○河崎ナツ君 八月の一日から十日までの豫定で山形縣、
宮城縣、
岩手縣の三縣の厚生保健厚生施設の視察をいたしたのでございますが、概括御
報告申上げます。
保健衞生施設の點で、
東北地方は大体そういう施設が関東、関西に比べまして、どちらかと申しますと、普及が遅れておりました
関係上そういうことの必要を感じまして、個々の開業医というようなものによらないで、公営或いは官営というような形で進みつつある勢いを見ますことは、非常に將來のそういう保健施設の行く方向への
一つのポイントに立
つておりますことを痛感させられたものでございまして、殊に
岩手縣の農業会によ
つて経営せられた総合病院が縣下各
地方、先程
報告にありました宮古市などにもございましたわけであります。実に縣下の山奥にも及んで、そういう公営の立場から人人がそういう面におきまして、今日私立の病院におきまして困
つておる問題を解決づけられておりましたことは、
東北におきましての
一つの特色であ
つたと思います。
山形縣におきましても、そういう傾向がございましたので、一層この際着々と歩を進めまして、酒田市或いは鶴岡市においても、総合病院により元鶴岡平野、或いは何と申しましようか、庄内平野、あの平野の村々の人たちがそれに潤
つておりますことは、注目に値いするものかと思います。そういう病院の問題におきまして痛感して困
つておりますことは、設備はいろいろとあ
つたのでございますれども、お医者さんと看護婦さんとかなかなか少い。それでベッド数はありますけれども、そういう技術者が少いことによりまして、どの病院も困
つてお
つたわけでございまして、それは殊に國立の結核療養所におきましては、
國庫の
関係から
関係いたしておるのでありますが、手当が少いために、なかなか医者が來ない、看護婦が來ない。これはどこの病院も直面しておる問題でありまして、このことにつきましては、
厚生省に一層
考えて貰わなければならんことだと思います。
それから
岩手縣のそういう総合病院は今までは農業会が営んでおりました病院が十七ケ所ぐらい縣下の各山々、対々に行渡
つておるのでありますが、なかなかいい総合病院でありますが、今度それが農業会の解散に伴いまして、この際縣としてそれを引受けて、そうして縣営としてやはりみんなに潤したいという立場に立
つておりますが、その問題におきまして、引受けますときに一應縣の
資金を要しますので、そういう問題について、單なる一箇の病院でなく、県全体の保健衞生の問題を解決いたしますために、縣立に移します問題といたしましての一億円の支出の問題においての
國庫においての支出ということに当面いたしまして、陳情いたしておりましたことは、單なる一病院ということの問題でなくして、將來のそういう医療施設においての縣営或いは國営の問題への
最初のぶつか
つた問題といたしまして、單なる
岩手県の問題であるばかりでなく、
厚生省として
考えて頂かなければならん問題だ
つたと思います。それから尚医療施設で、
岩手縣の國立の結核療養所におきまして、非常に急造の建築をいたしました結果、及び土建屋に委した結果、半分ぐらい建
つて、そしてお金が渡るとか渡らないとか言
つて、土建屋はもう後建てないで放りつ放しで、その療養所の人たちが……荒れ果てたと言いましようか、その中に手が掛けられませんから、もう半分か三分の一近く荒れ果てて、その儘建ち腐れにな
つておる。そうして秋草の繁
つた所であの結核の娘さん、若い人たちが寂しく夕暮の寂しい寮宿におりましたことは、そしてそういう建築から來る……それは省きましよう。
そういうようなことにつきまして、國立療養所があの儘であることにつきましては、
厚生省として
考えて頂かなくちやならんのじやないかと思いました。
もう
一つは
一関の國立療養所でありますが、そこはよく行届いておりますんでございますけれども、今度も恐らく水害がありましようけれども、高い丘の上にありましたので、水害は免れたと思うのでありますが、丘の上にありますために……初めの豫定と違
つて、水の……水道の問題が……
一関自身も水の不足のために、水が及びませんので、尚五百人程おりますその療養所は高い所へ持
つて行
つたので水が及びませんために、そういう結核の療養所で以て、水がなくて消毒もできず、顔も洗えず、その儘で実に毎日々々を不潔な樣子で暮らしておる。それはその水道は
一関として根本的にしますれば、なかなか費用もかかり、又、その病院だけで井戸を掘りましても、何でも三百万円程かかるんだか、それがなかなか解決つかないて、もう
厚生省へもどこへも頼んでも仕方がないから諦めて、ない水を雨水で集めて、五百人の患者が暮しておるという
報告がございましたが、ああいうふうなこの保健衞生施設におきましての水の問題、殊に療養所のああいう問題につきましては、一個の療養所でありまするけれども、そういう生活のそういう問題におきましては、一般的に他の病院のそういう問題につきましても、併せて一考を煩わさなければならんものだと感じて参りましたのです。
もう
一つ、
東北地方で牛乳の処理場、殊に山形縣におきましては、この保健衞生施設の牛乳の処理場が行届いておると同時に、周囲の農村と酪農の進絡が功く行きまして、鶴岡を
中心に高畠町を
中心に、酪農の処理が功く行きましたために、牛乳の配給が非常に確実に参りま島て、乳幼兒の希望を満たすばかりでなくして、それ以上ものもは各自に自由販賣にもしないで、先ず病院へ、そこでまた余
つたのはバターに加工いたしまして、先ず病院へというわけで、鶴岡市の病院、酒田市の病院のために配給をしておるやり方は、非常にそういう問題につきまして随分方々を見ました縣の中で、山形縣がそういう方に骨を折
つておりましたことにつきましては、乳幼兒の問題とも
関係し、病人の保健食とも
関係いたしまして、且つは酪農の村の解決をつけて行く。この
連絡におきましても、なかなかよく
行つてお
つたことは、参考に値いすることであると思います。殊に保健衞生の面から、保健婦に養成の面に長年力を入れてお
つて、山形縣は、
東北三縣に刺戟を與えております。島根縣のそういう面に力を入れているのと相対して、二つの縣だと思いますが、保健婦の問題は、庄内平野を
中心として酒田とか、鶴岡に
連絡をと
つて、非常によく行き届いております。そういうような面から、又兒童福祉法の虚弱兒童施設への面に
連絡をと
つて、殊に保健婦の養成に力を入れて参りました山形縣は、更に虚弱兒童の療養を、縣下に多い温泉を利用して、そういう療養に二十年來努めて参りましたのが、この十年來縣が取上げまして、初めは新聞社が拵えておりましたことでありますが、縣が取上げて、毎年五百人程、五十人づつ二十日間、二十日を限
つて次々に
行つて、その療養虚弱兒が縣下から代る代る選出せられまして、そうしてあの高山温泉という……、二千尺ぐらいの高い所にありますそこで実に徹底的な健康に惠まれながら、保健婦が世話している樣子は、保健衞生の面における縣の努力と、兒童福祉施設の方の虚弱兒の施設を生かして行く上におきまして、特色あるものと存じました。
それから第二は、兒童福祉法の施設の面におきましての各縣のそういう面へは、丁度北海道の御
報告がございましたが、私も北海道へその前の月に外の用事で参りまして、そういう
方面に氣をつけておりましたが、今、前の委員の
報告がありましたように、北海道は未だ氣をつけてないという、御
報告でありますが、それに対して
東北三縣は、なかなか氣をつけておりまして、殊に
宮城縣は、一層そういう問題に氣をつけて、着々と施設を、新しい施設、又曾ての施設を生かすことに力を注いでいるようでありまして、恐らくカトリックのアメリカから渡
つていらつしや
つた、この宗教
関係の方々と、そうして縣のそういう施設とか協力いたしまして、
宮城縣の仙台の北の方の丘の上に、少年の町という、今大きな集團施設が教会のお堂を
中心にして建設せられておりますが、もう開かれて來ただろうと思いますけれども、丁度それと、曾ての岡山縣の少年の丘でありましたか、それと丁度
日本で相対する二つの少年に対する新しい、將來そういう施設を通しまして行われるであろう二つの施設の
一つと見られてもいい。そういう意味におきまして、その少年の町を
中心にいたしまして、育兒園にいたしましても、教護院にいたしましても、
宮城縣に
中心に力を入れられておりましたことは、好もしいことであ
つたと思います。そうして非常に徹底的に、專門的に兒童の心理、生理的
方面から研究して、兒童の問題を解決づけようとするこの
宮城縣における兒童相談所、
中央兒童相談所は、非常によい研究
資料だと思います。それから町のそういう方の人々との
連絡によりまして、まだ日は浅いですけれども、新しいそういう
方面に立
つて歩き出しましたことは、
東北地方においての大きな將來への光りで、各縣がやはりそこから刺戟せられておるようでございます。それと一緒に母子寮の施設に対しまして非常に目覚めて参りまして、山形縣、それから
岩手縣は
一関、それから今度難は逃がれましたが花巻という所を
中心にいたしまして、福祉法による母子寮を確かもう最近始めたと思いますが、新らしい福祉法によりまするところの母子寮の創設を先ず
岩手縣のこの二つの市にということで、土地の婦人会を
中心にいたしまして、非常に熱心に
活動いたしまして、確立して始めかけておるところに水が來たのではないかと私は思
つておりますが、山形縣におきましても、その問題を山形市の
中心にいたしまして、米沢、鶴岡、それから酒田、新庄各地に今起りつつあるのでございますが、そういう
方面におきましても今一生縣命にやりかけておりまして、その母子寮を
中心に保育所、それから授産所、殊に授産所と申しますか、女の人の生活を結局立ち上らせることが大事だというところに目覚めまして、副業の問題に力を入れておりますことは、著しいものでございまして、山形縣もそれから
岩手縣もでございます。殊に山形縣は縣全体が協力して
連絡を取りまして、婦人の下駄の表でございます、藁から拵えますが、もう藁が足りなくな
つて、鹿兒島縣の方から竹の皮を取寄せて、それを晒してする、その下駄の表を拵えたり鼻緒を拵えますのを見せて頂きましたが、各個の母子寮がするのではなく、個々の授産所がするのではなく、縣全体が協力して、
一つの動きにおいて、そうしてそこにできたものを総合して、結局縣の
一つの生産物として行くというふうな方向に行きかけておりますことは、
日本全体の授産所が資材の面から個々に集めて、個々にてんでんなものをするというのでなく、横に
連絡を取
つて、そうして各所でしたものができ上りますれば、総合した
一つの品物とな
つて日本の
一つの特異なる産業という
方面に行こうとしております面を、ここでも一歩踏み出しつつありますことは、母子寮を
中心としての授産所の
一つの特色だと存じます。そうしてそこに保育所問題もそういうふうに解決付けつつございますが、福祉法の保育所の問題はそういうふうにすることにな
つておりますが、どこでするかということにおきまして問題がありますのですか、こんな意味で母子寮、先ず女の人のために仕事をしなければならん、女の人の集ま
つておる所、そういう所へ先ず保育所の幾つかを各縣に割当てられました保育所を生かして行く。模範的な保育所ということもございますけれども、原範的な保育所よりも、そういう実際の生活の面から保育所の意議と、それから婦人の生活とを結び付けて行くという方向への兒童福祉法の施設と生かし方というものを私たち日頃から
考えている者といたしまして、山形縣、
宮城縣、
岩手縣がそういう方に実際問題として動きつつあるということを知りました次第でございます。
殊に引揚者の問題は丁度北海道が引揚者の七割、そうして
東北が三割という形で各縣が引受けて定著しておるわけでございますが、この
住宅の問題は先程の北海道の御
報告にもございましたが、
東北では
岩手縣にいたしましても、山形縣にいたしましても、兵舎を充当いたしまして役立てておりますが、あとまだ五十万近い引揚者をその三割を
東北六縣が引受けます場合におきまして、次の問題として
住宅問題がやはり
考えられなければならないので、その問題につきましては、一層
厚生省で
考えて頂かなくちやならんと存じますがここで起
つております問題といたしまして、兵舎に集團いたしておりますから、二千、三千の盛岡の近所、山形市の元の兵舎の跡におりますのですが、そういうふうにおりますと、引揚者は非常に
子供が多いのですが、殊に学齡児童が多いのであります。学齡児童の学校の問題は直接文部省の問題でありますが、これが文部省の問題だから文部省の許可を得なければならんというようなことで、そうして引揚者の問題は
厚生省の方でありますから、その間に学校の問題が解決つかないで、非常にあり雪の中を一里も三十町もあるような所を通
つておる。隣に兵舎があ
つて、それを学校にしますれば使えるのでありますが、解決つかずにおるのでありまして、これは文部省と
厚生省との話合で、こういう人達の学校の問題は是非解決をつけて行かなければならん。それはもう
岩手縣が殊にその問題に逢着いたしておりまして、いずれ又書類も出ることと存じますが、山形市の郊外にあります引揚者の処にも問題がぶつか
つておりましたが、丁度北海道でその問題にぶつつか
つておるところに、許可があろうがあるまいが、
自分達の力で造りましたということで建てて、二学級だけ解決つけておりましたが、次に建てなくちやならんというので今願いましたところが、
厚生省と文部省との間に狭まれまして困
つておりますというわけでありましたので、少し引揚者の集團いたしております所では、この問題にぶつつかりますので、これは
厚生省と文部省とで繩張り爭いでなく、共通に話合
つて、とにかくこの人達の生活の面からの
子供の問題を是非解決づけて貰わなければならんと感じました次第であります。
それと供に集團をいたしておりますので、風呂の問題が解決ついておりません。二千、三千
一つの町程ありますが、何も風呂がありませんで、どの処にも厚生施設としての、保健衞生施設としての風呂の問題が解決ついておりません。これは
厚生省の方の引揚援護局の費用からの問題として出るのではないかと思いますが、これはどの生活集團にも欠けておりますことで、不十分であることはお氣の毒であ
つたと存じます。
ここにも亦小学校に行くまでの
子供を預ります保育所と、それからおかみさん達の
子供を預
つて仕事をさせればも
つて生活が安定して、生活保護法の問題も解決つきという意味で、殊に事情を同じくしておりますおかみさん達でありますから、授産所と保育所、この二つは是非引揚者の集團の生活の施設に対しまして取敢えず先ずそのところというわけでありましたが、今は学校と風呂及び保育所と授産所、この問題に逢著して、差詰め学校と風呂に直接困
つておりますが、次の問題として保育所、授産所、
東北の六縣のぶつか
つておりました母子寮の保育所と授産所、相共に兒童福祉法の施設としての保育所と授産所とが形式的に各縣に目立つような所へ模範的なものを作るのではなく、こういう方のものから生活へ結び著いた方向に生かして
行つて貰いたいというようなことを痛感いたしました次第でございます。尚ございますが、大体以上二つの面からの御
報告を申上げまして、一應
お話を終らせて頂きます。