○湊
証人 私としましてはその点やや明細とまではいかないかと存じますが、殊に問題が昨年のことでありまして大分
記憶も薄れてまいりましたので詳しいことは多少違いがあるかと思いますが、大体私の覚えておりますことを申し上げます。そもそもこの日本海洋漁業という
会社は昨年の八月新しくできた
会社であります。その前身がございまして、これは日本海外漁撈統制組合という名前の申合せ組合があ
つた。この申合せ組合は戰爭中に廣東で造船や漁撈に從事しておりました武田巖という人が廣東から引揚げてまいりまして、この人はもともと廣島縣でしたか、岡山縣でしたか、漁師の家庭に育
つて家代々漁師をや
つております。戰爭中廣東に行きまして同じように漁船の
関係の仕事をしてお
つた。この人が終戰後引揚げてまいりまして、郷里の
自分の友人なり、廣東におりましたときの
自分の配下、またそれのいろいろの
関係で南方諸地域に働いておりました漁師の連中、そういう連中をかたらいまして、金を出し合
つて今申し上げたような組合をつく
つて漁業をやろうじやないか、こういう計画をしたわけであります。そこでただいま申しました日本海外漁撈更生組合というものが一應できたのであります。但しこれは民法上の組合であ
つて法人格はないのであります。この日本海外漁撈更生組合の名において当初復金に申込をしたわけであります。この申込をしたのは、昨年のこれまた
記憶がさだかでないのですが、二月か三月ごろではないかと思います。これは後ほど書類を調べればわかります。その当時農林省の方に復金といたしましては連絡をいたしまして、先ほど御説明いたしました順序を追
つて申しますと、まずわれわれの方の申込を受ける担当者の所に來て
お話があ
つたと思います。担当者はこの申込を受付けるかどうかについて農林省と連絡することにな
つておりますから、おそらくそのときも連絡をしたと思います。農林省としては非常にこれを支持された。農林省が支持されたというのは、そのうちにいろいろ事情が出てまいりますが、当時農林省としては代船建造について非常に強い要望をも
つておられた。これは戰爭中徴用されて滅失して、しかも保險金を取上げられたという氣の毒な小漁業家に対して代船をなるべく有利に建造させてやりたい、これは國の政策でもあ
つたのだと思いますが、そういう立場に立
つて代船建造について非常に強い御後援をしておられた。その中でも海外引揚漁民に対しては特段の配慮が加えられてお
つたと
記憶しております。そういう
関係で武田という人物は海外においても非常に長い漁撈の経驗者であり、外務省からたしか武田氏の人格に対する証明のようなものが出ておりましたが、あちらで相当立派な仕事をして來た人であります。そういう経驗者でもあり、また人格的にも十分裏付ができるということで、農林省としては海外漁撈更生組合の仕事をぜひ武田氏にやらしたい。從
つて漁船の許可も與えるから、復金からの融資の問題もぜひ取上げてもらいたい、こういう
お話であ
つたと思います。そこで金庫としてはその申込を受理して日本銀行に先ほど申した順序を追
つてまわしたのであります。そして日本銀行の懇談会がいつごろであ
つたか、これも私ひにちを
はつきり
記憶しておりませんが、多分三月かそこらではなか
つたかと思いますが、日本銀行はその書類に基いていろいろ審査の懇談会をや
つた。
〔
委員長退席、鍛冶
委員長代理着席〕
その懇談会には私も出ましたが、今申したような事情であ
つたので計画それ自体については大して
異議がなか
つたと
記憶しております。ただしかし自己資金の点につきまして申合せ組合のことでありますし、武田氏は引揚者で自己資金がない。若干友人知己間で自己資金を集めるということの確実性について疑問がある。そこで法人格でない組合でなしに、何とか自己資金をつく
つて――当時二百万円という自己資金をつくる計画にな
つてお
つたのですが、少くとも二百万円程度の株
式会社にすることが望ましい、そういう附帶條件のようなものがついて懇談会は通過いたしまして金庫にもど
つてまい
つたのであります。そこで金庫といたしましては、そういう方向に沿
つてこの申込
関係の審査をした。この審査には担当者が当
つたのでありますが、それを責任をも
つてなしたのが本日参
つております
根本次長であります。ところがこの審査の結論はかなり悪か
つたのであります。結論が悪か
つた点につきましてはいろいろありますが、要約しておもな点を申しますと、第一に経営者の武田という人は何分にも海外生活が長くてどれほどの仕事をした人であるかという実情がわからない。これは外務省の裏書をそのまま信用すればいいとも言えるのでありますが、当時外務省の事情といたしましては海外引揚者に対しては何でも非常にいい報告を書くということは人情上当然だと思うのですが、そういう傾向もあ
つたものですから、金庫としては何とかしてこの武田という人の海外における足跡を詳しく調査したいと思
つたのでありますが、その点われわれの審査の調査では十分なことができませんでした。一方この武田さんが金庫に申込みまして主として自己資金調達の面においていろいろ金庫に報告されることと、また農林省に
行つて言われることと、また金庫の報告でもそのときによ
つていろいろ食い違いが出て來たりして、審査の担当者としては武田氏に対してあまり信頼が置けないような感じをも
つた、そのことが一つ。もう一つは資金
関係でありますが、先ほど申し上げましたように、海外引揚者のグループでありまして、たれもまとま
つた資金を持
つていない。たまたま武田さんと武田さんの同郷の友人であ
つて現在取締役をや
つております川西という人がおります。この二人が結局この企画の
中心にな
つているのでありますが、この川西さんの友人
関係で前に鐘紡の重役をや
つておられ、現在はたしか上毛撚糸という
会社の
社長をしておりますが、永井得三さんという方の弟さん、これが川西さんの友人であります。この永井某という人を資本家として引張りこんでこの永井さんという人が二百万円程度の金を出すということをすでに約束しておられた。從
つて株
式会社にするとすればこの永井さんの出す二百万円というものを対象として
会社が設立されるものである、こういうふうにわれわれは見てお
つたのであります。なおそのほかにも若干武田さんとしては当てにしてお
つたものがあ
つたようでありますが、それらの資金はいずれも金庫からの借入が成立すれば出そうというような話であ
つたようであります。なおこの更生組合の出資金を一應二百万円というふうに立ててお
つたのでありますが、これは何分にも零細な漁民から集めるということであ
つて、これの確実性は金庫としても十分信頼できないという氣持であ
つた。ところがだんだん調査が進んでおりますうちに、組合内部に若干の紛糾がありまして、この永井という人が組合から離れるというふうなことにな
つてしま
つた。この離れるに至
つた原因につきましても、審査部としては何かそこにこの武田氏
個人の人格の問題があるではないかというようなことまで考えてお
つたようであります。その点は明らかでありませんが、とにかく永井さんという人が本件から手を引くということにな
つてしま
つた。そこで審査の結論を出さなければならない時期になりまして、審査部といたしましては、まず武田氏の人物に対して
はつきりしたことがわからないし、今言
つたような経緯からして何とも経営者として信頼感が薄いということが一つと、もう一つは資金的にま
つたく基礎がぐらついてしま
つた。資金の基礎になりました今言
つた永井という金主が逃げてしま
つたというふうなことになりましたので、これは話が少し戻りますが、金庫といたしましては、こういう漁船
金融に限りませんで、一般に金庫から
金融を受けたいという向に対してはなるべく自己資金を出していただき、いろいろ
方法を盡して自己資金をかき集めて、どうしても集まらないものについて
金融を考えるという方針をと
つておりますので、本件につきましても三百万は――少くもこれは千万円の申込であ
つたのです。二百万は少くとも自己資金を集めてもらわなければならぬ、二百万ではとても足りない。金庫のそのときの審査によりますと、どうしてもあの計画通りやるとすれば出漁するまでに千五百万の金が要る。ところで申込は一千万円、自己資金三百万円ということになるとどうしても二百万円足りなくなる、この三百万円をいかにして調達するかということについても確たる見透しがつかない。そこで資金計画の
根本がすつかりぐらつきましたし、先の見透しも金庫としてはどうしても向うのおつしやるように信頼することができないというような結論を審査部としては出しまして、これは当然融資すべきでないというようなことで結んでおる調書を私は読んだ。そこで私
ども融資を担当しております者としては、一度武田さんに來てもら
つてその辺のことをいろいろ聽きました。武田さんとしては金庫の融資ができれば地方の後援者もあ
つて、その辺から金が出るというようなことをいろいろ言
つておられましたけれ
ども、とにかくまず
根本のスタートに使わなければならない自己資金がゼロだということに一應なりますので、私
どもとしてはこれに対する融資をするということはできない。これは書類を今
根本君があちらに持
つておりますので、あとで見まして日にちのことは申し上げますが、五月ごろだ
つたと思います。
はつきりお断りすることに融資部としてはきめまして、
さつき申し上げた重役
会議を開いて重役の血判をと
つたわけであります。これが五月ごろだ
つたと思います。それからしばらくして、この日どりは書類も何もありませんので、ま
つたく
記憶によるものでありますが、そのまま私
どもは問題は
終つたと思
つておりましたところ、六月の終りでしたか、七月の初めごろでしたか、多分その辺だ
つたと
記憶いたしますが、突然保利茂さんと門屋盛一さんとお二人で金庫にお
見えになりました。そのときの事情はあとで
根本君からもお聽きいただきたいと思いますが、
最初根本君のところへ
行つた。これがどうして
根本君のところに
最初行つたかということが私も
はつきり
記憶がありませんが、融資部の方にまいりまして審査の方にまわされたのかもしれません。
根本君のところに來て、
根本君にいろいろ
お話があ
つたようであります。それに対して
根本君は今までの経緯をいろいろ
お話して、かなり消極的な、從
つて拒否的な
お話を申し上げたようであります。ところが門屋さんという人は非常に氣性の激しい人でありまして、大分激しく言い合をした。その結果興奮して融資部の方のまわ
つて來られた。――ただいま申しました
はつきり拒絶を決定いたしましたのは、二十二年の六月四日でございます。六月四日に今申し上げたような
理由によ
つてはつきり拒絶したところ、六月の末か、七月の初めころに今言
つたような結果にな
つたのであります。そこで融資部に來られてそのとき私は席におりませんでして、次長の小野田君というのがお会いしました。
最初から非常に興奮しておられたと言
つておりましたが、どうも小野田君としても――小野田君はあとで御説明するようなふうにこの問題が変
つてくるとは思わないで、一應何か非常によくあることなんですが、因緑でもつけに來たのじやないかとい
つたような感じがしたそうであります。これはちよつとうるさいから部長に会わせろ、そう思
つたようであります。そこで私
どもの席からちよつと離れたところにお待ちを願
つた。ところが、そのときに私は何をしてお
つたか二人とも思い出せないのでありますが、一時間くらいして帰
つてまいりました。急な用で私の方は課長や次長も集めて相談をして、その話が済んでから保利さんと門屋さんのところにまかり出た次第であります。そうしましたから、開口一番こつぴどく怒られまして、復金は非常に官僚的だ。いろいろな相談に來ている者に対するこの態度なり、仕打ちなりは何だと言
つて、非常な御叱責がありまして、私もその間の事情を何も知らないものですから、非常に当惑したのでありますが、いろいろ聽いてみますと、そうい
つたような事情でありまして、とにかく非常にお待たせいたしたことについては平身低頭お詑びしたわけであります。そこで保利さんと門屋さんからいろいろその後の話を聽いて、私もちよつと意外であ
つたのでありますが、いろいろな
関係で、保利さんと門屋さんがこの
事業に
関係することにな
つた。それは保利さんは佐賀縣の水産業会の
会長か何かや
つておられましたし、門屋さんは佐世保の引揚同胞援護
協会の、これも
会長か副
会長かをや
つておられた。そういう
関係で本件については非常に同情しておられまして、復金がそういうことで本件を断わ
つたことが第一きわめて不親切だということで
最初はお叱りがありました。次いで、しかし復金の言われる点も、
自分たちから考えても一應もつともだと思う。要するに、自己資金の
中心人物であ
つた人が離れたということであれば、復金としてもいろいろ心配されるのももつともだ。そこで今度は
自分たちがひとつ乗出すつもりだ。
自分たちが乗出せば本件は考えてくれるかという卒直な御質問であ
つた。そこで私も保利さんも知りませんし、門屋さんもむろん初めてのことだし、非常に丁寧に申し上げたのでありますが、どうも今の
お話だけでは私の方でどうこと御返事は申し上げかねます。とにかくお調べしてみましよう。こう申し上げました。そうしましたら、この前のときも何箇月かか
つた、今度もまたそんなに何箇月もかかるのですかという
お話だ
つた。しかし私は計画それ自体についてはすでに調べは済んでいる、あと問題は経営者と資金の問題だ。資金の問題について、はなはだ失礼ながらあなた方お二人とも私は初めてお目にかかるので、今までお調べをしてないから、どういう信用と資産その他をお持ちにな
つておるかということがわからない。そういう点をいろいろ調べてみませんと、何とも御返事は申し上げかねます。こういうふうに申したのであります。それに対しまして門屋さんは、
自分の信用のことなら北村徳太郎さんに聽いてもらいたい。北村徳太郎さんが、
自分は親和銀行と十数年取引をしているが、親和銀行に対して一遍たりとも信用を傷つけるようなことをしたことはないことを知
つているから、從
つて、
自分がどういう信用に値いする人間であるかは北村さんに聽いてもらいたい。それから
自分の資産とか、
自分の仕事についても、北村さんは佐世保の商工
会議所の当時会頭をや
つておられ、
自分が副会頭をや
つておるという
関係もあ
つて、
自分のことは北村さんは非常によく知
つている、だから、北村さんに聽いてもらいたい、そういう
お話であ
つた。そこで私も北村さんには、私前に復興
金融委員会の委員をしておられた当時から、衆議院の財政
金融委員会の
委員長をしておられて、お仕事のことでよくお目にかかる機会があ
つたから、それじや北村さんにも聽きましようと言
つて、そのときは一應お帰り願
つたのであります。それからそのときすでにもう本件で取上げております漁船の建造は、
さつきちよつと申し上げました司令部に許可
関係の第四次の許可の中にはい
つてお
つた。ところが、この第四次の許可が下りるべく予定されておりながら、そのときすでに許可しないという方針にな
つてお
つた。これは私今も
つてそういう方針にな
つた眞意がよく呑みこめていないのでありますが、
さつき申し上げました三十三万七千トンの建造計画によりまして司令部が逐次許可をした。從
つて農林省としても、三十三万七千トンに達するまではどんどん許可が得られるものと思
つておられたわけであります。從
つて第四次船につきまして許可申請を出したままで、これは当然許可が下りるものとして、日銀の資金調整はどんどん許可を下した。それでこの案件を受取
つたときに、第四次船の正式の許可は下りていないけれ
ども、許可が下りることは確定的なものであると私は思
つてお
つたのであります。ところがこの問題がもやもやしておるころ――これはちよつと
記憶が
はつきりいたしませんが、六月の初めごろだ
つたのではないかと思いますが、第四次船はいよいよ許可にならぬらしいというふうな問題が起
つた。そこで本件につきましても今申し上げたような経営者の変更があり、門屋さん、保利さんが言われる通り、かりに資金的に安定が得られたとしても、この建造許可それ自体が問題だということがその当時あ
つた。その話は門屋さんや保利さんにお会いしたときはまだ
はつきりしていなか
つたと思うのでありますが、そのことは触れておりません。解れた
記憶は私はないのであります。その後すぐそういう問題にな
つてきたものですから、私はそのときの感じとしてはなかなか激しい人がこられたけれ
ども、結局あの四次船にひつかか
つてあれはだめだな、こういう氣持でお
つた。ところが今度第四船はその後意外な進展を見ました。と申しますのは農林省としては責任問題である。許可が下りるものとして資金調整の許可をどんどん出して、漁業許可をどんどん下した。さいわいにして復金からは時期的に遲れてきたために、四次船の実際の融資は出ておりませんから復金としてはいいのですか、農林省としてはいまさらのつぴきならないような状態にな
つた。そこで第四次船の許可はないけれ
ども、一次、二次、三次船で許可が下りて、未だ何らかの事情で建造してないところに四次船の許可をあてはめていくというやり方をとられた。しかしこれがなかなか難航を続けまして、結局本件についてそれがきま
つたのは十月ごろにな
つたわけでありますが、そういう事情がありましたために、私
どもとしてはこれは当分うつちやらかしておく、そのうちに自然消滅してしまうのではないかという氣持でお
つたわけであります。その後農林省がそういうふうに第四次船の復活をやるようになりまして、そのときのいろいろな集まりでどこをどういうふうに復活するかという打合せをしておるときに、この海外漁撈更生組合、もう一つ言い忘れましたが、そのときに
会社設立の問題が出た。そこで門屋さんはそのときにこういう話をなさいました。資金的には
自分は相当の資力がある、だから永井さんみたいにた
つた二百万ということは
自分は考えていない。もし必要ならば五百万でも千万でも出そうという腹である。從
つて会社もすぐつくります。それから川南造船所に今注文しておる船がだんだん進んでおるのに支拂が非常に澁滯して、川南からこれをほかに賣るという話があるけれ
ども、その方も
自分がすぐに金を出して食い止めます。そういうふうな
お話があ
つたのであります。そこで八月の
最初だ
つたと思いますが、門屋さんは言われた通り
会社をつく
つてしま
つた。それから川南の方にも支拂をされたようであります。そういう事情があ
つたためだと思うのですが、農林省としてはこれを何とかして一次、二次、三次のどれかにはめこみたいということを非常に強く考慮しておられた。そこで私
どもとしては農林省があそこまで強く考慮しておられ、実際調べてみると一次、二次、三次船で建造してないものはかなりありましたから、これは四次船のはめこみがある程度できるなという見透しをも
つた。もしそれだできるということになりますと、本件の融資の可否についてまた考えなければならないなというように思
つたのであります。そこでこれは時間的な点が
はつきり
記憶がありませんが、すぐあとだ
つたと思う、門屋さんに会
つた。とにかく一應門屋さんという人物と保利さんという人物が何と言
つても問題の
中心になるわけであります。いろいろあともどりして恐縮ですが、門屋さんの話のときに経営者の点が問題にな
つた。武田さんの手腕、力量あるいは人物とい
つたものについて金庫がいろいろ疑問をも
つておるということに
関連して、門屋さんと保利さんはもう遂に武田も行き詰ま
つた、だから
自分たちに一切をお願いするということを述べて、
自分たちが武田氏の足りないところは十分補
つて武田氏を押えていく、こういう
お話であ
つたのであります。そういうことになりますれば、一應われわれが心配していた経営の点につきましても、前とよほど樣子が変
つてくるわけであります。変
つてきた情勢について
根本的に問題になりますことは、保利さん、門屋さんが一体どういう人物であるかということになるわけであります。そこで私はそのことがあ
つてからすぐ後だ
つたと思いますが、
福岡の支店に電話をかけまして、門屋盛一さん、星野組というものはどういうものかということを聽いた
記憶があります。そのとき向うでたれが返事をしたか
はつきり
記憶しておりませんが、支店としては直接取引がありませんので、
はつきりしたことはわからない。
〔鍛冶
委員長代理退席、
委員長着席〕
しかし終戰前後を通じて非常にのした土建
業者で、
九州の土建
業者としてはかなり重きをなしておるようだ。資産の点についても相当のものがあるというふうに聞いておる。こういう返事であ
つた。それからその後偶然に
九州の長崎のある
炭鉱に
関係しております私の十年來の友人が上京しておりました。これが佐世保の親和銀行にもしよつちゆう取引がある。そこでこの人に門屋さんのことについて聽いたわけです。この私の友人も今支店が申しましたと同じような、あるいはそれ以上もつとつつこんで資産などの点についてはかなり持
つておるという話があ
つた。そこで私はこの門屋さんなる方はなかなか感情家で非常に激しい氣性の方だけれ
ども、一應資力はあり、われわれが一番氣にする悪評というものは大して聞かないというふうな漠然とした感じを受け取
つた。次に保利さんの問題につきましては、保利さんはか
つて新聞におられ、祕書官生活な
どもや
つておられた人で、現在復興
金融金庫の総務部長をや
つております鹿喰總一氏が前から眤懇であ
つた。そのことを後に知りましたが、そこで鹿喰君に保利さんのお人柄のことについて聽きました。鹿喰君は保利さんをある意味では非常に褒め、とにかく悪評は聞かない。
事業経営の点については若干
会社に
関係しておられましたが、これは未知数じやないかという
お話であ
つた。一應私としてはその程度で、できればもう少し調べなければならぬと思
つてお
つたのでありますが、今申し上げた四次船の
関係がありますためにそのままうつちや
つてあ
つた。私は
最初に門屋さんが北村さんの話をもち出されて、とにかく北村さんに聽いてくれ、保利さんのことも北村さんに聽いてくれと言われたように
記憶いたしました。そこで私は北村さんに機会があ
つたらこの話を聽いてみようと思
つてお
つたのでありますが、今申し上げたようにそもそものこの建造許可の問題がペイデイングにな
つておりましたので、早急に北村さんに聽かなければならないというふうなことではなか
つたように思います。その後八月の末ごろ、衆議院で財政
金融委員会が復金の増資問題について開かれた際に、委員会が済みましてから私
どもの
理事長やわれわれがあそこでいろいろな雜談をやりました。そのあとで立ち話で、私北村さんにこの問題をちよつと
お話申し上げた。門屋さんと保利さんがそのときにおられ、北村さんもむろん知
つておられて、そのことについて私北村さんの御
意見を卒直に伺
つたのです。北村さんはそれに対しまして、
自分はたしか十数年門屋氏と
はつき合
つておる、親和銀行の取引
関係もある。門屋氏が言
つておられる通り、親和銀行に迷惑をかけたことは一遍もない。それから氣性は非常に激しい点はあると思うけれ
ども、信頼できる人物である、
自分は彼を非常に信頼しておるということを
はつきりおつしやいました。それから保利さんについてもあの人はいい人だ、とにかく信頼できる人だということで、保利さんについてはあまり詳しい
お話を聞かなか
つたように
記憶いたしております。そういうふうに北村さんに伺
つて、まあ私としましては一應この人物の裏書を得たというふうな感じにな
つたわけであります。そのままで今申し上げたように、三次二次船のはめこみが実現いたしませんで、それから二箇月くらい
経過いたしまして、いよいよこれは何次船にはめこんだのか私
ども記憶が
はつきりいたしませんがとにかくこの許可を一遍下ろして、それが建造にな
つていないところへこの許可をこれへ振向けて、この漁船の建造許可が正式に下りましたのが十月の末ころだ
つたと思います。そこで金庫としましては農林省も、先ほど申上げたような経緯から非常な努力をされてはめこみをされたわけでありますが、そこで農業省の方からおそらく先に
お話があ
つたように思います。こういうふうに許可が出たんだから、ぜひあの問題を考えてもらいたい。そこへこれはずつと金庫との交渉は先ちよつと
お話申し上げました川西さんという重役の方がや
つておられたのです。この川西さんが私
どもの事務
当局へ來られて、いよいよ正式許可があ
つたので、この問題を考えてもらいたいということでありました。事務担当者がこの問題を私
ども部長席に持
つてきて、いよいよあれが許可にな
つたのですがどうしようかという相談があ
つたのです。そこで私
どもとしては、一應船の建造の状況がその後どうな
つておるか、それから資金
関係はどうな
つたか、門屋さんという人は非常に資力があるように聞いておるし、北村さんからも裏書があ
つたのでありますが、どういうふうに船に金を注込んであるかということを一應調べてみいくれと言
つたのであります。そこで私
どもの担当者は農林省にすぐ連絡して川南工業の建造状況、それから資金の状況などいろいろ伺
つたと思います。その辺のことは実はきよう此処へ参りますまでに、どういう話をしてどういうことを農林省から返事があ
つたというこまかいことまで復習する時間がありませんので、農林省へも何処へもまだ連絡しておりませんが、私の
記憶、係の者の
記憶は、農林省に連絡した結果、船はまだ四次船としてペンデイングにな
つてお
つたにも拘わらず、これは非常に確実性が高いということで相当建造を進めており、金もすでにその当時――この金額も
はつきり
記憶いたしておりませんが、すでにその当時で五百万円くらいと言
つたと思いますが、船にもうすでに住込んでおる。從
つて門屋氏がわれわれの所でかなり世俗な言葉で言えば大口をたたいたということも一應実績からすればうそでなか
つた。またそのことは私が
福岡の支店なり、私の友人なり、北村さんなりにいろいろ伺
つた門屋氏の性格なりその資産、信用の程度などを一應裏付けたものだ、こういうふうに私
どもとしては考えたわけであります。そこで当初われわれがこの件について否定的にな
つた理由の二つ、すなわち経営者の問題と資金の問題の二つが一應これで解決したことになるわけであります。経営の問題につきましては一抹の不安を感じないわけでは必ずしもなか
つた。と申しますのは、武田という人はもともとこの計画の立案者であり、
中心人物であるが、今度こういうふうになりましたことのために、武田さんは事務に下
つたわけであります。当然
社長たるべき人が金がなか
つたために専務に下
つたということで不満が出てきやしないかということが一つの心配。もう一つの心配は保利さん、門屋さんが武田さんをほんとうに押えて、良い仕事をや
つていくように仕向けることができるかどうかという点について若干懸念がないわけではなか
つた。しかし保利さん、門屋さんに私
ども三度ばかりお目にかかりましたし、それから川西という人は、これはかなり若い人でありますが、非常にしつかりした人で、この人とは非常にたびたび会
つていろいろ話をしたのでありますが、非常に信念も持
つており、この人は相当やる人だというように私
ども思いました。こういう
人たちがほんとうに一生懸命やろう、殊にこれは海外引揚者が構成員の大部分を占めており、漁撈技術の点からいたしますれば、たとえば南方でや
つた人々はあるいはこの以西底曳の仕事はすぐには熟練しないかも知れないけれ
ども、とにかく相当多年漁撈に経驗のある人が
中心にな
つてや
つているから、これならばやり得るのではないか。
話が長くなりますので端折
つたのでありますが、收支その他について当初いろいろ疑問があ
つた。たまたまこの問題をきめます前にマル公の改訂がありまして、この新
会社にな
つてから計画の一部変更をやりました。それはかつおまぐろの計画を切
つたのであります。かつおまぐろを切
つたということは、結局水産業に
関係しておられるお方は御
承知かと思いますが、
事業に安定性をもたせるということであります。かつおまぐろはわれわれとしては
最初から――こういう
会社がかつおまぐろを取上げることについては賛成していなか
つた。そのかつおまぐろを向うが自発的に切
つた。こういうふうないろいろな
関係から、收支の点につきましても当時としては年間二百万円前後だ
つたと思いますが、その償却全利益が出る。こういう見透しを立て在るに至
つたことからいたしまして、それまで問題であ
つた点は大体において解決を見た。そこでわれわれ金庫としてはこの融資を考えても差支えない、考えてよろしいという結論に達しました。この点について審査部の方に前からずつと否定的の結論が出たまま、融資の方でいろいろ折衝しておりましたが、その折衝の過程において審査部の担当者には何度も相談をし、また一緒に話も聽いたことがあるのであります。最後に審査部の部長、次長に相談して、こういうことでやろうと思うがどうだ。よかろう。というふうに、審査と融資の間に
意見の一致を見て、これは融資をすることにきめたわけであります。そのきめました日取は十一月の五日でございます。十一月五日に決裁になりまして、本件融資はおそらくその直後に実行した。こういう段取にな
つております。