○
栗原公述人 與えられた問題につきまして
簡單に
意見を申し述べたいと存じます。まず第一の
所得税の
控除の問題でありますが、このたびの
所得税の
改正は、
基礎控除の
引上げ、
扶養控除の
引上げ、それから
税率の引下げ、これがおもなる問題だと思うのであります。そこでこの
控除の点を見ますと、大体現行法の三倍
程度の
控除率の
引上げにな
つておるのであります。現行法で申しますと、
基礎控除は四千八百円ですが、これが一万五千円、三倍であります。なおこのほかに
基礎控除の
緩和規定といたしまして、同居親族の中に事業
所得と
給與所得または退職
所得があります場合には、おのおのから
基礎控除をする、これがはい
つてまいりました。それから
扶養控除におきましては、現行は
税金におきまして四百八十円でありますが、これが千八百円、三倍七割であります。
勤労控除につきましては、
控除率は二五%という据置であります。ただその適用範囲が、從來五万円でありましたものが十五万円まで、つまり
最高一万二千五百円でありましたものが三万七千五百円、これがちようど三倍にな
つておるわけであります。こういうことがはたして適当であるかということが問題であるのでありますが、この
基礎控除のやり方というものは、沿革的に見ますと、実際
財政の
事情あるいは社会情勢というものによりまして、非常に妥協的にできておるように私は思うのであります。
理論的に
基礎控除というものはこうなければならぬというような事柄、あるいはそういう目的に向
つて進んでいるということが非常に乏しいと私は思います。
基礎控除は一應は最低生活費の
控除である。あるいは
扶養控除は被扶養者の生活費の一部を
控除するのである。また
勤労所得になりますと、
勤労所得税というものは非常に惡税であるから、
勤労所得に対して
課税すべからずというような
議論もありますけれども、これらもただ
勤労所得というものの
負担軽減の手段として用いられているにすぎないのではないかと思うのであります。こういう問題につきましては、基本的に考えて、合理的にそれを
基礎ずけていくということが、これからいくべき途ではないかと思うのであります。さようにいたしますと、この
改正案に出ておりますいろいろの
控除というものは、満足すべき
状態ではない、かように私は考えるのであります。しかしながらこの問題は非常にむつかしいのでありまして、ただいま申しましたように、
財政需要の
関係もございますし、また社会的の情勢と申しますか、
一般的の感覚に基いて判断せらるべき部分が相当多いのでありまして、
基礎控除ばかりで解決し得る問題、あるいは
基礎控除だけでも
つて解決することが適切であるかどうかということはよほど問題であると思うのです。しかし今回の
税法の
改正におきまして、また
將來におきましてそういう方角に進んでいかなければならぬ、そういう目的を実現するような方角に進んでいかなければならぬと存ずるのであります。基本的なかつ合理的な根拠を與えなければいかぬ、かように存じております。現行法の
控除率というものはそういう認識は明確にな
つておりません。
從つて一定の目標に向
つて進むという努力が盡されておりません、
一般的に
負担を
軽減する方式として採用されておる、これが実情であります。これは各國の立法例におきましてもそうでありまして、
基礎控除は必ずしも最低生活費で押えておるということには進んでおらないように私は考えるのであります。
勤労所得はこの
控除の中でいささか趣きを異にいたしますので、もう少し申し上げてみたいと存じますが、御
承知のように、ただいまの
改正前の
税法、これは分類
所得税がありまして、この分類
所得税をかけるときに資産
所得、事業
所得、
勤労所得というように大体
三つの区別をいたしまして、この
所得の種類の間には担税力の強弱がある。担税力において差等があるというふうに考えました。
從つてこれの
控除率あるいは
免税点というものも、この
三つの間には差等を設けてお
つたのであります。
税率につきましても差等を設けてお
つたのであります。その差等を申し上げますと、資産
所得すなわち不動産
所得、甲種配当利子
所得でありますが、これは
免税点が三百円、甲種配当利子
所得の
免税点はないのであります。それから事業
所得は勤労と資産との合同
所得と称されておるのでありますが、甲種及び乙種事業
所得におきまして、
控除率は千二百円、それから純然たる
勤労所得である甲種
勤労所得の
控除額は二千四百円、こういうことにな
つておりました。この差等は
勤労所得を
標準としますと、不動産
所得の八倍にな
つております。事業
所得の二倍、こういう間差がはたしていいか惡いかということは、よほど研究を要する問題でありまして、どうしてもこれは科学的な研究に立脚しなければならぬと存じまするが、今日は
勤労所得だけが残
つておるのであります。この分類
所得税におきましてなお
税率に差等を設けております。すなわち不動産
所得及び配当利子
所得におきましては百分の三十という一番高いものをつけまして、その中間である事業
所得について百分の二十五、
勤労所得につきましては百分の二十、つまり百分の五ずつの間差をつけておるのであります。現行法は御
承知のように分類
所得税を廃しまして、綜合
所得税一本になりましたために、これらの差等を廃したのでありますが、
勤労所得税だけを残してお
つたのであります。それは初め百分の二十でありましたが、百分の二十五に
なつた。今度の
改正税法におきましては百分の二十五というものが据置きであるということにな
つておるのでありますが、
勤労所得税の百分の二十五が適切であるかどうかということにつきましては、相当いろいろの研究がされておるようであります。たとえて申しますと、労働力を
資本化するというような考え方で、利子から換算して勤労の
價値を見出して比較していくとい
つたようなやり方を考えるのもあるのでありますが、これはなかなかむつかしい問題で、結局
財政需要と社会上の感じと申しますか、感覚で腰だめ的にきめられておるようであります。これはぜひ檢討を加えてもう少し根拠のあるものにしていかなければならぬ。しかしてその根拠を十分に見出したならば、その方向に向
つて徹底的に考えていかなければならぬと存ずるのであります。今日の
改正案につきまして、ただいま申しましたように、現行法の三倍
程度という
引上げをや
つておるのであります。これがよいか惡いかということは、要するに現行法のそういうきめ方がいいか惡いかということから出発しなければならぬのでありますが、これは物價指数、生活費指数などから見ますと、少くとも
昭和二十三
年度の実質
所得におきまして、大体現行法と大差ないものに落着くのではないかと思うのであります。かりに
昭和二十二年の四月と
昭和二十三年の四月を比較して見るのであります。これは実際はもう少し廣い幅のところで見なければいかぬと思いますが、二十三
年度の指数を推定するということは非常に困難でありますから、一應四月という、非常に不完全でありますけれども、と
つたところで比較をいたしてみますと、消費者の物價指数におきまして約二・三倍の上昇率を示しております。また東京の実際物價指数を見ますると、これはやや下りまして一・七倍というところであります。それからいわゆる
理論生活費というものが
計算されておるのでありますが、この
理論生活費という
計算によりますと三・四倍、まず平均におきまして二倍ないし三倍の上昇があると認められるのであります。從いましてこの
改正案によりまする三倍の
引上げというものは、実質的に見て現行の
控除率と大体据置き、あるいはいくらか余裕がある
程度であるということであろうかと思うのであります。でありますから、それ自体を見て現行法の
基礎控除が一應是認されるものといたしますならば、
改正法によりまするものは大体その辺に落着くと考えます。ただ今後の
税法の
改正には、非常に大幅の
税率の引下げが行われておるのでありまして、つまり独身者にあらざる扶養家族をも
つた勤労所得者に対しましては、実際
負担額は可なり
軽減されておるのであります。これは具体的に申すと非常にくどくどしくなりますが、この
三つの
控除額をも
つて勤労所得についてみますと、月收四千五百円というところまでが、大体税がないということになりまして、現行は千三百円までが無税でありましたが、それに比べますと三・七倍というところまでは税がなく
なつた。月收五千円のところをと
つてみますと、これが百円あたり一円八十二銭でありまして、現行の二十円二銭に比べますと、九%くらいに当る。一万円のところをとりましても、現行
負担の三割二分
程度に減るのであります。でありますから
基礎控除と
税率の引下げということを合せ考えますると、相当
軽減にな
つておるのであります。要するにこの問題は基本的にかつ合理的に檢討する必要があると考える、そういう考えをもてば不十分である。しかしながら現行法を一應生かして考えるということであれば、
改正税法というものは大体この辺で妥当ではないか、かような
結論を得ておるわけであります。
私はこれでこの問題は済みますが、ちよつとついでをもちまして
所得税の
軽減ということについて申し上げてみたいと思います。アメリカでも税を
軽減するという問題につきましては、相当大きな問題としていろいろな経緯をたど
つて落着いたようでありますが、わが國におきまして減税をするということは、非常に大きな問題であると思うのであります。しかしこれは何としても
所得税の行詰りということからくるのでありまして、税
負担というものが
國民所得に対して、
割合が
英米その他に比較して非常に安いということは、統計上は出ておりますけれども、しかしながら
所得税が非常に重くて、これは行詰
つて、そのために
軽減をしたということが税は実体ではないかと思うのであります。
ところでこの
地方税の問題というのは、最近におきましては非常に大きな問題にな
つてまいりました。これは地方の自治体の自治制を尊重する、そのために独立の財源をもたなければならぬということからいたしまして、非常に
地方税が重大にな
つてまいりました。今度の地方
財政の
改正の方向を新聞などで拜見いたしておるのでありますが、この
改正等によりましては、まだ
中央地方を通ずる
税制の整備は、私は不十分ではないかと思うのであります。のみならずせつかくできた
所得税の
軽減というような大きな問題を解決しても、
地方税におきましてこれを撹乱されるというようなことがありますと、問題であると私は思うのであります。この点につきまして
中央地方を通ずる
租税の徴税をはかるなどの、何らかの法制上の措置をとるということが、
一つの問題ではないかと思うのでありまして、附け加えて申し上げておきたいと思います。
それから
取引高税の問題であります。これも先ほど來からたびたび皆様から御
意見が出ておりますが、私の
意見もあまり変
つたところはないのでありますが、ごく
簡單に申し上げますけれども、大体
一般取引税というものは各國の
租税制度の沿革から見ますと、すでに御
承知のように、大体において
財政救済のために創設されたのではないかと思うのであります。第一次世界大戰の
財政需要の大きく
なつたときに、欧州各國で創設されたのでありますが、この
財政救済というのは本税創設の理由でもあり、大体それがこの税の
價値でもあ
つた、こういうふうに考えられるのであります。でありますから、今日
取引高税の是非を論ずるという場合にも、その國の
財政状況と
租税全般との
関連において考えるほかないのじやないかと私は思うのであります。この窮迫した
國家財政におきましても、新税を創設するということになりますと、それは
財政需要を確保するということが最も主な点でありまして、しかも
財政收支の均衡を得せしむるということは、これは
財政の大
前提にな
つておるのであります。そうしますと落着くところは、現行の
租税でこれ以上の増税はできるか。これ以上というのは非常に大幅の増税ができるか。第二は
歳出の節約ができるかということの、非常に狹い範囲に
議論が追込まれてくるわけであります。現行の
税制による大幅の
歳入を得るということが困難であることは申すまでもないことでありまして、わが國の
租税收入は御
承知のように、
所得税と酒、タバコ、この
三つが主なものであります。
所得税はただいま申しまする
ごとく、行詰
つて減税をしなければならぬという反対の方向をとる。酒とタバコは今度も上りますが、あれも大体行詰りであると思うのであります。そうしますと、ただ
國民所得は
名目的に増大していく。それによ
つて名目的の増收が得られるというだけでありまして、非常に大きな
收入を期待することができないと私は思います。そうしますと、
財政を節減できるか、
歳出の節減ができるか、これは私は問題になると実は考えております。
國家の
財政が
國民経済の上に立
つている以上は、
財政の規模が
國民経済の上に適應しなければならぬということは申すまでもないことでありまして、なかんずく
國民の
租税の
負担が、今日限界に到達しているというような現状におきましては、どうしても
國家財政を
國民経済のわくの中に圧縮するということを考えていかなければならぬのではないかと思うのであります。これもまことに当然のことでありまして、敗戰
國民としては重税に甘んずるということはやむを得ないけれども、しかしながらやはりこれもおのずから限度がある。この限度を越えていくことは私はできないと思うのであります。そして今
年度の
財政のことを考えてみますと、
租税收入はただいま申しましたように、
控除額の
引上げ、
税率の大幅の引下げによ
つて大体七百億くらいの
減收がある、ということにな
つているのであります。しかしやはりこの
所得税の
收入見積りが八割八分の増税にな
つているが、これはもちろん
物價騰貴あるいは給料の増加によ
つて生ずる増加でありますけれども、しかし相当の私は増收見込であると考えるのであります。
專賣益金を含んだ
收入におきましては、九割一分の増收にな
つているのであります。
國民所得は六割二分の増加ということ、これは
政府の
國民所得の
計算によるとそういうことになります。でありますから当然に
國税負担額の
國民所得に対する
割合というものは上昇してまいるのであります。昨年の一六・一%というものが一八・九%になり、
地方税というものが飛躍的に増加いたしまして、これが一・六四倍という増加を示しておるのでありますが、この
國税地方税を通じますと、
國民所得に対する比率は昨年は一八・二%、本年は二二・二%、こういうふうに増加してまい
つておるのであります。ただ予算総額を
國民所得にみますと、前年は一八%、今年は二一%で、いくらか上
つておりますけれども、そうひどい上り方であるということにも考えられない節もあるのであります。要するに
國民所得の増加による自然増收よりも
國民負担が重くな
つておるのではないかと私は思うのであります。そして重く
なつた部分というものはどこへ移動していくかと申しますと、直接税から
間接税の方に移動していく。つまり昨
年度は直接税が四八・九であり、間税が四六・七であ
つたのが、本
年度におきましては直接税が四〇・一%で、間税が四七・一%、つまり減税もし相当の処置も講じておるにかかわらず、
國民所得というものに対する税の
負担の
割合というものが増加していく。それが間税の方に移行していくというかつこうが出ておるのです。かように考えますと、やはり
歳出を減してもらいたいと私は思うのであります。この問題は
財政救済税であると先ほど申しましたが、どうしても
歳出は節約できない、こういう
議論を一應是認しなければこの問題は始まらないわけであります。
歳出増加に伴いまして
歳入補填をするという
意味におきまして新税を創設することが必要であるとして、どういう新税を創設することが
價値があるか、こう申しますと、今日の
財政の
状態で申しますと、まず第一に非常に巨額な税收をあげることが必要である。第二が安定性をも
つた税でなければいかぬ。かつそれが物價に比例して彈力性がなければならぬ。それから第三は納税の
手続並びに経費が少くなければならぬ。こういう
條件がなければならぬと思うのであります。でありますから
理論上はいい税であるとい
つても、
税收入が少いということであれば、この際として私は
價値が少いと思う。また一時限りの税收ということもこの際としては好ましくない。かかる安定性があ
つて、同時に物價の
変動に適應したところの彈力性があるということが必要であると思うのであります。こういうふうに考えてみますと、やはり
取引高税のようなものがこの資格
條件を備えておる。こういう
理論に結局追込まれるとい
つたことではないかと思うのであります。
取引高税は申し上げるまでもなく、いろいろな
欠点があるのでありますが、そのうち一番大きいのは
大衆課税になるという点であります。これは中小商工業者を圧迫すると同時に、消費者に轉嫁の
関係がなかなか困難になり、また微妙な点がありまして、大衆の
負担になるか、中小商工業者を圧迫するかという非常にデリケートな問題が現われてくると思います。もう
一つどうかと思われる点は、
所得税の代り財源だという考えからいたしますと、
所得税の
軽減による
利益を受けなか
つた者に対しまして
取引高税の
負担を課するという事態が生じてまいりまして、下級の
勤労所得者等に対しては、そういう点がよくない結果を來すのではなかろうかと思います。それから
取引の各段階に
課税するということは、結局高率
課税になるということも考えられるのであります。それから非常に大きな問題と思いますのは、流通過程の円滑を欠くことであります。また脱税を誘発して正業者が圧迫されるということもあろうかと思います。しからばそういう
欠点をやめる手段として、各段階に
課税することをやめたらどうか。あるいはアメリカなどにありますように小賣税にしたらどうか。フランスのようにこれを生産税にしたらどうか。いろいろ考え方はあるわけでありますが、そうしますと
税收入は減りまして、このむずかしい税を起す
價値というものが非常に乏しくなる結果になるのではないかと思うのであります。
かように考えますと、現下の
財政状況というものが
歳出が節減でき、それよ
つて收支の均衡が得られるということでありますならば、これは創設しないが一番いいと私は思う。しかしそれができない。これが問題のわかれ目で、しかも政治的の
意味が非常に多いのだろうと私は思うのでありますが、万やむを得ず新税を起すということであれば、これは新税を起すだけの
價値がなければならぬのでありますから、そういう
價値をも
つた税金は
取引高税のようなものよりほかないのではないか。かように追込まれたようなはなはだ不満足な
結論になると私は思うのであります。
最後に、この税を実行する場合におきましては、この
課税の品目においても、できるならばなるべく生活必需品には
課税しないようにしたいという点、それから
將來税率を
引上げないという何か特殊の考慮をめぐらせないかという点であります。特別措置の税にいたしましても、一旦実施されますとなかなかやめられないばかりでなく、むしろ手軽に増加されるということが非常に多いのでありますが、この
取引高税にしましても、百分の一の軽い
税率である。軽い
税率であるからまずがまんのしどころではないかという
議論が、かなり強い
意味において了解されているのではないかと私は思うのであります。しかしこれが
財政上の必要から、百分の二になり百分の三になるという
危險性が非常に多いのであります。タバコとか酒で実例をすぐ了解できることと存ずるのでありますが、こういうことについてもできるならば何らか特別の考慮をする
方法を考えてしかるべきであると考えるのであります。各國のそういう
制度を見ましても、非常税として第一次の世界大戰後に生れた賣上税なり、あるいは小賣税なり、生産税なりというものがやはりずつと続けられてきております。非常に惡い
税率であると言いながら、
租税歳入の面から非常に重要な地位を占めておるのでありまして、アメリカでも徴税額に対して一割以上の税が集まる。ドイツ、フランスにおきましても二割ないし二割五分
程度の税收が上
つておるということでありまして、今日では拔き差しならぬ税にな
つておるのであります。これは今日約束すると言
つたところでできない仕事でありますけれども、何らかそういう考えのもとに措置を講ずる必要があるのではないかと思うのであります。
それから税の運用の問題になるのでありますが、今
年度におきまして國会においても、税の徴收ということについて非常に御関心をもたれておりまして、
租税完納に対しましては、非常な力を入れておられたのでありますが、この税の
危險なることは、やはり運用ということにあると思うのであります。この実施に対する用意というものが十分になくてはならぬと思うのであります。これは少しくうがちすぎたることを申し上げるようでありますが、こういう印紙による納税というものは、必ず
所得税、営業税というものの
課税に響いてくるのであります。これは惡い方に向いますと、脱税を許す。いい方に向いますと、
一つの補完的作用をする。
財産税が
所得税を補完する。あるいは
所得税で捕捉できない
所得を
財産税によ
つて発見し得るということが言われますが、やはりこれもいい方に向えばそういう作用をするわけでありまして、この運用におきましては十分な用意が要ると同時に、今日納税思想の廃頽ということが言われておりますが、そういうことにならないような格段の用意が必要であると考えるのであります。大体以上をもちまして私の話を終りたいと思います。