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國務大臣(
加藤勘十君) 労働者という定義でございまするが、これは労働組合法の中に、労働組合を構成し得る要素が
規定してありまして、その中に使用者側の利益を代表すると思われるものは労働組合に加入することができない、こうな
つておりますので、教員の場合におきましても、自分が例えば縣に大体使用されるわけでありまするが、使用者側の利益を代表すると思われる人々に、労働組合を組織してならんわけであります。別に労働者というものがどういうものであるというような、國家としての
見解がどういう場合においてでも
規定されているわけではありませんが、労働組合法の中にそういう
規定があることによ
つて、おのずから労働組合を構成し得る範囲が定まるわけであります。具体的に言えば会社の課長はいずれに属するかという点があが
つて來るわけでありまするが、その課長が例えば人事とかその他の勤労
関係を扱うような立場にある人は明らかに使用者側の利益を代表する人でありまするから、労働組合に加入する権利はないわけであります。その他の全く勤労雇傭の面に
関係のない職務をと
つている課長は、労働組合に加入する資格を持
つているわけでありまするが、これを嚴密に申しますれば、課長というものは一体いずれに属するかということになると、相当判断に迷うわけでありまするけれども、労働組合法の
規定は、今申しまするように使用者側の利益を代表する、こういうように
規定されておりまして、
從つて只今お尋ねの教員の場合におきましても、労働組合を結成しておるわけでありまするから、そういう意味において教育労働者ということになるのであ
つて、
從來の封建的な観念から申しますると、何かしら労働という言葉は、一種の社会的に軽蔑された言葉の感じを持
つておるのでありまするけれども、今日労働という観念は勤労という観念と全く同一でありまして、微塵もここには軽蔑さるべき何ものもないのです。ただ封建的な気分が残
つている場合に、ややもすれば、労働というと何かしらん社会的に低い立場にあるもののように
考えられておりましたが、今日においてはむして堂々と誇るべき勤労の局面を現わすものである、こういうふうに私は理解しておりまする。
從つて教育労働組合と言われても一向差支ないと
考えております。