○長谷川總理廳事務官
先ほどの御
質問中落しました点と併せて
お答えいたしたいと思います。租税を落したのはおかしいという御
意見であります。これは
先ほど申しましたように、所得税はいかに考えましても、理論的に採用が困難であろうと思うのであります。所得税を除きました租税が基準年度と現在と、どのくらい上
つておるかということ、これは個々の
農家について調べれば一番わかることですけれ
ども、これはなかなかできませんし、全体的に大藏省が扱
つている総収入と比較して見れば、百倍とかいうような数字は出ないというふうに思います。ところがこの租税を落したということは、それが百倍にな
つておるということを逆に意味しておることになるわけでありまして、これは決して私はごまかしを言
つておるわけではありませんで、理屈上そうなるのであります。
從つてこの落したのはけしからぬという、そのお氣持はよくわかるのでありますが、それはやはり
農家が現実に
支出しておるのですから、それを計算から落したのはおかしいという氣持はわかりますが、しかし落したら安く出るというふうには実際お考えにならないように、落したものが出てきた結果が、ことしのが何ぼ出るか。百と出れば落したものも百出たので、百倍上つたというふうに認められたとお考えにな
つていただけば、その点のお氣持は多少やわらぐのじやないかと思います。
それに関連いたしまして、土地建物等につきまして
委員長から
お話がありました。これも相当の
支出金額でありますので、
農民の氣持の上から言えば、これはやはり採用するのがいいとおもいますけれ
ども、しかし現実にわれわれのところに集ま
つております
資料は、全部購入費が集ま
つておるわけであります。それではその購入費と償却費を比較してみますと、これはいろいろ計算がありましよう。今
委員長がおつしやつたように、たとえば建物については三十年と見る。その三十年も十年前に建つた家と、現在建
つたのもありますし、その見方によ
つていろいろ違いますけれ
ども、常識的にこれは研究しましたが、私の方でやりますれば大体見透しが出ております。
農家の
支出金額の四分の一くらいの償却費じやないかという推定ができたのです。これはここだけの話でありますが、
関係方面でもこの点われわれが何とかしたいというので、勉強してくれまして、その方では七分の一という数字が出たのであります。
支出金額の七分の一くらいが償却費に該当すると見るのが適当であろう。それではその七分の一をとるか、四分の一をとるかということが議論にな
つたのであります。もう一つ困つたことは、建物の償却費を基準年次百円償却しておる。現在は千円償却する。この百倍の倍率をどうして算定するかということが、また実際問題として非常に困難であります。これは御
承知のように石炭だとかいろいろなる鉱工業品の査定にあたりましては、償却費は帳簿
價格によることにな
つておるわけなのであります。
從つてその取得
價格によりますから、非常に安い
價格で原價計算をやるという建前を今と
つております。これにはまたそれ自身非常にいろいろ問題がありますけれ
ども、一應
政府の建前は、償却費は取得
價格、帳簿
價格を基礎にしてやるという原則があります。その原則と今度は土地、建物あたりの償却費の見方をどういうふうにアジヤストするかというところに、第二の難点があるわけです。そういう二つの理由でいろいろ研究いたしました結果、結局とれない。とれないという結果がどうなるかと言えば、
先ほどもうしましたように今年の判定をもし百とすれば、百倍上つたということを認めたということになるわけであります。その意味から言えば、土地、建物あるいは租税を落したことが、むしろ結果的には高く出ると言
つても差支えないのではないかと思います。高く出る、安く出るという問題は、利害得失を抜きにしまして、私はただ理論的に申し上げておるわけでありますが、理論的には抜いた結果、それは高く出ておるということが言えるのではないか。ただ
先ほどからいろいろ
お話がありますように、
農家の皆さんのお氣持としては、これを外したということは、何のためにどこかへ宙ぶらりんのところに置いたかという氣持で、非常にそこが飽き足らないお氣持があるのではないかと思いますけれ
ども、そういうふうにひとつ御理解願いたいと思います。
それから雇傭労賃にうきましても
お話の通りでありまして、私もせめて今年は雇傭労賃をぜひ入れようじやないかというので、これもいろいろ
資料も集めあくまでも
関係方面にも
要求いたしまして、
関係方面でもいろいろ研究をしてもら
つたのでありますけれ
ども、基準年次の
農家戸数が何戸かあります。それから現在は
先ほど申した五百九十九戸、これが平均一戸あたり幾らという
支出は、割れば出ますけれ
ども、これで見たのでは必ずしも正しくないわけであります。まずそこに一つ難点があります。それから一つ非常に困ることは、
農家の雇傭労賃は、御
承知のように現物給與が非常にたくさんこの中にはい
つておりまして、作男が來ますれば食物は提供して足らぬところは金で拂う、こういうことになるわけで、現在でもそういうしきたりがあるのであります。そうしますと現物給與の金額を
いくらに見るか。これは
先ほど來
お話がありますやみ
價格で見るか、
公定價格で見るか、ここにもまた問題があるわけであります。そういうことをいろいろ理詰めで詰めて行きますと、これも結局とることは適当ではないじやないかということになるわけであります。それじやとらないという場合に、もう一つこういう問題があるわけです。
先ほどお話がありましたように、
経営費と家計費と二つにわかれております。とらない、全部除外するということが一つあります。除外しましたらば、除外したものは、出てくる結果の百倍なら百倍上つたということを意味するわけであります。その除外する一つ手前に、
経営費の
支出は、
経営費のウエートにぶつかけるという
方法があります。そうしますとその結果は
経営費の値上り、倍率だけ上つたということを意味することになるわけであります。
從つて雇傭労賃はどうしてもとれないのなら、
経営費のウエートにぶつかけるということも考えたのであります。しかしながらなるほど理論的には雇傭労賃は経営上の労賃でありますから、
経営費に入れるのがほんとうであります。ただしかしながら
経営費の方は入れた結果は
経営費の値上り率だけ雇傭労賃も上つたということを意味することになるわけであります。ところがそこまで考えますと、雇傭労賃を構成しておるものは何かと言いますと、これは主として飲
食費、家計費で構成されたものである。
從つてこれは実際的にはむしろ家計費の倍率で代表するのが適当じやないかという議論にな
つてまいりまして、結局それじやどつちにも議論があるのだから、これを落す。落した結果がどうなるかと申しますと、たびたび申しますように、最後が百になれば雇傭労賃は百倍基準年次には上つたということを認めて計算しているということになるわけであります。
それからやみ
價格の問題に関連いたしまして、特に
委員長からも、都会の労働者が実質
賃金の計算につきましては、やみの
價格をとに
かく計算をしてや
つているじやないか、こういう
お話であります。これはその通りであります。ただ、これは労賃の
生産費計算と申しますか、労賃の一つの
生産費計算であるわけであります。労賃の
生産費の中に、今の都会の非常に窮迫したる状況に應じてどうしてもやみを買うものがある、それを全然無視するわけにもいかんというので、労賃についてはそのことが
補助的に考えられているわけであると思うわけです。ところで、
パリテイ計算は
生産費計算ではないのであります。いわゆる均衡計算であります。すなわち鉱工業品の値上り倍率と農産物の
價格を上げようという、ただそれだけの意味をも
つているにすぎないのであります。ここに強いて理屈をつければ、この鉱工業品を
生産される一つのフアクターに労賃というものがあるわけです。この労賃に御
指摘のように、もしやみがはい
つているものであるならば、これで積み重ねて鉱工業品の
價格ができているわけです。それと釣合がとれている
米價というものができるのでありますから、だからまあ
米價にもそういうことがあるということが強いて言えば言えるだろう。そういうことも言えるわけです。しからば、実質的にはどうかという問題があるわけです。すると、
パリテイ計算は石当り三千円なら三千円とすると、從來
農林省も
政府として
生産費計算ということをや
つておつた、
生産費計算は種もみ代とか労賃とか、いろいろな
支出金額をずつと入れて、積み上げて一石当りの
生産費をきめておつた、こんど
パリテイ計算で出てくる、一つのほんの仮定でありますが、三千円なら三千円という
米價がきまつたといたしますと、これをあてはめて、こんど逆にこの
生産費計算を分解してみる
方法ができると思います。すると、そのときに種もみ代が
いくら、小作料が
いくら、租税公課が
いくら、こういうものが計算上出てきますから、それを落しますと、残つたものは労賃ということになる。だから、そのときに出てきた労賃が
いくらかということを、逆に反証といいますか、逆に一遍試驗的にそういうものを計算してみる
方法があろうと思う。その計算したところのその労賃と、今ここでわれわれが問題にしている都会のやみ
賃金を入れた労賃と、その高さがどうなるかということにな
つてきて、初めてその問題が解決されるのではないか。そこで、われわれは去年の
米價についても一應そういうことを考えたのでありますが、比較いたしますと、何と言いましても、
農家の
農村地帶にある者は
野菜とか魚——魚は別でありますが、農産物は自給の部分が非常に多いのでありますから、結局計算上やみ部門というものがあまり多く見れないと思うのであります。
從つて、私は
先ほどの都会の労働者の実質
賃金にやみ
價格を見てお
つて、
米價にやみを見ないのはおかしいということにつきましては、即座にそれであるからこうだというふうには言えないのではないかというような、まあこれは私の私見でありますが……。