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竹中証人 日にちは覚えがありませんが、三月のことであります。私が
工業会へ出ておりますと、そこへ二人の代
護士が來られました。これは
自由党と
進歩党の代
護士で、
業界出身の人であります。この二人が來られて
政党に
援助を求められた。そういたしますと、後にそれと
あまり日を隔てずして
社会党の
方面からも同様の依聽があ
つた。そこで私としましては、当時の考え方を申しますと、
候補者が個々にいろいろ
献金を求めることは、どうもおもしろくない。また
政党といえどもある種の
援助を求めるのも当然である、
政党が健全な発達をしなければ
日本の再建も困難であるという
氣持もありましたから、私は副
会長の
宮長平作君、
東京支部長たる
戸田利兵衞君、それら
業界の巨頭としての
清水、その他二、三の方に御
相談を申し上げて、三大
政党から
政党に対する
援助を求められたが、これをいかにすべきかということを
相談いたしたのであります。
なおここで一言差しはさんでおきたいことは、先刻來
献金というお
言葉がありましたが、当利私の
氣持は
献金という考え方はありません。
政党を
援助するという考え方であります。近來新聞紙上にしきりに政治
献金と申しますが、もし政治
献金とおつしやるなら、私は否認をしたいと思うくらいであります。
政党の
援助する、
政党の健全なる発達を希うという
氣持でありますから、私は今後常に
政党援助という
言葉を用いますから、どうぞこれはひ
とつ御承認を願いたいと思います。そこでその席上では、
業界の出身者も議会にはすでに二十名も出ているから、ぜひそういう人々のためにも
有志が集ま
つてできるだけ
援助をしようじやないかということで、まず一同
異議がなか
つたのであります。從來は今申し上げるように、とかく個々の
援助はその間に非常に弊害が生じております。われわれ
政党の
援助はどこまでも明るく、いわゆる淨財をまとめて党へ寄附しようじやないかということも当時の
氣持でありました。個々の
献金はやらぬ、まとめて
政党へ
援助するということをきめたのであります。それでは大体どのくらい集めたらいいかということであ
つたので、これもいろいろ協議の結果、あまり多勢に願うこともできまい、殊にこういうことはむりにお願いもできないのだから、喜んで
援助する人から淨財を集めようじやないか、それには些細なこともできまいが、相なるべくは三、四百万円集めることに目標をおこうということにきめました。それから、かりにそれだけ集まるとすれば、それをどういうふうに配分すべきかというようなことも
相談いたしまして、大体自由、
進歩両党へは百五十万円ずつ、残りは
社会党へ寄附しよう、こういう申し合せをいたしました、それではひ
とつ篤志家を集めてそういうことをお願いしようということで、たしか三月の中旬ころと存じますが、竹葉へお集まり願
つて、当時十七、八人も集まりましたかと思います。集ま
つた席上、私は以上のような趣旨を
——全部は申しません。ただ
政党から
援助を求められたが、どうも個個で出すことは弊害があるから、今回はなるべく一つにまとめて、そうして
政党へ渡したいと思うから、どうぞ
皆さんもひ
とつ應分の御喜捨を願いたい、いずれ今後は、私は多忙で一々このことに関與できませんから、
鉄道工業の
飯田清太という人は非常な情熱家で努力家でありますので、この人に万事を任して、これが御
相談に
伺つて、取り集めその他に当らせるようにしたいと思うという話までいたしたのであります。その席上は、今も申し上げた数名の者が集ま
つて、金額をどうするとか、
政党へこれだけ寄附するなんということは申しません。大勢の席でありまするから、ただこういう趣旨でひ
とつ金を
皆さんから御喜捨を願いたいと思う、それも決してむりにお願いするわけではないから、篤志の方だけお出しを願いたい、こういうことを申したのみで、その席上は終
つたのです。そうしますと、その席に先刻
お話の
菅原通済君がおりまして、これは反対論を唱えました。これはいいことであるが、どうも
自分は賛成ができないということでした。理由はそのときには申しませんが、私の推測では先刻申し上げた先代の菅原恒覽という人が例の
鉄道省の問題で、ずいぶん長くなんぎをせられたのでありますから、この種の問題には関與したくないということであろうかと私は想像したんです。そういう反対論はあ
つた。その他にはどうも可否を言う人はほとんどありませんでした。むしろどうもわれわれは個々でそういう寄附をすることはめんどうでもあるし、むしろそういう方法でひ
とつこの際堂々と
政党へ
援助した方が結構であるというのが多数の方の説でありました。なお
菅原通済君はそのとき
飯田清太にそういうことをお命じになることは、
自分としては困るということでありました。これはちようどそのときに
鉄道工業の專務をいたしておりましたら反対をいたすとともに、そういうことを
飯田精太に命ずることは困るというような意見でありましたから、それは君別段会社として
飯田君が当るわけではなく、
飯田君個人がやるとすればいいではないか、
飯田君がとにかく平素から非常に奔走家であるから、これに御苦労願うことが一番都合がいいと思うからいいじやないかということで、それはそうですねと言
つて、菅原君はそれを承諾したようでありました。その日その席には一社一人ずつでありましたから、
飯田君は來ておりませんでした。つまり
会長たる
菅原通済君が來てお
つたのみであります。そこでその翌日であ
つたか翌々日であ
つたか、
飯田君に來てもらいました。まあ諸君が君が一番適任なりとして、こういうことをお願いしたというときに、初めて今申し上げた大体金額は三、四百万円、その集ま
つた金は、こういうように寄贈をしてもらう。要するに集金から党への寄附までも一切ひ
とつ君に任せるからや
つてほしいという依頼をいたしまして、本人もこれを快諾いたしました。爾來各社をまわ
つて集金をいたしまして、集まり次第それぞれの党へ寄贈をしたということにな
つております。この詳しいことはどうぞ
飯田君からお聽取りを願いたい。要するに日にちは
記憶いたしませんけれども、こんなようにそれぞれ寄附をいたしまして受取も持
つております。こういうような名刺に受取ようのものを、受領したとか何とかというようなものを示されましたが、私は深くそれを読みもいたしませんでした。大体党の幹事長にお渡しをしたということであるようであります。