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証人(斎藤良治君) それも分りません。これも私はさつき申上げた通り一年もそういう係を離れているので、ただ今日出頭したのは当時の状況を知
つているからというふうにこちらの方へ連絡したそうです。それで私も他の者が行
つても当時の状況は
書類だけでは分らんだろう、わしも当時の状況は記憶では
はつきりしていないむれども、とにかく
自分が取扱わなく
ちや、上の方へ
書類を出したりなんかした
責任者でありますから、そういう
関係で私が今日出頭しますというふうにお答えしたので、その後昨年の七月から全然違う方の仕事へ從事しているので、そのまま引継いでいれば或いは分るかも知れないけれども、一ケ年間外の仕事をや
つているので、その間相当ブランクにな
つたために余計記憶が出て來ないのです。それからさつき申上げたので、忙しいのでという知らん知らんということを非常にあなた達の方でというと失礼ですけれども、
委員長の方で誤解されると困るのですけれども、交通課は終戰後非常に自動車の整理を連合軍並びに日本政府から要求されたのです。それはどうしてかというと、終戰前は連合軍でなく日本軍が自動車をどんどん徴発したのです。それで民間には自動車が非常に少くな
つてお
つたのです。それで軍が自動車を徴発すると、
警視廳その他各府縣の自動車の登録をしないで、軍のナンバーで以てどんどん走
つたわけですね。それでそのところへ昭和二十年の三月並びに五月の戰災で、自動車がなんていうのですか、殷賑地域は殆んど自動車が燒かれたわけです。燒かれ放しにな
つた自動車がそこらに散在している。軍の徴発にな
つた自動車はそこらに放置したままにし
ちやつて、軍が解散にな
つて放置されている。非常にそういうようなことはこの日本の秩序を維持する上においてよくないということから、連合軍からもしばしば自動車の
関係の整理を要求されていますし、日本政府の当時
内務省ですね、及び運輸省方面からも地方廳にそういうような自動車の整理を大急ぎでやれというので、当時の軍で放
つて行
つた自動車を処理すると同時に、今度
警視廳管下にある自動車をすべて現状を調査したわけです。
警視廳管下にある自動車が今何台あるか、それでその自動車が調査してから今度はナンバーの取換えをや
つたわけです。全自動車に対して……そういうような仕事をやりまして、この口で一言に言うけれども、
警視廳管下に戰爭前は二万三千台と確か記憶しているのですけれども、それが終戰後四万台以上
東京都下にあるという車を我々の方で全部登録の切換えをや
つたわけです。それから一方連合軍から自動車の持主の調査をやれと、掠奪自動車ですね、俗に……それを全部の自動車についてやれという指令を受けたのです。それから連合軍へ徴発する自動車を
警視廳へ常に指令して來たわけです。そういうのの仕事を全部我々の方の所管でや
つたわけです。そういうような仕事が輻輳しているので、先程から
委員長殿から御質問の事後の処置がどうな
つているかということを一々やる余裕がなか
つたわけですね。そういうような
関係から、
ちよつと質問に対しての誠意ある答弁のように感ぜられないということを私達は恐れるのですけれども、併し内容はそういうふうな内容だ
つたのです。