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川崎證人 ちようどその日曜日の朝の十時ごろであ
つたと
記憶をしているのですが、
坪川君が私の所へ来て、普通の挨拶の後に、
岡部君が今度金ができた、ついてはわれわれ親しい連中に分けたいからというので、
自分も五万円もら
つたけれども、まあ
受取つてくれないか。こういう話でありました。私は平素から
岡部君と親しい
間柄ではありましたけれども、何の
理由もなしに金をもらうということは私は考えられないと思いましたので、
自分は従來党の
内部から筋の通らないもので金の授受をしたことはない、
從つてこれは私は
お返しをするということを強く申しましたところ、
坪川君は語をついで――その間に約二、三分あ
つたろうと思いますが、実は今度の
石炭國管問題が問題にな
つて、
経済安定本部の案や
商工省の案を一應
國会で
修正してもよいということにな
つたのは、つまり
民主党の
内部において
北村政調会長並びに私どもの
努力によ
つたところだと思うので、その
関係もあるからぜひこれを収めてくれという
岡部の話であ
つた。こういうことでありました。私はその際に、
坪川君はあるいは
情報部長をしてお
つた関係で、
政策のこまかい点御
承知ないかと思
つたので、これは今は
経済安定本部の案や
商工省の案には
反対をしたけれども、
民主党の
主義主張の中にも、明らかに
石炭の一時
的國家管理をやらなければならぬということを
言つておるので、近く
民主党の中で
民主党案を作成し
ようということにな
つておるのだから、もしそういうことにな
つたならばなお私は
受取れないということを強く申しました。すると
岡部君はさらに、そう
言つてもぜひこれは
受取つてもらわなければ困るのだということである。私は一体この金はどうしたんだ、
岡部君自身の金かそれとも何か背後に
関係はないかということを強く問うたところ、
自分も
はつきりしたことはわからぬけれども、
岡部の金もあるが、また
岡部と
友人関係にある
原口君――
炭鉱業者と思いますが、その他が集めたものらしいということを
言つております。そこで私はそういうことになるとますますこれは困るというので非常に押問答をしました。
坪川君は子供の使いではないからということで、私が返そうとするとどうしても返せないということであ
つたので、私はそれならば
自分から返すというので一度預かりまして、当日は日曜日であ
つたので、ただちに
赤坂の
中川旅館に住んでおる
岡部君に電話しました。電話は、その当時も今日も同じでありますが、特に当時は不通が多いので、どうしても
中川旅館は出ません。そこであくる日の午後三時ころと思いますが、
岡部君を
政務調査会の部屋から呼び出して、こういうことで金を
受取れということであ
つたけれども、私としてはこれを
受取るわけにいかぬということを述べますと、
岡部君は、今度の問題もあるんだからぜひ
受取つてくれよということでありましたけれども、私が強くこれを返しますと、今度は簡單に持
つてお
つたカバンの中に入れました。
事件は大体そういうところであります。