○證人(石坂修一君) 御紹介に預かりました石坂であります。いろいろ議論を拜聽しておるのでありますが、結局私はやはりいろいろな点から観察いたしまして、
裁判官と
檢察官との
報酬につきまして、ここに明確な一線を引かれることが、最も今後の
法律を民主的に運営し、又その民主化の実現を図る上において、得策であり又かくあらねばならんということを申上げたいのであります。これを
裁判官と
檢察官との
待遇に関しまして、沿革的に見ますならば、明治
憲法下におきましても、すでにこれは十分なとは行きませんが、絶対引かれない線までの点において、一線から引かれてお
つたのであります。第一にこれを大審院長と
檢事総長との間の差別を見ますと、
檢事総長というものは先ず最初は勅任
待遇を以
つて遇されておりました。然るに大審院長は当初から親任官でありました。
國務大臣と同等な地位、枢密顧問官と同等な地位を持
つておりました。それから私が
司法官試補に入りましたのは大正八年でございますが、その頃、今日私は自分の家でもいろいろな文献を失いましたし、
裁判所の中でも文献を失いましたので、直ちに証拠を各位の前に
提出することは困難ではございますが、私どもが入りました当時の
裁判官及び
檢察官に対する
待遇を比べて見ますと、
檢察官の方が低いのであります。それから
裁判官の方の
待遇がよか
つたのであります。それをどの点からお前はそういうか、かように申されますと、先ず大審院長と
檢事総長との差異、それから各地における長官、つまり
檢事正に対しまして、
裁判所の長官である
裁判所長で、優位な地位におりました
裁判所長は、四十幾人かおりましたが、その非常に多数の所長が勅任でありました。又
檢事正はそれに反して低く
待遇されておるました。現に私が
司法官試補として、最初出ました横浜
司法裁判所におきまして、最初は所長、
檢事正共に勅任でございましたが、次になりました所長はこれは勅任でありました。併し次に
なつた
檢事正は奏任でありました。比率は所長の方の勅任官の数が、
檢事正の数の比率においてずつと上であ
つたのであります。それが如何なる
意味におきましてか漸次向上いたしまして、江木翼
司法大臣の時に至りまして全く平等化されてしまつた。これは当時の
憲法及び
法律が、
檢察官及び
裁判官は、同一の
司法大臣の下に身分監督を受けておりましたので、これは同一の
職責、同一の
性質の
官吏であると、かように観念されておつたからではなかろうかと思うのであります。そこでこの
憲法が
施行されまして、
裁判官と
檢察官との
職責が異な
つておることを最も明かにし、而してその職域の分野も違うのだということは、
憲法はもとよりこれを明らかにしておりますが、
法律も明かにしております。これは私がここに申上げるまでもなく、各位の專門及び專門家でいらせられなくとも、立派なる
法律的な常識、社会的の常識をお持ちの各位はよくよく御存じのことと確信するのであります。現在におきましては然らばどうな
つておるか。過去の沿革は最初は非常に違
つておつたが、後には
水準を上げて、現在はどうな
つておるか、現在はもう各位御了承の
通り、
檢事と判事との
待遇が違
つてお
つて、判事は多少の優位の地位にあります。
俸給も皆上におると信じておるのであります。そういう沿革、最初
檢察官と
裁判官との
水準が同一に
なつたと同時に、國内的にこれを我々の歴史的な眼を以て観察しますと、これは因果関係であるかどうか、尚多少の……多少どころでない、尚多くの詳しい調査と資料がなければこれは言い切ることはできないのでありますが、極めて客観的な事態から見ますると、國内がフアツシヨ化すると同時に、
檢事の地位は上
つて來ました。私はやはり
檢察官というものは、これは
行政系統の一系列だと思
つております。丁度もとこれは甚だ私の歴史観が
間違つておれば申訳ありませんが、どうしてもこれはつまり陸軍でも、海軍でも一つの技術を担当しておるものが政治までにのし上
つて來た
檢事も、
檢察官も一つの技術を担当しておるのであります。この起訴すべきや否やという一つの技術を担当しておるのであります。その技術を担当しておる者がずつとのし上
つて來るということは、結局私は宮本とは非常な親友なんでございまして、昔から一緒に机を並べて
仕事をしておりますが、併し私は理論をここで申上げるのですからお許しを願いたいと思うのですが、
行政系統の同じ系列の中にある者が、どたつとのし上るということが非常に危險な一つの現象だ、かように考えるのであります。
次にこれは
行政的な、極めて
法律論から申しますならば、先程から極めて沢山出たのでありますが、
裁判官は
憲法上の
職責なんでありまして、旧
憲法でも、何人も
法律による裁判を受ける権利を奪われることなしという、
憲法上の
制度にあ
つたのであります。現在は
憲法の民主化と同時に、一層そのことの趣旨が徹底されまして、三権分立は明白に区別されました。そういうようなわけで、我々は
憲法によ
つて相当の
報酬を與えられなけばならん。我々の
報酬というものは
憲法、
檢察官の
報酬は
法律によるのであります。
法律と
憲法との差異、自から
性質の差異があるということは、賢明なる皆様に、私から縷々申上げる必要もない。
それから一体
報酬というものを何によ
つて決めるかということは、むずかしい問題だろうと思う。先程なされた参議院の方の御質問には、非常に妥当な、我々の尊敬すべき、我々がこれから考えなくちやならんいろいろの思想があ
つて、私は非常にそれに対して敬意を表しておるのでありますが、一体
能率給であるのか、資格給であるのか、その他等々いろいろあると思います。私はやはり
法律的な
制度の段階に從
つて與えるべきものだと思う。
憲法によ
つて與えるべきものは
憲法に從え、
法律によ
つて與えられるものは
法律に從え、こう考えるのであります。
裁判官に対する
報酬は
憲法によ
つて與えられる。その他の
行政官というものは、他の
法律或いは命令によ
つて決
つて來る。そこによ
つて非常に相違がある。
職務が忙しいとか、それは先程ここにおられる岡咲君も非常に墾意な、親友なんでありますが、岡咲君が仰せられるのは、どうも
ちよつと曖昧で私は分りませんでしたが、これは批評を申上げて申訳ありませんが、岡咲君の
説明でも
法務廳の職員も準ずべきものだ、こうおつしやるのでありますが、それは私は
ちよつとおかしいと思います。飽くまでこれは
憲法によ
つて定めた
制度ということを考えて行かなければ、どうしても決
つて來ない。だから
法務廳の役人諸君は、
行政官ですから
行政官
待遇、その特殊
行政官のおのおのの特殊な職能に從
つて、
俸給が定ま
つて行く、
能率給もよかろう。併し私のいうのはこれは何というのですか、
比較給というのですか、
憲法によるものは
憲法による、
法律によるものは
法律による。その段階に相應する
職務を與えられるべきものだと思います。それからよく私は素人の方に
檢事というものは忙しい、判事は余り忙しくないのじやないか、こういわれます。併しこれは客観的な見方によるものであります。例えばこれはもう実に忙しい
仕事がある。全く隙もない。一刻も目を離せない。丁度紡績工場の女工を私は一遍見たことがありますが、絶えず流れが來る、一刻でも間誤つくと工場全体の機械ががしやつと止
つてしまう、それはもう実に忙しい職業である。併し忙しいからとい
つても、それよりまだ他に多くの
給與を與えなくてはならん者もある。これ閑繁によることではない、併し閑繁ということもこれは又考えなくちやならん。ただ一生懸命に朝から晩までや
つておるから忙しいということじやいけない。そこに如何なる深刻な思考というものが要るであろうか。或いは如何なる勉強というものが要るであろうか。何にもしないけれども日夜常に考えていなくてはならんこともある。だからそこは
給與を決めるのはなかなかむずかしいところがある。單に外見なり感覚的な、極めて客観的なこの事実を捉えて忙しいとか暇だということはいえない。これは宮本君も非常によく知
つておられるでしようが、
裁判所の忙しさということはわかるんです。
檢事の忙しさということと
裁判所の忙しさとは違うんです。
性質が違うんです。
性質が違うのに忙しいから余計やる、忙しくないから余計やらないということはいえなのです。それから次は起訴云々といわれますが、何とい
つても、宮本君もいろいろいわれますが、
檢事の決定ということは
檢察廳集團の決定になります。
裁判所はどこまでも一人の決定なんです。
最高裁判所のように十五人で決定することもありますが、十五人より以上上ることはない。十六人で決定するということはしないのです。我々は常に自己によ
つて一人でやるのです。何人の防衞も受けないで、我々自身であらゆる攻撃に対する防衞をやり、あらゆる人のいうことを攝取して、そうして我々が裁断を下すのであります。
檢事は非常に技術的である、
裁判所はやや政治的であるということがいえると思います。私は政治と技術ということをここに申上げることは憚ります。時間もありません。要するに一方は技術的であり、一方はやや政治的ある。併し
裁判所と雖も実に技術的な
仕事が多いのであります。ただ何でも適当なようにうればいいというのではないのであります。一切のことが
法律によ
つてやらなくてはならんという非常に技術的な
仕事が多いのであります。
檢事は刑事訴訟法を行うという
仕事なんです。捜査して起訴すべきか、起訴すべからざるかを決めて、そうしてこれを執行するということが
檢事の
仕事なんです。判事はそうじやない。世の中の或る人は判事というのは人間を掴えて來て、自分の前で判決をして監獄に送り込むというように考えておりますが、これは飛んでもない
間違いである。私共は單に刑事訴訟法ばかりでなく、人の出生から死亡に至るまで扱
つておる。そうして刑事訴訟もやる、民事訴訟もやる、非訟
事件もやる、人権の基本的な証明もやるということをや
つておるのであります。今はそれを除きまして
戸籍とかいうものは除かれましたが、曾てはそうであ
つたのであります。現在においても民事訴訟も刑事訴訟もやる、あらゆる一切の
法律事務というものは、一切
裁判所に集中されるのでありますが、
檢事の方は刑事訴訟が集中されるだけであります。そこは刑事訴訟という一つの部分であります。
裁判所は
法律の全体であります。それは三権分立からい
つても、
内閣というものは、
予算と
法律というものを作る案を立てるのである。それから
立法府は
予算を決め、
法律を決めるのです。そしてその
責任をとられるのです。その
責任をとられることに対して十分な
報酬或いは地位、或いは
待遇を與えようと我々は思
つておるのであります。我々はそれに対して一切の
法律による紛糾を、ここで終止符を打とうという
職責を持
つておるのであります。
檢事とは土台あくまで違つた
職責を持
つておる。それを同じと思うことは飛んだ
間違いである。これは旧來の旧
憲法の封建的な、独り善がりの、成るべく
國民の権利を制限して、そうして官僚が成るべく有利な、便利なような
憲法を作つた、その陋習を今日そのまま持
つておるわけであります。これは昨日も議会の
憲法発布記念式でお分りの
通り、
檢事が出て來るわけではない。衆議院、参議院、
内閣総理
大臣、それから
最高裁判所長官、これが
日本の政治を動かす三つの機関なんです。一番高い機関だから一番いい
報酬を與える。これはもう最も妥当なことなんであります。それからそれならばすべて法曹一元化ではないというのです。が、如何にも尤もらしくてこんな馬鹿げた議論というのは、天下普通なんです。
裁判所というのは裁判というものを中心にした機関です。法曹一元化というのは、それを中心にみんなで集ま
つていい裁判をや
つて行こう、それによ
つて人権を保護しよう、人権を確立していこうというのが裁判の建前なんであります。それでございますから、
裁判所はその裁判ということを中心にして、と法曹が集まらなければならん。
法律の專門家がそこに集まらなければならん。その機関を中心にするより外に、何にも中心にする所がない。ここに弁護士も出ておられますけれども、弁護士を中心にしようとしても、これは中心にできません。
檢事を中心にしようとしてもできません。裁判という機関を通じなければならんのです。そこで
裁判官というものは、先つきから資格が云々、
教養が云々ということが度々出ますけれども、我々はその同じ資格云々ということで以て、この
裁判官の
報酬というものは、上にならなければならんということを主張するのではないのです。裁判という人権保護の立派な
制度を如何に運用して行くかという、そこに中心を持
つておるのです。人の問題をい
つておるのではない、人にどれだけ金をやるかということをい
つておるのではない。
経済問題をい
つておるのではない。ここに如何にいい人を集めようかということを我々は念願しておる。又我々の主眼であるところのものなんです。そこで
法律を見ますと、十年判事補をすれば判事になれる。一人前の
裁判官になる。弁護士でも、
檢事でも、大学の先生でも、或いは苟くも法曹の者ならば、或る一定の
教養と、勉強をした者はみんな半事にすると
法律に書いてある。私が言うのではない、
法律が言
つておる。だから
檢事でも適当とする人があるならば、この
裁判所に入
つて貰わなければならん。弁護士も無論入
つて貰わなければならん。それかかその他の学識経驗者もこれに適する人は皆入
つて貰わなければならん。人物の一大集成をしなければならん。
裁判所という、そういう機能を司る
裁判官という人を、一大集成しなければならん。
能率のある人、能力のある人を……。現在の人間が屑である。そんなことを考えておるのではない。私もその屑の一人です。いい人が集まれば私はいつでも御免蒙る。現に私自身御免蒙ろうと思
つておる。これはおどかしに言
つておるのではない。
待遇をして呉れないからとい
つて何通でも辞表を出したり、参議院、衆議院に電報を官報でぶち込んだり、私はそういうことを言
つておるのではない。私は適当な人があればいつでも、今でも直ぐ退く。いい
待遇を受けるために退きましようかというのではない。いい人が出たら退くというのです。これは私共皆同じような考え方です。そこで立派な判事補からも採る、弁護士からも採る、
檢事からも採る、大学教授からも採る、その他の学識経驗者の資格のある人からも採るというためには、立派な
待遇を與えて置かなければ、
檢事からも來て呉れません。
檢事は実際、こういうことを申すと甚だかおしいのですが、
経済的な
裁判官よりいいように思う。それは実証しろとおつしやればいろいろのことで実証できるのではないかと思うのです。思い附きですから差控えますが、よくな
つていなければ來ないのです。無論それは
ちよつとぐらい良くしても來ないです。けれどもそこが人間です。少しでも色を附けてやれば、色に引かれて、行こうかという氣持にもなるのです。どうしても人間の個人々々の権利を守り、私権を守り、人権を確立するには
裁判所というものが、良くならなければできないことですから、そこで
裁判所というものを少しでも良くして置いて、そこへ立派な
檢事、立派な弁護士、立派な大学教授又立派な有識者を集めようというのです。
裁判官法には、ちやんとそうな
つておるのです。そこを私共の狙
つておるのです。今
檢察官と
裁判官と同じ試驗を受けて、同じ
教養であるのだから同じにしなければならん、そういうことを言
つておるのではないのです。將來のこれから五年十年先のそこを見越して、我々はどうしても
優遇を與えて下さいということを各位にお願いするのであります。
それから又、私はこういうことを聞いておるのであります。
裁判所というものは、刑事訴訟法については、
檢事が皆お膳立てをして持
つて來る。そうして弁護士がこれに対して批判を與えて裁判を下す。民事訴訟法は原被両告が各々準備して、それに対して攻防して、そうして
裁判所へお膳立てをして裁判を求めるだけだ。だから
裁判所はじつと坐
つておればそれでよろしい。お前が勝つた、お前が負けたと、断を下せばそれでいい。そんな簡單なことはないのだから、余り給料もやらんでいいということを言う人がある。これは飛んでもない
間違で、そういうことを言えば、此処におられる
委員長でも、参議院、衆議院の議長でも皆同じわけで、それだから議長は少くていいのだ、議員が質問して
政府が一生懸命やるので、それでいいのだということはない。議長は議長たるそれがあるのです。
裁判官もこれは法廷の議長なんです。何時でも議長を勤めるのです。そんなに議長というものは樂なものではないのです。どんな難局に立
つても、どんなに風波があ
つても、いつも舵をうまく取
つて船を向うへ着けるのが、議長の
職責です。
裁判官も同じことであります。それですから議長はどうしてもよく
待遇して置かなければならないと思います。これには御異議ありますまい。
檢事も当事者として出て來る、弁護士も当事者として出て來るのであります。そこに坐
つておるのは議長たる
裁判官であります。その
裁判官が一人であるか、三人であるか、五人であるか、或いはそれ以上で以て十五人くらいかということの差異はある。それから大勢、例えば
裁判官が十五人お
つて檢事総長が一人だ。それで
待遇は
裁判官は相当の
待遇してあるから、十五対一であるから、一の方は余計や
つても
差支えないだろうという議論もあるそうでありますが、これは飛んでもない。これはまるで人間の目方でやるような話で、飛んでもない話であります。要するに
職務の
内容であります。議員は百何十人おるから一人々々は値打がない。そういう馬鹿な議論をする人は一人もいない。千人になろうと一人一人が大切な方で、これに対しては相当の
待遇と
報酬を與えるということは、これはどうしてもやらなければならん。だからそういうことは議論になりません。
尚今一つ二つ思い付いたのですが、
ちよつて忘れましたので、尚お尋ねに從いまして何程でもお尋ね下さいますれば、それに対して
お答え申上げたいと、かように思うのであります。一應私の証言を打切らして頂きます。恐れ入りました。