○猪俣
委員 私は実は腹案を出しませず、あまり
委員会を怠けておりましたために遠慮してお
つたのです。実は腹案をも
つてお
つたのですが、出す機会を失
つてしま
つたのです。ですから蒸し返すようになりますから御遠慮申し上げますけれども、このいわゆる
紀元節、
天長節というものは廃止した方がいいという
考えをも
つてお
つたのであります。それは決定してしま
つたなら仕方がないのでありますが、ただ私どもがこの
祝祭日設けることに対して、ここに新しい理念によ
つて國民を啓蒙するというか、誘導するというか、新しい
國家を始めるのだという氣分を
國民に與えることが非常に大事なことだと思う。それでなければ何もここでみんなかえてしまうわけはない昔の
通りのことをや
つていればいい。何がゆえにこれを改正するかということは、
文化國家として新しい出発をするには、新しい革袋に新しい酒を盛らなければならぬという
意味で、はなはだ熱心なる討議が続けられておるのだと思うのであります。そこで輿論というものの動向でありますが、輿論というものは、私はやはり指導者がある程度の期間指導して、彼らに正しい認識を與えた上に統計をとらぬと、どうしても一般大衆は遅れておりまするから、旧來の憤習になずむとはいうことは人情のしからしむるところなので、私はこの
輿論調査にあまり重きをおかぬで、それよりも新しい理念
國家を樹するに、われわれ指導をも
つて任ずる者は、どういう
意味をこの
祝祭日にもたしているか、そしてそれをどうして
國民にだんだん浸透せしめていくかということが、この
文化委員会の任務だと私は思うのであります。その
意味において先ほどから輿論々々とおつしやいますけれども、それは私はあまり、感服しないのであります。とにかく新しい
國家として出発するにふさわしい
祝祭日をここに設けようというのでありますから、新しい観念のもとに
考えていただきたいと思うのであります。その
意味において、
紀元節というような観念は、
言葉巧みに申しましても、相当な危檢性のある思想が含まれていると私は思います。世界は
一つなりという今日の
時代におきまして、一体國というものをあまり強調することにつきましては、私は杞憂をも
つておるのでありますが、それはそれといたしましても、そういう
歴史上あいまいなものをと
つても
つて、われわれの新しい
國家の指標とするような
祝祭日にするということに対しまして、はなはだ不満があるのであります。それで私の
考えといたしまして、今度
講和会議ができた日を
紀元節、
建國の日とする。今独立
國家ではない、國際法上占領國でありまするから、
講和会議ができた日をも
つて建國の日というふうにしていただきたいと思うのであります。