○
説明員(
岸盛一君) その書類によりますと、尾津が
執行停止決定の
趣旨に反して住居の制限に違反した事実のあることが証明されました。而もその書類には上條
弁護士が尾津と自動車に同乗して外出していたという旨の
報告が記載されておりました。この上條
弁護士は再三
裁判所に対して、
執行停止の際は勿論のこと、あらゆる上申の
機会に尾津の監督について固く誓約を重ねていたその人であります。
裁判所はこの
報告に基いて刑事訴訟法の定めるところに從い、直ちに
執行停止取消しを行いました。尚これは
調査した結果によりますと、入院後に尾津の診察に当
つた東京大学医学部の佐々教授は、尾津の病症として拘禁性神経症を最も重視しい、この
治療に力を注いでおりました。そしてこの
治療のためには、尾津の精神
状態は
本件より他に轉換せしむるのが
治療の最良の療法であると
考えて、この医学的な立場から尾津の外出を特に制止する
措置を執らなか
つたということであります。
かような
裁判所の
措置に対して疑惑を持たれたのでありますが、先ずその第一の疑惑は
裁判所が一松大臣、つまり先程から言
つております一松弘刑事の義父が、一松当時の厚生大臣でありましたので、
裁判所が一松大臣を通じと何らかの政治的圧迫を受けたのではないかという点であります。即ち一松厚生大臣は民主党出身の閣僚でありますが、一松刑事は同大臣の末娘の婿に当
つております。併しながら尾津は自由党に属している、政治運動もしたことがありますために、
尾津事件については一松大臣を通じて何らかの政治的な圧迫が
裁判官に加えられたのではないかという疑惑が考慮されたのであります。併しこの点について調べましたところによりますと、一松大臣及び一松
判事は從前から尾津及びその
関係人とは一面識もない問柄で、この両者の間には
公判の開始から終了に至るまで公的にも私的にも何らの特殊
関係の存在は認められませんでした。又尾津が
関係しておりました集会又は商事会社に常盤会又は常盤商会というものがあるといわれ、これと一松大臣とが特別な
関係を有しているのではないかという疑がありましたが、これについては
最高裁判所が
東京地方檢察廳及び
警視廳に依頼して、数日に亘り捜査をして貰
つたのでありますが、又一松大臣及び尾津日人についても
調査しましたが、かかる集会等の存在事態すら認めることができませんでした。尚この一松大臣を通じて政治的干渉が
裁判所に加えられたかどうかという点については、
最高裁判所長官が昨年の十月一日首相官邸において、特に一松大臣に面接しましたところが、一松大臣は長官に対して「自分は尾津嘉之助という人物は全く知らない。
同人が経営し関與する一切の
事業に
関係したこともない、常盤商会なるものはその
名前すら
承知しない
関係のないことは勿論である。自分の女婿の一松
判事に対して尾津
被告事件に関し、非常に影響を及ぼすべき何らの言行をなしたことはない」。と明言いましました。又松本
裁判長や伊東
判事補についても、尾津及びその
関係者との間に、何らの
関係も認められませんでした。かような点から
裁判所が政治的な圧迫を受けたということは到底
考えられないのであります。
第二の疑惑は
裁判所が尾津の
関係者から何らかの圧迫を受けたのではないかという点であります。そこで先ず尾津の
公判の
状況について
調査しますと、
公判延の傍廳人としては尾津の縁故者や使用人や子分がその半数以上を占めておりましたが、併しすべての者は極めて温順であ
つて、
裁判官も
檢事も尾津側の暴力その他の勢威による圧迫を蒙る虞れのあ
つた事情は全く認められなか
つて。更に法廷のみならず、
裁判官や
檢事の私的な日常生活についても同樣でありまして、尾津
関係の縁故者、子分その他の
関係者が
裁判官の帰途を待ち受けて面会を求めたり、私宅を訪問して陳情を試みたりしたという事実は全然なか
つたのであります。尤も尾津の
公判において、ただ一回八月九日の第五回の
公判期日に小さな波瀾が起
つたのであります。即ち証人庄司新三郎が、
被告人に不利益な証言をしている際に、これを憤
つた尾津が大声を発して椅子より立ち上がろうとして一時騒然と
なつたことがあります。この時、法廷には尾津の縁故者や使用人を子分が約半数以上を占めておりましたが、彼らは尾津の右の言動を見て驚き、傍聽席にあ
つた妻は尾津の袖を捉え、泣きながら「靜かに、靜かに」と哀願し、子分等は顔色を変えて親分たる尾津の鎭靜に努めたということであります。そしてこの騒ぎは結局
裁判長の制止によ
つて鎭ま
つたが、午後の開廷劈頭に
裁判長は今後かかる言動に出でたるときは、退廷を命ずる旨を諭告して、尾津は
裁判長に対して陳謝したということであります。即ちかような場合でも尾津は
裁判所に対しては極めて柔順でありました。そしてあらゆる
調査の結果によりましても、
裁判所が尾津の威勢により圧迫を加えられたという事実は認められないのであります。
第三の疑惑は、尾津側から
裁判所に対して賄賂等の不正の利益が提供されたのではないかという点であります。併し
調査の結果によりましてもかような事実は認められなか
つたのであります。尤も
昭和二十一年中より
東京民事
地方裁判所に係属していた
本件告訴人等と尾津との間に民事
事件がありまして、この民事
事件について小原唯雄という人が、この民事
事件について関心を持
つていたC・I・S係官と告訴人との間に介在していたということがあります。又
本件被告事件については尾津の特別
弁護人元林義治が保釈のため必要なりと称して、尾津に対して金員の要求をして容れられなか
つたという事実もあります。從
つてこの小原唯雄又は元林義治の種々の言動が或いは
裁判所に対して何らかの疑惑を惹起せしめる原因を與えた虞れなしとしないが、併しながら
裁判所としてはこの両名の言動については全然知らず、且つ全く無
関係でありました。又元林
弁護士は尾津に対しては自分は
裁判長と親密であり、曾
つて同
裁判長を部下として使
つたことがあるということを述べたということでありますが、松本
裁判長は元林
弁護士の
判事時代に、同僚として單なる顔見知り
程度であ
つたに止り、親密
関係もなく、且つその下僚として職務を執
つたこともなか
つたのであります。この点は先程この
調査のことが新聞に出ました際に、或る有力な新聞に尾津の保釈について六十万円か八十万円かが動いておるというような記事が載
つておりましたので、特に申上げて置きます。尚、
尾津事件に先立ち
東京地方裁判所に係属していた他の殺人等の
事件について、
関係方面との間に
被告人の
執行停止の拒否を中心として小さな紛爭を生じたことがありました。
尾津事件担当の
裁判官はかような事例に鑑みて、渉外係
判事を通じて
尾津事件について深い関心を有するCIS係官に対して二三回に亘
つて保釈の
申請があ
つたことを
報告し、且つ係官の
意見を問うたことがありましたが、かような態度が係官に誤解されて、
裁判官が情実又は圧力に屈服して尾津の
釈放を望んでおるという印象を與えたとすれば、それは遺憾なことであります。
第四の疑惑は、
裁判所が尾津に
執行停止決定を與えるに際して、
同人に対して特別に有利な取扱をなしたかどうかという点であります。先ず第一に現在行われておる保釈及び
執行停止の一般的の運用
状況と、尾津に対する
執行停止とを比較して、そこに偏頗な取扱があるかどうかという点について
調査しましたが、その結果は次の
通りであります。即ち保釈及び勾留
執行停止の運用については、これに関する現行刑事訴訟法の
改正案の方向と、(これは現在のことではなく無論当時のことについて言うのでありますが、)過剩拘禁についての対策が多大の影響を及ぼしております。この当時の
改正案なんかは、一昨年の九月から十一月まで約十回に亘
つて開かれた刑事訴訟法の
改正に関する最高司令部側と司法省側との会談に基いて起章されたのでありますが、この会談においては、最高司令部側の
意見として「拘束を受けている
被告人に対しては、死刑又は無期刑に処せらるべき罪を犯した場合を除き、常に保釈を受ける権利を與うべき」という旨が強調され、又一昨年の十月七日司法省に対して勾引及び勾留に関する刑事手続要綱という
書面が司令部側から公布されました。そうして数回の議論が重ねられた後、その指示に副
つた改正案が作成されたのであります。この保釈についての最高司令部の指示に基く
改正案の趨勢は、直ちに全國の
裁判官にも傳わ
つたのであります。更に当時
裁判所においては過剩拘禁の対策についても檢討されていたために、現行刑事訴訟法の下においても保釈及び
執行停止は極めて活発に適用されるようにな
つたのであります。尚過剩拘禁については、昨年の八月十五日に最高司令部から司法省及び
裁判所に対して嚴重なる注意があり、その対策を命ぜられ、この
状態が今後も悪化するときは、
裁判官及び檢察官の責任を問うとまで言明されたのであります。かような
状況の下における保釈及び
執行停止の運用の実情については詳しい統計もありますが、その点は省略いたしまして、とにかく保釈及び
執行停止の行われておる比率は、以前に比べると比較にならない程高率に上
つておるというわけであります。然るに飜
つて尾津事件についてみれば、尾津が
起訴された罪は、暴力行等爲処罰に関する
法律違反罪であり、その法定刑の最高は懲役三年であります。而して九月十一日を以て
審理は終了して余すところ僅かに
判決の言渡しだけとな
つてのでありますから、尾津の勾留を継続する
理由の
一つである証拠湮滅の虞れというものは殆んど消滅したと
裁判所が判断したことは、あながち不当でないのみならず、
診断書により尾津の
病状は悪化の傾向を示しておることを認めた、かような
事情と、只今申しました保釈、勾留
執行停止の一般的運用
状況とを併せ
考えれば、
裁判所が特に
執行停止決定を與えたからとて、彼にのみ特別の利益を與えたものということはむずかしくはなかろうかと思われます。
次に尾津の
病状について、
裁判所が不当に重く判断して、
執行停止決定をしたのではないかという点について調べましたところが、
東京大学医学部の佐々教授、及び特に
最高裁判所から依頼しました
医師の菊池甚一氏は、それぞれ尾津を診断した結果、診断を下しておりますが、その診断の
内容は、具体的な
内容については差異がありますが、その要綱については、一樣に尾津が病人であ
つて、拘禁を継続するときは、更に
病状を悪化せしめということを認めております。而して
裁判官が
東京拘置所に赴き、野崎
医師に面接して
調査したことは前述の
通りでありまして、これに佐々教授等の診断の結果を併せ
考えれば、
裁判所が尾津に特別の便宜を図る目的から、尾津を病人として取扱
つた事情は窮われないのであります。
次に第三に、尾津を
東京拘置所から
釈放した際に、特に便宜な取扱いをしたかどうかという点であります。刑事訴訟法によりますと、勾留中の
被告人については、接見禁止決定がなされていない限り、親族たちは
被告人と自由に面会することが許されておるのであります。
被告人が
執行停止決定を受けたときには、その決定についての
檢事の
執行指揮があれば、
身柄は直ちに親族等に引渡されておりました。これはすべての
事件についても例外なく行われていたのでありますが、
尾津事件についても同樣でありました。即ち尾津が
東京拘置所から
釈放されて
東京病院に入院するに至るまで、その間の戒護はなされなか
つたのですが、これは一般の取扱例によ
つたものであり、これを以て
裁判所及び
檢事が、尾津に対して特に便宜な取扱いをしたとは認められないのであります。
以上のような
調査の経過に徴しますると、
尾津事件担当の三人の
裁判官が、ともかく愼重に
審理に当
つていたことは明かであります。尤も野崎
医師の診断した尾津の
病状は、
執行停止の後になされた他の二名の
医師の
診断書と、その要綱においては合致いたしておりましたけれども、
裁判所としては、本
事件の特質に鑑みて
執行停止決定をなすに先立
つて、野崎
医師のみに頼らずに、更に一二名の経驗の深い
医師の
意見をも求むべきであ
つたとか、或いは住居制限に違反するような
被告人を
釈放したことは不明であ
つたとかいうような、いろいろの批評は起り得るでありましよう。併しながら前述の詳細な
調査によりましても、
裁判官が政治的な圧迫、若しくは暴力的な勢威、又は賄賂その他不正の利益に屈服して、不当な
審理をしたという事実は全く認められないのであります。又仮に先程申しましたような批評が起るとしましても、この
程度では、
裁判官としての責任を追及さるべきではないと
考えたのであります。
以上が昨年の九月に司令部からの
関係で
調査いたしまして、この
通りの
調査報告書を飜訳して、司令部に提出いたしたのであります。
ところが、今度はその後の
尾津事件の経過になりますが、
尾津事件は、只今申しましたように松本
判事、一松
判事、伊東
判事補を以て構成する
東京地方を
裁判所刑事第四部でその
審理に当り、
昭和二十二年九月十二日の第十四回
公判期日に弁論を終結して、
判決の言渡しの期日は同月二十三日と、指定されたのですが、
檢事からは更に九月二十一日附を以て余罪の取調をするから
判決の言渡しを延期して貰いたいという申出があ
つて、
公判期日は追
つて指定するというふうに延期されたのであります。然るにその後、追
公判の請求がなされなか
つたままに昨年の十二月に入りました。こうする中に構成員の一人である伊東
判事補は同年十二月十日に山形
地方裁判所に轉補されることになり、又松本
裁判長はその頃、
東京地方裁判所長に対して、
尾津事件についての自分の信念は何ら前とは変更はない。尾津の勾留
執行停止に関する新聞の報道等のために、自分らが引続き
本件の
審理に当るときは、如何に公正な信念を以て
事件を処理したとしても、
國民はその
裁判に、それが外部からの圧迫により影響されたものではないか、
裁判の公正に対し疑念を狭む虞れなしとしない。從
つてむしろこの際、
尾津事件の担当
裁判官を全部変更することが
裁判の威信を保ち、
國民の
裁判に対する信頼を強める上において妥当であると思うという
趣旨の申出がありました。このために同月十三日の正午から
東京地方裁判所刑事部代表者会議が開かれて、その会議でこの問題が
審議された。その結果、全員一致の決議によ
つて從前
尾津事件を担当した松本
裁判長、一松
判事、伊東
判事補は今後
事件の
審理に関與しないこと。同
事件は刑事第四部所属の他の
裁判官がこれを担当することというふうに決定になりました。そうして当時その部では
判事白河六郎、
判事関重夫、
判事補伊藤敬壽が会議部を構成して執務していにので、右白河六郎が
裁判長、関重夫が
判事、伊藤敬壽が
判事補として
尾津事件を担当することになりました。尚、
昭和二十三年四月十日の
公判期日以降は伊藤
判事補がその後辞めましたので、
判事補の榎本精一が交替して、現在榎本
判事補が構成に加
つております。
次に
尾津事件の追
起訴後における経過でありますが、尾津喜之助に対しては、
昭和二十二年の十二月十三日、十五日、二十日になりまして漸く檢察廳から
物價統制令違反が一件、
恐喝二件の追
公判請求がありました。その
事件の
内容はお配りしてある
書面に認ためてある
通りであります。これによ
つて明かなような
物價統制令違反
事件の……。尚同時に尾津以外の尾津
関係人に対する
起訴がこういう罪名で
起訴されて來ておるのであります。この
書面を御覽下さいますとお分りのように、
物價統制令違反
事件の公訴事実の大部分は尾津の使用人である眞對民治、山内龍之助、金子力らがや
つたところの
物價統制令違反行爲に基いて、その営業主としての責任を問われたものである。これは
尾津事件が半田産業株式会社の社長山田朝之助から加工醤油を統制額を超えて買入れたという事実であり、又
恐喝事件の
起訴事実は、尾津が岡戸竹治、眞對民治、真原由次郎、金子力、佐野光俊、大槻源吾、楠木義人らと共謀してや
つたという事実であります。從
つてこの尾津の追
公判請求
事件を
審理するには以上のような
関係人を取調べる必要があることは勿論でありますが、これらの者に対しては
昭和二十二年十一月八日から
昭和二十三年六月までに
公判請求がなされております。
公判請求による公訴事実の
内容等は
別紙のお
手許に差上げました
書面の
通り書いてあります。尚その中で楠木義人に対しては、その事実の外に
昭和二十二年五月二日附を以て傷害
事件について略式
命令の請求があり、それが
東京地方裁判所の刑事第一部に係属中であ
つたのを、
昭和二十三年三月二十日に至
つて第四部が一部から更に
事件を受理しております。この
公判の
審理の結果は、
昭和二十三年の二月五日に岡戸竹治、眞對民治、山内龍之助、金子力、佐野光俊、大槻源吾等に対する
事件を
最初として開始されたのであります。その
事件名、
被告人名、担当
弁護人はこれに認ためとある
通りであります。
それから
尾津事件の
審理の経過、これもそれに書いてある
通りであります。これは非常に複雜になりますから、この表を御覽頂きたいと思います。この表によ
つて分りまするように、四月上旬までは尾津以外の
被告人訊問及び証人
訊問が行われ、四月十日には尾津喜之助の
被告人訊問を行な
つて、同月十五日は尾津とその他の
被告人とを併合して
審理を進め、五月六日尾津に対する事実並びに証拠の取調を終了して、他の
被告人等と分離した一連の
事件でありますから、全部について
審理を並行してや
つておるわけであります。その都度変化に應じて併合し、分離し、その間、又証人が不出頭のために
事件の期日が延びたというような
事情がここに書いてある
通りであります。
次回は六月五日には檢察官の尾津に対する論告があるという予定にな
つております。又尾津以外の
被告人に対しては五月十八日に証人
訊問を行うということにな
つております。これが追
公判請求があ
つた後から現在までの
尾津事件の
審理の経過であります。
白河
裁判長の第四部の
尾津事件の
審理の経過はこの
通りでありますが、その部は今年の一月から四月までの受理件数は三百四十七件、
被告人の数にして四百八十三名、そのうち
尾津事件以外に受理した件数が二百四十八件、人員にして二百九十八名、こういうことにな
つております。
以上で
尾津事件の経過の
報告を終えますが、尚、先程詳しく昨年の
調査の結果に基いて申しましたことは、これは本來の
調査の範囲或いは逸脱しておる嫌いなしとしないのでありますが、これは先程申上げましたような特殊な
事情からそのような点にまで立至
つて調査をして
報告したものであるということを特に御銘記願いたいと思います。