○倉石證人 辻さんのおつしや
つておられることに対しまして、檢察廳に喚ばれましたときに私が述べていることが私の眞実でありまして、辻先生は顏は前から知
つておりましたけれども、挨拶をするようになりましたのは一昨年の九月ころだと
思つており
ます。私は牛込の二十騎町というところに戰前住んでお
つたのであり
ますが、そこが戰災で燒けました、その燒けた跡へバラツクを建て始めたのであり
ます。それで友人に鎌倉から通
つているのは不便だから、牛込の
自分の地所に今バラツクを建て初めておるのだて申しましたところが、それじや辻さんのすぐ近所だ、一遍挨拶に行
つたらどうだというような話で、それでは御近所に行くことだから連れて
行つてくれということで参りましたのが、一昨年の九月ごろだと
思つてい
ます。あのお宅に伺いましたのはそれからのことであり
ます。その点少し違
つておると思い
ます。その伺いましたときに、今はどういう事業をしておるかとお尋ねがありましたので、実は私は十年ばかり台湾で工場経営をしてお
つたのだが、終戰で百数十名の技術者と社員もぽつぽつ引揚げてくるので、今それらをも
つて事業の再遍成計画をや
つており
ますと申しましたところが、ついては
自分の友人で役所におる連中がいる、あなたのところは技術をも
つておるのだから、差当り賠償物資の梱包輸送というようなことは適当じやないか、ひとつ心配してあげようと言われたから、それはいいことだというので、
自分はそれをやろうとしてお
つた最中であり
ますと
お話しましてところが、
自分に別懇にしておる緑産業株式会社というところで一諸にそれをや
つてくれないか、という
お話が辻さんから出たのであり
ます。そこで私の店の
東京支店は丸の内ビルの四階にあ
つたのであり
ますが、ちようどそのころ進駐軍にそのビルと接続しておる丸の内ホテル、両方一緒に接收にな
つて立退きを命ぜられてお
つた矢先でありまして、これはいいと思
つたものであり
ますから、辻さんのおつしやるままに緑産業株式会社に私の
東京の店のスタツフを合流させまして、緑産業の社員にしました。そして私はそこの顧問ということになりましたが、そのときに初めて吉田という人に紹介されたわけであり
ます。それで取締役会長になりましたのは、初め顧問ということで、ぽつぽつと仕事を始めるには金融機関から運轉
資金を借出さなければならないというので、
自分の永年の取引銀行に、実は今度引揚げてきて技術者を集めてこういう仕事をやることにな
つたが、そのうちにぜひひとつ金融の面倒をみてもらいたいという申込をしましたところが、吉田さんという方はどういう方か知りませんが、今まで倉石さんと取引をしておるのであり
ますから、あなたが顧問というような
法律上の責任をおとりにならない地位では、ちよつと銀行でも困る。手形の割引のときに共同責任を負
つてもらうような地位でないと困るという
お話があ
つたものですから、そこで重役会を開きまして、私が取締役会長に就任したわけであり
ます。そのなり
まするときに辻さんのおつしやるには、
自分は緑産業株式会社といろいろ
関係があるのだから、いろいろな
関係方面の接待費などは会社に出させないでくれ、私の方から出し
ますというのがそのときの
お話でありまして、檢察廳でも私はその
通りに述べておるのであり
ます。そこで私は辻さんを信じまして、いろいろな接待費、それから梱包輸送組合というふうなものの会費だとか何だとかたくさんに交際費があり
ますけれども、私のもう
一つや
つており
ます違う会社の方から持出したり、
自分のポケツト・マネーを持出したりして、数十万円という金を出しておるのであり
ます。それで緑産業の方からも取締役会社としての報酬も上げなければいけないと言われましたけれども、辻さんからの話があ
つたものですから、その報酬も私は一文も取らずに働いてお
つたわけであり
ます。そこで昨年の三月ごろ、ぽつぽつ
選挙も始まりそうだというので、
自分もそうそうはやりきれないものであり
ますから、辻さんのところに伺
つたときに、大分会社に立替もあると申しましたところ、始後あなたに迷惑をかけているそうだが、このくらいでいいだろうか、というので十万円ずつ二回受取りました。それが眞相であり
ます。