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委員長(
山本勇造君) それではこれから
委員長の打
合会を開きます。
祝祭日の件につきましてお諮りをいたしたいと存じます。
祝祭日というのは今までは與えられた形のものでありましたが、今度は
國民の
祝祭日というので、
國民の間でも熱意がありまして、多方面の御
意見なりプランも出ているようでありまして、非常に結構だと思うのであります。併しこの
委員会といたしましては、その
祝祭日を選ぶのに当りまして、これがいいからこれを選ぶとか、あれは止そうとかいうような單純なことはできないので、ここといたしましては、それを選ぶのには選ぶだけの
基準を以て選んで行かなければならんだろうと思うのであります。今日はどういう
基準によ
つてこれを選んで行くかということをや
つて行こうと思うのでありまして、
皆さんにも前回の時においてこれについていろいろお
考えを
練つて來て頂くことにな
つたのでありますが、先回の特に
三島委員から、前の時に私が申上げたことを一
應御参考に
お話して置いた方がいいだろうというような御
発言もありましたから、
ちよつと私の
試案のようなものを申上げて見たいと存じます。
祝祭日ということはどういうことか、先ず第一にこれが
考えられることは、
祝祭日と休日というものを
はつきり
区別される必要があると思います。勿論これは休日と
祝祭日を一緒にする人もないと思いますけれども、とかく
祝祭日には休日が伴
つて参ることが多いものでありますから、
祝祭日というと休む日のような
考え方が可なりありますので、こういう点は今度は
はつきりさせて置きまして、休日というのは日曜日なんだ、そうしてその日曜日というものは一年の中には五十二回あります。又その外に
官廰の休日であるとか、休暇であるとかそういうふうなものを
考えて行きますと、休む日というものは一年の中において
相当にありますので、これは計算のしようでありますけれども、三百六十五日の中の
働らくのは、或る人によりますと、二百九十日前後或いは二百七十日前後というふうに
言つておる人があります。順調に
行つておる國でありますならば別でありますけれども、
日本はこういうふうに敗れた後でありまして、新らしい
國家を築き上げて行かなければならんという
立場におりますだけに、
労働法やなんかの問題もありますけれども、この休日の問題につきましては
日本を復興させて行くという上から余程
考える必要があると思うのであります。
それならば、この
祝祭日というのはどういうのかということが次に起
つて來る問題と存じますが、
祝祭日というのは、第一には祭る日、それから祝う日というふうに
考えられます。祭るのと祝うのとは少し
意味が違うのだという人もありますが、細かい問題は今私としてはここで避けて置きますが、とにかく祭る日、祝う日、或いは
記念をする日、或いは追憶をする日というふうなことにな
つておりますが、これには
行事が
伴つて來べきものではないかと思うのであります。在來こういう日には、宮中において
行事が行われておりました。又
官廰とかそれから
学校でも行われてお
つたり、おらなか
つたりであ
つたようでありますが、
一般の
民間においてではそういうふうなものは
余りなくて、大体は
祝祭日が休む日と殆んど同じような形にな
つて來ておりはしないかと思いますが、今度この
祝祭日を定めますには、そういうふうなことでいいか悪いか、休の日が
相当にあるのでありますから、我が國のようなこれから新らしい國を築き上げて行こうとするのに当りまして、
祝祭日を定めて行くならば、
行事が伴うということが可なり大事な点ではないかと思うのであります。併し又この
行事をやりますと、形式にばかり流れてしま
つて、質実的にはやはり元のような休の日だけにな
つてしまうのかも知れませんけれども、この点は、お
考えを頂きたい大事な点の
一つだと思うのであります。で、とにかくこれから選ぼうとするところの
祝祭日というものは、
考え方といたしましては、單なる休日ではなくて、
國民生活に
意義のある日であり、
國民が
挙つてこの日を祭り、或いは祝う、或いは
記念することによ
つて我々の
生活を高め、或いは
文化の向上を図る、そうして新
憲法の
精神に
則つて新らしい國を築き上げて行くのだというような意欲に満ちた、そういう日を選び、又そういうふうに行な
つて行く必要があるように思われるのであります。そこでそういう日を選ぶ
基準といたしましては、この前に
ちよつと申上げたと思いますが、第一の
基準といたしましては、
國民の
生活感情に溶け込んでおるところの古い
しきたり、風習というものを重んずることが、これはまづ必要であろうと思うのであります。併しながらそういう古い
しきたりの中でも、この新
憲法の
精神に副わないものは省かなければいかんだろうと思います。
次に第二の問題といたしましては、今までの
しきたりの中にはなか
つたとしても、新らしい
國家を築き上げて行く上からいいまするというと、新たに今までの
しきたりになか
つたものでも取上げなければいけない。それは
傳統に
なつていなくても、これから新らしい
傳統を作
つて行くというふうに、新らしいものを選んで行かなければならんだろうと思います。その新らしい方のものをおおまかに分析して見ますというと、
外國にあ
つて今まで
日本になか
つたもの、そういうふうなものでも、直訳でなくて、
日本の
國民生活に溶け込み、同時に又
國民生活を高めて行くというふうなものが
考えられます。
それから第二には、
日本にもない、
外國にもない、併しながら今度の場合はこういうふうなものを取上げた方がいいというそういう
一つの創案になるようなものも
考えられると思います。尚今のものの中に入ることではございますけれども、強いて申しますれば、特に今日の世の中でありますから、國際的なことということが
考えられるだろうと思います。
以上のように、
國民の
しきたりにな
つておるものと、それから新らしいものとの、この
二つの点が
考えられるのでありまするが、それは更に又もう
一つ、今のようなものの中でも、それが
國民全体に及ぶものと、それから或る
團体に限られるもの、それから地方的なものと、こういうふうな三つに又区分できると思います。で、今度ここでやりますのは、
法律にして出すのでありますからして、私の
考えといたしましては、第一の
國民全体に
関係のあるもの、それを第一の
基準として
考えて行くべきではないかと思います。尚第二、第三のものも入れて行くか、或いはそういうものを省いて行くか、そういう点がやはり問題の
一つにな
つて來るだろうと思います。で、どちらにいたしましても、
國民の心を高めて行くようなものであり、
國民がこれに親しみを感ずるものでなければなりませんから、
余り強制的にならないようにする方がいいので、それには数が
余り多いと、或る所では賛成するが或る所では賛成しないというようなものも起
つて來るでありましようから、今度この
法律で定めるときには、こういういわゆる
リーガルな、法定なものと、それから
あとは
國民が自由に、それぞれの
團体なり或いは地方の
府縣なりで、それぞれの所に又そういう会もあるわけでありますから、そういうふうなものは
府縣なり町なり村なりの自由にして、そうして法制的に定めて行くものは、先程申しました
國民全体に
関心を持つようなもの、そういうものから選んで行
つたらばよいのではなかろうか、こんなふうに私は
考えましたので一
應申上げましたが、これはほんの私の
試案でございますから、これに
皆さんの、お
考えをお加え頂きまして、話の緒のような
意味で私の
意見を
ちよつと述べました次第でございます。