○中村宗雄君 一昨年八月に臨時法制調査会、新
憲法に即應すべき十六
法案要綱を作
つたのであります。その中の
一つに
人身保護法案要綱がございました。爾來二年を経過しております。その間只今お話にやりました小林氏なぞが非常に御努力になりまして漸次実を結びまして、いよいよ
國会に上程せらるる機運になりましたことは誠に御同慶のことと存ずる次第であります。而してこの
人身保護法案は、
憲法は附属法規として、
憲法の定めるところの原則をば実現する、欠くべからざる
法律である。又これが英米法に特有なる
制度でありまして、大陸法並びにその系統を引くところの
日本法には從來ない
制度であります。これは是非施行しなければならんという点につきましては只今小林氏が縷々お述べになりましたので、今更これに蛇足を加うる何ものもないと私は
考えております。私といたしましてはこの
法案に対する私の卑見の一端を申上げまするその
前提といたしまして、なぜこの
人身保護法案、つまりこの元でありまするヘビアス・コーパス・アクト、只今小林先生の仰せられた一六七九年及び一八一六年法定せられたこのヘビアス・コーパス・アクトが、なぜ英米においてこういう
制度ができ上
つたか。又なぜこれが大陸法にこういう
制度が今までになか
つたか。この点について結論だけを申上げてみたい。というのはこの二点を明らかにすることが
日本においてこの
制度を如何なる形態においてこれを
日本に移し植えべきかという基本的な問題がここに潜んでおるからだというわけであります。
英米法の沿革なぞをここで申上ぐべき筋合ではございませんが、ただ私は結論として申上げまするならば、まあこの
制度は英法にその端を発しておりますが、英國においてなぜこういう
制度ができたか。これは英國の……まあ英國でも同じでありますが、廣い
意味の司法
制度、裁判
制度、これが二元的な構想を持
つている。或いはコンモン・ローとエクイティー、或いは
國会と國王と、いろいろな形がこれが法制史家、英米法学者によ
つて言われておりますが、これは何も裁判
制度のみに限
つたものではありませんが、只今裁判
制度のみに問題を限定して
考えた場合に、英米法の裁判
制度は二元的な構想を持
つておる。そこにおいて相互においてチェック・アンド・バランス、抑制と均衡の理論によ
つてこの
制度が発達して行く。この流れに沿うてこの
人身保護法ができ上
つて來た。この点は
議会の
法令審査権、又は最高裁判所の
規則制定権なぞも、これはいずれも英米法特有の
制度でありますが、同じくこういうところに端を発すると思うのでありますが、この人身
保護令状でありますとか、ヘビアス・コーパス・アクト、これは最初は國王裁判所が下級裁判所から被告人を喚び出だすところの
制度としてできた。この
制度が逆に人身
保護のための
制度としてこれが轉換した。本質的轉換を遂げた。これが経過をば英米法の法制史家はコンモン・ロー及びコンモン・ロー・コードの普通法及び普通法裁判の発達史として述べておりますが、この裁判
制度の中に二元的な二つの要素が相対立して、均衡と抑制の関係を以て
時代に即した司法
制度ができ上
つた。これがこの人身
保護律を生んだ
一つの理由であろうと思うのであります。
と同時に、これは
規則制定権及び
法令審査権なりに妥当するのでありますが、もう
一つの重大なる要素は、私は英米におけるところの司法権優越の
制度であり、機構であろうと思うのであります。この
規則制定権については後程簡單に触れさして頂きたいと思いますが、英國の裁判所は確かに法曹一元という
制度を通じて、民衆をバツクとしておる。その民衆をバツクとしておるところにこの人身
保護令状に強力なる力を與えた原因が潜むように思うのであります。これらは大問題でありまして、只今学者といたされましては、只今私の申上げたことについて御異論もあることと思いまするが、私はこの二つの要因が英米において人身
保護律、最高裁判所の
規則制定権……これは特にアメリカでありますが、それから
法令審査権などというものを生んだ理由であろうと思
つておりますが、さてこれが大陸に参りますと、この
制度を生むべき要因が欠けておると思います。というのは、大陸においては、法治
國家機構によ
つて、三権分立しておりますが、この三権が比喩的にいうならば、異
つた段階において組上げられておりまして、そうしてその全部を束ねるものが君主の大権でありまして、司法と行政、或いは司法部内におけるチェック・アンド・バランスという問題が起らない。すべて問題が起れば、結局においてそれは事実問題として解決してゆく。これが行政
國家の特長でありまして、或る者は政治
國家というが、実は昔の專制形態が残
つているのが行政
國家の特質でありまして、君主の大権、これをバツクとする行政権、これに使嗾せられるところの司法権……
立法権が優越しておりまして、司法権というものは結局において、その君主の大権に対する
一つの走狗に過ぎない。こういうところでこの司法権と行政権、或いは司法部内における他の裁判系統との間にチェック・アンド・バランスという問題は起らない。司法系統は一元化しております。二元的にな
つておらぬからして、今ここで申上げる人身
保護令状のごとく、
一つの裁判所が他の裁判所に出すという
制度がない。と同時に司法権は要するに君主の大権の走狗に過ぎない。私は
明治憲法の下における
日本の
國家制度、司法
制度を評して、いわゆる天皇の裁判と、こう私は評して論文を書いたことがありますが、結局において司法権が一番三権の下にある。司法権が一番下属しております。でありますから、こういう裁判所が
法令審査権を持ち、又
規則制定権を持つ必要がない。こういう行政
國家の機構がそのまま
日本の
國家機構とな
つておりますが、今度の新
憲法によ
つて日本の
國家機構が根本的に改革せられたわけでありますが、併し実際
國家を構成しておるところの官吏諸君は從來の「人」であります。
制度は畢竟するに人にあります。如何に
憲法が改まり、如何に
法律が改ま
つても、やはりその人が違わなければ昔の少くとも匂いが残る。その匂いが残るということは、つまり新らしい
法令を作るときに
考えなくちやならい。と同時に元來
日本が大陸系統の
國家機構でありまして、それが各方面に残
つておるから英米法のその
制度をばそのまま
日本に移し植えることはできないということを私は言いたいのであります。
その
一つとしまして、
日本においては司法権優越制の傳統もなければ
制度もなか
つた。ところが、この
規則制定権なり、或いはこの
人身保護法、こういう
制度を布くのは、この司法権優越という
制度が先ず第一になる。アメリカにおいては、この司法権優越制が殊に英國よりも顯著のように思いまするが、これは逆に
立法権優越制というものをばアメリカ
國民は非常にこれを
嫌つておる。これは植民地
時代における本國の
立法に対する反感もあるのでありましようが、その反感が手傳
つて司法権優越制というところの傳統がある。又その司法権、法曹一元という
制度を通じて民衆のバツクを得る。ところが
日本の裁判所というものはこれは從來も在野法曹と在朝法曹と分れて、裁判所の判事には民衆のバツクはない。
一つの官僚機構を構造しております。この官僚機構を打倒して行く。要するに如何なる……例えば
人身保護法で申しますると、この
保護法の
法律を設けても、これが果して民衆
保護の機能を正しく挙げ得るかどうか、即ち裁判所に対する私は一種の不信任の意をここに表明しなければならない。即ちこの
制度は是非必要なのだから、裁判所をばそれを信用できないという建前でこの
人身保護法を制定しなければ私はならないのじやないいかと思います。
それらを総論といたしまして、少し各論に入
つて見ますると、この
法案を先ず私は拜見いたしておりますが、最初の要綱
時代からずつと拜見いたしておりまして、この
法案を拜見いたしまして、先ず第一に印象を受けますることは、果してこの
法案は十分に人身
保護即ち機能を発揮せしめる意図を以て、如何なる細かい事件でもこれを取上げ、十分にこの人身
保護に盡されておるかどうかをば調査すべき機構として設ける意識があ
つたかどうか。即ち言葉を換えていえば、これはどうせこういう
法案を設けるが、多くの場合には請求理由なしで却下する、棄却する、成るべく、少くとも成るべくこういう人身
保護請求をば手続その他について、これをば制限するというような意図があるのではないかというふうに私には
考えられるのであります。それは各方面に私はそれを見られるのでありますが、例えば第
一條の「
法律上正当な手続によらないで、身体の自由を拘束されている者」と書いてあります。併しながら
明治憲法下において、この
拘留の更新、或いはたらい廻しなどが行われた、あれはいずれも正当な手続によ
つてや
つておる。今後においても今度の刑事訴訟法もいろいろ保釈の案、その他を今度の草案に書いてあるようでありますが、併しながらこれも詳しく申上げませんが、私に言わしむるならば、或る
程度の骨抜きにな
つてお
つて、今度の刑訴法においても、裁判所に対して、いわゆる保釈するの義務というものが明確にな
つておらん、そうなると、この
人身保護法によ
つて問題となるのは、多くは刑事事件でありますが、その刑事事件の多くは、この多くの場合において、從來の官僚裁判所の裁判官の筆法を以てすれば、多くは正当の手続によ
つてや
つておるのだという結論が出て來はしないか。この第
一條のごときも、もう少し書きようがあるのじやないかと私は
考えております。これが一点。
又この
法案を見ますると、第五條で請求を却下できる。即ち疏明の要件を欠いておる場合には却下できる。それから又第九條には、事務手続の結果請求の理由がないことが明由ならば棄却できる。この点は却下と棄却と書き分けておりますが、ここに
立法技術で伏線があるように思います。それから最後になんですか、請求理由がなければ棄却する、これは当然のことでありますが、十四條でありますが、どうもこういうふうに三段構えにな
つておるということ、これが私は頗る眉唾じやないか。殊に第四條で疏明が足らんからとい
つて却下される、それに対する異議の申立ての
規定が何ら置いてないのであります。この点は英米法におきましては何遍でも人身
保護の請求はできる、却下された場合には上訴することもできる。又アメリカの或る州においては人身
保護請求があ
つた場合には、これを上訴陪審に当るような陪審に付する
制度もある。どうも今までの裁判官の裁判の態度からいいますと、どうもこれらの
條文が武器とな
つて人身
保護請求がとかく玄関拂いを食う率が多いのじやないかということも
考えられる。
又上訴に関する
規定が誠に少いのであります。僅か第十八條一項のみでありますが、この只今小林先生がすべて人身
保護請求は最高裁判所に集中すべきであるという御
意見に承
つたのでありますが、この上訴
制度をはつきりさせて置けば、第一審の高等裁判所の裁判が妥当でないと見れば、必ず最高裁判所の方に持
つて行けるようにな
つておる。これは私は全部を最高裁判所に第一審及び終審として最高裁判所の
権限とするという小林先生の御
意見には賛成でありますが、私はこの
法案におきまして、更に上訴をもつとなにする詳細なる
規定が要ると思うのでありますが、この上訴の
規定が、誠に頼りないような
規定が一項置いてある。
更に最後に、從來の裁判所の、例えば保釈の請求、その他についての、或いは
拘留の更新についての裁判所の裁判は誠に独善そのものであると思うのであります。今後この
人身保護法の適用について、そういうことなしとは何人も断言できない。その場合においてそれを正しく
運用させるところの担保というものが
制度の上において私は欠けておるように思うのであります。先程申上げました第五條によ
つて却下された場合に、異議の申立ての
規定がない。英法においては、これは小林先生の独壇場でありますが、私は英法の方に余りよく存じないのでありますが、休暇中、その他不当に人身
保護請求を拒んだ判事に対しては、被害者からベナル・アクション即ち罰金請求訴訟を許しておる。これは一種の
國家賠償に似た面白い
制度と思うのでありますが、何もこれをそのまま
日本に持
つて來いというのではありませんが、正当なる人身
保護の担保の
規定が足らん、これらを綜合して
考える場合、どうもこの
法案の起草者が意識的とは私は思いません、無意識的かも知れませんが、從來の官僚法曹の意識を以て、成るべく
保護請求の道を狹くするという
考え方があるのじやないか、というのは、これも從來のその官僚法曹の傳統であるが、異例であるところの、いわゆる特殊の場合、不公平不当な場合これを取
つて全体を律しようとする、例えば少し不当な弁護士があれば、弁護士全体に対する統制を強化しようとする。元の訴訟にあ
つた欠席判決の
制度をば利用して訴訟を遷延させようとすると、欠席判決それ自身を止めてしもう。稀にある弊害をば取
つて、全体の拘束的
規定、拘束的
規定は畢竟するに裁判所の職権増加になりまするが、そういう
規定を置こうとするのが
日本の今までの司法省系統の
立法の系統じやないか。それでどうも
人身保護法に現われておるように思う。こういう画期的の
制度ですから、少しは裁判所の方は面倒を掛けてもいい、随分中には不合理と思われるような
保護請求もあるかも知れない。それらも最初の間は、少し道が開けたというので手数を掛けても、こういう者に対して相当の方法を
考えてやることが必要じやないか。どうも
法案それ自身が骨抜きになるようなことになる
法案の作り方じやないかというように
考えられる。
次は
規則制定権でありますが、その関係でありますが、この
規則制定権については、第二十條に「最高裁判所は請求、審問、裁判その他の手続について、必要な
規則を定めることができる。」これは御尤ものことであります。この
法案全体を見まして、誠に手続を進行する
規定が足りない、又他の民事訴訟法なり刑事訴訟法なりの準用
規定が殆んどない。いわば二十
一條ですか、この中にないことは悉く最高裁判所の
規則によ
つて制定することになるのである。これは私は甚だ範囲が廣過ぎるように思う。この
規則制定権については多々述べたいことがあるのでありますが、正しく現在各方面に言われるように、英米においては、裁判所の
規則制定権の範囲が液次拡大する傾向にあります。これは
一つの原因は、特アメリカにおいて政党政治の弊が痛感されて來たということ、だからこの
規則制定権は分析法学的な立場からいえば一種の委任
立法であります。アメリカにおいては世界大戰前において廣汎な授権
立法ができましたが、これは一面においては從來の政党政治に対する反感といいますか、むしろ裁判所の方が頼りがあるというような意識が十分あるのじやないか。これをバツク・アップするところのものが司法権優越の思想であります。それからもう
一つは、私は特に強調したいのは、アメリカの裁判所は法曹一元化で、弁護士が裁判官、裁判官が弁護士にな
つている。こういう
制度が
規則制定権というものを裁判所に多く與えても大なる弊害を伴わない。併しそれも過時期においては、例えば最高裁判所の
規則制定は連邦
法律に
違反してはならんのか、或いはその
規則を制定してもその次の
議会に提出せよとか、或いは
規則を制定したことと矛盾せるところの
法律ができたらその
法律の方が優先するというような、いろいろなチエックも起きましたが、その辺が英米法の特有のチエック・エンド・バランスの
法律及び
制度で、漸次他の國ににおいて、妥当な
程度においてこの
規則制定権は拡大している。ところが、
日本の裁判所において果してこの民衆のバツク・アップを受けているか。受けておらん。法曹一元化によ
つて弁護士と裁判所が一体化しているか。しておらん。然らば何によ
つて構造されているか。民間と遊離したところの官僚法曹によ
つて裁判所は構造されている。そういうものが
規則を制定してもこれは民主的ではない。現在の
日本の法理的にも原理的にも最も民主的なものは
議会であり
國会である。私は
規則制定権というものは
日本の現状においては著しくこれは限定しなければならんものと思う。ことより從來のように一から十まで
法律に
規定するということは、これは司法権を
立法権が縛ることである。例えば現在民事訴訟法にあるように、「宣誓は起立してこれを嚴粛に行うべし。」くだらないことまでも
法律に
規定する。そんな必要はない。司法権
運用において必要なる
程度において
規則制定を許すべきであるが、それ以上においては許すべきでない。アメリカの授権
立法のごときひそみにおいて
規則制定権に委せるということは、これは重大な問題である。私はこの
規則制定権を通じて、及び
法令審査権を通じて、司法フアッショの傾向が起ることが絶無と言い切れないと、私は秘かに思う場合もあるのであります。私はこの
規則制定権を二十條に一項を置いて、あと細かい
規定を置かないということに対しては、私は重大なる議論があるのであります。
結論としましては、尚十分準用文を増加し、更に詳細なる
規定を置いて、
規則定制権の範囲を限定する必要があるというふうに私は
考えるのであります。と同時に、
日本の裁判所に対する
一つの牽制としては、陪審
制度は私は刑事のみならず民事においても施行する必要があると
考えるのでありますが、これはいろいろ差障りがありましよう。だが、現在可能なる方法としては、私はこういう人身
保護を拒絶せられた場合のごときについては、異議申立機関を設ける。この異議には裁判所のみならず民間法曹その他を加えた
一つの申立機関を設けることが、私は最も妥当ではないか。陪審とまで行かんでも、その
程度ならば案外各方面の差障りもなくできるのでないか。実は私二年前の「司法
制度の民主化」という論文において、その点を強調したのでありますが、この
人身保護法においても異議申立機関の必要がある。その異議申立機関も、職能裁判官に委して置いたのでは意義をなさん、職能裁判官以外の者を加えたものによ
つて判断する異議申立機関が必要なのでないかと私は
考えられます。
尚総論的に申しますと、いろいろあります。
條文として技術的修正の面が沢山あるようでありますが、時間もないようでありますから、最後に一、二氣の付きました
法案の各條について、簡單に申上げたいと思います。
先ず第一に、この人身
保護請求権者であります。第
一條に「何人も」とあります。これは
日本國
憲法の三十四條を見ますと「何人」というのは、結局において権利自由を侵害された人というふうに思いますが、英文の原案を見ますと、無関係者もやはりこの請求ができるような
意味にも解し得るのであります。併しながら純然たる他人が人身
保護を請求し得ることは妥当なりや否や問題と思います。これらこそ最高裁判所
規則でその点の
規定をして然るべきかと思いますが、ただ附加えて頂きたいのは、第
一條に最高裁判所が職権を以て令状の人身
保護手続を開始し得るという
制度が必要なんじやないか。英法における職権を以て人身
保護令状を発布するというその
制度を、どこかこの辺に入れる必要があるのではいかと思われます。次の請求の事由といたしまして、第
一條に「
法律上正当な手続によらないで」とありますが、これは先程申した
通り、殆んど今迄の刑事事件においては、いずれも正当なる手続によ
つておると、強弁すれば言い得ないことはない。ですから、これは
憲法の方には「正当な理由」という言葉がありますから、私はこういうふうにしたらどうかという案を持
つております。「
法律上正当の手続によらないか若しくはその拘束が正当の理由を欠くときは」というような一項を附加えれば、
憲法の
條文ともそぐいますし、例えば保釈しないで長く
拘留してお
つたというような場合も
保護請求の理由に入るんじやないかというふうに思います。この辺も
一つ御高見を願いたいかと思うのであります。
それから次は審査の段階でありますが、先程申上げました
通り、三段階に分れております。私はこの三階段は少し多過ぎると思います。時間もございませんから結論を申上げますが、第一段階の第五條によりますると、「その要件又は必要な疏明を欠いているときは、決定をも
つてこれを却下することができる。」とあります。拘禁されておる者が疏明しようとしても、できない場合もあり得る。ですから、これは英米法においても認められておるように、自己の陳述として宣誓口述書でも利用し、宣誓口述書が附いておればよろしいというふうをでもして、この第一段階の却下は單なる純然たる手続上の問題に限定する必要があるのではないか。そうすれば、民訴の例を以て、請求却下とせず、請求不條理とでもして置いた方が、軽い
意味でないか。そうすれば何遍でも形式を整えて請求できるわけであります。この第一段を余り重からしめないように、極めて限定するように
規定を設ける必要があるんじやないか。第二段の第九條でありますが、「準備調査の結果、請求の理由のないことが明白なときは、裁判所は審問手続を経ずに、決定をも
つて請求を棄却する。」、この「棄却する」というのは我々の
法律家の方で言いますと、いわゆる既判力を生ずるとする。これは
規定だから既判力を生じないというような逃げ口上もありましようが、この場合は請求却下として、ここで却下されても何遍でも同じ請求ができるということを明らかにする必要があるんじやないか。そういたしますと、第一段を軽くしますと、ここに一々それじや被拘束者をその度度に呼び出さなければ大変だぞという論もあるのでありますが、これは法文の整理によ
つて必ずしも被拘束者を呼び出さないで、準備手続をなし得るとしたならば、それで足りるんじやないかと思います。
次は上訴でありますが、上訴は十八條だけでは誠に簡單でありますが、上訴権者が誰であるか、拘束者の方でも上訴出來るが、私は拘束者の方が釈放を命ぜられて上訴出來ないという方が、英米法の例に倣う方がいいと思います。又、仮釈放の関係について相当若干の
規定を設ける必要があるのではないかと私は
考えます。
それから
罰則でありますが、第十條の二項は、拘束者に対しては、指定の期日に被拘束者を出頭させ、答弁書を出させる。これをしないと十五條によ
つてその拘束者を勾引して
命令に服するまで勾留する。五百円の罰金に処する。これは拘束者が被拘束者を出頭させない場合のこの
罰則は結構だと思います。答弁書を出さないのに勾留ということはないと私は思う。この辺は
罰則の濫用のように思います。のみならず、
條文の体裁としても十條三項と十五條がダブ
つているのでありまして、この辺は相当整理する必要があるのではないかと思います。尚
條文の技術的な問題としては、十條の一項では拘束者を召喚するとあります。これは拘束者に場合によ
つては、裁判所の許可によ
つて代理人の出頭をせしめていいというようにする必要があるのではないかと
考えられます。もとより、これも最高裁判所の
規則に委せるというのなら結構であります。
それから不当なる
保護拒絶に対する救済であります。これは米英法でも……判事に対して罰金を被害者の懷ろへ呉れるようなことは敗戰
日本においては直ちに実行出來ない。職業判事をも加えて異議申立ての機関を設けて見るのも
一つの方法であります。
最後に、
人身保護法の請求のあ
つた釈放は再び同一理由によ
つて拘束されないということをここに入れて置く必要があるのではないか。これも
法律職業家の既判力で処理すれば当り前だというかも知りませんが、そういうことはここにはつきり謳
つて、この
法律の意図するところを明瞭にさせる必要があるのではないか。
尚いろいろ申しますればございますが、全体としてこの
法案は第二十條の最高裁判所の
規則制定権に頼る率が余り多いように思う。少くとも審理手続については民事訴訟法でもよろしうございます。尚勾留その他の件については刑事訴訟法の
規定内容と並んで相当この
條文内容を豊富ならしめる必要があるのではないかというふうに思われます。一、二分時間を超過して恐縮でありますが、結論は
人身保護法が
日本に初めてできるのでありますから、この
制度を利用して、いろいろ不当な請求があるかもしれない、それは敢えて耐え忍んでやる必要がある。ともかく余り最初に用心して、成るべく玄関拂いをさせるような
條文は、これは現在の法曹界がやはりこの
條文を扱うのであるから、
國会といたされましては成るべくこの人身
保護請求の間口が廣くなるような
法律をお作りになりまして、それで漸次引締めて行くのがいいのではないか。初めから門戸を狹くするような法文の作り方は
考えものであるということを申上げまして、本日甚だ到らざる話でございましたが、述べさせて戴きましたことを厚く御礼を申上げます。