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亀井証人 從來の同志各位が一貫せる繰志をも
つてこのたびの新憲法下において第一線に活躍せられておる点については、私は心からなる敬服と欣快を感ずる次第ではございますが、率直にこの際申し上げますならば、
社会党立党当時お招きを受けたのですが、参加をいたしませんでした。片山君とは
個人的には年來の同志ではありますが、重大なる二点について
意見を異にし、私がその
政治的操志を賣らざる限り、
社会党と公けには手を繋げない立場にあることは、あるいは御了承かと思うのであります。第一点は、
はつきり申し上げれば、滿州事変の処理についての
意見の違いであります。
第二点は議院
内閣制の民主主義
政治をも
つて日本の危局を乘り切れるかどうかということについて、今でも片山君とは見解を異にしております。率直に申せば一九二八年以後の世界不景氣は、通論として世界資本主義末期段階における不景氣だと私は解釈いたしております。それもアメリカ合衆國のようにきわめて広い國内市場をもつ國はあるいはニュー・ディールで乘り切れるかもしれません。あるいは
厖大な植民地をもち、発達せる資本主義、発達せる民主主義をもつところのイギリスにおいては議院
内閣制度の民主主義をも
つて乘り切れるかもしれません。しかし日本のごとく後進資本主義國、民主主義の発展の遅れている國が資本主義末期段階における不況のどん底に叩き落されたときには、この不況を乘り切る途は、必然的に社会主義か共産主義以外にないと信ずるのであります。從
つて各國においてこれをきらうものは、いわゆるフアシズムが出て國内に分裂を來している。從
つて率直に言えば、その当時日本の危局を救うためには日本資主義の延命策をするためには大陸に安定せる市場を與えることが至上だと信じたのであります。しかし
もとより侵畧することを私は賛成したのではなく、旧議場において
田中内閣のとき張作霖爆破事件について私みずからこれを糾彈いたしました。あるいは満州を軍部が勝手にするところの日満議定書について私が本議場においてその改訂を迫
つた速記録があります。平和的にいたしたいと思
つたのでありますが、地方的な
事情から満州独立となりましたので、この既成の事実の上に立
つて処理しようという考え、すまいという考えが一つの違いであります。
第二はこういう状態におきましては、どうしてもやはり人民、
國民が職場、住宅において組織をも
つて、その職能的民主主義を積み上げてい
つて、その上に人民と直結する行政民主主義をも
つて三権分立という恰好の民主主義形態にせんければならぬ。これがかかる後進資本主義國が一つの運命の線を轉落するときにおいての
政治的形態であらねばならないと思うのに、議院
内閣制度の民主主義のみをも
つてしてはいかぬ。こう考えまして、私はいわゆる
國民組織を提唱いたしたのでありまするが、それを官僚はしきりに專制の機構にしようとしたのであります。從
つて上意下達というのはけしからぬ。下意上達にしろという
言葉さえ使い方を嚴禁ぜられたのでありまするが、われわれはどこまでも下意上達、下情上通という
言葉ではまだるつこいというので、実は職能的な民主主義を進めて、それを行政民主主義に直結いたして、議会中心の民主主義の足らざるところを保完したいという素思が不幸にして微力破れまして、翼賛会の形態に相成
つたのでありますが、片山君等は議会中心民主主義だけで、この後進資本主義國の世界資本主義末期段階の不況が乘切れる、こう考えておられました点が違
つております。この二つが今でも実は私はさよう信じております。從いまして私は
政治につきまして古い友人は友人でございまするけれども、実は率直に申せば、まことにその御苦労を多といたしますけれども、まずその点において差控えたいという氣持をも
つておりました。
殊に私は最後に
一言申し上げまするならば、資本主義といい社会主義といい、共産主義は、少くとも第一次産業革命の技術基盤の上に立つものであると信じております。しかし第二次産業革命の技術が、原子爆彈というあの爆彈の形態でなくてくる場合において、その上に成立するものは資本主義が社会主義か共産主義かであるかというような見通しをもつ場合において、人類はここに一つの大きな思想の生誕、社会主義思想の生誕の前夜にあるのでないかという感じがいたしまするが、当面の目標を各
政治家の
活動にまつといたしましても、私どもは現在の
政治に対して実は友情としての感じはもちますけれども、熱情をも
つておりません。從
つてなるべく御交際を御遠慮申し上げる、こういう実は立場にならざるを得ない。以上。