○水野證人 その前に、ちようど私が二月中旬ころに同胞
協力会におりましたところが、終戰残存物資の
調査会の河野彌吉という人が來られまして、結局当時世耕さんが隠退藏物資処理
委員会の副
委員長に就任する、それで世耕後援会をつくるから二十万円を出してくれということを
理事長から私に話があ
つたわけです。ところがその以前に
東京都教育局に同胞
協力会の斡旋によ
つて拂込んだ七十八万円の処理もできず、またその次の中古作業衣が下りるということで四十万円拂込んだ処理もちようどできていなか
つた時なのです。それで、中古作業衣がないということにおいて非常に各農業会とか團体の人が
協力会に毎日押しかけてきておるような現状だ
つたのです、二月中旬ころは。その際に、世耕後援会をつくるからそれで穴埋をしたい、こういうことで二十万円の献金を言われたのですが、今までキヤラコ
問題及び中古作業衣の
問題で相当の出費を
自分はしてお
つたのですから、私の方としてはその二十万円は出せない。こう傳えましたところが、結局それじや同胞
協力会の方で出そうということにな
つて、二十万円が河野氏に
理事長から渡されました。それは世耕後援会をつくるという名目であ
つたように聞いております。その後二三日しましてから澁谷の雲仙閣で、世耕弘一さんと、私と、今の西山重道、小川美武彦、綿引
理事長、坂という会長と七人で宴会をや
つたわけです。私としてはもちろん、その前に話のあ
つた後援会のための宴会であり、二十万円は当然世耕さんに渡
つておると
考えてお
つたわけです。ところがその席上世耕さんは、結局今まで
政府としては、たとえば靴下を拂下げるにしても、一足六十五円で拂下をしたものが、巷間いつの間にか百五十円とか二百円とかい
つたような値段にな
つて、最終のほんとうにその靴下をはく人は非常な高い値段で買
つておるそういう状態であるから、今度は反対に高い値段で出せばまあ新円吸收策にもなる、とい
つたようななことを座談的に言われたわけです。その当時の会が結局厚生同胞
協力会を含んだ八名足らずの会でありましたし、当時内務政務次官をしておられた世耕さんが今後の退藏物資に対しては特に
協力をする、こういうことを言われたわけです。そうい
つたことが前にありましたので、私は挾間祐行という小説家を通じて、家曽根幾太郎、塩月参與官、藤川文六、その人たちにお会いして、結局同じようなことを言われたわけです。隠退藏物資処理
委員会ができるから、その方から出す、それについては、世耕さんも自由党であるし、塩月さんも自由党である。その上に辻嘉六という大御所がおるから、これを通じて自由党に献金をすることによ
つて退藏物資を拂下げる、結局辻嘉六さんは自由党であ
つて、世耕を内務政務次官にしたのは辻嘉六のためである。辻嘉六がそうせしめたのであ
つて、また塩月さんは今度の退藏物資処理
委員会の
委員に就任するだろう、そういう
関係で、要するに一着百円の割で献金をしてもらいたい、そうすれば自由党から感謝状と大野判睦さんの受領証がもらえることにな
つておる、ということにな
つて献金したのです。