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坂東委員長 休憩前に引続いて
会議を開きます。
日程に入るに先だちまして
報告事項があります。それは
浜松騒擾事件につきまして、過日
委員派遣を請求いたしましたところ、当時は都合により留保と
なつておりましたけれども、わが
委員会はこれを十分知る必要がありますので、
坂東委員長、
門司理事、
千賀委員の三人が出張して
調べました。その
調査に崎川
書記が一緒に参
つておりましたから、崎川
書記より代
つて報告の
朗読をいたさせます。
〔
書記朗読〕
浜松事件の
調査報告をいたします。
終戰後の顯著な動向として
敗戰の結果、いわば
國家全体が
一つのわくの中に置かれ、さらに
民主化の進行とともに
國家の
統制力が弱まり、かくて
國家による
法的統制の裏側を一行く
諸集團すなはち
テキヤ博徒團体、
不良青少年團等々の
横行跋扈を見るに至つたことは
周知の
通りであります。しかしてその
集約的事例が先般
浜松に発生せる日鮮人間の
騒擾事件でありまして、
浜松事件は、一部
日本人対一部
朝鮮人の單純なる私闘にあらずして、
日本の
社会秩序を正しく健全に組み立て直す上において、その根本にかかわる重大問題であります。さらに、本
騒擾事件は
警察法施行後における大規模な
集団闘争事犯として
國家、
自治両
警察間の
連絡共助その他両
警察の運用上幾多の課題と貴重な示唆を與えられるところ多かりしものであります。
ここに、本
委員会は、事の
重大性に基き、
調査團派遣の
決議をなしたのであります、
坂東委員長、
門司理事、
千賀委員は崎川
書記を帶同し二十日現地に到着、翌二十一日午前、午後にわたり、新
警察法の運営状況を
中心として詳細なる
調査を試みました。二十日は簡單なる予備的懇談に終り、二十一日は午前から午後二時にかけて坂田
濱松市長、市公安
委員長廣田氏ほか公安委員、齋藤
浜松市
警察署長ほか
関係各位十五名と隔意なき懇談を遂げ、同二時半、要請により
調査團は在日
朝鮮人連盟静岡縣本部
委員長李季白氏ほか二名と会見し続いて元小野組々長縣議小野近義氏ほか一名と会見し事情を聽取しました。さらに在
浜松新聞記者團の要望に基き、縣加藤
警察長をまじえ、本
事件に対する記者各團位の忌憚なき所見を聽取しました。
さて以上の
調査を通じて得られた
事件の外貌並びに
警察措置は次のごとくであります。
事件発生の原因でありますが、まず遠因について述べますと、かねてより
浜松市内においては、いわゆる暴力團と目さるる元小野組に対し一部
朝鮮人の勢力、急激に増加し、相対立していた模様で、その間にあ
つて元小野組親分小野近義氏は、数回にわたり
朝鮮人対
日本人のけんかの仲裁をなしたが、これが結果はいずれも
朝鮮人側の不満を買
つておりました。また
一般市民においては、
終戰後とみに激増せる一部
朝鮮人の横暴に対しては、恐怖の念を抱く者、あるいは復讐の念を企つる者があり、結局両者の勢力争いに基因して本
事件は惹起したものと認められます。
近因といたしましては、四月四日
朝鮮人主催により開催したダンス・パテイに、元小野組子分たりし楽土が欠勤し、ためにパーテイは流会のやむなきに至つたのでありますが、
朝鮮人側はこれを小野組親分小野近義氏の妨害によるものと誤解し、激興の結果、同日午後五時ごろ市内鍛冶町百四十一番地小野興業社社長縣議小野近義氏方に
朝鮮人新村隆夫外数名が乱入し、同店舗ウインド・ガラスその他家屋内器物を損壊するの暴挙により本
事件が発生したもであります。
事件の概要は、第一回、当日四月四日、前記小野方を引き揚げた
朝鮮人側は、
浜松市旭町國際マーケツト(責任者 呉判述)附近に集結し、午後十時ごろ同市大工町元小野組輩下香具師本宮末吉方へ
朝鮮人金彰石ほか六名が拳銃を擬して、乱入、同家及びその器物を破壊するに至り、小野組子分も猟銃をも
つてこれに対抗し、双方次第に人員を増進し、遂におのおの約五十名くらいが市内田町、鍛冶町、傳馬町の各
中心街において相互に発砲乱闘するに至つたものであります。この
事件において、
朝鮮人側は一名の被害者を出しております。
第二回目は、第一回乱闘
事件は
警察官の出動により四月四日午後十時四十五分ごろ一應鎮静に帰したのでありますが、翌五日午後五時ごろ、双方とも各地より應援者來浜し、再び不穏の
状態に立ち至り、午後七時二十分ごろ、
朝鮮人側数名が小野近義氏方に至り拳銃を発射したため、これを契機に双方おのおの約二百名くらいが同市内千歳町、旭町、鍛冶町、田町その他市内
中心街各所において発砲撃ち合いをなすとともに、建造物、器物等を破壊するに至つたのであります。
これに対する
警察措置について申し上げますと、第一回、所轄
濱松市警察署においては第一回四月四日夜の
事件発生と同時に甲号非常召集を発令し、全署員を召集し、浜名地区
警察署に應援を要請し、武装
警察官五十名を乱闘現場に急派して拳銃の威嚇発射により
事件の鎮圧につとめたのであります。午後十時四十分ごろ一應鎮静せしめることを得たのでありますが、同夜は暗夜のため被疑者はいずれも逃走し一名も逮補するに至りませんでした。該
事件の銀座及び搜査に出動した
警察官は、
浜松市
警察署員百六十名、浜名地区
警察署長三十五名であります。
浜松市
警察署においては、状況なお險惡化を慮り、
朝鮮人連盟
浜松支部
委員長李季白及び元小野組責任者に対し警告を発し、かつ嚴重警戒に努めました。
第二回。翌五日午後五時ごろに至り
沼津、熱海、名古屋、豊橋その他各地より双方來援者の集結されつつあるとの情報を得て、再び險惡化したため、
濱松市警察署においては全署員を召集し、各要所に急派して拳銃その他戎凶器の檢問を開始するとともに、警戒員及び情報收集係を各所に派遣中、再び発砲による乱闘が開始されるに至つたであります。
浜松警察署においてはさらに浜名地区
警察署に対し、應援方を要請し、これが鎮圧と檢挙に努めた結果、午後十一時三十分ごろに至りようやく鎮静したが、同日より翌六日早朝までの間に六名の容疑表を檢挙いたしました。
該
事件の鎮圧及び搜査に出動した
警察官は、
濱松市警察署百六十名、浜名地区
警察署三十五名、縣加藤
警察長及び縣本部人事装備、搜査、警備各課は、
事件の
重大性に鑑み、六日午前二時ごろ
濱松市警察署に至り、
浜松市公安
委員会及び
濱松市警察署長、浜名地区
警察署長等とともにこれが対策を緊急協議の結果、警備
警察官應援派遣計画を樹立するとともに、警備取締本部を
設置し、
國家地方
警察静岡縣各課を初め、各署より同日午後一時ごろ百十名の
警察官の派遣をなし、合計約三百名の
警察官をも
つて嚴重なる警戒取締りと家宅搜査実施の結果、漸次平静に復帰するに至つたものであります。
この
事件に対し連合軍部隊が出動しております、六日午後九時二十分には岐阜二十四連隊カーナー少佐以下百七十二名が來浜、警戒に当りましてたが、事態平穏と
なつたので、一部三十五名を残して帰隊いたしました。さて本
事件の発端より終末に至るまでの過程を観察して見まするに、左記の諸点に対する反省と考慮が必要と
考えられるのであります。
その第一といたしまし、新
警察制度の実施に伴い通報連絡並びに應援要求において
自治体相互間に援助要求をなし得る法的の根拠なきため、幾多の困難が発生したこと。
第二に、
警察がこの種暴力團、不良徒輩の取締りに対し、十分なる執行力をもち得なかつたこと。そのよ
つて來るゆえんとしては、
警察力が貧困であり、武装化せる暴徒の集團を鎮圧するに足る人と武器その他機動力を有しなかつたこと。
なお参考までに申し上げますと、静岡縣におきましては
國家警察十四、
自治体警察六十一、計七十五の小
警察署にわかれておりまして、一署平均
警察官は三十数人であります。
國家地方
警察は、総員七百四十四名で、縣下十四の
警察及び本部に分散しておりまして
警察力の急速なる統合が非常に困難な
状態におかれております。なお武器について申し上げますと、拳銃は四百十二挺でありまして、大体六人に対し一挺の
割合でありますけれども、これはただいま申し上げました七十五の
警察署に分散しております。
從つて、この
事件に対し必要なる武器を僅少なる時間に整備いたしますことは非常に困難な
状態にあります。次に静岡縣における拂下げジープはどうかと言へば十台でありまして、
浜松市には
國家地方
警察浜名地区に一台あるだけであります。
第三に、
警察官の新
警察法に対する理解の不足に基く取締りに対する消極性。第四に、國民の新
警察法に対する認識の不足による
警察への非協力、第五に、
朝鮮人の取締りに際しては、
日本の裁判権行使がなし得るにもかかわらず、いわゆる第三國人視してその執行に適切を欠いたこと。第六に、
警察官の執行力の弱体化については待遇その他の問題がありますが、地方財政法の
施行が遅れているため、すべてのことが臨時的措置たらざるを得ないこと第七に、樺山警備部長の言に反し公安
委員会は五日午前九時開会していること。第八に、都道府縣としての非常事態宣言の
規定を要望する陳情があつたこと。以上の諸点であります。
報告を終ります。
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