○木村禧八郎君
お話はよく分りましたが、私も何も
國民所得の限界を超えてまで、財源を取るということの無理であることは知
つておるのでありまするが、
只今總理の
お話によ
つて、
國民所得を押えて、その大體二五%ぐらいが
國民の負擔し得る財源として、大體各國でも認められておるという
お話でありましたが、新聞の傳うるところによりますと、二十三年度
國民所得は二兆八百八十億と推定されております。これは今後の物價改訂、その他も無論
考慮されておるようでありますが、問題は私はここにあると思うのです。財源を得るには、
國民所得をどうして正確に捕捉するかということが、一番重要な問題でありまして、この
國民所得を正確に捕捉できないと、結局所得の澤山ある方から税が取れないで、脱税が行われる。その方から、税が取れないと、結局取り易い大衆課税の方に向き易いのでありまして、これまでの
實績に徴しましても、財源がないないということ、又財源がこれだけしかない、從
つてこれだけしか
政策捉ができないというのは、
國民所得の捕捉について
政府が十分まだ
努力していない。特にこの安本あたりでや
つております人的、物的
方法による
國民所得、その
調査による
國民所得、それによりますと、非常に大きいわけです。二十二年度においては一兆匹千億と言われ、二十三度においては物價改訂を
考慮して二兆八百八十億と言われますが、いざ税を取るとなると、税を取るときの
國民所得の捕捉は、大體二十二年度においては五千億くらい、そうすると一兆四千億に對して半分くらいしか掴めない。そこに大きな問題があ
つて、あとの半分の
國民所得というものは、税の對象にならないで、脱税されておる。それが財源不足の大きな原因になるのでありまして、從
つて私の申上げるのは、そういう財源というものは、これは客観的にあるのではなくて、
政治力如何によ
つてこれは殖えもし減りもする。例えばこの前の
片山内閣は、〇・八ケ月の官廳給與の財源について、鐵道運賃を値上げしなければないと言う。ところが芦田
内閣になると、その財源は出て來る。そういうのは、これは財源というものは
政治力によ
つて、
政治の如何によ
つて殖えもし減りもする。よくこれを
司令部の方が許さなかつたから、そうであるということを以て逃げられるのですが、私は
司令部に對する
努力が足りなかつたと思う。我々が〇・八ケ月分の財源によ
つて司令部に行つたとき、一部では
司令部の命令であるかのごとく言いましたけれども、我々が當
つて見たところが、
司令部としては、これは命令でないということを
はつきり言われた。
日本政府はこれしか財源がないと言うから、相談の上そういうふうに決
つたのである、外に財源があれば
豫算を撤囘しても差支えないものであるということを
はつきり言われた。そういう
意味において、財源の捕捉確保ということについて
努力を拂
つていない、十分でない。客観的に一應推定される
國民所得に對して、税を取るときの財源の捕捉が足りない。これが私は問題があると思うのでありまして、從
つて歳入の限度まで歳出を壓縮するということは、これは一應財源の捕捉について十分の
努力をして、ぎりぎり客観的にこれしかないということになれば、それで正しいと思うのでありますが、これまでの歳入捕捉の仕方においては、私はまだ捕捉如何によ
つては十分いろいろな
政策をやり得る餘地があるのに、最初から財源を捕捉しない、これしかないということを決めて掛か
つて、
政策を制約して行くということは間違いではないか、私はそういう
意味なんです。そうしますというと、
政府は大體
國民所得の二五%が
國民の負擔し得る財源であるとおつしやられるのですが、若しかそうですと、二十三年度の
國民所得推定二兆八百八十億が
國民所得とすれば、約五千億の税がこれで取れるわけなんです。こういう點について、
政府は今後財源捕捉というものについてどれだけの熱意とどれだけの
方法、そういうものを持
つておるか。若しかこれができなければ、
健全財政と
言つてもこれは無
意味になるのであります又現金の取り方が非常に不公平になる。結局大衆課税になります。今度の二十三年度の
豫算の財源としては、賣上税とか、或いはその他の大衆課税が非常に多くなる可能性がある。そういう
意味合において、私は
國民所得をどうして正確に捕捉するか、その點についてどれだけの用意を持
つておるか、そういう點についてお伺いしたいと
思います。