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証人(前田
啓太君) 公文書僞造の問題は、二十一年の十月二十日だ
つたかと思います。共産党の縣
委員が七、八名集りまして、その席で、今度
公職追放が拡張されて、市町村の壯年團長をや
つたものは全部追放になる。ところがこれはいろいろな方面から情報がありまして、そこで前田君、君のことを県の警察部で村の駐在所、中津の警察を通して壯年團長をやつてお
つたという報告が來たらしい、それは事実かどうかということを言われた。実はこうこうだと、今申上げたような経路を述べたところ、それじやその点は非常に重要な問題だ。私に党の責任者であるので、影響するところが非常に大きいというので、調査会でその眞相を質そうというので、結局調査
委員が任命されまして、縣團
関係は誰、地元の郡團
関係は誰か調べるということが決りまして、実は私もその調査員と一緒に村り帰りまして、十月の二十七、八日頃だ
つたでしようか、そうして村に帰つて、実は駐在所経由にそういう報告が縣の警察部に行つておるということを聞きましたので、実は駐在所に寄
つたのであります。ところが丁度結核で寢ていたのでありますが、実はお巡りさん……それは私は直接書類を調べたわけじやありませんが、今の宮久村長が、それは間違いなく前田君が壯年團長をしておる。その内申書もあれば、任命されたという縣團からの承諾書もある。それはここにある。僕が持つておる。それは間違いありませんですから、そう報告して呉れんか、こういうふうに村長が言われるから、まさか一村の村長が、こういう重大なことで書類がないのに、そんなことは言わんでしようから、私はまあ実はその書類を手に取つて見たのじやないが、村長の言を
信用して実はああいうふうな報告を出した、こういうお話だ
つたものですから、それで駐在所を私が引張つて行つて、村長にその日会
つたわけであります。そうしてその書類があるかないかということを確めた。ところが翼賛壯年團
関係の書類は農業会の方に置いてあつて、農業会が戰災で全部焼けたときに焼けてない。併し翼賛
関係の書類が、それにそういう一件書類が村長が全部扱つていたというので、その
関係の書類があるからというので調べましたところが、それが全然ないのであります。で私を内申しという書類もないし、勿論縣から何して來たという書類もないし、反対に書類の面から見ますと、現状から見れば連綿として残
つた証拠がありますので、駐在所も非常に面食いまして、これは大変なことにな
つたから、とにかく縣の警察部にまで報告が行つておるのだ
つたら、それは村長と私が連名で以て、何とか取消しますから、何とか勘弁して呉れという話だ
つたのです。併しこれはまあ党
関係にもそういうふうなことであ
つたということを、私は調査
委員会ができておるので、党の調査
委員会にもそれを出さなければならないし、縣の警察
関係は、あなた方がそうして取消して頂けばそれでいいから、それで党の調査
委員会に、その旨を一件願末の証明書を実は書いて呉れということを私は言うて來たわけです。それで村長、そのときに承諾したのですが、その翌々日でしたか、十月三十一日頃、丁度村長が村の風水害で堤防が切れて憂慮してお
つたときで、いろいろ人を介して、ああこうやつて結局……これは非常に長くなりますけれども、村長がそういいうふうな証明書と言うと何だが、証明願をして呉れということだ
つた。大体私が壯年團長に推薦されたが、これは拒絶した。これはその席上にその村長もいたのでありますから、その点と、それから私が内申されていないということと、それから
最後に、私が壯年團長の実務なんか全然やつていないという、大体三項の証明願を承諾しまして、そうして助役はそれに証明書に奥書して、村長の判を押して私実は貰
つたわけであります。そうして私貰つて、これを縣
委員会に出した。ところが、それを村長のその後の檢察廳における聞取書の中を見ますというと、私が壯年團長に任命されたという証明書はあつて、それ以外の証明書は恐らく本人が僞造したのだ、本人は役場に出入りなんかあるししていた
関係上、僞造していたと言いますが、そういうふうな方針で、ずつと初めから聞取書を見ると、そんなふうに
なつておるので私びつくりしたのですが、そんなふうな次第で、つまりその証明書を立派に村長が承諾し、助役が証明書に
作つて貰つて、そうしてちやんと庶務の受付の判まで貰つてあるのを、村長が知らない、これで公文書僞造だということに
あとから附加えられたわけであります。