○
服部教一君
ちよつと
文部大臣に申上げたいのでありまするが、その外のお方も聞いておいて頂いて、
大臣のお答えにならん分を御返事願いたいのであります。實はこの
教育は、後に又
外務省の問題もありますし、時間が餘計ないから、それで簡単に申上げまして、又書いたものでお尋ねしたいと
思つておるのであります。この
中學校の
改革につきまして六・三
制度を今度お始めに
なつたということは、これは私は
日本のために非常にいいことであると
思つておるのであります。よくこれをおやりに
なつたと思ておるのであります。一體この
日本の
教育は、
文部省というものがあ
つたがために、
明治十九年に
森文部大臣が大
改革をされまして、今日まで殆んどその
改革というものはないのであります。それはこの
日本の特殊な位置におるこの
日本の國の
發達をせしむるのに、
文部省の
規則でいつも縛
つておくから、三十年、五十年殆んど
改革されずに來るのです、
アメリカのように各ステートが殆んど自由で、どこの洲へ
行つて見ても
教育制度が違う。皆自由に
研究をやつおるから、いろいろ
國民の間に
學校の
先生でも誰でも
自分で
研究して
自分で何もかもやると、こういうことにな
つておるのが、
日本では
文部省が決めてしま
つて、手足を縛
つてしま
つて、
教科書も一定しておるし、
教授要目も一定しておるし、
自由研究というものをやることのできないようなことにしておるのです、それですから
明治十九年
以來今日に至るまで
改革せずにおる。
アメリカあたりはどんどんどんどん
改革して、初めアカデミーから
ハイスクールに
發達し、その
ハイスクールも今日でも六・三制もあれば八・四もあれば、いろいろの
制度をや
つて互いに
研究して、どういうものが一番いいかということをや
つておるのであります。まあ最近は六・三・三の
制度がないということで、非常にこの敷が殖えて來ましたけれども、今日といえどもまだ小
學校八年
中學校四年、その上にカレッジということにな
つておるのが澤山あるのです。
日本は
文部省がや
つて、それによ
つてやる。又
文部省がやらなければ
地方でやれないということもあるのであります。一利一害です。あんまり縛るというと、又これから六・三・三が五十年も百年も續いて、
アメリカはすつかり
変つてお
つても
日本は変らないで又五十年、百年後に
アメリカの
制度によ
つてやる、こういうことになるように私は思うておるのです。
學校の
教授法でもそうです。
教授要目もそうです。
文部省が決めるものだから、
發達しない。又初め決めてやらんことには、自然の
發達を待
つてお
つては、なかなか容易にできないのです。そこがなかなかむずかしいところで、やはり
日本としては、
アメリカとは違うのですから、
文部省なるものが先に立
つて、そうして指導してやるということがいいのですけれども、それが指導の仕方が悪いというと、抑えつけてしま
つて、もう
文部省の言う
通りにしておればそれでいいわというふうに、
學校の
教員でも、すべての、縣において、
學務部あたりにおいてやりまして、そうして何年間もその悪いことが続いて行くのであります。それでありますから、ここは
一つ日本の
文部省の
改革をしなければならんと、私は思うておるのでありますが、これが
日本か始終
發達せん。これは
文部省に限らん。
鐵道省であらうが、外の省でも、すベてその
通り。現に
原子爆弾でもそうです。
日本のどこで發明しましたが。大學には頭のある
物理學者がおる。それを
發達させない。
研究費も出さんとか、もつと
研究費も殖やして貰いたい、
研究費を出さんとか。
民間もまたやらん。
アメリカのルーズヴエルトが二十億からの金を
使つて、二千人からの人を
使つて、そうして大々的にや
つたのであります。
日本はそういうことを
研究してお
つても、共同してそういうことをやるというふうにな
つておらん。なんでも
陸軍省、
海軍省の言う
通り。
陸軍省、
海軍省の
技術者は互いに喧嘩しておる。そういうところに
日本の缺點があると思うのであります。それだから、これは大いに
改革しなければならんと思います。これは
文部省に限らん。すべての省がそうであると
思つておるのであります。そこでこの六・三
制度の問題もそうです。私は誠にこれはいいことをやられたと
思つております。これによ
つて日本の
教育は非常に
發達をして行くと思います。これから大
學制度を
改革して、
日本に
一新紀元を開くごとに
なつたと
思つて、この
文部省の御
英斷に對しては、非常に敬服しておるのです。併しながら又餘り六・三
制度を括
つてしまうというと、そうすると、又これが
日本に非常な
弊害を來して來るのでありますから十分にこれをゆつくりと
日本全體の進歩を妨げないように、より御
研究を願いたいのです。そのことを今から申上げたいと思うのですが、
一つは、六・三・三、それでいいが、八・四というような、小
學校八年、
中學校、
高等學校、合せて四年、こういう
制度もやはり
研究する必要があると思うのです。この
日本という國は
山國で、御
承知の
通り耕作地面というものは一割六分程で、あとは皆山で、非常に交通が不便で、
アメリカのごとく何百里
行つても山
一つ見えんというような所とは違うのであります。それからもう
一つ、
アメリカを見て見るというと、もう
中學校の
生徒でも、
自分の家の
自動車に乗
つて通學している。
日本の自轉車と同じことであります。
自動車で通學している。
學校にバスがあ
つて、方々から
生徒を集めて來る。
日本ではそれができないから、
制度においても、やはり
日本の
國情に適するようにやらなければならんと思うのであります。なんでも
アメリカの眞似をする、
ドイツの眞似をするというようじや、どうも具合が悪いと思います。それで
學校も六・三・三に決めるというようなことは、少しやり過ぎたように私は
思つておりますけれども、初めはどうせ急いでやられるのでありますから、これは無理のないことで、おいおいとよくなると思います。それから初め百億以上の
豫算を豫定し、それが六十億となり、それが三十億となり、十四億となり、七億となると、こういうふうにな
つて来たんですから、
文部省のこれを計畫された人の實行したいと思うことが、金のためにできないという
状況に陷
つておりまして、
來年の
通常豫算においては、もつと大いに金を取
つて貰いたいと思うのであります。私どももできるだけお助けしたいと
思つておりますが、併し
國民が食うことに困
つておるから、そんなに澤山取れんと
思つております。そうすると、今年から
來年、再
來年へかけて非常に困ると思います。そこで融通をもつと利かしてやらなければならん。
學校教員にしても、今俄かに
教員を養成しようとしても急には間に合わん。そこで
教員の
兼務というものを十分に許すと、
當分だけでも宜しい、許すということにしなければならん。例えば
校長のごときも、小
學校長でも
中學校長を兼ねてもいいということにしなければならん。そういう又必要なところもある。五十歳、六十歳で立派な
人格者で、立派にや
つて行ける人がある。そこへ向けて、二十代や三十代の大學を出たような者がその下へ附いてやることもできる。だから
校長の
兼務を自由にし、
教員の
兼務を自由にし、それから
經濟上から申しますと、一週間に、これは世界どこの國も困
つておるのでありますが、
教員の
兼務など、又、一週間に二十五時間なら二十五時間ぐらいに大
體決めておきまして、そうして小
學校の
教員は
中學校も
兼務できれば、
中學校の
教員も小
學校を
兼務できる。
一つの
學校で余
つた時間があれば、隣りの村の
學校へ
行つて兼務するというように自由にしておきまして、そうして
經濟上の困ることを助けて行くというようにせんと、これは私はいかんと思うておるのであります。おいおい完備して來れば、又
改革できます。初めから窮屈な
規則を作るというと、非常にやりにくい。私はこの四月以後の實際現在實施されておる
状況は、まだよく調べませんから分りませんが、私の
ちよつと見たところによ
つても、例えば八年の小
學校、
尋常科と
高等科とありましてや
つてお
つたものが、今度止ま
つて中學、六・三になりました。そこで六年以後の
高等科の二年というものを
中學校にしておけばよいのでありますけれども、それをやめて
しまつて隣の村へ合併した。その合併したについて、その間に山がある。冬に
なつたら、私はこれは五月頃であ
つたのですが、冬に
なつたら女の子供をどうして通學させるかと
思つて心配しておるのであります。
アメリカあたりではそういうことはせんのであります。その
學校はなんでもよいのであります。小
學校へ
行つて中學校にな
つて、
當分の間、二年や三年は、本當の
中學校にならんでも大目に見て、そうして實際にできるようにしておかなければならんと私は思うのであります。だから金も澤山あるときの
考えで、理想的のものをやるというと、行き詰ま
つて來ると思うのであります。それから
教員も自由に、
教室も足りなければ、お寺でやろうが、どこでやろうが、これはまあそうな
つておるようでありますが、
教室の
兼務、それから
都會地において
理化學の
教室の
兼務、體操場の
兼務、兩方兼ねてやらせるというように、自由自在にして、
地方の人に任せておけば、各
府縣に任せておけばよい。
文部省なんか餘り世話せずに、勝手にやれというふうにしておけば、やはりよくやりたいというのは人情でありますから、自然にやらしておいて、そうして悪い所があ
つたら監督し、それはやめたらどうか、これはこういうふうにしたらどうかというふうにすれば、自然によくな
つて行くと思うのであります。それから
教員の養成ですが、大きな問題だと思うのであります。これは御
承知の
通り、
アメリカなどにおきましては、
日本で言う
文理科大學、
高等師範學校というような所は、晝の
生徒よりも夜の
生徒の方が多いのであります。
東京の
文理科大學へ行
つたら夜は眞つ暗で、晝だけで僅かの
生徒でや
つておりますから、今度は急の時に間に合わん。
アメリカへ
行つて見ると、晝の
生徒より夜の
生徒の方が多い、夜はどういう
生徒が來るかというと、小
學校の
先生が來ておる。そうして
文學士にもなれれば
理學士にもなれれば、又
試験を受けて
中等學校の
教員にもなれる、私はああいうふうにやらなければならんと思うんです。これから少なくも十年、或いは永久に続くかも知れせんけれども、どんどん小
學校の
教員でも呼んで、そうして何年か
研究して、
試験を受けて
中學校の
先生になる資格を取るというようなことにせんと、晝だけの
制度ではなかなか追つつかないと思われるのであります。又それが
教育の
機會均等、それから又各自が、
小串校の
先生が
中學校の
先生になるというように、上の方へ進んで行く人のために便宜を開くことになります。それから大學も……これは大學の
制度のことで申上げたいと思いますが、どうも
日本の
やり方はいけないと思うんです。それだから夜學というものを大學でも、
文理科大學、
高等師範學校で夜學を盛んにして、どの
教室も
電燈をつけてやるというふうに
考えては……
まあ電氣も少ないですけれども、そうやらんというとこの急場に應ずることはできんと思うのです。
それから
實業學校であります。
農學校、
商業學校というような
實業學校、これもです。六・三・三に
なつたから皆六・三にせいということでなしに、これも段々と
改革するというようにしたいと思うんです。何も
商業學校、
工業學校、そういうものを皆
中學校の名前に変えなくてもよかろうと思うんです。御
承知の
通りアメリカあたりには、コンマーシヤル・ハイ・スクールとテクニカル・ハイ・スクールということにな
つておりますから、又別にやはり
商業學校、
工業學校というものも、やはりやりたい者にやれるようにな
つてお
つてあるのです。皆一律にな
つておるのではない。でありますから、もつと自由にして、各自が新工夫を出し得るように、
教育制度を餘り細かく限定しないようにして、
經濟上もやり得るようにしたい。又實際に
教育の上に
差支のないようにしたと、こう思うんです。それから六・三まではこれでできますが、来年は六・三・三、それからその上に
専門學校、大學の
制度、これらのものについてもこれから段々と都合好くや
つて頂きたいと思うておるのでありますが、このことを
一つ……もう
考えにな
つておると思いますが、私の切に感じておることを
一つ、申上げたいと思うのでありますが、
東京には
帝國大學以外に大學の數が澤山……御
承知の
通り三十も四十も五十もありましてや
つておりますが、この
やり方は非常に不
經濟な
やり方でありまして、二ユーヨークへ
行つても、主なる大學は二つしかない、シカゴであるとか、或いはロンドンであろうが、パリーであろうが、ベルリンであろうが、
日本のようなところはないのであります。これはどういうところから起
つたかしらんと
思つて、いろいろ
考えて
研究して見たのでありますが、それは
日本の
文部省が悪いのであります。この五十年、六十年来の
文部省、何故かというと夜學をやらないのであります。それだから夜學をやらないで入
學試験をやるというのでありますから、入れない者は行くところがないから
私立大學を作る。夜やる
學校に
經費がないから
帝國大學の
先生が夜そこへ
行つて教える、
一つできる、又足らんから又できるというようなふうにな
つてこういうふうに
なつたのでありまして、この六、七十年間にできた大
弊害をもつと
經濟的に、もつと有効にする方法をこれから
考えて行かなければならんと思うのです。これはなかなか大問題でありまして今度戰災で燃えた
私立大學も澤山ありますが、これがどういうふうになりますか、なかなかこれは困難だと思うのであります。それで
文部省の官費で金を出すのも、
私立で
國民の懐から
寄附金などを出してやるのも、やはり
日本で言えば、同じ
日本の金を費すのだから、これは
經濟上どうしていいかということも
考えなければならん。それについては私は
帝國大
學等の
教室も夜學を盛んにしてやる、これが初めからそういうことをや
つてお
つたら、こんなふうに
私立大學が澤山できなか
つたと思うのです。何故に
帝國大學の
先生が、立派な
帝國大學の
教室を夜空けて置いて、そうして下駄履きの汚い、埃の多い
私立大學へその同じ
先生が教えに行かなければならないか。その
理由はどこにあるか。これは
日本全體から観て見たならば、非常な不
經濟なことであります。大學の中で立派な
教室を
使つて、
電燈の下でやればいいと思うのです。それにつきましてはなかなかこの
改革しなければならん點は澤山あると思うのです。私はどうしてもこの大
學制度は、
ドイツの大學の
制度を採
つて、あの大きな
ドイツが二十一の大學で大
體皆收めております。何萬という
生徒が
一つの大學におる。
日本のようなああいう小さな組織とは違うので、これは追い追いと實行をして行かなければならんのでありますけれども、
日本のこの大
學制度は私は非常な不
經濟にや
つておると思うのです。もつと
經濟的にやるようにしなければならんと思います。それには
學校の
先生の
待遇も惡いのですから、これは困
つたものでありますが、私はこういうことを
考えておるのであります。
ドイツのように
授業料は
先生の
收入にすることにしまして、その細かい
規則は、最大限は五千圓までとか、上を決めなければならんですけれども、
教員の俸給の出し方ということについて、組織を変えて行かなければならんと思うのであります。で朝の九時から夜の九時、十時まで
學校の
教室を活かしてやるということにつきましては、一人の
先生でそれを皆やれませんから、一人の
先生がどれくらいの時間をやるかということ。
先生の數、いろいろの點をこれを変更して行かなければならんと思うのであるが、この
先生の方はやはり今のような講座をきちつと決めずして、いくつかの同じ講座も作り得るようにし、又同じ
先生が講義を同じ大學で一日に二回やるようなこともやる。教授器具から機械を何回も利用し、そうして
經費を少くし、
日本の今のような
やり方でないように、この大
學制度を
一つ変えなけばならんと思う。今ここで詳しく話しておりますと長くなりますから、又別のときによく申上げたいと思うておるのでありますが、お分りにくいかも知れませんが、要點だけを申します。