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公述人(武田隆夫君) 只今
委員長に御指名を頂きました
東京大学助教授武田であります。目下当
委員会において御
審議に相成
つておりまする
所得税法の一部を
改正する等の
法律案並びに
取引高税法案につきまして、
財政学を勉強しておりまする者の立場から若干の私見を申上げまして、議員各位の御
審議の御参考に資したいと存じます。
時間の都合上、又すでに前回において述べられました
公述人の
方々の述べられた点と重複を避けます
意味におきまして、
所得税法の
改正、それから
法人税法の
改正、並びに
取引高税法、この三つの
法案に問題を限りまして、各各の
法案につきまして二つの点について、合計六つの点につきまして私の
考えておりますことを
簡單に申述べたいと思います。
先ず
所得税法の一部
改正について申上げます。この
法案の
改正の要点は、
基礎控除、それから家族控除、勤労控除を引上げるということと、それから高額の
所得の累進の刻み方を大きくいたしまして、且つその累進の率を低くするという点に要約できると思うのであります。そこで、これにつきまして第一に私が問題といたしたいと思う点は、
物價であるとか、
賃金でありますとかいうものの現在の状態並びに近き將來におきますところのその動向に照しまして、これらの控除の引上げは果してこの
程度で十分であるかどうかという点であります。言い換えますならば、これらの控除の引上げによ
つて、果して
政府当局がこの提案の説明にもべておりますが、
勤労所得者の
負担が実質的に
軽減されるというふうにな
つているかどうかという点であります。この点を
考えて見ますのに、一例を挙げてみたいと思います。例えば月收五千円、扶養家族三名の
勤労者があるといたします。で、その
勤労者が納めますところの税額は、現行法によりますと、私の計算が或いは間違
つておるかも知れませんが一千一円とな
つております。で、この五千円の
勤労者が、
法案が
改正されますと、九十一円の税を納めればいいというふうにな
つておるのであります。一見いたしますと、
租税の
負担は誠に大幅に
軽減されたように思われるのであります。併しながらこの
予算案と同時に改訂されますところの
物價のことを
考えて見ますると、この
勤労者が現在と同じ
程度の
生活をし得るためには、少くとも一・七倍、或いは二倍、若しくはそれ以上の月給が必要であろうと思われるのであります。そういたしますると、その場合のこの
勤労者の收入は八千五百円乃至一万円にならなければならないわけであります。そこで、この八千五百円乃至一万円という月收の
勤労所得税がどのくらいであるかということを見て見ますと、同じく扶養家族三名といたしまして、八千五百円の場合は八百三十七円、若干少くな
つておりますが、若し一万円といたしますと千百九十五円となりまして、現在よりも多くな
つておるのであります。これに同じ一連の
法案によ
つて改正を目論まれておりますところの消費秘の増徴、それから後に述べますところの
取引高税というもの、これらの税を加算いたしますと、
勤労者の
生活、それから引かれるところの
所得税というものは一向
軽減されておらないというふうに私は
考えるのであります。更に現在におけるところの月收五千円、家族四名、將來におけるところの月收八千五百円乃至一万円の人の
生活というものを
考えて見ますると、それは一人一ケ月千二百五十円、一日にいたしまして四十円とちよつと、煙草一箱の値段にも及ばないところの
生活ということにな
つておるのであります。こういう人からも尚且つ税を取るという建前にして置きまして、果して
勤労所得、或いは少額
所得の
軽減ということができるであろうかという点が、私の申上げたい第一の点であります。これに対しましては次のような
意見があるというふうにも
考えます。成るほどその
通りではあるけれども、
日本は戰爭に敗けて、そうしてその
経済が破綻しておる。そうして敗戰によ
つて課せられたるところのいろいろな義務を履行し、そうして
経済の復興を図
つて行くためには、多額の経費が要るのだ、而も
日本においては比較的少額の
所得者が多いから、そういう人たちにも、やはり一本の煙草を半分にいたしましても、尚、應分の
租税を
負担して貰わなければならないという
意見があると思います。この
意見も一應尤もであると思いますが、それを認めるといたしますと、問題はおのずから第二の点に移るのであります。
第二の点と申しますのは、
改正案におきまして累進の幅を大きくする、そうしてその率を低めたというのは何故であるかという点であります。現行法におきましては最高税率は御
承知のように百万円を超える
部分について八五%というふうにな
つておりますが、
改正法案におきましては、最高税率は五百万円を超える
部分に対しまして百分の八十というふうに低められておるのであります。若しも
日本の
経済の現状から、先に述べましたように、
勤労者に対しまして
租税を
負担しろというふうに
納税の倫理を説く人々は、この場合にはどういうふうな道徳を説こうとするのであろうかという点であります。尤もこの
軽減の理由といたしましては、資本の蓄積、或いは企業家の企業意欲というものを阻害しないというようにするという点が挙げられ得ると思うのでありますが、併しながらこういうふうに税率を低めましても、現在のような
情勢におきまして、果して資本家が、或いは大
所得者が非常に切り詰めた
生活をいたしまして、その余りを挙げて資本の蓄積という
部分に向けるかどうかという点には甚だ疑問があるのであります。御
承知のように、この大
所得者の
所得は
生活の必要な
部分に当て得る
部分と、それから蓄積をする
部分と、他に奢侈的に使用される
部分が非常に多いわけであります。この
部分を捉える
方法として奢侈税その他のいろいろな
税制というものが
考え得ると思いますが、やはりこの
部分を最も合理的に、そうして完全に捉える
方法は、累進率を高めるという
方法が一番良いということは、いろいろな学者が言
つておる
通りであると思うのであります。又資本の蓄積を妨げておるところの最大の要因は、決して税が重いということばかりではないのでありまして、むしろ現在において最も大きな要因というものは、
インフレーシヨンがますます激化して、そうして前途の見込がなかなか立たないという点にこそ求めらるべきであろうと思うのであります。そうして見ますると、
税制について累進率を多少低めましても、その結果
インフレーシヨンが激化し、或いは健全
財政の確立ということが多少でも妨げられますならば、資本の蓄積に資するという観点も、十分にその税率を低めるという理由にはならないのではないかと思うのであります。
所得税法案について私が述べたい点は以上の二点であります。尚聊か意地の惡い見方をいたしますと、この
法案は表に
勤労所得の
軽減、小
所得の軽課ということを謳
つて、実はこの累進率を、
所得税全体としての累進率を低めるという点に本当の目的があるのではないか、そうして又動労
所得税の
軽減ということそれ自体も、又
物價体系の改訂ということを機といたしまして、近い將來においてますます激しくなると思われますところの賃上げの爭議におきまして
賃金に含めて要求される。そうして結局資本に轉嫁されますところの
所得税の
部分を、あらかじめ國家の
減收、即ち動労
所得税の
軽減ということにおいて資本のために配慮をしてや
つておる。そうしてそれを改めて別の
方法によ
つて、即ち消費税の増徴、
取引高税の新設というようなことによ
つて、小額
所得者、動労消費大衆からこれを徴收しようというふうに
考えられておるのではないかというふうにも
考えられ得るのであります。
次に
法人税法の一部を
改正するという
法案についての私見を同じく二つ申上げたいと思います。
法人税法の
改正の要点は、まず
法人の
普通所得につきましては、現行税率によりますと、内國
法人が百分の三十五、
外國法人が百分の四十五とな
つておりますのを、その差別を撤廃しまして一律に百分の三十五とする。次に
法人の
超過所得につきましては、現在
資本金額の一割を超える場合が百分の十、二割を超える場合五百分の二十、三割を超える場合には百分の三十という三段階にな
つておりますのを改めて、三割を超える
部分に対して百分の十、五割を超える
部分に対して百分の十五、十割を超えたところの
部分につきまして百分の二十という三段階にする。そうして更に、現在
法人の
資本金額に対しまして千分の五という率でかけられておりますところの資本
課税を廃止するという点が
改正の要点であろうと
考えます。そこで問題となりますところの第一の点は、
法人の
超過所得に対するところの
課税率の引下げと、それから
法人の
資本金額に対するところの
課税の廃止との
関係であります。即ち
超過所得に対するところの
課税率が引下げられたにつきましては、現在事業会社の
資本金は、多くは戰前のままである。その名目が
從つて比較的小額であるのに対しまして、利益金の方は
インフレーシヨンのために大きな名目で現われておる。
從つて利益率が非常に高くな
つておるという理由によるものと思うのであります。若しそうだといたしますならば、この比較的小額の
資本金に課せられますところの、いわゆる
法人の資本に対するところの
課税の方は、現在の率よりも更に引上げられてもよいというふうに
考えられるのであります。更に立入
つて申しますれば、先程も
公述人の方が申述べられましたように、編制改革というような姑息なる手段でこの問題を解決するよりも、むしろ企業の経理、或いは企業に対する税のかけ方そのものを整備して再出発するというような
方法が講ぜらるべきではなかろうかと思うのであります。
更に
法人税法の一部
改正について、私が問題といたしたいところの第二の点は、
法人税法をこのように
改正するところの理由の
一つとして、
外資導入に資する、或いは
外資導入の受入態勢を作るという点が挙げられて、それが格別に怪しまれておらないという点であろうと思います。
日本の
経済の再建復興のために、外資の援助が必要である。そうして外資に依存するところが非常に大きいという点につきましては、私もこれを認めるに決してやぶさかではございません。併しながらその外資によ
つて日本の
経済を復興するためには、
日本の
経済を全体として見まして、最も必要な
部分に最も有効な
方法によ
つて導入することが必要であろうと思います。
そうして、そのためには、そういう会社なり企業なり事業に対しましては、もつと思い切
つた優遇の
措置が講ぜられてもよいのではないかというふうに
考えられるのであります。併しながらそうした場合に、その導入の対象となりますところの企業、事業は、
日本の
経済全体としましてもせいぜい百か二百か、或いは多くて三百ぐらいのものではないかと思うのであります。それらの企業を優遇しなければいけない、好
條件を與えてやらなければいけないということに籍口いたしまして、口実といたしまして、
法人全体が、即ち
日本全部を採りますと、何百か或いは何万とあるところの会社が一律に
法人税の
軽減ということを要求するということは、これは或る
意味では便乘であり、或る
意味では
外資導入がどういうふうな形で行われなければならないかということをぼやかし、曖昧にするということになりはしないかと思うのであります。
法人税法の
改正の案につきまして私の
考えている点を二つ申上げた次第であります。
最後にこの度新設されますところの
取引高税法について、私の
考えをこれ又二つ申上げたいと思います。
取引高税法案というのは、
所得税、
法人税等におけるところのいろいろな
措置によりまして、
租税が
減收になる。それをカバーするために、主食その他極く少数の特定の物品を除きまして、殆んどすべての貨物、或いは商品と労務のサービスの取引に対しまして、その各段階毎に一%の税をかけるというのが、この
法案の趣旨であろうかと思うのであります。
取引高税の特質を
考えて見ますると、この
租税は、外の
租税、即ち
所得税であるとか、
法人税であるとか、或いはいろいろな消費税と違いまして、その
租税の
負担の分配の範囲が國家によ
つて予め強制的に決定されておらなくて、その分配のすべてを資本主義的な市場價格に委ねているという点であろうかと思います。言い換えますならば、
所得税ならば一定の
金額を超ゆるところの
所得であるとか、或いは消費税であるならば或る物品の
生産者販賣者、
消費者のそのいずれかであるというようなふうに、その
負担の分配の範囲が予め
税法によ
つて強制的に決定されているのでありますが、
取引高税におきましてはこの
負担分配の範囲というものが全くマーケットにおきまするところの取引の間に間に、何処へ落付くかということが全然放任されておるという税であるというふうに了解することができると思います。このような特質を
取引高税が持
つておりますために、それは
所得税であるとか、
法人税、消費税のように、いろいろな
負担分配の範囲が多かれ少なかれ國家によ
つて予め決定されておりますところの各種の
租税を、現在以上に増徴いたしますことが困難にな
つて参りました時代、若しくはその増徴ということが資本主義的な支配勢力に取りまして好ましくないという場合に、創設、採用されて参
つたのであります。御
承知のように、これは一九一八年ドイツにおいて初めて創設されまして、その後殆んど世界の各國において採用されたのでありますが、その裏面においてはそういう事情があるのであるというふうに私は了解しております。言い換えますならば、
取引高税の採用、創設ということは、例えば高度の臨時
所得税によ
つて示されておりますような
租税負担の平等というようなデモクラティックな要求を、大胆率直に表明することができなく
なつたところの現代資本主義國家の
財政政策を、最もよく端的に現わしておるものであるというべきであろうかと
考えるのであります。
國会には
社会主義或いは修正資本主義というようなものを標榜する政党もおありというふうに聞いておりますから、このような
財政政策につきましていろいろと御
意見もあると思うのでありますが、私は
取引高税の右に述べましたような特質から直接由來すると思われますところの
社会的、
経済的な
影響を、二つの点について述べて見たいと思うのであります。
即ち
取引高税について私が問題にしたいところの第一の点は、この
取引高税が
消費者、特に小
消費者に及ぼすところの
影響の問題であります。すべての
取引高税は、その課せられましたところの貨物或いは商品乃至サーヴィスというものの價格の
騰貴という形で
消費者に轉嫁をされ得るところのチャンスを持
つておると
考えることができます。併しながらそれが実現されるか、どうかということは、その商品なりサーヴィスの
需要の彈力性、それが値段が高く
なつたために消費が
節約され得るかどうか、値段が高くなるにも拘わらずどうしても買わなければならない商品であるかというと、その商品乃至労務に対しますところの
需要の彈力性の対象によるというふうに
考えることができます。ところが先程申しましたように、現在の
勤労者は殆んどその月收の全部を日用の
生活の必需品に対して支出しておる。そうしてそれでも尚且つ足りないというような状態であります。そこでこの
勤労者、小
消費者が買いますところの商品には、すべてこれは
取引高税が含まれて彼に轉嫁されるものと
考えなければならないと思うのであります。これに反しまして大
所得者、高額
消費者は、その消費物件の中にはいろいろな奢侈的な商品もある。不必要なサーヴィスもある。そこでそれらのものについては轉嫁の
余地はないというふうに
考えることができます。先程他の
公述人の方から
取引高税について、この税のかからない
物資の範囲を拡大すべきだという御
意見がありましたけれども、その
部分を拡大すれば、
税收を上げるという点から見れば、殆んど
取引高税を課する
意味がなくなる。又そういう免税の範囲を今のように殆んど主食というものに限
つて置きますと、これは小
消費者については極めて轉嫁されやすい税であるというふうにならざるを得ないのであります。而も
取引高税につきましては、その取引の各段階に課せられるようでありまするから、これらの税が累積、積重な
つて参ります。そうしてその
勤労者乃至小
消費者に轉嫁される税額というものは一%ではなくして三%或いは五%というような額が轉嫁されざるを得ないというふうにな
つておるのであります。ドイツ、或いはフランス、アメリカの統計によりますと、最高は六・六%というような
課税率にな
つておると
承知いたしておる次第であります。以上述べましたのは、
取引高税が少額の
消費者に対してどういう
影響を及ぼすかという点、それについての私の疑問でありますが、第二の点は、この
取引高税が小営業者、即ち中小の商業者に及ぼすところの
影響であります。これにつきましては、
取引高税と、それから利潤との乖離と言われておるところの現象を
考えてみる必要があると思うのであります。この
取引高税は御
承知のように販賣の総額、販賣高に対して
課税されるものでありますけれども、その営業の純益が異なるに從いまして、
納税後の純益に対しますところの
課税の
割合は著しく異な
つて参らざるを得ないのであります。これを例えて申しますならば、販賣総額がいずれも百万円の二つの営業があるといたします。
取引高税は一%でありますから、一万円であります。ところがAの方の純益は五万円、Bの方の純益は三万円といたしますならば、純益に対しますところの
取引高税の
割合は異なると申さなければならないのであります。ところが御
承知のように
一般に少額の営業、小営業者ほど資本におきましても、その他の市場に対するところの知識等におきましても、劣
つている。そうして競争力が弱い。殊に我が國におきますように、小営業者の数が非常に多いと、そのためにその間の競争が非常に烈しい。又
金融上その他、小営業は問屋であるとか製造者であるとかいうようなふろに非常に依存するところが多いというところにおきましては、どうしてもこれらの小営業者の純益というものは少くならざるを得ないのであります。そこで、こういうふうに同じ額の同じ率の
取引高税が課せられましても、その純益に対する
割合というものは、
負担は非常に重くな
つて参るわけであります。そういう方面から
取引高税は小営業者を圧迫するという傾向が強いと思うのであります。又前に述べましたように、
取引高税が各段階に課せられる、そうしてそれが累積する、積み重な
つて來るということを申しましたが、これを回避し、そうして商品の價格の中に含まれますところの
租税の
部分を一%でも減らして、そうして競争上有利な地位を得ようという運動が、この税が課せられますとどうしても起
つて参ります。そうして、そのためには合法的に企業が縦に合同をするということが盛んになる。或いはフランスにおいて盛んに行われておりますように、半非合法的に商品を取引しても、それを賣買という
形式をとらずに、商品を預かるというような
形式をとる。或いは賣買の段階を少くするために、ごまかすというようなことが非常に盛んにな
つて來る。乃至は
生産者、製造者の直賣というような制度が行われて來る。サーヴィス・ステーションを設けて
生産者が直接物を賣るというような点が多くなる。これらの点からも小営業者は競爭場裡より敗退せざるを得ないわけであります。
取引高税法案につきまして、私の
考えておる点をやはり二つ申述べたわけであります。以上私は三つの税につきまして、各々二つの点、合計六つの点を
申述ベましたわけであります。これを要約いたして見ますれば、資本に比して労働の
負担が大きい。大
所得者、大営業者に比較して小
所得者、小営業者の
負担が今より多くなりはしないだろうか。併しながらこの小額
所得者或いは小営業者、
勤労者の
負担が多くなるという点から、私はこの二つの
法案が惡いというわけではないのであります。そういう
勤労者であるとか或いは小営業者の利益を代表してその立場から公述される方は、おのずから外にあろうかと思うからであります。
私が申上げたい点は、このような
税制を改革する、このような
影響があるところの新税を創設すること、それ自体の中に、健全
財政の確立を妨げる要素がある、インフレーションを今よりも激化させ、そうして
日本の
経済の回復を遅らすところの要素がある。そうしてそれらの間に非民主的な或いは反民主的な勢力が擡頭し、それが伸長するのを助長する要素を含んでいるのじやないかという点であります。即ち以上六つ述べました点をもう一度要約いたして見ますと、
租税制度の重点が、こういうような改革によりまして、直接税から
間接税中心に移
つて來つつある。而も
所得税の累進率が低められつつある。そこで
税制全体として見ますならば、非常に逆進的な
租税制度になるのではなかろうかということであります。そのことは、どういうことか申しますと、
國民の一人々々が
負担するところの
租税の額が、国民の
租税負担を
國民の総数で割
つた、即ち女も、男も、赤ん坊も、年寄も、全部含めて
國民の
租税負担額を割
つた平均税率に段段近くな
つて來るということになる。この
國民の
租税負担額を、女も男も赤ん坊も年寄も含めた
國民全体で割
つた國民一人当りの
租税額というものを求めて、これを生計費によ
つて補正いたしまして、実質的な
國民平均
租税率というものを出して見ましたところによりますと、
昭和二十二年におきましては三九・六%という非常に高い率にな
つております。
國民はその
所得の四割を
租税として取られているという勘定になるわけであります。そうして
税制全体が逆進的になり、惡平等的な
租税負担が
國民に課せられるというようにな
つて参りますと、
所得百万円の人も、
所得十万円の人も、
所得五万円の人も、同じく四割の
税金を段々拂わなければならないというようにな
つて参る。そういたしますと、
所得百万円の人が四十万円の税を納めるというのは非常に容易になりますけれども、
所得五万円、十万円の人が二万、四万の
租税を拂うと、その後では到底食
つて行けないという状態が起
つて來る。小額
所得者、中額
所得者というものは没落せざるを得ないのであります。この小額
所得者或いは中額
所得者の没落ということは、勤労意欲の向上ということが、
日本にとりまして残された唯一の
経済復興の原動力であるという、現在の
生産の復興ということを、それだけ遅らすということになる。或いは又
社会的に
考えますと、それらの中小
所得層の没落という間隙を縫いまして、非民主的な勢力、反民主的な勢力が擡頭する危險があるということに外ならないと思うのであります。又
税制の中心が
間接税中心に移行いたしますと、その收入の
金額と時期とを正確に予測することは極めて困難になる。そうして又それを完全に
捕捉し、徴收することも又容易でなくなるということにな
つて参りますことは、例えば「たばこ」新生の例を見てもよく分る。或いは又遊興飲食税であるとか、
物品税というものについて極めて脱税が多いということからもよく分ると思います。このように税の收入額についての予測が困難になり、その徴收が不確実になる。何時入
つて來るか時期が分らんということにな
つて参りますと、たとえ
予算の面において、
收支が
均衡するように組まれておりましても、その間におのずから「ずれ」が生じまして、その間隙から
インフレーシヨンが再び激化して参るというようなことが
考えられ得るわけであります。要するにこの
税制改革案を以てしましては、
日本の
インフレーシヨンは、益々激化する。そうして
経済の回復は遅くなり、而も
日本がこれから平和な民主國家として再建して行こうとするようなことを妨げるような勢力なりが、漸次大きくな
つて参る危険が、中にあるということであるのであります。
以上非常に
簡單に申述べましたような理由によりまして、私はこの両
法律案をこのまま実施することにつきましては、大いに疑懼の念を持
つておるのであります。
委員各位が更に更に
愼重なる
審議を加えられんことを切に希望する所以であります。私の公述はこれで終ります。