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三木証人 辻君については、
世間からいろいろな観察がせられておるように聞き及びますが、私の
辻君に対する見方は、
辻君は非常に
政治の好きな人です。一口に言えば
政治の話を聽いたりしたりすることが何よりも樂しい。
ちようど書画骨董いじりする
老人が、人の顏さえ見れば書画や骨董の話をすると同じように、
政治の話をすることが非常にすきな人だと言える。それから
辻君の特長は、人の
世話をすることがすきな人です。俗にいう
世話ずき、頼まれないでも人のことをかれこれ心配してやるという非常な
世話ずき、
從つて頼まれれば、俗にいう越後から米つきにくる。頼まれないでもいろいろ心配する。
ちようど私のところへ贈
つてきたのを、私が無関心に五万円
受取つて使つたようなものです。頼みもしないのに不自由していないか、さびしかろうというのでぽんと五万円贈
つてくるというふうな人です。特に
金銭については非常に恬淡な男であるということは
世間一般の人は認識していることであ
つて、私がここであらためて申し上げるまでもないことだと思う。
そういつた人だから、
社会党の人が
辻君のところへいろいろな話をしに行けば、
社会党のこともあれこれと心配してやる。今の
政党でいえば、民主党の人が
行つて話をすれば、その話も聽いていろいろ心配してやる人で、
政党についても源平当時とたいして選ぶところがない。ただ私が
自由党の
シンパのような
存在だと
言つたのは、
自由党と
辻君は私交的に懇意な人が多か
つたという事実から、いきおい
世間から見れば、
自由党の
シンパに見えるような形に自然とな
つてきたにすぎないんです。
從つて辻君の力というものが
政党を左右する、
辻君一個の
考えで
政党が左右される、あるいは
政府の政策にまでも力が及ぶというようなことは事実においてはなか
つたであろうと思いますし、今後といえどもないと思う。しかしそれは
辻君が今までそういうことに力のすべてを注がなか
つたから、そういうことはなか
つた、また
將來もそういうことがなかろうと思うから、ないだろうと言うので、はたして一身を賭してまでやれば、できるかできないかと言えば、あるいはできるかもわからぬということも言い得られるかもしれません。これは人の力の問題であるから、できないと断言はできません。しかし少くとも今日まではそういうことはしておらぬ。また現在の
辻君の心境から想像して、
將來においても、そういうような
氣持はも
つておらない、
從つて結論としては、
政治の
地下運動、あるいは
地下政府をどうやろうとかいうことについては別に
考えはないのじやないか、始終つき合
つておりますから、そういうふうに
考えております。