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小松委員 この機会に大口やみ取引
調査小
委員会におきまして、奈良縣生駒郡安堵村東安堵井上信貴男に対しまして、本年八月十七日及び九月二十六日、同月三十日の二回にわたりまして
委員が出張いたし、
調査をいたしました結果を御
報告申し上げたいと存じます。
第一に事案の概要を申し上げます。井上信貴男は
昭和十三、四年ごろより屑皮加工による靴の積上踵の製造業を営んでいたのであるが、終戰直後皮革統制会大阪支部が奈良縣廳及び大阪府廳より拂下を受けた元軍所有の特殊物件たる皮革を独占的に同支部より配給を受け、その数量は同人の自称する現在庫量のみにても、皮革屑三百四十七トン及び皮革百四十七トンに及ぶほか、実際はこれを奈良市所在陸軍被服廠より引取りの際、右リスト外に大量の皮革、纖維、靴類、亞麻糸、鉄鋲を密かに搬出窃取の上、これを同村皮革
業者四名を介して、大阪市内はじめ各地
業者へやみ賈し、莫大なる不正利得を得たる疑いあり、現在わが國におけるこの種のやみ肥りの巨魅と称せられ、その間の消息は同人の所得税額が、
昭和十九年に一万三千二百六十七円、
昭和二十年に一万七百二十九円、
昭和二十一年に八万三千三百三十四円、
昭和二十二年には一躍四百六十三万六千百六十円、
昭和二十三年には五百七万円と終戰後著しく飛躍せることよりも推測せられるのであります。
本件につき奈良檢察廳は、本
委員会の
活動に刺戟されてか、本年九月十九日及び同月二十一日の両日にわたり、右安堵村ほか各所に所在する同人所有の二十一箇所の倉庫を捜索して、時價数十億と称せらるる隠匿物資を押收し、現在安堵村所在倉庫の物資を点檢中であります。
次に本
調査妨害の不祥事件を御
報告申し上げたいのであります。九月二十日午後一時ごろ
小松委員、中村
委員及びその随員中村元旦の一行が本件
調査のため、奈良地檢次席檢事とともに、右安堵村所在の井上方工場に臨んだところ、井上は中村
委員に対し種々の暴言をも
つて、その
調査を拒否し、同
委員及びその息子元旦氏を同工場構外へ立去るのやむなきに至らしめました。習十月一日午後一時ごろ、中村
委員及び元旦氏が他用のため奈良
地方裁判所公衆
控室にいたところ、たまたま右井上が來かかり、元旦氏を見るや、「お前はきのう
一緒に來たな、中村のせがれか」と放言の上引返し、約二十分後、約二十名の暴徒を引連れ來り、元旦氏に対し、「用事がある」と称して屋外に連れ出し、右多衆が元旦を取囲むや、卑劣にも井上は「おれは知らぬぞ、おれには関係ないぞ」と放言して姿をくらました。よ
つて元旦は公衆の迷惑を避け、右暴徒とともに奈良公園に到り、「君らはどうするのか、けんかする氣か」と詰問しているところへ、再び井上が現われたので、同人に向い「卑怯なことをするな、やるならさしでやろう、時と
場所をきめろ」と言
つたところ、井上は「トラツク二台で呼び集めてこい」と大声にどなりながら、右暴徒とともに坂を降
つて走り去
つた。同月三日午後零時三十分、中村
委員親子は、用務を終えて奈良を引揚げ帰宅したが、その後同日午後三時ごろ、右井上の徒党約三、四十名が二列縱隊をなし、手に手にこん棒、鉄棒を携えて、「中村をや
つてしまえ、市場をつぶせ」等と口々にののしりながら、中村
委員女婿
経営の市場へ向け走り行く途中を、警察官及びM・Pのために阻止され、奈良警察署へ連行され取調べを受けたが、その取調べ中、井上は同署へ來て「お前らは用がないから帰れ」とどなり、無法にも暴徒を勝手に立ち去らしめ、警察官に種々暴言を吐いたため、警察官及び檢察官の一部は非常に憤慨しているとのことであります。しかして右事実は習十月四日午後七時及び九時半のラジオ放送のニユースで、不当財産取引
委員会の
調査に基因する井上対中村の衝突事件として、大阪放送局より放送されておるのであります。
右御
報告を申し上げます。