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河合委員 過日來の本
決算委員会において各
同僚委員の御発言を承
つております中に、不必要な、またとうてい行われないような
統制はまず第一に撤廃したらどうかという御
意見があつたように拜承いたしたのであります。私もやはりそれを同じ
考えをも
つておる一人であります。今日
世間のことを見ましても
——私はほかのことはあまり詳しくは存じませんが、
國民生活に最も密接な
関係のあります
生鮮食料品のことについては、少しいろいろな
方面で研究をいたしております。よく注意をいたしております。本日も
省線電車に乗りましたが、常磐線で多くの人が二貫目どころじやない、五貫目も六貫目も十貫目もあるような重い荷物を運んでおる。これをきびしく
取締りましたならば、ああいうことはとうてい行われないはずである。ところが
世間もうざらに行れている。またそれが行われるのがあたりまえである。元
來統制経済の一番大事なことは
配給にあると私は思うのであります。過日も申しましたように、
統制経済においては
生活必需品は
統制のわくに入れて、
配給をも
つて生活ができるようにすることであるということは、この前の
國会におきまして、
片山総理大臣が
予算委員会でその
通りの
言葉で表明されたのであります。
統制経済をやる以上は不十分ながら
配給をしなければならぬ。その
配給がないから年中
遅配欠配で、
蔬菜を遠方から運んだり、また賣りに來るのであります。その
消費だけの面だけにおいてこれをきびしく
取締るというのは、
國民を餓死させることになるのであります。背に腹はかえられませんから、これを買出しに行つたり賣りに來る者を求めて
生活をしているというのが今日の現状なんです。それは
配給ができぬのは当然なんで、私は始終言うことでありますが、主食の方は
生産の面から
計画性が立
つておりますけれども、
生鮮食料品にいた
つては
昭和十六年に
統制経済が実施されまして、ようやくこのごろになりましてはじめて
肥料をも
つてリンクするというような
計画性を幾分かもたせたのでありますけれども、最も大切な戰時中はそういうことは少しもやらなかつた。つくる方はもうつく
つてもよし、つくらなくてもいいということにしておいて、
消費の面だけきびしく
取締りましたから、
從つてやみというものは当然自然発生的にできてきたのであります。この
統制経済を完全にやろうと思うならば、
生産の面から
計画を立てなければいけない。その
計画を立てないで
統制をやるから、こういう
やみが行われるのでありまして、今日においても私は
肥料のリンク、あるいは
生産に必要な
物資をリンクするくらいなことは当然とらるべきでありまして、漁撈におきましては殊に天候の
関係から
計画を立てるということはとうてい不可能なことであります。
必要量、少くとも十分とまではいきませんでも、半分でも六割でも七割でも
配給ができて、そして富める者も貧しき者もその
配給によ
つて生活ができるということならばそれは結構であります。しかしそれができないとならば、
統制経済は非常に結構なものであるといたしましても、
配給ができぬ
統制経済は撤廃してもらいたい。過日も他の
委員会でこのことを私は申したのでありますが、木炭にいたしましても公然と
やみが行われている。それは
生産物の價格が非常に安くて厚木を買うことさえもできませんから、
炭燒きは
生産いたしましてもあえて
供出することはいたしませず、これを
やみに流しているという事実があるのであります。われわれの
生活必需品は大抵そうなのです。
統制が完全に行われているものは
一つもないのです。できればやることが一番よろしいのでありますが、できないとするならば私は
統制をはずす必要があると思う。しかし
統制を撤廃するということは、この席上で論議すべきことではありませずして、あるいは
農産品配給規則とか、あるいは
蔬菜及び
漬物配給規則、
鮮魚介配給規則というようなものを撤廃するということによ
つて初めて行われるのでありましようが、私はこの
法案を見まして、第一條に揚げてあります「
中央経済査察廳は、
物資の
生産、
配給及び
消費並びに
物價に関する
経済統制の
励行を確保するため、左の
事務を掌る。」こういう
文字がありますから私は問題が起ると思う。私は
経済の
生産から
配給、
消費に至りますその過程におきましては、一貫してこれが正しく行われるということを望むものでありますが、
統制経済が布かれなくとも、
統制されている
商品にしても、
統制されていない
商品にいたしましても、
生産から分配、
消費に至るまでを正しく監督していきまして規正するということは必要であると思います。
統制をしているからそれを嚴しく
取締るという以上に、
統制を撤廃いたしましてもそれは私は
励行する必要があると思う。
実例をも
つて申し上げたいのでありますが、たしか
昭和十六年の七月の二十五日であつたように記憶しているのであります。
大阪の朝日新聞の記事で私は承知したのでありますが、
警察が手を入れまして
大阪の
中央市場内を取調べいたしましたら、百五十人の人が檢挙されて、七十五人が
暴利取締令によりまして起訴されました。私はこの点を指摘したいのでありますが、元
來中央市場内において物を賣りますのは、
市民によき
品物をできるだけ安く食わすという
目的で市が
中央市場令に基きましてああいうものをこしらえている。それでありますから、その当時
商工省が所管しておりましたなら
商工省、
農林省に移管されておりましたら
農林省といたしましても、
行政上の
措置として、正当にそういうものを扱
つているかどうかということを
調査するとか、
査察するとかいうことが当然のことであると思う。あの当時の
委託販賣の
制度は
委託業者が一割の手数料をも
つて許されていたのでありますけれども、事実はそうではなかつた。七十五人の人が起訴されましたが、その中では二十割の
暴利をむさぼ
つておる
人たちがあつた。そういうことは
行政上の
措置として、
警察の手入れではなくして、
農林省が所管するならば
農林省がそれをやらなくてはならぬ。今日の時代におきましては、
統制を撤廃いたしましても、商人がいろいろの奸策を弄してもうける腕があるならば、どれほどもうけてもよいということは、許すべきことではないと思う。過日も例を引きました議会内の食堂において、小さな三宝というみかんが一
箇三十円で賣られている。東海道の汽車の中で二十粒ほどはい
つているピーナツが一袋二十円で賣られているが、それは
査察でもやりますならば、どこでその値段がふくれているかということはすぐわかる。
そういうことはなぜ
取締なり
査察をせぬのでありますか。
配給もできないような
統制を続けてやりまして、たまたま
違反を押えても多くの
違反を見逃すというようなことはいたしませずして、
統制はずしてもなすべきだけのことをやつたらいい。そうして
暴利を
取締るというようなことを当然しなければならぬ。でありますから、
経済の
査察をするということは、
統制経済に関してだけそれをやるのではなくして、
一般の
経済の
行為についてこれをやるという必要があると思うのでありますから、私はこの
統制という
文字を省いてもらいたい。
経済の
査察を行うためにその
事務を掌る、こういうようにやるのが至当ではないかと思うのであります。私は
意見を述べることになりましたが、そういう点をおねらいにな
つているのではないか。
普通の
経済行為はやりほうだいで許されるのでありますか。
統制が布かれている物品だけの
査察をするのでありますか。その点をはつきりといたしてもらいたいが、どういうお
考えかそれを承りたい。