○
中原委員 兩
大臣の御
答弁から感ずるものは、だから
財政の
健全性を堅持するという
意味である。こういうふうに受けとれるのでありまするが、
もちろん
財政の
健全性ということについては、私も異存はありません。しかしながら、
財政の
健全性を堅持するために、どの面に
重圧を加えるかということが問題にな
つてまいるわけであります。いわゆる
政府の
健全財政主義というものが、結局
弱小者に
重圧を加えながら、
言葉をかえると、
勤労階級の
生活を抑圧しながら、あるいは
勤労階級の
生活費を極力削減しながら、
勤労階級の犠牲において、
國家の
財政の
健全性を維持していく、こういう
行き方になると私は思うのであります。われわれの
考え方から申しますると、少くとも
戰爭以來、わが
日本國民の中に、
戰爭遂行によ
つて利益を収得し、膨張し引続いてまた
敗戰後のどさくさを通して利潤を厖大に独占した、すなわち戰爭がむしろおのれの財力を
増強するために役立ち、
敗戰がまたそれに役立つた
階級が、嚴然としてあるわけであります。しかるにその面に対しての
集中攻撃は根つからなされないのであ
つて、ややもすれば
抵抗力の弱い
勤労階層の方にそれが向けられ、しかもその
行き方が
健全財政である、こういう解釈にな
つてまいる
ように
考えられるのであります。
かくのごとき
行き方をも
つていたしますると、わが
日本の將來が一体どうなるかということでありまするが、その
ような方針を堅持しながらわが
日本の
経済の
再建をはか
つていくということにな
つてまいると、
勤労階級はいよいよも
つて身の置き所のない、
ちようど徳川幕府の
暴政下における土民の境涯に、
日本の全
勤労階級が落ちこんでいく。
從つて日本の
民主化どころか、かえ
つて日本國民の
奴隷化がおのずからそこに生れてくる、私はこういう
ように
考えられてならぬのであります。もう少し
健全財政主義の本質の置き場をかえたらどうか。角度が違うだけに、どうしても具体的に現われてまいる面はただいま申したことになりがちであり、しかもしばしばそうである。か
ようなことではとうてい健全なるわが
日本の
民主化は期待できませんし、健全なる
日本の
民主化が期待できないならば、どうしてかよく
経済の
再建がなし得られまし
ようや。また
運輸大臣の御
説明の
ように
インフレーシヨンの
克服の重要なる点は、
生産の
増強である。
生産の
増強なくして
インフレーシヨンの
克服はなし得ないこういうふうに言われるのであります。
もちろん一面
生産増強ということいついて私
どももこれに反対するものではありません。しかしながら、
生産増強ということの見方のために、一方において
勤労階級が
生産増強の方策の
重圧のもとに、非常な
生産窮乏を余儀なくされていくということに相な
つてまいるわけであります。殊に鉄道
料金の
値上げに関連しましては、もはやこの声が表面になりましたために、やみの物價が値上りをいたしておるのであります。これは物價の敏感性でありまして、ものの價格は
ちよつとしたそういう作用が大きな働きをなしまして、思わざる間にどんどん
実体は物價の値上りにな
つてくる。
輸送力の急速なる回復を要するがゆえにという御
説明でありまするけれ
ども、そういう
ような面を通して、もしかりにそれが
輸送力の回復に役立つといたしましても、これはまつたく本末が轉倒してくる。ねらいはやはり
日本國民の
生活力の回復をねら
つて、すベての問題が論議され取扱われておるはずであります。そのことを
考慮に入れなくて、一方的にだけものを
考えていたのでは、主目的を失うに至ると私は
考えます。
從つてインフレーシヨンの
克服等にいたしましても、これはあくまで
國民の
生活実体に対する
考慮が十分拂われながら、そのことを進めていかなければ意義をなさない。この
ように
考えるのであります。なお
輸送力の
増強回復ということについて鉄道会計のあるいは
郵便会計の
独立採算制の確立、そうしてさきになした
ような變則的な
一般会計からの繰入れという
ようなことをなす必要のない
状態をもしここにたちどころに実行に移すといたしましても、一昨日も申しました
ように、たとえばそれを鉄道について
考えましても、まだまだ鉄道の経理内容に対する十分の
努力が拂われていない。十分の
努力が拂われてないままで、ただ一面だけを押えていくという
いき方が、はたして適当であろうか。まず他を言う前に、みずからを省みる必要があるのではないか。そうであれば、一昨日も指摘いたした
ように、從來そうであつたからというので、その習慣をそのまま繰返していいのであるかどうか。すなわち弘済会のことにいたしましても、交通公社の経営の問題に対しましても、それをもはや手のつけられないものであるかの
ような
考え方が、はたして適当であるかどうか。
國家のこういう大きい危機に直面したこの際、まずも
つて独立採算制を必要とするとき、その
独立採算制の基礎を強化してまいりますためには、まずもつとみずからを省み、整理すべきは整理する。しかもその二つの
機関は
國鉄が直接にそれを経営して別に理論的に間違いじやない。何らの矛盾はない。しかるにそれを依然として財團法人の手に委ねて、
一つの財閥をあそこに形成せしめて、これを見送
つておるという
ような
事柄がはたして適当であるかどうか。私はそういう
努力が十分拂われた後に、なおかつほかに方策がなくて運賃の
値上げに手をつけなければならぬというのであれば、これはまた別でありまして、もとより私
どもも一般物價とのにらみ合わせにおいて、
旅客運賃あるいはその他の
料金の改訂をするということに、絶対に反対をするというのではない。そういう改訂も、それらの
努力が拂われ、その他の物價との十分の
檢討の末適当なる措置が講ぜられて、それが結果として幾分の
値上げになるという場合ならば、これはまた別でありますが、どうもそういう
ような
努力が拂われないで、なおざりにされている
ように私は思えてならぬのであります。省みて自らを
檢討することなくして、外に向
つてのみそのほこを向けるということは、何としても了解のできがたいところでありまして、そういう
行き方を今後なおかつ無批判のままに、無反省のままにお続けになるおつもりであるかどうか、これについてもう一應御決心を伺
つておきたいと思います。