○加藤國務大臣 ただいま倉石さんの立場からごらんになりました、現下の労働組合の動き並びに労働問題に対する御見解をお伺いいたしましたが、倉石さんの立場においての御意見としては一個の御意見であると存じます。ただしかしながらわれわれといたしましては、何と申しましても、基本的に日本の現在が敗戰の結果であるとはいいながら、今民主主義革命の変革過程である。私はこの大きな前提の上に立たなければならないと思うであります。それが望ましいことであるか望ましくないことであるかということは別問題にしまして、とも
かく敗戰の結果として、必然の現象として、ここに民主主義革命の進行の過程が今歩み出されつつあるわけでありまして、こういう時代においてはと
かくさまざまの部面において、ジグザグの現象が現われるということは、これはまたやむを得ない必然の現象であるといわなければならないのであります。ある一つの部面を捕まえてこれがただちに現実に合わない、またある一つの部面を捕えて、これはあまりに現実に後れておる、そういう一つ一つを部分的に切り離して見ますれば、そういう指摘はできるかと思いますが、私は全体を一括して民主革命の変革途上にあるという大きな前提の上に立ちますならば、そうしたおのおののジグザグな現象は、これはやむを得ざる必然的の現象であるとして、是認されなければならないと思うのであります。ただしかしながら、いつまでもそういうジグザグ現象をそのまま必然であるからというて、放任しておくという意味ではありません。当然それは正しき発展の
順序に從
つて発展せしめるということにしていかなければならぬことは、いうまでもないのであります。そうした現象の中で、労働組合の動きを見てみまする場合、確かに私は倉石さんが御指摘なさ
つたような点も、部分的にはこれを見ることができると思います。しかし労働組合本來の使命、労働組合本來の職能というものが、だれが何と申しましても、これははつきり一つの社会的存在、経済的存在としてそれぞれ
一定のカテゴリーというものが、定ま
つたものがあるわけであります。その労働組合の範疇に属するように発展せしめるということが、私は労働組合をして正しく、健全に、しかも自主的に発展せしめるゆえんであると、こう
考えております。ただこれが今御指摘になりましたような、部分的な現象を見るということは、これまた私のしばしば申し上げた点でありますが、
戰爭という非常に大きな社会的事実のために、あまりにも極端に過去の道がゆがめられて、そのゆがめられてお
つた反撥現象として、今日のような若干行過ぎと思われる点が現われてきたのであると、こう私は見ておるわけであります。從
つてこの反撥現象として、今日の多少行過ぎと思われておるような事柄も、時間的にいま少しの経過をたどりますれば、ちようど時計の振子がそれぞれ適正なる反動の運動を起すと同じような意味において、やはり
一定の水準を基準として左右に動くようにな
つていくのであります。時計の振子が左に傾いたときは、左へ傾いた、これはけしからぬとい
つて、責めることはできない。すぐにまた右の方へ適当な反動運動を起しますから、そういう
一定の平衡を基準として若干の左右上下の動きというものはあり得ると思います。これが労働組合の運動の上においても、当然そういうふうに立ち返
つてくる、私どもはこう見ております。なお日本の労働組合の発達が、
戰爭中中断されてお
つた運動から急に発達し始めましたために、数の上においては六百万というように、世界のほとんどこの國においても類例を見ない大きな発達を遂げておりますが、その内容においては、数の発達に匹敵するだけの内容の充実を見ていないということも事実であります。從
つてわれわれは、この数の発展と照應するがごとき内容を整えてくるように、労働組合がみずから訓練していく、みずから反省すべきものは反省していく、こういうふうにな
つていくことが望ましいのでありまして、労働
行政というものをそういう意味において、ただちに労働組合の運動を、
かくあるべし、あるいは
かくあらねばならぬというように、指導的態度をとるのではなくて、労働組合が自分自身の力において、その労働組合としての與えられたる範疇の中に発展していくように、側面からこれを助成をするという方針こそが、私は正しい労働
行政の行き方であると思
つております。もし労働
行政が直接に指導するというようなことがありますと、労働
行政の行き過ぎである、私どもはこのように解釈しております。さて、しかしこういう見解の上に立ちまして、今日の労働憲章ともいわれる労働三
法律についてみますれば、なるほど今倉石さんが指摘されましたように、労働基準法のような
法律は、日本のように中小
企業が日本経済の枢要なる地位を占めておる点から見まして、
実情に則しないものがあると思います。しかしながら、これはもう一度大きくわれわれは過去を反省しなければならないと思うのであります。たとえば満洲事変発生当時においては、日本の労働者は、農村の恐慌と相ま
つて、極端なるチープ・レーバーの状態におかれたわけであります。そういうことから日本の労働状態はまるで苦役労働であ
つた。こういう隸属的な苦役労働において生産された品物を國際市場において扱うということは、文明國家の恥辱であるというような口実のもとに、世界の至るところにおいて市場閉鎖を食
つたことは、御
承知の
通りであります。そういうような現実の事実から、その後の國際労働
会議等におきましては、どうすればこういうアジア的な低賃金の労働、ほとんど隸属労働ともいわれるような状態を訂正して、眞に労働者をして、文明國家の
國民としての生活水準を與えしめることができるかということが、これは
日本政府の代表者も、日本資本家の代表者も、日本の当時の労働組合の代表者もそれぞれ参加して、この國際労働
会議において檢討せられたわけであります。その結果定められた事柄があるいは條約案となり、あるいは勧告案として
決定されてきたのでありますが、当時の日本の状態は、御
承知の
通り、太平洋
戰爭を生み出すべき原因をなした軍閥、あるいは軍閥を手先とする金融資本等の独占化において、これらの文明的な
國民の生活水準を
引上げようとする國際労働
会議の條約案、勧告案というものが、採用されないで、
戰爭にな
つてしま
つたわけであります。それを
戰爭後において、日本の民主化を大眼目とする太平洋
戰爭の目的から、戰勝國家が、戰勝國の権利としてしかも日本が無條件で承認した
ポツダム宣言の
規定するところによりまして、どうすれば日本を民主化することができるか、この日本民主化の基本的條件として、現在のような封建的な制縛状態から勤労大衆が解放されなければならないということで、労働者には團結の自由と團体行動の自由が保障されることによ
つて、労働組合法が生れてきて、さらにその労働者の團体運動、團体交渉の自由を確保する点と、それから過去の日本労働者に與えられた不名譽な隸属状態から脱却せしめる法的
措置として、労働基準法というものが生れてきたわけであります。こういうような沿革から
考えてみましても、なるほどただちにこれが日本の
実情に適せざるものがありますけれども、われわれは適しないからとい
つてこれを現実に引きもどすのではなく、今申します
通り、大きな民主主義革命の過程にあるという点からい
つて、どうすれば文明國家としての水準に達するかというこの点から、どうすれば現実をそこに発展せしめるようにすることができるか、こうにうことに私は全
國民が努力をしたならば、
法律が現実に合わぬというのでなくして、
法律はなるほど現実に若干行き過ぎた点はありますけれども、行き過ぎは変革過程においての一歩前進であるという観点から、この変革に應ずるように現実をそこに発展せしめるように努力する、これは私はそう大した困難なくして、何も日本の経済的な基礎條件を壊すとかなんとかいうことなくして、容易にできるのではないかと思うのであります。たとえば中小工業等におきまして、これはまだ私自身としても未定稿な問題でありますけれども、できれば同種職業の小さな人々が集ま
つて生産協同体というような形態において、その労働基準法から受ける大きい
負担を、平素から分担することができるように、蓄積分担する
方法を
考えたならば、現実はなるほど一人々々の
企業体であるが、これが一つの生産協同体というようなものをつく
つてプール制にでもすれば、こういうものから受ける経済的
負担も軽くすることができるということも
考えられるわけであります。こういう点についてどこからも具体的な意見を聞いておりませんが、私自身も未定稿でありますから、まだ発表する勇氣はありませんけれども、とも
かくも現実を漸進せしむる。そういうことなくしては封建的なこの惰性を容易に破ることはできぬ、こう
考えております。從
つて今基準法であるとか、組合法であるとかいうものを改めて、そしてこれを現実に適合せしむるようにすることは、それ自身が発展を食い止めるばかりでなく、その発展の効果を、逆に今までの封建的なそのものの制縛の中に置いていこうという
考え方でありまして、この
考えは私としてはとらないところであります。從
つて私は結論的に申しますれば、法的
措置によ
つて、そういう変革過程における進展状態を、現実の封建的な残滓を多分にも
つておる中に押しこめようというのではなく、あくまでも自主的な労働組合の成長をなし得るように、また労働組合が他の力によ
つて支配されることのないように努めるということ、これを促進せしむるように現実の
方法においても
つていかるべきであるという
考え方をも
つておりますので、今
法律をどうこうしようという
考えは私にはありません。