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山縣證人 ただいまの、光海軍工廠には七万トンばかりあ
つたわけですが、そのうちの三万トンばかりはたしか
緊急搬出で搬出されたわけです。そのうちこの
日鉄の
兵器処理部は、五千トンばかり担当いたしました。これはたしか八幡へ持
つてい
つたのだろうと思います。それから残りました三万何千トンにつきましては、大体山口縣が当初から
——山口のモンロー主義といいますか、とに
かく山口縣の産業を開発するために、どうしても縣外へ出したくないという意向が非常に強くて、あの光の工廠内部のものを
受取りたいと、再三
現地の人が縣へ出頭してお願いしましたが、一向許可していただけない。その言分としましては、お前の方はあの光の中の在庫量を
調査してない。もつと精細に
調査しなければだめだというわけで、何回もおしかりを受けまして、一昨年でしたか、八幡から約二十人ばかり
調査隊を出して、光の内部の在庫量を寸法別に詳細に、約一箇月くらいかか
つて調べまして、在庫量を出した。そのときの在庫量が三万八千五百トンあ
つたのです。こういうふうに在庫があるからいただきたいということを申し出たわけです。これより先に、山口縣でそういうふうに國内で鉄を使
つて産業を起したいということで、あそこへ何か
工場を建てたいというわけで、縣の
調査課の方と、不二輸送機という
会社がありますが、そこの藤重という社長の方と
お話が合
つて、鉄鋼
工場と
伸鉄工場をつくりたいというわけで、
日鉄として一肌脱いでくれという話がありました。私の方はできることなら御遠慮したいと言
つたのですが、不二輸送機の藤重氏がやはり何もかも牛じりたいということで、あるいは横流しの心配な
ども多少考えられましたから、
伸鉄工場なら、
自分の方では今まで鉄を取扱
つていたのだからやれるけれ
ども、ほかのものはごめんこうむりたいというわけで、それでは
伸鉄工場をやろうということで、一應
伸鉄工場の案を立てたわけです。しかしこれは資金の問題、それから不二輸送機の社長の問題等でいろいろこんがらがりまして、とうとう実現に至りませんでした。そうこうするうちに去年の終りごろになりまして、やはり
公團へ引移らなければいけないというわけで、光の三万八千トンはそのままにな
つたような次第であります。