいろの機関にお
つた
人は、急速にそれを実行することが最も國家に対する奉仕と
考え
たのであります。從
つて
今から
考え
てみれば無理なことがあ
つた
ろうとは想像します。
徳田委員(徳田球一)
814
○徳田委員 もう一つ最後に
お尋ね
したいのですが、軍の方ではあの当時持
つて
いたいろいろの
書類
、帳簿だの何だのをどんどん燒却しろという祕密
命令
を発したそうです。これはあなた方
閣議
ではあるいは御存じないかもしれませんが、大概
陸軍
は
陸軍
大臣が
命令
をしまして、そして高級副官が
命令
を出した、それから
海軍
の方は
海軍次官
から
命令
を出したとい
証言
がありましたが、
軍需省
、そのあとを引受けられた商工省では、軍需
関係
の会社に、こういう帳簿は燒いてしまえ、
書類
は燒いてしまえ、燒却しなければいかぬとい祕密
命令
を出されたことはないでしようか。
中島証人(中島知久平)
815
○
中島
証人
それはわれわれの時代にな
つて
はありません。
徳田委員(徳田球一)
816
○徳田委員 それが
鈴木内閣
の時代にあ
つた
ことはお聞きになりませんでしたか。
中島証人(中島知久平)
817
○
中島
証人
われわれが就任していた当時はどこの官廳も到る処で火は燃えていました。しかし軍需会社で帳簿を燒いたというようなことは、
命令
が出たことも知りませんが、燒いたものはごくわずかだろうと思います。たとえば第一軍需工廠としてあ
つた
もと
の
中島
飛行機、それは帳簿は燒きませんでした。ただ爆撃の
ため
に失
つた
ものはやむを得ませんが、自分の手で燒いたということはありませんで、極力保管に任じたものですから、今でもその帳簿は嚴存しております。
石田(一)委員(石田一松)
818
○石田(一)委員 これは
兵器処理
の問題とは観点が外れるのですが、非常にこの
委員会
も関心をも
つて
おることですが、あなたは長年日本の政界にいらし
つたの
で、
終戰後
政党に政党資金か、あるいは選挙運動の
ため
に特定の候補者に政治献金をなす
つた
ことはございませんでしようか。
中島証人(中島知久平)
819
○
中島
証人
ありません。それは突如として戰犯容疑者として指定されましてから、身体の自由はもちろんもちませんでしたが、一切の財産を差押えられた。ですからそういうことはやる余地はありませんでした。またやる意思もなか
つた
。
石田(一)委員(石田一松)
820
○石田(一)委員 それでは現在ももちろんそういう
方面
の
関係
も何もない。献金もない。こういうわけですか。
中島証人(中島知久平)
821
○
中島
証人
献金もありませんし、候補者なんかに出したこともありません。
石田(一)委員(石田一松)
822
○石田(一)委員 もう一遍聽きますが、あなたのところへ何とかしてもらえないかと言
つて
、候補者なんかで行
つた者
もないですか。
中島証人(中島知久平)
823
○
中島
証人
そうですね。一、二來たことはありますが、私はその当時候補に立つことはよくないということをで説諭して帰したことはあります。
石田(一)委員(石田一松)
824
○石田(一)委員 それはあなたがまだ戰犯容疑者の
決定
を見ない前の問題ですね。
中島証人(中島知久平)
825
○
中島
証人
戰犯容疑者に
決定
せぬ前です。
石田(一)委員(石田一松)
826
○石田(一)委員 そうすると
昭和
二十一年の総選挙のことですか。
中島証人(中島知久平)
827
○
中島
証人
昭和
二十一年のときは私は戰犯で自由を失
つて
おりました。だから、その前にそんなことを言
つて
きた者も一、二あ
つたよう
な氣がします。
石田(一)委員(石田一松)
828
○石田(一)委員 選挙がまだあるかないか未確定のときですか。
中島証人(中島知久平)
829
○
中島
証人
ええ。
武藤委員長(武藤運十郎)
830
○
武藤委員長
ほかにありませんか。 〔「なし」と呼ぶ者あり〕
中島証人(中島知久平)
831
○
中島
証人
それから、さつき
ちよ
つと徳田さんの質問中に、あとで誤解があるといけないから
ちよ
つと訂正しておきますが、
中島
飛行機に
関係
してはおらなか
つた
かということでありました。これは
関係
しておらないということを申し上げておきます。それはこういう
意味
です。
昭和
六年ごろ私は飛行機から去
つたの
ですが、それは、飛行機をや
つて
おる者が政治に
関係
してはいかぬということの内規がありまして、偶然故郷で選挙されまして、それを辞退できなくな
つた
ものですから、それじや飛行機の方をやめようというわけでやめたわけです。その後
中島
飛行機株式会社というものが設立された。それまで株式会社でなか
つた
。その後ずつと離れてお
つたの
ですが、
中島
飛行機が
軍需省
から接収された。これはその当時の多少強制的なものであ
つた
わけです。それで、
中島
飛行機の工場、それからその存在するすべての物、人員等もみな
軍需省
に行
つた
わけです。だから
中島
飛行機というものは実質的に軍需工廠に変
つて
しま
つた
わけです。しかし
中島
飛行機株式会社という名前は
残つて
おるのです。空つぽのものが。これを整理しなければならぬので、その当時
中島
飛行機にお
つた
すべての幹部、弟の社長初めみな
軍需省
へ行
つて
しまいましたから、この空つぽのものをどうするのかということで、一時私にそれならばその空つぽを預か
つて
くれぬかと言うてこられたので、その間四箇月ばかりその空つぽを預か
つて
お
つた
ことがあります。しかし実質的には
中島
飛行機ではない。ただ名前だけのからつぽである。しかし見方によると
中島
飛行機株式会社の社長ということにな
つて
おりますから、
中島
は少し
証言
を僞
つた
というよな疑を受けるといけませんから、それをここで明瞭にしておきます。
武藤委員長(武藤運十郎)
832
○
武藤委員長
では御苦労さまでした。 この際諸君にお諮りいたしますが、あとに二人、
遠藤三郎
君、
津島壽一
君が
残つて
おりますけれども、この両名とも明日に一括して延ばして、明日は正一時からやるということでいかがですか。 〔「異議なし」呼ぶ者あり〕
武藤委員長(武藤運十郎)
833
○
武藤委員長
本日はこれにて散会いたします。 午後六時二十八分散会