○長谷川
公述人 私は清岡氏の代理で参りました大倉経済專門学校で
憲法の講師をいたしております長谷川であります。私は今まで
労働組合の方々が、具体的な実務方面から、この
國家公務員法改正案というものが、
改正でなく改惡であるということをお話にな
つたことを、今度全体的な
立場から、主として
法律学上の
立場から、これがいかに
改正ではなくて、改惡であるかということをお話したいと思います。
まず第一に申したいことは、この草案がきわめて独断的な性格を持
つておるということをお話したい。それはどういう点かといいますと、
改正案の第
一條の松項、四項を見ると、はつきり出ておる。新
憲法によりますと、
憲法の八十
一條に、最高裁判所に法令の実質的な
審査権が認められております。そうしてこの法令の実質的な
審査権というものが、單に個々の具体的な場合にとどまるのか、それとも
一般的な効果を持つのかということに関しては、東大の宮澤俊義教授の説によれば、そういう実質的な
審査権というものは、
一般的な確定的な効力を持つのだというような有力に学説さえあります。そうして新
憲法において、
司法権の独立ということを尊重する限り、このことはきわめて重要なことであります。
ところがこの草案は「この
法律のある
規定が、効力を失い、又はその
適用が無効とされても、この
法律の他の
規定又は他の関係における
適用は、その影響を受けることがない。」というふうに、
立法権の側から一方的に法令
審査権の内容を制限しようとしております。」また次に「この
法律の
規定が、從前の
法律又はこれに基く法令と矛盾し又はてい触する場合には、この
法律の
規定が、優先する。」というふうに、またこれも
立法権の側から、いかなる
法律でも
つて司法権が発動するかということは自由であるはずなのに、それを一方的にこういう制限をや
つております。結論しますと、こういうやり方は今まで
法律の常識ではおよそ考えられませんし、
立法権の優越という新
憲法における一つの
原則を利用して、行政権がきわめて独断的な宣言をなしたのではないか、そういうふうに考えられます。
それから次に、この
國家公務員法適用の
範囲が
現行法以上に拡大されておる点でありますが、これについて私は二重に誤
つておるということを言いたい。その第一は、まずどういうふうに拡大されておるかというと、いわゆる下級
官吏、下級
公務員の方面に非常に拡大されている。それは
特別職というものを大幅に減じて、
現業、非
現業の区別をなくする。それからまた
現行法にある「單純な
労務に
雇用される者」というものを、これもまた
一般職にしてしま
つている。いやしくも
國家から
給與をもらう者、金銭をもらう者はすべて
一般職というふうな建前でおるわけです。たとえば給仕さんとか、
日雇いの草刈り人夫であ
つても、この
法案によればすべて
一般職というふうな取扱いを受けます。これは
職務内容をよく考えてみて、全然私の企業のそれともかわらないようなものを、そうして当然
労働者として保護され、
労働組合をつく
つて保護されるべきものを、
公務員として強力な拘束のもとに置いてしまうという一つの誤りではないか。それから第二には、この
一般職を廣げた場合にいわゆる上級官僚というものを
一般職に廣く入れている。たとえばもちろん
現行法通り課長、局長は当然でありますが、次官までも
一般職に入れておる。このように拡大することは何も意味するかといいますと、実質的には
國家の
意思を決定する國務に参與しておる官僚を
一般職ということにして、政治から全然切り離してしまう、政治上の
責任を何ら持たせないということは、今までわれわれが痛切に感じてお
つた官僚制、特権官僚の弊害を再び強化することになりはしないか、こういうふうに二重の誤りがありはしないかと私は考える次第であります。
次に一体
公務員の
基本的人権は、この
法案によ
つて守られておるかどうか。第一に爭議権はもちろん、
團体交渉権すら認められていないという点を問題にしたい。それは
憲法の二十
八條には明白に
労働者の
團結権、
團体交渉権、その他の
権利として爭議権を認めております。そうしてこの
権利が
法律をも
つてしても、
一般的に禁止し制限することができないということは、常識ある
法律学者ならばだれでも認めておる点であります。たとえば昨今なくなりました美濃部博士も、この点については明記しております。それでこれを
政府は
憲法第十
二條、第十三條の
公共の福祉ということを理由にして、
法律で制限しようとしておりますが、この
公共の福祉によ
つて制限できるのは
憲法に明記してある場合、またこれから
改正して明記するならば、
公共の福祉ということを理由にして
法律で制限できますが、それ以外の場合に
公共の福祉を廣く常識的に解釈して、
公務員の
権利というものを
一般に制限しようとすることは、明治
憲法へ逆もどりすることではないか。ということは、明治
憲法においてもやはり臣民の
権利義務というものは認められておりました。しかしそこにはほとんど全部が
法律の
範囲内でという制限がついてお
つたのであります。
ところが新
憲法においてはそういう制限をなくして、そのかわりに非常に狹い意味で
公共の福祉ということをつけ加えたのであります。
ところがこの
公共の福祉ということを理由にして、
法律でも
つていつでも
廣汎に制限できるとするならば、新
憲法がどういう点で明治
憲法よりも進んでおるのか、私は疑問にしたいと思います。その点について最も新しい草案では、
政府はいろいろ考慮して、交渉――
團体交渉の交渉などという文字を入れておりますが、
團体協約すら結べない
團体交渉権というものがいかに無意味であるかということは、
労働者諸君がすでにお話した
ところであります。
それから
基本的人権の第二に、
政治活動について
公務員にほとんど認めていない。はつきり認めておるのは選挙権だけであ
つて、その他については、たとえば
人事院の規則という点に逃げてしま
つて、その他の
政治活動の自由を認めていない。この理由としては、
政府は
憲法十五條の「すべて
公務員は、全体の奉仕者であ
つて、一部の奉仕者ではない。」ということを理由にしております。しかしこれは
政府が政党政治というものは、一部の
利益しか
代表しないという非民主的に誤
つた考えに基いているのではないかと私は思います。もし
政治活動というもの、すなわち政党政治というものが一部の
利益しか
代表しないとしてこれを全部排除し、その残
つたものに初めて
公共の
利益があるのだという
政府の考え方は、今までの歴史を見てみますと、官僚というものは、確かにある面では政党の政治というものを排除してや
つて來ております。しかしそういう
利益を排除して残
つたものは何かというと、官僚の
利益という一部の
利益しか
代表していなか
つたのであります。これに関して私はむしろ積極的に、できる限り
公務員に
政治活動をさせて、そうして眞の意味の政党政治ということを理解させて、初めて
公務員というものは民主的に
公務を行い得るのだ、そういうふうに断言したい。この点についてアメリカの
公務員制度をまねして、いわゆるメリツト・システムというものを職階制という形で日本に直輸入しておりますけれども、アメリカではその前にスポイル・システム、猟官制というものがあ
つた事実をわれわれは忘れてはいけない。日本にアメリカの
制度を直輸入することの弊害については、蝋山政道氏などが常に声を大にして叫んでおる
ところがあります。
それから第三に、
公務員は一体自分の受けた損害について裁判を受ける
権利があるかどうかということ、それはこの
法案の九十
二條に、
公務員が損害を受けて、それに対して
人事院にその損害を補償するように請求する、そうしてそこにおいて
人事院が行
つた判定は最終のものであ
つて、
人事院規則の定める
ところにより、
人事院によ
つてのみ
審査される、そういうふうに書いてあります。しかしこの
人事院の判定が最終のものであるということが、それ以上裁判にかけることができないということを意味するのであれば、明白に
憲法七十六條の「行政機関は、終審として裁判を行うことができない。」また三十
二條の「何人も、裁判所において裁判を受ける
権利を奪はれない。」という、そのいかなる人でも持
つておる裁判を受ける
権利というものを剥奪するものではないか、そういうふうな疑問さえ生ずるのであります。
問題をかえまして、
人事院の
権限拡大ということがこの草案でうたわれておりますが、これは一体何を意味するものであるかといいますと、第一に行政権との関係を見ますと、結論から言うと、
人事院の構限を拡大するということが
責任回避という結果になりはしないか。たとえば草案によれば、
人事院は
内閣の所轄のもとに置から、決定した
事項は
内閣総理大臣に直接報告せしむ、そういうふうにされております。ですから形式上は一行政機関にすぎないものでありますけれども、実質的に見ますと、
人事院の
権限というものは一應
内閣から独立した形にな
つております。しかし形式的にこれを独立させてしまうと、
憲法七十三條の四項に相反するわけであります。しかし実質的にのみ切り離したとしても、現在その弊害がはつきり現われておるように、もちろん
人事院で
給與のベースをつく
つて内閣に報告する。そうすると
内閣は千円も低いベースを、政治的に解決しようとしてこれに臨むというふうな形にな
つております。そうしてこの場合、たとえば直接
利害関係のある
労働者の諸君は、一体だれに
責任を問うていいのかということがきわめてあいまいにな
つてしまうのであります。
内閣に行けば、それは
人事院の
権限であると言う。
人事院に行けば、結局は
内閣できめられるというふうに
責任がすりかえられる。從來の官僚制が、だんだん上へ上へと
責任がさかのぼ
つて、上御一人の
ところで消えてしま
つた。そういう弊害が、今度は上がないので、こういう
内閣の内部の
組織で横にずれて行
つてしま
つておる。こういう点を指摘したいと思う。
第二に、
司法権の関係についてはすでに述べた
通りであります。
第三に、
立法権との関係について申しますと、この
改正案の十六條に、この
法律の執行に関し必要な
事項について、
人事院規則を
制定し、
人事院指令を発する
権限を定めております。この
法律はきわめて多方面的でありながら、ほとんど細目については述べられておりません。そうして細目についてはすべて
人事院規則とか、
人事院指令にゆだねております。これは戰爭中の
國家総動員法に見られたような包括的な委任立法になるおそれがあります。しかも
法案に見ますと、
人事院指令の
制定権について、
人事院の議決を要するとは書いてないのであります。非常に重要な他の諸官廳をも拘束するような
人事院指令の
制定について
人事院の議決を要しないとすれば、これは
人事院総裁の独裁的な傾向になりはしないか、そういうことを指摘しておきたいと思います。
最後に、一体われわれは
内閣の
責任でないような予備費を設けていいのかどうかということを、新
憲法の
立場から批判してみたいと思います。草案における
人事院の予算作成とか、それから予算の提出ということは、財政法に述べられておる
原則をもちろん排除しております。その上予備費を
人事院総裁の
管理下に置いて、
人事院の議決で支出できるというふうに草案の第十三條に書いてありますが、これが一体
憲法八十七條に書いてある予備費は
内閣の
責任でこれを支出するのだということにはたして抵触しないか。以上のように
憲法学上の
立場から言いまして、いろいろな点で
現行法の
改正というものは
憲法違反の疑義がある。その中の一、二をと
つてみれば、今まで言
つたようにきわめてはつきりした点がある。それゆえ私はこの
改正案をもし審議するならば、先決問題として
憲法の
改正ということまで審議しなければならないのではないか、そういうことを結論としてお話しておきたいと思います。