○苫米地(英)
委員 総理の御答弁は、それ以上のことはおつしやることができないと思いますので、この問題はそこで打切りますが、どうか今後國会において
大臣が御答弁になることは、責任をも
つてあとからいろいろ動かすことがないように、もしそのときに明瞭に答えることができないならば、明瞭に答えることができないというようにおつしや
つていただきたい。こういうことを申し上げて、この問題は打切りたいと存じます。
現在
日本の復興を妨げておるものは何であるかと申しますと、私見をも
つてすれば、能率の底下、これが一番の根本にあると思うのであります。しからば何が能率を底下させておるかと申しますと、それはいろいろの原因がありますけれ
ども、きわめて大きなものを取上げてみますと、それは官僚統制と組合運動の
行き過ぎ、この二つにあると、私は
考えるのであります。しかしこの官僚統制と組合運動の
行き過ぎとを適切に処理することができなければ、能率の向上ということはできないと思うのであります。しかしこの問題は事務的に処理できる問題でなく、強い政治力を必要とするものであると思うのであります。そこに強力内閣ができることが必要であると私は信じます。これも新聞で見たのでありますから、間違いがあるかもしれませんが、ニユーヨークタイムスの東京特派員Lバロツト氏が言うたという
言葉でありますが、それを読み上げてみます。「近年
日本政府は短命であり、降服後の
日本政府はいずれも連立内閣で、内閣自身の中で経済政策に關して基本的な意見の対立がある。これでは外國の投資者(
政府であれその他の投資者であれ)を吸引することに足る政策の一貫性はまず望めない。」こう申しておりますが、これを読んで感することは、先ほどから問題にな
つております閣僚の間の意見がまちまちで
國民が迷
つており、そして奇異な感じをも
つておるということを、外國の通信員がこういうふうに
指摘いたしておるのであります。またシカゴ・トリビユーンのやはり東京特派員であるところのW・シモンズ氏が、こう言
つております。産業の運営に対する支配力がますます大きくな
つておる。官僚の非能率、知能、礼節の欠如は周知の事実であるが、官廳事務室に足を入れる部外の者は惡臭、汚穢と時間浪費とに平氣でいる、その場の空氣に恐れ入
つてしまう。投資する金がある外國人でも、このような空氣の中から生れる氣まぐれ統制に大切な金を使わせる氣にはなれない。このシモンズ氏の
言葉の中に、官僚統制の欠陷が明らかに描き出されておるのであります。もちろん総理は
健全財政を立てる前に行政整理もやる、
地方出先官憲も整理すると言うておられますが、さらに根本にはい
つて行政整理の着目点はここにあるのであります。現在私
どもは物の足りない今日、統制のある面において必要なことは十分認めており、これを強化していかなければならないということも承知いたしておりますけれ
ども、現在何ら統制を必要としないものが非常に多いのであります。たとえてみますならば、北海道で産出されるこんぶのごときもの、これが統制せられておる。しかるにその結果を見ると、引取らない縣がたくさんある。そのこんぶをとるのには、占領軍から油をもらうわけではない。
政府の補助を受けておるわけでもない。こういうようなものに対して統制を何で行
つておるのか、私
どもは了解ができないのであります。こういつたようなあ
つてもなくてもよい統制、また公定價定というものが、昨日も申し上げたのでありますが、七十六万のマル公がある。こういうことをや
つておるので、非常に大きな
人員を要するのであります。しかも
物價改訂をおやりになるということにな
つても、昨年の例をも
つてみましても、同時
決定ということを言われたけれ
ども、同時
決定ができなかつた。それがために産業会は非常に行き詰り、
物價が動かなくなり、そのために
物價の値上りが起き、また
賃金の要求も出てくるというようなことで、非常に失敗をした例ははつきりいたしておるのであります。そのでここにもあるように、非常に支配力が増してきておる。しかも非能率であるというのでありますからして、私は出先官憲のことを
考えると同時に、
物價問題とも照し合わせて
考えて、必要のないところの統制ははずしてしまう。たとえてみれば、どんなに多く見積
つても、
國民生活に直接必要な勤労者の
生活の
裏づけになるような統制品は五十を超えないと思うのであります。マル公をきめるとしても、七十六万というような数にしなくても、いくら多く見積
つても、三百とか五百とかいうくらいの限度で止められるのではないか。もしこういうふうにいきますならば、
財政負担が非常に軽くな
つて、総理の
希望をかけ、また御
努力にな
つておるところの外資導入のたけに、ドレーパー陸軍次官が言うておられたという
健全財政の樹立のためにもなると思うのであります。殊に
人員の多いということは、ただに給與が殖えるということでなしに、この
人員に伴うところの間接費というものが殖えてくる。のみならず過剩
人員は能率を底下する。さらに進んで
考えてみますと、この大きな過剩
人員のために民間が非常に迷惑しておる。非常な手数を要する。またこの統制のために厖大な権限をも
つておる官憲に対して時間と金とを費やす。官僚の腐敗はまさにそこがら生れてくる。こういうことを
考えますならば、私はこの官僚統制というものを嚴重に御檢討にな
つて、これは二十三年度の本
予算をおつくりになるまでに間に合わないならば、早急にこれをお運びにならないと、この外資導入にも
影響してくるのではないかと思うのであります。次に組合運動の
行き過ぎでありますが、これに対しても昨日から総理は勤労者の
生産意欲を傷つけるような、低下させるような法規の
改正はやらないということをおつしや
つておられますが、御趣旨にはまことに賛成でございます。しかし外資導入はすでに目前に迫
つておる。そう安閑として組合の人々の自覚を持
つておるだけの余裕は現在ないと思うのであります。しかも本日午前中、
加藤労働大臣はこういうことを言うておられる。それは組合が封建的で少数の指導者に任せておけばいいというような
考えをも
つておる。しかもその指導者が間違つたことをや
つておるのだ。もしそれであるならば、その少数の指導者に失望させても、全体の勤労意欲を害するこにはならないと思うのであります。この労働問題については、先ほど申し上げましたシモンズ氏は、こういうことを言ております。まだ知らなかつたデモクラシーの味を初めて味わつた
日本労働者は、無責任で、氣まぐれな態度で経営者に対している。不可能な賃上要求を行い、会社の経理状況がそのような
賃金の支拂いを許さないことを十分に知りながら、強引にこれを要求する。たとえば罷業中の
賃金の支拂い、組合員給與の会社
負担、罷業に伴う出費の支拂い、
生産管理など、共産主義者が編み出した米國では聞いたことない権利を獲得している。組合運動の
行き過ぎという点について、これだけではなしに、会社においても官廳においても、その事務室などまでも官廳の建物、会社の建物を、そのまま無償で使
つておるような事実もあるのであります。ただこれが爭議に關するばかりでなしに、また給與の問題を離れても、教員組合などでは專任の役員が学校の所在地を離れてわきに行
つてお
つて、すでに教員が足りないと言
つている今日、生徒を放
つておいて、学校から給料をもら
つて組合運動ばかりや
つているのがあるのであります。現地の教員組合運動などにも、相当の
行き過ぎがありまして、
日本は教育によらなければ新しい正しい國家の建設ができないと申しておりますけれ
ども、現在のあの間違つた組合運動が長く続けられるならば、教育亡國が起るのではないかという憂いまでもも
つておる人があるのであります。