○
委員外議員(細川嘉六君) それでは止むを得ませんな。併しこれは重要な問題ですから、先程からの
政府當局のお話、それから他の
委員の方のお話、その中に出ておることは、この問題を遠く先走
つて考えられておられる。そうしてもつと冷靜に判斷さるべきことを、されずにおるという感を受けるんですがね。第一に、
委員長の話にしても、
朝鮮人の一部の者は特權的意識を持
つて、それが今日の騒擾に
關係があるようにい
つておられるが、これも
朝鮮人の一部にそういう者があることは、そういうことは否めないことで、現に終戰前
日本の支配階級にこき使われて、えらい目に
遭つて來た連中で、その反動として、甚だ遺憾なことではあるが、一部の者には特權のような考え方を持
つて來ておる者もある。併しこれを今度の運動と結びつけるのはどうかと思う。それから先つき
不法行爲についてのいろいろなことが擧げられたが、それは
朝鮮人の中にも闇
行爲のいろいろなことがある。これは
朝鮮人のところにおる者もや
つておることではあるが、併し特にこういうことを擧げられると、何か
朝鮮人は皆悪い者だという印象を與える。これは冷靜な判斷をやる場合に間違いを起して來る危險があります。
先程の話には、もつと警察
制度を強化して、つまり強化するということは、我々終戰前に經驗したように、
警察力によ
つて國民を抑えつけるというあの手を、徒らに
事態がはつきりしない先に、黙
つてこれを容認するということは、これは
從來の我々の經驗について、よく反省してない慌て方だと思うのであります。軍隊がないから淋しいのという感情までここに出て來ておる。
總理大臣芦田君の答にも、事柄の何ものであるかをまだ鈴木
法務總裁が調べんのに、それにも拘わらず、強力な、何かまあ本質的な彈壓政策、それを行うような組織を作らなければならなというやうなことを言うということは、一體どういうことであるか。更に大臣の言葉の中にも大暴動云々というようにいわれておる。併しそういうことは、一體誰が考えるか。私は勞働運動について長年研究しておる。ことに米騒動の、
日本の地域の四分の三に亙
つたあの大
事件を調べておりますが、あの場合にでも、民衆の運動というものは、これは納得を求めた運動であります。それを官憲があれをいじく
つてしま
つて、終いに暴動にまで挑發した。それは單に米騒動ばかりじやない。民衆運動を正當に理解する者には分る……、民衆というものは暴動なんか初めから考えていませんよ。今日働く者の働くだけに甲斐性のあるような
制度を作れば、誰だ
つてストライキもデマもやりませんよ、そういうことははつきりしておることであります。然るに働いておる者は働くだけのものを與えられない。飢餓に瀕しておるというようなわけでいろいろなストライキなどがある。そうかとい
つて、今日又甚だ遺憾なことだが、學校問題で
朝鮮人が暴行したとか何とかということを
言つておる。こういう事柄全體を併せて、これは大暴動が孕まれておるのだ。こういうようなことを言うとは、一體どういうことですか。私は、先つき森戸君は文部大臣として不謹愼なことを言
つたと思うのです。今日の問題は教育問題を乘り越えておる。我々はまだ事實をはつきりさせなければならんのではありませんか。第一に
委員の方によく考えて頂きたいことは、まだ
日本では敗戰について何を考うべきかということが、
一般國民によく納得されておらない。そういうことは大問題であるが、更にこの場合、
日本人というものはどれだけ他の民族に對して包容力を持
つてお
つたか、包容力を持
つていないかということがよく證明されておる。そうして今
朝鮮人が騒いだからとい
つて、直ちにこういうような彈壓のことを考える。或いは外國の干渉まで、求めるというような態度は、我々全體として考えなければならんことであると思う。もつとゆつとりと、冷靜に反省もし、當面しておる
事態の實際のことをよく考えてやるのが我々の任務であると思う。
そこで第二にお伺いしたいのは、
朝鮮人の一體
日本人なのか、
外國人なのが、今
芦田君の
説明では、
外國人であるが、
日本の
法令に從うというような變則的にものとな
つておるようでありますが、
外國人ならば
外國人である、イギリス人、アメリカ人というものは
外國人である。この人達はどういう教育を自分の子弟にや
つておられるのか。それに對して
政府はどういう
關係を持
つておるのか。特に
外國人であるとすれば、
朝鮮人に
限つて特別のことを要求するというのはどういうわけであるか。それから
日本の
法令に從うということは、これは
朝鮮人も現にそれを認めておることで、
朝鮮人連盟の中の機關である
朝鮮人教育
對策委員會というものは、「
朝鮮人教育彈壓に對して
日本の皆さまに訴う」というものを出しております。御覧を願いたいのでありますが、
日本に住んでおる限り、我我は
日本の
法律を守り、あらゆる面で
日本の復興のために努力しておる。これは
一般朝鮮人の心掛けであります。先程來なんかかんかと、
朝鮮人にこういうことがある、ああいうことがあると述べられておるが、それは
日本人にもあることで、それは一部のもののことで、極く少數のものである。それで以てすべてを推すわけには行かない。最大多數のものは、
日本に住んでおる限り、
日本の
法令を守るということを
言つておるのであります。そういう心掛けでや
つておることを我々は知
つております。そこで先程來の
政府當局のお話では、
法律に違反しておる、違反しておるということにな
つておりますが、學校問題について
朝鮮人教育
對策委員會で求めておることは、
法律を守る。そこでこういうことを
言つておる。この
法律を守るという前提の下に、教育用語は朝鮮語としたい。
日本にいる
朝鮮人の子供は、國に歸
つても
日本語だけができて、朝鮮語ができないので蔑まれて
外國人のようにされる。だから親達は朝鮮語で教育しなければならんという考え方を持
つておる。だから教育用語は朝鮮語とする。こういう主張が一つであります。
それから教科書は
朝鮮人初等教材編纂
委員會で、在日
朝鮮人兒童に適合するように編纂した教科書を
使用することを主張しております。大體
日本の文部省が作
つておる教科書というものは、本當に今日
日本の達成すべき民主主義を徹底さしておるか。常にその
内容について問題が起きて來ております。實際にこれこそ國内におる他の民族に對して誇るに足る教科書であるとして出すには、可なり不純なものを澤山含んでおる。民主主義の建前からいうと、不純なものが澤山ある。これでありますから、
朝鮮人の中からこういう主張が出て來ております。ずつとこれに盛られてある思想から見ると、民主主義を完成するという建前をと
つております。
第三には、學校の經營管理は、學校單位に組織された學校管理組合で行う、こういうのであります。これは
日本において六・三制の
制度を布くとい
つても、碌な學校も作れん。豫算も碌に與えられておらん。學校の子供は教科書さえ碌に貰えない。校舎も碌な設備がな
つておらん。こういう
日本のだらしのないやり方に對して、こういう主張が出ておるものと考えなければならん。
日本語を正科として採用するということを第四に擧げております。
日本語を全然排斥するというのじやない。
日本語を正科として採用する。
以上の四つの項目が
朝鮮人の教育に對する根本的の主張であります。我々はこれを冷靜に考えてやらなければならんと思う。ここに書いておる以上の四項目、これさえ認めて貰えば、文部省のいう學校教育法による私立學校の認可を受けるとい
つておるのである。これが今日
朝鮮人の運動が起るに至
つた主張であります。私らはこれを考えてどう思いますか。この主張は怪しからんと思いますか。私は
政府當局に聽きたい。反省してもらいたい。それから
委員諸君も、教育問題に關する人たちは、やつぱり眞劍に考えてやらなければならんことであると思うのであります。
話せばわかる。どれだけのことを、學校閉鎖をやる前に、
朝鮮人の責任者と共に、文部當局なり
地方當局が話し合
つたか、それを一つお聽きしたいのであります。向うにこつちから話をしようと思
つても、向うが受附けぬというならば、向うが悪い。どれだけ互いに歩み合いをや
つてお
つたか。殊に
日本政府當局は、この問題については、彼らが間違
つたところはあるにしても、
從來こつちも
外國人を、
朝鮮人、中
國人というものを大分やつつけて來た。だから向うも反感を持ておる。これは當然のことである。そういう場合に、こつちが大きく出て、冷靜に出て、根氣強くこれらと話合
つて行けば、必す話ができないことはなかろうと思うのであります。廣島、山口においては、問題が一應片付いて來ておる樣子であります。詳しいことは分りませんが、ああして兩者對立感情を以て向い合うというのでなしに、一應閉鎖せよと言
つたが、向うはなかなか應じない。應じないから、又手を替えて互いに話し合おうというように、廣島、山口あたりで來ておるのじやないか。そんな騒ぎも、
調査の上はつきりさせなければならんと思うのでありますが、
大阪、
神戸の方はその反對を行
つた。つまり規則ずくめでぺちやつとや
つた。その疑いが濃厚なのであります。話せばわからんことはないと思うのであります。この四つの項目なんかというものは、何もそう規則違反だとかなんとか言わないで、話合で青筋を立てる程の問題じやなかろうと思う。それがこういうふうに
なつたことは甚だ遺憾である。
神戸、
大阪において、この不詳
事件が起る前にどんな苦心が拂われたか、努力がなされたか、閉鎖命令だ、これに從え、これだけでやつつけたのか。このあたりは十分納得行くようにしたいと思うのである。民衆運動というものは、それを悪く刺戟しなければこんなになるものじやない。