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中村俊夫君 先般大阪・神戸に勃発いたしました、
朝鮮人学校閉鎖問題より派生いたしました
不祥事件につきまして、
司法委員会より
山中日露史君、
明禮輝三郎君及び私の三名の委員が
現地視察に派遣されまして調査をいたしましたその結果を、ここに御報告申し上げたいと思うのであります。
その前に、簡單に調査の径路を御報告申し上げますが、四月三十日に大阪の
檢察廳、大阪府廳に参りまして、各
関係吏員より事情を聽取いたしました。さらに別室におきまして、
共産党の
関西地方委員の諸君から意見を聽きました。翌日さらに神戸に参りまして、神戸の
地方檢察廳に至り、さらに
憲兵司令官、軍政官を訪問いたしまして、次いで
兵庫縣廳におきまして、
兵庫縣知事、
神戸市長、神戸市
公安委員長、國家・自治両
警察長並びに
教育関係の各
関係者より事情を聽取いたしました。さらに騒擾の現場を檢分いたし、翌日さらに
共産党神戸地区委員会の諸君より事情を聽取いたした次第であります。さらに私は、四月十五日の
兵庫縣廳における七十名の檢挙直前の状況並びに四月二十四日の縣廳前における
朝鮮人約二千名の騒擾の現場の
目撃者の私がその一人であるということも申し添えておきたいと思うのであります。
事件の発端を申し上げますと、昭和二十三年一月二十四日附文書によりまして、
文部省より各
府縣知事あてに、左の通りの通牒が発せられたのであります。現在日本に在留する
朝鮮人は、昭和二十一年十一月二十日附総
司令部発表により、日本の法令に服しなければならない、
從つて、
朝鮮人の子弟であつても学齢に該当する者は日本人と同樣、
市町村立または私立の
小学校または
中学校に就学させなければならない、また私立の
小学校または
中学校の設置は、
学校教育法の定めるところによつて、都道府
縣監督廳の認可を受けなければならない、
学齢兒童または
学齢生徒の教育については、
各種学校の設置は認められない、私立の
小学校及び
中学校には、
教育基本法のみならず、設置、廃止、教科書、
教科内容については、
学校教育法における総則並びに
小学校及び
中学校法に関する規定が適用される、なお
朝鮮語等の教育を課外に行うことは差支えない、
学齢兒童及び学齢生徒以外の者の教育については
各種学校の設置が認められ、
学校教育法第八十三條及び第八十四條の規定が適用される、前二項の趣旨を実施するため適切な処置を講ぜられたいという
文部省の通牒が、全國の
府縣知事あてに発送されたのであります。
これを契機といたしまして、まず
大阪事件について簡單に御報告申し上げます。大阪府では、二月十日、
朝鮮人学校長及び
学校設立者に対して、
前記文部省の通牒を発送して、同時に
朝鮮人学校は法令による
認可手続をとり、また
朝鮮人学校教職員の
適格審査をただちに施行すべき旨の通牒を発送したのであります。二月二十六日、大阪府は右に関する
朝鮮人学校長会議を開催し、さらに三月十二日、同樣の会議を開いたのでありますけれども、
朝鮮人代表者の集合の数が少く、しかも、その來会いたしましたる
朝鮮人は、いずれも教育の自主性を強調して反対したのであります。三月十六日、大阪府は各
地方事務所長、
市町村長、
朝鮮人学校長、
朝鮮人連盟委員長その他に対して左の通告を発し、これが二十三日に送逹されたのであります。
朝鮮人学校の校舎貸
與契約期限満了は三月末日であるから、期日限り明け渡すこと。貸
與契約の延期及び再契約はなさざること。さらに三月二十三日、大阪府は各
朝鮮人学校に、三月三十一日限り学校を閉鎖すべき勧告書をや
つたのであります。さらに三月下旬、
関係市町村においては、各管内の
校舎明渡しを要求し、
嚴重警告を発せしめたのでありますけれども、
朝鮮人側はこれに應じなかつた。四月十二日、
朝鮮人学校十九校に対して、四月十五日限り閉鎖すべき旨の通逹をさらに発送したのであります。
このような経過をたどりまして、大阪府当局は、指令または指示に基いて周到なる手続をしたのでありますけれども、十九校のうち、
明渡しをなしたのはわずかに六校、他は全部これに應じないのみか、四月二十三日、
大阪朝鮮人教育問題鬪爭委員会の名をもつて
府廳前に集合、同日午後二時
府廳前に集合し
たる者約七千名、これに
全逓幹部二十名、その他
共産党員約二十名が参加應援したと報告を受けております。
これよりさき、同日零時半ごろより、すでに大塚副知事、
浜田学務課長と
朝鮮人代表三十名とが、本件に関して
知事室で面会、
学校閉鎖命令撤回をめぐ
つて折衝中であ
つたのでありますが、このころに、
府廳前に集合中の大群衆に対しまして、全逓の一員が、ただいま
朝鮮人師範学校が
日本官憲によつて占拠されたという演説をいたしましたので、にわかに群集は色めき立ちまして、スクラムを組み、喊声をあげて、府廳の一階から四階になだれを打つて殺到いたしまして、身動きもできない混乱になり、遂に
知事室へも乱入するに
至つたのであります。このとき
知事室にあつた大塚副知事は、身の危險を察知いたしまして、巧妙に別室より退避いたしたのであります。この副知事の姿を見
失つた群集は、にわかに騒ぎ出しまして、
府廳内の器物を破壊する等の暴行を始めました。この日動員されたる
警察官は、合計約四千八百名であ
つたのであります。これらの
警察官によつて午後七時半ごろまでに全部府廳より追い出したのでありますが、このとき
警察官側に
負傷者三十一名、
朝鮮人側にも
負傷者を出したのでありますが、その数は不明であります。一方
檢察廳は、右騒乱に対して、騒擾罪の嫌疑をもつて百七十九名を檢挙いたしております。
翌二十四日朝早く、これらの檢挙されましたる
被疑者の
収容警察でありまする
南警察署に、約五百名の
朝鮮人が押しかけ、午後三時ごろより
警察官との間に乱鬪となつて、れんがを投げつけたりいたしまして、
警察官約十三名負傷いたし、
朝鮮人暴行者六名の檢挙があ
つたのであります。
四月二十六日午後一時、
朝鮮人の大部分をまじえた二万五千の群集が、
府縣前の大手前公園に集合いたしまして、
代表者五名を選んで
赤間知事に面会折衝いたしましたが、結局決裂をいたしました。一方群集に対しては
解散命令を発したのでありますが、應じなかつたために、群集と
警察官との間に乱鬪を生じ、遂に警官二、三十名負傷いたしました。一方
警察側の発砲によりまして、
朝鮮人一名死亡、他に若干の
負傷者を生ずる不祥事が惹起されたのでございます。
右大阪事件に関しましては、四月二十二日、
共産党員岩井某方に党員十名が集合、
朝鮮人学校閉鎖問題について
朝鮮人側に應援する旨の談合をなしたこと、及び同日
全逓組合員の一部が
逓信局内において
委員会を開いて、同樣應援をなす旨決議をして、各支部に人員を派遣した等のことが、破疑者の取調べによ
つて明かにされておりますが、なおわれわれ委員に面会を求めたる
日本共産党関西地方委員会委員の談により、
共産党員が
朝鮮人側の運動に参加せる事実があり、かつ四月二十四日のデモの最中に、
日本共産党関西地方委員会の名によ
つて宣傳ビラの散布及び
共産党員による群衆に対する
アジ演説等の事実が、
目撃者の談によつて語られておるのであります。以上が
大阪事件の概要であります。
兵庫縣の問題につきましては、主として
神戸市内の
朝鮮人学校四校の閉鎖に関して生じた問題でありまして、これは
神樂小学校の二校、
二宮小学校、
稗田小学校各一校、この前記四校に対して、昭和二十一年三月、神戸市
教育局は、
朝鮮人連盟及び同
建國促進青年同盟に対して、口頭で右四校を貸與しておりまして、同時に
朝鮮人学校が開設されたといふ事実が、まず前提となつておるのでございます。
兵庫縣当局では、冒頭に述べましたる
文部省の通逹を、ただちに
朝鮮人連盟本部、
朝鮮建國促進青年同盟本部、各
地方事務所長、各市長に発送いたしました。次いで、三月五日以後数回にわたつて、
関係方面より
兵庫縣当局に対して、
朝鮮人学校閉鎖問題を急速に解決すべき旨の勧告があ
つたのであります。よ
つて兵庫縣当局は、四月九日、
右勧告の趣きを
関係者一同に係員を派して傳逹させ、これと同時に、
朝鮮人学齢兒童・生徒の
公立小中学校受入れについて遺憾なきようとの通知を発し、
私立学校設置の場合は正式に
認可申請をなすべき
旨朝鮮人側に勧告、かつ
神戸新聞、縣公報にも同樣の事項を掲載して、一般に通告しております。
一方神戸市当局は、
兵庫縣からの通牒によつて、四月八日、この四校に立退きを通告、翌九日、重ねて
兵庫縣より
学校閉鎖命令を発せられたので、同十日、
右閉鎖命令を各
関係朝鮮人代表に傳逹手交しております。この間、
朝鮮人代表はしばしば
小寺市長に面談、
閉鎖反対の陳情をしておるのでありまするけれども、その都度、市長はこれを拒否しております。四月十二日、
朝鮮人学校父兄代表二、三十名が副知事に面会を求め、
学校閉鎖命令の撤回、立退きの猶予、
私立学校設置認可手続を簡單にされたき旨の要求を提出しているのでありますけれども、副知事はこれに対して、
命令撤回及び立退きの猶予は不可能である、学校の認可は法規に從うことを回答したので、代表はそのまま
引取つたのであります。この結果、四月十五日の
檢挙事件が発生したのでございます。
四月十四日、
父兄代表約三十名、後に約七十名とな
つたのでありますが、知事に面会を求めてきたけれども、知事、副
知事不在のために、午後一時半ごろから、
堀教育部長が副
知事室において面会、再び
閉鎖命令の撤回あるいは立退猶予等を申し出たのでありますけれども、部長より不可能なる旨を回答したのであります。これに対しまして
代表者たちは、部長に対し
罵詈雜言をあえてし、迫つてきたのでありますけれども、このとき偶然にも
外國人が入室してきたので、午後五時ごろ、部長は部屋から脱出してくることができたのであります。その後に
残つた恩賀学務課長を取囲み、
徹宵押問答をしてお
つたのでありますが、十五日午前三時ごろ、
双方交渉を一まず中止、休憩することになり、双方とも十五日朝まで、
日本人側の教育課長と
朝鮮人代表七十名が副
知事室にお
つたのであります。
四月十五日朝九時過ぎ、知事は関係当局よりの呼出しにより出頭、十時ごろより、渉外局長室において
朝鮮人代表五名と会見することにしたのでありますけれども、この
代表者との間に、会見の場所及び
代表者の数に関しましてお互いに意見が違いましたので、遂に正午ごろ、知事は所用のため外出いたしまして、
代表者との会見が不可能とな
つたのでありますが、
代表者約七十名は、依然として
知事室を立ち退かず、午後一時半ごろ縣当局は即刻立退きを勧告したが應ぜず、さらに午後六時に至り、再び立退きを勧告しましたけれども、さらに應ずる氣配がありませんので、
檢察廳は遂に
警察官を指揮して、建造物侵入被疑事件として右七十名を檢挙、うち五名は婦女子などがあつたものですから、これを除いて六十五名拘留、生田、兵庫の二警察署に収容したのでございます。これが四月十五日の
檢挙事件でございます。
その翌日より毎日のごとく、
朝鮮人数百名は
収容警察署にデモを敢行、一方連日にわたつて、
朝鮮人数十名は檢事正に面会、
被疑者の釈放方を要求してきたのでありますが、檢事正は、取調べ終了まではこれを釈放せずと、その都度回答しております。四月十六日午前十時半、
兵庫縣、神戸市、
檢察廳、警察、裁判所当局が会見いたしまして、本事件解決方策につき協議したのでありますけれども、同日午前十一時、
朝鮮人代表四名と会見しましたが、午後には
朝鮮人の縣廳に來る者約三百名とな
つたので、午後七時ごろこれに退去命令を出し、警察権をもつて
朝鮮人を退去せしめたのであります。四月二十一日、二十二日の両日にわたり、さらに
朝鮮人代表七名は縣廳に來り、縣当局に対し、以前同樣、拘留中の
朝鮮人の釈放、
学校閉鎖命令の撤回等を依然として要求してきたのでありますけれども、いずれも交渉決裂。同二十三日最後に、知事との間に同樣の交渉がなされたのでありますけれども、縣当局が断固要求を拒否したために、遂に決裂するに
至つたのでございます。
一方神戸市側におきましては、学校管理者として、民事訴訟法上の手続によつて、
校舎明渡し仮処分命令を裁判所より受け、前記四校の
明渡し仮処分を執行いたしましたけれども、これまた多数の
朝鮮人の学校占拠のために執行不能に終
つたのでございます。
最後に、四月二十四日の
騒擾事件を御報告申し上げますが、四月二十三日に、
関係方面より右
明渡し処分の経過の報告を求められましたので、神戸市警察長はその結果を報告して、さらに
関係方面の應援方について意見を求めましたところ、
関係方面の、本問題は日本警察独自の立場において解決すべきであるとの見解に從い、四月二十四日、さらにこれが対策を講ずるため、午前九時半、
兵庫縣知事室に、左記人人が参集協議することにな
つたのであります。縣廳側では岸田知事、吉川副知事、井出國家警察長、その他市側では
神戸市長、助役、神戸市警察局長、
公安委員長、その他渉外局側といたしましては田中渉外局長、
檢察廳側としては市丸檢事正、田邊次席檢事、
兵庫縣における各関係首脳部が全部寄
つたのであります。
右十六名参集の上、協議に入りまして、古山警察局長より、前日の仮処分執行不能の状況等を説明し、二十六日挙行の予定となつております
朝鮮人約三万のデモンストレーション並びに五月一日のメーデーにおける示威運動をも考慮に入れまして、仮処分はその後まで延期する方がよからんとの見解を披瀝せられ、檢事正もまた、拘束中の六十五名の取調べの関係もあり、執行延期に賛成するとの意見を表示し、さらに二十六日挙行予定の
朝鮮人三万のデモにより、いかなる事態を生ずるやもしれないので、これが中止方を知事、市長において
関係方面に要請することを協議しつつあつたときに、すでに十一時ごろにな
つたのでありますが、突然
知事室の隣室に、喚声をあげて多数の
朝鮮人が乱入しました。器物、ガラス等を破壊する騒音が聞え、ついで
知事室の入口のドアを椅子等で打破ろうとするふうでありましたので、内部からこれを阻止する一方、警察長は電話にて急を警察本部に連絡し、警官の即時派遣方を命じてお
つたのでありますが、
知事室隣室に乱入いたしました暴漢は、刻々その数を増し、口々に開けろ、殺すぞなどと絶叫し、約三、四十分経過した後に、遂に
知事室入口のドアも打破られ、一時に約百名の暴漢は、なだれを打つて
知事室に乱入し、手当り次第にいす、テーブルその他の備品を破壊し、電話線三本を切断、電話機三箇を破壊、知事の事務机に上り、ガラスを破り、二、三十分間は阿修羅のごとく暴れまわり、
知事室の樣相は一変するに
至つたのであります。私ら三名も、現状のまま保存されていた
知事室を檢分したのでありますが、その当時の暴徒の暴状は、眼前に浮ぶように考えられたのであります。
しかして暴徒は、知事に対して、
閉鎖命令を撤回せよ、きようは全部死を覚悟して來た、などと絶叫するので、知事はやむなく
代表者数名に面会する旨答えたのでありますが、暴漢は暴れるばかりで、手のつけようがなく、またその数は刻々と増加し、隣室より廊下に充満してきたのであります。このとき外國官憲は、下士官二名を伴い、暴漢を押しわけて
知事室に來り、知事を室外に連れ出さんとしたのでありますが、暴徒は暴力をもつてこれを阻止し、突き返しましたがために、外國官憲の一人は押し倒されて、混乱状態に陥つたというようなひどい状態でありました。このとき二名の外國官憲は、ピストルを暴漢に擬したのでありまするが、猛り狂つておる暴徒は何ら屈することなく、反対に数名は机の上に飛び上り、腹部を突き出して、ピストルが何だ、命が惜しいと思つているか、早く射てと反抗してきたので、外國官憲は事態の惡化を慮り、射撃をなさず、約十分間にして退出したというような状態でありました。
暴徒は、さらに隣室と
知事室との壁を椅子等をもつて打破り、知事を殺せ殺せと絶叫し、
閉鎖命令の撤回を迫り、書面の作成を強要したので、知事は、事ここに至ればもはや万事休すと考えて、さらに知事以外の他廳の人々に及ぶ危害をも憂え、
閉鎖命令撤回の書面を作成して手交し、暴徒はさらに檢事正に六十五名の即時釈放を強要したのでございます。檢事正は次席と協議の結果、
閉鎖命令が撤去せられた以上は、一應根本問題は解決された形となつたこと、当時縣廳の周囲を取囲み氣勢をあげる
朝鮮人は数千名に及び、強いてこの要求を拒絶せば、流血の惨事を惹起するやもしれない状態になつたこと、並びに拘束中の
被疑者などは犯情惡質なものと認められず、首謀者数名を起訴すれば足ること等の事情を考慮して、遂に暴徒の要求に應ずることとして、次席をしてただちに帰廳せしめて、その手続をとらせているようであります。次いで暴徒は、再び知事に対して、本日の
知事室の暴行事件は一切檢挙せぬ約束をせよと迫
つたのでありますが、知事は自己の権限外なることを答えたため、さらに暴徒は檢事正にこれを強要したので、檢事正は、これまた同樣これを檢挙しないという書面を渡しておるのであります。暴徒はさらに市長に迫つて、仮処分の訴えを取下げる旨の確約をなさしめ、午後五時ごろに至り、ようやく引揚げたのであります。これが四月二十四日の
騒擾事件の概要であります。
右のごとく、前後約六時間にわたる交渉の間には、縣廳の周囲には五、六千名の
朝鮮人参集し、
共産党員の腕章を巻いた者が、こもごも立つてアジ演説をやり、ビラをまく等、盛んに氣勢をあげてお
つたのであります。一方、遅ればせながら非常警備の配置についた
警察官約八百名は、内部の各官廳主脳者に危害の及ばん情勢にあ
つたので、断固これを檢挙するの強硬手段をとることができなか
つたのであります。この後は、すでに新聞でご承知の通り、二十五日午前一時、連合軍より神戸市に非常事態の宣言があり、その時より、日本
警察官は外國憲兵隊の隷下にはいりました。翌日午後五時現在において、千百六十一名の
被疑者を檢挙するに
至つたのであります。
以上が大阪・神戸事件の概要でありますが、五月二日、日本
共産党神戸地区委員会委員二名が私を訪問、左のごとき書面を提出いたしました。これは公平を期する意味において、簡單でありますから、ここに読み上げたいと思います。
本問題は、弱小民族たる
朝鮮人の自主的文化擁護の要求によるものにして、無能力なる
日本官憲の一方的抑圧により、遂に事態の悪化を來したのである。その間わが党は——というのは
共産党です——弱小民族文化擁護のため、日本側当局に対してその無能を衝き、事態の収拾の申入れをなすとともに、
朝鮮人側に対しては、日本学制による
朝鮮人教育の自主性の確立を本問題の解決の基本方針となすべき旨を勧告する等、本問題の平和的解決のため全力を盡したのである。事件は四月十五日、七十三名の不法檢束を見るに至り、いよいよ紛糾し、爾後の交渉においても日本側の誠意なき態度は、
朝鮮人の当局に対する信頼をまつたく失わしめ、遂に二十四日、再び十五日のごとき不祥事を惹起するをおそれた
朝鮮人交渉委員は、
知事室に強行入室、会議中の知事、市長、檢事正などと面会し、
朝鮮人側の要求たる
閉鎖命令の撤回、七十三名の即時釈放等を獲得するも、同夜中より、神戸市憲兵隊による
朝鮮人らの一齊檢挙が開始せられたのである。
四月十五日、七十三名の不法檢束に至る間の判明せる事項は、二十二年十一月二十八日、神戸市当局よる朝鮮
建國促進青年同盟——これは建青と呼んでおるのでありますが——に対し、二十三年三月三十一日までに学校
明渡しを言い渡してこれを認めさせたが、大多数の
朝鮮人の組織たる
朝鮮人連盟に対しては何らの通告なし。
本年二月二十八日、
小寺市長より三月十八日までに学校
明渡しの命令あり、その後引続き交渉するも、進駐軍の命令と称して、代りの学校のせわも、新築まで待つことも拒絶す。
四月九日当局より、四月十日をもつて学校を閉鎖すべき旨の命令出る。
四月十一日、マツノ
小学校で人民大会を開き、交渉委員をつくり再交渉、
小寺市長はいやなら朝鮮へ帰れと侮蔑の言を吐き、関助役は軍政部の指示あるまで保留するとの一筆を入れる。
四月十二日、父兄総会の決議文をもつて縣及び市に交渉、当局は言を左右にして要領を得ず。
四月十三日、縣教育部長及び交渉委員の面前で、進駐軍の教育課長は、学校
明渡しの命令は出した覚えはないと言明する。なお当日判明したる事実、朝鮮連盟学校は縣下に二百五十六校あり、この申請した資材を全部建國青年同盟に渡しておる。
建青は架空の学校二十六校をつくり、一切の学用品、生ゴム等の配給を受け、これを横流しておる。これらの関係書類に縣教育部長は捺印しておる云々
こういう書面を提出しておるのであります。
最後に、われわれ調査委員三名のこの事件の調査の結果の観察を申し述べます。以上の調査よりして、調査委員團は左のごとき観察に到逹いたしました。
本事件は、
朝鮮人学校閉鎖命令に端を発しておるのでありまするけれども、單なる教育行政に関する面のみではなく、次のごとき諸種の原因が包含されております。
朝鮮人内部問題、すなわち
朝鮮人連盟と
建國促進青年同盟、その間の思想的な対立、その他諸種の理由による相剋が大きな原因となつていること。
文部省の方針として徹底を欠きたるために、
学校閉鎖命令の緩嚴は各地方長官独自の見解に基きてなされたるものとの誤解を
朝鮮人に與えたること。神戸事件においては、特に行政処分たる
学校閉鎖命令、ただちに
校舎明渡しという民事訴訟法の効力を生ぜずとの
朝鮮人側の主張に対し、縣当局がこれを反駁するの資料をもつていなかつたこと。これらの観察の結果、私らの最後の所見を申し述べます。
一、日本人たると
朝鮮人たるとを問わず、政府は法律に從わない者に対しては司法権の発動を徹底化し、法の威信を嚴守すること。なお第三國人に対しては、その違法の程度により、これが本國送還を考慮すべきこと。
二、
朝鮮人学校閉鎖問題に関しては、先ほど観察のところで述べましたるごとく、行政命令の緩嚴が各地方長官独自の権限にあるかのごとき誤解を與えしめ、
從つて兵庫縣知事ひとり強硬なる態度なりと誤信せしめたる結果、不祥事を惹起したのであります。これに対しては、
文部省が一片の通牒を発するのみにて、各府縣知事の各種各樣の態度をとることを放任し、一元的に一貫した方針を堅持してこれに臨まなかつたことは、重大なる責任ありと考えております。
三、神戸
地方檢察廳の市丸檢事正が、四月二十四日、暴徒の脅迫により、四月十五日檢挙の
被疑者六十五名を釈放するに至つたことは、法の威信を傷つけ、きわめて遺憾でありまするけれども、実情調査の結果、あの場合万やむを得ざる処置と認めております。
四、岸田
兵庫縣知事が、四月二十四日、前記同樣の脅迫により、一たび発したる
学校閉鎖命令を撤回したることは、地方長官の威信と行政命令の権威とを傷つけ、はなはだ遺憾ではありまするけれども、これまたあの場合万やむを得ざりし処置であつたと認めております。
五、四月十五日の
被疑者檢挙がありまして、かつ
兵庫縣知事の
閉鎖命令の発令によりまして、いついかなる不祥事が発生するやも知れなかつたことは、十分あらかじめ知り得たにもかかわりませず、
兵庫縣國家警察長および市自治警察長らが、これに対処する万全の策を講ぜず、遂に二十四日の不祥事態を発生せしめたることについては、命令系統としては
兵庫縣公安
委員会及び神戸市公安
委員会に、また実質上は縣市各警察長にその重大なる責任あるものと認められます。
六、取締りの面より見て、二十四日の不祥事を未然に防ぎ、さらにこれが発生にあたつて鎭圧し得ざりしことにつきましては、警察法の不備、たとえば地方に勃発したる
騒擾事件について、地方長官をして一元的に迅速かつ簡單に警察権を掌握せしめ得る規定を欠き、かつ國家警察間及び自治体警察間の連絡、国家警察より自治体警察への連絡の点について何らの規定なきことの欠陥があるのであります。速やかに政府においても、あるいは國会が進んで、この欠陥を是正する改正
法律案提出の緊要なることを認めるとともに、政府はさらに警察法の運営に関し速やかに適宜の処置を講じ、情報の蒐集、機動力の強化、裝備の改善等に全力を傾倒すべき必要あることを痛感いたしました。
七、最後に、本事件につき
共産党本部よりの指令ありたるや否やの点は、われわれ調査の範囲内においては不明ではありまするけれども、
朝鮮人学校閉鎖問題に関し、各地方のフラク活動が相当活発であつたことは、
共産党員みずからの言より明らかであります。從いまして政府は、今後の取調べの結果、再建途上あるわが國の現状に鑑み、もし騒擾罪等のごとき破壊的犯罪に対する共犯関係または教唆等の事実判明せる場合は、断固たる処置をとることに断じて怯懦であつてはならないと考えられます。もし取調べの結果、傳えられるがごとく
共産党本部よりの指令ありとの事実が杞憂にすぎないことが判明いたしましたならば、われわれ調査員といたしましては、まことに幸いと言わなければなりません。
以上、御報告申し上げます。(拍手)
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