○
中野(四)
委員 私はこの際本日の
読賣新聞に発表されました非常に乱暴な題材によ
つて扱われておりまする「
政治献金の
無心状」という
問題について一身上の弁明をして、当
委員会の
権威の上からも、その
眞実を明らかにしておきたいと存ずるのであります。そこで特に発言のお許しを願
つたわけであります。この説明をするに当
つては、
三つ四つの箇点にわけて
お話を申し上げたがよいと思いまするが、第一に現在
読賣新聞に発表された
内容より少し
お話をしていきたいと思います。この
新聞を見ますると、「
政治献金の
無心状不当財委の
中野代議士が送る」すなわち
不当財産委員会の
委員が
摘発を
行つたあとへ
金銭の
無心を行い、あるいは現在
不当財産委員会の
証人として
喚問を受けておる人の所へこの
無心状が
行つたということが中心であるのであります。私はこの
新聞の
内容を読みまして非常に驚くと同時に、憤懣にたえなか
つたものがあるのでありますが、これは公式の
手続をと
つて新聞社に取消し
訂正をせしめる
用意をも
つております。さらにもしこれが惡意を含んでこのような
記事の
一端が書かれたとするならば、
法律上の
手続をふむ
用意も私はも
つております。しかしながら今はここで述ぶべきではないのでありますが、最もこの中で私が考えなければならぬことは、「昨年九月にも板橋の
銀線事件として有名な練馬区土支田町
東洋工機の
摘発に当時
隠退藏物資委員会の
委員として乗込み
調査に活躍したが、
時價一億円といわれた
銀線がいよいよ
隠退藏として
摘発されたトタンに
中野氏名義の
要求書がその
会社に舞込み
関係者を憤然とさせたことも判明した」と出ております。ま
つたく事実無根でありまして、このような
要求書は何を
意味するか存じませんが、この点は当
委員会の
権威にかけても断じてないことであると同時に、こういう社会的に重大な
関心を拂われる
記事を書かれる
新聞社の特に留意しなければならぬ点だと私は思
つておりますので、本日
読賣新聞の
安田編集局長にも申し入れまして、明日、文書をも
つて訂正の
手続をとるつもりでおります。私の談話についてはこれは正しく書いてありまするが、私がなぜこういう
手紙を各
方面に配
つたかという
理由を申し述べておきたいと思います。私はこの
手紙を
配つたのは今度が初めてではないのであります。過去
牛込の
区会議員をやりましたときに
区会議員在職中にも、あるいは
市会議員の
選挙の前にも、私の私的な知己に対しましては、このような
手紙を、同文章でありまするが、送
つております。私はここでよく読んで
港樣方に御披露しておくことは正しいことだと思います。
「拜啓 極暑の
候益々御健勝の
趣大慶に存じます。さて御
承知の如く私は第一
國会では
隠退藏物資、第二
國会では
不当財産取引調査両
特別委員会に於て、
正直者がばかを見ない
政治の
顯現のために微力を盡しましたが、今後も初一念の貫徹に向
つて勇往精進する
覚悟でございます。而してそのために、私の身辺をあくまで
清浄潔白に保ち、私の
政治活動に要する
資金については一点の
疑いを容るる余地なからしめたいと念願致します。そこで、甚だ申しにくい事ながら此の際貴下の温い御
了解のもとに私の
活動資金を御援助賜わり度御懇願申上げます。
金額はもちろんお心まかせですが、ただ莫然と
いくらでもと
お願いするより、
一口いくらとはつきりした方が
諾否共に氣軽であろうという
先輩の御忠言に從い甚だ勝手ながら
一口千円とし、三口……五口……多々益々有難うということに致しました。
中野流のぶしつけと御海容下さい。
卒直に告白します。若し私が一
陣笠議員を以て自ら甘んずるなら、こんなあつかまして
お願いなぞせず、もつと
ていさいよくお茶を濁すすべも心得て居ります。しかしラヂオや
新聞や
ニュース映画で私の
議会活動を見聞せられる
世間の私に寄せられる御
期待はもつと大きいものがあるように感ぜられますし、私自身としてもさし
迫つた次期総
選挙に三十名内外の
同士議員の進出を
手傳うことがではきれば、
知不知の大きな御
期待に添い得るような氣がします。実に、此の際、全國を遊説して
同志の
地盤係拓に奔走することができるか否かが私の
政治的運命の
分岐点です。しかもそうする為に必要な先立つものは金、きれいな金、公明正大な浄財です。何卒何卒一には、非力をかえりみずあくまで
政治家としての
清節を堅持して
政界腐敗の病原に抜本塞源的なメスを加えんという大望をいだいて粉骨碎身する私の微衷を諒とせられ、二には
中野もいま一押で一人前の
政治家になれそうだというひいき目と、佛を作
つた以上魂も入れてやろうという御宏量をも
つて、このぶしつけな
お願いをおきき届け下されたく、ひたすら旱天の慈雨を待望する次第でございます。
頓首頓首」
二伸として「幸い御承諾願えればお手数ながら御便宜の
方法で東京都新宿区
牛込矢來町一〇九
中野四郎宛お送り下さい若し送るのはめんどう臭いと思し召すなら御援助の口数を御一報下されば拜受のため代人を参上いたさせます。どうぞよろしく。
昭和二十三年八月 日
中野四郎再敬」として私は出しております。この
手紙を私は過去におきましてもう数回出したものです。
代議士に当選いたしましてからは、
農民党立党やら、
自分の忙しい仕事のためにこのような
手紙を書いている暇がありませんでしたが、今度やや暇ができましたので、この前の原稿を基礎にいたしましてこれを書きまして、
筆耕屋に頼んで
石版刷りにしたものを千部ばかり
配つたのであります。全國の私の私的な
友人、
同志、こういう
方々に向けて
——いわゆる個人の
政治資金ということは
政党資金調整法においても明らかに認めておりまして、これが
政党の金であるならば
政党法によ
つて届けなければなりませんが、これはあくまでも
法律の上に正しいものでありますから、私は出したのです。ただ今度の大きな
一つの
ミスを私が発見した
理由は、どういう過程において起
つたかと申しますと、私は今申し上げた
牛込の
矢來町に約二十九年來住んでおります。十三歳のときから住んでおりますが、この住んでおりました家が
戰災でま
つたく一物も無くして
しまつたのであります。
從つて当時私は
町会長であ
つた関係上、五月二十五日の
戰災当日にはいなか
つたのですが、財物を
一つも出すことができなくて、
名簿等は全部燒失してしまいました。
從つてこの
人々に
手紙を出すことは不可能にな
つたのであります。そこで私は近來おつきあいをするようにな
つた人々の
名刺をば、大体こういう箱に放りこんであります。この箱に約千五、六百枚の
名刺があろうと思うのであります。ただ私が今度
手紙を出すときにこの
名刺を一々見て、この人とこの人に出せといういわゆる万全の注意をとればこのようなことは起らなか
つたと思うのでありますが、いかさま私は今申し上げたような、非常に多忙な体をも
つております。
皆さん方も非常にお多忙でありましようが、特に私の方は小さい党で、小使から
責任者の
地位までも一人で兼ねるような建前において、
寸酷の余裕もも
つておらぬとい
つても
支障ないと私は思うのであります。
從つて一々これを選ることができませんから、
家内に言いつけまして、この中で
新聞社の人と、警察や官吏の
人たちは、
手紙を出した
つて、
あまり金がないからくれやしない。むだになるだろうから、それはやめて、他の方に出すようにという言いつけて、たしか
愛知縣でしたか、どこかの演説に出たと私は思
つているのであります。それがそもそもの間違いであ
つたのであります。それはこの
手紙の中に
岡直樹あるいは
東洋工機の某という人、いま一人
浜崎とか浜村とかいう人の
名前の
名刺がどうしてあ
つたかということを私がここで申し上げておかないと誤解が起りやすいと思います。私は
岡直樹という人に
会つた記憶がありません。ところが、先日私が
旅行から帰
つてみますと、不在中に岡という方から
電話があ
つた。どういう方かと
言つたら、
綱島さんの御
友人だというのです。
綱島さんは前にわが党で志を同うして
政治活動をしておりました現民自党の
代議士である
綱島正興君であります。それを私はまだよく呑みこめませんでしたから、そのままに放任しておきますと、その後
旅行から帰
つたときに、岡という人から私の所へ
電話がありました。
電話に出て、あなたはどちらの岡さんですかと
言つたら、
綱島正興さんの
友人の岡という者です。お
名前は何とおつしやるかと
言つたら、
岡直樹だと言う。そこで初めて私はひよつとこの
不当財産委員会の
証人として
喚問をした
岡直樹という
名前を思出したから、御用件は何ですかと聽いたら、お
手紙を頂戴いたしました。それはどうもぶしつけなことをいたしましたと
言つたところが、その件でお目にかかりたいという。私は今非常に忙がしいから、
ちよつとお目にかかることはできませんが、また折をみてお目にかかることもありましよう。
——その
岡直樹という
名前を聽いた瞬間に思出したから、
言葉尻を濁して
電話を切
つたのです。ところが今朝この
新聞が出てから岡という人が私の家へ再び
電話をかけて來られて、
読賣新聞に発表されておる
岡社長談はま
つたく虚構の事実である、私はそのようなことを申し上げたことは
一つもない、しかしながらあなたにたいへん御迷惑をかけたように考えておりますから、お
詑びのために電話をかけたと言われたから、私は、決してそんな
意味はない、私の不注意からこういうような結果が生れたものであるから、あなたにこそ御迷惑をかけておるかしらぬが、お詑びを言われる
理由はない。そこで岡さんに伺いたいと思うのは、あなたの
名刺が私の家にあ
つたということが第一番に不思議なのだが、あなたと私とお目にかか
つたことがありましたかと言うと、ありましたと言う。いつどこで会いましたかと聽いたら、昨年の十月ごろ
農民党の
國会の控室へ
綱島正興代議士が連れて來て、岡という人ともう一人專務の
浜崎某という男と三人で來て
名刺の
交換をしたと言う。なるほど聽いてみればわが党の
加藤代議士もそういうことがあ
つたと言われておりますから、おそらく大勢の
代議士のところで紹介されたと思うのであります。その
名刺がこの箱の中に放りこんであ
つたと思うのであります。いま
一つの宮田というこの
東洋工機の
問題は、これは本日御
出席かどうかしれないが、梶川君と私と昨年の何月でしたか
銀線の
摘発のために参りましたときに初めて
名刺の
交換をし、当時そこの
社員の人と
名刺を
交換した覚えがある。その四千円か五千円もら
つた社員の人と
交換した
名刺がはい
つている。そこへこの
手紙が
行つたというので、その
社員が憤慨しておれのような安月給の者のところへ
無心状をよこすとは怪しからぬと
言つたというから、あるいは遠藤という
読賣新聞社の人が言われた結果かもしらぬと思うので、非常に申訳ないと思
つております。こういう
意味で私の
手紙は
戰災によ
つて名簿が一切燒失しましたので、
從つて出す相手方がないので、今まで受けておりました
名刺をば
愼重に吟味せず、
家内に書かしたり、あるいは党の若い者、
書生たちに書かしたことが、私の今度の大きな
ミスを起す
原因であ
つたのであります。しかしながら私は毛頭これに対しては他意はないのであります。なぜかと申しますれば、私はこのことによ
つて同志のうちから現在約どのくらい來ておるか、大した金ではありませんが、ぼつぼつ來ております。この
新聞が出ることによ
つて大分私のところに來る金が來なくなるだろうと思います。とにかく読賣さんは私の
生活をかなり脅かしたのでしようが、現在來ております金高から見まして、私はこのうちで
政治的追放でも受けておる人からひよつとして
名刺でも
行つてお
つて金が來てお
つてはならぬと考えまして、そこで注意しておりましたら、ある私の
先輩のところへやはり
手紙が
行つておりました。先ほど
理事会で
ちよつと
お話いたしましたが、この
先輩のところへ
手紙が
行つてお
つて、
一口千円の寄附をして上げようというお
手紙があ
つた。しかしながらこの人のお
手紙を見ると同時に私は非常に驚いて、これが來ましたのが九月の十日に出された
手紙でありますが、「
拜呈残署の砌愈々御清勝御
活動の段大慶至極に存じ候、偖去月御
申越の御
活動資金の件、
目下竹の子生活中につき甚だ恐縮ながら
一口丈け参加、本月中に御送可致候勿々拜具」ところがこの方は現在
追放中であります。そこでこれは礼を正しくして
お断りをしなければならぬというので、九月十二日に
電話で
奥樣をお呼びして
お断りをした。もし
金額が少いからとい
つて何か言われたと思われては心外ですから、くれぐれもそういう
意味ではないということを申し傳えておきました。ところが九月十六日付でまたこの方の
手紙が参
つております。「
前略種々御心配おかけいたし恐縮に存じ候、却て御迷惑に相成候ではと存じ小生より
差控へ
申候間御心配被下まじく候、切に堂々たる
政治家として御
大成祈り申候拝具」私はこのように來ました金については最大の吟味を拂
つております。ただお互いの
委員の
方々もそうですが、不在が多いのでありますから、この際に留守を守る者が受取
つておりますならば、これはただちに返すのが当然でありますが、さいわいに今日までそういうものは
一つもありません。今申し上げた
政治追放の方が一人あ
つただけでありますから、これは正しくお断わり申し上げたことで、私は良心的に一点もやましさを感じておりません。ただあくまでもこのような
ミスを犯したということについては、哀心より私はお詑びを申し上げ、
不当財産委員会という
権威のあるこの
委員会の
委員である私が、かりそめにも、たとえ誤
つたにしてもこういう
手紙が紛れこんで
行つてお
つたということは、私の純潔が許しませんから、
政治的な
責任をとらなければならないと私は考えます。本日この
委員会の
方々にお諮りを申し上げて、私の
出所進退をいかに扱うことが最も正しいか、ややもすれば
不当財産委員会の
証人として出るところの者は、偽証をも
つてこれに應じておる傾向が強いのは、さらに
不当財産委員会というものの
権威に関する
問題でありますから、今後ますますこの
権威を高からしめる上におきましても、私は
自分が小さい
ミスであ
つても、このような嚴格なる
態度をとるということは、いわゆる
委員会の
高潔性から言いましても、
委員会の
権威から
言つても私は正しいことだと考えまして、
皆様方にいろいろとお世話をかけました。そこで私は今日
委員会でいろいろ御
相談を願いました結果、この際
日本國内に封建的な思想を拂拭して、
民主化の促進のために確立されているところの
不当財産委員会の
権威をさらにいやが上にも
國民をして十二分に知らしめ、当
委員会の
委員諸君もともに自覚を新たにしてこの運営に当
つていくことが、この
目的達成の重大な要義でありますから、私はたとえ私
自分がこの
手紙を書いたものではなく、もとよりこれは
書生や
子供たちの書いたものでありましても、
ミスには違いありませんから、この点について
自分がまずこの
委員会の
委員としての
地位を、一
應辞意を表明することが正しいのではないか、こう考えておるのであります。なぜ私が單なるこの
新聞の
記事によ
つて辞意を表現するかといえば、誤解されやすいからさらに重ねて申し上げまするが、決して一点の
自分にやましいところがあ
つて辞意を表明するのではない。
不当財産委員会の
委員たる者は、
不当財産委員会の
関係調査官たる者は、いやしくも
権威ある
行動をし、高潔なる
行動をするということが最も正しいあり方だと私は思います。先日西尾末廣君の
不信任案提出のときにも私は言いました。あなたはシーザーを見習わなければいかぬ。すなわち
自分の妻に不義の
疑いをかけられただけで離別したという高潔の精神がなくちやならぬ。私はたとえこの一
新聞が書いたことでありましても、事実私が小さいながらも
ミスを犯したという結果においては、この
委員を一
應辞意を表明することが、今後の
委員会の
権威をさらに高からしめるゆえんであると考えておりますので、一應この機会に表明しておきたいと存ずるのであります。
さらに私は申し上げたいこともありますが、
自分勝手なことはかえ
つて手前みそになるおそれがありますから、
自分の心境からいえば、今日までここにおられる
徳田君とともに、ま
つたく超党派的な見地に立
つて、最も近き
將來に
政界の大きな
問題として扱われるところの
石炭國管の
問題ないしは
昭和電工の
問題については、徹底的にと
覚悟までした私が、今日この
辞意を漏らすということはまことに感無量でありますけれども、こういう
態度をとることこそ、
不当財産委員会の
権威を高からしめるものであるということをさらに重ねて申し上げまして、
自分の氣持をここに表現し、その事実の
一端を申し上げておきたいと存ずるのであります。