○長谷川
公述人 私は別に國家の
財政に蘊蓄があるわけでもなし、また
タバコについて知識もあるわけではありません。ただ市井の一商人として見聞きしたことや、また
感じたことを、せんだ
つて新聞の廣告で見ましたので即座に書いて出しましたところが、意外にも
公述人に選定されたので、皆樣の御参考になるような
意見はとうてい話せまいと思いますが、それはあらかじめ御了承願いたいと思います。
なるほど國家の
財政上、この
タバコの
値上げもやむを得ないのかもしれませんが、私は
ピースや「憩」とい
つた高級
タバコの
値上げはとにかくとして、
配給品や大衆向きの
タバコの
値上げは、ぜひとも回避していただきたいと思うのであります。先ほど
廣瀬さんでしたか
ピースを買うのに六十円をも
つて平氣で來るというような
お話がありましたが、それは一部の人で、大部分の人は、
ピースを
一つ買うのにさんざん
考え拔いたあげくに買うのだろうと私は思
つております。またただいまの
公述人は、
タバコは絶対的の必需品でないからというような
お話もありましたが、私が
タバコの常用者であるせいかもしれませんが、
タバコがないと、ときどきぼうとしてしまうことがある。一服の
タバコがいかに身心の疲労を休めたり、能率の向上を促すかということは、
タバコ常用者でなければ
ちよつとわからないのじやないかと思います。昔、バツトが五銭だ
つたことがある。その時分に勤労者はそのバツトをたいがい吸
つておりましたが、それも一本全然吸う者ばかりはありませんでした。中には半分吸
つて大事そうに耳のところに半分さしてお
つたり、
タバコの箱の中にしま
つたりして、またあらためてそれを吸う。それ以外に、まだまだ巻
タバコまで行かずに、刻み
タバコをなたまめキセルに詰めて吸
つているのがずいぶんありました。これは決して吝嗇のなめではなか
つたように思います。その当時、それらの人の
收入はというと、たいがい二円前後らしか
つた、二円前後の
收入でも
つて五銭のバツトを吸うとしてなかなか骨が折れる、家族を養
つたり何かするにはそれも骨が折れたので、それほどの節約をしなければならなか
つたのじやないかと思
つております。ところが、今日は五銭の
タバコが五十円、千倍です。なるほど「
新生」が出て二十円ならばよほど安くなりますが、それでも四百倍です。ところが、二円の月收のあ
つた勤労者は、せいぜい百倍か百五十倍の
收入だろうと思います。それだけに
タバコをのむのが、非常に生活を脅威しているということになりはしないかと思います。それでもなおかつのまなくちやならない。さんざつぱら
考えたあげく、
ピースをやつと一箇買う、それほど苦しんでいる。もう
一つは、この
タバコの
値上げということが、いつも
やみ物價つり
上げの標準になる。たいがいの商人が
やみ物價がばかに高いときに、それを賣るのに何と言いますか、
ピースでさえあなた
一つ五十円ではありませんか、それならこれは安いでしよう、こう言います。それからまた
消費者の方も、なるほど
ピースが
一つ五十円だから、これは五十円、高くないという悲しい諦めの目安にな
つている。私はそう思います。十一日東京新聞でしたか、こういうことが出ておりました。今度の
タバコの
値上げは、大藏省の
考えでは、
配給品を十五割
値上げする
考えであ
つた。その理由としては自由
タバコの
値上げは、もう国民の
購買力が底をついているから、その
値上げによ
つて予定の増收を
確保することはむずかしい、また自由販賣品の
値上げは
やみタバコを盛んにするから、
タバコの葉を確実に
確保することがむずかしくなるというような理由をも
つて、
配給品だけを十五割
値上げしたいというような案であ
つたそうです。それが三千七百円
ベースではむりであろうというので、七割に落着いたというのですが、どうもこの七割も私たちには非常に辛い。どうか
配給品や大衆
タバコは、据置きにしておいていただかなければならないと思う。さきの勤労者がバツトを半分吸
つたというように、大体はみな苦しんでいるのです。今日、私が
自分の店で見ておりまとす、進駐軍のジープが通ると、そのあとを
タバコを拾
つている人がある。その吸い残しの
タバコを拾
つて吸うのです。
タバコがないから。昔はこんなことは乞食以外にしたことはないだろうと思います。
タバコの
値上げは
國民をして人間的の誇りを捨てさせ、乞食のような精神にまで堕落させるのじやないかと、極端に言えば私は申し
上げてもいいかと思うのであります。
もう
一つ私がお願いしたいのは、
政府は
國民に対してできるだけ同情をも
つていただきたいことである。それならばそれに代る財源はないかというと、私は
タバコに関する限り、非常に淺薄な
考えですが、いろいろあるんじやないかと思
つております。それは先の
公述人がたびたびおつしや
つたように、
やみタバコの絶滅です。
タバコの
値上げは
やみタバコを盛んにする。大藏省の
当局者がおつしや
つておる
通り、
タバコの値下げは反対に
やみタバコを抑制し、あるいは撲滅し得るんじやないかと思
つております。この十一日かの毎日新聞の記事だ
つたと思いまするが、今年の
タバコの販賣
予定数は五百五十二億本だとかいうようなことが出ておりました。かりに三千万人の
タバコの常用者があるとすると、今計算してみたのですが、一日一人あたり五本くらいになるのじやないか。するとわれわれの
考えとしては、
タバコの常用者は、私自身から推して
考えてみても、五本やそこらでも
つてがまんができるわけはない。たいがい八本なり十本くらいは吸
つておるんじやないかと思
つております。そうするとその差の三本なり五本は、
やみの
タバコに依存しておるんじやないかと思う。「
新生」が四十円の当時に、
やみタバコが非常に盛んになりました。今では幾らか下火にな
つておりまするが、それでもまた近ごろ「
ピース」ばかりに
なつたので、大分出てきたようであります。あの
やみタバコの盛んな時分には、私の近所にも、傳え聞くところによりますと、私設
專賣局が二三軒あ
つたようです。朝から晩まで夫婦、それからときには人を頼んでまで
タバコを巻いておる。また私の知人は、たいがいそのころは、
やみタバコをも
つておりました。一本いかがですと出してくれるのを見ると、みんな私製
タバコだ
つた。これもはつきりは申し
上げられませんが、
配給店の家で私製
タバコを賣
つていたものさへあ
つたらしい。それらの点から
考えると、三本なり五本どころのさわぎじやないと私は
考えております。かりに三本としまして三千万の人が吸うと、一年に三億何千万本になるのじやないかと思います。
やみタバコの
製造人の利益はと言いますと、何でも非常に
やみの葉が高くな
つて、近ごろは一貫目二千円だとかいうようなことを聽きました。その二千円に汽車賃がかかりますし、またたいがい一晩泊りくらいしていくので、旅費がかかります。また
タバコの
耕作者へ、おみやげをも
つていかなければならぬ。これらの費用が約千円とみる。それで三千円です。一方利得はとみますと、一本二円で賣
つて何でも六、七千円あがるんだそうです、そうすると原價の倍もうかる勘定になります。三百何十億本かが一円ずつもうかりまして、三百何十億円という金がここに浮いて、私施
專賣局の利益になる。一方これも新聞によりますと、
タバコの
値上げ遅延によ
つて生ずる
收入減は、「
ピース」で一日一千万円、
配給タバコが半月計算で、五億円、月十億円ですから、一箇月で両方十三億円、一年にして百五十何億円となるが、もしかりに三本平均吸うとしても三百何十億円、一本半吸うとしても優にその
收入減はカバーされるのではないかと私は
考えております。しかもこの三百何十億円の利得がある私設
專賣局が、
國民の多くが過重な税金にあえいでいるさ中に、一銭の税金も拂わない。これは大きな問題ではないかと思う。これも專賣法を嘲笑し國法無視の見本を皆に見せつけている。これらの連中をそのままにしておいて、善良なる
國民を苦しめる
値上げばかりを
考えるのは私はどうかと思う。そう言うと、いや十分
取締りの力を盡しているとおつしやるかもしれませんが、この
取締りもどうも散発的でお茶をにごすという
程度ではないかと思う。駅頭の
タバコ賣りのおばあさんがよくとつつかまる話は聞きますが、私設
專賣局に手がはい
つたということは
あまり聞いたことがない。ほかの
取締りもずいぶんお茶をにごす
程度のようですが、どうも
タバコの
取締りもそんな
感じがしてなりません。もし取締るならば
國民全体のためですから、官憲はもちろん、ある場合には情を知
つて黙過している近隣の人まで戒飭するくらいな、峻嚴な粛正手段を講じなければならないのではないかと思う。だがそれまでにするまでもなく、私は安い大衆
タバコの出現が、
やみタバコを絶滅させるのではないかと
考えております。そうしてそこに生じに
取締りの余力を、よく問題にされる
專賣局内に巣食う盗賊團、いわゆる工員の持出し、これは
当局に言わせると、そんな高じやないとか何とかいうことを言われたり、また
取締りの手不足や何かを言われたり、いろいろ弁解がありますが、話に聞くところによると
相当の高になるらしい。これも粛正する方に向けたならば、國法無視の盗賊團を減らして、一方善良なる
國民の負担を幾分か軽からしめる一石二鳥の手段ではないかと思
つております。それで「
新生」がそのうち二十円にな
つて出るという話を聞いておりますが、未だに出ておりません。また「ハッピー」が三十円で出るとか何とかいう話も聞いておりますが、それも出ておりません。なぜそういう、いくらかでも安い
タバコを早く出してくれないのでしようか。町にはいつまで経
つても五十円の
ピースだけです。ですからいやいやながら五十円で買わなければならぬ。
やみタバコが一時は二十五円もしておりましたが、最近では十八円にな
つておるそうです。十八円から十五円にくらいに値下りをしているそうです。それは「
新生」が二十円で再び賣出されるという声におびえての結果だろうと
考えておりまするが、大衆
タバコの「
新生」なり、またそれ以下の十円なり十五円なりの品がどしどし出ることに
なつたならば、自然
やみタバコというものはなくなるのではないかと思います。私は一日も早く安い
タバコがどしどし出てくることを希
つておりまするが、
葉タバコは決して足りないのではないと思う。横流れさえ防げれば、
葉タバコはうんとあるのではないかと思います。もし
製造の能力が足りないのならば、私設
專賣局でや
つているように、手巻
タバコを賣出してもいいではありませんか。そうしてわれわれの
苦痛を少しでも減らしたいと思います。百の机上の理論より、また空疎な
取締りよりも、むしろ商人が金科玉條としているところの薄利多賣こそ増收の途であるということを、私は最後に申し
上げて引下ります。