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中崎委員 私の関知しておる
範囲内においては、ただいま
大藏大臣の答弁と
社会党側の
考えておる
考え方との間には、
相当の
開きがあるようにも思うわけでありますが、これはしばらくあまり深入りしないことにしまして、ここに全
國銀行協会連合会、
信託協会そのほか
金融機関の
団体の名前をもつて、
公債利拂停止的処理についての
意見があるわけでありますが、これについて私は
相当の
意見をもつものでありますので、以下それらの問題について、二、三触れてみたいと思うわけであります。
まず
公債の
利拂を
停止すべきものであるという
考えを私はもつているわけでありまして、これは今申し上げましたような
金融機関の
意見については、全体として反対しておるものであり、その
意見が一方的なものであるというふうに
考えるわけであります。そもそも
戰時公債はどの
範囲において
戰時公債であるかということについては、いろいろ見方もあるようでありますが、大体
戰爭中において発行されました一千億ないし一千百億見当の
金額の
範囲内のものが、その範疇に入るものと、私は
解釈しておるわけであります。そうしますと、そもそもこの
戰時公債なるものは、
戰爭に勝つという前提のもとに何ら負けるということを意図しないで出された
公債である、それが今日においては、ほとんどもう烏有に帰して、何ら実体を伴わないところの名目的な
負債であるということになるわけであります。そうしますと、それがすでに整理されまして、そして一面
國家の不健全な
負債を残すというようなことは、この際思い切つて整理すべきものであるということは、すでに
社会党として唱えてまい
つたわけでありまして、ただ
政府の戰時中における一切の
債務は、すでに打切りされたにもかかわらず、
公債のみが依然として残されておる。
ちようど車の両輪のごとき
國家の
戰爭に基く
債務であり、しかもそれが実態の伴わないところの不健全な
債務がその一面だけ切捨てられて、一面はまだ残されておる、これが今日におけるところの
金融の上においても、さらに
國家の
負担の上においても、
相当大きなものであり、殊に今後
貨幣價値が漸次安定した場合におけるところの
公債の額が依然として残つておるということになれば、
國家國民に対して非常に大きな
負担を残すということになり、実に
國家財政の上におけるところの大きな癌となるということが
考えられるわけです。それでわれわれはつとにこの
戰時公債の
利拂も、一切の
政府の
戰爭に伴う
債務とともに整理すべきものであるということを、主張してまい
つたわけでありますが、今日までそれが実行されなか
つたわけであります。ただしかし今日において、この大きな問題を処理するということは、なるほどまた再び
財界に必要以上の摩擦を生ずるというふうな
懸念もありますので、とりあえず比較的容易に処置し得るところの
戰時公債の
利拂の停正を
考えておるわけであります。先ほども申しましたように、千百億円くらいの
戰時公債としてみれば、約三十五億円ないし四十億円近いところの
利息を、この
停止によ
つて国家は
節約されることになるわけであります。もちろんその中には
資本利子税とか、あるいはまた
所得税等の形において、すでに
國家の歳入の中に編入されるべき
性質のものもあるわけでありますから、全額これが
國家の歳出の
節約になるということは申し上げられませんが、結局において三十数億の
節約になり得るというように
考えれるわけであります。なるほど今後一箇年間の支出が二千億を突破する、あるいは三千億になんなんとするというふうなことにもなれば、それから見た三十数億というものは、微々たるものではあるように
考えられまするが、しかし今回たとえば六・三
教育制の問題にしましても、あるいはまた
水害対策の費用にいたしましても、わずか三億ないし六、七億に足りない
金さえも
国家の
予算が許さぬという面から、これが緊急欠くべからざるものであるにかかわらず、まさにこの
追加予算にさえも計上されないというふうな現在の
事態において、この三十数億の
節約をなし得ることになれば、実にこれは大きな問題だと
考えられるのであります。さらにまた住宅の面においても、あるいはまた
公共事業の面においても、この三十数億の金が使われたならば、実に
國家的に大きなる貢献をなすというか、社会的に大きな
影響をもつものだということが言えるわけであります。そういう
意味において三十数億は決して
金額は少いものでないということは言えるのではないかと
考えるわけであります。そういう
意味においてこの
利拂の
停止ができるならば、しかもこの
利拂の
停止は
財界に大きな
影響と言いますか、悪
影響をもたらさないでできれば、これに越したことはないのじやないかというふうに
考えられるのであります。そうしますと、この
意見の中にも書いてありますが、まずこれを処理するには、われわれは第二
封鎖預金をもつてこれに充てるべきだという
意見をもつてお
つたわけでありますが、すでにこの第二
封鎖については、
政府側においてある
措置を講ぜられつつあるということであります。現在第二
封鎖として残るものは四十億
程度にすぎないというふうにも感知しておるわけでありまして、この
範囲をもつてするならば、必ずしもこれを全額引き充てることが妥当であるかどうかということについては、いささか私として疑念をもつものであります。それですでにこの時期を失した第二
封鎖で、
利拂停止によ
つて金融機関の受ける
損失の
穴埋めとすることは、妥当でないと
考えられるわけでありますが、しかしこれを打切る
財源としましては、まず
金融機関の内部的にもつているところの、いわば
資産の再評價によつてこれを充てる余裕が
相当にあるのではないか、もちろん
金融機関再建整備によりまして、
金融機関の
資産の
内容については、まず
自己資本をもつて
損失の
穴埋めにするというような建前に
なつておりまして、
相当に手傷を負
つたことは事実でありますが、しかし一面また、その多くの部面を占めているところの
金融機関のもつている
資産の
内容については、これは大体
帳簿價格をもつて見積られております。われわれの知つている
範囲においても、この
帳簿價格と現在のいわゆる時價との間には、
相当大きな
開きがあるわけでありまして、これは依然として何ら手を着けないままに残されている現在の状態において、われわれはむしろこうした余分の
資産の中から、この
公債の
利拂停止による一
部分の
負担をするのは当然であるというふうに
考えているわけであります。これは決して水ぶくれ
資産をこの
金融機関にもたせるということにはならぬのではないかと思います。水ぶくれ
資産と申しましても、これは同時に市場にもち出されて、そしてこれが高い値段において取引されるというふうな
事態が生ずる場合、これはいきおいインフレになるわけでありますけれども、
金融機関の
資産の
内容の
評価損を、その時の
價格によつて適正に見積り、
引上げたからといつて、これは決して
財界全体として水ぶくれ
資産が
物價に
影響するがごときものでなくして、ただ
金融機関の、いわば将来における
堅実性がどうなるかということについての多少の
懸念はあるわけでありますが、しかしそれといつても、急激に
物價が何百分の一に下るというようなことも
考えられないのでありまして、そういう
見地からみて、当然その時の
價格に相應するような
資産の
評價替をするのは、むしろ当然であるというふうに
考えるわけであります。
次にまた
貸出金利の
引上げ、
預金利息の
引下げないし
金利の支拂の
停止等、こういうふうな
金利の上におけるところの操作の面に、たとえば貸金の
利子の
引上げのみによるか、あるいはまた
預金利子の
引下げのみによるか、
停止めるかというふうないろいろな
方法はあるわけでありますが、これは各方面の
実情に即して、適正に各
方法を按配してやつていけばできるわけであります。こういう
方法の
研究こそ、今後各
調査機関においてやるべきでありますが、少くともこの
公債の
元利拂いの
停止という問題については、当然やるべきものとして、その
方法をいかにするかということを
考えられるのが、むしろ当然だと
考えているわけでありますが、
貸出金利の
引上げということが、一面において
コスト高を来し、そして
物價に間接的な
影響をもたらすということは、これは明らかなことでありますけれども、しかし現在のいわゆる
物價事情において、
金利がわずか二銭五厘のものが二銭八厘なり、あるいは三銭
程度に
引上げられたとしても、これは非常に
物價を高く
引上げるところの大きな原動力とはなり得ない、言いかえれば、
金利というものが今日
價格の
構成の面において、きわめて、わずかの
部分しか占めていないというところを
考えてみても、この
金利のわずかばかりの
引上げということは、決して
財界にそう恐るべき
影響をもたらすものでないということを、はつきり申し上げられるのではないかと思います。さらにまた一面、
預金利息の
引下げにつきましても、これは今日むしろ各
預金者というものは、
金利が高いから、安いから、これにもつていつて預けようというような
考え方よりも、むしろこれによ
つて財産の所在が明らかになり、
平債の切下げはないか、
金利の
引下げをやられるのではないかという
貨幣制度の根本に対する
懸念、租税で今後根こそぎもつていかれはしないかという
懸念が、預金の増加を阻んでおる大きな
理由である。
金利が安いか高いかということは、今日の経済事情に即應しての問題ではないというふうに
考えておるわけであります。こういう
意味において、今日の時代においても、
預金利子の三分五厘が三分になろうと、あるいは二分になろうと、預金吸收の上においての、そう大きな原動力とは、なり得ないというふうに
考えておるわけであります。いわんやまだ第一
封鎖預金も
相当あるわけであります。この第一
封鎖預金に対するところの
利拂いの減少ないし
停止のごときも、これが今年一箇年間に限つて行われる限りにおいては、そう大きな悪
影響を
財界にもたらすものではないばかりでなく、さらにまた
預金者もこれによつて、この預金を非常に引出すとか、あるいはまた預金の増加の傾向を鈍らすというような、大きな原因になるのではないというふうに
考えておるのであります。われわれは長年銀行におきまして、
金融機関全体については認識をもつているのでありまして、
金融関係業者のこのパンフレツトなるものについては、私はただ自己擁護の立場において、いたずらに古いところの
金融資本と申しますか、そういうふうな
考え方から、自己を擁護しようという
考え方であつて、私はこの
公債の
利拂停止のごときは、やろうと思えばやれる。しかもそれが大きな
影響を及ぼさないということを、長年私は
金融業界における経験から、
考えておるのであります。これらの点について、
大藏大臣の御
意見を承つておきたいと思うのであります。