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太田公述人 実は私数日前にようやく
教育委員会法案を入手いたしましたので、本日申し上げますことは、きわめて大局的な私の
意見になるであろうということを、まずも
つてお断りいたしておきたいと思います。
教育委員会法案の
目的といたしますることは、
提案理由並びに
法案第
一條に明瞭に示されておるのであります。すなわち、不当なる
支配を
教育行政から排除することであります。また
國民全体に対し直接の
責任を負わねばならぬという自覚のもとに、公正なる民意に基きまして、かつ
地方の
実情に即した
教育行政を確立するということであります。この
目的には私満腔の賛意を有明するにやぶさかでないのであります。しかしながら、本
法案の骨子といたしまするところは、以上の
目的を達成いたしまする
ために、現在の
教育行政につきまして大きな
責任をも
つておりますところの普通
地方公共團体とは別個の、これに何ら隷属せぬところの
機関であります
教育委員会を
設置いたしまして、この新しい
機関に
教育に関する行政を委ねんとする点にあると
考えるのであります。從いまして、私の本
法案に対する批判は、まず本
法案の
規定するような形の
委員会の設立によ
つて、否、その設立によ
つてのみ本
法案の期待するがごとき
目的の達成が保障せられるのであるか。換言すれば、かかる
委員会を
設置しなければ——普通
地方公共團体より分離し、独立した
委員会を
設置しなければ、
教育行政から不当なる
支配を排することができないのであるか、また
國民全体に対して直接の
責任を負う自覚のもとに、公正なる民意に基き、
地方の
実情に即した
教育行政が保障されないのであるかという点に向けられなければならないのであります。
まず本
法案の起草者が排除せんと意図せられておるところの不当なる
支配というのは、何を
意味するものであるかということを、定然問題といなければならないのであります。私はこれは
官僚的な
支配と、極端なる
中央集権的統制を
意味するものと理解いたすのであります。まことに現在の
教育行政は、文部省を中核といたしました一連の
官僚群の握るところでありまして、
地方自治体、殊に
市町村あるいは
市町村長の
権限は、義務
教育の
ための小・中
学校を
設置し、これを管理することと、義務
教育指導中核以外には、ほとんど皆無であるのであります。かくのごとき
支配ないし統制こそは、公正なる民意に基き
地方の
実情に即した
教育行政を行う
ために、当然排除すべき不当なる
支配であると
考えるのであります。私は
公選の
市町村長、
公選の
市町村議会の容喙や
支配が不当であり、これを排除すべきものとは
考えないのであります。何となれば、もし
市町村長や
市町村議会の
支配が
教育行政より排除せらるべきものでありましたならば、單に
教育行政のみでなくて、当然警察行政からも排除さるべきであります。衞生行政からも土木行政からもまた当然排除すべきものであるからであります。むしろ從來の
市町村の
機関の
教育行政に対する発言権が不当に弱か
つた点に、
教育行政の重大なる欠点があ
つたと、私は断言してはばからないのであります。本
法案が
地方教育委員会に対し、第四十八條及び第四十九條等によりまして、現在
市町村あるいはその長が有しているより、はるかに大なる
権限を與えることといたしたのは、その
範囲におきまして、まことに至当というべきでありますが、
教育委員会という独立の
機関を
設置するにあらずんば、なぜかかる
権限の委讓が認められないのでありますか。一体本
法案の起草者は、
市町村の
執行機関及び議決権に対して、大なる不信の念を有しておられるのではないかという疑いをもつのであります。
市町村長及びその補佐
機関あるいは
市町村議会は、新時代の
教育行政を担当するに不適当なりと断じておられるのではないかと思うのであります。
日本における
市町村の発達の跡を見ますと、
市町村は義務
教育と戸籍を中心として発達してまい
つているのであります。その点におきまして諸外國の
市町村とは大いに趣きを異にいたしているのであります。義務
教育の普及率において、
日本が世界に冠たるにつきましては、多年にわかる
市町村の大なる努力があずか
つて力がありますことは、ここに贅言を要せぬところであると思うのであります。
権限を與えられず、財源をもたずして、義務のみを負わされました
市町村が、從來義務
教育の
ために拂
つた努力は、まことに大なるものがあ
つたことは、
各位も十分お認めになることと存ずるのであります。特に昨年突如として義務
教育の年限が
延長せられるに及びまして、
市町村の困難と苦慮とは言語に絶するものがあることは、私がいまさらここで述べるまでもないと存ずるのであります。現在義務
教育に関しましては、なお改善すべき点が多々ありますことは、
中央のお役所に働いておられる方や、
都道府縣に働いておられる方以上に、私ども義務
教育の第一線に働くものが痛切にこれを感じておるところでありますが、私は
市町村地方教育委員会を
設置するにあらずんば、その改善が不可能であるという
考え方には同意し得ないのであります。もし本
法案の起草者にして、現在の
市町村の
執行機関及び議決
機関をも
つて教育行政の担当者として不満足なりとするならば、いかなる点が不満であるか、具体的に御指摘願いたいのであります。また必要ならば
地方自治法の改正を提案されるべきであろうと思います。米國においては大多数の通常の
執行機関及び議決
機関とは全然独立した
教育あるいは
学校委員会と称する
機関が存立しておるのは事実であります。しかしながら米國の場合は、
日本とは
実情が異な
つておることを知らねばなりません。米國においては、か
つて市政の各方面に
委員会制度が廣汎に採用された時代がありました。そして
教育行政にこの
委員会制度が現在もなお廣く行われておるのであります。しかしながら米國においてすらこの
制度に強い批判が行われておるのであ
つて、一般に
教育專門家は
委員会制度を擁護するに対して、行政家ないし行政学者はこれを攻撃しておるといえるのであります。十年余前に、シカゴ
大学は
教育学の助教授と政治学の助教授に命じて、米國の
大都市における
教育と市政の
関係について研究調査せしめたことがあります。その報告は公表されておるのでありますが、その
結論は独立せる
教育行政機関の愚を完全に証明したものであ
つたのであります。
以上私は
簡單に
市町村の
機関より独立せる
教育機関が無用であることを述べたのでありますが、次に本
委員会の設立はむしろ
教育の発達の
ために有害である点を措置したいと思うのであります。
第一は
財政的見地であります。本
法案第五十五條の
規定するところによれば、
地方教育委員会は所掌の
教育に関する歳出入見積りを作成し、これを
地方公共團体の
予算の統合調整に供する
ため、
地方公共團体の團長に送付することとな
つております。またもし
地方公共團体の長が
教育委員会の作成した歳出見積りを減額せんとするときは、あらかじめ
委員会の
意見を求むべしとは、体
法案第五十六條の決定するところであることは、
各位の御承知の通りであります。現在の乏しい
市町村の
財政において、
教育委員会の作成した歳出見積りをそのまま採用するがごときは、稀有の事例に属するであろうことは、容易に御理解願えることと
考えるのであります。
教育委員会は
教育の振興をも
つて存立の
目的としておるのであるから、でき得るだけ
教育費の大なるを期待すること当然であり、一日も早く
新制中学校を整備し、小
学校の二部教授のごときは、一日も早くこれを解消するに努めることはもちろん、新制高等
学校もできるだけ多数
設置し、授業料のごときできるかぎり低廉とするどころか、憲法第二十六條の本旨に則りこれを無償とすることを主張するでありましよう。教
職員の俸給のごときも、各
教育委員会は競
つて全國一たらんと願うことは、また当然でありましよう。俸給手当のみならず、あらゆる面において待遇の向上をはからんと努力するでありましよう。また図書館の設立も公民館の
設置も
関係公共團体の
ため絶対必要なりと力説するでありましよう。これらはいずれも眞にりつぱなことであります。その事柄自体に対しては、いかなる
市町村長も、いかなる
市町村議会も賛意を表することは疑いを容れぬのでありますが、問題は現在の
財政状況において、以上揚げたいろいろな仕事のうちどれが出來るか、否どれの何分の一だけが実現可能かという点にあります。すなわち私は歳出見積りの減額は、例外にあらずして定例となり、しかして減額に対し
意見を求められた場合、
委員会がこれに
反対することもなた例外に非ずして定例となると確信するのであります。毎年毎年かくして
市町村の
理事者と
教育委員会は
予算について対立を繰返すことになりましよう。米國において最近
教育あるいは
学校委員会が批判の対象とな
つておるのも、主としてこの
財政の問題であります。か
つて学校委員会に関し、ニユーヨークにおいて訴訟があ
つた際、ニユーヨーク州覆審法院は、その判決において、もしもある
機関がいかに有能にして献身的なりとはいえ、他の同樣に重要なる利益の犠牲において限られたる收入のいかなる部分なりともこれを
支配せんとするは不幸なりと認められる。かかる
委員会は他に公共的必要に関し詳細なる知識を有しておらぬ。
委員会は警察官の定員をいかにすべきや、また公衆衞生の
ためいかなる要求を滿たすべきやを公然知らしめ云々となし、続いてすべての行政組織において、それが連邦なると州なるとあるいは市なるとを問わず、問題は全歳出が過当にならざるよう多くの緊要なる要求の問いを調整するにある。かかることはすべてにつき、その比較的
重要性を考究し得る
立場にあるものによ
つて最もよくなし得りのであるとなしたのは、この間の
事情を最も明瞭に述べておるのであります。また
法案第五十八條及び五十九條は
予算の執行についての
教育委員会の独立性を
規定しおります。現在多くの
市町村においては銀行その他よりきわめて短期のいわゆるつなぎ資金を借り入れてようやく当面を切り抜けておるのであります。人件費以外の経営の支出については、常に現金の出納状況と見合いつつ行
つておる
状態であります際、
教育委員会にかかる
権限を認めることは、また紛糾を招く因をつくるのみでありましよう。
以上述べたように、
市町村の
理事者との対立紛糾を招來するばかりでなく、ひいては
市町村理事者の
教育に対する熱意を冷却し、かえ
つて教育は衰徴することをおそれるのであります。
第二の点は社会
教育に関する問題であります。社会
教育は本
法案第四十九條において
教育委員会の所掌とな
つております。今後わが國において社会
教育を振興発展すべき要あるは申すまでもないのであります。しかして社会
教育は
学校教育と異なり、きわめて多岐多端であり、他の行政
教育と関連するところすこぶる多いのであります。たとえば今後わが國において大いに取上げねばならぬウオケーシヨナル・ガイダンスのごときは、職業安定法の
規定する職業指導と密接なる関連をもつのみでなく、各
地方の要求に應じた。指導を実施する
ためには、商工、農林、水産等の行政面と常に相携えて進まねばならぬのであります。かかる
目的を達成するが
ためには、
教育委員会にこれを專管せしむることは、決して適当ではないのでありまして、いわゆる総合行政を担当する普通
地方公共團体をして実施せしむるが至当であると断せざるを得ぬのであります。
また
学校衞生につきましては、衞生行政を担当いたしておりますところの
地方公共團体をして併せてこれに当らしむることが適当であると私は
考えるのであります。
第三の点は
都道府縣
委員会と
市町村委員会との重複であります。從來
都道府縣が
教育行政の根幹をなしておりまして、
市町村の
権限は先ほど申しましたようにきわめて限られてお
つたのであります。
教育行政の
中央集権を排除し、これを
民主化する道程の第一の目標は、まず義務のみを負
つて権限を有しなか
つた市町村すなわち市に対して廣汎なる
権限を委譲することにあらねばなりません。その
意味において第四十九條に揚げられた事項は、市の專管事項とし、
都道府縣
委員会の所管事項より除くべきであると私は主張いたすのであります。また第九十七條、
学校教育法一部改正中、私立
学校に関連いたしましては、私立中等
学校につきましては監督廳の認可を要せぬものとすべきものであります。また
義務教育費國庫負担法のごときは、これを当然廃止するか、少くとも根本的なる改正をいたしまして、
市町村に対しまして、これに対應する独立の財源を附與し、も
つて中央集権的
官僚支配の排除を確立せなければならないのであります。不当なる
支配を排除するをも
つて大
目的としております本
法案が、旧來の
中央集権的
制度の象徴の
一つともいうべき
義務教育費國庫負担法の改正、または廃止に触れておりませんことは、さきに公布実施を見ました警察法に比較いたしまして、私のまことに了解しがたきところであります。
最後に私が力説いたしたいと思いますことは、
教育の画一性の問題であります。現在までのわが國の
教育制度の重大なる過誤は、
教育の画一性であ
つたのであります。
教育の
内容も
教育行政も、すべて全國画一的に
中央からの命令によ
つて行われていたのであります。かかる統制は当然
地方の
実情に即した
教育行政の実施を阻害したのであります。私は本
法案が再び画一の弊風の上に立
つていることに大なる不満を抱くのであります。私は各
市町村における
教育行政の
機関は各種の自由なる選択に委ぬべきことを提唱いたしたいのであります。米國の自治体の特色はその組織の多種多樣な点にあるのであります。同じ
教育委員会、あるいは
学校委員会というものもニユーヨークのそれとシカゴのそれとは構成を異にし、市の
執行機関と議決
機関との間に差違を存するのであります。かくしてこそ初めて不当なる
支配を排除しながら公正なる民意に基く
地方の
実情に即した
教育行政が確保せられるものと信ずる次第でございます。